「妄想」
2017/10/17(Tue)

 森鴎外著、集英社の日本文学全集4森鴎外集から「妄想」を読みました。
 森鴎外を読むのは、ほんとうに年十年ぶりです。
 司馬遼太郎の『坂の上の雲』で、日露戦争時、兵隊が多く脚気で亡くなったとき、海軍は食事を改善しましたが、陸軍は軍医の森鴎外が改善を認めなかったためにさらに脚気で多くの兵隊が命を失ったことが記されてあり、何となく彼の作品から遠ざかっていたのでした。
 しかしこのたび、ハーンの会で、風呂先生が参考文献として挙げられていたので、「舞姫」につづいて、この「妄想」を読みました。
 ≪・・・・。そんなふうに、人の改良しようとしている、あらゆる方面に向かって、自分は本の木阿弥説を唱えた。そして保守党の仲間に逐い込まれた。洋行帰りの保守主義者は、後には別な動機で流行りだしたが、元祖は自分であったかもしれない≫
と西欧に真似て日本をあれこれ改良しようという意見に対して異を唱え、保守主義だと思われる部分が、いま、みなで学習しているハーンの「ある保守主義者」の参考資料となる部分です。雨森信成以外にも、明治の時代、夢を抱いて渡欧して、行った先の西欧に落胆して、逆に日本の良さがわかり保守主義になった人が数あったことの今一つの例を確認できます。

 何年かぶりに鴎外の作品を読んで、ここに告白されている彼の人生観に出合い共感でき、改めて読んでよかったと思えました。
 ≪自分はこのままで人生の下り坂を下って行く。そしてその下り果てた所が死だということを知っている。しかしその死はこわくはない。≫と述べているところ、また、
 ≪・・・その代わりに哲学や文学の書物を買うことにした。それを時間の得られる限り読んだのである。・・・・昔世にもてはやされていた人、今世にもてはやされている人は、どんなことを言っているのかと、たとえば道を行く人の顔を辻に立って冷澹に見るように見たのである。冷澹には見ていたが、自分は辻に立っていて、たびたび帽を脱いだ。昔の人にも今の人にも、敬意を表すべき人が大勢あったのである。帽は脱いだが、辻を離れてどの人かのあとに附いていこうとは思わなかった。多くの師には逢ったが、一人の主には逢わなかったのである。≫
 西欧の哲学者が著作で、死を恐れないのは野蛮人だと述べているのに対して、森鴎外の心境がこのように語られていくのですが、「そうです。そうです。それが今の私たちの心境です。」と、まさしく今、私をはじめ、日本中に多数を占める高齢者の中の読書好きの人たちの思いを的確に代弁していると思えたことです。
 秋の夜長、大正時代の50歳の高齢者と、現代の私たち高齢者が共感できることに人生の深まりを感じています。

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第206回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2017/10/15(Sun)
 10月14日(土)、第206回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に夫と二人で参加いたしました。
 楽しみなハーンの会なのに、なんだかぜんぜん訳のわからない古文書にはまっていた1か月でどうしましょう。
 直前、ハーンの会の予習にこともあろうに、風呂先生の9月の『すみよし』への寄稿文を読むというあわてぶりです。
 最近世間を賑せているヒアリについても書かれてあります。末っ子でどうせ生まれたところから出ていく私ではありましたが、子どものころから、四里四方内でとれた用材で建てられた家に住み、その内で収穫された食べ物を食べることが一番といつの間にか思うようになり、害を及ぼす外来種については、ここではその天敵もその毒を消す植物などもないことから、里におかえり願いたいというのが私の偽らざる思いです。
 ヒアリから話は蟻に、「蟻」という漢字について、難しいながら「かどめ正しい」虫と説明してくださっています。これも私事ですが、漢字の中では義のなかの羊という字を一番大切な字だと思っています。理由はさておき、以前いた職場では子どもたちに、「食べ物の中で一番おいしいのは勿論羊羹よ。だって羊羹という漢字の中には羊という字が3つも使ってあるでしょう・・・。」と説明していました。「羊」と「我」についてはまた研究の余地がありそうです。
 ハーンの会では、1年ぶりに五十嵐先生が少しお痩せになられたものの元気になって参加され皆ほっと喜び合いました。
 「小泉八雲来焼120周年・焼津小泉八雲記念館10周年記念講演とシンポジュウム」へ、風呂先生、三島さん、古川さん、浮田さんの4人が参加され、その報告を浮田さんが発表してくださいました。
 第二部のシンポジウム「地域資源としての文学~小泉八雲による地域づくり~」、最近大学では、地域資源を掘り起こして観光資源にして、とにかく研究費を稼ぎ出せとかならず、あらゆるものを地域資源とすることが叫ばれているようです。
 漱石山房にあつまる高等遊民の時代が遠く感じられます。
 私だと、小泉八雲は大のタバコ好き。八雲の泳ぐ姿が海の沖遠くなってもタバコの火が消えなかったことを乙吉が証言しているのをどこかで読んだ気がします。タバコの形をしたキャンデイを作って、何時間なめていられるかとか、JTと共同して「タバコの火を何メートル消さないで泳げるか大会」の開催などが提案できそうです。

 勿論、「ある保守主義者」Ⅱ~Ⅲの途中まで、風呂先生の熱のこもった解説で、充分勉強させていただきました。
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旭山登山
2017/10/12(Thu)
 10月11日、かず子さんとけい子さん3人で白木の旭山に登りました。
 この3人での山登りは、私が39個の「あさきた里山マスターズ」認定対象の山をすべて登り終え、かず子さんとけい子さんの二人がそれにならって挑戦を始めて12個目の山です。
 年初めにかず子さんが階段で足を痛めて登れなくなり、さらに、けい子さんの娘さんが病気になったりでなかなか次へ登れなかったのですが、やっと日程が決まったので、私はチューピークラブの登山をキャンセルしての登山になりました。
 二人にとっては、全くの久しぶり登山ですので、簡単に登れて、道に迷うこともない旭山に決め、二人にも気楽に登れる山だから、と前置きしておいたせいか、二人とも忘れ物があったりして、9時20分ころに我が家を3人で出発しました。
いつも誰かに乗せてもらって行っているのですが、自分で運転していくとなると・・・。
 三篠川をさかのぼり、JR志和口駅の手前を左に折れて、さらに今では廃校になった白木高校の校門前に車を置き、向かい合っている高南小学校の周りをぐるりと回って高南小学校の裏から登り始めました。
 シダや笹を踏み分けて登るので蛇に出合うのではないかと心配してみんなでスパッツを装着して行ったのですが、蛇が体を温める道幅もなく幸い行きは蛇には出合いませんでした。
 以前、この山に登ったときはなかった倒木が多く、またいだりくぐったり、考えてみると、先日の暴風雨の後、裏山の福王寺でもみんなで倒木を始末するのにくたくたになったのでした。
 途中、下から上がってくる道があり、ここにも登山道があるんだね、といって、そのまま頂上にたどり着いてみると、「あさきた里山マスターズ」認定のしるしになるプレートがありません。以前にもほかの山でも風か何かで少し離れたところに落ちていたこともあったので、あたりを探してみましたがありません。そうこうしていると、かず子さんが、思い切ってもと来た道に降りてみようというので降りて、もう一つの登山道だと思ったところを降りてゆくと、だんだん登りになっていて、とにかくその道をあがっていくと、頂上にたどり着きました。
 それまでは、ところどころで、自分たちが車で走ってきた側の村がみえていたのですが、頂上では反対側の村が見えます。お弁当を食べて「あさきた里山マスターズ」認定のプレートの前で証明写真を撮り、こんもりとよく育って美しい苔をめでて下山しました。1時5分でした。
 そのあと、久しぶりに3人が隠れ家にしている家に行くと、長雨だったせいか思っていた以上に家中がカビでした。テーブルと、椅子だけ拭いて、コーヒーを飲みおやつを食べて休もうとした途端、それまで、しんどがっていたかず子さんは、たちまち掃除機をかけはじめ、私たちも、拭き掃除をしました。この家は、3人の誰の家よりも大きい家ですが、1・2階トイレとも、すべて掃除機がけと雑巾がけを済ませました。けい子さんと私は翌日1時間くらい時間が合いそうなので、水拭きした家の窓を開けて風を通しにまた来ることにして家を後にしました。
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琴引山登山
2017/09/24(Sun)
 9月23日、夫と二人で島根県飯南町の琴引山に登りました。
 調べていて、この9月23日は、琴引山山頂でお祭りがあるということを知り、お祭りの日であれば、二人で登っても熊に出合う心配はないのではないかという思いで、この日の登山を夫が計画してくれたのでした。
 肺が弱く、病気がちの夫は、二人だけなら、自分のペースで、途中無理になったとき、いつでも計画を中止することができるのでリハビリを兼ねての計画です。
 朝、6時30分に家を出発。54号線をひたすら走って、琴引フォレストパークスキー場に到着。駐車場で見かけた登山者の方に登山口を聞いて、出発しました。
 私はこの琴引山についての神話を何一つ知らずに上り始めたのですが、夫が道々話してくれるので、だんだんに、これは神聖な山だと気づいていくのでした。少し登ったところにそれを表示する案内板があります。
 途中、6人くらいの人が追い抜いて行かれます。何しろ急こう配なのでゆっくりゆっくり登りました。頂上に近づくと今度は下山者と出会います。駐車場で親切に教えてくださった方も下山してこられ夫を励ましてくださいます。
 頂上の方から、お祭りの太鼓の音が聞こえてきます。50メーターも登れば頂上という所に巨岩があり、その根元にブルーシートが広く敷かれていて、皆さんお弁当を食べて休憩をしておられます。行き着くとすぐ、観光協会の方々から思いがけず美味しい豚汁をふるまっていただきました。
 岩を回るように石の階段を上っていくとちっちゃな社務所のようなものが建っており、その前から見上げると、巨岩の裏側にもう一つの巨岩との間に急こう配の石の階段がありそこに大勢の人が所狭しと詰めかけておられるのと、その上に間口一間くらいの神社の立派な屋根のてっぺんが見えます。これが琴弾神社のようです。この日は9人の子どもさんの健康への祈願が申し込まれていて、その祈願の太鼓の音が聞こえていたのでした。若い新聞記者の方が階段をはさんだ二つの巨岩が意味するものについて耳打ちしてくださいました。つい最近古文書にのめり込んでいる私は、近世の「物成を下方にては御免米という」という古文書の文面の御免米について読み解こうと、「免」という文字を漢和辞典で調べると、先ずこの文字はお産をイメージする解説があり、女へんがついて分娩ともいうようにお産のことですとありました。ついでに、許すという意味があり、取れ高は従来すべて領主のものなのに、半分は免除されるということで差出す側からは御免なさいという意味で御免米といわせたことを理解したことを話しました。この若い新聞記者の男性はこれは新しく学んだことですと、びっくりするほど丁寧に挨拶されて、ついこの琴弾神社の石段の下から見た情景が「免」の文字にぴったりだったのでこんなことをおしゃべりしたことに面はゆい思いをいたしました。
 階段を下りて回り込む道を頂上に登ると、見晴らしのいい頂上に二人の観光協会の方がおられ、御一人の方が頂上におかれた可愛い観光協会のキャラクターの石造りの猫の置物を作られた石材店の方だということがわかり、私は幸い猫とその製作者に加わっていただいての登頂記念の写真を撮っていただくことができました。(この写真は夫のブログに近々掲載するとのことです)
下山路は、大国主命の御琴があったという岩屋を見るために真北へ向けての道を降りていきました。途中で偶然チューピー登山クラブの方々が登ってこられるのに出会い、下山道の情報が得られたのはラキーでした。お蔭で岩屋を充分見学できたり、日暮れまでに駐車場に到着できたのは感謝でした。安全運転もできて5時48分、我が家に無事到着できました。

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一兵山家山・中野冠山縦走登山
2017/09/21(Thu)
 9月20日、裏山散歩の仲間に一兵山家山・中野冠山縦走登山に連れて行っていただきました。
 19・20・22日のうちのいずれかということでしたので、19日・21日と交通安全協会の行事が入っていたりして、ぎりぎりまで、参加が危ぶまれたのですが、その日程ではなかったので、参加させていただくことができました。
 参加者は12人でした。
 いつものように水野さん・生田さん・羽柴さんが車を出してくださり、私はほかの2人と羽柴さんの車に乗せていただいて出発です。
 豊平から広域農道を経由して、芸北町の一兵山家山登山口の来尾峠駐車場に到着しました。一兵山家山登山口は島根県と広島県の県境です。
 下山するところがサイオト集会所のすぐ近くですので、一台の車をサイオト集会所の駐車場に置きに行かれました。その間柔軟体操など登る準備をして、みんな揃うとゆっくり登り始めました。
 直前の本郷での登山の時に、先頭についていく方が楽なのではないかと思っていましたので、先頭に続いて登り始めました。先頭は水野さんでした。
 山道には登山口から、ずっと県道の杭がところどころに打ち込まれています。その県境は、最初の目的地一兵山家山山頂から、縦走した野上山山頂、ノベリ山山頂・ヤオノ谷峠・中野冠山山頂までずっと続いていました。そして、県境である参道には柘植の木がずっと植えられているように思えます。そして、その山道が塁のように思えるところがほとんどで、この塁は、いったい何のためだろうといろいろ連想しながら歩きました。
 道にはときに熊の糞があり、笹がけっこう高くぎっしり生い茂っており、見通しが悪いので、笛を吹いたりして熊対策をしました。
 道々、マムシに出合いました。つづいてもう一匹、また一匹と連続3匹に出合いました。水野さんはザックからスパッツを取り出して装着されました。
 そのあと、まだ小さいうす赤い色の蛇に出合いました。その蛇は水野さんに向かってくる構えでなかなか動きません。その次には黄色いスジの入った大きく長い蛇に出合いました。これは、水野さんが知らずに尻尾を踏んづけたと言われました。とうとう一兵山家山頂までに私と水野さんは5匹出合ったということになりました。あと3匹出合えば八岐大蛇だなどと言って笑いあいました。それから中野冠山山頂まで延々と歩きます。
 昨年このコースを登っておられる方々が、昼食をどこにするか話し合われ、少し遅い昼食になりました。私は、前回うなぎ丼弁当を作って行ったのがおいしくて元気が出たので、またうなぎ丼弁当にして、あとは梨とブドウだけにしてこれが残すこともなく正解でした。お腹もすいていたので本当においしくいただきました。あといただいたチョコレートをひとつ途中で食べました。
 中野冠山山頂はのびのびしたみどりの広場になっておりの展望は曇って靄がかかっていたにもかかわらず足下の村がきれいに見えました。
 下山して車に乗り込むやバケツをひっくり返したような大雨になり、タイミングがよかったねと話しました。

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「高山城・新高山城」ハイキング
2017/09/15(Fri)
 9月13日水曜日 晴れ 中国文化センター前期第6回目の「高山城・新高山城」ハイキングに参加しました。
 集合は本郷駅に9時でしたが、夫が車で送ってくれました。
 夫はそのまま本郷の町を散策して、買ったばかりのお気に入りのカメラの試写で、待っていてくれることになりました。
 高山城から登ったのですが、山行計画書の内容に変更があり、下山道に計画されていた南斜面からの登山道の往復になりました。もともと、二つの山を登るのは体力に不安がありましたので、この計画変更は私にとってはラッキーでしたし、終わってみると参加者全員にとってもラッキーだったようでした。
 登山道の様子は、思っていた以上に様子が変わることがあります。引率の方が数日前、計画登山道を歩いて変更してくださったことに感謝するばかりです。
 高山城・新高山城ともに、小早川隆景の居城だったということで、私としては、ハイキングというより、歴史探訪という気持ちもあり、久しぶりに歴史小説『小早川隆景』など読んでの参加でした。
 しかし、兄の吉川元春の痕跡のように親しんだこともありませんでしたし、じっさい本郷という町で足をとどめたこともありませんでしたので、そんなに期待していたわけではありませんでした。
 ところが、新高山城は三原城ともに、2017年4月6日「城の日」に、財団法人日本城郭協会が、設立50周年の記念事業の一環として、日本百名城を発表しましたが、そのなかに含まれていて、その幟が誉れ高く役場にも飾られており、改めて町を挙げて史跡保存に力を入れておられる様子がうかがえます。
 ですから、両方の山頂の高山城跡・新高山城跡では、予想に反して歴史を確認することができました。とくに、新高山城では、頂上へ至る道々でも、鐘の段、土塁が今も残る3段の番所跡、匡真寺跡など、よくわかるように、草も刈りこんで、木もできるだけ生えさせないで整備し、道案内や丁寧な説明版なども設置されています。
 山頂からは、眼下に沼田川が濠のようにあり、天空にあって、周囲敵の動きは手に取るように掌握できそうです。
 隆景は300年以上の歴史のあった高山城から、新しく築城した新高山城に移るのですが、45年で城を取り壊して三原城に隠居しました。
 高山城を下山して、二つの城山の中央を流れる沼田川にかかる橋を渡って、新しく築城した新高山城登山口まで川に並行する道路をさかのぼり、また下山して、沼田川の流れを見ていると、まさに、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。・・・。」と、鴨長明のような気分になってきます。

 このハイキングでは、新高山城の中の丸のすそで初めて「テイカカズラ(定家蔓)」の種子を見つけました。あまりにも葉っぱが紅葉しているので、「テイカカズラ」かどうか不安だったのですが、帰ってネットで調べてみるとそのようです。福王寺でもたくさんの「テイカカズラ」はよく見るものの種子を確認できたのは初めてでした。
また、道々、「ひとつば」が、途中で二枚に分かれたのと、三枚に伸びたのとを見つけることができて楽しむことができました。

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『エディターシップ』
2017/09/13(Wed)
 外山滋比古著『エディターシップ』株式会社みすず書房1975年2月発行を読みました。
 昭和47年秋からから49年春までの間、雑誌「みすず」に断続的に連載された13のエッセイをその順に並べ、最後に新稿を加えたとあります。
 エディターシップという言葉初めて出会った気がします。語義は
 ≪「一、編集者の地位〔職・職分・権限〕 二、編集上の指示 三、編集・校訂」とだけあって、はっきり編集に限定されている。≫だということです。
 最初のエッセイ「ある経験」では自分が考えたこともない編集者を2年の約束で頼まれ、ほとんど校正に終始することに戸惑いながら煩悶する気持ちが書かれています。
 ここでは、私が高校を卒業して3か月和文タイプを学び、建設会館に就職し、合同庁舎の中国地方建設局に記者クラブの人たちに交じって、毎日工事の発注発表を聞き取りに行かされていた頃のことを思い起こします。清書して上司にあげた内容が正確だったか、翌日配達された業界新聞も含めて全てにびくびくしながら目を通していました。新聞社が間違っていたときは、いつも助けていただいているので、電話で知らせてあげました。半年もすると、自分も間違いだらけのタイプを打つのに、新聞を開くと間違いだけが目に飛び込んでくるようになって不思議でした。
 こんなことが思い出されてか、読書に身が入ります。だんだん編集長として成長し、編集者が売れ行きの為に作品のタイトルまで考える部分へと話が進んでいくと、いよいよ編集の仕事の魅力に引き込まれます。
 読者と作者の間を結びつける役割をするのが編集者の仕事である。という建前はわかるもののそうはなかなかいきません。
 編集について考えが突き進み深まっていくと、「編集」という語にかなり広い意味を与えてきます。雑誌や本の編集者が行う「編集」に限らず、私たち一般の人間が誰でも行っていること、例えば言葉を使って誰かと話すこともそれです。なぜなら、一つひとつの単語を選び出し、組み合わせて何かを言おうとすることは、紛れもなく「編集」による創造だからです。この他に、数ある食材を用いて料理をすることも、争っている両者を調停することも、人間誰もが自覚しない「編集」で、自分の人生をどう編集していくかというようなところまで話が進んでいきます。
 私は今、このブログを書くに当たり、まず、この本の内容を読んでそれが分かったとして、その分かったということは、分析できたということで、分析してバラバラにしただけではなにかうすら寒い気がして、その分析できたものを、どのように書き残そうか、あるいは読み捨てて、書かないでおこうか、しかし、この本から受けた様々な概念の変革で今までになくずいぶん自分が偉くなったような気がする。それをどう書き残せばいいのか、このようにあれこれ考え、バラバラあれこれを結びつけてこのように一つのブログ記事を創造する。
 創造することに於いて、ばらばらあれこれの橋渡しがなされることの大切さを思うと、素直に編集ということの深い意味を・・・・。
 そうではなくて、小泉八雲の再話編集のすごさについて並行して考えさせられたのでした。


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第205回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2017/09/11(Mon)
 9月9日(土)、第205回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加いたしました。
 朝から、裏山登りを中止して、大洗濯をしたり、迷惑がる夫を尻目に家の片づけや掃除をしてお風呂に入ってさっぱりして、術後少しづつ調子を上げている夫と参加いたしました。
 会は、寺下さんの開会のことばの、寺下さんが翻訳された『神と黄金』の著者ウォルター・ラッセル・ミードが来日されるので面談をし、その報告を後日してくださるとのお話に期待を寄せるところから始まりました。
つづいて末国さんが、「イエイツと周辺人物(日本の能に至るまで)」と、「人物相関図」の資料を作ってきてくださり、その解説をしてくださいました。
 以前、古川さんが東京に能「鷹姫」を見に行かれた報告をされたとき、イギリスの脚本を日本の能で?とその結びつきを意外に思ったものでしたが、そこへ至るまでの人と人との交わりを感じる報告でした。
 風呂先生の『ある保守主義者』についての解説は、やってもやっても言いたりないというほどの熱のこもったものでした。
言ってみれば一言、西洋の近代化を取り入れることと引き換えに、日本の伝統ある精神文化を軽んじることの愚に警鐘を鳴らしているというものですが、当時そのことに確信をもって執筆することができたハーンの思考と筆に力を与えたものは何だったのか?
そして、イギリスやアメリカでのその出版が、以後西欧諸国の人々に与えた影響がどのようなものであったのか?

 少し前、何かでマッカーサーについて読んだことがありました。
マッカーサーは子どもの頃日本に来て、日露戦争に功のあった東郷平八郎などにも会っており、彼らの人物像に非常に感銘を受けておりました。長じて、太平洋戦争の時、マッカーサーはフィリピンで日本軍にひどい目に遭い、部下を置き去りにして逃亡せざるをえないという屈辱を味わったことがありました。それで戦後、日本にやってきたとき、日本人の持つ忠誠心や質実剛健的な生活信条など、日本人の良き特質をそこなわせるような日本経営をすることで、日本人を骨抜きにしてしまおうという怨念があったというような内容であったと思います。
 また古い話ですが、井上ひさしの著作によるものだったと思います。戦国時代、スペイン艦隊の一人が、キリシタン大名にスペイン艦隊をくっつけて、日本を統一させればいかが?とマカオの司令部に具申したとき、茶の湯などで日本人の武将などと深くかかわっていた司令部に、「あのように忍耐強い日本人に勝てるものか!」と一喝された場面があったことを思い起こします。司馬遼太郎によれば織田信長戦力は当時世界一だったとありますから、一概に精神力だけで量ったものでもないという思いもしますが、これら日本人をよく知る西欧人への日本人の精神力の脅威を思い起こします。
 それにしても当時、海外留学など渡航をした日本人は多くいます。私がひそかに興味があってほとんど読めていない、軍事力を背景にした帝国主義に価値を認めなかった南方熊楠 や、おくれて漱石、鴎外などあまたいるなかで、雨森の渡欧理由などの影響についてその特徴を見出す研究ができたらとも思っています。

 風呂先生の『ある保守主義者』についての解説は、次回にも引き継ぎますので今からワクワクしているところです。


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『三次稲生物怪禄(ミヨシイノウモノノケロク)』
2017/09/06(Wed)
 『三次稲生物怪禄(ミヨシイノウモノノケロク)』を読みました。
 古文書を習っている加川さんに頂いたものです。表紙には『三次稲生物怪禄』に続いて「解読ノート{可部}古文書同好会」とあり、非売品です。
 もちろん加川さんも解読に協力された主要の一人ではないかと思われます。
 寛延2年(1749)、弟と二人暮らしの稲生平太郎16歳のとき、隣家の元相撲取りの三津井権八と五月のある夜に肝試しをします。五月雨の心細い夜を平太郎はただ一人、鳳源寺の裏山にある比熊山山頂の千畳敷に登り、触れると祟りがあるという天狗杉へ結びをつけて帰り、そのあと権八も登ってきました。
 それから二か月経った七月一日から三十日にかけて、夜な夜な、あるいは昼間から、だれか尋ねてきている人がいても、いろいろな妖怪変化の類が、手を変え品を変えて平太郎の家に出てくるようになりました。平太郎だけがいる時に出てくるのではないので、このことは三次や近郷の人びとの知るところとなり、門前に群衆が集まってきたりもし、あまりにも騒がしいので、村方役所より、「見物に出ざるように」とそれぞれの村役人に触れさせるほどでした。
 何かあってはと弟の勝弥は叔父に預けます。
 親戚の者、近所の者、家中の者と、狐のいたずらではないかとか、狸のいたずらではないかとかわるがわる跳ね罠を持ってきて仕掛けてくれたり、西江寺から仏影や野狐よけのお札をもらってきて居間にかけてくれたり、踏み落とし罠を持って来たりして応援に駆け付けてくれますが、どれもこれも役には立たず、みんな恐怖の為に逃げ帰っていきます。
 よく応援に駆け付けていた権八は、病を得て、怪異の気に打たれたのかついに死んでしまったりもします。
 しかし、平太郎は、だんだん相手にしなければ、どうということもなくおとなしくなることもわかってきて、疲れると、応援が来ない方がいいと思う日もあります。そんなことで、ときには命に危害が及びそうになるときでも、平太郎だけは平然として少しも怖がりません。
 そして、ついに七月の晦日、平太郎は「いつまでこんな物怪の守りをすることやら、頃合いを見て闘い討ち捕ろう」と思っています。日暮れ時には晴れて、夜十時頃また現れたと思い、ここぞと抜き打ちに切り付けると「待たれよ」と言い「左様にあせってもそなたの手に打たれるような、我にては非らず。言い聞かすことが有って此処に来たれるなり。刃物を収め、心を鎮められよ」とのべ、魔王の山ン本五郎左衛門と名乗ります。平太郎の大嫌いなミミズを出して彼をためし、平太郎の気丈を確認し、「平太郎は今年難に会う年だったが、もう難は終わった」と述べ、「しかしこれから難があれば北に向かってはや山ン本五郎左衛門が来たれり」と申すべしと言って、おじぎをしてでていき、それからは物怪も出なくなったという話でした。
 この書物に出てくる比熊山も鳳源寺や西江寺など見知っている私にとって、とても身近に感じることのできる怪談話でした。
 近いうち、改めて訪ねられたらと思ったことでした。

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『家道訓』
2017/09/05(Tue)
 4月20日から解読を始めた古文書の『家道訓』を一応解読して読み終わり、今朝、一つ一つの崩し文字を、もとの文字に書き換えた原稿用紙を綴りました。
 近所の加川さんにお願いして教えていただいていたのですが、8月は、お休みにしました。体調不良の私は、夫の入院もあったりして、その間古文書には全く触れませんでした。
 9月から再開して、2日に終わったのです。
 最後に辞書を引いたのは、
 ≪古人貧しきハ束脩をおくり冨め流盤玉帛越於く流(古人貧しきは束脩を贈り、冨めるは玉帛を贈る)≫にある、束脩玉帛で、束脩は干し肉、玉帛は玉・絹でした。最初に引いた古語辞典にはなく、漢和辞典で確認できました。
まだまだ辞書を引いて調べるべきものがあったとは思うものの、完璧と思えるようにはなかなかいかないものだと改めて思います。
 そうはいってもできるだけ完璧に近づけたらとの願いから、途中から、歴史書もよく読まれていて博学な水野さんに仲間に入っていただきました。
 わかっているつもりで見過ごしてしまうところに気づくことができたり、彼女の今までの経験によって、解読が広がり、深められていくことへの願望がありました。
 とにかく読めるようになりたいと家庭で解読書を利用して、努力に、努力を重ねた彼女は、家道訓の終わりの方では、解読書を観ないでスラスラ読めるようになりました。
 私が、20歳代の時、可部公民館の古文書の会に入れていただいて少し学んだ時のことを思い起こしてみると、水野さんが参考にした解読書の、斉藤茂吉著、(貝原益軒の名著『家道訓』を読む)という副題のついた『人間としての最高の生き方』という本は出版されておりませんでした。
 それで、彼女にその本を紹介し、彼女が図書館で見つけてこれを予習に利用したのでした。このような本の存在によって、古文書の解読の方法が形を変えていったことにいろんなことを考えさせられました。
 主婦になってから大学に入って源氏物語の講義を受けました。講義内容については忘れてしまいましたが、購入させられた宮内庁書陵部蔵青表紙本源氏物語の『須磨』は、表紙の文字からして『春満』(すま)の崩し文字で、中身の解説以外の本文は、変体仮名です。授業がどのように進められたか忘れましたが、この変体文字については、講師の先生より、大学受験前に可部公民館で近世の古文書を少し学んでいた私の方がよく読めた記憶がありました。読めるということとこの作品の背景や内容や意味や文学性を知ることとは別の作業であることがよくわかります。
 このことは、私が翻訳もので了解するだけではほんとうにわかったといえるのだろうかと、無能にもかかわらず、原文に挑戦することと似ています。原文にこだわって、限られた時間の勉強が上滑りになったのが先月のハーンの会への反省になったことを思い、自分の能力の限界と興味への充足をいろいろ考えさせられ、次に挑戦する『理勢誌』への取り組みについても考えてみたいと思わされました。
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『保守とは何か』
2017/09/02(Sat)
 福田恒存著『保守とは何か』をすこし読みました。
 文春学藝ライブラリー2015年第3刷発行の文庫本です。
 先日、小泉八雲著 平川祐弘訳 「ある保守主義者」を読むときに、保守という言葉について、これは、その地域その時代によって違うものではなかろうかと思っていたとき、図書館で、この本を見て借りてみようと思ったのでした。
 著者の名前は知っていたものの作品を読むのは初めてで、それへの興味もありました。
 しかし、読み始めてみると、胃が痛くなってきます。仕方なくところどころ読んでいき、最後の「解説」にいきあたると、感じるところがあり、また少し読み返しました。
 「解説」の著者浜崎洋介は、福田恒存が1912(大正元年)生まれであるのに対して、1978(昭和53年)生まれです。ついでに言えば、ほぼ1949年生まれの私がその中間どころです。
 ここで、生年月日にこだわるのは、ここでいうところの保守がよくはわかりませんが、生まれによって保守のイメージが変わってくるような気がするからです。
 この解説者が、自分の生まれた世代について述べているところに大変興味を抱きました。
 ≪戦後の、しかも高度成長期後の日本に生まれた私には既に自明な伝統などありえなかった。と同時に、冷戦後の時代を生きる私には、既存のイデオロギーはどれも偽物にしか見えなかった。とはいえ、消費生活の夢に戯れるといった余裕もバブル崩壊後を生きる世代には許されてはいなかった。いいかえれば、頼るべき過去は既になく、来るべき未来も未だなかったのである。そして、既にないと、未だないという二重の「ない」を生きるデカダンスが最後に縋るのは、いつでもロマン主義的な観念である。今ある現実の彼方に、ここではないどこかを思い描くこと。そのユートピアによって、断片化する社会と、あてどなく浮動する私の不安を吊り支えること。進学するでも、就職するでもなく大学を出た私は当時柄谷行人によって結成されたロマン主義的政治運動NAMに向かうことになる。・・・・・実際、NAMは、たった三年余りであっけなく潰えていった、むろん、世間知らずの知識人が、おためごかしの綺麗事を並べて自滅していく図など、近代日本にはありふれている。しかし、自らのルサンチマンに目を瞑り、周囲の忠言に耳を貸さず、難解に秘教化された理屈を身元保証として、そのおためごかしに乗ったのは、他でもない私自身だったのである。とすれば、いまさらの自己反省や自己批判は全く無意味だろう。なぜなら、反省し批判している当の「私」自身が一番信用ならないのだから。「自己喪失」という言葉の意味を、私は初めて思い知る気がした。・・・・・・≫この文章に続いて本文を読んでいくのなら、著者福田恒存の文章が少し理解できる気がしてきます。
 それにしても、この解説を読むと、今40歳くらいの人たちの行動が痛いほどに理解できてくるような気がします。
 
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『ギリシア神話』トロイアの書
2017/08/31(Thu)
 斉藤 洋(文)・佐竹美保(絵)『ギリシア神話』トロイアの書 を読みました。株式会社理論社から20010年3月の初版本です。
 『ギリシア神話』オリンポスの書・ペルセウスの書・トロイアの書と3冊シリーズの中の第3巻です。
 最初、
 ≪トロイアの戦争について話すとき、いつのことから語るべきだろうか。
 ギリシア軍の総帥、アガメムノン王が戦いを決意した日だろうか。
 それとも、トロイアをめざし、千艘をこす軍船に乗った一万のギリシア軍将兵がアウリスを出航した日だろうか。
 あるいは、トロイアで最初の戦闘が始まった日だろうか。
 否、否、否・・・・・。
 トロイアの戦争がなぜ勃発したか、その原因をさかのぼれば、世界の最初の日から語らねばならないだろう。だが、それでは、あ まりにも遠い過去から始めることになる。そこでわたしは、プロメテウスがわが父ゼウスに、ある秘密をあかした日から、始めよう と思う。≫から始まります。
 もともと、ホメーロスのイーリアス・オデッセイを読むために始めた児童図書の『ギリシア神話』の読書でしたが、このたび購入した世界古典文学全集(筑摩書房発刊)の『ホメーロス』でさえ、最初から、もうトロイ戦争のさなかから始まっています。
 でも、戦争が始まった原因から起こしてあるところが、ギリシア神話の特徴をより理解できて面白く読めます。
 それでも、原因をさかのぼるには、世界の最初の日から語らねばならないだろう。という部分に呼応して、物語の最後の「跋(ばつ)」で、語り手のアテナが
≪いったい、あの戦争はなんだったのかと・・・・・。
 そうそう、だれかがこういっていた。
 あの戦いは、神々の王ゼウスが秩序の女神テミスと協議して、ふえすぎた人間をへらそうとたくらんだ結果だったと。そういえば・・・・・。≫と思い当たる部分を、原因のところを引き合いに出していますが、そういえば、戦いの途中でも、ゼウスが係るところで、これほど死者が出ているのだから、他の方法を命じればいいのにとアテナが思わせられる部分が何度かあったように思われます。
 それにしても、秩序の女神とともに、人間が増えすぎるからと言って、戦争を考えることについては意外な結末でした。
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『ギリシア神話』ペルセウスの書
2017/08/30(Wed)
 斉藤 洋(文)・佐竹美保(絵) 『ギリシア神話』 ペルセウスの書 を読みました。
 株式会社理論社から2009年10月の初版本です。
 『ギリシア神話』オリンポスの書・ペルセウスの書・トロイアの書と3冊シリーズの中の第2巻です。
 この書は、ゼウスと人間の娘ダナエの子ペルセウスの英雄譚です。
 この物語も、オリンポスの書同様アテナによって語られます。まずは、「英雄とは」という定義から始められます。英雄とは知恵と力と勇気に於いて、神々と比べられるほどでありながら不死ではなく、人間と同じく死をまぬかれぬ者のことだったが、神々を両親のいずれかに持たぬ英雄もいるとしています。
 英雄と言われたペルセウスは父がゼウスで、母はアルゴスのアクリシオス王の娘ダナエです。アクリシシオス王は、娘のダナエが男の子を生み、その男の子はいずれ祖父アクリシオス王を殺すことになるという神託を受けていたので、ダナエが子どもを産まないように、男性が近づけられないように地下におしこめてしまいます。
 しかし、神々の王ゼウスは、金の雨になって地下に侵入して、ダナエは男の子ペルセウス(降り注ぐ黄金より生まれた者)を生んでしまいます。それを知ったアクリシオス王は、娘のダナエとペルセウスを棺に入れてエーゲ海に流します。
 セリフォスという島に流れ着きそれを救ってくれたのが漁師のディクテュスで、母子ともに彼に世話になってペルセウスは成人します。
 なんといっても美しいダナエ、ペルセウスはダナエを奪い取ろうとするディクテュスの兄ポリュデクテス王から母を守るための戦いに挑みます。
 そのために、メドゥーサの首をとったり、アイティオピアで怪物を倒したり、ケペウス王の弟、ピネウスとその兵士たちと戦ったり、セリフォス島でポリュデクテス王をやっつけたりします。
 その戦いには、語り手であるゼウスの異母兄弟であるアテナも手伝う場面もあります。このことは、ペリセウスが戦うべき戦いをしたことを意味していると思えます。
 今後どこででも暮らしていけるようになったとき、母親のダナエが、故郷のアルゴスに帰って父親に会いたいと言い出します。ペルセウスは、自分が祖父を殺すという神託を受けているからよすように言うのですが母親は聞き入れず、それなら武器を持たずに、父親を探してくれるよう頼みます。仕方なく父親を探す旅に出かけます。
 英雄の誉れ高いペルセウスは、途中ラリッサの町で五種競技が行われており、円盤投げに誘われます。そのとき投げた円盤が、なんと、ちょうどそこにラリッサの領主の食客になって観戦していたアクリオス王に直撃し死なせてしまうのです。こうして一応神託は成就するのですが、あれほど祖父に会いたがっていた母親のダフネが、実は自分が息子に代わって父親のアクリシ
オス王を、殺すつもりだったのではないかというアテナの感想で終わる物語でした。
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『ギリシア神話』オリンポスの書
2017/08/29(Tue)
 斉藤 洋(文)・佐竹美保(絵)『ギリシア神話』オリンポスの書 を読みました。株式会社理論社から2009年6月の初版本です。
 『ギリシア神話』オリンポスの書・ペルセウスの書・トロイアの書と3冊シリーズの中の第1巻です。
 この書は、オリュンポスの12神について語られています。しかし、オリュンポスの12神は神々のうちの1部であるし、神々の話はこれですべてではなくほんの1部だと最後に念が押してあります。
 12神とは、ゼウス、ヘラ、アテナ、ポセイドン・ヘバイストス・ヘスティア・デメテル・アレス・アポロン・アルテミス・ヘルメス・アフロディアです。
 その12神の関係について図式が最初に掲載されていますが、兄弟のうえから、ポセイドン・ヘスティア・デメテル・ヘラ・ゼウスの順にうまれていますが、神々の王は末っ子のゼウスです。そして、すぐ上の姉ヘラがゼウスの後妻です。
 ゼウスの先妻の娘アテナがこの物語12神の語り手です。
 アテナは神としての領分は正義と知恵、それに戦争と技巧の女神で、守護神として納めるべき土地は、アッテカです。
 人間が、神々についてとやかく言うことは許されることではありませんが、自分は神だから多少は許されると断わりながら、12神について語っていきます。
 良識を持ったアテナの語った物語を読み進むことで、アテナのほかの性格もよくわかるようになっているところがおもしろく、また感心させられます。
 神々のいろいろの物語については、冷静にその事象を語っているのですが、自分の出生とアポロンの出生については、阻害を受けたことにこだわっているのか、同じような目に合っている読者に肩入れして、励ましています。
 最初にアテナの出生については語られているのですが、アポロンの不幸な出生について語るとき、≪ここで、ひとこと言っておきたいことがある。≫と前置きして、≪神々にしても人間にしても、誕生が心待ちにされたかどうか、また祝福されたかどうかということと、生まれてきた子の価値はまるで関係ない。≫といい、さらに祝福を受けた子供にたいして、そのことは価値があるので自分を大切にするようにと諭す人間の大人を槍で突き殺してやろうかとさえ思ったと述べます。
 ≪わたしもアポロンも誕生を心待ちにされたわけではない。だが、この私をみよ!アポロンをみよ!ゼウスを別にすれば、わたしとアポロンの名はオリュンポスの神々のなかでも、ひときわ高く鳴り響いているではないか!≫と物語中「!」マークまでつけて宣言し、≪アポロンは太陽の神と、音楽や詩など芸術の神と、医術の神、数学の神、銀の弓の神、そして、予言の守り神にして神託の主ともうたわれていて、生まれると立ち上がって、「これより、わたしは竪琴と弓に親しみ、人間たちに父ゼウスのお考えを託宣するだろう。」と自分の役割を予言している≫と述べていてよほど、出生にこだわっているところが、うかがえます。ここまで言ってくれると、自分の出生が不幸だと思っている読者がいれば、女神に宣言されているのですから元気100倍です

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『小早川隆景』
2017/08/27(Sun)
 童門冬二著『小早川隆景』を読みました。
 久しぶりに大好きな歴史小説に出合い楽しく読みました。
 童門冬二という作家を知らずにいたのですが、読み終わって今、ウィキベディアで調べてみると、1927年10月生まれで、現在89歳。海軍少年飛行兵の特攻隊に入隊。そのあと東京都に勤務し、東京都広報室長、企画調整局長、政策室長などをつとめ、都庁在職中は、美濃部亮吉都政3期12年を知事のスピーチライターとして支え、都庁首脳として活躍し、1979年、美濃部の知事退任と同時に51歳で退職し作家専業になったとあります。
 また、主題はまちづくり、経営管理、組織論だということです。
 作品のあちこちに、そういう経歴だから、こういった書き方ができたのかと思いあたるところがあります。
 毛利元就が、ことあるごとに言い聞かせた毛利家存続の方法と、その方法では存続が危ぶまれるようになる時代の流れ。その流れを作った織田信長や羽柴秀吉などの、武将の組織作りにそそぐ小早川隆景の目の置き所。ここに、著者の主題が置かれていることに気づかされるのです。
 「解説」は、東京都副知事の青山佾(あおやまやすし)という人によって書かれています。この方も肩書き上、著者と主題を同じくする人のように思えます。
 織田信長は羽柴秀吉を認め、彼に賭けること大です。秀吉の信長への仕え方はよく知られるところで、ここでの「解説」では秀吉に仕えた秀吉の弟秀長についてとくに取り上げてあります。
≪本書のなかでも、主人公の小早川隆景が、秀長と初めて会って、一目で、
 (この人物はやさしい心を持っている)
  と感じた、という場面がある。
  酒宴の席で秀長は、席に連なる武将のそれぞれに対して、それぞれに見合った話題を提供する。
 これを見た小早川隆景は、「すべて、(秀長)がいままで経験してきた汗とあぶらからの所産だ」と感動する。そして
 (見落としていたが、羽柴秀吉殿にはこの弟君が一番強力な支え手だったのだ)と感じる。
 ―ここで童門さんは、「将たるものは、こうしなさい」と押しつけがましく教えたりはしない。場面描写のなかで、むしろ精神を強調する。精神さえ貫けば、方法は、むしろ別の方法でもいいのだ。そこが童門さんの作品が、いわゆるノウハウものと、違うところだ。「バイブルだよ」と言われる所以だ。≫
とあります。
 この解説を読むと作品への理解が深まるいっぽう、おなじ作品を読んで共感しあえる喜びを感じます。
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『はじめてのギリシア神話』
2017/08/25(Fri)

 尾高 薫文 堀川理万子絵『はじめてのギリシャ神話』を読みました。
 12日に「ハーンの会」に出席したとき、風呂先生が「オデッセイ」を単行本で読んだと話されたことを家に帰って夫に話すと、小学6年生の時、この感想文を書いて賞をもらったことがあるからよく覚えていると内容について話してくれました。私が読みたそうな表情をしたのか、夫がネットで探して仏典Ⅰ・Ⅱだけある筑摩書房の世界古典文学全集のなかの『ホメーロス』を購入しました。読みかけてみると、なかなか面倒そうで文字も小さく、読む気力が出ません。夫が読んだのは子ども向けの本であったというので、夕方の散歩のとき安佐北区民文化センターの図書館で4冊借りてきたなかの一番すぐに読めそうな本をえらんで読んだのがこの本です。
 「あとがき」で、
 ≪ギリシア神話は、この本で初めて読んだという人も多いでしょう。けれども、ゼウスやポセイドン、アポロンといった神様の名前は、みなさんも、どこかできいたことがあると思います。≫という小学生低学年・中学年への言葉がけですが、私にもちょうど適しています。
 ≪ギリシア神話は、大きく「世界のはじまりの物語」「オリュンポスの神がみの物語」「英雄物語」「王家の人びとなど、人間の物語」のようにわけられます。
 この本では、ギリシア神話の世界や流れをイメージしやすいよう、「世界のはじまり」「オリュンポスの神がみ」にまつわる物語をえらんで、やさしいお話の形に書きあらためました≫と、自分が読んだものがいったい何であったのかということもおぼろげながら理解できます。
 ≪ギリシア神話には、ほかにもたくさんのおもしろいお話がありますので、興味をもたれた方には、子ども向けに書かれたつぎのような本もおすすめします。
『ギリシア神話』(石井桃子編・訳 のら書店)
『ギリシア神話 オリンポスの神々』(遠藤寛子文 講談社青い鳥文庫)≫
 と、次に読んだらよいと思われる本も他社出版のものながら紹介されています。
 子どもたちのことをよく考えてのいざないに心温まりました。
 もちろん高齢者の私にとってもギリシア神話への入り口はとても楽しく始まりました。

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『野火』
2017/08/23(Wed)
 大岡昇平著 『野火』を読みました。
 この作品については、島田雅彦著『100分de名著 野火』につづいて、新たに夫が寝ていても読みやすいようにと文庫本を買ったものです。
 読みかけて、ずいぶん長い間放っておいたのを昨日想いだして始めの方から読みました。
 田村一等兵のモノローグとして語られるこの作品はフィリピンの戦場で、彼は病気になり、自分が属していた部隊からも病院からも見捨てられ、それから先は味方の軍隊が形を成さなくなるほどに敵に叩きのめされ、自分は一人で行動するほかなくなっていくことが保証され、自由のなかに身を置かされます。
 戦場で自由になるということは飢えと危険を伴うものですが、命令通り手りゅう弾で自決してもいいし、生き延びてもいいし、米軍に投降してもいいのです。
 もう誰かの為に生きたり死んだりしなくていいのです。
 友軍のそばにいてもいいし、一人でいてもいいのです。
 そうしていると、今まで気づかなかった道端の花や、そこに遊ぶ蝶など、今まで目に留まらなかったものがとても美しく輝いて見えてくるのです。
 また、現地人の営みが違ったものに見えてくるのです。さらに自分を見放した病院が爆撃を受け、放火され、軍医や衛生兵が逃げ惑う姿が、滑稽に見えてしまう自分に気づくのです。
 このあたりの彷徨の部分をずっと読んでいると、思ってもみなかったことですが、これは戦争中だけの異常な出来事の中での心境ではなくて、仕事を辞めたとりとめのない今の私の究極の心境も分析してみれば実はこのように集約されるのではないかと気づかされ私も彷徨しているような心持でもありました。しかし、仕事を続けていたならこれら田中一等兵の心の風景など、異常な心境を身近に感じることはなかったでしょう。
 さらに状況は悪化し、極限状態に達してきてからの田村一等兵の心の行方は、まず丘の上から見渡せる森の中の十字架から教会があることに気づいた後に見た夢に象徴されます。教会では葬式が行われていて、棺のところに進み出て蓋を開けてみるとそれは自分だったというのです。食べるものもなく過ごしていると自分が生きているのかすでに死んでいるのか・・・。彷徨していて出合う友軍も似たりよったりです。そのうちお互い先に死んだ人を食べていることに気づいたりします。
 このカニバリズムについては、もう考えも及びませんが、立花隆の「臨死体験」で語られるところの話の反対で「臨生体験」のように思えるのでした。私たちは仏教的な慈愛の中で生かされていると思っていますが、一歩間違えばこの世は食うか食われるかのまさしくカニバリズムの世界です。当然分裂症になってしまいました。
 この図式は森友学園問題の森友夫婦逮捕の報道を聞くと、安倍夫婦と森友夫婦の関係を想起させます。
 ブログ記事も分裂症的になりました。
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「ある保守主義者」
2017/08/19(Sat)
 小泉八雲著 平川祐弘訳 「ある保守主義者」を読みました。
 何度か読んで、それにまつわるエピソードも多少読んでいるように思いますが、それによっての思いを抜きに、初心にかえって読みました。
 ここに登場する男性は武家に生まれ武家の躾を受けて、≪快楽は蔑視して見向きもせぬ、礼儀正しい、恐れを知らぬ、私心を捨てた人として≫≪一言いわれれば躊躇せず即刻自分の命を投げ出す人、恩愛、忠義、名誉のためには自分の命を惜しまぬ侍として≫育ちました。
 成年に達しようとする頃、日本が太刀打ちのできない夷狄が黒船でやって来て日本という国家の一大事となりました。これら夷狄を駆逐できぬと知った政府は、彼らを保護し、あらゆる学校で西洋知識を学ぶよう命令を下しました。
 彼は、≪自己変革を遂行することによってのみ日本国家は自己の独立を全うしうる≫と考え≪自国の敵の真相を冷静に研究するのが愛国者たる者の義務である≫ことをわきまえて勉学に励みます。そして≪もし西洋文明の優越した力が真に西洋倫理思想の優越した性格を示唆するものであるなら、日本の愛国者たる者の明白な義務はこのより高度の進行を奉じ、全国民の改宗のために努力すべきことにあるのではないか≫との考えから、侍の子としての立身出世を捨て洗礼を受けキリスト教者になります。
 しかし、教義の内容を≪より幅広く、より深く掘り下げて考えるうちに彼は教義を超える自分自身の道を見出した。そしてキリスト教教会の教義の主張内容は真の事実や理屈にづいていない、自分は自分の師がキリスト教の敵と呼んだ人々の見解に従うべきだと感じる、という宣言を公けにした後≫キリスト教から離れていきます。
 さらに政府の政策にも懐疑的になり、公然と反対し、国外退去の憂き目にあいます。そこから、外国放浪の旅が始まります。
 放浪中に西洋の優越性は倫理的なものではなく、それは数えきれないほどの苦難を経て発達した知性の力にあり、その知性の力は強者が弱者から略奪し破壊するために用いられてきた実態を知ります。≪そして禁欲的な武人の眼で物事を眺め、西洋人が人生において価値ありとするものが極東の人が狂気とみなし懦弱とみなすものとほとんど違わないことに驚きを覚え≫その醜悪さに、日本の文明の価値や美点に気づき、≪古来の日本の中で最良のものは極力これを保守保存し、何物でも国民の自衛や自己発展に益なきもの、不必要なものの輸入に対しては断固反対する、という決意で≫さらにそれを裏付ける≪自国の清潔な貧しさの中にかえって力を認め≫確信をもって許されて日本に帰る日を一日千秋の思いで待ち望む人になります。
 彼が日本へ帰国したことは、精神的な意味における日本への帰還をも意味していました。
  簡単にあらすじを追ってみましたが、この作品はハーンの作品の中では私にとって逸品中の逸品と思えます。
 当時の日本と、西洋の文化・文明をよく観察し分析してその本質が丁寧にのべてあります。その中のひとつ、宗教のもつ価値と、仏教とキリスト教どちらにもある非科学的な部分への解釈について≪中国哲学は、近代社会学が法則と認めている、司祭者層のない社会はかって発展したことがない、という考え方をすでに青年に授けていた。またかって仏教を学んだ彼は、仏教では、無学な庶民に対して比喩や形相や象徴などをいわば実際のこととして提示するが、そのような幻想や幻惑にも、人間の善性をのばす方便たり得るという正当な理由と価値がある、ということをすでに青年に納得させていた。≫とあり、文明に対する見方に深い共感を覚えました。
 確固たる道徳心の上に立つ国家をいかに守るか。という課題を持ちつつ近代化に向けて、進むべき方向性を提示する作品でした。


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第204回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2017/08/14(Mon)
 8月12日(土)、第204回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加いたしました。
 連日の暑さで、幽霊も溶けてしまうのではないかと思える早朝、目覚めるとNHKプレミアムで、小泉八雲原作・小林正樹監督の『怪談』の放映中でした。最後の「茶碗のなか」の終わりの部分を観てまた朝まで眠りました。
 夫は10日に安佐市民病院から退院したばかりで、今少し静養が必要なので今回はお休みしました。ですが、同じ団地の伊藤さんが出席してくださいました。伊藤さんとは私が集金した区費を届けに行って初めてであい、この会のことを話してお誘いしたのでした。そのとき伊藤さんは松江に月に1回、中村元の顕彰会に出席されていると話してくださいました。私も中村元には大いに関心があり、帰って、1995年に収録された『こころの時代』の再放送を2014年3月に収録した「空飛ぶ鳥に迹なし」と「自らを灯りとせよ」を再度観ました。亡くなる4年くらい前の映像です。書籍では筑摩書房の世界古典文学全集の6・7巻の中村元編の『仏典』があるばかりですが、いずれまた読めるといいなと思っているところです。
 このたびのハーンの会は、風呂先生が『雪女』の原文の朗読カセットを聞きながら、解説をしてくださいました。
 説明を聞きながら、私は、原文を読んで参加していったつもりでしたが、字面を訳すということが精一杯で、全く読みこめていないことに茫然自失の心境でした。
 先生は、お雪が巳之吉に「おまえが何を見たのかについて話したら、・・・そのときには、おまえを殺すつもりだ・・・。」と言ったのに、巳之吉にあえて話すように促していることを指摘されました。言われてみれば、なるほど、直訳「おまえが明かりに顔を照らされて、そこで縫物をしているのを見ると、おれが十八歳の若者だった時に起きた不思議なことを、想いださずにはいられない。そのときおれは今のおまえと同じくらい美しくて肌の白い者を見たんだよ。本当に、そいつはお前によく似ていた・・・・」までしか巳之吉は話してはいないのです。つづいて、直訳「縫い物から目を上げずに、お雪は答えた。」となっていて、そのとき、もし目をあげて顔をあわせていれば、巳之吉はそれがお雪であることに気づいてそれから先は話さなかったかもしれないものを、さらに直訳「その人について話してよ・・・・。どこで彼女に会ったの」と、お雪は話すよう誘いかけるのです。そのために直訳、「それから、巳之吉は、渡し守り小屋における恐ろしい夜のこと、彼の上に屈み込み、微笑んでささやいた白い女のこと、そして、年老いた茂作がものもいわずに死んだことについて、彼女に話をした。・・・・それがおれの見た夢だったのか、雪女だったのか、おれには今でもよくわからないんだ。」と書いています。そのつぎ「お雪は縫い物を下に投げつけて立ち上り、そこに座っている巳之吉の上に身をかがめ、彼の顔に金切り声を浴びせた。
 風呂先生は、その時にはお雪は巳之吉をすでに必要としていなくなっていて、巳之吉に言わせて自分が去っていくつもりだったと示唆されたのです。
 「雪女」と言えばテーマは「約束を破る」と思ってしまいがちですが、ハーンの思いは・・・・。あとで、それぞれ参加者の感想発表があり(聞き取れなくて残念でしたが)、いつになく盛り上がって終わりました。

※小林正樹監督の『怪談』では、巳之吉は、縫物をしているお雪を見て、あの夜のことを一人で問わず語りに長い時間話すのです。話初めの頃、お雪はじっと巳之吉の顔を見ています。最後まで聞いて、「夢ではない」と静かにいい、ゆっくりとそれは自分であることを話し、「私とあんたの命に代えた永遠の誓い、それに背いたら私は殺すといったでしょ」とさらに思い出させるのです。そして雪女が異界の霊であるように映像は変化します。その別れは、約束を守れなかった巳之吉のせいで愛する子供たちと別れなければならなくなったお雪の深い悲しみを思わせます。お雪のさったあと、巳之吉が後悔のあまり泣き悲しむところで終わります。


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『100分de名著 野火』
2017/08/08(Tue)
 島田雅彦著 『100分de名著 野火』 を読みました。
 もちろん、『野火』は大岡昇平の作品です。
 若い頃に読んだもので、こういった太平洋戦争の従軍記を読んでいる頃は、どんなにつらい話も過去のこととして読んでいたのですが、昨今の政治家の国有地の私物化状況などみていると、国民である私たちも私物化されるような気配も感じられてこのような話も過去のことだと思えなくなっています。
 しかし、この作品は反戦が目的ではないと解説されています。
 大岡昇平は、当時としては、経済的にも十分裕福で、高等教育を受けるなかで、スタンダリアンとして、スタンダールの『パルムの僧院』『赤と黒』『恋愛論』を訳し、『我がスタンダール』をあらわすほどにインテリでした。1944年7月35歳で召集を受け船でフィリピン戦線ミンドロ島に向かいます。44年12月には米軍が彼の軍務地に上陸、45年1月にはマラリアに罹り米軍の攻撃から撤退していく部隊から病兵として放置され、単独で山中を彷徨しているうちに倒れて気を失い、米兵に発見されて捕虜になりレイテ島タクロバンの俘虜病院に収容され、3月に一般収容所に移送され、8月の終戦、12月に帰国します。そのあと、37歳の時小林秀雄の勧めで小説を書き始めます。
 『野火』は、「私」である田中一等兵のモノローグによって語られる小説ですが、レイテ島で生き残ることのできた人から話を聞いての、フィクションです。田中一等兵は、肺病を患い病院に収容されますが、すぐに部隊に帰るように言われ、帰ると病院に無理やりおいてもらえ、さもなくば手りゅう弾で自害するよう命令を受けます。病院、部隊とも食料がないので引き受けないのです。食べ物を自分で調達しなければ生きていけず、原住民や米兵から身を守り、さらに死体の肉を狙わざるを得ない友兵からも身を守らなければならない状況で、死を目前に与えられた自由の中での思索です。
  第1回は、落伍者の自由
  第2回は、兵士たちの戦場経済
  第3回は、人間を最後に支えるもの
  第4回は、異端者が見た神
で解説されるこの『100分de名著 野火』を読み終わるか終らないかのうちに、本文『野火』も並行して読み始めました。
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『ちいさいモモちゃん』
2017/08/04(Fri)
 松谷みよ子著 『ちいさいモモちゃん』 を読みました。
 本当に小さな子供向けの本であろうということは想像できていたのですが、『おときときつねと栗の花』と『ふたりのイーダ』を読んで、彼女の創作による作品をもっと読んでみたいと思っていました。
 ぐうぜん今日、夫が安佐市民病院に入院したのですが、外来で説明を聞いてくださいといわれて待っているとき、この本を見つけました。読みかけていた本をそっちのけで、161ページ最後まで読みました。お話に引き込まれて、読んだのですが、このような幼児の本に夢中になれるなんて不思議でした。
 菊池貞雄という人のかわいい絵が各ページにあり、それも楽しめます。
 この本には、テレビで人形劇のように放送された時の写真ではないかと思えるようなページが4枚差し込まれています。そうして、人形制作 小室一郎、喜多京子、仲沢照江・小道具 片岡道太郎、平岡真魚・構成デザイン瀬川拓男、と巻頭に紹介されています。瀬川拓男は、著者の夫です。風呂先生にいただいた『民話』のなかで取り上げられ考察が試みられている人です。
 そしてこれも、名作でした。1974年に初版が発行されてこの本は1992年56刷のものです。他の装丁で出版されている本の方がもっと人気のようです。
 最後に、モモちゃんとあかねちゃんの本(全6巻完結)
 1、ちいさいモモちゃん
 2、モモちゃんとプー
 3、モモちゃんとアカネちゃん
 4、ちいさいアカネちゃん
 5、アカネちゃんとお客さんのパパ
 6、アカネちゃんのなみだの海
との紹介があります。
 これらは、著者の家族の歴史が伏線になっているので、夫婦の離婚を、ちいさな子どもたちがどのように感じて成長していったのか。そして、父親の死をどのように乗り越えようとしたのか、それがどのように描かれていったのかを知ることにはとても興味があります。
 生活の中の出来事をファンタジックにとらえ表現することは、ある意味生活をシンプルにとらえ、核心に迫っているとも思えます。
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『ふたりのイーダ』
2017/08/01(Tue)
 松谷みよ子著『ふたりのイーダ』を読みました。
 これは、1976年講談社発行ですが、7年前に他で発表されたもののようです。
 名作中の名作に出合ったという感じです。
 昨日、一挙に読みました。
 物語の最後、広島の原爆に遭って孤児になり自分が誰かもわからない3歳の女の子が、やはり3歳の女の子を原爆で亡くした夫婦に育てられ、そのような自分の過去のことを知ったその子が、1945年8月6日、原爆の落ちた日の日めくりカレンダーをそのままに廃墟になっている家の子どもであったことを知る場面では、先日の七月二日(日曜日)に、夫と二人でサロンシネマで観た、こうの史代原作・片淵須直監督 映画 『この世界の片隅に』の最後に、女の子を空襲で失た家族が、被爆地で出合った被爆孤児を連れて帰って家族で育てる場面からの続きに出合ったような気持がしました。
 物語は、小学4年生の直樹君が、母親が九州での取材の間、妹で3歳のゆう子と一緒に、東京から瀬戸内海にある広島に近い花浦の祖父母の家に数日預けられるところから始まります。
 直樹は、祖父母の家から近いお堀に出かけ、「イナイ、イナイ、ドコニモ・・・・イナイ・・・・」と呟きながら足をひこずるようにして歩いている背もたれの付いた小さな椅子に出合います。その椅子は城山のくぼみの林の奥にある一軒の洋館建ての廃墟に行きました。翌日祖父母の留守中ゆう子の面倒を頼まれた直樹は昼寝から目をさますとゆう子の姿が見えずあわてて探すうち、洋館建てまで行ってみると、ゆう子が一人おままごとをしています。直樹にであったゆう子は「だあれですかあ。」と尋ねます。翌日祖父母が宮島へゆう子と出かけた留守に祖母から留守中の直樹の様子を見てくれるように頼まれたりつ子が来てくれますが、大丈夫と早々に返して不思議な椅子のある廃墟に行ってみます。家に上がると椅子は「マッテイマシタ」と迎えてくれます。椅子とも話せるようになった直樹は、この家のことを椅子から聞き出します。椅子は「イーダガカエッテキタ」といいます。このうちには以前アンデルセン童話の「イーダちゃんの花」という作品が大好きな女の子がいたこと。しかし、直樹の妹のゆう子にもイーダというあだ名があって、椅子は彼女と勘違いしているのでした。しかしそのうち、だんだんにゆう子がこのうちのことに通じていることから、以前このうちにいた人の再生ではないかと思えるようになります。いろんな秘密を背負って思いつめているとき再びりつ子に出合い、とうとうこのような秘密を打ち明け、自分ではわからない情報を彼女に託します。そのことを調べたりしているうちに、実は、こ家には、椅子など家具づくりの名人のおじいさんといつ子という女の子がいて、原爆の落ちる当日二人は広島に出かけておじいさんは被爆死、いつ子がりつ子だったことがわかってていくのでした。その間の話が長いのですがそこへ行きつくまでの話がとても感動的なのでした。

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『おときときつねと栗の花』
2017/07/31(Mon)
 松谷みよ子著『おときときつねと栗の花』を読みました。
 直前の大島廣志著『民話』を読むなかで、いままで読んだり、聞いたりしたことのある柳田國男・小泉一雄・平川祐弘・牧野陽子・藤原万巳など学者の中に『現代民話考・学校』の著者として取り上げられていた作家、松谷みよ子の『おときときつねと栗の花』です。
 大島廣志著『民話』の中で考察されていた「語り口」の文体が、とても心地よく、自然に民話のなかにしたりながらあっという間に読み終えました。毎日の猛暑に疲れ果て集中力もなく、読書も勉強もできない時の読み物としては渡りに船といったありがたい読書です。
  ≪よくきつねに化かされたっていうでしょ。あたしもじつは化かされたことがあるんですよ。いえ、ちょっとちがうのかもしれないけど、なんていったらいいんでしょう。あれは神かくしていうのかしら、あのときのことは、いまだにわかんないんです。でもね、そんな話、人(しと)にいたってわらわれるだけでしょ。だれも信じちゃくれませんよ。ですからいままでだまってたのよ。しょうがないから話してみますけど、わらいっこなしですよ。 
  あたしは東京神田の練塀町ってとこで生まれたんです。…≫と話のヒーローのおときが話すのです。本人から、初めて話すという話を聞くのですから、これはもう二人の世界です。
 「おときときつねと栗の花」とそのほかテーマのちがう八つのお話があるのですが、どのお話も、おときという子守りが語ってくれます。
 子守りは。子どもを背中にくくりつけられて、その赤ん坊の上の子のお守りもしたり、さらに台所しごと、百姓仕事をも手伝ったり、お使いもしたりと、ずいぶん忙しい思いをするときもあります。
 他の仕事がなく、子守りだけのときは、子どもが家の中でむずかるとうるさがられるので、近くの山や鎮守の森など子どもを背負って歩きまわります。異郷の地でのそんなときの出来事や、村人との出会い、おなじ子守りのお友達との語り合いなどから、すこしづつ地域になじんでいきます。そんな中での摩訶不思議な出来事がそれぞれつづられてます。
 あるひ、幼い子守りのみいちゃんが、赤ん坊を負ぶって、三歳の女の子を連れ、遠く自分の生れた村がほんの少し見える川っぷちの崖の上に行っていて、三歳の子どもが催したため、お尻を拭いてやる柔らかい葉っぱを探している間に女の子がいなくなり、神隠しに遭ったのか、川に落ちたのか村人が探し回るという事故がありました。数日後伊勢湾に打ち上げられて見つかり、家に返されたみいちゃんが、見つかった数日後に自殺をします。あとの、この飛騨川に、身投げをする人がかかるという瀬に一番よくかかるのが、子守りではなく若いお嫁さんだという説明にもショックをうけました。
 こんな時代のこんな民話が妙にしっくりくるおすすめのお話でした。

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『民話―伝承の現実』
2017/07/27(Thu)
 大島廣志著 『民話―伝承の現実』 を読みました。
 本書は、月初めの第203回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加したとき、すでに持っているのに、また買ってしまったのでと、風呂先生からいただいたものです。
 ハーンの作品には、日本の「民話」からの再話もおおく、なるほど民話についての本も参考資料としては欠くことのできないもののように思えます。
 さいわい冒頭が、ハーンが再話にしている「雪おんな」伝承論 となっていて、内容については、1 書承文芸の口承化、2 ハーンの「雪おんな」、3 比較文学からの探求、4 「息を吹きかけて殺す」モチーフ、5 各地の「雪女」論、6 「雪女」譚の原像、となって、民話研究の視点からの、ハーンの雪女に言及があります。
 「雪女」はハーンの再話のなかでも、調布村の農夫から聞いたという話で、原本のない再話です。そのため、ハーンの作品の翻訳家や研究家は、ハーンの生い立ちや、彼の愛読書や、時ときの心境が伝わる書簡などからの考察がほとんどです。著者の大島廣志氏はそれをふまえつつ、日本全国に様々な形で伝えられていた「雪女」を比較検討し、考察をするなかで、このハーンの雪女の特徴を述べられています。この部分では、ずいぶんと説得力を感じました。
 このたび、みじかい作品ということもあって、英語の苦手な私ですが、ほとんどの単語を辞書で引きながら、英語圏での単語の持つ広がりや雰囲気が掴めないもどかしさを感じながらはじめて英文で読んだことも、以前よりはすこし作品の持つ息遣いから来る迫力を感じ取ることができたように思います。そのあとでこの論考と出会ったことで、著者の評論をより身近に感じ取ることができたように思います。
 ほかの研究も読み進みますが、じつは民話、昔話、説話、伝説といったものがいったいどのように仕分けられているのかわかりませんし、考えたこともなかったことに気がつきます。
 著者の大島廣志氏は1948年生まれとありますから、私と同級生かもしれないと思われます。また、國學院大学卒とあります。國學院大學というのは、神主を養成する大学でもあることを恥ずかしながら、つい最近知ったので、そこでの研究ということで興味深く読ませていただきました。
 そのような環境の大学に入学されて、1年生の時に講義を受けられていた野村純一先生に誘われて青森県下北半島「民族文学研究会の採訪」に参加されてからの民話へのかかわりということです。
 最後の「あとがき」の前に、深い影響を受けられた國學院大學名誉教授の野村淳一氏から―「民話」の旗手―という文章が寄せられてあります。
 ここでは、「民話」という言葉には、市民社会で言うところの「民話」と、学術用語で言うところの「民間説話」の略語としての「民話」があるということが述べられています。
 本書のタイトルに掲げられている「民話」は市民社会で言うところの「民話」のようです。
 ≪本書の著者大島君が時代に先駆けてこの「民話」世界に身を投じたのは大学を卒えると直ぐのときである。「民話と文学の会」を結束し、そのまま雑誌『季刊 民話』を刊行し始めるようになる。「民話」の擁しているエネルギーを庶民の根源的生命力の一つだと見とって、これを広く開放しようと試みた。・・・≫と述べられています。
 「雪女」について、ハーンの作品を何度か読み、考えて、やっとここでの論考が理解できたのですが、そのほかの物については、民話を読んでいないので理解が及びませんでした。それでも確かに、映画やテレビなどのない時代と現代とは、市民生活の中で、文化的に民話といったものの位置づけが違っていくことは確かだということを思わされました。


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ミドリリンガ
2017/07/23(Sun)
  ミドリインガという蛾を見つけました。
 7月15日土曜日、南原のキャンプ場で、夫と孫娘が川遊びをしているあいだに、娘とバーベキュウなど食事の片づけなどをしていると、ふと娘が足元を指さして、
 「これは葉っぱじゃないから気を付けて!」と言います。葉っぱしか見えないけどと思ってみていると葉っぱがうごきます。
 「まあきれいな蝶!カメラ、カメラ」と写真を撮りますがなかなかうまくいきません。網を取り出して、二人して虫かごに入れ、夫と孫娘が帰ってきたので、虫かごを見せ、放したところを、夫が自分のカメラで撮影してくれました。
 キタムラカメラで写真にしてもらってみますときれいに撮れています。
 娘も夫も蛾だと教えてくれますので、ネットで蛾の図鑑を調べるのですが見つかりません。図鑑なら何でももっている水野さんに写真を託すとすぐ翌日には見つかったと図鑑を持ってきてくださいました。
 それで、ミドリリンガという名前がわかりました。
 そこには、特徴としてわざわざ美しいと書かれています。
 そうなのです。美しいのです。
 名前がわかった以上、その名前でネットで調べていますと、このように美しい蛾は初めてという人もいました。
 もちろん蝶の中には美しい蝶はいっぱいいます。なのに、この緑一色で、その羽の間にのぞく赤茶色の羽で、そして裏側は、その赤茶色だけなのですが、なぜか美しいのです。
 そんな蛾なのです。
 このたびの野外遊びは、夫が早くから今風の野外遊び用具を買い求めたりしての準備をしてくれていたのですが、それに花を添える美しい蛾の発見となりました。


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高松山ハイキング
2017/07/22(Sat)
7月12日水曜日 雨のち晴れ 中国文化センター前期第4回目のハイキングに参加しました。
  この事業には、4月12日水曜日の日浦山(ヒノウラヤマ)・5月14日水曜日の西条町の龍王山に続いて3度目の参加です。6月14日の瀬野川の蓮花寺山は、当日の前夜準備万端整えていたのですが、朝体調に自信がなく不参加でした。 
  このたびの高松山は地元で、何度も登ったことがあり、集合場所の可部駅まで10分たらずで夫に送ってもらえるというのが、なんといっても楽なので、体調にはすこし自信を持っての参加になりました。
 ところが、朝、8時ころまでひどく雨が降っていました。3年前の広島土砂災害で大きな被害のあった山ですから、心中穏やかではありませんでしたが、出かける少し前から天候は落ち着きました。
  送っても らった可部駅から、歩いて以前可部高校のグランドがあったところの登山口まで辿りつきました。ふもとの傾斜にあった墓地が、土砂災害に巻き込まれて無残になっていたところ、このたびも、復旧工事中でしたが、準備体操をしている間に工作機械を止める準備などをしてくださり、通してくださいました。墓地が、少し小さくはなっていましたが整理されて、石造りの鳥居も立てなおしてありました。
  災害のとき、山の中腹から、崩れたあとも生々しい谷の右側をずっと登っていきましたが怖さは並大抵ではありませんでした。やっと、左に谷を渡って大文字のほうを登り神社に出て、広い境内でみんなゆっくりの休息を取りました。神社の左側を見たことがなかったので覗いて見ますとかなりな急傾斜地でびっくりしました。神社の右側の横を通り抜けて頂上はすぐです。2時か3時ころからまた雨が降るとの予報のため、なにかしら一生懸命登りましたが、頂上まで来るもう大丈夫と、体調、天候ともなんとなく安心して、楽しく食事をすることができました。いつも登っている緑深い福王寺もよく見えます。
  頂上では、1221年の承久の乱で、熊谷氏の直国が討ち死にしたため、その子直時にその勲章として三入庄を与えられてこの地にきて、ここに山城を築いたことを記した、看板もあり、以後、毛利が萩に領地変えになるまで居城であったことをしのびます。
頂上での講座は偶然にも、「雨の日の登山と対策」でした。
  東から降りる道では、以前夫と登ったとき、これは土濠だと教えられたときの土濠2本を越えて、市水道局給水所方面へ向かい、広い道路に出ました。そこの道路では、城主上り口という立派な立て札がありました。降りる南向きの道々が土砂災害で甚大な被害を受けたところです。家などきれいに取り除かれた更地には小さな青い花がたくさん咲いていました。
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『鷹の井戸』 ㈢
2017/07/18(Tue)
 ウイリアム・バトラ・イエーツ著 松村みね子訳 『鷹の井戸』 の中に収録されている作品「心のゆくところ」についてです。
 この作品も、壁に十字架がかかっている部屋での一幕だけでできています。
 登場人物は、マアチン・ブルイン父、ブリジット・ブルイン母、シヨオン・ブルインその息子、メリイ・ブルイン息子の嫁、神父ハヤト、フェヤリイの子供の6人です。
 時は遠い昔で、アイルランド、スリゴの地、キルマックオエンの領内であったこととなっています。

 息子の嫁メリイは、森の見える戸口に立って本を読んでいます。
 そのことについて、義母が、嫁が夕食の準備も手伝わないで屋根裏から出してきた古い本を読み続けていると神父に向かって愚痴をこぼしています。
 息子は、そういう母親に向かって、お母さんはやかましすぎるといい、父親は神父に、家族それぞれを弁護する発言をしています。
 息子のシヨオンがお酒を取りに行っている間、ところで、嫁メリイの読んでいる本はどのような本かと神父がメリイに聞きますと、アイルランドの王の娘の皇女イデーンが今日と同じ五月祭りの日に誰かの歌っている歌の声を聞いて、覚めているような、眠っているような気持ちで、その声を追ってフェアリイの国に行き、皇女は今でもその国でいつも踊っているという話だと述べます。
 それを聞いて、みんなはその本を捨てるようにいいます。そして、ところで家の中に幸福がくるようにとお祭りに戸口に飾る祝いの 山櫨子(サンザシ)の枝を飾るように嫁にいいますと、嫁は山櫨子を釘にかけます。ところが、かけると子供が風の中からかけてきて枝を取っていじっているといいます。
 子供が外で美しい声で歌っています。家族全員でその子をうちに入れ、暖かにしてやり温かい飲み物を与えます。緑の服を着たその子供は、父や母や神父に優しい言葉をかけ、みなに自分を気に入らせるようにします。そのうち十字架を見つけ、あれはいやだからのけてくれといいます。神父は十字架を取って奥の部屋にもって行きます。そうなると、子供の力が強まり、その子供の誘いに乗って嫁のメリイが家を出て行こうとします。
 とめようとするものがどうしても彼女に近づけなくなり、彼女は、子供についていくといい、息子のシヨオンがとめようとしてメリイが死んでいることに気がつきます。
 その子供は、メリイの読んでいる本の中に出てくるフェヤリイの子供で、むかしから、あらわれた家に甘い言葉をかけて、不幸をもたらすという悪霊だったのです。
 母親のように働き者でないと生きていけない、厳しい自然に取り囲まれたアイルランドの民話といった感じがいたします。

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『鷹の井戸』 ㈡
2017/07/11(Tue)
 ウイリアム・バトラ・イエーツ著 松村みね子訳 『鷹の井戸』 の続きです。
 ㈠で、「鷹の井戸」についよくわからないまま記録しましたが、㈡では、本の最初の「カスリイン・ニ・フウリハン」という作品について記録します。
 この「カスリイン・ニ・フウリハン」という物語は、タイトルについては読んでいく途中で登場人物の老婆であることがわかります。
 舞台は1798年のキララに近い農家の内部とあります。
 登場人物は、ピーターというギレイン家の主人と、その妻、長男と次男の息子二人、貧しい老婆、近所の人たちです。
 ギレイン家では、外から何かわからない喝采(はや)しの声が聞こえてきます。
 夫婦は、なんの喝采しだろうといぶかりながら、長男の婚礼の準備をしています。
 そしてもうすぐ、長男のお嫁さんが到着するのを待っています。
 夫婦は、自分たちが結婚したときはお互い貧しかったけれど、長男の嫁の実家から、多額の持参金を調達できたことに、満足して会話をしています。
 そんなところへ老婆が尋ねてきます。
 貧しそうな老婆に、食べ物やお金を恵もうとしますが、このようなものはいらないといいます。そして、長男を自分の身近に寄せ付けて話をします。
 夫婦は、この老婆について、「正氣だらうか? それとも、この世の人ぢやないのかしら?」と、疑問を持ち始めます。
 夫婦は、この老婆に彼女のことについていろいろ訊ねます。
 彼女は美しく広大な土地を取られ、大勢の人が家に入ってきたので、こうして長い年月まごつき歩いているといいます。
 望みは、わたしを助けてくれるいい友達がいて、今来てくれているから、いっしょにそれらを取り返すことだといいます。
 ≪「わたしを助ける人たちはつらい仕事をしなくつちやならないよ。いま赤い頬をしてる人たちも蒼い顔になつてしまふ。丘も沼も澤も自由に歩きまはつてゐた人たちは遠くの國にやられてかたい路を歩かせられるだらう。いろんな好い計畫は破れ、せつかく金を溜めた人も生きてゐてその金を使ふひまがなく、子供が生まれても誕生祝ひの時その子の名をつける父親がゐないかも知れない。赤い頬の人たちはわたしの爲に蒼い頬になる。それでも、その人たちは十分な報いを受けたと思ふだらう。」≫といって去ってゆきます。その様子は、若い娘が女王のように歩いていたというのです。婚約者を待っていた長男も取り付かれたように後を追いかけて出て行きます。
 たどり着いた婚約者は、自分を置いていった彼を嘆きます。
 こんなお話です。
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『鷹の井戸』 ㈠
2017/07/10(Mon)
 ウイリアム・バトラ・イエーツ著 松村みね子訳 『鷹の井戸』 を読みました。
 昭和28年12月に初版・平成元年11月再版発行の角川文庫です。
 95ページの薄い文庫本のなかに三つの物語最が収録さています。
 この前、第203回広島ラフカディオ・ハーンの会のとき、古川さんが、能『鷹姫』を東京で観られて紹介してくださり、そのあとも風呂先生が解説を加え、紹介してくださった本で、ネットで夫が買ったのです。
 カバーの折り返しに、
 ≪本書は、わが国の能舞台にヒントをえた作品として広く知られる。古色ゆたかなアイルランドに生をえた薄命の詩人イエーツがケルト神話をもとに描いた幻想と神秘の物語。≫
とあるように、三つの物語はその台本です。それぞれ、舞台の絵とタイトル、登場人物、登場人物のせりふ・登場人物のしぐさや、音響についての説明になっています。
 登場人物のしぐさや、音響についての説明は、カッコつきでさらに小さな活字ですので画数の多い漢字は虫眼鏡で読み取るのがやっとで、大変でした。
 ㈠では、最後の物語のひとつ、「鷹の井戸」の記録をします。
 舞台は井戸の仕切りがあるだけでシンプルです。井戸の守りと老人と青年が登場人物で、ほかに楽人が3人います。舞台には井戸があって、井戸の守り神とおぼしきうずくまった少女と老人がいます。
 そこに青年がやってきて、飲む人は永久に生きるという軌跡の水を飲むため、井戸探してきたことを告げます。
 老人は青年に、自分は若いとき青年と同じように幸運の風に吹かれたつもりでここにきて、50年間ずっとこの井戸に水が湧き出るのを待っているが、水が湧き出るのは、山に踊る聖い影ばかりが知っている神秘の一瞬だけだといい、その踊りの精のおかげでこれまで三度、いつも眠っている間に水が沸き出ていて飲むことができなかった。それでもずっと待っているといいます。そのとき、少女が鷹の声で鳴きます。老人は少女が鷹の精に取り付かれ、誰かを殺すかだますことに気づきます。それに立ち向かうために槍を手にして戦いに行きます。
 井戸のそばにある葉のないはしばみの木は教えます。永遠の命を得んがための戦いよりは、のどかなたのしい生命を選び、妻を娶り、古い炉のそばで子供らと犬のみを宝と頼む生活をほめるといって終わります。
 これを読み取るのに何度も読み返し、その間にうたた寝をしたときには、これに関するわけのわからない夢も見ました。
 ほんとに短い台本ですが・・・。
 なぜか、イギリスから、荒涼としたアイルランドの実態を知らず、何か富を得ようとして略奪に来た者たちへの、呪いに思えるケルト神話のようにも思えてきます。
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『この世界の片隅に』
2017/07/08(Sat)
 こうの史代原作・片淵須直監督 映画 『この世界の片隅に』 を先日の七月二日(日曜日)に、夫と二人でサロンシネマに観に行ったとき、夫が購入していたものを見せてくれたものです。
 外出の苦手な私は、家でやっていたことの続きが頭の中からなかなか消えず、外出は、夫についていくだけで家で横たわっておぼろげになにか空想している延長線上のように思うことがあって、そのときもそんな感じでしたが、夫は、映画館の食べ物を買って食べ、このようなものを見つけて買ったり、トイレを案内してくれたりします。
 いつも映画に連れて行っても寝てしまうと夫に言われ続けていますが、このたびは映画に引き込まれ、最後まで観て、映画館を出てもそのあとのすずの生活を空想したりしました。
 映画でわからなかった部分を夫に聞いたり、夫の問わず語りの映画の感想を聞いたりしてるうちに、映画への見所の違いに驚きもしました。
 そんなことから、帰ったらはやくこのパンフレットを読もうと思っていたのに、やっと昨夜読み終えることができました。
 主人公のすずは、昭和元年くらいに広島市の江波で生まれて、終戦の前年、19年2月に呉に嫁入りします。まったく知らない土地で、やっと自分の住む呉の町の地理が理解できるようになったかなという翌年の6月に時限爆弾の爆発に遭い、右腕をなくします。一緒にいて、右手をつないで逃げていた夫の姪のはるみは死んでしまいます。夫の姪のはるみを守れなかった苦しみと、右手を失った苦しみから、実家に帰ろうと決意します。身支度や荷造りを手伝っていたはるみの母親のけいこが、はるみの死を責めたことを謝ると、やっぱりここにいさせてくださいと二人が抱き合うシーンは、一緒に戦後の苦しい生活を戦っている同士としてもう何も失いたくないとお互いを求め合う気持ちに、強く胸打たれました。
 ≪本作同様に、太平洋戦争の終戦にいたる時期をメインにした映画は多いが、一般にネガティブで暗い側面が強調される。そうすると観客と隔たりのあるものにも見えかねない。しかし、確実に存在していた「人と世界」を「生命をあたえられた柔らかな絵」に置き換えて、大衆的な生活にフォーカスすることで、より身近なものとして体感できるのではないか、そんな意欲が本作には感じられる。≫と氷川竜介氏のコメントにあるとおりであり、一方
 ≪連載当時の2007年~2009年に比べると今は、世の中が「風化しそうなものを語り継がねば」という気分よりも、むしろ新たな戦争に近づいている気がします。ともすれば戦争もやむなしと考えてしまう時、想像を巡らせるきっかけくらいにはなるかもしれないです≫という原作者こうの史代のコメントに人の心の近いものの両面を見た気がしました。
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