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『蒼 氓』
2021/04/30(Fri)
 石川達三著『蒼氓』を読みました。
 昭和49年37版の新潮文庫です。
 昭和10年の著作で第1回の芥川賞受賞作品『蒼氓』と、これにひきつづいて、第二部『南海航路』、第三部『声なき民』と次々出版されたそうです。この文庫本は、250ページ余りですが、それら三部とも収録されています。

 作品は昭和5年のブラジル移民の人たちについて語られたものでした。第一部『蒼氓』は、神戸の国立移民収容所に全国から集まってきたブラジル行の移民たちの、船に乗るまでの八日間の生活が描かれています。第二部の『南海航路』は身体検査などで合格した千人足らずの船内における四十五日間の出来事が描かれ、第三部『声なき民』は、リオ・デ・ジャネイロに船が停泊したときから、入植地に入植して、三日間が描かれています。

 読みながら、そういえば私の故郷では、海外に移民した人のことを聞いたことがないのですが、広島に出て、ときどき親戚の人に移住した人がいるという人に出会ったことがあります。それらの話と、この作品とのギャップは時代の違いなのかなどと思ったりもしました。それにしても作品はあまりにもリアルなので、著者について調べてみました。なんと彼は昭和5年に5か月、ブラジル移民の船に乗って入植した経験を持っているのでした。わずか5か月帰ってこられたこともも含め、彼のその時の手はずについては、作品の内容から類推できます。
 たしかにこの時代、そんな彼でないと書けない作品とも思えます。

 日本での極貧生活から生き残るために決意した移民でした。故郷を去る悲しさと不安、そしてかすかな希望。入植して、すでに入植して数年を過ごした
 ≪米良さんや真鍋さんたちは、まるで世間のことは何一つ考えずに、稲やカフェやバタチンニヤ(馬鈴薯)の事ばかり考えているようでもあった。ここでは、このような世界に在っては、日常生活以外の何ものも縁のないものであった。この部落ばかりが全世界で、部落以外のことは、星の世界のように遠かった。≫
 が入植2日目の偽りない思いでした。

 3月初めから体調をくずし、4月3日から、夫につれられて病院通いが始まり、やっとまともな体になり始めた私としては、こんなに健康を害したことがなかった分、療養の期間中のなんとも辛く、世間にまで気持ちの廻らない異常な期間の思いと、入植時の彼らの思いが、ほんの少し重なって見えました。


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『宣言一つ』
2021/04/28(Wed)
 有島武郎著『宣言一つ』を読みました。
 旺文社文庫の『惜しみなく愛は奪う』のなかに、他一編としての8ページの作品です。
 
 労働問題が、思想家などの理論を離れて、労働者自身による、労働運動になってきていることが述べられています。
今や、どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、第四階級の労働者でもない人が、身の程をわきまえないで、おごった振る舞いで労働者に寄与できると思って、かき乱すことは僭越行為であるという内容です。

 この作品は大正11(1922)年の作品です。大正11年がそのような時代だったのかと思うばかりです。
 この文庫本の年譜では、大正10年には政商や財閥中心の政治をしていたと考えられてもいた原敬首相が東京駅で暗殺されています。そして大正13年6月7日には著者の有島武郎自身が45歳で自殺しています。
 高校生の時買って読んだときに子の年譜内容で気づいていかかどうかわかりませんが、この度印象的だったのは、10歳のときには皇太子の学友に選ばれており、さらに25歳のときには皇太子の補導役に推薦の内談があったが辞退していることでした。このような経歴を心にとめて子この年譜を読むとまた少しかわった感想を持つのでした。


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『惜しみなく愛は奪う』
2021/04/24(Sat)
 有島武郎著 『惜しみなく愛は奪う』を読みました。
 昭和42年発行の、旺文社文庫です。
 なんといっても井上靖の分厚い文庫本を5冊も読んだあとなので、翌日は次に読む本の目星をつけて、認知症のNさんを誘って、亀山公民館に随分前に借りた「ゆるせない病」という本を返しに行き、帰って午後は眠り続けました。そして、次の日は朝から夫の南原峡へつれて行ってもらいました。駐車場から加賀津の滝まで歩きました。途中で流れに岩に挟まった大きな白骨を見つけ、夫は人間のものではないかと引きずり出しますと恐竜の展示物のように完璧に近い動物の白骨です。何を見るにつけても井上靖の本の内容に照らし合わせて思いを巡らします。そこには「猟師でも山中で動物の死体に出会うことはない」と書かれていますが、それなのにこの岩の間に一部挟まって完璧に近い白骨は如何に・・・・。などと。

 目星をつけた本というのが、「あ」のつく著者の文庫本から選んだ、この『惜しみなく愛は奪う』でした。
 気楽に読み始めたのですが、えっ⁉、いま何と書いてあった?と、再々読み返すほどめんどくさい感じです。結局130ページの作品が、ゆうに分厚い井上靖の一冊分の時間を要しました。

 この作品は大正9年、有島武郎42歳の時の作品です。終わりころではありますが、途中で、
≪人間は愛の抱擁にまで急ぐ。彼の愛の動くところ、すべての外界はすなわち彼だ。我の正しい成長と完成。このほかに結局何があろうぞ
 【ここに「以下十四行内務省の注意により抹殺」とあり】
 私はこの本質から出発した社会生活改造の方式を説くことはしまいと思う。それは自ずからその人がある。私は単にここに一個の示唆を提供することによって満足する。・・・・。≫。
の部分から、その時代背景に思いを巡らします。
 大正9年といえばその前年、スペイン風邪で亡くなった島村抱月の後、松井須磨子が後追い自殺をした年です。彼女の歌った北原白秋作詞の曲も猥褻扱いで発禁処分第1号になりました。これから類推すると、猥褻的な文章が続いたのかもしれません。
 いっぽう、翌年の大正10年には、利益誘導型の政治を生み出したと言われる原敬首相が鉄道の現場職員によって暗殺されています。
 この抹殺部分のある1ページ前には、≪国家も産業も社会生活の一様式である。近代に至って、この二つの様式に対する根本的な批判をあえてする二つの見方が現れ出た。≫からの説明に続く文章のなかに、あるいは政権批判に続くような文章があったのかもしれませんが、そこまではとの思いもします。

 どのみちこの作品は、「惜しみなく愛を与える」というのは偽善である。本当の愛は、「惜しみなく奪うもの」であることを、今この時を、個人主義的に、愛を全うして生きるということの宣言と思えるような文章でした。

 「惜しみなく奪う愛」の一つの例として、基督をあげています。
≪基督は与えることを苦痛とするような愛の貧乏人では決してなかったのだ。基督は私達をすでに彼のうちに奪ってしまったのだ。彼は私の耳にささやいていう、「基督の愛は世のすべての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽くした。悪しきもの、醜きものもまた私に摂取されて浄化した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいい。基督が与えかつ施したと見えるものすべては、実はすべて基督自身に与え施していたのだ。基督は与えざる一つのものもない。しかも何物も失わず、すべてのものを得た。この大歓喜におまえもまた与るがいい。基督のおまえに要求するところはただこの一つの大事のみだ。≫


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『化石』
2021/04/20(Tue)
 井上靖著 『化石』を読みました。
 1969年発行の、角川文庫本で、760ページの文庫本です。
 こんなに分厚い文庫本というのは初めてだと思えます。そして古い文庫本で、用紙も茶色で読みにくそうで心配でしたが、読み終わるころにはこの本とすっかり親しくなっていました。

 それもそのはず、昭和40年の朝日新聞への連載ものといえば、私が高校1年生のときの連載ですが、そのときの井上靖は今の私と同じ72歳です。
 このところの私も、ひどい腰痛に悩まされ、それが治るや右耳も激痛に悩まされ、夫と病院の先生に頼っての日々なのです。
 ≪特にこの「化石」には、いわゆる小説らしい筋立てはほとんどない。初老人公の一鬼がヨーロッパ旅行中にガンを発見されて、今後1年しか生きないという死の宣告を受け、以後ひたすら一鬼の内部の死との対話、対決についてのみ語られている。そこにはすでに、愛も憎しみも利害の相克もなく、老年や死の問題をはじめ、人生そのものに対する根本的な問いかけや試作のみが語られている。≫
 と最後の解説にあるとおり、問いかけとが多くを占めていき、それへの思索がキャッチボールのように繰り返されていくのが、だんだん読者と著者の間に繰り返されて行くように読めてきます。
 なかで、父親が亡くなった年齢より。若くして死ぬのは親不孝だという部分がありますが、これも私が母親の亡くなった年齢を超えたことでほっとしているのと同じで、そうそうとやたら突飛な会話ではありません。

 死を前にして美しいセーヌ川の流れに“逝くものは斯くの如きか”と感じたことを、小説も終わりになり、手術が成功して、退院の日にふと思い出すところがあります。そして、セーヌ川の波はあのときのように美しくきらめいて人類の流れを思わせるように今も流れているだろうか?と思うのです。死に向かって生きる時をこのように深く生きて、ふと、これから生に向かって生きることへの戸惑いがあるところです。これは日常の生き方の中で、私たちも考えさせられる部分でした。

 また、小説の中で、100年後に開けられる、ビルの礎石のなかに実物大の、その年のガンの一番大きな組織と一番小さな組織の模型を真空状態にして入れるくだりがあります。100年後にはガンは征服されているので、今の状況を残しておこうとの思いです。2065年ころにはガンが征服されているというのですが、そこのところは、ほんとにそうなるかなと思えた所でした。


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『星と祭』 
2021/04/19(Mon)
 井上靖著 『星と祭』を読みました。
 1975年、角川文庫本で、616ページの文庫本です。

 中級の貿易会社の社長である主人公の架山洪太郎は、妻の冬枝と娘の光子と暮らしていますが、先妻の貞代とその娘みはるが京都で暮らしていました。
 先妻の貞代は勝ち気で人の後ろに立つのは我慢できない性格でした。みはるが2歳のとき離婚し、みはるは洪太郎の母親が手放しませんでした。
 洪太郎は離婚後1年して再婚したため母親はみはるを連れて郷里で暮らしていました。その郷里へ、、しばらくしてときどき、フランス刺繍で名をあげ、それなりの豊かな生活をするようになっていた貞代が訪ねるようになっていました。みはるが11歳の時、祖母が突然亡くなり引き取って暮らしていますが、貞代の兄が貞代に引き取らさせてやって欲しいと申し出ます。みはるに訊ねると母の方へ行くというので京都で母親と暮らすことになりました。
 みはるは、東京へ修学旅行や友達と来たとき、4回ほど突然洪太郎をその会社にこっそり訪ねてきたことがありました。
 そのみはるが、17歳の時、琵琶湖で乗っていたボートが転覆してしまいました。ボートにはもう一人男の子が載っていましたが、二人とも行方が知れないと警察からの連絡を受けた貞代は気を失ったため、そばにいた弟子らしき人が洪太郎のところに報せてきたのでした。すぐに洪太郎は琵琶湖にかけつけました。貸しボートの佐和山のところに宿をとった男の子の父親の大三浦と、6日間、警察や漁師との捜索をしますが遺体はとうとう見つかりませんでした。その間、男の子の父親の大三浦は息子が心中したようなことをいうのが気に入らず大三浦に嫌な感情を抱いていました。
 その事故から7年たった時から小説は始まります。
 親しい年下のアマチュアあがりの登山家が訪ねてきて、エベレストのふもとのタンポチェという僧院のある集落で、10月4日の満月を見るという計画に洪太郎を誘いました。登山家仲間の3人は、洪太郎の知り合いの画家である池野も誘っていて、5人でその計画を果たします。
 その月の照らすエベレストでの光景に、洪太郎は、生まれる意味も死ぬる意味もない、永劫、ただそれだけという感を抱き、それを通して大三浦に対する思いが大きく変わったことにきづきます。そして帰国して琵琶湖で大三浦に会ったとき、ちょうど満月だったことから、佐和山の提案で、大三浦の念願である琵琶湖で、二人の親が佐和山と二人の子供の葬式をします。

 7年間の二人の親の悲しみ苦しみが、この作品のほとんどですが、その感情の高まりが、琵琶湖湖畔の数々の十一面観音に出会わせてくれたり、エベレストのタンポチェという僧院のある集落の観月に向かわせたり、洪太郎の大三浦への嫌味に向かわせたり、大三浦と佐和山とのいさかいに向かわせたりもするのですが、最後の春の琵琶湖の月見で、三人が心を通じ合わせ、わが子二人への供養は、これまでに湖畔で亡くなった人々みんなへの供養にかわっていくのでした。

 私も少ないながらいろいろな死に出会いました。読みながら、この作品に出会えたことに深く感謝すること度々でした。


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『氷 壁』
2021/04/17(Sat)
  井上靖著 『氷壁』を読みました。
 1963年、新潮社の文庫本です。528ページの文庫本です。
 集中して読める状況だったのですが、なんとなく読み進めない内容でした。おかげで、途中で交通安全協会の総会の案内が、支部の19名の理事に往復はがきで送れるようにすべて印刷ができ、ポストインするだけになりました。事務局としてはこのパソコンでの往復ハガキ作りがいちばん気の滅入る仕事です。気にかかる作業を早めに成し遂げて後半を読みました。

 山登りの好きな魚津恭太は、奥多摩から東京に帰って、次は正月休みに、奥又白に二人で一緒に登る友人の小坂乙彦に出会います。小坂乙彦は八代美那子と待ち合わせをしているのでした。八代美那子がくると魚津は気を利かせて帰るのですが八代美那子もすぐ後を追いかけてきて相談を持ち掛けます。小坂乙彦がしつこく愛を告白してくるのに困っているのでやめてほしいと伝えてくれというのでした。八代美那子には20歳以上年の多い八代教之助という夫がます。
 魚津は、八代美那子に頼まれたことを小坂乙彦に伝え、あきらめるよう強く話します。と同時に、小坂乙彦の思いが強いことを聞かされます。

 計画通り、暮から正月にかけて、魚津と小坂は奥多摩に登ります。標高3000メートルの氷壁を小坂が自らトップを志願して登っていた時

 ≪事件はその時起こったのだ。魚津は、突然小坂の体が急にずるずると岩の斜面を下降するのを見た。次の瞬間、魚津の  耳は、小坂の口から出た短い烈しい叫び声を聞いた。≫

 小坂は死んだ。魚津は下山して捜索隊を結成し、見つけ出した遺体の処理をして、遺骨を小坂の郷里の母親に小坂の妹かおると共に届けに行きます。魚津は小坂の事故は「ナイロン・ザイルが切れたから」というので、ナイロン・ザイルがそれまでのザイルより強度が強いことを主張する製造会社が強度実験をします。それをするのが八代教之助でした。実験ではナイロン・ザイルは切れませんでした。魚津の会社もそのザイルを作っている会社と関係を持っていたために会社を首になり、嘱託として働くようになります。
 八代美那子は自分のせいで小坂は自殺をしたのではないかと勘ぐり、魚津に同情します。気づかないうちに八代美那子も魚津もお互い惹かれ合っていました。
 同時に小さい時から兄から魚津のことを聞かされていた小坂かおるも魚津に惹かれ結婚を申し込むのでした。魚津もそれに応じ結婚の約束を受け入れます。
 魚津はかおると穂高に登る約束をします。彼女が行ける徳沢小屋まで行って魚津が飛騨側の滝谷の岸壁に挑戦して降りてくるのを待っていてもらう計画でした。滝谷の岸壁に挑戦することで八代美那子の幻影を払い落とすためでした。そしてここで事故にあって魚津も事故死するのでした。

 この作品では、魚津の上司である支社長の常盤大作が魚津への愛情を示すところが一息入れる読書になりました。
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『渦』
2021/04/14(Wed)
 井上靖著 『渦』を読みました。
 1965年角川の文庫本です。これも先に読んだ『地図にない島』よりも分厚い628ページの文庫文でしたが、やはり一気に読み上げました。

 また、タイトルに象徴される事柄の意味がストーリーのいよいよ最後にわかってくるのも『地図にない島』同様です。
 16歳の戦災孤児の山西光一が、自分に母性愛を感じさせて暖かい気持ちにさせてくれるおばさんの中津伊沙子が、彼女の夫への腹いせに山西光一が嫌な男鳥巣と旅に出るとわかって鳥巣をピストルで撃って殺すというなんともなどんでん返しで小説が終わるのです。

 山西光一が怖いと思いながらも自分にとって父親と思っている勤め先の副社長の吉松が、見合いの世話をしている姪の宗方りつ子に、言い聞かせる言葉があります。
 ≪「僕は恋愛という言葉ほど嫌いなものはない。何が恋愛だ!週刊誌を開けばのっけから恋愛という文字だ。小説本を開けばまた恋愛。日本中、恋愛。――この間オオカミの話を読んだが、オオカミは交尾しているところを見つかると、見つけた相手をどこまでも追跡して行って、それをかみ殺してしまうそうだ」・・・・「恋愛というものに、もし価値があるとすれば、オオカミが目撃者をかみ殺してしまうように、そのような守られ方をした場合だけだ。恋愛自体に価値があるのではなく、そのように守られた場合、初めてそこに価値が生まれるのだ。これはオオカミが本能として持っている生態にすぎないが、動物の種族保存というのは、常にこのようにして守られてきたのだ。・・・・」≫

 山西光一が鳥巣を嫌いになったのは、鳥巣の家を訪ねた時、鳥巣の部屋で女性の寝た後の様子がうかがえる彼のベッドを垣間見たことがあったことでした。そんな鳥巣に誘われて旅行すると思える伊沙子が、いままで優しくしてくれても決して自分にお小遣いをくれたことがない伊沙子が餞別と思える大金を包んで持たせてくれたのです。旅行に行かせては、もうこんりんざい自分と会えなくなると思ったことからのピストル射撃は、吉松のいうオオカミの生態の再現のように思えます。

 吉松の数少ない言葉のなかに、できないけれども人間の理想とする動物の生態がいくつか語られていて、なかなか味のある小説でした。


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『地図にない島』
2021/04/13(Tue)
 井上靖著 『地図にない島』 を読みました。
 1980年文芸春秋発行の文庫本です。なにしろ522ページの分厚い文庫本ですが、一気に読み上げました。

 それほどストーリーも闊達で、にもかかわらず誌的な文章表現による美しさにも魅せつけられながらの読書になりました。

 多加子と洪介の結婚式で小説は始まります。すぐ後、新婚旅行に京都に出かけその途中から多加子は逃げ出して家に帰ってしまいます。洪介は京都に住む友達の八代を呼び出し慰労会をします。途中八代の知り合いの絵描きの女性に出会い、さらに一緒に飲み歩いて、洪介はその女性の家に泊めてもらうことになります。
 一方家に帰った多加子は、母親に仲人の家に行って謝るようにきつくいわれて、仲人の家に行き、そこの一人息子の章三に事情を知られますが、彼は、嫌だったら思い切って帰ってくるのは勇気あることだと応援してくれます。そのあと多加子は章三に結婚を申し込まれ、それを拒野に苦労をします。多加子は、洪介も章三も嫌いではないが結婚する相手とは思えないという気持ちを表明します。
 多加子はこんななか、大学生の時家を何度か訪ねたことのある大学の猪俣先生にしか相談できる人がいなくて二度相談に行きます。二度目に自分が好きなのはこの猪俣先生だと気づきます。
 ところが物語が進むにつれて、この猪俣先生は京都で洪介が止めていただいた絵描きの女性亜紀をずっと思い続けていた人なのだということが分かってきます。これら3人の男性と、二人の女性による恋愛小説です。
 解説に
 ≪井上の恋愛小説のヒロインは常にロマンティストであり、理想主義者であり、女性特有の非論理的な勘や感性によって理想の純粋な恋愛を追い求めようとする。そして作者自身も恋愛の純粋性をそこに求めようとしていると言ってよかろう≫
と、述べられています。また、
≪井上の小説に、このように画家がしばしば登場するのは、理由のないことではなく、井上の新聞記者時代に美術記者としての長い経験があったことはよく知られていることである。≫
ともありました。
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『五箇山ぐらし』
2021/04/11(Sun)
  かつおきんや(勝尾金弥)著 『五箇山ぐらし』を読みました。

この作品を読むのは2度目です。昨日「通史会」に参加して、排便処理についての話題が出たのがきっかけで、もう一度読んでみたいと思って1日あまりで読み返したのでした。

最近体調が悪く集中力がないせいで、一日あまりでかなり分厚い本を読み上げるということは全くなくなっていたのですが、一応ブログにも残しておこうとさらに頑張っています。

 

読み返した目的というのは、まずこの本が我が家にあるかどうかが問題でした。停年最後の職場で、古い図書を廃棄することになったとき、そのなかから間違いなくこの本を我が家に持ち帰っていたかどうかが問題でした。見つけ出してほっとして改めてこの本を撫で返しました。著者は子ども向けに書いているのですが、大人が読んでも充足できる本なのです。

 

この本の内容については最初に読んだ2011年8月1日のブログに記録しています。よって、このたびの読書で改めて興味深かったことについて記録します。

この作品の著者勝尾金弥児童文学者というより、民俗学者といえると思えたことです。江戸時代、身分区別は士農工商とはっきりしていました。わたしは農家に生まれたので農とは米を作る人々のことだとすっきり理解していました。しかし、この農の身分のなかには、米の取れない地域の農も含まれそうです。この作品の主人公の少年松吉は米づくり農家に育たのですが、イナゴの大量発生で何升かの年貢が足りず家族ぐるみ流罪で行かされたところは、養蚕農家でした。そして、すべて藩が買い上げる塩硝づくりもしなければなりません。塩硝づくり用の家の手入れ(村全体で行う共同作業)や、日々の食べ物のための畑仕事や山菜取りなどで、朝早くから休む暇などなく、泥にまみれて働きます。これも農の部類に入っていたと思えます。その生活手段となる技能を子供が学んでいく姿をきちんと描いているところが、並の民族学者ではないと感じさせるのでした。

そして意外なことに気づかされました。それは、為政者の理不尽なやり方で、罪人にされ、生まれたところを追われさげすまれる身を一番許せない祖母が、「私たちは何も悪いことはしていない。仏さまはちゃんとお見通しや。なみあみだぶ・・・・・・。」といって気を静めて大きな力を得ているということでした。

ブログには記録していませんが、3月に片田珠美著『許せないという病』という新書本を読みました。これは、78歳の友人の娘さんが突然お母さんには内緒でねと我が家を訪ねてきて、ある人についての怒り心頭の悩みを打ち明けていってから、どうしたものかと読んだ本です。しかし、この読書によっては何も感じられずにいたのでした。

しかし、この本では、宗教はとりあえず、気持ちを整えて、冷静に判断できるという大きな力を与えてくれるものだと思えたのでした。

 

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後藤新平の記事を読む
2021/04/02(Fri)


 2021年3月14日(日)の中国新聞に掲載された後藤新平の記事を読みました。

 この記事は、3月27日(土)の「通史会」のあとⅯさんがくださったものです。

そのまえの3月13日(土)の「通史会」の時、後藤新平の話題が出たのですが、その翌日に中国新聞が大きく後藤新平を取り上げたその偶然に感激して切り取って持ってきてくださったのでした。

ひさしぶりに布団を干したりして片づけていて目にしたものです。勿論一度は読んでいたのですが、今日はゆっくり丁寧に読み返しました。

 

≪後藤は、日清戦争から帰還する兵士たちの検疫を行うため、1895(明治28)年、陸軍検疫部事務官長として陣頭指揮し、わずか2カ月の突貫工事でこの地に似島検疫所を開いた。

帰還兵たちはいったんすべて検疫所内の宿舎にとどまり、衣服や持ち物の消毒をし、経過観察した後、健康な兵士は広島港に上陸、罹患が疑われる者は「避病院」と呼ばれる隔離病棟で治療を受けた。≫

 

この記事を読むと、私たちは、後藤新平(1857年~1929年)が台湾総督府民政長官・満鉄初代総裁・逓信大臣・内務大臣・外務大臣などを歴任したことについてはうっすら承知しているのですが、この度のようなウィルスなどの伝染病によるパンデミック対応で世界を驚かした人としての認識にかけていたことを知るのでした。

 

新聞の切り抜きが実はもう一枚ありました。

これは、「通史会」が読み進めている『芸州新庄紀行』に出てくる「折敷畑(おしきばた)合戦」で毛利方の熊谷家来末田新右衛門によって討ち死にした陶方の大将宮川房長の居城岩国市美和町生見の高森城の記事で、これも紙面を広く使った記事の切り抜きで、ぜひ訪ねてみたいと思える記事でした。

 

 

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『可部の歴史と文化』2
2021/03/21(Sun)

 広島文教女子大学地域文化研究所 平成8年の発行の 『可部の歴史と文化』の、友久武文・神原雅之共著「可部地方の民謡」を読みました。

 

 この著作は、その前の「源平争乱期の可部」から比べると大変わかりやすく、民謡にさほど興味のない私もつい読んでしまいました。

たくさんの民謡に関する書物から可部地方を含む民謡を集めて解説されてあります。最後に、≪本稿は友久が素稿を書き、神原と協議して改稿した。採譜はもっぱら神原が担当した。≫とあります。友久先生というのは存じ上げないのですが、神原先生は私が在校生だったころ、幼児教育学科におられたことで名前を聞き、姿をお見かけしたこともあったのでなつかしく読ませていただきました。

すこし前、外山比呂志の『エディターシップ』を読みかじったせいか、二人で改稿されただけあって、より読者の興味を引くものになったかと思われます。

民謡では聞き知った歌はありませんでした。

わらべ歌のなかでは、手毬歌が5とおり紹介されている中で

1かけ 2かけ 3かけて 

4かけて 5かけて 6をかけ

7かけ 8かけ 9をかけて

10でとおととおと10かくし(可部町)

の最初のほうはすぐに思い出しました。

また、お手玉歌の

お一つ落として おおしゃあら

お二つ落として おおしゃあら

おおみいな おおしゃあら・・・・・

は、私たちは、おおさーら お一つ落として おおさーら お二つ落として おおさーら おみんな おーさら・・・・・と少しずつちがっていますが、これも懐かしく思い出します。

鬼遊び歌も3つ紹介されている中の一つ

あぶくたった煮えたった 煮えたかどうだか食べてみよう

(鬼) まだ煮えん

あぶくたった煮えたった 煮えたかどうだか食べてみよう

(鬼) もう煮えた・・・・・

もなつかしく何十年ぶりに歌いました。

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『可部の歴史と文化』
2021/03/18(Thu)
 広島文教女子大学地域文化研究所 平成8年発行の 『可部の歴史と文化』の、横山邦治著「わたしにとっての“可部”」と角重始著「源平争乱期の可部」両方で40ページを読みました。

 横山先生は亡くなられて4・5年になります。
「わたしにとっての“可部”」では、先生が子供のころ生まれ育った鈴張から3里先にある可部への道行と、そこで出会うちょっとした町の風景が述べられています。先生のお宅へ夫婦で訪ねたこともあったので、なるほどとの思いで往古をしのぶことができます。

 角重先生の「源平争乱期の可部」は、読み終わったあとでところどころ読み返して、平安時代の地方について少しわかってきます。
ここでは、「厳島文書」の「厳島野坂文書」のなかでも10通に満たない平安時代の文書のなかで見つけられた、可部源三郎こと源頼綱の追而書(治承四年1180年)を中心に平安時代の可部を思いめぐらすことができます。

もともと、藤原守仲から7代目の藤原成孝は、破産状態になり、1151年可部荘を本拠とする源頼信を養子に迎え高田郡の三田郷と三次の粟屋郷の所領を譲渡します。二つの所領に関する証拠文書などの譲渡です。源頼信はその付託に応えて現世の養育をし、官物の未払い分や私的な債務の弁済に当たります。そして、1167年には自らの安定的な領主権を確保したいがために、平清盛の威光を頼みに彼の信任厚い厳島神主佐伯景弘にその証拠文書を譲渡しました。それから30年後、それを引き継いだ息子の源頼綱も二つの郷の所領の経営に心を砕いて彼なりに尽力してきました。
ところが、1180年9月になって突然あっさりと景弘に三田・粟屋両郷を奪い取られてしまいます。そのとき、景弘に送られたのが可部源三郎こと源頼綱の追而書です。
治承四年1180年段階における“高圧的な景弘”と“卑屈な頼綱” の二人のコントラストのなかに、安芸国の平安末期の政治史を解くカギは潜んでいるというのです。

1167年には従五位下に叙せられた景弘は「平」を名乗るようになり、民部太夫寿永元年(1182年)在地の人間としてはきわめて異例な安芸守に就任するのです。

どんな時代もその時代の制度が年数がたつにつれて中央にも地方にもとんでもない弊害がでてくるその道筋が見えてきます。取り上げられた郷は、国司の権力が増し、納税不可能な土地を私有化したことで、私有地になってしまっていたためにおこることがらでした。正式な領有権は急速に権力を増していった平家に取られても仕方がないの一例です。

平安時代には一揆などはなかったのかというと、やはり地方の一揆が中央の制度に破綻をきたさせる様子もわかってきました。
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『鬼滅の刃』
2021/03/11(Thu)
 吾峠呼世晴著 『鬼滅の刃』 を読みました。
 『吾妻物語』以来の漫画です。
 なんだか読んでいて意味が解りません。3巻頃から少しわかりはじめ5巻でやっと次が待ちどうしくなりました。しかし、5巻まで和子さんから借りたので返すため、まず1巻の裏表紙の説明を記録。≪時は大正時代。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変する。唯一生き残ったものの、鬼に変貌した妹・禰豆子を元に戻すため、また家族を殺した鬼を討つため、炭治郎と禰豆子は旅立つ!!血風剣戟冒険譚、開幕!!≫

 2巻は1巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告
≪鬼殺隊の青年・義勇の勧めで、炭治郎は鬼殺隊入隊を目指し、鱗滝のもとで修行することに。厳しい修行を突破した彼は、入隊の「最終選別」へ。そこで、鱗滝と因縁のある大型の異形の鬼と対峙し、師匠から教わった技で立ち向かう丹治郎だが・・・!?≫ ≪鬼殺隊入隊の最終選別で、異形の鬼と対峙する炭治郎は、師匠・鱗滝から教わった技で立ち向かう!!はたして選抜突破なるか!?そして、鱗滝の下へ戻った炭治郎は、目覚めた禰豆子と共に、毎夜少女が消えているという町へ向かい!?≫

 3巻は2巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告。
≪鱗滝の修行を終え、鬼殺隊の「最終選別」を突破した炭治郎は、禰豆子と共に任務へ。任務中、宿敵・鬼舞辻と遭遇するものの逃げられた炭治郎は、そこで鬼でありながら、鬼でありながら、鬼舞辻の命を狙う珠世と愈史郎に出会う。二人から禰豆子を人に戻す手がかりを得た炭治郎だが、突然、鬼舞辻の直属の配下・十二鬼月に襲われ!?≫ ≪毬と矢印を操る鬼二人と刃を交える炭治郎と禰豆子。自らを鬼舞辻の直属の部下十二鬼月と名乗る鬼たちに、珠世や愈史郎の助力を得て炭治郎たちは立ち向かう!!見事撃破し、宿敵・鬼舞辻への手がかりを得られるか!?≫

 4巻は3巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告。
≪最終選別の時の同期・我妻善逸と出会い、共に次なる任務へ向かうことに。鼓を操る鬼を倒した炭治郎は、善逸が猪の毛皮を被った少年に襲われているところに出くわし!?≫ ≪少年を止めに入る炭治郎だったが!?そしてしばしの休息の後、炭治郎たちは、鬼殺隊の緊急の指令により不気味な山へ向かう!!そこに潜んでいたのは・・・!?≫

 5巻は4巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告。
≪新たな任務で同期・我妻善逸や嘴平伊之助と共に那田蜘蛛山へ向かった炭治郎は。そこでは蜘蛛の鬼によって鬼殺隊が壊滅状態に陥っていた!お互いを家族という、異質な鬼の集団。父さんと呼ばれた鬼が炭治郎と伊之助に襲いかかり!?≫ ≪善逸は蜘蛛になる毒に侵され、伊之助と炭治郎も巨大化した父蜘蛛に翻弄され、戦いの終わりは見えず・・・そんな絶体絶命の一行の下にある影が・・・!?≫

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久しぶりのブログ記事
2021/03/07(Sun)
 ブログを書かなかった間、多少本を読んだ。いちばん分厚かったのは『5000匹のホタル』途中これはなんだか知っていることがらだ・・・・と思って、読み終えブログ記事を書きかけて念のため過去記事を調べてみたら2017年6月に感想など書いていた。そのうちだんだん本が読めなくなった。たぶんこんなにテレビを見るのは初めてという人生初のテレビ三昧が始まった。
 その原因の一つが、2月の初めから来客が連日だったことだ。其の後には事務局としての作業が少しある。必ず家にいることがわかっているからかもしれないと気づいたころの2月28日、和子さんが孫を連れてきて福王寺登山に誘ってくれた。

そして3月1日、思いがけない電話があった。それからのことをブログ記事にします。もし読んでアドバイスがあったらコメントしてください。

Nさんメモ
◎ 3月1日(月曜日)晴
朝、民生委員のYさんから電話があった。YさんはNさんの認知症の話をされ、Nさんが行くところがないと言っていたことで相談を受ける。そして家が近い私に協力を依頼された。
(最近、団地の下の191号線を車で走っているとき、免許書を返納したNさんが速足で歩いているところをよく見かける。彼女とは、年末に我が家の家の修理にトラックが入るので、その間我が家の車2台を彼女の家の庭に置かせてもらった。そのとき彼女のひどい赤切れにびっくり。年明け家の中の整理をしていて見つけた赤切れの薬を、ごみを出しに行ったときに出会った彼女にその薬を取りに来ていただいて・・・・、といったような関係だ。)

正午ころNさんに電話連絡がつき昼食後の12時40分に迎えに行くことに決めて二人で福王寺の駐車場まで登る。
下りる途中、夫がNさんに鯵の刺身を取りに寄るよう伝えたので我が家に立ち寄ってもらう。和子さんのつくったクッキーを食べながらコーラを飲んで鯵の刺身を土産に持って帰られる。送っていく。帰ってみると4時30分。

※ 迎えに行ったとき、私の家迄行ってきたばかりだといわれたので驚く。
登山途中では、教育テレビの高校講座の社会科でみた保険の話などした。
※Nさんは難聴の人へのボランティアをしていたとき、大きな声で話していて通りがかりの人に大声で話すなと怒られた話をされた。
※一緒に我が家にきたとき、出迎えた夫と私を見比べながら二人は結婚していたのかと言われたので驚いたと夫が後で私に話した。
※夕方二軒隣のOさんの家の前で娘さんを見かけたので挨拶すると、母がお世話になっていますと言われた。その様子から、近所の人が見守っていてくれることに感謝されている様子が伝わり、近くにいても働いているとやはり近所の人が頼りなのだと感じていることが伝わってきた。

◎3月2日(火曜日)晴
10時20分ころ電話する。いつもの彼女だったら昨日の鯵のお礼などをいうところ、先日はいろいろありがとうございました。とお礼を言われる。散歩したいときは誘ってねとお願いをして電話を切る。

◎3月3日(水曜日)晴
10時5分頃電話して忙しくしているかどうか聞くと、生協が来たので忙しかった。話のなかで、生協の商品には量が多すぎるものがあるといわれる。それでは多すぎるものはその半分をその値段で私に売ってくれたらいいというとそれを持ってくると言われる。散歩するかどうか聞くと散歩すると言われるので、散歩の支度をして持ってきてくれとお願いする。待っても来られないので出かけてみると1本手前の道で家を探しておられたので声がけをして一緒に我が家へ帰る。つっかけ履きで来ておられたので、散歩の準備のために彼女の家に行く。家に上がってくれと言われるので上ってみると以前とは考えられないほど家のなかは足の踏み場もないほどさばけていたのでびっくりした。散歩の行帰りの途中に2度ほど共通の知人のKさんの家に寄ってみたが留守であった。 一昨日より認知の度合いが極端に悪く感じられ不安になる。
※Nさんの持ってこられた生協の商品は想像より大量で代金をというとそれはいいと言われる。コロナパンデミックの前はいつもお刺身を届けていたのを彼女はありがたがってくださっていたので代金は言われるとおりにする。

◎3月4日(木曜日)晴夜小雨
夕刻5時前、鯛めしをもって訪ねたが留守だった。帰って携帯に電話をすると今下へ下へ降りてサンリブに行っているといわれた。鯛めしを持って行ったが留守だったというと、残念そうだった。帰りはいつ頃になるか聞くとできるだけ早くして7時ころになると言われる。7時に鯛めしと、そのあとわりと美味しく作れた大根の葉っぱと油揚げの炊いたのも持っていく。何度も来たのかと言われるので、いや今来ただけだと応えた。入れ物を返すことに自信がなくて気を使わせそうなのでお皿を持ってきてくれるよう言うと食器ではなく空になった入れ物を持ってくる。もし今日は口に合わなくても冷蔵庫に入れておいて明日美味しく感じることもあるから食べてね。というと、うれしそうな様子。こちらが慰められる。よく考えてみるとサンリブには食事に出かけられたのではないかと思った。

◎3月5日(金曜日)小雨のち晴れ
 午後4時前電話を入れる。喫茶店のキャロットで昼食を食べていて、そのあとサンリブに行くと言われる。甘酒を造ったので一緒に飲めたらとおもって電話しました。というと、お酒が苦手で甘酒も飲まないとのこと。じゃあ夕方きんぴらごぼうを造ったので少し持っていくね、というと喜ばれて、帰ったらもらいに行くと言われ、帰って取りに来られる。

◎3月6日(土曜日)
10時ころOさんとNさん宅へ酢鯖を片身ずつ届ける。Nさん宅では留守だったが、ちょうど娘さんと車で帰ってこられた。娘さんと挨拶をして帰る。世離れするほどの美しい娘さんは少しして同居すると言われた。(民生委員さんに聞いていたが黙っていた)
Nさんは、3時ころ入れ物の二つとラーメンとミカンを持ってきてくださる。娘さんはすぐ帰られたとのこと。
 夕方5時ころ再度今日はありがとうと言ってマスクを持ってきてくださる。出来立てのバラ寿司を味もきかずに大きなタッパーに詰め込んで錦糸卵や桜デンブ、紅ショウガ・パセリで飾って持って帰っていただく。7時過ぎ思ったよりお寿司がおいしくできていたので安心したと電話を入れるとおなか一杯食べたといわれた。

  彼女にかかわって、約1週間が過ぎました。
 核家族で育ち、長男の嫁でありながら夫の父母にも私の両親にも煩わされることなく見送ってきた私ですが、彼女に思いを寄せるこれからの生活が、わたしの何気ない日常になる今日の記念として記録しました。


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『ホタルの歌』
2021/02/14(Sun)
 原田一美著 『ホタルの歌』 を読みました。
 子ども向けの本です。というか読み終わってみると教師向けの本です。
 小学校6年生を受け持つ教師が、宿直当番の夜、算数のテストの採点をしているとき、ホタルを見に行こうと誘いにきた3人の子供と川辺に出かけます。何千という数のホタルの飛び交う姿を目の当たりにします。飛び交うホタルへの子どもの素朴な質問に何一つ答えられず、子どもたちに一緒に調べてみようといったところから始まる子供たちとのホタルの研究に関する内容です。

 ほー、ほー、ほたるこい、あっちの水は甘いぞ、こっちの水は苦いぞ、と歌が自然に口を突いて出てくるような場面で、ホタルは甘い水が好きなのかなー、そういえばホタルはいったい何を食べたり飲んだりするのだろうか?という疑問から始まるレベルは私にちょうどいい。

 読み終わると、昭和41年に中枝小学校の6年生だった皆さんの研究に、この読書によって参加させていただき、すっかりほたるの一生に限りない慈しみを抱いています。

 この研究を見守りつつ指導され、さらにこれだけの作品を残された著者に“感動” のやまない読書でした。


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『楽しい化石の採集』
2021/02/12(Fri)
 石井良治・井尻正二共著 『楽しい化石の採集』 を読みました。
 これは子ども向けの本で、とてもわくわくさせる本です。本でのいざないにさっそく化石採集に出かけたくなります。広島では帝釈峡などが挙がっています。そんなところに行かなくてもほらあなたの家のなかにも、あるいは家のすぐそばにも・・・・。などと化石の採集の段取りや作法やその容易さと楽しさと化石との対話の楽しさを語ってくれます。

  夫に花粉の化石の採取の困難さについて話すと、目の前で採取方法やその花粉の植物の見極め方まで楽しそうにペラペラしゃべり返してる。そんなによくわかっているのに化石の採集へ駆り立てられないのが大人なのかなーなどと思ってしまう。

 花粉の化石の採集は、オシリス・レックスやハヤブサ2の小惑星の標本採集の困難さにも通じるものを感じてしまう。
あの大宇宙からたった400gのサンプルの回収をしてくるのと、花粉の化石の採集とが、生命の誕生の謎に迫るおなじ作業に思えてくる。

 小惑星が地球の軌道と重なり衝突するときがだんだん近づいているのだという。そうなると 400gのサンプルと同じものが地球にも降りかかる。そのとき地球は崩壊し、生物は消滅するのか、・・・・。
地球が消滅すればタンパク質によってのみ生存できるコロナも消滅するのか。
・・・・・・。
 本当に生命の誕生は謎に満ちていることを感じさせる本でした。

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『ここは今から倫理です』
2021/02/07(Sun)
 昨夜、NHK総合・広島での 『ここは今から倫理です』 を見ました。
 カントのいう「人間は理性的な存在であると同時に自然的な存在である」という言葉を生徒に教授する場面から始まる30分間のドラマでした。
 この作品では、ある長期欠席生徒の心のなかに在る、カントのいう「理性的」と「自然的」な存在のありようを自覚させ、「理性的」な自律へと導いていくものです。

 ここでは机上の哲学をまことしやかに教授することを許さないのがカントの哲学かも知れないと思わせます。。わたしがそう感じたのは、習っていたころは私自身が正義を行うことで生活が成り立つ身体環境や家庭環境をともなったごく平凡な生徒であったからかもしれません。

 我が家には訪ねてくる人が意外と多く、その人たちは大好きなのに、訪問客で疲れ気味だったのが定年退職後の日常でした。ところが、月一の会合での風呂先生が亡くなられ、さらに古文書を習っていた加川さんも亡くなられて、おいしく作っての食事だけが生きがいの日々のなかでパンデミックが起こりました。やっと自分の時間、ぼーっと何時間も天井を眺めていたり、あるいはこれでもかと言わんばかりにこのおんぼろの家を掃除したりするなかで、実はとても気にかけて私を見つめてくださっていたのに私がそのことに気持を置かなかった倫理社会の阿川先生をなぜかよく思い出しています。

 先生は高校の時の2年3年の時の担任の先生でした。先生は普通科の校舎ではなく商業科の校舎に付随した小さな一人用の教員室におられて絵をかいておられたようです。初めてそこを訪ねたのは修学旅行に連れていけないと言われたことに怒って抗議のために学校にやってきた父をともなって仕方なく先生のもとに連れて行ったときです。結局話し合って阿川先生の友達が院長先生だった三次駅前の大きな外科病院に40日間入院させられました。

 先生の自宅を訪ねたのは結婚前に夫と行ったときです。わたしには中学生のころから親族のあいだでそれとなく結婚相手を決められていました。県道沿いの大きな農家です。体力に自信のなかった私は農業に自信がありませんでしたが、言い出せずいたので、誰か年長の人に相談をと思ったときなぜか阿川先生のところに行ったのでした。先生と夫とはすっかり打ち解けて絵の話などをしていました。結婚相手にと思われていた人も絵画で偶然新聞に出るような大きな賞を受賞した人だったのでもしかすると先生もご存じだったかもしれませんが、先生には親が結婚に反対すれば説得してやる位の思いもあったのでした。

 次に先生を尋ねたのは29歳の時文教女子短期大学に入学するとき内申書の相談に行ったことを覚えています。先生はその時はもう三次高校にはおられなくて、副担任だった吉岡先生に万事恃んでくださいました。

 卒業して広島大学に社会主事講習を受けに行かなくてはならなくなったころから先生はわたしを社会人と思われるようになったのか出会うと必ず食事をごちそうしてくださり、ご自分の家庭のことなどを話されるようになりました。
 そして先生は当時つぎつぎと新設される大型の文化施設の館長を歴任されるようになりました。最初に三次の風土記の丘の館長になられた時には施設を案内してくださいます。偶然施設の入って左側の壁面いっぱいの巨大な絵は、私が最初の職場で出会った小学校の校長先生の絵でした。そのころ夫がはらみちおさんと交流があり、よくアトリエを訪ねていて、彼のたくましく伸び行くものを見る下からの視線の絵と、阿川先生の総理大臣官邸に借り上げられて話題になった高みから時代をその流れからいちはやくつかみ取って見せていく視線での絵の対比を感じていたことなどいろいろ思い出します。

 あと3回 『ここは今から倫理です』 の放映が楽しみです。
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『手向山武蔵顕彰碑』
2021/02/06(Sat)
 これは、A3の用紙3枚の資料です。
 このような資料の数々をどのように整理しようかと日々悩んでいるといえば初志貫徹になるのですが、疲れたなどと、日々テレビ三昧です。今迄録画したものをいま一度じっくり見ています。
 そのなかに、2016年ころの100分de名著『宮本武蔵の五輪書』がありました。吉川英治の『宮本武蔵』で宮本武蔵を堪能していたころのことと比べるともっと時代的な検証のうえに彼の人生が意味づけられたら興味深く見る人もいたのではないかとの思いもして物足りなく見ました。

 そのあと、この資料が古文書解読のための辞書などに交じってあるのに気づき、なぜ古文書のなかに入っていないで解読辞書などのなかにあるのかと不振を抱いてこのところ眺めていました。
 顕彰碑とはいえA3の用紙1枚にぎっしりの漢文による碑文です。
 宮本武蔵が1645年に亡くなり、その9年後の1654年に武蔵の養子である伊織が藩より拝領した手向山に熊本泰勝寺の春山和尚の撰文になるこの碑を建てたとのことです。

 2枚目の4分の3くらいまでは「宮本武蔵名品集成」による『泊神社棟札』の表と裏に書かれてあるものです。それにひきつづき3枚目いっぱいこのふたつの記述にある単語の注釈があります。調べて分からない単語についてはクエッションマークがあり、調べてわかった文字とわからなかった文字tがその通りなので、私としてはこの注釈には信頼をおきます。
 碑文の文字をこのように活字化してそこに使用されている言葉の注釈を読んでいると、これまでの私の読み方で、字面や文脈から勝手に解釈している古文書の解読におおいに反省をさせられます。
 この資料はこういった反省を促すための解読資料だということが分かってきます。

 この解読のための資料のなかで同じように反省したものに『武一騒動』のなかにあった資料もありました。武一騒動は広島藩の藩主が廃藩置県によって江戸に行くときに不安にかられた藩の人びとによって起こされた騒動で、地元の事でもありますし江戸時代も終わりのころの古文書でもありますので、けっこうこれも文脈にによって勝手な解釈をしていたかもしれません。しかし、例えば「川成」は洪水によって川になった田畑、「明知」は藩士などに知行されていない予定地などと、60項目ちかく丁寧に調べてあるのを読んでゆくうち、文中のなかでこれらを常に正確に理解していたかどうか不安になってきます。

 100分de名著『宮本武蔵の五輪書』では、武蔵へのイメージは後の人たちの想像によってずいぶんかけ離れていった部分があることが最近の古文書の発見によってわかってきたと説明されていましたが、この資料は亡くなって9年目のものですし、剣術での腕を語る元となることがらが箇条書き風に書かれてあるのでかなり真実に近い資料といえます。


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『思考の整理学』
2021/01/17(Sun)
 外山滋比古著 『思考の整理学』 を読みました。
 この本は223ページのうすい文庫本なのですが、今の私にとってこの読書は実用的なので時間がかかりました。
 今の私というのは、年末から家のなかを使いやすいように整理しています。
 このことは私にとっては大事業です。
 なぜかというと、私は掃除は得意ですが、整理整頓は苦手なのです。納める場所をきちんと掃除して、きれいにしたものをきちんと収めるというのはどうにかやっていますが、整理にはなっていないというのがこれまでの人生でした。整理整頓が苦手なのです。
 今では老夫婦が一日中家で過ごすという生活がしっかり板についてきました。それで思い切って整理を始めました。まず家具は動かさないままで、収納するものを使いやすい場所の物入れに整理することにして、まずは自分の衣服の整理、家じゅうの自分の衣服について整理整頓する。夏服は袖なしや半袖はすべて破棄し七分袖から残す。次に夫の衣服の整理、当然衣服以外のものも整理されていきます。ここらあたりで整理することがだんだん楽しくなってきました。私にとって今までできなかった頭脳労働がです。
 そして、図書の整理。我が家では一番量の多いものですし、一般図書を著者の名前をあいうえお順に・・・・そんな時見つけたのがこの『思考の整理学』です。

 著者は、大学の先生です。学生が卒論を書くにあたって先生に相談に来ます。そういった学生へのアドバイスから始まって、このような著作、あるいは寄稿文、講演などについて、どのように思考を整理してやっていくかということが語られてあります。資料の集め方、それの醸成のさせ方・・・・。これが家の整理に役立ちます。

 やっている整理が大切と思えたことに、こんなことがありました。12月に100分de名著で高樹のぶこさんの『伊勢物語』の解説を聞いて、彼女に大いに関心がわき彼女の本が読んでみたいとしきりに思っていました。ところが本の整理中、彼女の芥川賞受賞作品『光抱く友よ』がありました。すでに読んでいて2013年の8月にブログ記事を書いています。みどりさんとコメントでその感動を分かち合ってもいます。もし、この度のように本箱に意識して整理しておけば、ここまで忘却の彼方に飛んではいないはずと思えたのでした。ブログを書くよりも読んだ本が何かの塊に見えずに、それぞれが語りかけてくれるような収納の方法があるのではないかと思えるのでした。またブログに書いてしまうと忘れやすいということも『思考の整理学』によって考えさせられます。隣のご主人に頂いた日航機123号の墜落事故についての分厚い本の2冊はブログに書かずにいるせいかいまだに心の中にしこりのように残っています。少し考え方が変わってきそうな我が家の整理事業と読書でした。

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「道楽と職業」
2021/01/04(Mon)
夏目漱石著「道楽と職業」を読みました。
 『漱石全集の第二十一巻』の 二番目の作品です。
 この作品は、―明治四四年月明石に於いて述―とあり、明石での講演記録です。
読み進むうち、12月に松井卓子さんが送ってくださった「漱石と広島」の会の会報10号・11号を読ましていただいたなかの、「研究者・批評家から小説家へ―夏目漱石『夢十夜』(第十夜)の意味するもの―」と題した宇野憲治先生の寄稿を思い起こし、いつもより、違った感覚で読むことができました。

 宇野先生の寄稿では、夢十夜の登場人物の庄太郎がついて行った女性に底の見えないところに飛び込んで御覧なさいと言われ、飛び込まないと豚になめられますよといわれ大嫌いな豚ではあるが、命には代えられないと飛び込まないでいると豚がすり寄ってきたので、庄太郎は杖で豚の鼻頭を打った。豚はぐうと倒れて絶壁から落ちていった。次々と出てくる豚はこうして絶壁に落ちていったがだんだん手が蒟蒻のようになってとうとう豚になめられてしまったという夢について、このことは、女性を眺めていただけだったときから、ついて行ったとき、すなわち、研究・批評していただけから、小説家になったことで、仕事に対して過労死することを重ね合わせている夢ととらえられてのことでした。

 漱石は、「道楽と職業」で職業は他人本位でやらないと金にはならない。自己本位でやれるのは、哲学か、研究者である博士か芸術家であるが、最後に、自己本での文芸家について述べているところが宇野先生の寄稿の内容と重なり合ってくるところが面白く感じたのです。

 朝日新聞主催と思えるこの講演では、さすがに自分には社から、作品数のノルマや、読者の気をひき売り上げに貢献するような作品をとの注文が課せられてはいないと言いますが、実際には、数年のうちにはだんだんその重圧に襲われていくことは確かであったと思われないでもありません。


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『芸州新庄紀行』
2021/01/01(Fri)
桂主馬著 『芸州新庄紀行』 を読みました。
 松井卓子さんが12月に郵送してくださったものです。
 「通史会」をお休みしたので、「次から読むことにした古文書よ。」と、「広島と漱石」の会の会報と一緒にていねいに送ってくださったのです。
 その古文書と、古文書の読み下し文を活字印刷してあるものです。
 古文書は非常に読みにくく、最初は両方を見比べながら読むつもりでしたが、私には大変読みにくくお手上げで、読み下し文を読みました。本文を理解するために読むのですが、できるだけ本人がこういった音で口ずさみながら書いたのではないかということを考慮して読んでみたので、最初のほうは何度も読み返しました。

 ≪この芸州新庄紀行は、この本文其の他の文書の内容から見て、岩国藩吉川氏の筆頭家老桂主馬が、江戸中期、主家の命を受けて、先祖墳墓の地 秋の国新庄に墓参旅行をした報告文である。・・・・・≫

から始まる、この古文書の位置づけが丁寧に検証して記された活字文もつけ添えてあります。

 ゆく道々、馬子や、ところの年寄りなどに、毛利氏と陶氏の1554年前後の古戦場のあった場所などを聞いて、先祖への思いにふけっていると思えるところが何か所かあります。

吉川家のご先祖の地新庄での万徳院跡や海応寺などは、私も近年夫につれられて訪ねたことがあり、山奥なのに道路も整備されていたのに驚きながら吉川家の広島時代を懐かしんだものでした。

 また、この古文書と符合する書物として、吉川家次席家老香川正矩・景継父子による1695年の『陰徳太平記』が紹介されています。香川といえば、我が家にある『松陰逸話』という本の作者が香川政一という人だったことを思い出します。このブログに2010年11月と2019年5月と、2度記入していました。この香川政一著の
『松陰逸話』は山口県にも2冊しか現存していないことをどこかで読んだ気がして大切にしています。


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『血の挑戦』
2020/12/22(Tue)
 大薮春彦著 『血の挑戦』 を読みました。
 勿論これも隣のご主人に頂いた本の一冊です。
 徳間書店よりの、2005年2月の初版本で、510ページの文庫本です。
 これも楽しく読めました。「読書は娯楽です」と思える本でした。

 最後の解説を参考にしての作品記録です。
 4年前――北見は十歳以上も年上の兄貴分三井と組んで、K市で幅を利かせていた進藤組から当時の価格にして5千万円に相当する10キロ分のヘロインを横取りすることに成功する。
 だが、アパートに戻った北見は、待ち伏せていた正体不明の人物にヘロインを強奪されたうえに警察に逮捕され、北の果て網走刑務所に送られてしまう。
 懲役7年のところを4年で釈放され、極寒の網走で重労働を科せられたが逆境をバネに、消失したヘロインの行方を突き止め、自分を襲って網走に送った人物を探し出して復習を果たすという目的のための再起を画策します。

 K市に戻る途中、すでに青函連絡船内で殺し屋に狙われます。K市に戻り、三井宅に身をおきながらも、三井に4年のあいだに市の暴力団地図は大きく塗り替えられていることを教えられます。

 正確な情報を得ようと、人間殺人鬼ともなって、対峙するのですが、終わりに近づくと自分を狙って一番危ない思いをさせて苦しめていたいた人物がじつは三井であったということを知ります。このように、信頼していた人物が次々と裏切りをするというのがこの作品です。相手についての正確な情報を得るためには、信頼しているふりをしなければならないと思わせられる作品です。

 以外に私もスーパーアクションものが好きだということがわかった読書でした。
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『凶獣の罠』
2020/12/20(Sun)
 大藪春彦著 『凶獣の罠』 を読みました。
 これも隣ご主人に頂いた本の一冊です。
 平成6年初版発行の文庫本です。

 おもしろくてあっという間に読みました。
 大藪春彦という作家の名前も、聞けば聞いたことはあるかも?と思えるほどの作家でしたので、まずウィキペディアで、この作家について読んでみました。
 なになに、3億円事件のとき、彼のある作品の内容に事件が似ているということで、警察に犯人に疑われたことがある? と知ったとき興味がわいて読み始めました。
 読みはじめると、3億円事件は小さく思える、アフリカの西海岸の小さな国ローマニアから世界で一番大きく時価3千億円以上もするダイヤモンドを手に入れてくるという奇想天外な犯罪の話でした。
 ヒーローのF1レーサーの高見沢優は、外人の女性の罠にかかります。最終的にはこの女性も被害者なのですが、主犯は義足をつけたヤミンスキーです。タウチェスク大統領が権力を握っていたローマニアが、1年前民衆蜂起によって壊滅し民主ローマニア政府が誕生したが、革命の混乱によって経済が逼迫してきている。タウチェスクの隠し財産は中央アフリカのモザンピアにあり、ローマニア民主政府とモザンピア政府の取り決めによって12月9日にタウチェスクの財宝の引き渡しがあるので、そのお財宝を奪取してくるようにというのです。経費は総てヤミンスキー側が持ち、芳洲は1千億円で引き受けることになります。

 彼はそのことをやりとげるのですが、そのあと、ヤミンスキーの手下から、それを奪われそうになり、敵はヤミンスキーになり、彼からもダイヤを守りぬきます。その間に犯した殺人は数え切れませんし、その証拠は一切残さなといったやり口です。
 作品では、拳銃をはじめとして武器の説明が丁寧すぎ、それは字ずらを追うのが精いっぱいで、まるで知らないことばかりを読み流しました。


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『金正日が仕掛けた「対日大謀略」拉致の真実』
2020/12/13(Sun)
 西岡 力著 『金正日が仕掛けた「対日大謀略」拉致の真実』 を読みました。
 これも隣のご主人に頂いた本の一冊です。
 この作品は、2002年10月31日の初版本です。
 2002年10月31日といえば、小泉純一郎日本国総理大臣と金正日が同年9月17日に平壌で出会い会談を行い、同年10月15日5人の拉致被害者が帰国してまもなくです。著者は、当時「現代コリア」編集長、東京基督教大学教授、97年から北朝鮮拉致被害者の家族とともに、被害者救出の運動をしていた方です。

 このように慌てての出版は、北朝鮮の拉致被害者の実状の発表に、大きな不信感を抱き、その奥にある金日成の企みと狙いを明らかにするためだといいます。
 彼らが必死に隠そうとするこの企みと狙いについて、「北朝鮮は日本人を拉致はしたが、① 拉致被害者をテロ活動に利用するようなことはしなかった。② 拉致を命令したのは金日成ではない。」 ということを主張したかったことだといいます。このなかで、①の、拉致被害者をテロ活動に利用するということは具体的にはどういうことかと思っていると、韓国などほかの国にテロ行為を行うのに、日本人が犯人であるかのように、朝鮮人に日本人になりすませるように日本人教育をさせるのです。これは、1974年に起きた文世光事件にヒントをえた対策だそうです。北朝鮮の工作員が在日韓国人・文世光に接触し、朴大統領を暗殺すれば南北は統一し、韓国の民主化も実現すると洗脳し、大阪府警から盗んだ拳銃を与え盗んだパスポートの写真を張り替えて日本人として韓国へ入国させ朴大統領を狙撃させた事件です。

 このように、工作員を使っての他国への犯罪に拉致被害者を教育してあらゆる方法で利用することを考えてやっていたのでした。その実例を読むと北朝鮮の国際的犯罪手段がうかがえます。
 死亡したと伝えられている元工作員(金賢姫・安明進)による目撃情報のある人たちをすでに死亡したと発表。表に出すと工作機関の実状が暴露されるからです。

 最後に、当時の北朝鮮の置かれた実情を踏まえ、≪北朝鮮の置かれた立場などから、拉致被害者全員の救出のための最終局面への扉が開かれつつあるといってよいだろう。≫ と述べられていますが、あれから18年。それ以後、だれ一人として帰国できていません。この本を読んで、私たちより多くの情報をこの頃から聞いていろいろ考えておられた被害者御家族の気持ちはなんとも言葉にあらわしようがありません。


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『聖徳太子』
2020/12/12(Sat)
 上原 和著 ドラえもん人物日本の歴史『聖徳太子』 を読みました。
 夫の亡くなった弟の小学4年生の孫が遊びに来て、漫画でも漢字を覚えるのだと聞きました。そうかも知れないとさっそく喜びそうなマンガを探していて、見つけました。

 とはいえ、私は一時期、秦河勝にご執心の時期があったために、懐かしい気持ちで読みました。この作品では、物部守屋との戦いの時と、562年欽明天皇の時代に任那が新羅の支配下になったために、それを取り返しに聖徳太子が新羅を攻める決意をし、弟の来目王子を将軍として行かせる決意をするところで秦河勝が登場します。秦河勝は朝鮮からの渡来人でしが(新羅からの渡来人であることはしっかり頭んはいっていなかったようでこのたび確認できました)、この作品では、新羅は自分の故郷だから胸が痛むと述べます。結局弟が筑紫で病気で亡くなったりして新羅遠征は中止となりました。

 久しぶりの秦河勝だったのですが、もう少しかっこよく書いてほしかったな―。

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『五体不満足』
2020/12/11(Fri)
 乙武洋匡著 『五体不満足』 を読みました。
 お隣のご主人に頂いた本の一冊です。
 この本の存在はよく知っていたのですが、いままで読んでいなかたのでした。
 頂いてよかったと思っています。でないとうっかり出会わない本でした。
 歯医者での待ち時間でも、大好きなテレビ番組のコマーシャルの間も読みました。
 乙武洋匡氏が手も足もジャガイモがコロンとくっついたような状態で生まれてから、早稲田大学の学生になって活躍するまでの話でした。

 彼の成長記録は奇跡のように思えます。
 このような五体不満足な体で生まれながら、自分の目立ちたがり屋の性格や、負けず嫌いの性格のままに、そして周りの人の応援をバネに自分の能力を引き出して頑張って成長していく姿勢に、こうでなくてはと、思わされます。

 保護者をはじめ、地域の方々、学校での受け持ちの先生や友達などなどのいろいろな形での協力をいっぱいいっぱい受けての成長であったはず。

 そんな中で自分と人との違いに気づき、自分の役割に気づき、人から求められ過重だと思える役割にも挑戦していこうとする力を得ていったと思えます。

 21歳の時、アセック(国際経済商学学生協会)という学生協会での活動を補助してくれた横内さんという人にキャンパスで再開しました。横内さんは一班企業に就職することの難しい重度の障碍者に自立の道を提供している社会福祉法人東京コロニーという会社に勤務している。横内さんもサポートしてきたごみリサイクルのイベントに関する用事できたのでしたが、さらにやってきた。新宿区西清掃事務所の所長である木谷さんという人を紹介される。木谷さんはごみリサイクルの問題を考えているうち、街が抱えている問題のいろいろについて考えが及びバリアフリー問題について協力を要請さ、バリアフリーという言葉はその時初めて聞いたのでが応じてしまいます。それからの活動の展開には目を見張るばかりでした。
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『私は旅人』
2020/12/08(Tue)
 いつきじん著 1999年詩人会議 土井大助 より発行されたものです。

 ≪ 私は生きている

 こんなに小さな体でも
 こんなに小さな心でも
 動けるじゃないの
 考えられるじゃないの
 生きているってそれだけのこと
 人間の存在は小さいけれど
 それでいいじゃないの
 その他に何を求めるっていうの
 私は地球の小さな小さな片隅に
 太陽を求めて 生きていく
 新芽のようなもの
 芽はこれから大きく伸びようとしている
 芽はけっして倒れはしない
 伸びずに倒れてはいけない
 芽は地球に存在しているから
 私は生きているから ≫

 著者は、1953年生まれとあります。私より4歳若い人ですが、この詩は彼女が何歳の時読まれたのでしょうか?
 いま、71歳の私が読んでもうなずけます。五体満足な時読んだらどうだったろうと思えます。すこしずつ機能が衰えているからこそ、いま自分の生活に希望を持つために同感できるのかもしれません。


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『寺澤正・岡島茂夫 詩画展』
2020/12/06(Sun)
 1993年12月25日 光村印刷株式会社より、発行されたものです。

 最後まで読んで、まさしくこれは大人の詩だ・・・・・・と思わされます。
 開くとカバーの折り込みに、「コワイもの見たさ」 という本郷淳氏の推薦のことばがあり、その言葉を借りて、感想を述べるしかないかとも。

 ≪詩人というと仙人のように遥か高所にいて、われわれ世俗人とは次元が別な、と言って天才とも違う世界の人間を想像しがちだ。しかし、寺澤詩人は 「ウム、現代ニイキテイル詩人トハ此ノヨウニ棲息シテオルノカ」 と思わしめる食うや食わずや筆一本の文筆家業、テレビ・ドキュメンタリーの構成など、なかなかナウイ仕事もしている。≫
にかもしだされる詩から読める思い。

≪詩は

詩は ことのはのなかに在り
ことばは日々薄氷を履む
 人間のなかに在る
生れでた
かりそめのいのちは 
死を迎え
踏み出すひとときの 耀きにことばを紡ぐ
繭のように帯のように 
羽のように吐息のように  
かたくなに紡ぐ
ことばこそ薄氷を履む 日々の歩行となる
生き下手の旅は 
あいあえぎあざけり
あおざめる悲鳴
あなたへの呼びかけの こえが地平への 
白い道をひらかせる
詩は あいのあつれき
あらん限りの いのちの途上に 在ることば≫

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『伊勢物語』
2020/12/04(Fri)
 100分で名著  『伊勢物語』 です。
 最近、100分で名著は購入はしてあるものの、読んでいないことがよくありました。
 このたびもそうでしたが、放送での高木のぶ子氏があまりにも魅力的だったので、気を入れて読みました。
期待以上でした。
 『伊勢物語』 は、在原業平を描いた物語ですが、著者ははっきりしていないとのことです。高木のぶ子氏は、書き継いでいった人たちがよんだときの願望、欲求や怨嗟を書き加えて形成されたものが藤原定家(1162~1241)によって現在の125章段にまとめられたといいます。著者については、最後(82ページ)の方で、高木のぶ子氏は、自分の小説 『業平』 を執筆する過程で、斎宮の専門家に取材し、業平の最後の妻は斎宮だった恬子(ヤスコ)に仕えていた伊勢という女性だったという説を聞かされます。自分の小説のラストには、病床の業平が自分のすべての和歌を彼女に托して死んでゆく場面を書いたと述べておられます。
 こんな素敵なラストシーンを書くことができたのも、彼女の在原の業平への思い入れからすればなるべくしてなったとの思いがする解説です。

 この作品は、読んでいて懐かしささえ感じるような美しさを感じます。

 4回の最初、思いは解ってもらえないという虚無 の章で、

≪むかし、男、いかなりけることを思ひけるをりにか、よめる。
   思ふこと言はでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ
 (思っていることは言わずに、そのまま終えるべきであろう。私と同じ人などこの世には居ないのだから、心の底より解ってもら えるはずなどないのだ。)≫

 という歌とその解説があり、

≪自分の思いは不十分にしか伝わらないという認識も、みやびの一つであると言えるかもしれません。自分の思いが百パーセントと伝わることはないし、伝わると思うこと自体が傲慢だ。あるいは、言葉がそのまま伝わると過信してすべてを言い尽くそうとする、そんなことはやめておこう。そうしたある種の諦念は、叶わぬことに抗わないという本質に通じるでしょう。≫

 という部分では、先ほど読んでいた三島由紀夫について思いを巡らすことになりました。三島由紀夫は読んでいてウンザリしてきます。あまりにもしつこすぎると思えるからかもしれません。自分の気持ちを伝えたくて最後は切腹迄することについては。何もそこまでしなくてもと思わされます。


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『永六輔 新・無名人語録』 死ぬまでボケない智恵』
2020/12/03(Thu)
 永 六輔著 『永六輔 新・無名人語録』 死ぬまでボケない智恵 を読みました。
 株式会社飛鳥新社より、2007年第1刷発行、2008年第2刷発行の新書版です。
 ≪町を歩いていて、
  喫茶店で、
  電車やバスの中で、
  ・・・・・・聞き耳を立てる。
  なんという名語録の洪水。

 無名の人々が語りあう言葉のコレクションをして40年。≫
と書きはじめられています。

最後まで読んで、最後の方で引いた語録を少々紹介します。
≪「トラブルの多い原発に 『文殊』 『普賢』 というような仏教にとって大切な名前を付けるのを許しておいていいのでしょうか。
だめですね、日本の仏教は」
               ◎
「原発のことは『トイレのないマンション』とか『ブレーキの効かない新幹線』と言われていますが、最近ではトイレのない新幹線でブレーキの効かない状態です」
               ◎
「昔の大工はうらやましいよ。素材のいい木がいくらでもあったんだから、材料で差がつい ちゃっているということをわかってもらいたいよ」
               ◎
 「平安時代には樹齢1000年なんて木がいくらでもあったんだ。
 鎌倉時代で500年、江戸時代で200年、最近じゃ100年くらいで大騒ぎしてる。
               ◎
 「日本の政治家って半分以上が二世なんですからね。
 政治家は血筋ってものじゃありません。
 親父がラクな仕事をしていると、子どもは跡を継ぎたがるものです」
                  
すこし真面目なものばかりになりましたが、なかには読んだ瞬間大笑いするのもいくつかありました。

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