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「武蔵野」
2018/12/15(Sat)
  国木田独歩著 「武蔵野」 を読みました。
 集英社より、日本文学全集12国木田独歩・石川啄木集1967年(昭和42年)9月第1刷です。(同じ全集でもこれには定価がありません。)

徳富蘆花の『自然と人生』のなかに、「雑木林」という作品があります。逗子での作品がおおいなかで

 ≪東京の西郊、多摩の流に至るまでの間には、幾個の丘あり、谷あり、幾筋の往還はこの谷に下り、この丘に上がり、うねうねと  してゆく。谷は田にして、おおむね小川の流あり、流には稀に水車あり。丘は拓かれて、畑となれるが多きも、そこここには角に  劃られたる多くの雑木林在りて残れり。
   余はこの雑木林を愛す。木は楢(ナラ)、檪(クヌギ)、榛(ハン)、栗、櫨(ハジ)など、なお多かるべし。・・・・≫

 「武蔵野」の描写といえば国木田独歩を思います。「雑木林」は1ページたらずですが、国木田独歩の「武蔵野」は18ページです。そのむかし岩崎文人先生に教わったことがあるのですが、「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」の出始めのところを思い出したのがやっと、といったところです。
 国木田独歩はこの作品を通して、武蔵野をどのように描こうかと研究しているの感があります。国木田独歩らは徳富蘆花の「写生帖」を称賛したと、徳富蘆花の年表(小田切進編)にありましたが確かに徳富蘆花の文章の方が格段に優れていると思えます。ロシアの野を描いたツルゲーネフの文章を二度引いてあります。広島の烏はときに人間をあざ笑っているかのような声をして飛び去るようにも見えるが、ロシアでは、去る烏でさえその野にあっては小心に見えるとの描写には、なるほどロシアの野はこのようなのであろうかと思えます。

 一から、九まで章をたててあります。五で、朋友が郷里からよせた手紙にやはり野を散策逍遥する文を寄せたのに事寄せて、武蔵野はそうはいかないとばかりに、武蔵野を描く文章は他の章と違ってテンポよく人懐かしく語られており、全体このように朋友に話すごとく、書けばいいのではなかろうかと思えます。

 「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」という入間郡も今となってはその面影がないのではないでしょうか。この時代の武蔵野を思うとき、東京の変遷には驚くばかりです。

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『自然と人生』(抄)
2018/12/13(Thu)
 徳富蘆花著 『自然と人生』(抄) を読みました。
 集英社より、日本文学全集6徳富蘆花集1967年(昭和42年)12月第1刷で、定価290円の本です。
この日本文学全集6徳富蘆花集では、367ページまでが『思出の記』で、あと30ページたらずがこの『自然と人生』(抄)です。30ページたらずにもかかわらず「自然に対する五分時」、「写生帖」、「湘南雑筆」それぞれにさらにタイトルをつけての自然と人生の描写があります。まずは、

  ≪『自然と人生』(抄)
   自然に対する五分時
   このごろの富士の曙
  こころあらん人に見せたきはこのごろの富士の曙。
  午前六時過、試みに逗子の浜に立って望め。眼前には水蒸気渦まく相模灘を見ん。灘の果には、水平線に沿うてほの闇き藍  色を見ん。もしその北端に同じ藍色の富士を見ずば、諸君おそらくは足柄、箱根、伊豆の連山のその藍色一抹のうちに潜むを知 らざるべし。
  海も山もいまだ眠れるなり。 ・・・・≫

と始まります。
自然の描写が続くなか「自然に対する五分時」はさいごに

 ≪田家の煙
 余は煙を愛す。田家の煙を愛す。高きに踞して、遠村近落の煙の、相呼び相応じつつ、悠々として天に上りゆくを見るごとに、心すなわち楽しむ。
 しかれども、市井の濁波今や滔々として村落に及び、田家淳撲の風しだいに地を掃わんとし、賭博、淫風、奢侈、遊惰、争利のバチルス、ほとんど戸ごとに侵入せんとするを思えば、むしろ一炬その家とその人と焚きつくすの優れるなきかを疑う。
 否、むしろ教えてしかしてこれを化せんのみ。
 ああもし吾力よくせば、余はあまねくこの三個の進物を全国の村落に贈らんものを。三個とは、良医、良教師、しかして良牧師。
 良好なる小学校、良好なる会堂、良好なる診療所、この三は健全なる村を造る三要素。しかして健全なる村は健全なる国を造る 大基本。あまり多く果実をつくるは枝は折る。富めるのみなるその国は亡ぶなり。国民をして天を仰がしめよ。
  田家の煙のいぶせき藁谷より出でてしかも天に上るを見ずや。≫

 というのもあり、世を憂えた作品で率直な解決への提言となった射て異色です。
ほとんどが伊豆から眺めたらしい風景のすばらしい散文詩です。


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『思出の記』 
2018/12/11(Tue)
 徳富蘆花著 『思出の記』 を読みました。
 集英社より、日本文学全集6徳富蘆花集1967年(昭和42年)12月第1刷で、定価290円の本です。
 紙は元から薄茶がかった色だったのか、サンルームの本箱で日焼け、時代焼けしたのか、そのうえ文字も小さく、画数の多いものなど見えずいい加減に読むほかなく(パソコンのある部屋だと天眼鏡で視て「IMEパット・手書き」で読み意味なども検索して含蓄ある文章を堪能できるが)、さらに電気の位置の具合がよくないので疲れてなかなか読みにくいハンディーもありながら、辛抱強く読めたのは、最初に荒正人の解説を読んだからです。荒正人とは、わたしがいま住む可部の町の南西にそびえる山をけずってつくられた巨大な団地の坂を上がった県営住宅に同じ団地に住む夫の姉を頼って引っ越してきて、わびしく『夜と霧』などを読んでいる頃、訪問販売に来た人が紹介してくれて買えなかった、立派な装丁で大きな『漱石全集』10巻を出した人。
 漱石の専門家という印象でしたが、徳富蘆花の解説まで書くとは・・・の思いで読んでみますと、明治時代が見えてきます。
明治時代を書いた本はそれはたくさんありますが、それに注釈をくわえたものとしては、出来過ぎています。
 ≪『思い出の記』の基調として「立身出世」という理念が基調をなしていることは、大きい特色である。これは、アメリカ文学などでいう成功物語(success story)とはまったく異なっている。「立身出世」は庶民から身を起こすのではなく、没落した士族の子弟が、粒々辛苦の末に、家名を興すという特殊な思想である。これには注釈が必要である。≫ からはじまる明治政府の公家階級の身分制、封建時代の秩禄への政策の説明。明治9年1月1日の士族の人数。家族を含めた人数。幕末の諸藩の秩禄額。これを次々取り崩しの政策による80パーセント余りの文無し士族の成れの果てへの説明が、きっちり数字を使って説明してあります。

 もう一つこの本を親しく読めたのには、熊本市に在住の、向井ゆき子さんのお父さんの書き残された、合志義塾での明治39年塾生のノートの発見によって、合志義塾の成り立ちを、向井ゆき子さんの送ってくださったノート原文とその読み下しの本や合志市の冊子などからも詳しく知らされていたからでした。 『思出の記』のヒーローは、明治元年生まれです。12歳の4月12日故郷を出て、母の姉夫婦の家(もとは由緒ある郷士)に世話になりに行きます。さっそく。従妹の案内で屋敷をみてまわり、≪―― 珍しいのはユーカリ、アカシア、カタルバ、神樹などという樹、これは鉄道の枕木になると鈴江さんは説明したが、・・・・≫ とさっそく、いまやかっての合志義塾を象徴するカタルバの樹が本文中に出てくるのです。うまれた村の寺子屋に毛の生えた小学校、西山塾、海南英語夜学会の英語教諭体験、育英学舎、帝国大学と進んでの成長の思い出は、明治の教育環境をよく映しているのではないでしょうか。合志の入江塾・合志塾を彷彿とさせます。

 また、異教にどちらかといえば冷淡な立場であったのに、先生・友達の影響からキリスト教に改宗し宣教師を目指すほどに夢中になったり、キリスト教内部の揉め事で学舎を去ることになったりと、キリスト教との関係は、ラフカディオ・ハーンの「ある保守主義者」への課題にもつながり、関心の高まるところです。もちろんハーンがモデルとした雨森信成的に近代化の基盤思想としてのキリスト教への関心もあったでしょう。しかし、荒正人の時代背景の解説や作品からは、昭和20年の敗戦の時もそうでしたが、時代のあおりを受けて身の置き所がすさまじく変化し、価値観が根底から崩壊したなかで、今までになかった宗教によりどころを求める人があって不思議はないともいえます。

 読み始めから、文章の美しさに目を見張り、そのあと読み終わるまでのその文体。本を開くのがほんとうに楽しみでした。
早くにこの文体を知っておれば、・・・・。
 作品中、友人の妹の美しく成長した姿に
≪―― ああ、もう僕は云うべき言葉を知らぬ。桜、桜、それでもお前は花と威張れるか。≫ という部分では、私もつい、文豪漱石に向かって「漱石、漱石、それでもお前は文学者と威張れるか」と卒業レポートに徳富蘆花その人を研究したろうと思ったほどです。


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『予知夢』 
2018/12/10(Mon)
 東野圭吾著 『予知夢』 を読みました。
 文芸春秋より、2003年(平成7)8月第1刷で、2,008年4月31刷 定価467円+税です。
裏山に一緒に登っているUさんがくださった本です。他にも過去3人が読んだらしい文庫本をどっさり下さいました。いちばん薄い本順に並べて、一番薄い本から読み始めようとして手に取った本です。いちばん薄いにもかかわらず、第1話 夢想る ゆめみる、第2話 霊視る みえる、第3話 騒霊ぐ さわぐ、第4話 絞殺る しめる 第5話 予知 しる と古文書張りのふりがなつきのタイトルで、5話掲載されています。
 東野圭吾といえば、推理小説だとなんとなく思っていたのですが、これはまたタイトルからして少し様相が違う感じです。

 三橋暁という人の解説の冒頭には、
 ≪オカルトとミステリーの間には、深くて暗い河がある。って、その昔どこかで聴いた曲の歌詞みたいだけれど、この両者の遠くて  近い微妙な関係を表現するには、まさに言い得て妙である。          

   お待たせしました。<探偵ガリレオ>シリーズの最新刊をお届けする。東野圭吾の読者ならびに熱心なミステリ・ファンならす  でにご存知のように、本書は先行する『探偵ガリレオ』(・・・・)に続くシリーズの第2集『予知夢』(・・・・)
  を文庫化したものである。
   さきに文庫になった『探偵ガリレオ』の帯には、「刑事は奇妙な事件を抱えて天才物理学者の扉をたたく」とあったが、そのわ   ずか二十三文字のコピーが、連作推理の内容を見事に言い表している。・・・・≫
とあります。
 長い間(寒さの折、寝室をテレビのない部屋に変えてから)テレビのない生活になって、まあテレビを楽しむような気持で読んだのですが、≪・・・・読者ならびに熱心なミステリ・ファンならすでにご存知のように、・・・・≫ も心に響かない読者が、少ない家事の合間に読んだのでした。
 ただ、≪・・・・今でも学者らしからぬ俊敏さと体力を維持している。ちなみに、湯川のモデルは俳優の佐野史郎だという。≫ はちょっと意外!
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『NHK100分de名著 スピノザ著『エチカ』』 2
2018/12/04(Tue)
 12月3日(月)夜10時25分から10時50分までの、第1回の放送を録画しておいたものを今朝見ることができました。
 解説者の 國分功一郎氏は、20世紀のフランス哲学者に人気があったスピノザについて知っておきたいと思っての研究が始まったといいます。ところが、OSが違うので、まずは自分のOSとどこが違っているのか気づくのが大切で、気づいてくるとやっとスピノザを身近に感じられるようになってきたといいます。ここのところがこの度うまく説明できたらいいなと思っているそうです。

 スピノザの著書 『エチカ』 のエチカについての説明があります。これは動物の巣・すみかで、本人が住んでいる処の場所の習慣、ルールだとあります。テキストでは道徳との違いで説明されていますが、ここでは、幾何学的秩序によって論証したことを説明します。テレビの画像がうまく機能できる説明でもあります。定義・公理・定理・証明という手順です。点とは、線とは、というところの出発点は神です。神とは、「絶対に無限なる実有、言い換えればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体と解する。」 もっと言い換えられなくては理解不可能です。これは神は有限なはずがない。神に外側はない。すべては神の中にある。私たちも神の一部である。神即自然と証明されていくのです。これは自然科学的な発想です。

 具体的な倫理の話から読み始めると分かりやすいので、まずは善悪から考えます。
一般的観念で考えず、それぞれの組み合わせによって善悪は決まることを証明します。我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。善いものは「喜びの感情」を高める!自分にとって良いものである善をよく知る人、故に賢者は「色々な楽しみ方を知っている人」となるのです。

  私事でいうと、いま一番夢中になれるのは古文書の解読です。すでに解読されているものがほとんどで、研究者でもないのにどうしてなのか自分にもよくわかりません。ただ、このたび、スピノザに触れて、私が解読しているものが、17世紀からほとんど19世紀初頭まで変わっていない日本の古文書であってみれば、庶民にとってほとんど汎神論のスピノザの哲学を当てはめて実験してみることに意味がありそうです。
昨年4月からはじめて、最初に読んだのが、1630年12月生まれの貝原益軒の『家道訓』です。徳川幕府政権内での富める人も貧しき人も共に、家を守るための教えです。つぎに『理勢志』でしたが広島藩の役人が1807年に藩の様子を記録したものです。そして今年の2月の初めから江戸時代中期の「三業惑乱」に関する事件が寺社奉行の裁定に及んだ時の記録です。これは今の基準で考えられるものではないと思いますが、寺社奉行の裁定には共感を覚えます。もともと幕府は宗教には拘わらないというスタンスを持っていたようですが、宗教紛争が藩主の存続にかかわる様相を呈してきたので、藩主が訴えてやむなく寺社奉行の裁定になるのですが、あくまでもその宗門の宗旨を基本に裁定するところは、相当な司法能力でありまっとうな司法裁定だと思えます。
 スピノザが少し身近になってきました。次回の放送が楽しみです。
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『NHK100分de名著 スピノザ著『エチカ』』 
2018/12/03(Mon)
 國分功一郎著 『NHK100分de名著 スピノザ著『エチカ』』 のテキストを読みました。
 12月3日(月) 今夜10時25分から10時50分まで、第1回の放送があります。第1回の放送までに全部読み終えることができてより放送への理解が深まりそうです。

 「はじめに ありえたかもしれない、もう一つの近代」
 ここでは、1632年うまれのスピノザが生きた17世紀という時代が、歴史上の大きな転換点だったことの説明があります。いま私たちが知っているタイプの国家の誕生。近代哲学や近代科学が大きく発展。社会契約説の登場。現代へとつながる制度や学問が出揃い一定の方向が選択された時代だと位置づけられます。
 そうでない近代の考え方がスピノザの哲学だというのです。それって?を理解するには、今現在を生きる私たちが理解することの難しさをOS(オペレーション・システム)の違いで説明します。
 この「はじめに」から、「第1回 善悪」、「第2回 本質」、「第3回 自由」とわかったつもりでゆっくり読んでいきます。というより早く読めません。そのくせ、いつもはだいたい読んでいる途中で、家事をしていても、車の運転をしていても、その時読んでいる本のことを考えますが、この本は考えることができませんでした。もしかしたら21世紀のこの時代では日常的な生活の中で考えることがなじまない哲学なのかもしれません。

「ありえたかもしれない、もう一つの近代」が、やっと「第4回 真理」を読み終わる頃わかり始めてくるのです。

「真理」についてデカルトは、
 ≪我思う。故に我あり。≫
で、その真理観の特徴は、真理を公的に人を説得するものとして位置づけます。それに対してスピノザは、
 ≪真の観念を有する者は、同時に、自分が真の観念を有することを知り、かつそのことの真理を疑うことができない。≫
 「真の観念を獲得できれば、それが真だと分かるよ」と、真理は他人を説得するようなものではなく、真理と真理に向き合う人の関係だけが問題になっているといいます。
 この考え方の違いが、近代を二通りに考えている基準です。デカルトの考え方でなければ、近代科学の発展につながらなかったといいます。
 スピノザの哲学は、何かを理解する体験のプロセスをとても大事にしていることで、何かを認識し、それによって自分の認識する力も認識していく。認識に二重の性格を持たせています。これが、「主体の変容」につながり、自分を高めることにもつながるのです。此れはある意味で「密教的」と述べています。私は長い間、密教とはどんな教えだろうと疑問に思っていました。充分理解できたとは思いませんが、密教の意味がスピノザを理解すると同時に得られたことは、確かにこれまでの私には、密教を理解する素地がなかったということでもありましょう。ではなぜ今スピノザの哲学も必要なのではないかということについてもひも解いてあります。これが今になってテレビで放映する意味ですが、その真理をテレビを見ることでさらに突き止めることができるでしょうか。
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 出雲かんべの里
2018/11/30(Fri)
 11月25日、広島ハーンの会のメンバー6人で、島根県松江市大庭町1614の、 「出雲かんべの里」に連れて行っていただきました。
 朝8時に比治山大学駐車場に集合なので、6時40分に家から車で出かけました。
 7時過ぎに到着して読書。ずいぶんしてみんな揃って5人で出発しました。東広島からの古川さんも「出雲かんべの里」にほとんど同時に到着されて、そろって訪問させていただきました。
 「出雲かんべの里」は、いま思い返せば、里と呼ぶにふさわしい地形にあって、何棟かの建物のひとつを案内されて階段を上がると裏山につながっています。これはちょっとびっくりです。その山道の向こうにさらに谷山を切り開いて、切り倒した木をチップにしてそれを一輪車にのせて運び、山道にじょじょに敷きつめて歩きやすい山道を伸ばしていく作業を5,6人で手際よく進めておられます。その周りでは、子どもたちが毎日山道をかけずりまわっているような足取りで、野生のイチゴを採って私たちにもどうぞと分けてくれます。
 そこで、作業をされている錦織明館長に出会い皆で挨拶をいたしました。お昼まで作業をして、昼食のあと、紙芝居をみさせていただく段取りのようです。それまで私たちは作業をされていない側の山道を登って展望台に上がり、中海の方向を遠く望みます。中国山脈を越えて、日本海側の空気を深く吸い込んで、神々の国に来たことを実感します。
 ゆっくり来た道を下山して、谷水をためた小さな池と呼べそうな水たまりのあるところへ行ってみました。よくみるとイモリが3匹くらい泥水の中にいます。その横では、薪を割って大きなお鍋の下で火を燃やしていて、お鍋からはゆらゆらと湯気がたってほんわりと親子連れのお客さんたちの気をひいています。私たちも薪割をさせていただきました。その時の斧がメイドインスエーデンでしたので驚きました。
 じょじょにふえてくるお客さんは、傾斜に造設された6畳くらいと思える広さの板敷の床に手すりやちょっとした案内板などのある場所に集まってきます。ここで皆さん錦織明館長のお話を聞いてお昼ご飯を頂きます。しっかりにぎった炊き込みご飯のおにぎりとトン汁とミカンを、もう一カ所の足の届かない板敷の台の上で足をぷらぶらさせながらみんなでいただきました。おにぎりは竹の皮で包んでありました。錦織先生もにぎりましたとおっしゃっていたので、先生の手のひらのぬくもりを感じながらありがたくいただきました。この建物の階段から抜け出た山の事業についてのパンフレットを頂いたのですが、5枚しかなくて私は頂けなくて、ここに書けないのが残念です。この事業の進捗状況はまたいつか必ず見にきたいとおもいます。錦織先生の紙芝居やお話は先生が出版された『紙芝居で伝える小泉八雲の世界』とほぼ同じでした。しかしそれを実践しておられる先生の姿は何とも言えない魅力があります。
 浮田さんが絶対行きたい!もう一度行きたい!と広島ハーンの会で駄々っ子のように言われた言葉が、いまかんべの里での錦織先生を思い出しながら私にもよくわかります。

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第217回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/11/28(Wed)
 11月24日、第217回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 参加者は女性4人男性8人の12人でした。
 今回の発表者は3人でした。このところ、ハーンの会は勉強熱心で時間を過ぎてもおわらず、次回の発表者について話し合ういとまがないまま終わってしまいます。なのに、こうして、自主的に、ちゃんと資料を作り発表の準備をしてきてくださるのですから、ハーンの会に対する会員の皆さんの熱意に脱帽です。

 古川さんの資料は、『レポート「うつのみや妖精ミュージアムについて(Utsunomiya Fairy Museumu)」です。このミュージアムは井村君江(85歳)名誉館長が長年の妖精研究結果で集まった絵画作品などが収蔵されているとのことです。この井村名誉館長と面識があるという貝嶋先生が、井村名誉館長は、妖精を見たことがあると述べられたことを話してくださいました。これは、平川祐弘著『小泉八雲 西洋脱出の夢』の
 ≪カトリックの信心深い大伯母に引き取られ、カトリック系の学校に学んだラフカディオ・ハーンの悲劇は、家庭が崩壊し、突然母 親から引き離された情緒不安定の幼児の折に彼が魑魅魍魎の実在を信じたことだった。
 「信じた理由は?」と聞かれた時。晩年のラフカディオは真顔で答えた。
 「私が信じた理由くらい強い理由はほかにはありません。私は鬼やお化けを、昼も夜も、この目で見たのですから。」≫
という部分を思い出し、感じたものによって不幸だったり幸せだったり・・・・と思わされます。

 田中先生の「第五高等中学校で教えた17人の外国人教師たち」という資料は、話題提供者 田中正道 とあって先生の楽しい語り合いへの心情がうかがえます。第五高等中学校創設以来、昭和16年までの17人の外国人教師の第五高等中学校での在任期間を現わす表が4ページにわたって記されています。最後のロバート・クラウダー先生は第二のラフカディオ・ハーンと学生たちにニックネームで呼ばれて親しまれていたといいます。このロバート・クラウダー先生は昭和16年12月8日太平洋戦争開戦の日、スパイ容疑で逮捕されたと言うことです。先生の其の後の生存がわかったとの1995年の熊本日日新聞の記事の資料もありました。あらぬ嫌疑で逮捕され辛い思いをされたでしょうに、日本と日本の学生たちへの愛情は変わっていないことに感動いたします。以前読んだ熊本大学小泉八雲研究会編 『ラフカディオ・ハーン再考』では、日本全体での外国人教師の国別の数の推移や、各高等中学校での外国人教師の数の比較などと、いろいろな表があり、ずいぶん具体的に見ることができました。作表には手間もかかったようですが、こういった表は、おのずといろいろな事象をはかり知ることができます。話題の核心はハーンの前任の外国人教師の資質についてでした。

 横山さんの資料は、この人に聞く--松隈章 『地元の人に愛されて初めて建物やまちは後世へと遺せる』 という建築物に関する資料でした。横山さんの説明が聞こえなかったので資料を読みました。若いとき、広島県建設工業協会に勤務していたので、黒四ダムの熊谷組から、あるいはH字鋼を使った霞が関ビルの鹿島建設から映画の券を頂き、ダムや建築に賭ける人々の熱意に感動していたのですが、自分たちが町を創っていくのだの気概での『地元の人に愛されて初めて建物やまちは後世へと遺せる』の思いも建築屋さんなればこその思いです。

 お茶のあとは、貝嶋先生の 「ある保守主義者」 の流暢な英語の朗読と、和訳でした。
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『わたしを離さないで』
2018/11/05(Mon)
  カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 『わたしを離さないで』 を読みました。
 早川書房より、2008年(平成20)8月第1刷で、2,016年2月61刷 定価800円+税です。
 450ページの文庫本です。
 1990年代末、イギリス
 ≪わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介護人をもう十一年以上やっています。ずいぶん長く、と思われるでしょう。確かに。でも、あと八カ月、今年の終わりまでは続けてほしいと言われていて、そうすると、ほぼ十二年きっかり働くことになります。・・・≫で始まるこの作品は、どうも、「提供者」とよばれるひとの介護者のようです。この提供者というものがはっきりわからないまま、この語り手、キャッシーの過去の回想を交えながら小説が続いていきます。
 いささか第4章になるとうんざりして結論がわからないまま読むことの無意味さを感じるようになります。

 飛ばして、一挙に十六章285ページくらいから読み始めました。すると、提供者とは臓器移植の手術のための臓器の提供者であることが分かってきます。回想での舞台となる、世間からまったく隔離された生活や学習の場であるヘールシャムという施設は、この臓器の提供者を育てる機能を持った施設だったのでした。そして、これを経営する人の理念は、将来、こういった役割を担わせられる子どもたちにも、「魂」があるのだ、少なくとも、ここで過ごす間は人間らしく、心豊かな生活を送ってほしいと、いろんなスポンサーを見つけて、とくに、詩を書く事や、絵画や彫刻などの制作の指導に力を入れ、その作品を集めていくのでした。

 十六歳になると、このヘールシャムを巣立ってゆきます。≪わたしのヘールシャム時代の記憶は、最後の数年間とそれ以前という二つにはっきり分かれています。これまでは、「それ以前」のことをお話してきました。一年一年の区別も判然とせず、全体として黄金色の時が流れたという印象が残っています。・・・前半から後半へは、ちょうど昼から夜へ移り変わるように、すべてが急速に暗転していきました。≫友達の話を聞いて、≪物事を見る目が大きく変わったと思います。それまでは微妙な問題から尻込みしていたわたしが、あれを境に物事を直視し、疑問を持つようになりました。≫あるとき、そのあとこのヘールシャムでの先生である保護官を辞めさせられることになるルーシー先生から、自分たちの定められた将来についての爆弾発言がなされました。突飛すぎて、ほとんどの子どもが、先生の言葉が理解できないまま、先生自身へのうわさ話に変質していきました。しかしよく考えてみると、自分たちは知らず知らずこのような自分たちの任務を知っていたのではないかと、それをうっすらと自覚させられるような教育を受けて来ていたのではないかと自問自答します。
 ヘールシャムを巣立ってその中から八人がコテージへ送られ、後の人は他の2カ所に行きました。計算してみるとここでは3年間くらいを過ごしたのではないかと思われますが、コテージでの思い出もほとんど先輩後輩友達関係の話題です。ここで、提供者になるか、介護人になるかのが決まっていきます。キャッシーは介護人になりますが、提供者は、2回の提供で亡くなり始め、運が良ければ4回の提供ができるといった具合のようです。最後まで読んで、結果がわかり、読みさしたところへ戻って、読み返してみると、さすがノーベル文学賞作品と合点がいきます。これら退屈だったところが、すべてたくみな伏線であったことがよくわかってくるのです。

 この作品を読んで一番考えたのが、福岡伸一の『生命とは何か』など一連の著作についてでした。医学の発達によって、生命のはじまりと終わりの区切りが、変わってくるということなどです。受精卵がどこまで成長したら生命体として人格を持つのか、どの器官の活動が停止したら死と判断するのかといった生命そのものに対する考え方です。

 また考えたのは、今私が課題にしている小泉八雲の「ある保守主義者」です。武士としての教育は、いつでも腹を切る覚悟を強要 します。家を守るため、逃亡する父を守るために主君を欺いて腹を切ったという子供の例が挙げられています。自分の定めを自覚して生きる。という生き方です。

 昨日偶然全盲の人とお話をする機会がありました。公民館まつりに久しぶりに参加して、見学者に説明しなければいけない文章の中にわからない言葉があったためにあわてて図書館に入ったときです。パソコンの前に二人の人がおられ、「調べたいことがあるのですが」というと「どうぞ」と言ってくださり一緒に調べて下さった後です。その中の御一人が目が不自由なことに気付きました。気楽な会話の後だったので、つい全盲ですかと聞いてしまいました。「そうですよ」と気楽に答えられ、「うまれた時からですか」と聞くと60歳ころから見えなくなりはじめあっという間に全盲になったとのことです。少し語りあった後、つい臓器を提供することが子どもの時から定められている人の事を書いた本を読みおえたところです。と話すと、そのような人の目を頂いてまで見たいとは思わないです。60歳まで見えていたことに感謝し、それまで体の不自由な人への思いも持たなかったのに、いま、多くの人に支えられてくらせていることに感謝していますと笑顔で答えられました。

 公民館まつりでは、たくさんの出会いがありました。元職場のひとの、「今何読んでる?」の問かけに、『わたしを離さないで』を読み終えたところだといいました。「えっ!読み終えた!!みんな途中で投げ出したのに?」「うん、カズオ・イシグロもネタばらししてもいいと言ったそうなので言ってしまうとね、結論を読んでから読むとその前の伏線を充分楽しめて、さすがよ!」と言いました。

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『NHK100分de名著 三木清著『人生論ノート』』
2018/10/30(Tue)
 岸見一郎著『NHK100分de名著  三木清の『人生論ノート』』 を読みました。
 NHK出版より、2018年(平成30)10月第1刷で、定価524円+税です。
 これは、11月の「NHK100分de名著」で放送される作品のテキストです。じつは昨年4月にも放映されて、テキストは2冊買ったことになりました。もちろん、その時その時用に、表紙にアンコール放送と書かれてあったり、次回予定などが違っていますが他は一緒です。
 残念なのは、昨年4月にもテキストを読んだ形跡があり、録画もしているのに、しっかり失念して、新鮮な気持ちで読んだということでした。しかし、昨年はブログに読んだ記録は書いていませんでした。この度はぜひとも書こうと思いました。読み終わったあと、つねにこのテキストを思い起させる、馴染みの小泉八雲の「ある保守主義者」を読み、もう一度比較しながら考えてみたくなったからです。

 『人生論ノート』では、「死」「幸福」「懐疑」「習慣」「虚栄」「名誉心」「怒」「人間の条件」「孤独」「嫉妬」「成功」「瞑想」「噂」「利己主義」「健康」「秩序」「感傷」「仮説」「偽善」「娯楽」「希望」について書かれてあるということです。
 放送の最初の回では、三木清の人となりとその生きた時代と、「希望」「幸福」「成功」「娯楽」に触れて書かれています。三木清は1897年に生まれ、1945年9月26日、48歳で亡くなりました。この死についてウィキペディアでは、  ≪GHQは三木の獄死を知り大きなショックを受けた。敗戦からすでに一ヶ月余を経ていながら、政治犯が獄中で過酷な抑圧を受け続けている実態が判明し、占領軍当局を驚かせた。旧体制の破綻について、当時の日本の支配者層がいかに自覚が希薄であったのかについての実例である。この件を契機として治安維持法の急遽撤廃が決められた。≫のように述べられており、その最後を想像することができます。
 幸福論を抹殺するファシズムの中で、「幸福」の要求が、すべての行為の動機の出発点で、今日の良心として復権されなければならないのに、時代は「幸福」について考える気力を失わせているといいます。彼は、「幸福」とは人格であると云い切ります。≪誰しも「幸福」でありたいと願い、「希望」を持って生きたいと考えています。三木は人が人として存在することが、そのまま「幸福」であり、それは「知性」で考えることによって理解されるものだと語っていました。≫とあります。この、「知性」で考えることによって理解されるものが何であるかについては、テキストの最後に、項目には有りませんが、彼の宗教への思いの説明で解き明かされているように感じます。頷けるのは、≪成功するということが人々の主な問題となるようになったとき、幸福というものはもはや人々の深い関心でなくなった。成功と幸福とを、不成功と不幸とを同一視するようになって以来、人間は真の幸福がなんであるかを理解し得なくなった。≫といい、また「娯楽」は人生を楽しむものであるのに、「娯楽」が幸福の代用品になっていることを憂いています。
 本来、道徳や正義は人間が「幸福」であるための手段であるはずと、語るところでは、「幸福」ということの深い意味を知ることになります。
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『おんな城主 直虎』 1~4巻 
2018/10/27(Sat)
  森下佳子作 ノベライズ豊田美加 『おんな城主 直虎』 1~4巻 を読みました。
  NHK出版より、2017年(平成29)9月30日第1刷で、定価1400円+税×4です。

 いつも一緒に裏山に登っているUさんが、一週間横浜に行かれました。その前に、思いがけなくも、この本4冊を貸してくださいました。

 久しぶりの歴史小説です。全くの現代語小説ですから、思ったより早く楽しく読めました。
 最近は何でもネットで検索できるので、読みながら、まずは直虎の生まれた井伊谷がどこにあるのか、しょっちゅう出てくる舞台、井伊家の菩提寺龍潭寺など調べながら読むのが今時の私の読み方ですが、この度は久しぶりに、小説の流れにのめり込んで、知らないことはそのままで、井伊家の直虎とそれを取り巻く人々の考え方、そういったものに驚かされたり、感心したり、共鳴したりする、ネット時代以前の読み方に浸っていました。
 この記事を書くにあたって、ノベライズ豊田美加のノベライズとは何?と調べてみて、たとえば、大河ドラマで放映したものの脚本をこのように、小説にするという意味のことだということがわかりました。この『おんな城主 直虎』は、NHKの大河ドラマでやっていましたが、ほとんど見ていませんでした。でもこうして延々と1年間もやるものを5日間くらいで読めるのですから、ノベライズされたこの本を読めるのはありがたいことです。これを再度テレビで見ることができたら、楽しく見ることができるのではないかと思われます。これまでは原作を読んだことのある大河ドラマは大概熱心に見ていたように思いますから。

 もともと井伊家は、私のなかでは、徳川の家臣のなかでも中心的な家臣であって、江戸時代相当な家柄になっていった。というイメージでしたが、井伊家と徳川との縁について考えることもありませんでした。
 この作品のなかでは、井伊家が徳川の家臣となる一代前のおんな城主直虎を主人公に描きます。しかし、不運が続き、井伊家の城が今川から徳川に寝返った近藤康用に明け渡されてしまいます。後、直虎の後をついで当主となるべきだった虎松が、松下家の養子に迎えられて育っていたものの、井伊家を名乗って徳川に仕官します。そして虎松は家康のために励み、直虎も陰に日向に虎松を助け、家康によって万千代と名を改め功を立て出世してゆきます。時代は本能寺の変の後の頃に、直虎が労咳で亡くなるところで作品は終わります。享年46歳でした。

 今少しの古文書などを基に、これだけの小説が書けるということを思うと、それぞれ、地域の古文書から、ドラマチックに小説を書ける人がいたら、すぐにでも地域おこしが出来そうな気がしてきます。

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『虞美人草』
2018/10/21(Sun)
 夏目漱石著 漱石全集第5巻 『虞美人草』 を読みました。
 岩波書店より、1956年(昭和31)10月27日第1刷、1979年2月5日第7刷発行で、定価900円です。
 この小説は、厨川白村の『小泉先生そのほか』の一部分を読んで、白村に興味を持ち、『虞美人草』の小野君のモデルが白村であると書かれてあったので、がぜん読む気になったのです。

 しかし、この『虞美人草』についての評では、難解で読むのに骨が折れる、という評が一番当たっているという作品です。これを書いた漱石も一番骨が折れたようです。読み始めて、めんどくさくなって、ところどころ飛ばしました。それでもずいぶん時間をかけて読んで、287ページまで読み進んで行って、突然まるでサスペンス物のように、どんでん返しが起こり、一気に読み終えました。

 それまで、宗近君、甲野君、小野君と出てくる中で、宗近君は外交官の試験に落第しているのに、活動的に遊びはするが、勉強している様子はまったく描かれていません。甲野君は哲学科を卒業したが、病気と称して職にも就かずほとんど寝転んでいます。宗近君と甲野君はしょっちゅう問答をして日を暮している様子が描かれています。その点小野君は、宗近君と同窓で大学は首席で卒業して銀時計を頂いて、博士論文を書くために忙しくしています。さらに小野さんは優しく、ものに逆らわぬ、気の長い男です。そういう3人がずっと描かれています。

 宗近君は世話好きの和尚である父親と家庭的な妹の糸とみんなして明るく暮らしています。甲野君のうちは資産家で、外国に勤務していた父親を亡くし、その父親の後添えの母親と、美しいその娘の藤尾さんと暮らしています。≪小野さんは暗いところに生まれた。ある人は私生児だとさえいう・・・・京都では弧堂先生に世話になった。先生から絣の着物をこしらえて貰った。年に20円の月謝も出して貰った。書物も時々教わった。…≫という境遇で、一人東京に出てきて5年後、世話になった弧堂先生が娘の小夜を連れて彼を頼って東京に出てきます。

 宗近君のお父さんと、亡くなった甲野君のお父さんの間では、藤尾と宗近君との結婚は約束されていましたので、宗近君もその気でいました。また、弧堂先生は、小野君と娘の小夜を夫婦にしてやろうと願い、小夜は小野君を5年間ずっと想い続けていたのでした。

 ところが、藤尾と小野君が結婚しようとするほど仲良くなってしまいました。そのために、小野君は、世話になった弧堂先生にお金の援助はするが小夜との結婚は博士論文が忙しいので断ると浅井君を介して伝えます。ところが、弧堂先生は、小野君の態度に怒り、小夜は泣きます。浅井君はそのことを宗近君に伝えました。
 ここからの話が、どんでん返しになるのです。
 宗近父子が間に入って、小野君に真面目になれと言い聞かせ、小野君は小夜と結婚することに決めます。そのショックで藤尾は亡くなります。甲野君の母親と藤尾が悪者になってこの話は終わるのです。
 小泉八雲は、日本で見聞きする話の再話作品がほとんどですが、漱石など、西洋文学をよくした人も、西欧文学の再話を交えた作品が多いのではないかとこのところ思うようになっていました。作品中、最後の甲野さんの宗近君への手紙について、鈴木三重吉宛の手紙の中で、漱石は「イギリスのメレヂスの踏襲をしたと評されても仕方がない」と言っているところを解説で読むとやはりそうかという気がします。

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『小泉先生そのほか』
2018/10/16(Tue)
 厨川伯村編 『小泉先生そのほか』 を読みました。
 積善館より、1919年(大正8)2月20日第1刷、2月25日第2刷発行で、定価1円70銭です。

 厨川伯村は、本書の趣旨について、
 ≪私が今わざわざ禿筆を呵して先生(小泉八雲)の事を書くのは、・・・・私が14・5年前先生の講筵に侍した頃の大学の講義が、一昨年あたりから順次米国で出版せられ、それが彼国で非常な好評を博している近来の好著である事を、唯だ一言したいからである≫
と述べています。

 小泉八雲にじっさいに講義を受けひとが、自分も英文学者として学生に講義をしている身で、
彼の講義の魅力についてについて語る。これは小泉八雲の資料として、まじめに読み始めたものの、読めば読むほど面白いのです。実際には、彼の言わんとすることは、国語や英語が極端に苦手で、勉強したいなと思ったことのない私のような人間には、対象外の話ですが、読むととても面白いのです。なぜかと考えてみると、厨川伯村は、小泉八雲の声の美しさ、話し方の魅力、評論能力の素晴らしさを散々述べているのですが、ハーンの風采の悪さや、自分には興味のない分野の作品の評論で、迷惑に感じる講義についても正直に述べているからです。
 教師にどんな講義を望むか、またどんな話は迷惑かというのは人それぞれだと思う中で、厨川伯村が偉い人だなと思ったのは、 ≪私は図書館で一寸調べれば直ぐ解る様な事を、教室でわざわざ筆記させてもらいたくはないと思う。≫と述べているところです。私は、中学の頃、そこのところを正確にきっちり話してほしいと思っていました。しかし次に厨川伯村は、他の先生がしてくれるそんなことよりも小泉先生の講義の特徴である≪飽くまで自己を発揮して、先人の道を踏まない丈の独創性を有しておられた小泉先生は、先生の口から出なければ聞かれない多くの事を語られた。≫ということが、すばらしい講義であったと言っています。私は先生が作品について自分の思いを話されると、それぞれ人は違うのだから、そんなことはわざわざ言ってもらわなくてもいいと、厨川伯村とはまるで反対のことを思っていたものでした。私は先生のことをこのように思っていたのですが、本屋さんなどもない山奥の学校で学んでいたのに、父がよく町に出かけたときドリルを買ってきてくれ、それが先生の試験と同じだったために国語の成績はよかったので先生はよくほめてくれました。でも、国語が理解できると思ったことはありませんでした。
 こんな時、痛切に英語ができて、講義録が読めたらいいのにと残念でなりません。

 今日公務員は、公務以外で収入を得るような仕事をすることは許されていません。私が30歳で短大の国文に入学したとき、祝いにご自分の日本文学全集を下さり、教育委員会に勤務しておられた先生が、後には子ども文化科学館建設を市長に提言して、初代の館長になられたのですが、若い頃、ペンネームで新聞にカープの野球評論を書かれていて、それが知れて、批判を受けたことがあるというのを聞いたことがあります。これと同じようなことが、小泉八雲や夏目漱石にあったことが、書かれてあります。≪文章は人格である。筆の尖の芸当ではない。苟も一枝の筆を以て天下人心を動かすほどの人には、その人格に何處か必ず強烈なる特異の色彩があって、平凡とは到底妥協調和の道なき者である事は云う迄もない≫とそのようなことを残念がって書かれています。
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第216回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/10/14(Sun)
 早めに、7号館4階の部屋に行ってみると、すでに田中先生が準備された資料の配布を終えられるところでした。
 挨拶をして、資料を少しづつ読ませていただきました。小泉八雲のアメリカやイギリスでの出版物に対する評論を日本人でありながら、やはり英文でアメリカやイギリスに向けて発表し、さらに、日本語でも発表したというヨネ・ノグチこと、野口米次郎(1875~1947)という人の資料でした。

 これはあとで、資料説明のとき説明もありました。難聴のため、上手に聞き取れたか不安です。帰って、もう一度資料を読み返しました。
 そして、ネットでも資料があるということでしたので、まずはそのなかの都留文科大学大学院紀要 第22集(2018年3月)「英字新聞The Japan Weekly Mail にみるヨネ・ノグチの姉崎正治論考」を読みました。野口米次郎は詩人であり、その他、田中先生の資料で紹介されたような作品によって西欧に知れ渡っていたようですが、姉崎正治も、おもにハーバート大学、その他いろいろな大学において宗教学などの講義を受け持ち、熱心な日蓮宗でありながらアカデミックな教授法での宗教学講義に定評があったようです。姉崎正治の日蓮宗との出会いについて述べてあるところでは、我が家にある『文は人なり』という本が紹介されていましたので、改めて懐かしくこの本も開いてみました。明治44年の12月31日の初版で、この本は大正6年10月第50版発行と、ずいぶんよく版を重ねて読まれている本です。明治44年の作とはいえ、やはり「たとい」というのに、「設令」という文字が当てられているなど、「くずし字用例辞典」を引きながらでないと読めない文字もあり、若い頃、まったく理解できず、わかったつもりになっていたのかしらんと思いながら、やはり、をあちこち、飛ばしながら、わかったつもりの読書になりました。。

 その他にも、皆さん沢山の配布物を用意されてくださり、帰ってさらに丁寧に読み返しました。読んでいるうち、聞こえなかった情報が少しわかったようにも思えるのがうれしいことです。
 古川さんの資料からは、松江の石地蔵から荒川亀斎の作品に感動し、1896年のシカゴ万国博への出展を勧め優秀賞を取、世界の亀斎へとならしめたことへの詳しい情報を得ることができます。

 また。鉄森さんの風呂先生への追悼文では、広島ハーンの会ができる以前から、
先生の亡くなるまでのお話を個人的なつながりをも交えながら知ることができ、この追悼文を通して、ハーンの会の歴史を作られた先生の偉業ともいえる記録をしっかり心にとめることもできて、私たちにもより深い追悼となりました。
 
 貝嶋先生の資料は、厨川伯村の『小泉先生そのほか』でした。
資料はともかく、ハーンがなぜ東京の文科大学を去ることになったかなどについて、話してくださいました。ハーンを顕彰する者にとっては、言い古された理由のように思って聞いておりましたが、少しずつ視点を変えて話してくださいました。
 趣旨は違いますが、そのことを念頭に置いて、都留文科大学大学院紀要 第22集「英字新聞The Japan Weekly Mail にみるヨネ・ノグチの姉崎正治論考」や、それに伴う姉崎正治編『文は人なり』、それに、厨川伯村の、引用文の45ページ≪『十八世紀文学評論』の第5編ポープを論じた1章を通読せられよ≫という言葉に従って漱石全集の19巻を読んでいると、その時代の世界情勢や、空気といったようなものがより理解できて少し深まっていくように思われました。

 最後に、貝島先生が『ある保守主義者』のチャプター7までを、流暢な英語で朗読され、日本語訳を読み上げてくださいました。
 
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 『千の花びら』 (3)
2018/10/13(Sat)
 病院通いと裏山登りが続いています。
井野口慧子著 『千の花びら』 の「燕石」の、身だしなみということについて考える時間が十分あります。なにかしら豊かな時間を過ごしているような気分です。

 待ち時間では、相変わらず『良寛』を読んでいます。どうして良寛を読むと、「燕石」のなかの身だしなみについて考えてしまうのでしょうか。

 良寛の出家への思いと、それからの人生、後年をたどっていくと、「燕石」のなかの、
 ≪「重苦しい世情に浸らなくとも いつでも その真ん中に私たちはいます その重圧に負けない あっけらかんとした みだしなみも必要だと 痛感しております」≫
 そのものの人生ではなかったかと思えてくるのです。

 出家については、若い良寛が互いに後生までと契り交わした女のことに深く思いつめたあげく、心定めたのであろうか、「みづから髪剃りて」一夜を明かし、家族の者が驚き歎き、問いかけるのにこまやかな答もせず、ただ笑って「自分の心まかせの生き方をする、家督は弟にこそ」といいすてて、寝所に入り、まもなく身支度はかねて用意していたように、ねずみ色の衣を着、鉢の子の手をとり、隣家より誦経しながら家を出てゆきます。途中、衣の袖をとってすがり泣くかの女性には「むつかしき世の、かからんことすらさうさうしうおもひさりとて、すがたをさへかへまほしく、としごろねんじわたりて、いまこそとげたれ。」と別れ去っていきました。 (女性も世の無常を感じてついに髪を下してしまったとのこと。)

 良寛を晩年擁護した木村元右衛門は熱心な真宗信者だったということです。歴代神仏・祖霊を崇める念あつく、良寛を深く敬愛したといいます。良寛の生れた橘屋は代々石井神社の祠官であり、菩提寺は真言宗円明院であり、彼の修行は曹洞宗です。彼には何宗何派の偏執など毛頭なく、般若心経も、阿弥陀経も、正法眼蔵も、さらに法華経も大祓詞も、論語も源氏も、すべて人間養素の糧として、等しく尊い古典であったとあるのです。
 ≪・・・門閥相承のやかましい封建社会にあって、超宗派の宗教をめざし、学問芸術の普遍性を身につけるということは、どれほど高い精神を必要としたことであろうか。≫
 と述べられています。
 このような身だしなみ。これが今に望まれ続ける身だしなみではないかと、井野口慧子著 『千の花びら』 の詩、「燕石」を通して、良寛が、これまでとは違った風采として見えてくるのでした。

 ものを持つことのめんどくさい私も、良寛さんを読むたび、ゆったりした気分になれます。
 ずっとむかし、誰かが、
 ????や裏も表も無き手前ただまぜくって呑む茶のうまさよ(?は思い出せない)
という歌を教えてくれたことがあります。我が家の作法もこの通りで、この作法で昨年末には、偶然にも茶室「百草亭」で松江の市長さんともお茶を頂き、新聞社の方に写真撮影もしていただいたのでした。

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『千の花びら』 (2)
2018/10/11(Thu)
  井野口慧子著 『千の花びら』 の「燕石」について。
 歯科医院へ通院しています。
 かかりつけだった安佐南区の共立病院では、長い間お世話になっていたのですが、通院のリスクを考えて、知り合いの通院している近くの歯科医院へ変わりました。
 歩いて30分のところで、初めての日は車で行ったのですが、次から国道だけでなく、いろんな道を歩いての通院で楽しめています。
 昨日は、宮 榮二著 『良寛』 をたずさえて行き、待合室で読みました。
 この中の、良寛の享年について語る中に、伝遍澄筆の74歳と記した、一幅の懸け軸風の絵に良寛像があります。
 この絵の良寛の僧衣を見たとき、井野口慧子さんの詩集。 『千の花びら』 の「燕石」にある、
≪「重苦しい世情に浸らなくとも いつでも その真ん中に私たちはいます その重圧に負けない あっけらかんとした みだしなみも必要だと 痛感しております」 宇和島の詩人Sさんからの寒中見舞い 見ないふり 聞こえないふりをしないで すべてを淡々と受け入れることなど できそうもない あらゆる重圧に喘いでいる世の中で あっけらかんとしたみだしなみ一どうしたら私も そういうものを身につけられるのか≫
へと思いが通じていきました。

 服装などでいう身だしなみについてはまったく無頓着なわたくしですが、改めて考えてみると、娘が高校生の夏、広島県教育委員会主催の「少年の船」に参加することになりました。何を着ていこうかと娘に問われました。たとえ千円の服しか買えないとしても襟のある服を着ていく方がいい。襟を正す場面に出くわしても正す襟がなくてはどうにもね。と思いを伝えました。偶然とは・・・。娘が帰ってきて、講演があって、講師の方が同じことを言われたよ。と言ったのを聞いて、通じる人もあるものと思ったものでした。
 たったこれだけが私の身だしなみの基準と言えば言えるものかもしれませんが、案外それだけで日本国内ではあっけらかんと生きていけると信じているのです。

 タイトルの「燕石」については、広辞苑では、(燕山からでる石の意)玉に似て玉でない石。まがいもの。転じて、価値のない物を宝として誇ること。また、才のない者が慢心すること。とあります。 
 文中の「腕足貝」は「腕足類」があって、触手動物の一綱。二枚の殻をもち、二枚貝に似るが、二枚貝が体の左右に殻があるのと異なり、殻が体の前後に位置する。シャミセンガイ・ホオズキガイなど、とあります。
 ネットで調べると、詩の様子どおりの写真があり、腕足動物は「生きている化石」としても有名で、約5億年前の地層から現代の種類とほとんど形が変わらない化石が見つかっています、とあります。これは不思議な生物で、この世にこのような生物もいるのかと。しかも5億年昔の地層からも同じ化石が見つかっているとは。世の移り変わりも激しく多様な価値観の現代にあって、このようなものを手にしての思いは・・・と、井野口慧子さんの安らぎが伝わってくるようで、目には見えない遠くを見つめます。
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 鳥帽子山・比婆山登山
2018/10/09(Tue)
 10月10日、久しぶりに山に登りました。
 朝6時15分に羽柴さんが迎えに来てくださいました。
 毎朝のように一緒に裏山に登っている4人で乗り込ませてもらって安佐北区民文化センターに集合です。
 そこから、15人で、4台の車で出発しました。
 広島北インターで、高速に乗り、庄原のインターでおります。
 私は、お弁当とジュースやお茶を持っていきましたが、朝が早いので、途中のセブンイレブンで皆さん全員がお弁当や飲み物を買われました。
 西城に進みますが、どこまでいっても西城という感じで奥へと入って行き、最後、広島県民の森の公園管理センターの前の広場が駐車場です。駐車場には、小さなクリがいっぱい落ちていました。あまり小さいので拾う人もいません。団栗より小さいのです。公園管理センターでトイレをすませ、前の広場で柔軟体操をすませていよいよ出発。しばらくは清流を左下に見ながら、

広島県民の森の公園管理センター→出雲峠→鳥帽子山(1225M)→大膳原分岐→比婆山(1264M)・御陵→池の段分岐→スキー場分岐→広島県民の森の公園管理センター

と、徐々に山道といった順路でゆっくりゆっくりを心掛けて、昼食時間30分を含む約4時間、8Kの路を歩きました。
 昼食の時、なんといっても、ここで昼食をとる登山客も多く、場所探しにも一苦労です。やっと場所を鳥帽子岩の前の狭い場所に決め、皆とは離れて4人で食べました。
 青空の下、体調もなんとか、日程の調整もついて4人とも参加できたのが本当にうれしいことでした。昼食で充分栄養補給ですが、夫の炊いてくれていた栗おこわと、きんぴら人参、野菜サラダといっぱいの錦糸卵、しっかり噛んで充分身体に栄養を行きわたらせます。おやつ交換などもありましたが、ミカンを頂いて、お腹いっぱいで、おやつはもう入らず、リュックにしまって、お茶を飲んで元気が出ました。
 少しいくと、イザナミ(伊邪那美)の御陵とされる巨岩があります。小さな祠にもお参りいたします。たくさんの登山客にお参りされて、昔も今もここに眠ってその信仰を集めています。また、イチイの巨木群も、囲って大切に保存されています。ふもとでのイチイの木では、穴の開いた美しい赤い実をつけていましたが、ここでは実を結んでいないようでした。
帰りに、先頭の車を運転される水野さんの思いつきで、熊野神社に行きました。
 先日、早くに夫を亡くした友達と合い、亡くなった夫と行った熊野神社のことをよく思い出すと言っていたのを思い出しました。私は、比婆山もこの度初めて訪ねたのですが、熊野神社も初めてでした。
 友達も言っていたように、霊気を感じる奥深い神社で、ゆっくり散策して、杉の巨木に見とれる仲間から離れて、急いで神社全体をぐるっと見て歩き、写真に収めました。
 事故もなく帰宅でき、運転の皆さんにも感謝の登山でした。


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『千の花びら』 (1)
2018/10/04(Thu)
  井野口慧子著 『千の花びら』 を読みました。
 書肆山田より、2018年5月第1刷で6月第2刷発行で、定価2600円+税の詩集です。
 この詩集は著者の井野口慧子さんより、謹呈として送られて参ったものです。

 私のような者にまで送ってくださったことを心から感謝しています。
 送っていただいてすぐに、一応、読ませていただいたのですが、詩心のない私には、よく理解できないことがわかりました。
 先月末、福岡伸一の本を読んで、疲れ果て、夫に、「今日から本を読むのはやめることにした。」と、自分の気持ちを表明することで、すこし気持ちにゆとりをもって生活をし始めました。
 それで。いつもの2時間と少しの裏山登山と、テレビを見ながらの、樹木希林風の縫い物主体で数日過ごしました。その合間に、もう一度この詩集を読み直しました。そして、昨夜、3度目、最初の「大水青」を読み返しました。

 私は、この本をしばらく私のテキストにすることにしました。
 読書はやめて、のんびりの勉強です。
そう思ったのは、最初の「大水青」という詩にある、式子内親王の
≪ほととぎすそのかみ山のたびまくら ほのかたらひし空ぞ忘れぬ≫
について調べ始めたときでした。
まずは、ブログでお馴染みの志村建世さんから送っていただいてこの数年親しんでいる野ばら社の『百人一首』で、式子内親王について調べます。
≪玉の緒よ絶えなば絶えね永らへば 忍ぶることのよわりもぞする≫
ここでは、【私の命よ絶えるものならば絶えてほしい。もしこのまま長らえていると、人目を忍ぶ心が弱くなって浮名を立てられ、悲しい結末を迎えるようなことになるであろう。】と約してありました。彼女は賀茂神社の斎院になっていたこともあり、藤原定家の恋人とも言われていたというのです。
この歌はしっかり暗記していた時期もあったように思うのですが、解釈については忘れてしまったのか、考えたこともなかったのか、このたび読んでびっくり。彼女が置かれた立場に依っての、自分の気持ちを、歌の技法を駆使して作ったこんなに素敵な作品を理解しようとしなかったことに愕然としました。
ここではそのほか、式子内親王の4つの歌も紹介されていました。

また、井野口慧子さんが引用されている歌の【ほととぎすよ。その昔、神の館に旅寝したとき、ほのかに語りかけてきたほととぎすよ。あの空の景色を私は今も忘れない。】という意訳や、この歌の技法の素晴らしさについても詳しくわかってきます。

 「大水青」は、チョウ目ヤママユガ科、言われてみればそうでした。
 夜が始まったばかりの山裾。林道脇の電柱に点灯したばかりの蛍光灯に引き寄せられている、大きな緑がかった水色のなんともいえず美しい蝶に気づいた時でしたが、帰って夫に話すと、「山繭の蛾だよ」と教えられ調べたのでした。「米粒のような紋」については、記憶がなく、このたび改めてネットの図鑑で調べ確認できたのでした。また天敵に食虫の鳥類もいることもわかりました。
 また、この大水青の幼虫かどうかわからないのですが、むかし、職場で、「山繭の幼虫!」と言って持ってきた子供がいて、大きな工作机の上に置いて、少し離れたあと、行ってみると、この幼虫が口を左右に振りながら、光る糸を机にくっつけているのでした。こうやって繭を作るのかと思って見ていて、子どもが持ち帰った後、机を拭き掃除すると、その糸が取れず、いつまでも光っていたことを思い出しました。

 こんなことを少しずつ調べたり、思い出したりして、改めて、井野口慧子氏の作品を読み返してみると、なんだかその世界が見えてくるようです。井野口慧子さんがなんだか、そうよ、そうだったのよと、夢見るような顔で話してくださるようでした。
 だから、こんな私の調べたことや思い出したことなど書き記さないで、直に、井野口慧子さんの詩を書いたらよかったのです。
 でも、私が少しでもこの詩の心に触れるにはこれだけの勉強が必要だったのです。

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『生物と無生物のあいだ』 
2018/09/29(Sat)
 福岡伸一著 『生物と無生物のあいだ』を読みました。
 講談社より、2007年5月第1刷発行で、定価740円+税です。

 1890年ロシアのディミトリ・イワノフスキーがウイルスを発見したといいます。
 ウイルスは、単細胞生物よりずっと小さく、これまでの病原体とは異なって、非常に整った風貌をしていたといいます。それまでの病原体や細胞一般は、ウエットで柔らかな、大まかな形はあるけれど、それぞれが微妙に異なる、脆弱な球体として捉えられるものですが、ウイルスは違っていたといいます。あるウイルスは正二十面体の如き多角立方体、あるウイルスは繭状のユニットがらせん状に積み重なった構造体、またあるものは無人火星探査機のようなメカニカルな構造で、しかも、それぞれ同じ種類のウイルスはまったく同じ形をしていて、そこには大小や個性といった偏差がないのだそうです。
 そして、ウイルスは、栄養を摂取することがなく、呼吸もせず、老廃物を排泄することもない。つまり、一切の代謝を行っていないというのです。
 しかしウイルスは自らを増やす。自己複製能力を持っているというのです。ウイルスは、単独では何もできないけれども、細胞に寄生することによってのみ複製するというのです。
 今まで、「生物とは何か」と言えば、必ず、自己複製するもののことを言っていました。けれども、こうなると、細胞に寄生することによってのみ自己複製するウイルスとはいったい生物なのか、その風貌の如く無生物なのかということになります。
 生物の生物たるゆえんの定義が間に合わなくなりそうです。このタイトルにつけられた、「生物と無生物のあいだ」というのはウイルスのことだったようです。
 ウイルスは、そのメカニカルな粒子を、宿主とする細胞の表面に付着させる。そして、その接着点から、細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。そのDNAには、ウイルスを構築するのに必要な情報が書き込まれているのに、宿主は何も知らずに、その外来のDNA情報を自分の一部だと勘違いしてせっせとウイルスの部材を作り出して、その複製を行うのだというのです。そうして新たに作り出されたウイルスは間もなく細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出すというのです。
 この福岡伸一氏の著書の中で初めてヒーローとして登場したウイルスは、ウイルスというものの、人体に及ぼす害についてではなく、生物とは何かという定義を揺るがす存在として登場してきました。
 このように、彼の著書では、生命科学の事柄が、いろんな側面で登場してきます。しかし、私の読解力では、いろいろなことが、読んでも読んでもなかなか確信が持てないのですが、総じて、分子生物学そのものが、未知の世界で、何一つ確信の持てるものがないというのが正直なことと受け止めていいのではないかと思われます。このような思いを抱けたのは、福岡伸一氏の生命科学に対する謙虚さによるところが多いのですが、このことが大切ということも学ばせていただきました。
 福岡伸一氏の著書を、著作年のふるい順に読んできたのですが、6冊目のこの本は、最初に読んだ『動的平衡』より古い本でした。彼の著書にふれるまでは、科学は日進月歩という思いでしたが、じつは、謎が謎を生んでいくという、ちょうど私の読書のように、知らないことがあるということをだんだん知っていくということに似ているということを垣間見た数日間となりました。
 

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『合志義塾 明治39年塾生のノート抄』
2018/09/26(Wed)
 監修 文学博士 中村青史 向井ゆき子編集 『合志義塾 明治39年塾生のノート抄』を読みました。
 発行者 向井敬二 2017年11月1日発行で、定価税別5000円です。

 この本は、明治39年、渡邊辰蔵氏が13歳のときに合志義塾で学ばれたときのノートを、その娘の向井ゆき子さんが、編集されたものです。発行者の向井敬二氏は、ゆき子さんの息子さんではないかと思われます。この本が入手できたのは、広島ラフカディオ・ハーンの会で、回覧された 『石仏 くまもとハーン通信 №25』 熊本地震復興記念号の、向井ゆき子さんの随筆によってこの本のことを知り、向井ゆき子さんにお願いして、送っていただいたことによるものです。
 いっしょに、2017年12月1日合志市発行の『「カタルパの樹」シンポジウム 記録報告書』と、2018年1月15日合志市発行の『「カタルパの樹」と合志義塾展 図録』も送ってくださいました。

 この本の体裁をざっと見た後、さきに、合志市発行の2冊子を隅から隅まで読ませていただきました。それによって、合志市では合志義塾のことが、2014年、協力NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト、発行:合志市・合志市教育委員会で 『カタルパの樹―合志義塾ものがたり―』 というマンガで出版されたことを知りました。さらに同年、テレビ熊本がドキュメンタリードラマ 「合志義塾カタルパの樹がつなぐ明日」 を放映して、市民の意識が、合志義塾への記憶を呼び戻し、祖先に対する誇りを受け継ぐ熱意に燃えていたやさき、このノートが発見されたとあって、その喜びがこの度の震度7の激震のさなか、向井さんは勿論のこと、市民の一条の光となったことを思わずにはいられませんでした。

 ノート『歴史科』のなかに、
 ≪家康は天下一統したれば、文学を以て国を治めんと欲し、藤原粛林信勝を招き、伏見に学校を開き、和漢の古書を集め、文学の振興に尽力せり。当時学者とも云ふべき人は加藤清正・浅野長政あり。其後・・・・≫とあります。家康が、文学を以て国を治めんと欲したということが意外でしたし、当時学者というべき人に加藤清正・浅野長政の名をあげてあることも意外でした。しかし、江戸時代を考えていくと、あの戦国の世に引き続いた時代とも思えないほどに文化が花開いたことを思うと頷けてきます。また、加藤清正については、この8月に遠藤周作の『宿敵』上下を読んだばかりで、かなり記憶に新しく、イメージとしては、戦に強く、城つくりの名人ということですが、教育熱心な母親に育てられていることや、今に役立っている、領民の生活基盤を整える事業をよくしたことを考えると、それも頷けます。それにしてもこのノートから、少年にしてその業績も間近にあり、古くから敬い親しまれてきた近しい人の名を聞いて、勉学に励む気持ちをいっそう高揚させたことも想像できてきます。
歴史が、物語的に教えられている感じは、私たちへとつづく歴史として、血の通った授業が想起され、昔からの言い伝えを聞いているような懐かしい気持ちで読むことができました。

 『修身科』では、当時の状況がよく表れている第22課の大日本帝国・第23課の忠君愛国・第24課・25課の国民の務などを興味深く読みました。

 『数学』では、まず、最初の分数に整数を乗ずる法から驚きました。私たちはこのとき分子に整数を掛けますが、ここでは、一方分母を整数で割るという方法も教授されています。双方を教える方が数学に対する理解が深まることがわかります。全く意外でした。 やはり偶然、この8月に遠藤寛子著『算法少女』を読んで、合志市に近い久留米藩の算法に熱心な藩主の話を知ったばかりでしたので、むべなるかなの思いでした。

 解読部分の※や?をみると、なんとか読めないかと、獺祭のごとく辞書を何冊も広げての奮闘が始まったりして、すべて読めてはいませんが、さいごの、向井ゆき子さんの「編集を終えて」を読み、また、中村青史氏の「解題」、渡辺直哉氏の「跋文」を読み、このノートの、平成28年4月16日の熊本地震からの数奇な運命をより具体的に辿ることができ、様々の方々の協力と理解があっての、向井ゆき子さんの解読の努力のたまものであることに改めて深い感慨に涙して、合志市の重要な一級資料を向井ゆき子さんの好意によって手にすることができたことを夫婦で感謝し、喜び合いました。



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『生命の科学 静かなる改革』 (2)
2018/09/25(Tue)
 ポール・ナース氏は、エルヴィン・シュレーディンガーの『生命とは何か』の著書にもとづいて講演をしたことがあるといいます。エルヴィン・シュレーディンガーは、生物学において情報の重要性を説いた最初の科学者のひとりで、その後、彼は情報をいかにしてコード化するかについて考え初め、「生命を理解するのに何が重要なのか」ということについて彼はかなり近いところまで来ていたと思いますと述べます。生命は一つの目的をもって機能しているように見える複雑なシステムです。そのシステムは、有機体の維持と複製(繁殖)のための情報管理に深くかかわっています。つまり、情報を獲得し、処理し、利用するわけです。生命について考える方法はたくさんあると思います。たとえば、生命の科学、遺伝子情報をコード化するDNA,細胞という生命の基本になる単位、自然淘汰とともに生命がどのように進化していくか、などなどいろんな角度から考えることができます。しかし、これらのすべてを結び合わせることは、情報に対してひとつの焦点を持つことであり、生命における様々なシステム内の情報を管理するということだと思いますと述べています。
 この記事を書きながら、あらためて、情報のコード化という言葉についての概念が、エルヴィン・シュレーディンガーの言っている情報のコード化というのと、遺伝子情報をコード化するDNAが同じ意味でつかわれているのかどうかと、ふと疑問に思えました。調べてみると、エルヴィン・シュレーディンガーが、『生命とは何か』を出版したのは、1944年でした。DNAが発見されたのが1953年です。少し違った意味にとらえる方が、いいのではないかと思えました。調べていて、びっくりしたのは、エルヴィン・シュレーディンガーは、物理学者で、さらにヒンズー教徒で、他の著書では、
≪「宗教は科学に対抗するものなのではなく、むしろ宗教は、これとかかわりのない科学的な研究のもたらしたものによって支持されもするものなのであります。神は時空間のどこにも見出せない。これは誠実な自然主義者の言っていることであります。」「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」≫と述べているということでした。

 横道にそれました。元に戻ります。
ブルース・マキューアン氏は、≪生命とは何かと言えば、それは外界を認識する神経組織や身体機能以外の何かというよりも、それらを遥かに凌駕する、何かとても大きなもののことでしょう。そしてそれは、宗教的な体験に近いものだと私は思います。どんなものかはわかりませんが、それは私たちが〈神〉と呼んでいるものを具体的な何かとして認識するということではなく、少なくとも、今この瞬間に、それに気づき、幸運にもそれを感じ、生き、それをありがたいと思える感覚そのものだと思います。≫と述べたそうです。
 唯一の日本人、船引宏則氏は、1967年生まれです。「定義は難しいですが、見たらわかっちゃうというのが面白いですよね。じゃあ、生命をみて直感的に感じるのは何か?きれいに組織された、やわらかくてみずみずしいものが脈動している、という感じでしょうか。≫分からないです(笑)。でも、僕は生命の仕組みを探ることによって、その本質に触れたいと思っているのでしょうね。」でした。
 福岡氏は、この対談を通して、普通は目に触れることが少ない科学者の人生とその研究の日々に新たな角度から光を当て、血を通わせることができたように思うと述べていました。
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『生命の科学 静かなる改革』 (1)
2018/09/24(Mon)
 福岡伸一著 『生命の科学 静かなる改革』を読みました。
 集英社インターナショナルより、2017年1月第1刷発行で、定価700円+税です。

 福岡伸一の著作が5冊目となりました。
 1冊目はほんとうに新しく出会う人名や彼の研究する分野の専門用語、出会ったことのないミクロの世界の話で、何が何だかわかりませんでした。2冊目から、そのような言葉にすこしなれて、ミクロの世界から見る、生命の話が少しずつ分かったつもりになってきました。この調子でいくともっと理解が進んで楽しくなってくるのではと期待しての5冊目でしたが、これはまた、ずいぶん難しい本でした。

 しかし、この本を通してある時代の、もちろん平成30年ころの、一研究者の姿は、垣間見ることができることが実感できてきます。
 何のために研究するのか。
 研究は莫大の経費を必要とします。
 そのために、研究が、世のため人のためにどのように貢献できるのか。
 という問題に並行して、出資者の要望に応えていかなければならないという課題があります。
 そういった課題が、それぞれの研究者の研究を支える、探究心とどうかかわっていくのかというところです。
 そこのところ、まず第1章の最初、「失われた矜持を取り戻すために」というところで述べています。
 ≪研究者が失われた矜持を取り戻し、純粋な探究者として再起するには、20世紀から、21世紀にかけて大展開した生命科学の道のりを今一度振り返り、この基本的命題を再確認する必要があるのではないか。そんな危機意識が本書を執筆する原動力となった。≫
 研究者の置かれた立場が、科学の進歩の度合いと、時代の状況を現わしているように思われます。
 彼は、かって自分がポスドクとして勤めたことのある、ロックフェラー大学に出かけての対談を第2章に掲げます。対談相手は、ノーベル受賞者である神経生物学者のトーステン・ウィーゼル氏、神経生理学者のポール・グリンガード氏、分子生物学者のポール・ナース氏、ほかに、神経生理学の権威であるブルース・マキューアン氏・細胞生物学者の船引宏則氏です。

 夫々の科学者に最後、物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーの『生命とは何か』という本をもとに、「あなたにとって生命とはなんでしょう。今のあなたは、生命をどう説明するでしょうか。」という質問をします。
私は生命を、
トーステン・ウィーゼル氏は「バランスのとれた生活を送るためのコツ」といいます。

ポール・グリンガード氏は「細胞が成長し、分裂してできる有機体」あるいは、「私たちは誰なのか」に注目するのはどうでしょうともいいます。


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 『黒いちょう』
2018/09/21(Fri)
 文・松谷みよ子 え・遠藤てるよ 『黒いちょう』 を読みました。
 ポプラ社より、昭和50年8月第1刷 昭和59年3月第10刷 定価750円の本です。
 近くの児童館で、交通安全協会主催の交通安全教室のために出かけたとき本棚で見つけて半年くらいをめどにお借りしたものです。

 『黒いちょう』というタイトルで思い出すのは、松岡鶴治著『黒い蝶』です。というより、半世紀前にご自分の祖父が出版された手記を、復刻された桑本仁子さんです。
 彼女は大変な才女で、これの英訳も出版し、アメリカの図書館などに寄贈されたのだそうです。一昨年平成16年7月のハーンの会にお出でくださりお話を伺うことができたのです。その時の美しい桑本仁子さんを思い出すと同時に、作品の中で、おじい様が戦時中、広島市内から山陰への県境まで一台の自転車で、その後まもなく亡くなられてしまわれる被爆された娘さんと疎開地の家族のもとへ黒い蝶の舞う姿とともに歩かれた道々のことを思い出すのです。

 私は黒い蝶について調べました。そして、黒い蝶のオスの蝶道について知ることができました。そのとき、ハーンの会の先生方は、自分たちの子どもの頃は、黒い蝶が家に入ってくるのは不吉の知らせだとおうちの人たちが敬遠されていたと話してくださいました。
 この作品は、その時の先生方のお話を彷彿とさせるような作品でした。

 お月様とお日様はお仕事がちがうのでめったにであえませんでした。ときたま、お日様が西の空に沈もうとするとき、お月様が東の空に姿を現す時があります。そういうとき、お日様とお月様はなつかしそうに、いろいろの出来事を話し合われるのでした。たいていは、可愛かった子どもたちのお話のようです。
 ある日、お日様は沈む間際にお月様を待っておられました。ふるえる声で、「わたしは、きょう、はらがたってならないのです」と、お日様は真っ赤に燃え、雲のいろどりもただならぬ有様でした。「あの山を見てください。あの山に、今、ひとりの子が死んで横たわっているのです。しかし、その子の村では、まだ、そのことを知りません。それなのに、私は沈んでいかなくてはならないのです。」「なぜですなぜその子は死んだのです。」とお月様はせきこんで尋ねました。
 あの山は、村人にとって生活に必要ななくてはならない山でしたが、『立入禁止』の立札が建てられ、見知らぬ国の大勢の兵隊たちが戦争の訓練をするところになりました。その子は、きょうは演習がないと聞いて、弾丸の破片を鉄くず屋に売って、おとうさんおかあさんを喜ばせようと山に登ってきて、鉄くずを見つけては集めて喜んでいました。その時黒い蝶がひらひら飛んできたのです。あまりにの美しさに帽子を脱いで追いかけはじめ、山の深くまで誘い込まれていきました。ところが、ぴたりとやんでいた大砲がいっせいに打ち出されてその子は死んだのです。お月様は涙を流して、わたしが、「その子のそばにいてやりましょう。もし村の人たちが探しに出たら、どんな小さな道も明るく照らしましょう」と約束しました。
 ジーンと胸にしみる、そのような話でした。
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『生命の逆襲』
2018/09/20(Thu)
 福岡伸一著 『生命の逆襲』を読みました。
朝日新聞出版より、20013年4月初版で、定価1400円+税です。

 週刊誌「AERA」に連載中の生物学コラムをまとめ、編集しなおした本だそうです。
 彼は、『ドリトル先生の不思議な旅』の、ドリトル先生への憧れを、先に読んだ3冊の本のなかでもたびたび話していました。その、ドリトル先生が、もし、現代に生きたとしたら、今日の私たちのあり方・考え方に対して嘆くことは間違いありません。「おお、なんたることか。人間はそんなに偉い生き物ではない。浅知恵で生命をコントロールしようたって、そんなものは結局のところ、大いなるしっぺ返しを受けることになる」というだろうと述べます。
 ≪進化の頂点に立っていると自負している人間ですが、本当はそうではありません。38億年にわたる生命の時間の中で、ヒトが現れたのは、ほんのごく最近のこと。ほとんどの生物はヒトの大先輩にあたります。そして彼らもまた進化の試練をくぐり抜けて、現在、その頂点に立っているのです。・・・人間の思惑に対して、生物たちがどんなふうに逆襲を果たすかについて、あれこれ考察してみました。逆襲とはいえ、それは攻撃や復讐ではありません。常に教訓と展望を含んだ諭であり、寛容さの表れです。私たちは、ドリトル先生のように、彼らのささやきに耳を澄ませ、そしてリスペクト(敬意)を示さなければならないのです。≫とも述べています。

 私は、読んでいるとき、メモを取る時があります。
 この本では、「P62 多田」・「P90 人の細胞60兆個 2の46乗」・「P112 オス」・「P166 ip細胞」と、メモっています。後でゆっくり調べようと思ってのメモや読後記録を書く参考にするためでしょうか。
 とりあえず、「P62 多田」のために62ページを開きます。≪・・・・多田さんは専門分野である免疫制御の研究で大きな成果を上げるとともに、一般向けの著作の執筆、能の台本の創作、美術や芸術への関心など、幅広い興味と教養の持ち主でした。・・・・≫とあります。
 さっそく、ネットで検索してみました。なんと、1971年に抑制(サプレッサー)T細胞を発見するなど、免疫学者として優れた業績を残す。(現在ではサプレッサーT細胞の存在には疑問符がつけられている)とありました。福岡伸一博士も、動的平衡の破綻に気付いたのは、20年後であったと述べており、生物の研究の困難さについて考えさせられましたが、とりあえず、生命を構成する60兆個の細胞の不思議さの解明はほとんどなされていないと何度か書かれているのが頷けます。
 「P90 人の細胞60兆個 2の46乗」のメモは、計算してみようと思ったのでした。
 「P112 オス」 これは、私から見て、訳が分からない夫の行動様式(不必要なものを集めて捨てさせない)の謎が解ける優れものの話でした。
 「P166 ip細胞」のメモは、時の話題に上っていた時期がありました。もう一度ゆっくり読んでみようと思ったのだったのです。やはりここでも前のめりの人体実験の不可能性について述べざるをえなっかたようです。

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『せいめいのはなし』 (2)
2018/09/19(Wed)
 『せいめいのはなし』 ⑴ では、内田樹(たつる)氏との対談で終わってしまいました。

 川上弘美さんとの対談のところでは、福岡伸一は「仏教に詳しい人から聞いたんですが、輪廻思想と言っても、生まれ変わって何かになるという考え方だけでなく、自分の分子が散らばって、ミミズの一部になると同時に岩石や海水の一部にもなるという世界観もあるようです。だから実は、科学というのは昔から人間が知っていたことを言い直しているにすぎないかともいえるのではないかと思います。」と述べています。このことをラフカディオ・ハーンが美しい言葉で語っている作品に出合ったことがあります。私も動的平衡についての説明が理解でき始めると直感的にそう思いました。この動的平衡についての考えは仏教者が一応に納得できると思えたのでした。

 養老孟司さんは鎌倉に「養老昆虫館」を作っているようで、そこを訪ねての対談です。
 パソコンにつないでの1万倍の電子顕微鏡もあるのだそうです。
 この対談では、両者とも無類の虫が好きなので、昆虫などの話で盛り上がります。

 昆虫の擬態についての話は、私が撮影したイシガケチョウの話も出てきます。読んでいて私も大いに盛り上がりました。とくに、ありの巣穴の中で、似ても似つかないゴミムシがアリのふりをしていたという話です。アリの巣を養老さんが壊したときに、初めてアリがそれに気づき、壊した嫌疑をかけて、全部兵隊アリにかみついていたというのです。
 この擬態について、人間が見て似ているように見えることと、他の昆虫や、天敵である鳥などが、どのように見えているかということとは、相当違うのではないかということに気付かされます。音で意思を通じ合わせていて、ゴミムシはアリ語を話していた可能性もあることも示唆しています。

 また、右利きと左利きなど、どうしてあるのかという話題があります。咄嗟の時、どちらの利き足で逃げるか、その時考えていたのでは逃げ遅れるから、咄嗟に右足が出ていくようになっているといいます。女性男性の役割分担のようなものでも、いがいと、そのようなことから決まっていったのではないかと言っています。「ビュリダンのロバ」という哲学では、お腹がすいたロバの両側に同じ干し草の山があると、ロバはどちらを食べたらよいかわからず餓えて死んでしまうといって、要するにロバは馬鹿だという話だというのですが、意外と説得力があります。

 気にかかったのは、最後の方に水俣病について、≪アセトアルデヒドを水銀触媒で作っていた工場が、世界におそらく何千もあったろうけれど、あれだけの大惨事を起こしたのは日本のチッソだけだった。≫という話です。気になって、途中ネットで追跡し、意外な情報に驚きました。今少し勉強してみたいと思っています。

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『せいめいのはなし』 ⑴
2018/09/18(Tue)
 福岡伸一著 『せいめいのはなし』 を読みました。
 新潮社より、2012年4月第一冊発行で、定価1400円+税です。
 副題は、「生命のささやきに耳を澄ます」 です。

 内田樹(たつる)、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司、四氏との対談です。

 内田樹との対談では、意外な展開がありました。
 「生きている」ということは、体の中で合成と分解が絶え間なくグルグル回っているということで、その流れこそが「生きている」ということ。その流れを止めないために私たちは食べ物を食べ続けなければいけない。シェーンハイマーはこの現象を「dynamic(=動的な)state(=状態)」と英語で述べ、「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」と新しい生命観を誕生させたと、福岡伸一氏が説明。さらに、ノックアウトマウスのように、もし最初からその遺伝子がなければ、他の遺伝子や他の細胞が、互いにその欠落を補うようになる。というと、内田氏は「それって、まるでレヴィ=ストロース言うところのブリコラージュですねと応答します。
 私は福岡氏の本を読むのがつづけて3冊目だというのに、このことには全く気づきませんでした。
さらに、経済活動も本質的に「動的平衡」ではないのか、モデル的にずいぶん近い気がすると言い出します。
 どうしてこのところ、経済活動がダメなのかその理由を考えていて、経済活動というのは、商品や貨幣に価値があると「グルグル回すシステム」のために仮象しているだけで、交換の目的は、交換される物自体にあるのではなくて、「交換することができるような人間的能力」を涵養することにある。といって、「クラ交易」というものの解説になりました。
 私には、「クラ交易」なるものについて全く知識がないので、「動的平衡」の本質を深めます。
 ≪「動的平衡」はそれを構成する要素が絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれているシステムです。生きているということも、自然ということも、環境ということも、地球全体も動的平衡にあって、その中でグルグル原子が回っているにすぎない。生命活動は回っていき、次へとバトンタッチしている。≫
 たしかに、国際社会全体の経済活動が、動的平衡でないと、必ず国際問題化することが、二重写しに見えてこないでもありません。

 それを証明するかのように、この対談の終わりの方で、動的平衡の破綻という一項目があります。自分がみつけたGP2の遺伝子の欠落したマウスを作ったら、全く正常そのものでピンピンしていると思っていたら、それは、マウスの環境をクリーンな部屋で無菌状態にして無菌のえさを与えていたためで、娑婆に出したら、ばい菌だらけで、まもなくそのマウスはGP2がないことの問題点を露呈したというのでした。
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『センス・オブ・ワンダーを探して』 ⑵
2018/09/17(Mon)
   この著書にも、『動的平衡』で、述べられたことが、いろいろな医学の応用への警鐘として述べられています。
 生命体を分子機械のような考え方で、その一つだけの部品を働かないようにして、生命体にどのような異常が起きるか観察して、部品の役割を言い当てようとしたノックアウトマウスが、多くの予想に反して何の異常もなくすくすくと成長していく実験を通して、生命体に、機械的な操作を行うことへの疑問を投げかけるのです。

 動的平衡の考え方をベースにすると、生命の部品は一つのパーツが一つの機能を持っているのではなく、互いに他と協調しながら、その共同作業の中である機能を持っている。何かの働きをするパーツがなくなれば周りのパーツが亡くなったパーツの役割を覚えていてその欠落を埋めるように動いて動的平衡を作り出すというのです。
 生命の部品は機械のようにきちっとしたものではなく、ユルユル、ヤワヤワなウエットなものなのです。とその復元力を説明します。

 ノックアウトマウスのための実験が続きます。多くのマウスがその実験の犠牲になります。福岡氏は、私より10年と半年後に生を受けた人で、この対談の時が51歳でした。
 「そろそろ私も人生のしまい方を考えないといけないと思っているんです。」
 「・・・生命の探究をしていたはずが、いつの間にか死の生物学をやっていた。・・・私たちは積極的に飽くことなく殺しているんです。しかも、自分で殺すだけでなく学生たちにも命じてやらせている。それをやめようと思っているんです。・・・実験を通した科学研究では私は大発見は出来なかったけれども小発見は幾つかしました。幾つかの遺伝子を見つけて「Nature」に論文も掲載されました。だから、もういいんじゃないかと、これからは死を詮索しすぎたのをちょっと回復する、繋ぎ直す仕事をしなきゃいけないんじゃないかなって思っているんです。」と述べています。これについては、私も69歳まで生きることができました。病気になっても、大きな手術を受ける気持ちはありません。体に動的平衡の限界が来た時が終わりで十分だと思っています。裏山を散歩していろいろな生き物と出会ったり、輪廻の中に生存できている自分を感じていられる本を読んでいる方が、しあわせと思います。

 最後に、阿川氏の、マツコ・デラックスさんが「人間力が衰えているときに、私みたに男か女かよくわからない怪しいものが跋扈する」とおっしゃっていたんですけれども、・・・・ハカセは人間はどうなると考えていらっしゃるんですか。との問いに、間違いなくやがて急速に廃れていきますよ。人間ほど適応力を失ってしまった生物はいないですよね。みんな夏だったらクーラーの中で育っているから、たとえば温度が50度になったら死んじゃうでしょう。地球の歴史を見ていると酸素濃度なんて言うのはメチャクチャ上がったり下がったりしているんですよ。酸素の濃度が高かったときは代謝効率が上がってすごい大きなトンボとか恐竜とかができてきたんだけど、今は二十パーセントまで落ちていますからね。・・・・と答えています。ほんとに、いま山に登っても、食べれるキノコを見分けられる人もいなくなりました。

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『センス・オブ・ワンダーを探して』 ⑴
2018/09/17(Mon)
 福岡伸一・阿川佐和子著 『センス・オブ・ワンダーを探して』 を読みました。
 大和書房より、2011年11月第一冊発行で、定価1400円+税です。
 副題は、「生命のささやきに耳を澄ます」 です。

 「センス・オブ・ワンダー」について、表紙カバーの見開きに、福岡:「子どもの時代にいろいろなもののオーラを浴びることがその人をずっと支えていく。それがその人の『センス・オブ・ワンダー』になるということだと思うんです」と述べてあります。本文では、この言葉は、レイチェル・カーソンという人の書籍名で子どものときに浴びたオーラのことを書いていると言い、素敵な言葉を引用しています。

 「私が不思議だと思ったことは、たいして本を読んでいないくせに、物語から得たものなんです。それが自分の身にも起こらないかなって思ってた。」と阿川佐和子氏も述べています。本文では、石井桃子氏の「子どもたちよ。子ども時代をしっかり楽しんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」という言葉を語っています。
 
 福岡氏は、バージニア・リー・バートンの『せいめいのれきし』―地球上に生命がうまれたときからいままでのおはなし―は、子供の頃に読んだ宝物のような本で第一の本だと述べています。その絵本は石井桃子の翻訳で、阿川氏は石井桃子が作った「かつら文庫」で読み、バージニア・リー・バートンが、来日したとき目の前で大きな絵を描いてもらったことがあるといいます。

 生命の進化のプロセスについて、「個体の発生は系統発生を繰り返している」という200年くらい前のエルンスト・ヘッケルという人の言葉を論じています。
 一つの細胞である受精卵は、だんだん分裂して細胞の塊になって中空の饅頭の皮みたいになった後、一部がくびれて反対側に達して、ボールの中に管ができる。これが消化管のもとになって、妊娠数週間目ぐらいで、ちょうどミミズのように見える。次に魚、イモリ、トカゲときて、鳥みたいに見える時もある。それから、首がくびれて頭でっかちの形になり、尻尾があったりしていたのが消えて、ようやく人間の形になっていく。人間がお母さんのおなかの中で辿る変化は、生命の歴史のプロセスと同じ。人間の個体はある意味で生命38億年の時間を内包している。という説明には、成程と納得しながらびっくりしました。
 
 また、遺伝子について述べています。個体のレベルで生物を扱うのではなく、生命の共通の原理を見出すために、ミクロなレベルで生物を見るべきだと、分子生物学が現れる。1953年にDNAの二重らせん構造が見つけられ、1977年ころからDNAを切ったり貼ったり自由に操作できるバイオテクノロジーが生み出されてきた。以後、ドリトル先生のような生物学者絶滅危惧種になっていったことも述べていました。

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『動的平衡』
2018/09/16(Sun)
 福岡伸一著 『動的平衡』を読みました。
 木楽舎より、2009年2月初版、4月第6刷発行で、定価1524円+税です。
 安佐北区民図書館でお借りしました。
 難しく、読み進むのに大変時間を要しました。
 何度か借りる期間を延長して頂きました。
 読後も記録を書けませんでした。
 なにしろ、高価で性能のいい顕微鏡で見ることによって、言語化されたことについての話なのに、顕微鏡ものぞかず、辞書も地図もネットもない部屋で、何一つ難しい言葉も調べようとせず読んだことに原因があるかというと、全くその通りともいえるし、引き続き彼の著作を4冊読んだ今になってみると、そうでもないともいえます。

 著者の福岡伸一氏は90年代の初め、ハーバード大学のジョージ・シーリー博士のもとで研究員をしていたといいます。
 シーリー博士の師匠は、ジョージ・パラーディという科学者で、細胞の内部でタンパク質が規則正しく移動する経路とメカニズムを明らかにし、その成果で1974年、ノーベル医学・生理学賞を受けたというのです。
 シーリー博士の兄弟子にあたるギュンター・ブローベルという人はパラーディの成果をさらに発展させ、タンパク質が細胞から外部へ分泌される機構について研究を進め、分泌されるべきタンパク質は、その先端にシグナル配列という特殊な構造を持っているて、シグナル配列が一種の荷札として識別され、細胞内にとどまるタンパク質と細胞外へ分泌されるタンパク質が仕分けされることになるということを明らかにし、1999年ノーベル賞を受けたというのです。
 最初は、そんな人脈の中にいた研究者の本を読めるなんてと言った気持ちでした。

 今この本を目の前において、本の最後の章の「動的な平衡」とはなにか、というところを読み返してみると、心が落ち着きます。
 ≪生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。
 だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヵ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
 つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき入れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自身も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
 つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーン・ハンマーは、この生命の特異的なありように「動的な平衡」と言う素敵な名前を付けた。
 ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。≫

 生きながらにして、輪廻の中に平衡を保てているということに心が落ち着くのでしょうか。

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第215回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録(3)
2018/09/04(Tue)
 発表は、田中先生と、浮田さんと寺下さんでした。
 田中先生は、「大谷正信(繞石)と旧制広島高等学校」と題して、資料十数枚準備してくださいました。
 旧制広島高等学校の沿革、卒業生で加藤友三など名だたる人、大谷正信の在職期間や、入試試験ディクテーション問題の一部資料の提供とその特性、彼の出雲弁の印象など、生徒の感想などについて発表がありました。熊平金庫の創業者も卒業生であることを聞いたとき、若い頃、職場で和文タイプを打っていて、建設省の局長などの名前や、工事名や地名でその活字がないときなど、たびごと1本5円の活字をわざわざ本通りの熊平金庫まで買いに行っていたことを思い出しました。当時は随分のんびりしていたものでした。それに訛りと言えば、山口大学を出て熊平金庫に就職してきた男の子が、上司に「金庫をさげー」といわれて、金庫を低く下げ降ろしたら叱られたと話していたのを大笑いして聞いたのも思い出します。広島では「金庫を持ち上げろ」とはあまり言いません。
 『英語青年』の「ヘルン先生のチャールズ・キングズリ」の、キングズリの新プラトン学派哲学では、プラトンの国家を読みかけにしたままだったことを思い出し、ここらの哲学については機会を改めて、ゆっくり読み直せたらと願わずにはいられませんでした。

 浮田さんの発表は、【島根県立宍道湖自然観「ゴビウス」&「出雲かんべの里」を訪ねて】とだいして、これも十分な体験記録の資料を配布してくださいました。
 「ゴビウス」とはハゼなどの小さな魚を現わすラテン語だそうで、宍道湖・中海に生息する生き物の水族館のようなものなのでしょうか?
 「出雲かんべの里」へは、なんと三島さんが、浮田さんと娘さんお孫さんを案内してくださったのだそうです。そして、錦織館長さんに紙芝居を見せていただかれたことや、お孫さんが「工芸体験」で、「和紙てまり」と「機織り」をされて、その作品を持参して見せてくださり、私たちも夏休みを体験したような気持になりました。
 錦織明さんとは、第215回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録(1)に、あの「からむし」がらみで記した『紙芝居で伝える小泉八雲の世界』の著者です。じつはすごい人に会われたのでした。

 そして、寺下さんは、オスヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』の序論的素描~ハーン「ある保守主義者」との類似点、というテーマでの発表でした。
 昨年、第215回「広島ラフカディオ・ハーンの会」(2017・9・9)のニュースに風呂先生が、「ある保守主義者」と、それから22年遅れて出版されたシュペングラーという人の『西欧の没落』がよく似た構成であると松田悠八が書いた記事の紹介をされていましたが、それを受けての考察でした。
 22ページの資料を配布してくださっての解説です。持参して紹介してくださった『西欧の没落』は、一中一夜で読破できるような代物でない現代用語辞典ほどあろうかという分厚さ2冊の著作です。
 みんな引き込まれてそれを聞いたのですが、それはまるで、西欧の一つの文明を語るような、いや世界のそれまでのいろいろの文明について語るような、もしかして人類の文明について語るような、人間個々の一生について語るようなそんなお話でした。
 ちょうど図書館で借りてきて読み始めていた福岡伸一の『動的平衡』について語っているようなそんなお話でした。
 終わって、もっとこのことについて皆で学習しようと云うのがそれぞれの感想でした。

  古川さんも最近のニュースとしていろいろな情報の資料を作ってきてくださいました。この情報は、ほかの会でもいろんな学習をされていることが伝わってきて、なぜか一人でいろいろ考えているとき、 読み返しては励まされてゆきます。


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