『黒い自画像』
2012/05/15(Tue)
阿刀田高著 『黒い自画像』を読む。
 内容は、短編小説15編
 疲れたときの読み物としてはほんとに短くて肩がこらない。
 それぞれ自分の過去について語ったごく普通の物語であるが、最後にこの人はやばいことをしたのかな。と匂わせる落ちがついているので、全体のタイトルが『黒い自画像』となっているのか、ミステリアスな感じがする。
 その中でたとえば「石見銀山」(何度か夫と訪ねたことがあるので親しみを込めて例にあげる)は、大学の近代文学の先生が、地方の読書グループに招かれて講師をつとめるといったごく普通の話で始まるのだが、松江の読書グループで「石見銀山と言われて何を思いますか」という唐突な質問をうけたことをきっかけに、彼の記憶の糸が手繰り寄せられる。石見銀山とは地名としてではなくて、江戸時代の捕り物帳などで出てくる砒素系の毒薬が浮かぶ。
 彼はその父の死後その遺品の中から砒素系の毒薬「石見銀山」を見つける。彼の父は、エンジニアで金属加工が本職であってが、通俗的な捕り物帳などを好んで読む読書家だった。父がどうしてこんなものを持っていたのか不思議に思いながらも彼はそれをもっていることが恐怖であり喜びであった。
 当時、彼には殺してやりたいぐらい憎い人がいたからである。しばらくしてその人が砒素中毒で亡くなった。自殺か他殺か分からない。他殺としてもその痕跡がない。
 と、そんな感じだ。
 事件や事故が起こったニュースを見るとたまにギクッとすることがある。たとえば居眠り運転でバスの運転手が運転を誤り7人が死亡した。といえば、自分も運転中すごい睡魔に襲われることがある。と言ったぐあいである。 そんなことをリアルに小説にしたものかな。
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『夜の風見鶏』
2012/05/13(Sun)
 阿刀田高著 『夜の風見鶏』を読む。
 『源氏物語を知っていますか』を連載している『小説新潮』のつづきがなくて借りられず、阿刀田高の『夜の風見鶏』という本など数冊借りてきた。
 この『夜の風見鶏』を読んで、なんだか幸せな気持ちになれた。
 最近、体調が優れず、横たわっていることが多くなった。横たわっているのに、本を読む気力もなくてテレビもつけっぱなしで眠ってしまう。年度始めで仕事も忙しいのに懇親会などもおおいい。それにしても体調がよくならないストレスもあって読書が進まないのか、読書への興味が薄れてしまったのか、生活のなかでの最大の楽しみの読書に気が乗らない原因は何。
 『夜の風見鶏』はそんな思いを吹き飛ばした。
 朝日新聞に書いたエッセイを手直ししてまとめたもの。読みながら、私もそうなのです。そう思っています。という部分がおおく本当に楽しく読めた。落ち込んだときそう思える本に出合えることがけっこう立ち直れることに気付く。
 「夢いろいろ」では大好きな作品として夏目漱石の『夢十夜』をとりあげている。私も漱石の作品では『夢十夜』が頭にこびりついている。漱石の作品をそれぞれ比較検討できるような読み方ができていないので、漱石論ではいつも少し引いて読んでいるが、彼の語りではそんなことがぜんぜん気にならない。自分勝手な人間の深層心理に訴えかけてくる作品といえるのかもしれないという思いを素直に受け入れてくれそうである。
 「金のほしさよ」では、一緒に借りてきていた『60歳からの俳句づくり』という本より、古来より親しんできた、「季語+根岸の里のわび住まい」や「俳句+それにつけても金のほしさよ」のほうが素人にはめっぽう俳句や狂歌に近づける。
 「たった一人の聴衆」、ある先生の講義での言葉が今に至るまで役に立っていると思っていたが、同級会では、誰ひとりこの言葉を聴いた人がいないという話だが、私にもこんなことが多すぎる。極めつけ、最近のことだが職場研修で私は30年来耳が悪いのでいつも足行儀の気にならない前から2列目で聞くことにしている。
ところがこの前友達が話があるので後ろのほうに座ろうと強引なのでそうするとびっくりした250人のほとんどの人がぐっすり眠っていた。前に座ると振り向くということはないので知らなかった。後ろからはみんなの様子が一目瞭然。ハードな仕事を考えると、眠っている人ほど現場でがんばっているのかもしれない。
もしかして聴衆は前2列くらいかと思ったものだ。

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『源氏物語を知っていますか』 3
2012/05/12(Sat)
 阿刀田高著 『源氏物語を知っていますか』のつづきを読む。
 前回『小説新潮』掲載の9月号までを書いた。すぐあと、図書館に次を借りに行き、12月号まで借りてきて読み終えた。けさ図書館に、さらに次を借りに行ったら先客があってお預けとなった。
 これまでのところを忘れてはいけないので、とはいえもうすでにリセットしかけているが12月号(26帖)までで、おもしろかったところを記しておく。
 玉鬘のところでは物語に詳しい女房が多く、住吉物語などを楽しんで読んでいるが、源氏が「物語には本当のことなんかほんの少ししか書いてないのに女の人は真に受けて読んだり書き写したりして。まあうさ晴らしにはなるでしょうがね。さぞかしうそのうまい人がこういう物語をつくるのでしょうよ。」というのにたいし、玉鬘が、「うそをつきなれている人は、そういうふうに考えるのでしょうね。私なんか真っ正直なので、みんな本当の出来事みたいに思ってしまいます」といい、「仏の教えにも方便はありますし」など源氏の言葉を借りて、紫式部が物語論を展開する部分がある。物語では、こんなやり取りをそのあと恋の言葉に代えてしまうところが、紫式部らしくて感心する。
「女だから慎み深く政治や学問を口にしない」という姿勢をほのめかしている。
そんなことをほのめかしながら、日本の代表文学の一躍を担っているところがなんともだ。
とりあえず、どんどん身分が高くなる源氏であるが、経済力もつき、これまでかかわった女性、たとえそんなに魅力を感じなかった人でも、妻の紫の上のご機嫌をとりながらもしっかり面倒を見ていく場面が語られていく。
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『源氏物語を知っていますか』 2
2012/05/10(Thu)
 阿刀田高著 『源氏物語を知っていますか』を読む。
 月刊誌、小説新潮にいま連載されている。
 たまたま夫が買ってきた4月号で知って、それまでのものを図書館で借りて読んでいる。昨年の4月から連載は始まっている。
 昨夜で、9月号までを読んだ。
 源氏はその身分のたかさ、学門の深さ、センスのよさ、そして何よりその身の美しさによって、散々プレイボーイぶりを発揮して色恋を楽しんでいたが、父親の桐壺帝が亡くなり、朱雀帝の即位によって源氏の敵役弘徽殿大后が勢力を盛り返し、源氏が須磨へ、そして明石へと都落ちしていく。
 その心境と所作が、源氏物語をして、日本的美意識と言わせるものなのかもしれない。
 朱雀帝は、悪しきことが続いて起こるのは、源氏を蔑ろにしているからかもしれないと、源氏に高い位をつけて呼び戻す。さらに、病弱な朱雀帝は上皇となり、冷泉帝に位を譲る。冷泉帝は桐壺帝と藤壺の更衣の子であるが、じつは、源氏物語の大きな秘め事、源氏と藤壺との子である。
 源氏もかなり年を重ねてはいるがその美しさは、そうはいってもたぐいまれ、またまた往年のプレイボーイぶりが語られていく。
 阿刀田高は、大河小説の中に、短編小説風なエピソードをちりばめていることについて、執筆の時期がバラバラであったからとかいろんな説があるが、かえって面白いのではないかと解説している。その解説を踏まえて読むと、たしかにそういったことで、深みが加わっていて、源氏のフアンとしては楽しめる。



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『源氏物語を知っていますか』
2012/05/06(Sun)
 連休三日間家を空け、昨夜11時前に帰宅してぐっすり眠りこけた。
 眠りの友は、阿刀田高の『源氏物語を知っていますか』の連載物。
 ほとんど知っておりませんのよ。とゆっくりゆっくりと読みすすむ。
 昨夜はその3で源氏の妻の葵上が産後のひだちが悪くみまかってしまうところ。 源氏との関係を双方がよいものにしたいと願っている6条御息所が、葵上の病床に生霊として乗り移っている様子を源氏が垣間見てショックを受ける場面について思いがゆく。
 こんなところは、物語の世界として読みすごしてしまいそうだが、こんなことが、当時の大関心事であったことをかんがえると、ナンセンスなこととはいえ、なかなかおろそかにできない。
 葵上がこよなく愛してくれるその両親を遠ざけて、源氏を呼び苦痛を訴えているその声と顔が御息所にそっくりになっていることで御息所の生霊が憑いていることを源氏がうかがい知るというのである。
 声と顔が似る。これがキーワードだ。
 この描写は紫式部の物語るひとつの表現方法なのか。
 この当時悪霊払いがよく行われているが、人間の人間の力ではどうしようもない病苦に対する周りの人のなんとかしたいという強い思いの表現方法に呼応して、生きる力を発露させようためなのか。
 おたがい、話し合いということをしない為に起こる憶測による悪循環なのか。
 とうじ、食するものの中に、たとえば麻薬のように、気分を高揚あるいは鎮めるような食べ物か飲み物があったのか。
 本を胸において目を休めそんなことに思いがいく。
(・・・こんなことを考えるのは松本清張を読んだ副作用なのか・・・)
 
 ふと思いついて、雨上がりの庭に出てみた。
 今年はあきらめていたカラーがこぶりながら真っ白く四つ五つ六つと咲いている。
 葉も豊かに青々とかさなり優雅さを演出している。
 出かける前から咲いていたミヤコワスレも白く花火を散らしたように数をたくさんに増やしている。
 白いシランも咲いた。このシランは前住んでいた家に夫が植えて増えたのを人に差し上げ、昨年少しいただきこの庭では初めて咲いたものだ。
 手の届かないところに去年から名も知らぬ白い花が咲いている。昨日新宿御苑でおなじ花を見た。さっそくインターネットで、「新宿御苑の5月に咲く花」などと検索してホソバオオアマナ(細葉大甘菜)という名前であることを知る。新宿御苑でも、我が家とおなじ白く可憐なミヤマスミレと隣り合って咲いていた。
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『松本清張全集1』
2012/04/22(Sun)
『松本清張全集1』 を読む。
2段組で、文字の小さいのに難儀しながらの読書であった。
 知人のおおくが、読み始めると最後まで読まないと気がすまないので、主婦がそんなこともしていられないから読書はしないという。
 私は外出を好まないので、読書は家事の合間の暇つぶしに読んでいるだけだと思っていた。このたびも、読み始めると最後まで読むということはせず、暇ひまに読んでいたが、この松本清張の作品は続きが気になり早く続きが読みたいと思う作品で知人の気持ちがわかった気がした。
 この全集1には『点と線』、『時間の習俗』と、『影の車』と題して7話の短編があり、その後14ページのていねいな解説がある。
 ここでは、この解説を読んで、私がどんでんがえしをうけたことについて特記する。
 私は国文学を多少学んだことがあるが、その中に推理小説というジャンルはなかった。どちらかというと推理小説は大衆文芸の部類だったのかもしれない。
 しかし、この解説では、松本清張の作品を文学作品として取り扱い解説が進められていく。
 文学界のなかでの、推理小説ブームと、松本清張ブームなどの位置づけから解説されてゆく。
 この解説を読んでいて、推理小説家の書く歴史小説とについて改めて考えさせられた。

 松本清張は歴史学者のもとに行って、歴史について学んだり書籍に触れたりしたようである。その歴史学者がのちにそのとき調べたことを主題にした松本清張の作品を読んで、その読後感を新聞に書いたことがあるという。そのなかに、主人公の秘密をかぎとるような眼光紙背に徹する態度こそ私ども史家の学ぶべきものにほかならぬと書いていたことについて、この解説では、その歴史学者こそ松本清張に嵌められていると述べている。

 こう読んでいくと、私も実は嵌められているのではないかと感じた。
 直前に読んだ松本清張の歴史小説にいままで読んだことのないものを感じて、この歴史認識が大きく自分に欠けていたと思い込み、松本清張に関心が深まり清張のものを読んでみようという気になったのだった。
 とくに、徳川家康の各大名に対する処遇についての記述で、歴史上あったことは一般常識の範囲であるが、なぜ家康がそうしたのかの心理が、いままで描かれていなかったことであって、真相はそうだったのかと、私も嵌められていたのではないかということであった。この解説によると、まったく主人公の歴史上の人物の心境というのは、作者の想像力の所産であって、作り上げられたものであるというのだ。
 山岡壮八や司馬遼太郎そのほかの歴史作家が描くそれぞれの徳川家康がそんなに違っていたとは思えないが、とにかく松本清張の場合はまったく違ったイメージで、リアルに迫ってくるものがある。
 しかしそれは推理小説作家による迫真的なフィクションであるというのだ。そしてそれは、松本清張自身の前半生のなかにこの世を呪詛しその不合理な社会の仕組みに復習せんとする声があり、それを世を代表して実在の人物に仮託していたのだというのである。
 そういえば、家康の江戸幕府構築が、まるで、殺人犯が自分のアリバイ工作を崩れないように綿密に計算して一糸乱れぬ手順でちゃくちゃくとすすめて犯罪をおかすといった描き方と似ているのである。いろんな努力が積み重なって成り行きそうなったというのでなく、成った江戸幕府を家康が綿密に計算して成るべくして成ったと思わせる筆法なのではなかったか。そんなことにも注目しながら松本清張をもう少し読んでいきたい。
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『駅路/最後の自画像』
2012/04/12(Thu)
 松本清張・向田邦子著 『駅路/最後の自画像』を読む。

 いやーびっくりした。ご当地可部町が松本清張の作品に出てくるなんて。
 こんな巨匠といわれる作家の作品にご当地可部町が舞台になるなんて。

 そして意外だったのがこの本の成り立ち。
 最初、背表紙を見て、松本清張と向田邦子の対談集かとおもった。
 読んでみると、松本清張の『駅路』という作品と、それをNHKの土曜ドラマにするため向田邦子が『最後の自画像』という脚本にかいたものである。
 その2作の前にこの土曜ドラマの制作と、さらにずっと以前にドラマ化されたときにも制作デスクにいた元NHKプロデューサーの制作にまつわる松本清張と向田邦子のエピソード。
 そして後に編集者の向田邦子とドラマ『最後の自画像』と題する二人のエピソードがあり、この向田邦子のひととなりへの興味を充分満足させてくれる。

 『駅路』、わたしはもちろんこの作品の存在をもはじめて知ったし、ふたとおりに映画化されたどの作品のことも知らない。
 学歴がないのにこつこつ仕事をこなした異例の出世をした銀行マンが、定年退職をして次の仕事の誘いも断ってまもなく以前からよくやっていたようにふらりと旅に出る。
 いつもなら1週間くらいで帰ってくるのに1ヶ月たっても帰ってこない。
 妻が警察に届けを出してこの物語は始まる。
 家には時々ふらりと旅に出かけたときの写真が丁寧に日付つきでアルバムにたくさん残っている。退職前の銀行を訪ねて女性関係など聞くとそんな人ではないというのが大方の感想。しかし、捜査官は女性問題、しかも以前広島と名古屋の支店にいたことがあるというがその広島支店関係の女性とめぼしをつけて広島支店を訪ねる。可部から通勤していた女性の休暇の日付と写真の日付が符号するので、可部の雑貨屋の2階を借りているという彼女の居住先を訪ねる。
 彼女の従姉妹とその愛人が仲介役となって交際が成り立っていて、その従姉妹と愛人に殺害されていることがわかるという単純な筋立てである。
 この作品の書かれている昭和35年ころの可部町の風景と、そのころの人々の言葉つきが描かれていて懐かしかった。

 最近久しぶりに本を読んだ。「耳の手術は脳のすぐ側だから、そうすぐには調子よくならないよ」と夫は言うとおり、最初退院して気分をよくして家事に精出していたが体調が優れずできるだけ眠るようにしていた。
 なにもしないで横になって考えるに入院前後に読んだ本では、松本清張の徳川家康を描いた歴史小説の人物への洞察力に強い衝撃を受けていることが鮮明になり、すこし松本清張のものを読んでみようと思い立ったことで、またこのように読書の楽しみに触れることができた。
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十月桜 ジュウガツザクラ
2012/03/30(Fri)
 しばらく太田川の清流にそって見通しのよい山あいを走り、橋を渡る。
向かい側の坂を登り、バブルの頃、見晴らしよく頂上に広く開発された市街地に一番近いというゴルフ場を抜け、くるくると回って降りたところの巨大団地に毎日通勤している。
 家から20分。
 通勤時のこの20分が一日の楽しみになっている。
 遠く水鳥が飛んでいたり、手招きしてくれる山の端の梢に白い花が咲いていたり、ごくまれに、川面が、あらわれわたるせぜのあじろぎといった風情を見せたり。
 そして、民家の庭木。とくに、私が挨拶のように必ず目をやって様子を伺う大きなカヤの木。それが20分の間に5本もある。3本は毎年庭師を入れて手入れをされている姿だ。もう2本は昔は手入れをしてもらっていましたが・・・という感じ。その2本のうちの1本の家族は仕事での知り合いで、私がいちど庭のカヤの木をいつも見させていただいているといったら、「はあ、あれはカヤの木というのですか」という調子だった。でも庭にすっくと立って川風から家族を守っていてくれることはわかっているという感じだった。
いやいや、こんなカヤの木のことを思っての話ではない、実はこの見通しのよい川沿いに、かっては庭木であったであろうという雑然とした物置を取り囲む雑草のなかに、昨年、たしか9月の終わり頃から咲き出したサクラがあって、それが、薄墨桜のような色合いで少しづつは散っていながらも、まわりの紅葉のなかに、そして冬景色のなかに、そしてとうとう遅い春が訪れてしまってもまだ咲き続けているのである。
毎日通るたび、いつまで咲いているのだろうとみかけていたら、最近一段とその数を増し、あでやかにもなった。
どうにも気になって、けさ、PCで検索してみた。

  十月桜 ジュウガツザクラ
10月頃から咲き始め、翌春にも咲く、年二回花を咲かせる珍しい桜。小彼岸系の品種。  

これかもしれない。
 これからも、この珍しいさくらの様子を楽しみに見ていきたい。
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『道化師の蝶』 雑感
2012/03/24(Sat)
『道化師の蝶』の小川洋子の評だけがメモしてなくて、昨日読み返しあらためて、この『道化師の蝶』と入院騒動と入院時に編んだ毛糸の帽子についてふと思った。
 もともと、入院するにあたって私には課題があった。
 耳の手術のため、耳のまわりを、3・4センチ剃りますよといわれたことだった。手術後すぐに職場復帰すると考えていたので、そのままで職場に行くことがはばかられた。
 何店かの帽子売り場でいろんな帽子をかぶってみた。もともと帽子をかぶる習慣がない私。どれもこれも不自然で用に足りそうにない。
 そこで、毛糸で編むことを思い立ち、インターネットで毛糸の帽子の編み方説明書がないかと探した。デザインはどうにも年齢にあわないが網目模様だけは借用できそうなのを見つけた。どんなデザインにしようかと、とりあえず円形に編んでいたら、関根勤の娘さんが、テレビでフェルト風の帽子に同じ素材で出来た花をあしらったのをかぶっていたのがなんとも違和感なく自然に見えたので、そんな形に編めたらと、かぶってみては大きさや形を確認しながらほどいては編み、ほどいては編みして納得いくものに編み上げた。
病院に持っていき、髪を剃ってもらってみると、言われたとおり髪を切らないで伸ばしていたこともあって剃っていることはわからない。耳の患者さんはみんな剃られているのだが誰も剃られているようには見えない。なんとあれほど危惧して出来上がった毛糸の帽子は不要だった。
 同室の患者さんが私の帽子を欲しがられるので、彼女用に編むことにした。彼女はわたしより頭が大きいので、編み目の印象が変わらないように鍵編み針のサイズを8から9に変えた。体全体とのバランスがすっきり見えるように、円の大きさは変えたが深さは変えなかった。その帽子も何度もかぶってもらってみてはほどいたり編んだりして出来上がった。
また、編み物上手の友人が編み方を書いて。というのだが困ったことに、網目模様は説明できないし目数も説明できない、花はそのときの気分任せ。結局退院後それも友人の頭に合わせて編んであげた。
結局、耳の周りを3・4センチ剃りますといわれたことから始まった着想でできあがった帽子は不必要で、二度とおなじものが出来ない。
『道化師の蝶』にすこし似ているかもしれない。

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『道化師の蝶』芥川賞選評 入院時のあれこれ 9
2012/03/23(Fri)
 黒井千次 評
 作品のなかに入っていくのがむつかしい。出来事の関係や人物の動きを追おうとすると、たちまち拒まれる。部分を肥大化させる読み方に傾きかけると、それも退けられる。
 読む者に対して不必要な苦労をかけぬような努力を注文する。

 川上弘美 評
 以前大学の「量子力学」の授業で、あらゆる確率が50%の先におかれた「箱の中の猫」は生きているのと同時に死んでもいるのです。と教えられ、世の中には言葉では表現できない現象が存在する。
 この作品の「私」による語りは進んでゆく。「私」の主体が変化するたびに物語の位相も変化する。以前の彼の作品では猫の内実にまで迫っていなかったが、この作品で初めて箱の中で「ニャー」とないている猫の声を聞いた気がする。

 高樹のぶ子 評
 一読したくらいでは何も確定させないぞ、という意思を文学的な意思だと受けとるには、私の体質は違いすぎる。それが「位相」の企みであるとわかってはいるが、このような努力と工夫の上に何を伝えたいのかが私にはわからない。

 山田詠美 評
 この作品の向こうに知的好奇心を刺激する興味深い世界が広がっているのがはっきりとわかる。それなのに、この文章にブロックされてしまい、それは容易に公開されない。着想を捕まえる網をもっと読者に安売りしてほしい。

 小川洋子 評
 作品に描かれた着想の一つ一つはどれも“銀色細工の技法”により織られた網で捕獲したしたもののように、魅惑的だった。追跡者を死に誘い込む死語。手芸の技術と平行して進む言語の習得。
 結局私に見えてきた模様とは、もし自分の使っている言葉が、世界で自分一人にしか通じないとしても、私はやはり小説を書くだろうかという自問であった。
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『道化師の蝶』入院時のあれこれ 8
2012/03/17(Sat)
 円城塔著 『道化師の蝶』 を読む。

 ちょうど1ヶ月前になる手術をした翌日2月17日にメモしているものの写し。
 小説の冒頭「旅の間にしか読めない本があるとよい。旅の間にも読める本ではつまらない」とある。
 私は一昨日広島県病院に入院して昨日1時半から耳の手術をした。
 安静にしておいてくださいと言われたが、本を読むことが、安静の一部分に入るのかどうかもわからない。
 制約は手術した左耳を下にして寝ないでくださいだ。
 右手には点滴の針がさしこまれ天井につながっている。頭には花嫁の角隠しほどの包帯が巻かれ、目も半分つぶれている。全身麻酔もいまとけたばかりで、はたしてこんな時に読むにふさわしい小説があるだろうかのとの思いが私のほうにはある。
 読み終えて、なおそう思う。
 
 A・A・エイブライムス氏と、飛行機で乗り合わせて知り合う。彼は銀色の糸で編まれ、ボールペンほどの軸に巻きつけ、ときおりその口を開いて、左右に振って着想を捕まえるという。 様々な着想が浮かび続けて、体を離れる。それをするには、大型旅客機の飛行中が一番よいということで、飛行機に乗り続けている。A・A・エイブライムス氏がエコノミー症候群で亡くなって、A・A・エイブライムス私設記念館に雇われる。友幸友幸の探索の報告書を書いて生活をする・・・・。
 村上春樹の作品を読んでいるような気分にもなる。
 この作品そのものが、着想の網にかかった作品のようである。
 
 私の感想は私にしかわからないが、この作品の芥川賞選者の評を読むとこれまたおもしろい。
 明日は、それの要約のメモが書けるかもしれない。

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『共食い』入院時のあれこれ 7
2012/03/16(Fri)
田中慎弥著 『共食い』 を読む。
今年度の芥川賞受賞作品である。
もう入院していたことも、過去になって、仕事にほとんどのエネルギーを費やしているいま、入院時のあれこれもどうかと思うのだが、入院初日の夜に読みメモしていたので、入院時のあれこれとした。

高校生、篠崎遠馬が主人公。
父の異常なセックスを描きそのためにおこる家庭のいざこざや、その性癖が自分にも遺伝していることにだんだん気づいてくるという生臭い作品である。
男の生臭さにおいて、以前、梁石日の『血と骨』を読んだときの印象に似ている。『血と骨』は長編で、ぐいぐいとその世界に入っていってしまうが、『共食い』は短いぶんだけ、そういう世界を絵画の中に置いているという、描写が感じられる。


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『春秋山伏記』
2012/03/11(Sun)
 藤沢周平著 『春秋山伏記』 を読む。
いまの山形県の庄内平野あたり、大鷲坊と名乗る山伏が、「櫛引通野平村、薬師神社の別当を任ずる」という書付を羽黒山からもらって野平村の薬師神社にやってくる。
そして、その山伏がその村の村人の悩みをつぎつぎに解決してゆくはなし。

「験試し」 では、足の立たなくなっていた若い娘の足が立つようにしてやることで、村人に山伏としての証しをたてる。
それまで、村人から信頼されていた月心坊と名乗る、にせ山伏に代わる為に、根気良く足が立たなくなった原因を突き止めて、毎日背負って野山を連れ歩きお日様に当ててやって元気を取り戻して歩けるようにしてやるのだ

「狐の足跡」 出稼ぎに出て、めったに家に帰ってこない大男の「かか」が浮気をしたことで、大男の怒りを買った浮気相手の男を、助けてやる話。助けてやるというのはどうかと思うが、殺されかねないからである。しかし全部の物語の最後に、結局、この「かか」は、越中富山の薬売りと駆け落ちをする。

「火の家」 長い間使い手のない水車小屋に見知らぬ人が住みついたというので、大騒ぎになった。実は、19年前までそこの母屋に住んでいて、村人にあらぬうわさを立てられ、母屋に付け火までされて一家離散した家の子供が成人して来たのである。村中に火をつけて仕返しをしようというのであった。大鷲坊は、そのことを村人に思い出させて反省をさせ、解決をしてやるという話。 

「安蔵の嫁」 嫁の世話をしてほしいと安蔵の母親に頼まれる。おなじころ狐憑きのした娘の除霊を頼まれていて、それがいろいろ手を下しても退かなかったのを、大鷲坊がしくんで安蔵に抜かせて夫婦にさせるという話。

「人攫い(さらい)」 後家になって、娘ひとり連れて出戻っているおとしの娘きくが祭りの夜いなくなり、村中で探す。結局、蓑作り村からきた夫婦にさらわれたのではないかということになり、大鷲坊とおとし他数名でその蓑作り村を探して見つけ出し、最後大鷲坊とおとしが結ばれるというはなし。

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『奥羽の二人』入院時のあれこれ 6
2012/03/10(Sat)
 「武将不信」は、最上義光(よしあき)のこと。
 彼は、信長の死後、まだ秀吉が全盛のころから家康に信頼を寄せて、慇懃を尽くしていた。
 そして、家康からもそれに対する温情は充分に感じ取っていた。なのに死後お家は改易となり60万石が没収された。
 いくら、こちらが気に入って将来を頼んで慇懃を尽くし働いても、家康という人は、そのときは誰が見ても公平な扱いをするように見えて、その人間の人格を見定めて、結局所領を決めていったというのが、これまでの松本清張の家康への一貫した見方のようであることが知れる。

 「脱出」
石州浜田城主5万4千石、古田重恒が、気鬱によりただひとり近づけた側衆の山田十右衛門のはなし。
古田重恒はいつ逝くかわからない。もしかのときはいやでも、山田十右衛門も殉死しなければならない。そこで、殉死を言い立てるであろう重臣の3人を殺してしまうことを企てる。2人は死ぬが、あとの一人は生き残り、このことが露見し重恒は自害し山田十右衛門は逐電したのを家来が追いかけて磔にしたという。殉死は誰でも怖かったという話である。

「葛」
やっとでた柳沢吉保の話。
そして、中国筋の官位の低いことを気にしているさる大名のはなしという。
柳沢吉保へのつてを探して「あの藩の国産の葛は無類のものじゃ」といわれたことで、絹篩の葛粉で外箱に詰めた紹鴎所持の茶入れをおくる。しかし吉保は綱吉の死にあって没落し官位が上がる暇がなかった。

松本清張の歴史小説。入院しなければ出会えなかった本の一冊。
 清張もその資料集めは有名だが、その資料に基づいての小説、大作ではないが、戦国末期の時代の人々の精神文化を垣間見ることができたと同時に、家康のあれだけ続いた徳川政権を作るにあたっての、なみなみならぬその決意を、厚顔をもってひとにあたってきたその情熱が伝わってもきた。


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『奥羽の二人』入院時のあれこれ 5
2012/03/09(Fri)
 「奥羽の二人」は、伊達政宗と蒲生氏郷のこと。
伊達正宗は、秀吉の小田原攻めに遅れてきたため、所領の一部の会津を召し上げられる。政宗の器量をおそれて、その押さえにその所領を蒲生氏郷に与える。氏郷は所領が増えたものの、中央への夢を完全に絶たれる。以後の二人の奥羽でのせめぎ合いも描いている。朝鮮出兵途中での氏郷の歌
世の中に我は何をか那須の原 なすわざもなく年やへぬべき
信濃なる浅間の岳も何を思う 我のみ胸をこがすと思へば
このあとすぐ病付き40歳で生涯を閉じる。正宗は72歳まで生きた。

「群疑」石川数正のはなし。
石川数正は、徳川家康が6歳のときから、織田、今川と人質の苦労をともにした、忠義の聡明な武将であったが、秀吉の所へ重要な使いで行かされるようになって、秀吉は和正の器量のいい事をほめまくり、家康の家臣でなければと惜しむ。
一方仲間の重臣から、役割を立派に果たせば果たすほど、秀吉に寝返るのではないかと疑われるようになり、我慢は限界を超えとうとう寝返る。寝返ってみて、徳川を割る秀吉の策略であったときづく。そして、秀吉の下でも居場所のないまま涙を流す話。
徳川の家に伝わる古箒 落ちてののちは木の下を掃く
家康のはき捨てられし古箒 都へ来ては塵ほどもなし 
という落書が絶えなかった。

 「英雄愚心」英雄とは、秀吉のこと。愚心とはその甥の秀次を関白にまでしておきながら、秀次に反感を持つ側近が秀吉の心境に乗じ作り上げた謀反という讒言によって自決させたことである。

「転変」福島正則の話。
 福島正則は、毛利のあとへ50万石で広島城に入った武将である。その福島正則とはどんな人であったのか。正則は秀吉子飼いの武将であったにもかかわらず石田三成が大嫌い。そのために、関が原では、先陣を切って家康のために大きな働きをする。しかし、じつは、家康に嫌われていたため、その意を汲んだ秀忠と本田正純に謀られて、御家断絶となる。
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『奥羽の二人』 入院時のあれこれ 4
2012/03/07(Wed)
 入院時に読んだ、松本清張著『奥羽の二人』について。
『奥羽の二人』は歴史小説の短編集。
松本清張に歴史小説があるのは知らなかった。きっと、どんな題名の本の背表紙を見ても、かってに推理小説だと思っていたのだろう。
歴史小説というとどうしても、司馬遼太郎とくらべてしまう。
しいていえば「こと・もの・ひと」のうち、司馬遼太郎が、「こと」にまつわる「ひと」を書いているとすれば、松本清張は、「ひと」にまつわる「こと」を書いている気がする。そのぶん「ひと」の心理描写がふかくせまってくる。

「背伸び」安国寺恵瓊のことについて書かれている。
安国寺恵瓊は、いまは広島市安佐南区になっている銀山城の城主、甲斐の武田の一族の遺族であるという。私の裏山山頂のお寺の境内に武田氏の墓がある。
土地にゆかりのある人なので、もちろん熱が入る。11歳で京に出て、東福寺の僧となった。彼は京にいる間、中央・諸国の各武将の静動を細密に研究して、策を立てて毛利に取り入り、毛利の外交官になり、秀吉にも認められる。そして、最後、関が原の戦いで破れ、六条河原で石田三成らとともに斬られた。

「三位入道」日向伊東入道義祐というひとの話。彼はすぐれた武人であり文人でもあったために田舎の武将に納まりたくない。まずは日向一円を支配しようと薩摩の島津義弘との戦いに負けて、大友宗麟など北へ西へと頼っていくが聞き入れられず、73歳で天正13年に乞食坊主となって没したというはなし。
彼の晩年の作 行末の 空知らぬとの言の葉は 今身の上の 限りなりけり
旅は憂し窓の月見る今宵かな

 「細川幽斎」
 細川幽斎は、将軍義晴の妾の子で、5歳のとき管領細川播磨守元常の養子にし13歳のとき義晴の子で新しく将軍になった義藤の一字をもらって藤孝と名乗った。新将軍の近習となるが、応仁の乱で三好・松永に殺され、弟の一人覚慶を脱出させ義秋とし朝倉に身を寄せた。そのとき明智光秀を知る。しかし、明智光秀の本能寺の変では、応援を頼まれながら、それを受けずに息子忠興ともに剃髪し秀吉についたときの心理の描写が興をそそる。
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『秘太刀馬の骨』
2012/03/05(Mon)
 藤沢周平著 『秘太刀馬の骨』 を読む。

 以前からいちど藤沢周平のものを読みたいと思っていた。

読み始めて、なかなか興がのらない。登場人物がおおすぎて、頭の中の整理がつかない。
 近習頭取という役職の浅沼半十郎は、62歳の家老小出帯刀の引き立てによって去年の暮れに近習頭取という役職についた。
 浅沼半十郎は、小出帯刀の命で、望月が闇討ちにあったお馬乗り役の矢野の家に伝わる剣法「馬の骨」の秘伝を受けた者を探す仕事を言いつけられる。秘太刀の調べは江戸から来た小出の甥の石橋銀次郎がやるので、それを手伝ってほしいと言うのであった。
 「馬の骨」の秘伝を受けたと思える、矢野の屈強の使い手5人にめぼしを就け、他流試合を禁じているにもかかわらず、彼らの弱点を見つけては、その他言をしないことを約束にして、立会いを申し込み、「馬の骨」の使い手を捜してゆく。
 しかし、浅沼半十郎は、「馬の骨」を執拗に探し当てようとする小出と、石橋銀次郎に嫌気をさすようになり、小出の派閥を出る。そして・・・・。
  
そのような、某藩の御家の騒動を語る時代小説である。

 読み始めたら、やはり最後まで読み進んでみたくなり、読みきってしまったが、自分の好みではないような気がした。

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入院時のあれこれ 3
2012/03/03(Sat)
 俳句のBさんが退院されてあと、23日に入院してこられた外因性の白内障の手術をされたCさん。
この方は、夫婦で日本国中を倹約ツーリングを趣味にされときどき海外旅行をされている博学の方だ。
朝の連続ドラマ『カーネーション』の岸和田の近くの生まれだそうで、びっくりするほどはっきりものをいわれる。
 たまたま足も骨折してテーピングをされていたが、何も出来ないのなら、このさい目の手術も受けておこうとの考えらしい。
目の手術には2泊3日コースと4泊5日コースがあるのだが、2泊3日コースだと予約がずっと後になるのだそうだ。
26日に退院されたAさんとはお酒の話と海外旅行の話で大いに盛り上がった。フィットネスもやりたそうだったが足の骨折でどうにもならなかった。
スポーツでは、いまは卓球が好きで好きでということだったが、若い頃、女子ソフトボール日本リーグのシオノギ製薬のピッチャーだったのだそうだ。岡本綾子の時代である。
 そういえば俳句のBさんの82歳のご主人は8階に入院しておられ、ここは女性部屋だから自分の部屋へかえりなさいといわれる奥さんの意見も聞かず、私たちがどうぞどうぞというので、日中ほとんど私たちの部屋にきておられたが、若かりし頃、宗徳高校から、名古屋の国体にバレーで出場して優勝されたのだそうだ。能美島から一中へ受験して受かったのに両親が広島へ行かせてくれなかった。行ったものは全員原爆で死んでしまったが自分は親のせいで生き残ったといわれていた。終戦になって、いまは囲碁で島ではいつも優勝されているそうだ。
時間つぶしの話が、たまたまツーリングで行った種子島の話になった。その直前にデールームで見つけて、そうとう穿ったことが書いてあるなと思いつつ『日本歴史のミステリィー』?と言う本を読んでいたので、日本への鉄砲伝来は種子島ではなくて、堺の商人が鉄砲の買い付けを種子島でやったと書いている本があったとその核心の部分を音読して聞かせてあげたら、そんなことは絶対にない。鉄砲伝来が種子島でないとおかしいという話を種子島で見聞きしたことを中心に話してくださった。
Cさんはなんでも見聞きしたことは忘れない人だとおおいに感心した。
 
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『社長 島耕作』 (入院時のあれこれ 2)
2012/03/02(Fri)
 入院にさいして、図書館であわててかりた『司馬遼太郎短編全集 七』と、『吾輩は天皇なり』・『宗教で読む戦国時代』、そして芥川賞掲載の『文芸春秋』3月特別号を買って持っていった。
 私の病室の隣とナースセンターの隣にデェールームという休憩所があり、そこにはテレビやお茶や本棚がある。
もって行った本に加えて、内田康夫の『倉敷殺人事件』『小樽殺人事件』『長野殺人事件』、松本清張の『奥羽の二人』、昨年度の芥川賞掲載の『文芸春秋』3月号、広兼憲史の漫画『社長島耕作』その他いろんな週刊誌や月刊誌を拾い読みした。
15日間の入院では、読み物に不自由することはなかったばかりか、そのときの気分でいろんなタイプの読み物が読めたので意外とリラックスして読書がすすんだ。
せっかくの読書体験なので、入院したときのことを思い出すときのために、思い出せるものを少しずつ簡単にメモできたらと思っている。

 さしあたり今日は広兼憲史の『社長 島耕作』11巻(たぶん11巻だった)

 我が家には娘の、『加冶隆介の議』が全巻そろってある。いま活躍している政治家を含めて多くの政治家に取材して書かれているためなかなか内容のある作品だ。そんなことがあって大いに期待して読んだ。
 そのことからいうとそうとう期待がはずれた。
 会社が合併したときの、リストラを含めた人事の難しさにぶち当たって、会社の経営よりも内部闘争に気をもむというストーリーだ。
合併した会社の人が次期社長をねらって元の会社の重役たちの結束を固め社内の有力者も取り込もうとしている。
双方の従業員がモチベーションをあげながら仕事が出来るようになるには・・・・。というところだったように思う。
 
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入院時のあれこれ 1
2012/03/01(Thu)
 2月の15日に入院、16日に全身麻酔で右耳の手術、27日に局部麻酔で左耳の小さな手術をしていただきました。
 手術は麻酔のため痛みはまったくなく、そのあともたしょうの違和感はあったもののほとんどといっていいほど痛みはありませんでした。
 そんな病院生活は、考えてみれば、下の子が小学校3年の4月から勤め初めて、30年で初めての長期の仕事休みでした。
 
 入院した病室は最上階の8階で、私たちの東病棟は耳鼻科と眼科の病室になっていました。
 4人部屋で、入院した日は次の日私に続いて耳の手術をうけるAさんと眼科の手術をされたBさんの3人でした。あくる日手術をうけ、全身麻酔が醒めたら自分の部屋に寝かされていました。
 そして次の日、目や耳の手術を受けたものばかりとはいえ、それぞれ体が元気なので、俳句をやっているといわれる78歳のBさんに教わりながら、その方が退院されるまで3人で俳句を作りました。
 
 Aさん 病室の窓をうかがう雪の精
     窓の雪とかすうれしさ友の花
     退院の友を見送るフリージア

 Bさん 見舞い花みなにほめられはずかしそう
     香りよく室なごませるフリージア
     8階の眼下に見える雪景色
     ゆっくりとどこへ帰るかあかね雲
     初対面退院時にはなかよしに
     夕食を退院決まり完食す

 私   街灯で海岸示す湾岸道(なんとかビルの合間に見え隠れする海と陸との境目をダイナミックに通る湾岸道を句にしたいと4・5句つくるがうまくいかずにいたら、小さいものを読みなさいと教えてくださる)
     点滴の針の先なる冬の肌
     点滴が溶け込むわが身春の朝
     見舞い花患者の仲間に入りけり
     病室の窓に寄り添う冬の鳩
     残雪の静寂にして春動く
     元宗の絵を洗いたる滝の音(玄関ロビーの巨大な元宋の滝の絵を読む)
     退院が決まりし人の娑婆の顔

 また、Aさんは58歳ですがスタイルも抜群で美しく、フィットネスを教えていると言われ、フィットネスを教わりました。これは退院するまで、間で入院していた21歳の眼科の患者さんも一時加わって毎日続けました。さらにAさんは、5月の末からクロアチアに旅行するということで、るるぶのクロアチアともう一冊クロアチアの旅行に関する本を持っておられたので読ませていただき、みんなでクロアチアのことを教えてもらいました。
 私は残念ながら何も教えてあげるものがなかったのですが、Aさんが、私が編んでかぶっていった白い帽子がほしいと言われたので、家から毛糸などを持ってきてもらい、彼女の頭に合わせて編んでさしあげ、2個編んでいたベージュの帽子もほしいと言われたのでそれもひとつ差し上げました。なにしろオーダーメイドの白い帽子は本当に良く似合ってすてきでした。
 こんなぐあいで、病室は一時、吉田松陰の野山獄のようなありさまでした。


 
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「浪華城焼討」
2012/02/06(Mon)
司馬遼太郎著 「浪華城焼討」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 きょうは夫の付き添いで午前中運転免許証の更新に行き、昼は市会議員の新年会に行った。
 帰ってテレビを見ながら毛糸の帽子を編んで日を暮らした。
 帽子は、何十年ぶりかに編み針を持ってまったく適当に編んだので編み上げるまでには何度も頭に合わせながら、編んでは、ほどいてみたりで、本を読んだことはまったく忘れていた。
 記録しようと思ったら、内容をすっかり思い出せない。
 
 本文中の印象的な言葉をどうにか思い出した。夫にもその言葉を話したので思い出したのだ。誰かに話すと話した内容を覚えているので思い出しやすい。
 「土佐の志士は長州のミカン畑のコヤシになり、薩摩の芋畑のコヤシになった」という言葉だ。

 そうだ、これは土佐の勤皇の義士の話。
 土佐の勤皇の志士は、藩が佐幕派だったために斬られても藩がなんの故障も言い立てないので遠慮なしに斬られた。犠牲者は薩長藩よりも多いのに、維新が終わってみたら維新政府は薩長に独占された。
 その一例。

 土佐の脱藩浪人田中顕助は仲間8人で長州の三田尻の招賢閣に行き、高杉晋作から長州征伐の根拠地になっている大阪城に将軍家茂が入城するのでそれを斬るように言われる。そのときは高杉晋作は藩の中心から遠ざけられていたために軍資金をわずかしか用立てることができずにいた。
 大坂で身を潜めながら計画を練る。8人では城を焼いたばかりでは効果がないので後方攪乱のために途中、篤志家をさがしては一宿一飯に預かりながら同志を募りに3人は山陰路へ遊説に出かけることにした。
 女が出来て、おいしいご飯も食べられている顕助はでかけない。
 出かけた三人は篤志家と思い寄付をお願いした庄屋に強盗が入ったと言いふらされ、近隣の村人によってたかって殺された。後になって三人が勤皇の義士であることがわかって村人によって大きな塚が出来、庄屋は村人に腹を立てられて相手にされなくなる。
 このように、一流の志士はほとんど死に、才質ともに三流の顕助は長寿を得て多くの栄誉を受けた。土佐の志士としてはめずらしい。

 ここまで、彰義隊や新撰組、勤皇の志士などの、司馬遼太郎のいう三流の人々の話を立て続けに読んでみると、世の中三流の人がほとんどで、私のような普通の人間の人生が混迷の時代をどう生きていくのか見ているようで、切なさが自分のようでいろんな人生を肯定して読めることに気づく。
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「槍は宝蔵院流」
2012/02/03(Fri)
司馬遼太郎著 「槍は宝蔵院流」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 1863年壬生で新撰組が結党され、すでに京都守護職御預隊員は決定していた。
 できるだけ多くの道場を隊員募集の勧誘に走り回っている。
 そんな時入隊が決定したのが、宝蔵院流の槍の名手谷三十郎で、養子の喬太郎重政をつれていた。
 近藤勇に気に入られていた谷はすぐ一隊の長になり崇拝者が日ごとに増えていった。
 隊の代表者芹沢鴨が暗殺され近藤勇が代表者に代わると谷は態度がだんだん高圧的になり、ほかな隊員とくに土方、沖田、永倉、藤堂、斉藤、服部、など新撰組をになっている剣客が怪訝な思いをしていた。原因は近藤勇が喬太郎重政を自分の養子に迎え名を周平と改めさせたことによる。
 池田屋事件のとき、近藤勇は討入り組みに大将たる者がその長子を副将格として戦場に連れて出る古来の法にしたがい周平を沖田、永倉、藤堂、に加えた。
 しかし、その池田屋事件いらい、谷の人気がなくなった。
 池田屋事件で、局中きっての怯懦が自分の養子周平であったことに気づき、耐えられず自分の私邸に近づけず平隊士とし、谷さん十郎に対してもいかがわしいものを掴まされたという腹立ちがあった。さらに谷三十郎にもその人品を疑うようなことがあり、斉藤が斬らざるをえなくなる。
 養子周平は鳥羽伏見の戦いのとき混雑にまぎれて姿を消した。
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「彰義隊胸算用」
2012/02/01(Wed)
 司馬遼太郎著 「彰義隊胸算用」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 彰義隊に興味を持つ人はきょう日いないと思うが、私はイメージはあっても実際歴史小説として読んだことがない。読んでみたが、明治の維新末期をさまようハイエナのようなものだった。
 まるで、戦国時代のおわり冬の陣夏の陣に大阪城に集まった浪人と同じだ。
 江戸は将軍あっての江戸である。
 新政府と言う得体の知れないものに江戸を明け渡せるかとの思いがあったために彰義隊への期待があったのはわかるが・・・・・と思う。
 
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「沖田総司の恋」
2012/01/30(Mon)

 司馬遼太郎著 「沖田総司の恋」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。
 当然新撰組の沖田総司のことであるが、絵になる作品である。

 沖田総司は隊員に知られぬよう労咳の治療に通い始める。その町医者の娘に淡い恋心を抱くようになる。その町医者は西本願寺の門跡の侍医でもある。
 沖田総司は自分の身分や置かれた状況から、娘を手の届かない人と心得ている。
 それでも、遠くからそっとその娘を見ていたいという強い気持ちだけは持っている。
 しかし、ほんとうの弟より総司のことを可愛く思っている近藤勇や土方歳三は、沖田家のためにもなんとか結婚させてやりたいと、総司に相談もなく町医者である半井家に嫁にくれるよう申し込みにいき、体よく断られ、総司のはかない夢を壊すのである。

 もともと、新撰組の幹部は武州の人たちでしかも身分はたかくない。
 京都の町に昔から根を張って住む人は、王家によって生活が成り立っているので、王家を大切にする外様大名がひいきである。ましてや尊皇攘夷の時代である。長州人を町中でかくまう時代である。さらに、徳川家康によって本願寺はその力をそぐために西と東に分けられ、東は佐幕派であるが西は京都移転の昔から宮廷との関係がふかく半井家はそこの門跡の侍医である。

 小さいころからはにかみ屋で、自分の気持ちをなかなか言い表せないせつなくたわいのない恋。この相容れない組み合わせの恋をさっと書いてあるのがさわやかだ。
 
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「死んでも死なぬ」
2012/01/29(Sun)
 司馬遼太郎著 「死んでも死なぬ」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 維新後、大蔵太輔、外相、農商務相、内相、蔵相を歴任して公爵、元老に登った男。
 聞多こと井上馨の話。

 ≪(たいしたものだ)
  と、それにも、俊輔は感服しきっている。もっとも、聞多の糞や色気に感心しているのではなく、そのなまなましい生命力を学びたい。とかげの生まれかわりのような、叩いても踏んでも死にそうにないいのちを、聞多はもっている。そのかわり、つらは下卑ている。
 (生まれも育ちも、いい男なんだがな)氏素性がよくてしかもとかげだからこそ、俊輔は感心するのである。≫

 俊輔とは伊藤博文である。
 なにかことを起こそうとするとき、まずは腹ごしらえというのはよくあることだが、どうも高杉晋作グループは、女を抱いて脱糞をしてすっきりしておくことが習性だったのではないかと思えるような話である。
 女であれば誰でもことをすませられる。またどこででも脱糞することができる。そんな聞多を、いちおう女にも好みがあったり、きまった厠でないと脱糞できない百姓あがりの俊輔が聞多をえらく尊敬するゆえんである。
 しかし、司馬遼太郎は、維新後、身分も低く稚拙で学のなりがたい伊藤博文が総理大臣になり、藩主敬親にも可愛がられた聞多がそれを支える役割になるのは、この生理のちがいによることを示唆していることがなんともおもしろい。


 
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「海仙寺党異聞」
2012/01/28(Sat)

 司馬遼太郎著 「海仙寺党異聞」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 新撰組の伍長長坂小十郎は海仙寺に忍び込み、水戸藩の海仙寺を宿所に集まっている分派で海仙寺党といわれているひと五人のうち四人を斬った。この一夜で本圀寺本陣で幅を利かせていた海仙寺党は雲散霧消した。
 長坂小十郎は斬った四人の中の赤座智俊の首を新撰組屯所の局長の留守を統括する土方歳三のもとへ届け出た。「長坂君、このことは誰にも言うな」と、路銀と三十両の餞別を渡した。
 長坂小十郎はその足で長崎へ行って医業をおさめた。

 もとはといえば、長坂小十郎は新撰組にはいるために甲州巨魔郡から京にのぼったのではなく大坂の緒方洪庵塾で医業を学びたかったのだが、あてがはずれて同郷の中倉主膳の紹介で入隊し会計方にまわされた。
 中倉が情婦の密通相手赤座智俊に斬られて醜態をさらし、士道不覚悟として切腹させられる。長坂小十郎は不本意にも中倉主膳のあとの伍長の役に居合いの名手ということで押されてしまう。新撰組の対面面子を思えば中倉の仇を討つべくみなにたきつけられ、さほど親しくもなかった中倉の仇を討たねばならない羽目に陥いったのであるが、このあだ討ちが赤座智俊だけを闇討ちなどで討ったのでなかったため結果水戸藩と新撰組との抗争になることを恐れて土方歳三が逃がしてくれたのである。
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「逃げの小五郎」
2012/01/26(Thu)
 司馬遼太郎著 「逃げの小五郎」を読む。

 これは司馬遼太郎短編全集八のなかの作品。

 逃げの小五郎とは、長州の桂小五郎こと木戸孝允のことで、この小五郎が、1864年8月20日の「蛤御門の変」での幕府による長州征伐の水も漏らさぬ追っ手からの逃げ延びるさまを描いたものである。

 物語は、但馬出石藩の藩士槍術師範役の堀田半左衛門が囲碁仇の昌念寺の住持を訪ねて、それとは知らず小五郎を見かけるところから始まる。
 そして広江屋という商家で立ち働いているところを見かけ、さらに20キロあまり北へ行ったところにある今は城崎温泉になっているところの宿屋松本屋で見かける。よほど縁あると碁をさそい二局打って二局とも切り捨てられるように負ける。数日二人で碁ばかり打つ。中背で肉が締まり、機敏そうで容貌が長州顔で秀麗である。碁は激しい割りに抜け目がすこしもない。世上「長人の怜悧」といわれた気質丸出し。
 市中に人相書きのまわっている桂小五郎。年のころ三十すぎで中背、鼻筋通り、眼元涼しく、きりっとしたいい男。江戸の三大道場の一つである斉藤弥九郎の練兵館で塾頭までやっており剣で飯の食える男という。
 この男に間違いない。堀田半左衛門は、長州人なら力になってやろうと、落人への単純な同情、武士ならそうあるべきと思って疑わない。
 京の町から、ここ丹波にいたるまで、そして長州に帰るまで、が描かれる。
 桂小五郎のこうした逃げるということについて、司馬遼太郎は斉藤弥九郎の練兵館の壁書にふれている。「兵(武器)は凶器なれば一生用ふることなきは大幸といふべし」出来れば逃げよ、と殺人否定に徹底した斉藤弥九郎の教えである。

 ここではそこまでは触れていないが、維新後、大久保利通と西郷隆盛はつねに長州人の勢力をそごうと圧力をかけてきたが、これを上手にいなし長州人の地位を守った手腕を思い、この物語を読んで改めて心底彼の偉大さを垣間見る思いがした。
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『広島の峠を歩く』
2012/01/24(Tue)
大坂佳照著 『広島の峠を歩く』を読む

 読んだというより 、目次を見て自分の知っている峠について認識するのみである。
著者は定年退職のあと広島県各地の峠を歩かれて峠を拡張発展型と生活道型と懐古型との三通りに分類整理してさらに機能喪失型を付記されあわせて123の峠を歩かれたことになっている。

 表題を見て、上根峠、明神峠、鍵掛峠、赤名峠の名前が浮かんだ程度であったが、ずいぶんたくさんある。
 目次では123もの峠にそれぞれ、「32上根峠かみねとうげ 268M・可部大林ー上根  085」というふうに峠の名前の読みと、標高とどこからどこまでと記されていて、そういえばそうそうと思うところや、通ったことのあるところについて読んでみる。
 大人になるやの車の生活なので、峠の坂道への勾配や長さについての実感がほとんどないに等しい生活をしてきたが、車に乗らない著者の歩いての実感は、読書の歩みをも踏みとどまらせる。
 阪神淡路大震災以後話題になった活断層などの地形が作り出す峠が私の住まいから10kmくらいのところにあり、さらに私の住まいから反対方向に15キロくらい行ったところにある急勾配の峠が実はつながっていて巨大な活断層であることをうかがい知ることができる。
 また、私の実家の近くにある峠が、古い持代、鉄を運ぶために作られたものであることなどを知ると、あらためて往古の人々の産業や通行の様子を思い浮かべることもできる。
 著者は郷土史研究をされているかただということだが、峠を歩いて調べることだけでも、こんなに楽しいことを充分に教えてくれる。


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『部長の大晩年』
2012/01/20(Fri)
 城山三郎著 『部長の大晩年』を読む。
 
 三菱製紙の部長であった永田耕衣が、55歳の定年で退職してから、平成9年に97歳で亡くなるまでの晩年を描いたもの。
 若い時から打ち込んでいた俳句づくりを中心とした晩年を送り、90歳の時には現代俳句協会大賞を受賞するまでになる。

 俳句に対する専門的な記述や、俳句やその他の芸術家など著名な人との出会い「出会いは絶景」の記述もあり、門外漢ながらも楽しめる・

 「人間であるということが職業なんや。人間そのものの深化向上を切願する以外の手立てもありゃせんのや。」「人間は死ぬまで成長変化すること。体中に情熱を燃え上がらせることや。」と言ったという晩年のすごし方にはほんとにそうありたいと願う。

彼の句を最後のほうから引用してみる。

 昔日のゆたかさに在り冬の蝿

 烈日の老を看るべし眺むべし

 老斑を夏日晒しの童かな

 老いぬれば股間も宙や秋の暮

 撫子の老撫子を撫でながら   夫人が骨折したとき

 秋雪やいづこ行きても在らぬ人  夫人が亡くなったとき

 秋而今生亡妻ぞうつくしき

 汝が先に死んでしもたかお元日

 強秋や我に残んの一死在り

 あんぱんを落としてみるや夏の土

 大晩春泥n泥泥どろん泥ん

 褒貶をひねり上げたり鏡餅
 
 大腿骨マル折レノ秋深キカナ  骨折したとき

 踏み切りのスベリヒユまで歩かれへん

 行けど行けど一頭の牛に他ならず

 白梅や天没地没虚空没   阪神淡路大震災で家を失った時の句

 太陽に埋れてやぬくき孤独かな 

 枯草や住居無くんば命熱し 

 死神と逢う娯しさも杜若

 雪景や老松途中如如途中  老松なる自らにくれぐれも大事にと言い聞かせ、雪景を賞美しながら、歳月のもとなる道中を行く。いま行きつつありますぞ。(金子兜太訳)
 

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『砂に咲く花』
2012/01/14(Sat)
 古川賢一郎編著 『砂に咲く花』を読む。
 
 ブログでおなじみのみどりさんが丁寧なお手紙と一緒にこの本を送ってくださった。

 なによりも、心にかけてくださっていたことが うれしかった。

 [この本の成り立ちの意外性] 
 古川賢一郎編著となっているが、この方は明治36年生まれで、昭和30年に亡くなっており、本書は昨年2011年9月の発行になっている。
 この方のご子息が発行を思い立ち、さらに孫の放送作家である古川耕という人の手によって世に送り出された。

 [作詩ということ]
 古川賢一郎氏が亡くなる前年昭和29年に少年院「丸亀少女の家」で詩作を指導され、1部は少女の日記にほかの人の詩が織り込まれたもので、2部はその他の少女の詩でできている。

 [少年院「少女の家」での暮らし]
 ここでは、70人の収容された少女たちが、先生の指導のもとに班を作って数人づつが規則正しい生活を送っている。教科の指導があったり、教養講座があったり、趣味の時間があったり、作業があったり夏には施設の前に広がる海岸で毎日泳いだりもする。

 [罪と償いについて]
 罪を犯したために収容されているのであるが、本書ではなぜ罪を犯すにいたったのかの検証はなく、あくまでも詩作をすることに尽きる。その作品を通して、少女たちの精神的動向や行動観察ができる程度である。古川賢一郎氏は1ヶ月の教養講座と、そのあと興味を持って集まった「ともしび会」という詩作グループでの指導が矯正教育上の功罪に資するかどうかについて教官に忌憚のない意見を求めている。

 読み終わって、一日中庭の掃除などやりながら、どのように読書記録を残そうかと考えてみたが難しい。

 読んでいる間中感じたのは、自分が詩作が苦手でできないので、どのような指導の下にこれだけの詩作ができたのかということだった。
 最後のほうで、古川賢一郎は長崎では名だたる詩の作家であったことがわかると、自分もそのような人の講義を聞きたかったと思った。 

 私は、昭和の末ころ、職場で福利厚生のための会があり、その役員をやっていた。その会で広島の女子少年院の院長の講演を聴こうということになり、依頼のため少年院に院長を訪ねたことがあった。今は東広島市に移設されているが、当時は佐伯郡五日市町にあった。2号線から山の裾野の松林を車でずいぶん走ったような気がしたが、門を過ぎても本館にたどり着くまでも松林は続き、その間から平屋の小さな住宅がぽつんぽつんと建っていて中高生くらいの女の子が紺色の服を着て洗濯物を干しているのが見えかくれしていた。緑の松林のなかに見る、青い空に白い洗濯物を干している姿はとても清楚なイメージを抱かせた。正直、このような環境の中で、3食ついて勉強できるのがうらやましかった。

 そんな思いで読みすすんでいたが、少女たちは散歩と称して脱走をする。必ず保護されて連れ帰されるのだが、そのあと反省室に数日閉じ込められる。少女の間でいろんなけんかが起こる。充分時間をとってやさしく少女たちに話しかける教官も何人もいる。それなのにどうして。少女たちは自分で自分のお守りができないのではないかと思ったりする。愛情豊かに育っていないからか、過保護に育っているのか、学力がないのか、もともとの関心の持ち方が違うのか、わからない。

 わからないと思いつつ読んでいたが、読んでいる最中に広島の吉島刑務所から逃走者が出た。逃走して3日目職場でいろんな予想が出たが、私一人が、逃走したのは、とにかく監視されていることへの抑圧感と郷愁の念とが異常な低気圧で爆発し逃走はしたものの、寒さとひもじさで逃走しなければよかったと思っているのではないか。また、残っている受刑者は早く帰ってくればいいのにと心配しているのではないかと予想を立てて、ほぼあたっていた。わからないといいつつしぜんに気持ちがわかるようになっていたのはやはりこの本を読んでいたからだと思える。
 
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