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<title>山姥珍道中記</title>
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<description>読書日記。</description>
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<title>『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』  ４</title>
<description> 　村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』の続きをさいごまで読む。　さいごのエッセーに「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」という作品がある。　意外なことに、被差別部落のことが話題に上る。　≪・・・僕は１７歳になるまで、被差別部落なるものが近くに存在することをまったくしらなかったからである。・・・正直言って僕の両親も教師も友達も、部落問題についてはまったく何も教えてくれなか
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<![CDATA[ 　村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』の続きをさいごまで読む。<br /><br />　さいごのエッセーに「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」という作品がある。<br />　意外なことに、被差別部落のことが話題に上る。<br /><br />　≪・・・僕は１７歳になるまで、被差別部落なるものが近くに存在することをまったくしらなかったからである。・・・正直言って僕の両親も教師も友達も、部落問題についてはまったく何も教えてくれなかったし、言及したことすらなかった。だから僕は被差別部落についての知識をまったく持ち合わせず、差別が存在することすら知らなかった。・・・≫とのべ、この１７歳にして始めてその存在を知った経緯については誰にも話したことがないともおっしゃる。<br />　<br />　そして、自分がしでかした事件によって、その存在を知った経緯についての話がつづくのであるが、そこに、だれもが差別を嫌い差別をしようとする人を毛嫌いするような集団が自分たちのクラスであったことをつくづく「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」とのべている。<br /><br />　あらためて、村上春樹についてウィキベディアでみてみると、なんと誕生年月日が私と２ヶ月足らずしかちがわない。<br />　じつは私も１５歳のときに学校の夏休みの全校生徒対象の講演会で始めて知った。<br />　末っ子のわたしはそのころ下宿をしていて家を出ていたし、姉と兄もそれぞれ家を出ていたので以後どのくらいたって姉や兄に話したか記憶にないが私が話すまで知らなかったといったことだけはよく覚えている。<br />　<br />　さらにウィキベディアで村上春樹の項を読みすすんでみると、「平易な文章と難解な物語」というところに村上春樹自身、、<br /><br />　≪「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。・・・魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している≫<br /><br />というところがあり彼は、この件についての記述の方法としてさりげなく彼の「物語」を書くときの手法を用いて最大の効果を上げているようにおもえる。<br />　<br />　おそらく、彼にとってはこの件についてどのように語るべきか長年の懸案だっただろう。<br />　しかしいま、この一文を読んで、「さすが」と脱帽する。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-11-25T09:03:59+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』 ３</title>
<description> 村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』　のさらに続きを読む。 　 　あまりにもおもしろいエッセイが続くので暇さえあれば読んでいる。 読みすすんで、「牛も知っている・・・・」というはなしのところで、自分の「熊も知っている・・・」というエピソードとダブってしまいこだわってしまう。 　この「牛も知っている・・・」というのは、むかし、カルシウスというアメリカのファミリーのポップ･バンドがあって、そ
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<![CDATA[   村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』　のさらに続きを読む。 <br />　 <br />　あまりにもおもしろいエッセイが続くので暇さえあれば読んでいる。 <br /><br />読みすすんで、「牛も知っている・・・・」というはなしのところで、自分の「熊も知っている・・・」というエピソードとダブってしまいこだわってしまう。 <br /><br />　この「牛も知っている・・・」というのは、むかし、カルシウスというアメリカのファミリーのポップ･バンドがあって、その新曲をラジオで宣伝していたが、そのうたい文句が「牛も知ってるカルシウス」というものであった。くだらないと思いつつも頭から離れないという話で始まる。 <br />　 <br />　じつは私ずいぶん昔、松山千春のアルバムのテープを誰かにもらって、ドライブ中「これいいね。」と夫と聞いていた時期があった。 <br />　 <br />　そのころ夫に意外な仕事がきていて、広島市から２時間半くらい奥まった山中に別荘地がありそこに「別荘を建てたいので・・・暇を見つけてやって」ということで、その調査などに、私の仕事の合間に一緒に行こうと誘われた。 <br /><br />　山あいの林の中に木々の間からすでに何件かの別荘が見え隠れするところに車を止めて「ここだから」と夫が言う。 <br />　「熊がでるから、音楽はそのままかけといて」とも言う。 <br /><br />　松山千春のアルバムの歌声の中で <br /><br />　「別荘というのは造成せずに立てるのかね、まっ、それもそうか。」などと思う。夫はタンクの水をバケツに移しその中に細くながい透明のホースをつけこみ一方の端をつまみ出し、私に渡しこれとマジックを持ってここに立っていてという。 <br /><br />　松山千春のアルバムの歌声の中で <br />　 <br />　「そうか、地べたは凹凸があっても、家は水平垂直がいるよね。」とか、「なるほど、三平方の定理もこんなところで使うのか」など、子どもの頃数学は大好きでもこのようにリアルに数学が役立っている場面に遭遇したことがなかったのでやに感心しながら、測量（計測？）の様子をたのしんで見ていた。すると、木立ちの間からだれか、人の気配がする。「これをどうぞ！」と焼肉料理を持ってきてくださりなにかと話しかけてこられる。 <br /><br />　松山千春のアルバムの歌声の中で <br /><br />　「別荘って、孤独を楽しみに来るのかと思っていたけどここに来て人が恋しいのかな。」と、別荘の機能というものを知らない私はわけのわからないことも思う。 <br />　 <br />　その後、この別荘建設予定地に２，３度連れて行ってもらった。その度松山千春をがんがんならした。 <br />　 <br />　以後、私に気持ちの中で、吉和村では「熊も知ってる松山千春」ということになっている。 <br /> ]]>
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<dc:date>2009-11-24T10:39:17+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』２</title>
<description> 村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』の続きを読む。　１３個目のコラムに「空中浮遊クラブ通信２」というのがある。　  少し前のコラムに「空中浮遊はすごく楽しい」というのがあってこれにたいして、通信２ということらしい。　あまり夢は見ないが、たまにずいぶん昔から空中浮遊の夢を見るという。  地上から５０センチくらいの空中に浮遊しているのだがそれがたまらなく気持ちいいということだ。　ところが、朝
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<![CDATA[   村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』の続きを読む。<br /><br />　１３個目のコラムに「空中浮遊クラブ通信２」というのがある。<br />　<br />  少し前のコラムに「空中浮遊はすごく楽しい」というのがあってこれにたいして、通信２ということらしい。<br />　あまり夢は見ないが、たまにずいぶん昔から空中浮遊の夢を見るという。<br />  地上から５０センチくらいの空中に浮遊しているのだがそれがたまらなく気持ちいいということだ。<br />　ところが、朝日新聞社の彼の担当編集者の五十嵐という人が、同じように空中浮遊の夢を見る。<br />  かれは、地上２メートルくらいのところを浮遊していてその心持は村上春樹と変わらないという。<br />　自分が彼より１、５メートル低いことを悔しく思っていたが、河合隼雄先生に夢のことを聞いたら、空中浮遊というのは物語りづくりで、だからちょっとしか浮かないが、高いところまでパーッと浮かぶのは子どもで大人はまず見ないといわれ、五十嵐さんは子どもだということでほっとするという話がおもしろい。<br /><br />　河合隼雄は著書に『明恵夢記』（むつかしいので納得いくまで読んでいないが私の少ない蔵書のなかにある）があり、夢については日本一と思われている人と思うがすぐにそんな人と自分の夢の話ができるのがうらやましい。なにしろ共著もあるのだもの。<br /><br />　わたしは、一輪車に乗れない。２０年位前一輪車の講師の先生に「サーッと乗って走っている夢を見たんですよ。」と話すと、「あっ、それじゃーすぐに乗れるようになれますよ！」といっていただいたが今だに乗れない。やっぱり素人判断だったんだ。今はもうその先生は亡くなられたが、わたしは意を汲んで、新一年生に一輪車の扱い方、乗り方を特訓している。勿論実演ぬきで。 ]]>
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<dc:date>2009-11-22T09:11:34+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』</title>
<description> 村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』この書は１９９５年から９６年にわたって週刊朝日のコラムに掲載されたものをまとめたものが大方というもの。丁寧に数えてみると（４度数えた）６０くらいある。　「もう１０年も前のことだけど」　「９５年日本シリーズ観戦記「ボートはボート」　「体罰について」　「砂の中のキー」まで読みすすんで「体罰について」の記事について述べてみる。村上春樹は、小学生のときも高
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<![CDATA[   村上春樹著　『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』<br /><br />この書は１９９５年から９６年にわたって週刊朝日のコラムに掲載されたものをまとめたものが大方というもの。丁寧に数えてみると（４度数えた）６０くらいある。<br /><br />　「もう１０年も前のことだけど」<br />　「９５年日本シリーズ観戦記「ボートはボート」<br />　「体罰について」<br />　「砂の中のキー」<br /><br />まで読みすすんで「体罰について」の記事について述べてみる。<br />村上春樹は、小学生のときも高校生のときも体罰を受けたことはないが、中学生のとき自分も含めておおくの生徒が日常的に体罰を受けていて、いまでもそのことを根に持っていると述べている。<br />「日常的な体罰」ということにびっくりした。ただ救われるのは、このように体罰を受けていたにもかかわらず、体罰ははっきり正しくないとのべる人間がいるということだ。体罰の連鎖ということを聞くことがあるが連鎖が断ち切られているからだ。<br />　私自身、体罰を受けた記憶はないが、同じクラスの子が教室で体罰を受けたことがある。その時は教師に対してどう思ったかおぼえていないが、いま、こどもにかかわる仕事をしているからかそのときのことが実際体罰を振るはなければいけないほどのことだったとはどうしても思えない。<br />　では、どのような場面なら体罰が必要なのかと考えてみるがそのような場面に出くわしたことがないのでわからない。<br />　<br />　≪僕はそれ以来、教師や学校に対して親しみよりはむしろ、恐怖や嫌悪感のほうを強く抱くようになった。人生の過程で何人か優れた教師に出会ったことがあったが、その人たちに個人的に接触したことはほとんどない。どうしてもそういう気持ちになれなかったのだ。これもまた不幸なことである。≫<br />　<br />　体罰を振るわなければいけない場面があるとしてもこの言葉は深く受け止めるべきと思う。<br />　<br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-21T22:34:13+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『泣き虫なまいき石川啄木』</title>
<description> 　井上ひさし『泣き虫なまいき石川啄木』　この作品では、石川啄木の家庭のなまの声が聞こえてくる。　石川啄木の生活ぶりがストレートに伝わってくる。　お金を誰からどのようにして借りたのか、またかしているものはどのような気持ちで貸したのかということも、生々しく描かれていて説明も解釈も必要としない。　　一貫して曹洞宗である石川家の一と節子の家庭の貧しさを描いているが、あるとき、幸徳秋水の「天下万民安楽」とい
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<![CDATA[ 　井上ひさし『泣き虫なまいき石川啄木』<br /><br />　この作品では、石川啄木の家庭のなまの声が聞こえてくる。<br />　石川啄木の生活ぶりがストレートに伝わってくる。<br />　お金を誰からどのようにして借りたのか、またかしているものはどのような気持ちで貸したのかということも、生々しく描かれていて説明も解釈も必要としない。<br />　<br />　一貫して曹洞宗である石川家の一と節子の家庭の貧しさを描いているが、あるとき、幸徳秋水の「天下万民安楽」という言葉に心酔した石川一と金田一京助（国学院講師で、いま又東京帝国大学の講師の口がかかっており結婚したばかり）との間で意見の相違があり仲たがいをする場面での啄木の妹光子の言葉が二人を唖然とさせるところがおもしろい。　<br />　≪光子　それにね、兄さん、どんなにいい時代がやってきたところで、すべての人間が仕合せになれるとは思えないの。どんな時代にも不公平なことが起こるに決まっている。そこでそういう不条理は死んでから清算されるの。だから死後の世界に、天国、煉獄、地獄があるのよ。<br /><br />　　一　僕にこのまま貧乏でいろというのか。貧乏はいいとして、貧乏につきものの家庭のイザコザと死ぬまでつきあえ、というのか。<br />　　<br />　　光子　お金持ちのところにだって家庭のイザコザはあるは。家庭はだれにも遠慮せずにそれぞれが身勝手のいえるところ。そのことがよくわかっていて、相手の身勝手にも耳を傾けてやり、自分の身勝手もさらりという、とそういうことになっているうちはいいけど互いの親兄弟や親戚が口をだしてきたりして、それぞれ自分の身勝手にこだわり始めるのね。そうして家庭を、自分の言い分が勝っただの、負けたからこの次に仕返ししてやるだのという血みどろの戦場にしてしまうんだわ。たいていの家庭がそう。だから賢者は家庭を持とうとしないのよ。≫<br /><br />　以前人形劇をやってその台本を手がけたことがあったが、きれいごとの説明を台本に載せようとしたところに、真実にふれ共感を得るようなものができなかったのかなーと反省する<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-20T12:21:19+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『子どもの宇宙』</title>
<description> 　河合隼雄著　『子どもの宇宙』　を読む。　感動的な書だった。　人間の心理にふれることに改めて感動を覚える。　毎日人は子どもから老人まで何かに躓きながら生きている。　実際何に躓いているのか、躓きから立ち上がることができるのか。躓いていることの意味は何なのかなどなど。　　この書では、「子どもの宇宙」について語ることによって、その宇宙が抑圧されることに対する危険性と、それから開放される可能性とについて解
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<![CDATA[ 　河合隼雄著　『子どもの宇宙』　を読む。<br /><br />　感動的な書だった。<br />　人間の心理にふれることに改めて感動を覚える。<br />　毎日人は子どもから老人まで何かに躓きながら生きている。<br />　実際何に躓いているのか、躓きから立ち上がることができるのか。躓いていることの意味は何なのかなどなど。<br />　<br />　この書では、「子どもの宇宙」について語ることによって、その宇宙が抑圧されることに対する危険性と、それから開放される可能性とについて解き明かす。<br />　そして、読者自身がいま持っている自分の宇宙についても考えが及んできて、躓きの意味についてふかく内証できそうな気がするのである。<br /><br />　じつは我が家の蔵書で、蔵書といっても新書本。線引きや書き込みがたまにあるところを見ると読んでいるはずで、自分が興味を持ちそうなところにしるしがつけてあったりする。けれども殆ど覚えていないのがなんともつらい。それに、二度目であるにもかかわらず、そして新書本であるにもかかわらず読むのずいぶん時間がかかった。内容の深さが胸に重くのしかかって中々読み進めない。<br />　この前読んだときにはこれほど強い感銘を受けたかどうか・・・・。<br />　しかしいま、これからの仕事の中で、子どもの深い思いに心を砕いていくことでこの本から得た偶然のチャンスを見出せるようになれそうな気がしてくる。<br />　<br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-07T23:43:43+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『河口慧海』</title>
<description> 山本和夫著　『河口慧海（えかい）』を読む。子供向けの伝記物である。この河口慧海という人を私は始めて知った。慶応二年、漱石などとほぼ同じ頃、大阪の堺市の桶屋に生まれる。長男で家業を継ぐことが大事の家で、勉強をさせてもらえなかったが、あまりの勉強好きに両親が折れて学問の道に進む。１４歳のときシャカの伝記を読んで感動したことから仏教の勉強を始め明治３２年チベットにでかける。当時、チベットは外国人を一切入
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<![CDATA[ 山本和夫著　『河口慧海（えかい）』を読む。<br /><br />子供向けの伝記物である。<br /><br />この河口慧海という人を私は始めて知った。<br /><br />慶応二年、漱石などとほぼ同じ頃、大阪の堺市の桶屋に生まれる。長男で家業を継ぐことが大事の家で、勉強をさせてもらえなかったが、あまりの勉強好きに両親が折れて学問の道に進む。<br />１４歳のときシャカの伝記を読んで感動したことから仏教の勉強を始め明治３２年チベットにでかける。当時、チベットは外国人を一切入れない国で、入国したとわかるや否や死刑にされるというお国。中国人に化けて入国し４年目に帰国。二度目のチベット入国もはたし、後に東洋大学でチベット語や、チベット仏教を教える。７９歳で生涯を終える。<br />著書に『チベット旅行記』があるという。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-11-02T10:29:13+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『北国物語』</title>
<description> 船山馨　著　『北国物語』を読む。　昭和１６年の作品　フー。職場の一番大きなイベントの準備でサービス残業が毎日続いた。　やっと、イベントが予想を大きく上回る参加者で盛会裏に終わり、片付けも少し終わり、一息ついたら体調を壊した。　体調は壊れていても、孫の子守や、ほったらかしになっていた家の片付けや何かで毎日忙しい日がつづいた。　自分が自分でないような毎日の中で、眠る前に１ページか多くて１０ページくらい
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<![CDATA[   船山馨　著　『北国物語』を読む。<br /><br />　昭和１６年の作品<br /><br />　フー。職場の一番大きなイベントの準備でサービス残業が毎日続いた。<br /><br />　やっと、イベントが予想を大きく上回る参加者で盛会裏に終わり、片付けも少し終わり、一息ついたら体調を壊した。<br />　体調は壊れていても、孫の子守や、ほったらかしになっていた家の片付けや何かで毎日忙しい日がつづいた。<br />　自分が自分でないような毎日の中で、眠る前に１ページか多くて１０ページくらい読みすすんでやっと読み終えた。<br /><br />　船山馨のものは、４０年近く前に読んだ『お登勢』以来２作目。<br />　最近テレビで見た『北の零年』で『お登勢』のことを思い出していた。<br /><br />　しかし、この『北国物語』は、開拓時代の北国の話ではなかった。<br /><br />　昭和１６年頃の話で、そのころの北海道の風景や風俗がうかがえる。<br />　　<br />　東京の大学で２年生で孤児になった真岐良吉は苦学をして何とか大学を卒業し、昼は郵便局の事務員をやり、夜は神田の夜間中学の英語の教師をして暮らしていたが、ツテあって北海新報社の東京支社に職を得た。２年して北海道の本社に転勤になり、９月の初め、東京はまだ夏の残暑が厳しい中を、生まれ故郷でもある勤務地の北海道にむかうところから小説は始まる。<br />　そして、翌年の１月末のカーニバルを終えたところで小説は終わり、わずか４ヶ月内外のことのなかに、北国の人々の哀しい人間模様が語られている。<br /><br />　≪そのような凍えた夜風のなかをしばらく歩いてゆくうちに、真岐はふと急にこころの濡れてくるのを感じた。なにが悲しいというような、はっきりしたものではなかった。ただ漠然と、自分をも含めてナターシャも衣子も、イヴァンたちや叔母や信之や、それから死んだ叔父や、見たこともなかった衣子の母のことまでが、なつかしい人のように心に浮かび、それらの人々のかって生きていた、あるいはいま生きつつある心情に、いじらしい哀しみが湧いたのであった。この急な哀感は真岐にも思いがけないことだった。真岐はうろたえながら感傷の実態を振り返っていた。そうして、それは突きつめてゆくと、生きるということの哀しみのように思えるのだった。≫<br /><br />　こういった、北国に生きる人の哀感を切々と語っている。<br /><br />　 ]]>
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<dc:date>2009-09-27T22:00:33+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『草の花』</title>
<description> 福永武彦著『草の花』を読む。　１９５４年の作品。　人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花の如し　　　　　　　　　　　　　　ペトロ前書、第一章、二十四　聖書の一節が目次の前ページに引用されている。この引用は、題名『草の花』との関連であろうが、作品の内容からするとすこし違和感がある。　サナトリウムで同室の汐見茂思という男性と知り合い親しくなるが、汐見は手術を受けたいと申し出て、手術はうまくいかず死ん
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<![CDATA[   福永武彦著『草の花』を読む。<br /><br />　１９５４年の作品。<br /><br />　人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花の如し<br />　　　　　　　　　　　　　　ペトロ前書、第一章、二十四<br /><br />　聖書の一節が目次の前ページに引用されている。<br />この引用は、題名『草の花』との関連であろうが、作品の内容からするとすこし違和感がある。<br /><br /><br />　サナトリウムで同室の汐見茂思という男性と知り合い親しくなるが、汐見は手術を受けたいと申し出て、手術はうまくいかず死んでしまう。<br />　汐見は自殺をしたのではないかと思う。<br />　もしものことがあったら枕の下のノートを２冊を君に上げるよ、といわれ、そのノートの内容がこの作品の大部分を占めるという構成になっている。<br /><br />　汐見茂思は、学生の頃、おなじ弓道部の後輩の藤木という男性に心引かれる。藤木が病気でなくなり、残された母親と妹をいつも訪ねていたが、妹の藤木千枝子にその想いが移行する。<br /><br />　しかし、千枝子は熱心な無協会派のキリスト教に心酔し始め、汐見を誘うが汐見は自分の孤独を愛してそういったものにすがろうとはしない。<br />　また、キリスト教がしっかりした組織を持ちながら、戦争に反対の運動をなぜしないのかとのくやしい気持ちも持っている。<br />　そういった汐見から千枝子ははなれていき他の男性と結婚をする。<br />　その後、汐見は戦争に徴兵され、そのあと病気になり、洗礼を受け洗礼を受けたことを後悔しながらサナトリウムでの生活を送るが、結局自殺をしようとしたのではないかと思わせるような手術を受けて死んでゆくのである。<br />　読み終わり千枝子を探しだし、汐見ガ亡くなったことと、ノートの事を手紙で知らせる。<br />　千枝子から、今も忘れえずにいることや、別れたことにいくらか後悔もしていることなどについての返信を受け取る。<br /><br />　≪戦争に対する恐怖の第一は、生理的な死への怖れ、自我の消滅に関する原始的な本能だったろうが、第二に、僕の場合には、人を殺すことの怖れも同じ程度に混ざり合っていた。もとより僕は自ら人を殺す意志はない。が、上官から強制され、不可避的な局面に遂いやられて、或いは自分が死ぬか敵が死ぬかの局面にたたされて、果たして正当防衛の名の下に相手を殺し得るか。自分が死ぬのは厭だったけれど、人を殺すというこの恐るべき言葉は、僕の良心を極度にまで激昂させるのに充分だった。それに敵、・・・・敵とはなんだろう、僕が自ら選んだのでもない敵、何故につまらないイデオロギーの相違から、人は相互に殺しあわなければならないのか。････････≫<br /><br />　兵役を逃れられない若者の心情を述べている。<br /><br />　死生観、宗教観、こういったものをみずみずしく描いていて久しぶりに純文学にふれた気がする。<br />　上記の戦争に関する記述では、当時、これだけのことをハッキリと述べていることに改めて、私たちはこういった作品に影響されながら大人になっていったことに思いを重ねる。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-09-12T07:55:31+09:00</dc:date>
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<title>『燕山夜話』（２）</title>
<description> 　拓著『燕山夜話』を拾い読みする。　「ある古代の日中囲碁戦」　原題「評　”三十三鎮神頭図”」　中国人のわるい風儀は捨て去るべき、という話。　その悪い風儀の一例として、国際的な試合に対する態度について述べている。　国際的な試合の一例は、過去の囲碁の試合である。　九世紀の中ごろ日本の王子が中国を沢山の進物を携えてやってきた。その王子が囲碁が得意で棋士との試合を望んだ。もてなした宣宗は第一級の棋士を呼ん
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<![CDATA[ 　拓著『燕山夜話』を拾い読みする。<br /><br />　「ある古代の日中囲碁戦」　原題「評　”三十三鎮神頭図”」<br /><br />　中国人のわるい風儀は捨て去るべき、という話。<br /><br />　その悪い風儀の一例として、国際的な試合に対する態度について述べている。<br />　国際的な試合の一例は、過去の囲碁の試合である。<br />　九世紀の中ごろ日本の王子が中国を沢山の進物を携えてやってきた。その王子が囲碁が得意で棋士との試合を望んだ。もてなした宣宗は第一級の棋士を呼んで試合をさせた。引き分けになりそうな様子であったが三十三手まで打って鎮神頭という一手を打って中国側の棋士が勝った。日本の王子は、彼は、何級の棋士ですかと訪ねたが宣宗は第三級の棋士で、第三級に勝てなければ第二級、第一級の棋士と試合はできないとこたえたという。<br />　そういう態度について批判したものである。<br />　当たり前のことであるが、宣宗を通して中国人の特徴を言っているのだろうかと、思える。<br />　 ]]>
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<dc:date>2009-09-03T22:34:33+09:00</dc:date>
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<title>『燕山夜話』</title>
<description> 拓　著　毎日新聞社訳・編　　『燕山夜話』　を拾い読みする。　娘の出産で３歳の孫を預かっていて、図書館や公民館に行かなかったために、読む本がなくなった。　やむなく、我が家の本箱から、古びた『燕山夜話』を取り出して眺める。　「貴重な遺産・中国の書道」　原題　「有法和無法」　これは、書道について書かれている。　永字八法の解説から入り、実は線はたくさんの点が一列に並んだものである、などと説明し、ゆえに八
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<![CDATA[   拓　著　毎日新聞社訳・編　　『燕山夜話』　を拾い読みする。<br /><br />　娘の出産で３歳の孫を預かっていて、図書館や公民館に行かなかったために、読む本がなくなった。<br />　やむなく、我が家の本箱から、古びた『燕山夜話』を取り出して眺める。<br /><br /><br />　「貴重な遺産・中国の書道」　原題　「有法和無法」<br /><br />　これは、書道について書かれている。<br />　永字八法の解説から入り、実は線はたくさんの点が一列に並んだものである、などと説明し、ゆえに八法は四法に基づき四法は一法に基づくというのである。すべては、点の発展と変化によるものだとする。<br />　書道にはその前提として「法」が必要であるとする。<br />しかし、あまりこの法に束縛されていては書道の水準を高められない。<br />　「無法の法」・「天然を法とする」・「造化を師とす」もでてくる。<br /><br />　≪このように見てくると、書道の法なるものは、他の芸術と同様、根本的には、客観的自然界と実際生活のなかから生まれるものである。そこで、われわれは、あらゆる技法を掌握し、運用するにあたっては、決して法の束縛にとらわれず、法を客観的実際のなかに還元し、客観的事物の発展変化の特徴に照らしあわせて、大胆にこれを発展させ、条件が成熟したときには、新しい技法を創造するよう心がけるべきである。≫<br /><br />　　まことに、このたびの選挙でもこういった考え方で変革に望むべきではなかろうかと思う。<br /><br />　また、職場にきてくださる絵手紙の先生の筆法が文の中の王義之（おうぎし）の書法と同じで、ガチョウのように「腕運びて手は知らず」というのと同じであった。　今の私はこの書き方に興味を持っている。<br /><br /><br />　「略字なのか、誤字なのか」　原題　「是簡化字還是錯別字&#21602;」<br /><br />　これは、中国の漢字の簡略化についての話である。<br />　教養人でさえ、かえって読めないというのである。<br />　これが、１９６１年から６２年にかけて発表された随筆であるために、今の中国ではどのように感じられているかはわからない。<br />　奇抜なものの例として、略字の中に「漢数字の九の下に口」を書いた字をあげている。これは、「曹」と言う字の略字である。「曹」という字の中に口が九つあることからそうしたというので、<br />≪まったくのこじつけで、まるで話にもならない。≫<br />と言っている。<br /><br />　これで思い出したが、吉田松蔭が自分の号を、「二十一回」としたことがあった。なんとも色気のない号だが、彼は、もともと杉家に生まれた。<br />　その「杉」と言う字は「十と八と三からなり、これをたすと二十一になる」。<br />　また、「吉田」という字の中に「十がふたつと一がありこれを足すと二十一になる。そして、大きい口と小さい口で回という字になる。」それで、号を「二十一回」。<br />　似たことを考える人がいたものと苦笑してしまう。<br /><br />　あっ！もうひとつ落語に「平林」を「タイラバヤシカ、ヒラリンカ、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」というの。これは、私の以前勤務した施設の前に「平林」という表札がかかっているうちがあり、子どもたちに図解で教えた。<br />　覚えの早い子どもたちのこと、成長した彼らもこんなことを考えているかもしれない。クワバラ、クワバラ。<br /><br /><br />「書物を持っているなら早く読め」　原題　「有書&#36245;快読」<br /><br />　なんと、私のいまの状況をいっているようで、おかしい。<br />　持っている本と、借りている本についてである。<br />　持っている本は、それが、分厚くてなかなか読めないようなものであっても一応内容を把握しておきなさいというものだ。<br /><br />　二つのカバンに一杯になっている借りた本はすでに読み終わってしまった。<br />この書は夫の蔵書で、本の様子については聞いていたがそのうち読もうと表紙がボロボロになるまで読まずにいるのである。<br />　「梅をながめてかわきをとめようというもの」ですって。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-26T10:25:22+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』２</title>
<description> 司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５８～５９　を読む。  １  「伊賀源と色仙人」  たった一枚の不渡り手形で木賃宿の住人に落ちてしまった大阪船場丼池の仲買商の伊賀源次郎が、そこでであった色仙人に≪「アハハハハ、どうせ落ちるところまで落ちたんや。もうこれ以下は落ちん。奈落の底で土性骨を鍛えたら、筋金入りの人間になるぞ。明日から俺の稼業を見習わせる。朝４時に起きイ」≫　と、きたえられ、資本も出し
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<![CDATA[   司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５８～５９　を読む。<br /><br />  １  「伊賀源と色仙人」<br /><br />  たった一枚の不渡り手形で木賃宿の住人に落ちてしまった大阪船場丼池の仲買商の伊賀源次郎が、そこでであった色仙人に<br /><br />≪「アハハハハ、どうせ落ちるところまで落ちたんや。もうこれ以下は落ちん。奈落の底で土性骨を鍛えたら、筋金入りの人間になるぞ。明日から俺の稼業を見習わせる。朝４時に起きイ」≫<br /><br />　と、きたえられ、資本も出してくれて、事業に成功する。<br /><br />これほどの才覚があるのなら色仙人自分でやれば良いようなものだが、<br /><br />　≪「・・・・商人の出世は、才能でも運でも努力でもない、人間の魅力ちゅうやつや。男に好かれる愛嬌やな。仲間が、頼まれんでもそいつをたすけて立てていってやろうという気組みになりおる。すると運が自然とひらける。運がひらけば、人間黙ってても努力するわ。太閤を考えてみい。あいつより頭のいいやつはウンといたが、みんなワイワイとあいつをたててとうとう天下を取らしてしも歌。明智光秀をみてみい、頭は太閤よりずっと良かったやろうし、人格も太閤のように女にダラシナイところもなく、模範生みたいな奴や。そいつを誰も助けなかった。とうとう山崎の竹薮で野垂れ死んでしもうた。・・・・お前には、愛嬌がある。」≫<br />と、言うことらしい。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-26T00:07:23+09:00</dc:date>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』　２</title>
<description> 　司馬遼太郎・著　　『司馬遼太郎短編全集』　２　１９５８～５９　を読む。９　「大坂侍」　幕末の大坂の十石三人扶持の侍、鳥居又七右衛門保繁の話。　彼は、商人が幅をきかせ、金がすべての大坂で、商人の娘に惚れられ自分も好いているのに、この、金が全ての大坂に嫌気が指して、自分は武士だといって江戸に上り彰義隊に入る。　しかし、こてんぱにやられ、逃げてくるが、結局この戦争も官軍も幕軍も戦争の軍資金は大坂商人か
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<![CDATA[ 　司馬遼太郎・著　　『司馬遼太郎短編全集』　２　１９５８～５９　を読む。<br /><br />９　「大坂侍」<br /><br />　幕末の大坂の十石三人扶持の侍、鳥居又七右衛門保繁の話。<br />　彼は、商人が幅をきかせ、金がすべての大坂で、商人の娘に惚れられ自分も好いているのに、この、金が全ての大坂に嫌気が指して、自分は武士だといって江戸に上り彰義隊に入る。<br />　しかし、こてんぱにやられ、逃げてくるが、結局この戦争も官軍も幕軍も戦争の軍資金は大坂商人から出ていたということを知り、孫悟空が天地を走り回ったつもりでも結局お釈迦様の手のひらを走り回ったのに過ぎなかったように武士だ武士だといって言っても結局大坂あきんどのたちの手の中で走り回っていたような気がした話である。<br />　今、国政選挙が近づく。<br />　立候補者がいろいろ、選挙戦を戦ったが結局大手企業の株主たちの手のひらを走り回っていたということにならないといいが、と老婆心も湧く。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-21T00:37:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『ローマの街角から』</title>
<description> 　塩野七生・著　『ローマの街角から』を読む。　２０００年１０月３０日発行　名前は目にしたことはあるが、初めて手にした。女性であった。　古代ローマ史に関する本を書く人で、にローマに住み、その間のコラムを集めたものである。　日本の歴史がすこし理解できる程度の私。　恥ずかしながら、知らないことだらけだ。　知らないながらも、少しずつ、知っていくと興味も湧いてきて、古代ローマに関する部分は、『広辞苑』を繰り
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<![CDATA[ 　塩野七生・著　『ローマの街角から』を読む。<br />　２０００年１０月３０日発行<br /><br />　名前は目にしたことはあるが、初めて手にした。女性であった。<br /><br />　古代ローマ史に関する本を書く人で、にローマに住み、その間のコラムを集めたものである。<br /><br />　日本の歴史がすこし理解できる程度の私。<br />　恥ずかしながら、知らないことだらけだ。<br />　知らないながらも、少しずつ、知っていくと興味も湧いてきて、古代ローマに関する部分は、<br />『広辞苑』を繰りながら、二度読みをする。<br />　勉強さながらの読書となった。<br /><br />　古代ローマについて、<br /><br />　≪宗教や哲学やその他のことでの人間性改善の試みなどはじめから捨て、民族のちがいも宗教や文化のちがいも認めた上で、それらを超えたところでの人間の共生を目的とした、法というものを創り実施したローマ人に魅かれるのである。≫<br /><br />　と、述べ、遠く、そして、古い古代ローマ史を世に発信するのである。<br /><br />　私は、古代ローマを知らない。<br />　ルネサンスがなんであったかもよく知らない。<br />　彼女はルネサンス時代のマキュアベリの心意気でローマを評価し、世の中を見ていくつもりらしい。<br />　その目で、遠くローマから、日本のことをあれこれ考えての「具体的な提言」には、目からうろこである。<br />　確かに、人間の改善を試みた、宗教も哲学も、啓蒙主義も共産主義も何一つ役に立たなかったかもしれない。いまや資本主義も、冷たい目で見られつつある。<br />いまいちど、私の中にルネサンスを考えてみるのはけして無駄ではないような気がする。<br />これから、国政選挙が始まろうというのに、この腐りかかった自国に、なんらこうしてほしいという具体案も浮かばないのももどかしい。<br />でもこんなときだ、思いついたひとつのことだけでも正直に自分の国政への提言を試みよう。<br />まず、「農地解放」にかわる「住居解放」といおうか「住宅解放」をやるべきではなかろうか。空き家は国が没収管理、住居の無い人に住まわせる。<br />この案は、おぼろげなものであったが、この著書の、「司馬遼太郎」を読んで、司馬遼太郎のことばと、塩野七生の解説を読んでいてはっきりした。<br /><br /><br /><br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-16T00:57:06+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』１</title>
<description> 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。　６　「饅頭伝来記」　小僧のときから養われた師匠に死なれて、中国にわたった僧侶が、帰国するとき連れて帰った小僧が、日本で饅頭を伝えたという話。　　中国に渡った、僧侶は中国で、お寺に捨てられていた男の子を手元において育てる。その、子どもが、成年に達したとき、誰も気づかない振りをしているが、女の人と通じてしまいおなかに子どもが出来てし
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<![CDATA[ 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。<br /><br />　６　「饅頭伝来記」<br /><br />　小僧のときから養われた師匠に死なれて、中国にわたった僧侶が、帰国するとき連れて帰った小僧が、日本で饅頭を伝えたという話。<br />　<br />　中国に渡った、僧侶は中国で、お寺に捨てられていた男の子を手元において育てる。<br />その、子どもが、成年に達したとき、誰も気づかない振りをしているが、女の人と通じてしまいおなかに子どもが出来てしまう。僧侶が征夷大将足利尊氏に請われて日本に帰るときその小僧をつれていく。<br />　自分の生きがいが見つけられないまま、僧侶に言えずに中国においてきた、恋人と、そのおなかの中にいた子供のことを思い出し、ざる一ぱいの饅頭を、近所の子どもたちをよろこばせようとしてつくて振舞うようになる。<br /><br />　司馬遼太郎の作品には知らないことばがいつもたくさん出てくる。尊氏の擁立した時の帝は、15歳でお茶が好き。そのお茶と一緒に出てくるものを<strong>点心（てんじん）</strong>と記している。<br />茶菓子のことであろう。専門家の間では<strong>天心</strong>というのかもしれない。<br />　あるとき、帝が、その<strong>点心</strong>が甘くて舌触りもよくおいしいので、これは何かと訪ね、饅頭であることを知る。「建仁寺に住む元の人で姓は林、名は浄因、町では大変な人気者と聞いております。毎日、ざる一ぱいの饅頭を作っては、近所の子どもたちをよろこばせていますとか・・・・・・」と聞かされる。<br />帝は、新居を作り、奈良に招く。<br />彼は、職人をやとい本格的に作り始める。<br />　もともと、浄因は、学問も優れず、意思もよわく坊主には向かなかった。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-12T08:06:22+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『冤罪の作り方』大分・女子短期大学生殺人事件</title>
<description> 　小林道雄・著　『冤罪の作り方』大分・女子短期大学生殺人事件　を読む。　子どもの頃からお化けよりも、なによりも怖いのが、国家権力による冤罪だと思っている。　この表題を前にして、怖いもの見たさで読み進む。　読んだ感想として、今日も何人かの人が逮捕されているが、ほんとうにこの人たちが罪を犯したのかどうかわからないと思うことである。　まして、判決が出たとしてもはたしてどうかわからないという思いに駆られる
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<![CDATA[ 　小林道雄・著　『冤罪の作り方』大分・女子短期大学生殺人事件　を読む。<br /><br />　子どもの頃からお化けよりも、なによりも怖いのが、国家権力による冤罪だと思っている。<br /><br />　この表題を前にして、怖いもの見たさで読み進む。<br /><br />　読んだ感想として、今日も何人かの人が逮捕されているが、ほんとうにこの人たちが罪を犯したのかどうかわからないと思うことである。<br /><br />　まして、判決が出たとしてもはたしてどうかわからないという思いに駆られる。<br /><br />　この書を読んでいくと、裁判員制度に疑問を持っていた私といても、やはり、司法が闇の中ではいけないのではないかという思いがする。<br /><br />　が、さらによく考えてみると、これも良いように利用される恐れがないかと検証してみなくてはいけない。<br /><br />　この、副題「大分・女子短大生殺人事件」では、あるいは、司法の中にＤＮＡ鑑定という、司法界以外の第三者による、科学的な検証が仲介すれば、より冤罪が減るのではないかという希望を持たせられたはずだ。しかし、逆にそれを逆手に冤罪が作り出されていく、まして拘束期間が検査のために何年間か余分に伸びるという結果になり１４年の歳月を経て、釈放になったのである。<br /><br />　先ほど、テレビで筑紫哲也が出て、足利事件のことを言っていた。足利事件のことは私はよくわからないが、息子はちょうど子どもがもう直ぐ生まれるという次期だったので、一生懸命経過を見ていたが、どうも冤罪ではないかとの気持ちを禁じえなかったといっている。<br />　<br />　足利事件でも、大分・女子短大生殺人事件にしても無罪にはなったが、真犯人がいるはずである。このことについては、釈放された人のほうがぜひ見つけ出して逮捕してほしいであろう。それが、せめてもの冤罪をかけられた人への国家が謝罪すべきことではないかという気がする。<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-10T04:34:08+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『メダカの花嫁学校』</title>
<description> 　阿川佐和子著・『メダカの花嫁学校』を読む。　１９９１年頃の作品。２０００年に文庫化。それから更に９年。　月日の流れるのは早い。　まあ、彼女のついこの前のことのような気持ちで読んでしまったが差し支えないのではないだろうか。　ただ、大きく違うのは、まだ、結婚願望があり、初々しい彼女の花嫁姿を期待できるかどうかというあたりが、違っているかもしれない。　　彼女のかわいい部分が出ている作品に、「殺し文句」
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<![CDATA[ 　阿川佐和子著・『メダカの花嫁学校』を読む。<br /><br />　１９９１年頃の作品。２０００年に文庫化。それから更に９年。<br /><br />　月日の流れるのは早い。<br /><br />　まあ、彼女のついこの前のことのような気持ちで読んでしまったが差し支えないのではないだろうか。<br />　ただ、大きく違うのは、まだ、結婚願望があり、初々しい彼女の花嫁姿を期待できるかどうかというあたりが、違っているかもしれない。<br />　<br />　彼女のかわいい部分が出ている作品に、「殺し文句」というのがある。<br /><br />　小学校の図書館でアルバイトをしていたときの体験談。<br /><br />　低学年が良く利用する部屋に、高学年の男の子が入っている。<br />　しかも、靴を脱がずにひざ歩きでチョコチョコ入ってきていたので注意すると、またひざ歩きでチョコチョコ出ていき、立ち上がったとき、いきなり長身になったので、「君、どうでもいいけど大きいねえ」とみあげていうと、彼は低い声で「女は小さいほうがかわいいよ」とつぶやいて去っていったという。<br />　彼女は頬がボーっと紅潮したという。<br /><br />　子どもたちと、毎日接していると、子どもであっても、人の気を引くことや、殺し文句でうならせる子どもに何年かに一度くらいの頻度で出会う。<br /><br />　これはもう先天的な才能としかいいようが無い。<br /><br />　終わりに壇ふみとの対話も載っていてそれもずいぶん面白い。<br />　<br />　この文庫本、ずいぶん読まれた形跡がありる。<br />　<br />　こうした、軽い感じの本も旅行の友や、夏バテのときにはいい。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-09T06:53:50+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』１</title>
<description> 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。　５　「長安の夕映え」父母恩重経ものがたり  長安が最も栄えていたころ、死んだ母親の供養のためにはるばる天竺からきたという80過ぎの乞食僧が、父母の恩重について、とくとくと語って、人々に感涙を誘わせるというものがたり。　内容は、　≪一切の善男子、善女人よ。父にｼ慈恩あり、母に悲恩あり。そのゆえは、人の世に生まるるは、宿業を因として、父母
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<![CDATA[ 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。<br /><br />　５　「長安の夕映え」父母恩重経ものがたり<br /><br />  長安が最も栄えていたころ、死んだ母親の供養のためにはるばる天竺からきたという80過ぎの乞食僧が、父母の恩重について、とくとくと語って、人々に感涙を誘わせるというものがたり。<br />　内容は、<br /><br />　≪一切の善男子、善女人よ。<br />父にｼ慈恩あり、母に悲恩あり。そのゆえは、人の世に生まるるは、宿業を因として、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育他図。・・・・」≫<br />　<br />　と、ほとんどがこの父母恩重経とか言うものの内容である。<br />　<br />　人間一度はこの話を読んで、そのことについて、考えてみることは大切だと思うが、実際には、父母に虐待を受けたり、理解が得られない子どももおおい中、つい教えられずに過ごしてしまう。<br />　こういったことをものがたりにしてさりげなく語っているところがなんともである。<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-08T03:58:17+09:00</dc:date>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』１</title>
<description> 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。　４　「流亡の伝道僧」  昭和１９年の冬、四平から新京へ行く汽車の中で、独りよがりの伝道僧を見かけた。　その伝道僧の話。　2回目に彼を見たのは、それから2ヶ月後。　蒙古人の牧草地帯。　自己紹介をしあい、名古屋訛りがあることがわかる。　3度目に会ったのは牡丹江駅の構外。　彼は、日本人が好きでなく、元軍籍があったが軍人が嫌いという。　その
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<![CDATA[ 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。<br /><br />　４　「流亡の伝道僧」<br /><br />  昭和１９年の冬、四平から新京へ行く汽車の中で、独りよがりの伝道僧を見かけた。<br />　その伝道僧の話。<br /><br />　2回目に彼を見たのは、それから2ヶ月後。<br />　蒙古人の牧草地帯。<br />　自己紹介をしあい、名古屋訛りがあることがわかる。<br /><br />　3度目に会ったのは牡丹江駅の構外。<br />　彼は、日本人が好きでなく、元軍籍があったが軍人が嫌いという。<br /><br />　その後、彼について、少佐で軍籍を返上して真宗の僧侶になり、新版熊谷次郎直実てところで独り　合点居士というあだ名があったということを聞く。<br />　そして、出家遁世の理由も聞く。<br />　銃殺を命じられた元牧師だったという一等兵が「私は、人として人を殺す権利を神から与えられていない」という言葉を言った。それを聴いたのに起因するとのこと。<br /><br />　そして、第一回の北方抑留者の引き揚げのとき、東満の国境監視班からシベリヤにまわされて帰ってきた人から、またまたこの僧侶と思える人の話を聞く。<br /><br />　トラックにいっぱいの人を乗せて撤退しているとき一人の男が闇の中から飛び出してきて、拳銃を突きつけて5人の病人を乗せてくれといったという。<br />　むりやり3人のせて、二人を残した。<br />　「病人と坊主ではいくらソ連兵でも殺しはすまいさ」と道路わきの家の中に入っていったということだ。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-06T10:47:28+09:00</dc:date>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』１</title>
<description> 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　の続きを読む。　３　「勝村権兵衛のこと」権兵衛は、十年の恨みを込めた女仇の新九郎を斬る。斬る直前、新九郎と逃げたれんは死んだと聞かされる。それを聞いたとき、何故かれんにたいする恨みはすっと消えた。斬った後、新九郎に対する恨みも消えた。罪の意識だけが深く残った。通りがかりの僧侶に教えられ以後念仏に生きるという話。これは、司馬遼太郎２８歳のと
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<![CDATA[ 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　の続きを読む。<br /><br />　３　「勝村権兵衛のこと」<br />権兵衛は、十年の恨みを込めた女仇の新九郎を斬る。<br />斬る直前、新九郎と逃げた<strong>れん</strong>は死んだと聞かされる。<br />それを聞いたとき、何故か<strong>れん</strong>にたいする恨みはすっと消えた。<br />斬った後、新九郎に対する恨みも消えた。<br />罪の意識だけが深く残った。<br />通りがかりの僧侶に教えられ以後念仏に生きるという話。<br /><br />これは、司馬遼太郎２８歳のときの作品。<br />先に読んだ、『最後の将軍』は彼の晩年の作品であるが、文章の息遣いというものは似ていて、そう変わるものではないということを感じた。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-08-05T07:00:44+09:00</dc:date>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』１</title>
<description> 司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。 　２　 「「国宝」学者死す」  この短編集２作目は、１作目の「わが生涯は夜光貝の光と共に」同様、昭和２５年、司馬遼太郎が２７歳、大阪新聞記者をしていて、筆者名が福田定一のときの作品だ。　この時期の、彼の愛すべき人間像ともいうべきものを描いているような気がする。　　武平という人は大の魚好き。そして豆腐があればいいという人。  臆病者で運動
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<![CDATA[   司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』１　１９５０～５７　を読む。<br /><br /> 　２　 「「国宝」学者死す」<br /><br />  この短編集２作目は、１作目の「わが生涯は夜光貝の光と共に」同様、昭和２５年、司馬遼太郎が２７歳、大阪新聞記者をしていて、筆者名が福田定一のときの作品だ。<br />　この時期の、彼の愛すべき人間像ともいうべきものを描いているような気がする。<br />　<br />　武平という人は大の魚好き。そして豆腐があればいいという人。<br />  臆病者で運動神経が鈍い。<br />  M大学で魚の研究をしているが、学歴が無いためまったく出世できず食うや食わずの生活であるが、一生懸命研究をしてその研究内容たるや「国宝」級であった。<br />  終戦になって、ますます食うや食わずのため研究もままならない。<br />  戦時中の見つけた白波堆を調査して、県の新漁場を開拓しようと計画をたて実施するが船が難破して助けられる前日死んでしまうという話。<br /> ]]>
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<title>『司馬遼太郎短編全集』１</title>
<description> 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』1  １９５０～５７　を読む。 １　 「わが生涯は夜光貝の光と共に」  螺鈿の職人の蒼洋という人の話。  画家で月&amp;#25768;の弟子であった蒼洋は、寺町の四条を下ったところの古道具屋で見た漆の経箱のふたの美しさに目を留める。  古道具屋の主人に「それは、光琳作の螺鈿というものだ。今じゃそんなものをやれる人はいなくなったが、と教えられ、私はどうという理屈なしに一生の方向をは
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<![CDATA[ 　司馬遼太郎・著　『司馬遼太郎短編全集』1  １９５０～５７　を読む。<br /><br /> １　 「わが生涯は夜光貝の光と共に」<br /><br />  螺鈿の職人の蒼洋という人の話。<br />  画家で月&#25768;の弟子であった蒼洋は、寺町の四条を下ったところの古道具屋で見た漆の経箱のふたの美しさに目を留める。<br />  古道具屋の主人に「それは、光琳作の螺鈿というものだ。今じゃそんなものをやれる人はいなくなったが、と教えられ、私はどうという理屈なしに一生の方向をはっきりと決めたのです。」と、師匠のもとをさり螺鈿の研究に没頭する。<br />　大正天皇即位のさい、彼は見出されて古式に則った「高御蔵」の制作にあたった。できばえの秀麗さのため昭和天皇のときにも用いられた。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-27T21:09:51+09:00</dc:date>
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<title>『最後の将軍』</title>
<description> 司馬遼太郎・著　『最後の将軍』　を読む。最後の将軍慶喜は、御三家のひとつである水戸家に１４男として生まれる。水戸家は藩の尾張・紀州より石高も少なく中納言。しかし、参勤交代の義務が無く、江戸藩邸に常住する特権が与えられていた。そのことが江戸市民をして副将軍と言わしめた。　　父親は豪胆で名の通った斎昭、母親は将軍家慶の正室の妹である有栖川宮家の王女美貌と聡明で定評のある登美宮吉子。１１歳のとき御三卿の
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<![CDATA[   司馬遼太郎・著　『最後の将軍』　を読む。<br /><br />最後の将軍慶喜は、御三家のひとつである水戸家に１４男として生まれる。<br />水戸家は藩の尾張・紀州より石高も少なく中納言。<br />しかし、参勤交代の義務が無く、江戸藩邸に常住する特権が与えられていた。<br />そのことが江戸市民をして副将軍と言わしめた。　<br />　<br />父親は豪胆で名の通った斎昭、母親は将軍家慶の正室の妹である有栖川宮家の王女美貌と聡明で定評のある登美宮吉子。<br /><br />１１歳のとき御三卿のひとつ一橋家に養子に入る。<br /><br />司馬遼太郎はこの頃の慶喜の気性を<br /><br />　≪慶喜はいわば百才を持って生まれたが、唯一つ、男として欠落している資質があった。それは、物事に野望を感じられぬということであった。慶喜自身、世子や将軍になりたいと思ったことが一瞬も無い。≫<br /><br />また彼の思いを<br /><br />　≪慶喜は、思った。朝野の憂国者たちは、慶喜を世子に立て、将軍名代という資格の元に日本の総指揮者たらしめようとしている。が、慶喜自身は望まない。早熟なこの男は、この点で人の老成期のような韜晦逃避の心がある。≫<br /><br />慶応２年７月２０日、将軍家茂が死んだが、次期将軍が決まっていないためその死は極秘にされていた。次期将軍を決めるにあたって、幕臣は彼を説き伏せるのに困難を極めた。<br />やっと、<br /><br />　≪「将軍職は継がぬが、徳川宗家は継ぐ。」・・・徳川宗家は私的な存在である。例え徳川幕府が滅びようとも、家系は別であり、先祖の祭祀をするために継がねばならぬ。これは私的な事項に属する。将軍職は公的なものである。切りはなして考えたい、というひどく分析性に富んだ論理を駆使していた。≫<br /><br />徳川宗家が、宗家の跡目だけを継ぐということが、朝廷への事務手続きに過去なかったことなので、幕臣も当惑したが、慶喜はまるで百年も役人家業を務めていたかのようにものに慣れた調子でそのやり方を教えた、という。<br /><br />慶喜はこの年の１２月５日、十五代将軍になった。<br />征夷大将軍、正二位、現大納言兼右近衛大将源氏の氏の氏の長者、両院の別当。<br />家茂が死んでから１５０余日、この将軍空位期に幕府の運命は尽きようとしていた。<br />この２０数日あと、佐幕派の孝明帝が病死した。<br /><br />慶応３年１０月１５日大政奉還の意思が朝廷から許容された。<br />１２月９日王政復古の大号令が渙発される。<br />慶応３年１２月１２日からの都落ち<br />明治元年２月１２日、江戸城を出て上野寛永寺大慈で謹慎。<br />４月１１日、勝海舟をして江戸城を明け渡しめ、官軍が入場する朝、謹慎地の水戸へむかうべく江戸をたつ。<br />明治２年９月謹慎を解かれ、その前後徳川の新封地静岡に移る。<br />時に３３歳。<br />その後、趣味の世界に生きる。<br />大弓、鉄砲猟、放鷹、宝生流の謡曲・写真・油絵（とくに絵は好きで、画材まで自分で作ったりした）新聞を読んだり、維新の頃の本を読んだり、刺繍をしたりした。<br />明治３５年、徳川宗家家達とは別に一家を立てるべく内勅があり、華族に列せられ、公爵を授けられる。<br /><br />　≪明治４３年、無政府主義者幸徳秋水がその同士１１人とともに天皇暗殺を謀議した疑いで逮捕されたとき、慶喜は天皇とその制度もいずれは自分や徳川家とおなじうんめいになるものとおもい、子女を呼び、<br />「これからの世に生きるには、女といえども手に職をつけたほうがいい」<br />と、訓戒した。慶喜が自分の子女を訓戒したのは、あとにもさきにもこのときがただ一度きりであった。≫<br /><br />　大正２年１１月２１日午前４時１０分息を引き取る。<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-26T15:52:50+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『きょうから日記を書いてみよう』１</title>
<description> 　向後千春・著　『きょうから日記を書いてみよう』　を読む。２０日・海の日　区民図書館から本をお返しくださいと催促の電話があった。「すみません。ところで今日は図書館、開いているんですか？」とさっそく大雨警報が出てドシャ降りの中を図書館へ、なんと駐車場がいっぱい、やっと奥のほうを見つけて駐車し、図書館へ駆け込むと、すごい人、こんなに図書館に人がおおいのは初めて、でも、さすがと図書館だけあって静か。　こ
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<![CDATA[ 　向後千春・著　『きょうから日記を書いてみよう』　を読む。<br /><br />２０日・海の日　区民図書館から本をお返しくださいと催促の電話があった。<br />「すみません。ところで今日は図書館、開いているんですか？」<br />とさっそく大雨警報が出てドシャ降りの中を図書館へ、なんと駐車場がいっぱい、やっと奥のほうを見つけて駐車し、図書館へ駆け込むと、すごい人、こんなに図書館に人がおおいのは初めて、でも、さすがと図書館だけあって静か。<br />　この人たちは、北海道の山で遭難がなければみんな雨をおして山に登っていますよみたいな人かもしれない。<br />　仕方なく、人があまりいない子どものコーナーに行ってみる。<br />　『きょうから日記を書いてみよう』　という本が３巻ある。<br />　最近志村さんのブログで自分の過去の日記を読んでの記事が続いていたことから、日本人では、子どものときから日記をかくことを義務付けた家庭があったのではないかと思い始め、日記についていろいろ思いをめぐらしていたときだったので、３巻のうち１巻を借りてきた。<br />　子供向けのことばづかいで、おおきく、二色刷りで、わかりやすく書いてある。<br /><br />　日本の古典から、『土佐日記』・『かげろう日記』・『和泉式部日記』・『紫式部日記』・『更級日記』、そして、世界一有名な少女『アンネの日記』について、説明されている。それぞれに「おまけのはなし」もついていてたのしい。<br />　<br />『紫式部日記』に、<br /><br />　≪私はこの先どうなるのだろうと心ぼそくなるばかりだ≫<br /><br />　この文章が一番私にでも書けそうかなと思うと、ちょっと紫式部気取りではあるが情けないきもする。<br />　そして初めて知ったことは、、気持ちを天候や、自然の現象から書いていくところが日記の日付の次に天気を入れる習慣になったというということ。外国ではほとんどないということだ。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-23T22:18:46+09:00</dc:date>
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<title>『愛・軽井沢』</title>
<description> 清水一行著　『愛･軽井沢。』　を読む。　久しぶりに一挙に読み進む本に出会った。　３連休が幸いした。　何箇所か「えっ！」と思う漢字・言葉に出会う。印刷ミスか私の知らない表現なのかわからない。　気ままな独身男性が、世界の華とうたわれる日没の美しいスペインのアルハンブラにただ夕日を見るために行くというというところから話は始まる。読み終えてみると純粋で真面目な恋愛小説であった。　３２歳の男と２０歳の女性、
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<![CDATA[ 清水一行著　『愛･軽井沢。』　を読む。<br /><br />　久しぶりに一挙に読み進む本に出会った。<br /><br />　３連休が幸いした。<br /><br />　何箇所か「えっ！」と思う漢字・言葉に出会う。印刷ミスか私の知らない表現なのかわからない。<br /><br />　気ままな独身男性が、世界の華とうたわれる日没の美しいスペインのアルハンブラにただ夕日を見るために行くというというところから話は始まる。読み終えてみると純粋で真面目な恋愛小説であった。<br /><br />　３２歳の男と２０歳の女性、青春の男女間のもろもろが終わろうという年齢の男性と、今からそのもろもろが始まろうという２０歳の女性の、恋愛感情の折り合いをどうつけていくのかということについて考えさせられる。<br />　純粋な恋愛。純粋な愛というと宗教にいう愛と比較する文学が私たちの青年期にはよくあったと思うがそれの現代版というか、回教とキリスト教が二人の間の愛についての基調になる。<br />　回教が、持ち出すのは、戒律の自己犠牲と、戒律の報酬というテーマである。この概念について考えたことが無かっただけに、そうか、人間には自己犠牲を何らかの形で強いられると必ず報酬を求める心が芽生えるということか。<br /><br />　≪だが、現代の日本人、たとえば秋川には、信ずべきコーランも無ければ、行動を縛り上げる戒律も無い。ただあるのは、自由社会という名のぬるま湯的な状況であり、その中にどっぷり首まで浸かりきった、現実の姿でしかなかった。≫<br /><br />　また、キリスト教が持ち出す愛を信じるということ。<br />　それによって、ふたりの愛には<br /><br />　≪結里に対してだけは、どんな局面でも遼子のときのような感情にはならない自己規制の歯止めが、まったく苦痛ではないということだった。≫<br /><br />　というような形の愛がなりたつ。<br /><br />　よって、久しぶりに出会う純愛小説。<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-22T06:27:15+09:00</dc:date>
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<title>『異境』（６）</title>
<description> 　　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。　　「引退」　やはり、シンガポールで長年仕事をしてきた人の話である。　シンガポール建国の翌年から勤務しその国家の成長に大きく関与する仕事をしてきた。　東京勤務に戻って、　まさに引退になる頃、大学に勤務する息子が、シンガポールの教授と交換教授として一年と少しをシンガポールで過ごすことになる。　息子の嫁と長男が一緒に行くということで、その生活をサポートするために嫁
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<![CDATA[ 　　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。<br /><br />　　「引退」<br />　やはり、シンガポールで長年仕事をしてきた人の話である。<br /><br />　シンガポール建国の翌年から勤務しその国家の成長に大きく関与する仕事をしてきた。<br />　東京勤務に戻って、　まさに引退になる頃、大学に勤務する息子が、シンガポールの教授と交換教授として一年と少しをシンガポールで過ごすことになる。<br />　息子の嫁と長男が一緒に行くということで、その生活をサポートするために嫁が一緒に来てくれという。早めに退職していくことにするが、会社のほうで出張扱いにしてくれる。<br />　長年支店長として、シンガポールの人たちとはレベルの違う生活をしていたが、この度は、一般庶民として過ごすことで別の見方が出来ている。<br /><br />この『異境』最後の作品。<br />この『異郷』の中には６つの作品が収められてあり、ほとんど似たような話である。<br />しかし、読み進むに連れて異郷で仕事をしながら暮らすということの感じが少しずつ伝わってくる。<br />働ける年代が、すっぽり外国での生活ということになると、日本でに日常の変化に共感しないまま老後を送ることになる。<br />そこで、暮らした国で老後を送るか日本で老後を送るかということまで考えてしまうようにもなる。<br />家族の問題、性の問題、文化の問題、いろいろな問題が、リアルに迫ってくるようだ。<br /><br />　三浦朱門のあとがきに、シンガポールなど東南アジアに戦中いろいろな思いをしていることがつづられている。迷惑をかけたこの国々の人に対する思いと、そこで命を失った友人たちへの思いである。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-21T07:48:14+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『異境』（５）</title>
<description> 　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。　「異境」　丈夫はシンガポールで２０数年仕事をしていたが、帰国し本社の参事役という新しく出来た役職になる。　上の役がつかえているためできた役職である。　実質東南アジアの国々の全体を横糸式に見る仕事である。　仕事のいきさつ上、上司の言いつけで、上司と一緒に、現地確認のためにもう一度、現地にいるとき関係を持った部下の奥さんに案内をしてもらうことになる。　これら『異境
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<![CDATA[ 　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。<br /><br />　「異境」<br /><br />　丈夫はシンガポールで２０数年仕事をしていたが、帰国し本社の参事役という新しく出来た役職になる。<br />　上の役がつかえているためできた役職である。<br /><br />　実質東南アジアの国々の全体を横糸式に見る仕事である。<br />　仕事のいきさつ上、上司の言いつけで、上司と一緒に、現地確認のためにもう一度、現地にいるとき関係を持った部下の奥さんに案内をしてもらうことになる。<br /><br />　これら『異境』の作品群は仕事の内容の記述が多い。その間隙を縫って、必ず道ならぬ女性との関係が出てくる。<br />　そのことが、あまりにもリアルに同感できる。<br /><br /><br /> ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-07-20T12:29:11+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『異境』（４）</title>
<description> 　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。　「我が家」　文也はシンガポールで２０年、製薬会社の社員として働いた。　いろんな国がそれぞれに近代化していく時代、２０年の間には、任地国の国力も変わってくる。　消費者に商品を啓蒙する時代から、その国内の同じレベルに達した製薬会社と競争する時代まで。　任地国が、輸入に関して、あるいは国内での生産のための外資をどこまで法規制で許していくのかなど、発展状態によって、さ
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<![CDATA[ 　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。<br /><br />　「我が家」<br /><br />　文也はシンガポールで２０年、製薬会社の社員として働いた。<br /><br />　いろんな国がそれぞれに近代化していく時代、２０年の間には、任地国の国力も変わってくる。<br />　消費者に商品を啓蒙する時代から、その国内の同じレベルに達した製薬会社と競争する時代まで。<br />　任地国が、輸入に関して、あるいは国内での生産のための外資をどこまで法規制で許していくのかなど、発展状態によって、さまざまな課題がある。<br /><br />　振り返って彼は思う。<br /><br />　≪ビルの壁面に一字あたり、十坪ほどあるかと思われる大きな文字で鑽石大厦というビルの名を書いてある。そのことを言うと、今では背広の上衣で太鼓腹を包んでいるユーは、<br />「わしは、昔と同じで字が読めないからな、あれだけ大きく書かないと、どれがわしのビルかわからんのだよ」と、いかにも大事業家らしく、腹をゆすって笑う。文也は彼を見ていると、自分のシンガポールにおける２０年が、果たして何であったかはよくわからないながら、ユーという、一人の成金を作ったことだけはたしかだ、と思うのだった。≫<br /><br />　そして、現地に体がなじめず、日本で家族を守って留守をしている妻に言う。<br /><br />　≪「病みほうけて帰るは我が家か」≫<br />と。<br /><br />異国で、その国の経済発展とともに歩んだ２０年。<br />帰国後、そこを離れて送る老後が、生まれた国とはいえ違う空間であることの虚しさが伝わってくる。<br /><br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-19T07:14:53+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『異境』（３）</title>
<description> 　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。　　「カンナ」　北ボルネオ島で勤務していた周司が東京に帰る日のことから話が始まる。　そして、東京に帰ることに不平を唱える現地の愛人とのいきさつ。　帰国した東京での会議で、周司はうまくいっていない現地事業の報告をしなくてはならず、そのためおそらく日本に戻されるであろうとの暗い気持ちを抱えている。　ところが、現地に連れて来ていた妻の良子が、（召使に囲まれた生活の中で
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<![CDATA[ 　三浦朱門著　『異境』の続きを読む。<br /><br />　　「カンナ」<br /><br />　北ボルネオ島で勤務していた周司が東京に帰る日のことから話が始まる。<br />　そして、東京に帰ることに不平を唱える現地の愛人とのいきさつ。<br />　帰国した東京での会議で、周司はうまくいっていない現地事業の報告をしなくてはならず、そのためおそらく日本に戻されるであろうとの暗い気持ちを抱えている。<br />　ところが、現地に連れて来ていた妻の良子が、（召使に囲まれた生活の中で欲望に歯止めのきかなくなりそうな様子に危険を感じて息子の学齢に達することを理由に日本に返していた）周司の上司との間に関係が出来ていたので現地事業の不調にもかかわらず現地に帰してくれる。<br />めでたしめでたしの話。<br /><br />　これらの話は、ひところ前の自分にとっては本当に「異郷の人たちの話」と聞き流すところであるが、最近身近な人の中に夫が異郷で何年も仕事をしているというはなしをよく聞くので、そういった人たちの人生にもこのように、現地に溶け込んで仕事をすることのいろんな思いを考えないではいられない気がする。<br /> ]]>
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<dc:date>2009-07-18T10:58:02+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
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<title>『異境』（２）</title>
<description> 　三浦朱門著　『異境』　の続きを読む。　「午後の死」　戸田はふと、何年か先の自分にも、上野のように自殺するときがくるのではないかという気がした。子どもと妻のために自分は日本を捨てた。それなのに、子どもが母親、というより英語文化にしか親近感を見出さなくなれば、戸田は孤独になる。　空港で知り合った男に「しかし、明日、私のことが新聞に出るはずです。半分、英語、半分マラヤ語の新聞ですが。その記事を切り抜い
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<![CDATA[ 　三浦朱門著　『異境』　の続きを読む。<br /><br />　「午後の死」<br /><br />　戸田はふと、何年か先の自分にも、上野のように自殺するときがくるのではないかという気がした。子どもと妻のために自分は日本を捨てた。それなのに、子どもが母親、というより英語文化にしか親近感を見出さなくなれば、戸田は孤独になる。<br /><br />　空港で知り合った男に<br />「しかし、明日、私のことが新聞に出るはずです。半分、英語、半分マラヤ語の新聞ですが。その記事を切り抜いて、女房に送ってやってほしいのです。」と頼まれるが、その午後　そのその男が自殺を図る。<br /><br />　異境で知り合い結婚したことで、愛し合っていても、お互いが心から安らげないのではないのかと、自分から身を引こうとする男達の話。 ]]>
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<dc:subject>未分類</dc:subject>
<dc:date>2009-07-15T11:27:15+09:00</dc:date>
<dc:creator>深山あかね</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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