『みずうみ紀行』
2007/12/28(Fri)
渡辺淳一の『みずうみ紀行』を読む。

この本は昭和60年に発行された20数年前の本であるが、図書館でほとんど開かれたこともなく置き去りにされていた感じのする「新古本」といった本である。

ほとんど開かれたことがないというところが幸いして、20数年前の湖の姿と著者のまなざしをまっサラのまま見せてくれる。

一言でいって、「すばらしい。!!」

「絵にもかけない美しさ」というが、絵にもかけない美しさを何枚かの写真で切り取り、解説してくれる。
その美しさを語るテクストにさらに感動させられる。

美しさとはいったいなんであろうか、「渡辺淳一が湖畔にたって感じる美しさということの実態はなになのか」ということをじっくりなぞることができる。

北海道を中心とした湖や池を19こ。
それぞれの美しさや感慨を何度かたずねて確信をもって語ってくれる。

実は、渡辺淳一の『失楽園』をテレビで見たときには少しがっかりした。
しかし、この『みずうみ紀行』を読んでいると、渡辺淳一が外科医であったときに相対した患者(人間)にどんな思いであったろうかと考える。

いくつかの自殺者の「遺体」と「思い」をのみこんで、波ひとつ立てず深い緑色の山を映して微動だにしない湖。

死者の霊魂を感じながら、この美しい湖畔の一隅になんどもなんども一人たたずむ渡辺淳一の姿を思い浮かべる。

※ 菱の実が「ペカンペ」といってかってアイヌ人が常食としていたことを知る。
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『びんぼう草』
2007/12/27(Thu)
群ようこの『びんぼう草』を読む

群ようこという人、図書館や本屋で見かけたことはあったが初めて読んだ。
井伏鱒二の本を読んだすぐ後だったせいかずいぶん雑な書き方だなと感じてしまう。

7つの小品が収められていて最後にいくほど楽しく読んだ。

グズグズ考えず、はきはきしているところは、みんなこんな風に生きていけたら人生最高よ!という見本のような話だ。

久しぶりにマンガを読んだ後のようなスッキリ感を味わった。
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『半生記』
2007/12/26(Wed)
井伏鱒二の『半生記』を読む。

『私の履歴書』と題して昭和43年に、新聞に連載されたものだそうだ。
解説に書いてある。
また、≪この作品は昭和11年(38歳)に書かれた『雞肋集』と共に、井伏鱒二の人と作品を理解するために欠くことのできない重要な文献である。≫
とも書かれている。

井伏鱒二の文章については永井龍男のべた褒めの文章も引用してある。

井伏鱒二は、いったいに偉大な作家として取り扱われているが、どこがそんなにいいのかなとその所以を思いながら何作か読んできた。
読みさした話の続きを開く間に、文面をどことはなしにていねいになぞって読んでみたりもした。
感じるのは、この人の作品は肩が張らない。
誰にでも好き嫌いはあるが、嫌いなものが書かれてあるとき「ふーん」と軽く感じられる。
それは、思想や倫理観などから出た好き嫌いではないので、あるいはそのように書いているので、誰にも「そんなこと言ったって」という感じが起こらない。

だから、誰でも無条件に可笑しいところは笑えるし、なんとなく事の成り行きがすーっと入ってくるのかなと思える。

明治31年生まれの井伏鱒二は、お爺さんにかわいがられて影響を受けて育ったことでお爺さんの生まれた江戸時代の元号などをさかのぼって勘定し、自分に影響した時代のものでそのまま使われていたのもの、身分の上下による言葉遣いや呼称などについて書き綴っている。

井伏鱒二がこの作品を書いた昭和43年に、江戸時代のある地方の生活の一部分の話がつい昨日のように書かれてあって、なんともいえない郷愁を感じる。

あれから、明治維新があって日清・日露があって・・・・太平洋戦争があって、東京オリンピックがあってと時代も変わり生活も変わったと思うけれども、彼の話だと時代はのっぺりうずくまっている間に昭和43年になったような気がして不思議な気がする。
夭折した作家のような、せっかちさがないのだろうか。
時代をさかのぼることで郷愁を高められるよい作品だった。
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『琴の記』『おふくろ』『釣宿』
2007/12/25(Tue)
井伏鱒二の『琴の記』『おふくろ』『釣宿』を読む

いずれも『新潮日本文学 2 井伏鱒二』の中に収録されている短編。

『琴の記』は、太宰治の最初の奥さんの琴が、離婚して後も井伏鱒二の家の物置にあったことについて記されている。
太宰治の離婚の後先が伝わってくる作品だ。
解説に書かれてあった、この作品がNHKラジオで朗読されたときのエピソードは興味深かった。

『おふくろ』は井伏鱒二が母親を苦手に思っていることについてよくわかる作品だ。
男の子は、家を出て行くと母親との間はたいていこんなにギクシャクするのではないかと改めて思えておかしい。
特に井伏鱒二は早くに父親をなくし、母親が父親代わりにもなって育てたのならなおのことではなかろうかと思う。

『釣宿』はこんな所で本など読んでいないで釣りに行きたくなるような話だ。
蚕の蛾を買ってきてウグイ鮠を釣るところなどは次から次に釣れるさまが目に浮かぶようでウキウキする。
釣宿の女中さんについての話は旅情をさそっていい。このような出会いが釣をますます楽しくさせているようだ。
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『駅前旅館』
2007/12/24(Mon)
井伏鱒二の『駅前旅館』を読む。

この作品は新潮現代文学2  『井伏鱒二』 に収録されたものである。

昭和31年に執筆されたものが、54年にこの本に収められている。

この作品を読むのは初めてだが、子供の頃父親に連れられて映画を観た中にこの作品があったのではないのかという気がする。
父がよく連れて行ってくれた映画には伴淳三郎や淡島千景という俳優さんの出演するものが何本かあり、こどもながらに大笑いをしてみた記憶だけが残っている。
その中のひとつだという気がしていちど落ち着いて読んでみたかったがこのたび願いがかなった。
読んでみると、やはりそうだ。雰囲気が思い出されて懐かしい。
今一度映画を見たい。

≪それに、早くから生まれ在所を棄てて行った人間です。在所の人から見ると、どうせろくな者とは云われない。実際ろくな人間じゃあございません。≫
と、自分のことを語っている柊元(くぎもと)旅館の番頭が主人公なのだが、この主人公が律儀で、素人女や友人の身内の女には絶対に手を出さない。
また、自分を好いてくれていつでもいい仲になれる間柄になっても結局最後まできれいな仲でいる。
≪絽の朱色の長襦袢は、特別に染めさしたものに違いない。私は無断でその場に近寄って行ける特権を覚える反面に、その権利を放棄するのは、行使するより以上に心の保養になることだと気がつきました。≫
というところなどは心憎いほどの色気を感じるところだ。

映画を観て大笑いしたのは高沢という向かいの旅館の番頭の演技だったと気づく。
子供の頃は、色恋についての男女の機微はよく理解できなかったので、こんなところで大喜びしていたのかもしれない。
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『うなぎ』
2007/12/21(Fri)
井伏鱒二の『うなぎ』を読む

読んでいるうちこの作品は読んだことがあると思った。

同窓会が熱海で開かれる知らせを受けて出席することにする。
ついでに、熱海の友達の岡谷君の家に立ち寄ることを思い立ち電話をすると、岡谷君は出かけていて、奥さんが電話口に出てお待ちしておりますといってくれる。
それで、岡谷君の好物のうなぎの蒲焼それも生きたうなぎを中串にしたものが好きだということで、早くからうなぎやで3匹注文をし生きたまま持って行けるように梱包してもらい嫌がる息子に手伝ってもらって東京駅まで運び熱海の旅館に頼んで中串に焼いてくれるよう頼んだりした。

同窓会も終わって、岡谷君の家に電話を入れたところまた奥さんが出て主人の岡谷は熱海の竹葉といううなぎやで待っているという。
せっかく、何日も前からうなぎの中串を彼の家に手土産にと散々手間と労力をかけたのに、彼は、家ではなくて、うなぎ屋で待っているという。

岡谷君と待ち合わせるという竹葉に電話してこちらは酔いすぎたから、もういけないと岡谷君に伝えてもらう。

実は、岡谷家には秘密がある。一人娘が、貰い子なのだがこのことは夫婦しか知らない。
娘にはなんとしてもこの事実を分からせないことに夫婦で決めている。
しかし、陸軍徴用でシンガポールにいるとき、岡谷君にその話を聞かされるのだ。
岡谷君は、彼が家に来てうっかりそのことを娘の前でしゃべられたらどうしようの思いからこのような行動に出たのだった。

人の秘密を打ち明けられたためにとんでもないことが起きるという話だ。
このようなことは気がつかないうちによくあることだとしみじみ思う。
一方的に聞かされて、あるいは偶然知ることとなって、逆に警戒される。
仲良くしたいのにとんでもない人間関係になってしまう。
こういう不幸な関係になってしまう。
長く生きていると何度か経験してしまう。
そういった話がさりげなく書かれている。
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『神屋宗湛の残した日記』
2007/12/21(Fri)
井伏鱒二の『神屋宗湛の残した日記』を読む。

神屋宗湛は、織田信長が本能寺で明智光秀に襲撃された、「本能寺の変」があった当日、博多から本能寺に呼び寄せられていたといわれる茶人だ。
また、その襲撃の騒ぎの最中、天下人の定宿の床の間の掛け軸を懐中にして脱走したというほどの急場に気転の利く只ならぬ人であるから興味をそそられる歴史上の人物の一人である。

よってこの本に対する、私の意気込みの程も並ではない。

井伏鱒二もそうであったに違いない。

≪私は「宗湛日記」を口語訳に書き直すことを思ひついた。但、宗湛の文章には茶道特有のわからない言葉が入っている。だから不明なところ、退屈なところ、訳しにくいところを省略し、気に入ったところだけ書きとめることにする。≫

と最初に述べてあるが、「註」として、人名の詳しい説明や、状況、日記を読みやすくわかりやすくするための解説が本文の半分くらいを占めていて、茶道や、歴史に詳しくない私にとってはここが読みどころであった。

本文は、ほとんど茶会日記で、茶会の主人や客の人数と名前・お茶室の様子や作法・茶道具に書画、その表装・客の衣装・活花に花器、それらの材質、造り、色、出所、などの説明がほとんどである。
時の豪商、茶人、大名などの歴史的人物と美術工芸品の「宝の山」の羅列である。
そういう記述のしかたが、茶会日記の作法であるらしい。

死の商人といわれた宗湛と、秀吉や大名たちがどのような商談をしたのかが知りたいところであるが、世の東西を問わずこんなことは極秘中の極秘である。

日記は、天正14年10月28日上松浦唐津村を出発、11月18日下京四条の森田浄因のところに来て止宿から天正15年朔日に博多に帰着する。までのおおよそ1年1ヶ月の間のものである。

時は、秀吉が九州攻めを計画しそれをなし終える期間である。

この日記の解説を読み進んでいて、宗湛がもって逃げたというその掛け軸は、牧谿の「遠浦帰帆」ではないかということがわかり、それが後、巡りめぐって家康のところへ秀吉の形見としていったということがわかってくる。

また、この神屋宗湛は豪商神屋家5代目で三代目の祖父は支那奥地から冶金術の秘法を覚えてきて石見銀山の製錬の改良をした人だということがわかった。

また、戦国時代の戦災で荒廃した博多の町の町割が出来たのは、このときの町割りによっているということなどあらたな事柄を知ることが出来た。
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『鈍感力』
2007/12/21(Fri)
渡辺淳一の『鈍感力』を読む。

話題になっていた頃から読んでみたいと思っていた本だった。
あっという間に読める本だった。

鈍感であれば、編集者から、原稿をつき返されたり無視されても、平気で書き続けることが出来る。
才能があっても、このことにくよくよイライラして書かなくなって、みすみすチャンスを失う人もいる。というのが【其の壱】ある才能の喪失

大学病院の主任教授が、手術の最中、ぶつぶつ小言を言う。そのために落ち込んで自棄酒を飲んだりしている部下の医局員がほとんどだが、一人小言のたびごと「はいはい」と合いの手を入れて、まったく気にしない鈍感な医局員が後に立派な外科医になったというのが、【其の弐】叱られ続けた名医

鈍感でいると自律神経に必要以上の負担を強いないためにいつも血管が開いて血の巡りがよく健康が保てるというのが【其の参】血をさらさらと流すために

視覚・聴覚など、見えすぎ・聞こえすぎは精神の衛生面でもマイナス。悪すぎるのには、眼鏡や補聴器などがあるが良すぎるのはどうしょうもない。鈍感なほうがよいというのが【其の四】五感の鈍さ

生きとし生けるもの睡眠が大事。すぐに寝れてすぐ起きれて、というようになることが大事。「下手な考え、休むに似たり」でくよくよ考えないことというのが【其の五】眠れる大人

ほめられたら、迷うことなく「図に乗り、調子に乗る」そして未来に向かって大きく羽ばたけというのが【其の六】図にのる才能

雑菌でも気にせず食べて腸内雑菌を増やし、外から入ってくる菌に抵抗力をつける。少々腐ったものを食べても下痢や腹痛を起こさないほうが良いというのが【其の七】鈍い腸を持った男

とかく女性は口説かれるのが好きな生きもの。一度や二度あるいは三度断られてもへこたれずに口説く。この鈍感力が必要というのが【其の八】の愛の女神を射とめるために

結婚は一組の男女が「一時の熱情にかりたてられて一緒になり、ともに狭い部屋に棲むこと」すぐにお互いの欠点が目に付き鼻につくようになる。鈍感でなければ維持できないというのが【其の九】結婚生活を維持するために

癌の原因として、最近、注目されてきたのが自律神経説。自律神経が変調をきたすと癌になりやすい。自律神経に変調をきたさないために鈍感でいようというのが【其の十】ガンに強くなるために

女性はあらゆる面で男性より優れている。それは、鈍感に作られているからというのが【其の十一】と【其の十二】女性の強さ

友人や会社の同僚による嫉妬や中傷、嫌がらせを受けてもぴりぴりせずのんびりゆっくり考えて、相手の気持ちを察してやる心の広い鈍さこそが生きていくうえで大きな力になっていくというのが【其の十三】嫉妬や皮肉に感謝

二人がいつまでも仲良く愛し合っていくためには、相手を許して鈍くなるこの鈍感力が恋愛を長続きさせる恋愛力になるというのが【其の十四】恋愛力とは?

さまざまな不快さを無視して、明るくおおらかに生きていける。こうした鈍感力を身につけた人だけが集団のなかで逞しく生きていけるというのが【其の十五】会社で生き抜くために

どんな人間関係にも、社会状況・自然状況にも容易の合わせていける、この環境適応能力。其の原点となるのが鈍感力。というのが【其の十六】環境適応能力

母親のお乳を飲ませる行為、見方を変えれば、女性としてはいささか放恣な、だらしない姿、どんな女性も母親になると鈍感になる。鈍感力を身につけなければ子供は育てられないというのが【其の十七】母性愛この偉大なる鈍感力

よくわかりました。
今日からきっと鈍感力を身につけ逞しくしたたかに生きてまいります。

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『ふしぎな図書館』
2007/12/20(Thu)
村上春樹の『ふしぎな図書館』を読む

この本は文庫本の大きさで、表紙が赤く、ふっくら分厚くなって優しい感触になっている。

本文の紙も良質で佐々木マキという人の絵もたくさんある。

図書館にオスマントルコの税金のあつめ方について知りたくてやってきた僕。
図書館の地下室に案内され、たくさん本を読んだおいしい脳みそを食べたがっている老人に捕らえられ、食べられる運命になる。
脱出を企てるが失敗に終わる。
さいご、じぶんの飼っていたむくどりに助けられて、家に逃げ帰るという話である。

久しぶりに村上春樹の世界にしたる。

昨夜読んだ山本夏彦の『世は〆切』の中に「図書館かわる」と題したコラムがあった。
1993年(平成5年)に書かれたものだが
≪アメリカ人はたいてい蔵書を持たない。学者も小説家も図書館を利用して手もとに本を置かないと、これは昔から聞いていた。≫
とある。
この部分を思い出し、村上春樹もアメリカで暮らしたことがあったとエッセイや対談集で読んだことがあるなと思い出していた。

ほんとうに本を読むことが好きで、図書館通いをしていると、時々もし図書館がなかったらとか、図書館に詰め込まれた情報が、自分の頭のなかを次から次へと通り過ぎてゆくことについてなにかしら考えることがある。

それが村上春樹の場合はこんなすてきなファンタジーな世界がつむぎだされる。
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『世は〆切』
2007/12/19(Wed)
山本夏彦の『世は〆切』を読む。

『諸君!』『室内』『文芸春秋』『ノーサイド』の1993年~95年頃のコラムを収録されたものである。

少し前、彼の作品では『寄せては返す波の音』を始めて読んだ。

彼の文章は平明でなくわかりづらい。

彼の文章の中にコラムを読んだ読者からの手紙についての記述があり、当時の多くの読者もわからないと思っていたようだ。

月刊誌や週刊誌、新聞の記事や、広告についての記述などは、辛辣を極める。

彼も、『室内』という雑誌を出版しているので、事情がわかりすぎるのであろう。
私も、ずっと若い頃、建築業界新聞の記者たちに混じって仕事をした経験がある。
新聞社といっても大小さまざまで記者の中には社長を兼任している人もいれば記者だけしている人もいるという人たちだ
中に、ほとんど一人で新聞社をやっている人がおられた。
その方が、今では我が家でも購読している地方新聞社でもかなり大手の新聞社のことについて、「あれは(新聞社の社長)、書くぞ!といって脅しては広告をとって、ヤクザ以上だったんだから。」と時々話されたことがあった。
月刊誌や週刊誌、新聞など出版物の収益が広告料と、売上高が半々であれば、当然そういったことが、記事の内容にも影響するかもしれないし、広告会社の存在が、世の中に大きな影響を及ぼすようなことがあるかもしれない。

辛辣ではあるが、その業界にいないと予想できない事柄について、書かれていて、そういったことに程遠い読者に斬新に思えて、読者の興味をそそったのかもしれない。

そのほか、マスコミについてのこまごまとした不平不満にも、もっとものところが多くほんと誰か言ってくれたらいいのにと思える記述も多く、共感できる。

この作品『寄せては返す波の音』同様、内容に同じことの繰り返しが多い。
老いてからの作品であることと、わかりにくい作品への言い訳めいたものも多い気がするのだがどうだろう。
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『楼蘭』
2007/12/17(Mon)
井上靖の『楼蘭』を読む

この作品も河出書房の日本文学全集の中に収録されている。
文字も小さく、ページによってはインクが薄く読みにくいので閉口した。

≪往古、西域に楼蘭と呼ぶ小さい国があった。楼蘭が東洋史上にその名を現して来るのは紀元前12・30年頃で、その名を史上から消してしまうのは同じく紀元前77年であるから、前後僅か50年程の短い期間、この楼蘭国は東洋の歴史の上に存在していたことになる。いまから二千年程昔のことである。≫

という出だしで始まる。
いわば、『楼蘭』は実在はしていたが幻の国名といっていい。

このような国が誰も足を踏み入れることの出来ないような砂漠地帯(現在の中国新疆省)に存在したことがわかるのは、漢の武帝が、長い年月匈奴に苦しめられていたために同じく匈奴に苦しめられている大月氏と組んで匈奴を打つ計画を立てることから始まる。

この、砂漠地帯には多いい時には50余国のがあった。
タリム川が注ぎ込むロブ湖のデルタ地帯に出来上がった漢に一番近い国が楼蘭だった。

漢は楼蘭国を通ってもっと西の国々と協力して匈奴を破り交易をするようになった。
楼蘭国がそういった漢の部隊を見るようになってから3年の後、漢から使者を受けた。
漢から楼蘭国を通る部隊に食料と水を補給するよう命令を受ける。
しかし、抗する事が出来ず言いなりになり大変な思いをする。
ところがそこへ匈奴がやってくる。漢もやってくる。匈奴がやってくる。といったことで、匈奴にも、漢にも隷属することを余儀なくされるのである。
そうして、国が存在する間中、漢と匈奴両国の力関係と両国の国情に翻弄される。
何人かの王は漢と匈奴両国への気使いのため心労で早死にするという有様である。
ついには、国は魏の都県同様に扱われるようになり国は消滅するのである。

≪しかし、西紀1900年スエーデンの探検家スウェン・ヘディンの手によって、砂漠に埋もれた昔の都楼蘭は、突然千何百年ぶりかで地上に姿を現すに至った。≫

砂漠は、湖の形を変え場所を変えそれによって人間も住まいを移動したり都も埋もれてしまったりと、そこに繰り広げられる歴史的な出来事も跡形もなくなったり、また現れたり、地球上には私たちには想像できかねる地域があるということを淡々と語っている。



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『闘牛』
2007/12/15(Sat)
井上靖の『闘牛』を読む

昭和22年、第22回芥川賞受賞作。

この小説も『猟銃』と同じく不倫を扱った作品である。
戦後立ち上がったばかりの夕刊新聞社の編集長の話。

新聞社が、日本闘牛協会とw市の3者での共催で四国から闘牛を迎えて野球場を借り3日間闘牛をやるというイベントを企画する。
その運びから当日までの話。

企画への取り組みについては、著者が新聞社に勤務していただけに、リアルにそのいきさつが語られている。

おおくの闘牛の飼い主が牛を提供してくれるかどうか、闘牛の輸送の問題、その間の食糧の問題、輸送してきてからの牛舎の問題など、終戦間もないだけに、いろいろのことがなかなか簡単にはいかない、当日雨が降って中止になるかもしれないと天候が大きく左右すイベントでもある、そんなことにかまけて忙しく飛び回って気を揉んでいるが、このイベントが2匹の牛が角付き合わせるそのことだということが、関係者の頭からすっかり抜けていたと気づくところが面白かった。
この物語の主題ではないが、イベントを開催する人の、陥りやすそうなことだと思えておかしかった。
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『猟銃』
2007/12/14(Fri)
井上靖の『猟銃』を読む。

河出書房の日本文学全集39の『井上靖』でこの『猟銃』を読んだ。
この全集の何冊か自前で持っていて、若いころ読んだはずだが、文字の大きさのせいか、
行の間隔のせいか、文字の字体のせいかとにかく読みづらい。
最近は本の内容の良し悪しと平行して読みやすさが気になる。
これも偏に年齢のせいかなとも考える。
そのこともだんだんわかっていて図書館で探したが、井上靖の本そのものが見つからない。やっと公民館で見つけて借りてきた。
活字の大きさなど言っていられない。

難儀しながら読んだ小説である。

内容は、日本猟人倶楽部の機関誌に掲載した詩を読んだ読者から、その詩に描かれている男性は自分ではないかと思われる、という手紙を受け取る。

三杉穣介という男性からそういった手紙をもらいさらに、
≪突然変な事を申し上げてご不審に思うかも知れないが、私は今ここに私宛ての三通の手紙を持っている。私はこれを焼き捨てるつもりであったが、御高作を拝見して貴方という人物を知り、ふとこの手紙をあなたにお見せしてみたい気持ちが起こった。≫
と三通の手紙が送られてくる。
小説はこの三人の女性からの三通の長い手紙によってほとんどが成り立っている。
構成としては夏目漱石の『こころ』を思い起こさせる。

言ってみれば、三杉穣介という身勝手な男性によって翻弄される女性たちの手紙である。
それぞれの人間の持っている、不幸を予感しながらも悪をなすというどうしようもないものに惹かれる心性といったものを描いているような気がする。
それを一人一人が持つ「蛇」という表現で象徴的に描いている。
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『しろばんば』後編
2007/12/12(Wed)
井上靖の『しろばんば』後編を読む

後編は洪作の、5年生~6年生の話である。
やはり、おぬい婆さんと土蔵にすんでいる。
6年生を終えると中学校に進まなくてはならない。
そのための受験勉強が生活の中心になる。
洪作の課題は学校の先生、村のもの、親戚のものがみんな知っていて
みなに励まされながら、一生懸命勉強をする。
ただ一人おぬい婆さんだけが体のことを心配している。

おぬい婆さんは、洪作が中学校へ上がるまでは自分と暮らしていけると思っていたが、母に連れられて父の新しい任地浜松に移ることになる。その、引越しの準備を整えている期間におぬい婆さんは、老衰とジフテリアのために死んでしまう。

おぬい婆さんは洪作と別れる前に死にたいといっていたが望みどおりになる。
洪作は悲しかったが、思い残すものもなくふるさとを出て行けることに安心の気持ちも持ちながらふるさとを後にする。

村や学校でのでの出来事が少年の心や体を少しづつ目覚めさせていくさまが生き生きと描かれていて読む人をあきさせない。
久しぶりに、このようなすがすがしい少年を扱った作品に触れた気がした。
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『しろばんば』
2007/12/11(Tue)
井上靖の『しろばんば』を初めて読む

この小説は井上靖の7・8歳当時のことを書いた私小説である。
時代は、大正4・5年頃のこと。
所は、伊豆半島の湯ヶ島。
曽祖父の妾であった、おそめ婆さんに土蔵で育てられる。
両親は妹とともに父の任地の15師団の所在地である豊橋にいる。

井上靖は昭和37年55歳のときこの作品を書いている。
少年の頃の正義感や、憎悪感がよく現れている。

この小説の読後感で、意外に思ったのは、少年の気持ちが心情的に大変共感できることである。

同じように少年を扱った『次郎物語』は、子どもの頃読んだときには次郎の気持ちがよく理解できた。
そして自分が母親になって読んだときには母親の気持ちが一番よくわかり、孫ができ手以後読んだときには、以前、憎悪を感じていた祖母の気持ちのほうが、よく理解できた。
それで、どの作品でも年齢や、置かれた立場で、理解が違ってくるのかしらと思っていてだけに意外であった。
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『潮騒』
2007/12/11(Tue)
三島由紀夫の潮騒を読む。

三島由紀夫は、何時の時か『金閣寺』を読んだことがあるが、他は読んでいないような気がする。
気がするというのは今まで、読んだことがないといっておきながらあとで調べて、あるいは、自分の本箱を見ていて、あっ、そういえば読んでいたわということも少なからずあるので、記憶に自信が無いためである。

しかし、この『潮騒』は始めて読んだ。

漁師の青年「新治」と、金持ちで、山川運送の用船になっている185トンの機帆船歌島丸と95トンの春風丸の船主の宮田照吉の娘で海女もしてい「初江」の恋愛小説である。

新治の漁師の仕事についての記述については司馬遼太郎の『菜の花の沖』を思い起こさせる。
地の文の自然描写などは、若者向けという感じで青い。

答志島などは万葉集にもでてきて700年頃の持統天皇の時代、行幸にお供した都人が、都にに残した家族や恋人を思って歌う歌などもある。

読んでいて、潮の香りのするすがすがしい話であった。
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『遥排隊長』
2007/12/07(Fri)
井伏鱒二の『遥排隊長』を読む 

これも、『山椒魚』『屋根の上のサワン』より少し長い短編小説である。
「遥排隊長」とはなんなのかわからない。

これは、何かというとはるか東の方を拝し、訓示をたれることを好んだ岡崎悠一隊長につけられたあだ名であった。
この隊長が、隊員が「戦争は贅沢だ」といったことに腹を立ててその隊員を殴っている途中で、トラックから落ちて、足を怪我し、頭を打っておかしくなる。
終戦後、その隊長が、故郷の村に帰ってきて、時々発作を起こして、他人を自分の部下の兵卒だと錯覚して、部落内のだれかれ見境無く号令を浴びせかけ、従わないと相手を溝の中に突き落とそうとしたり、「ぶった斬るぞー」と脅したりして騒ぎをおこす話である。

村長や、校長先生が、≪悠一が学童として優秀であり、悠一のお袋が人格者であり、模範的な一家である。≫といって幼年学校に推薦し、士官学校に上がり少尉中尉任官までして、戦時中は村の誉れであった人だけに哀れであっし、滑稽でもあった。

兵卒の、軍医の、衛生兵の、村人の、ことばや、思いが、素のままで書かれている。
人間素のままになると、兵卒だった人は、戦場にいて「戦争は贅沢なもの」。
戦争が終わってみると「みんな気違いどもの、お芝居だったんだ。」
と思えるのかと戦後生まれの私は思う。

また、「郷に入れば郷に従え」と言う言葉が、出てくる。
子どもの頃からよく聞いた言葉だ。
ライシャワー大使が日本のことを紹介して、日本は、小さな山が国土の殆どで、その小さな山のいくつもの谷あいに、それぞれ集落が存在しそれぞれに、言葉や、生活習慣や、考え方が違うのだと書いた書物を読んだことがあった。

これまでに、何度かの戦争があり、戦争に行った人たちは、いろんな地方の人々と交わり、生活を共にしたはずなのに、軍隊では文化の交流などということはなかったのかと思っていたが、この書では、そこらの事情もそれとなく伝わってくる。
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『屋根の上のサワン』
2007/12/06(Thu)
井伏鱒二の『屋根の上のサワン』を読む。

これも、『山椒魚』同様、短編小説。
この作品は有名な作品であるがはじめて読んだ。

話の内容は、
沼池で鉄砲に撃たれて苦しんでいる雁を連れ帰り、縛り付けて手術をして散弾を取り除いてやる。
傷が治ると風切り羽根を短く切って飛べないようにして庭で放し飼いにしよくなつくので、サワンという名をつけて散歩に連れて出かけてりする。
サワンは夜行性で、夜になると逃亡を試みていたが、秋になって屋根の上に上がって、僚友たちと泣き声を交わすようになり。
それが、≪たとえば離れ島に漂着した老人が、十年ぶりに沖を通りすぎた船を見つけた時のようなものでありました。≫かれは、決心して、もう羽根を切らず翼に羽根の早く生じる薬品を塗ってやろうと考える。≪「サワンよ、月明かりの空を、高く楽しく飛べよ」≫と言う文字をブリキに刻んで足にはめてやってもいいとかんがえる。
その矢先、サワンは夜甲高い声で鳴いていたが、あくる朝いなくなっていた。

この事件があったとき彼の心は思い屈した心であった。また、私の屈託した思想を追い払うために散歩に出かけていた。と、表現している。
こういった心がこの出来事を通して変化があったのかどうかということについては述べていない。

『山椒魚』で、カエルと山椒魚とのその後の関係について、最初発表したものにはあったものが、後のほうで出版されたものには削られているという。
この作品もこのことについて書くべきかどうか悩んだかしらと思う。
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『山椒魚』
2007/12/06(Thu)
井伏鱒二の『山椒魚』を読む

井伏鱒二を何年ぶりかに読む。
まずは『山椒魚』からと。
読んでびっくり。
大変新鮮に斬新に感じた。
まさしく人生とはこのようなもの。

≪彼は全身の力を込めて岩屋の出口に突進した。
けれど彼の頭は出口の穴につかえて、そこに厳しくコロップの栓をつめる結果に終わってしまった。
それ故、コロップを抜くためには、彼は再び全身の力を込めて、うしろに身を退かなければならなかったのである。≫
この部分にあってはまったく苦笑いさえしてしまう。


子どもの頃読んだ時には、かなりリアルに山椒魚のことを思った。
子どもの頃、岩だなというところで泳いでいたが、その少し上流は広い浅瀬で石がごろごろしていてその石を飛びまわって遊んでいた。
向こうの川岸に行くとそこは岩屋になっていて山椒魚がいるよといわれていた。
山椒魚は一度噛み付くと雷が鳴るまで離さないからともいわれていた。
でも怖いもの見たさに何度か山椒魚を見たことがある。
そして、その岩屋のもっと奥の方にきっと出られなくなった大きな大きな山椒魚がいるとおぼろげに考えていた。

近年、その岩だなを通りかかったことがある。
思っていたより、うんと小さな川でちょっとした深みのある淵である。
子どもの頃はみんな川遊びが好きでカッパのように遊びまわり夏ともなればここが宇宙のすべてであったはずなのに・・・・・。

井伏鱒二の『山椒魚』の中での川にすむいきものの描写、川の流れの描写、子供心にもすっと自分の毎日遊ぶ川べりに置き換えることが出来たのは、その描写の巧みさがあてのことと感心するばかりである。

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『貧乏な叔母さんの話』『踊る小人』
2007/12/05(Wed)
村上春樹の『貧乏な叔母さんの話』と『踊る小人』を読む

まず、『貧乏な叔母さんの話』。
読んでいるときにはわからなかった村上春樹がこの作品にこめた意味と言うものを考えてみた。

この『貧乏な叔母さんの話』は散歩の途中で、絵画館前の一角獣の銅像を見上げその周りの池の底に捨てられたさび付いたいくつものコーラの空き缶に、ずっと昔に打ち捨てられた街の廃墟を連想しながら考えたことから話が始まる。

「今の自分の身の回りには貧しい叔母さんはいない。」と彼は語り始める。

物語の終わりに、11980年(一万年後)に、貧乏な叔母さんたちだけの社会が出現したとすれば、・・・・≪僕は緑色のガラス瓶に照り映える太陽をうたい、その足もとに広がる朝露に光った草の海をうたおう。≫と抱負を述べる。

40年位前、『サルの惑星』という映画を見たことがある。
あまりにも昔のことですっかり忘れたが、人類が亡んで猿たちが地球を支配するようになった社会の話ではなかったか。
土の中から「自由の女神」の像が出てくる。プラスチックの人形の打ち捨てられたものが出てくる。
この「猿」たちが、「貧乏な叔母さん」たちにかわっているのではないか。
何故「貧乏な叔母さん」たちなのか。

貧乏な叔母さんたちに対して村上春樹がもつイメージ。
この貧乏な叔母さんたちが、社会を担うならば・・・・・。
そこに、自分のうたをうたいあげる社会があると・・・・・。

なぜかうなずけて面白い。

『踊る小人』の話はまるで光の球がはじけるみたいに優美な動きで踊る小人が夢の中に出てくる。
その小人が、現実の自分の体に入って夢をかなえてくれる。
しかし、その踊る小人が入り込んで夢のかなえられた自分はいつの間にか、実際にいたという踊る小人同様追われる身になったと言う話。


村上春樹の作品は、『羊をめぐる冒険』とエッセイを2冊くらい読んだ記憶がある。エッセイは随分気に入って、すっかり村上春樹のフアンになった。
『羊をめぐる冒険』は大人の童話として読んだが・・・・・。
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『米百俵』
2007/12/03(Mon)
山本有三の『米百俵』を読む

これは2場からなる戯曲である。
山本有三が戯曲を書くことは知らなかった。
1場は、明治3年4月の末。
長岡藩士の貧しい住まいで、息子が頼山陽の『日本外史』の通読をしていて父親にそんなに本が読みたいなら坊主にでもなれと叱られている。
藩は維新で、幕府方に付いた長岡藩。3度の火災に遭い、石高も三分の一に切り下げられ藩財政は厳しい。
両親は食うや食わずの生活で、分家藩から見舞いとして送られた百俵の米が藩から藩士たちに配られてくるのを今か今かと待っている。
そこへ、友達の藩士がお酒を持ってやって来る。
娘が町人の物に手をかけたというあらぬ嫌疑をかけられたので町人のところへ怒鳴り込んでいったら、町人がお酒を持ってわびに来たが、武士が町人に馬鹿にされるのは、藩の政治が悪くて藩士が貧乏をしているからだと悔しがる。
そこへ、他の藩士が駆け込んできて、藩の大参事が、米百俵を藩士に配らずに学校を建てるといっていると怒って伝える。
意見をしに行こうと誘いに来たのでみなで一緒に出かける。

2場は、大参事小林虎三郎の住処。
大参事小林虎三郎は病気の体で夜遅くまで藩主に差し上げる書類をしたためている。
そこへ、怒りに満ちた藩士たちが押しかけてくる。
そして現状の藩士の生活苦を訴え、藩の政治のやり方についての苦情を述べる。
それに対して、大参事小林虎三郎が、こうなった原因は、人材がないせいで皆が食っていけるように教育によって人を育て、この長岡藩を立て直そうといさめると言う話である。

そのあとやはり山本有三著作の「隠れたる先覚者 小林虎三郎」がある。
これは、昭和17年5月13日にJOAKからラジオ放送をし、さらに雑誌『改造」7月号にも発表された。

山本有三は、小林虎三郎の意思と行動に大変感動し、このことを世に知らしめることにあらゆる努力をした形跡がこの書でうかがわれる。
例えば、小林虎三郎の師である佐久間象山については、このように文章で現すには漢字を当てればよいのだが、劇で音で伝えるには、「ショウザン」というのか「ゾウザン」というのかはっきりしなくてはいけない。
その研究にいくつもいくつもの資料に当たり考察している。
佐久間象山の塾では吉田松陰(またの名を寅次郎)と小林虎三郎は象山門下の「二虎(にこ)」と呼ばれたほどの秀才であった。

この秀才を見い出して、世に伝えようとした山本有三。


≪小林先生がこの論文(「興学私議」)を書いた、安政年という年は、どういう年でありましょうか。
それは安政の大獄で、有名な年であります。
すなはち、幕府は、小林先生と同門の吉田松陰先生を伝馬町の獄屋において、処刑した年であります。
それは吉田松陰先生ばかりではありません。
橋本左内先生、頼三樹三郎先生というような立派な人々を、死刑に処した年であります。
同じ年に、一方では、人材を作らなければいけないと言っているのに、一方では大根でも切るように、立派な人物をざくざくきっております。
人材を切った幕府は、そののち、どうなったでありましょうか。
皆さんもご存じのように、それから、何年もたたぬうちに、つぶれてしまっております。
一方越後の片隅で「興学私議」を書き、百俵の米を土台にして、ちいさな国漢学校を開いて、人物の養成に力を尽くしてきたところからは、誰が出てきたでありましょうか。
今、連合艦隊司令長官、山本海軍大将のことを思い起こす時、私はじつになんともいえない感慨にうたれるのであります。・・・・≫

≪私は、今、「日本は勝つのだから、大東亜の指導者になるのだから、人物をたくさんそだてあげなければいけない。次の時代に備えなければいけない。」と大きな声で、叫ばずには居られないのであります。≫

この書を読んでいると、時代が世の逸材の人達に要求した課題といったことに行き当たる。
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『朝顔の音』
2007/12/02(Sun)
玄侑宗久の『朝顔の音』を読む

これは、『中陰の花』という本の後半にある短編小説。

コンビニで働く女性の話である。
商品を搬送してくる運転手に好意を抱き関係を持つようになる。
そのために過去を整理しようと考える。
過去とは二度も強姦にあい二度目には子どもが出来てしまう。
その子どもを産んで山林に遺棄する。
警察に逮捕され、生まれたとき子どもは生きていたのか死んでいたのかが問題になる。
自分でも生きていたかどうかの認識が出来ていない。
不起訴にはなるが、その後、子どもが生きていたかどうかが自分でも気になって仕方がない。
職場の友達に教えてもらった「霊おろし」をするという霊媒師を尋ねる。
「毎日北東の方角に水をあげて、今降りてきた御霊を供養してあげなさい」
と言われ、気持は清算できる。
それをきっかけに運転手に過去自分が子どもを産んだことがあることを告白をする。
運転手も妻がいることを告白する。
ショックから、彼から貰って育てていた朝顔をすべて引きちぎってしまうという話である。
『中陰の花』どうよう霊媒師が出てきて霊に出会う話だ。
『中陰の花』よりは話がすっきりとしていてわかりやすい。
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『中陰の花』
2007/12/01(Sat)
玄侑宗久『中陰の花』を読む。

この作品は2001年125回芥川賞受賞作。
玄侑宗久は1956年4月28日生まれ。 臨済宗の僧侶

あまりいい作品とは思えない。

先に読んだ城山三郎の『「気骨」について』の「きみの流儀・ぼくの流儀」のなかで、城山三郎と吉村昭が対談しているところの最近の芥川賞についての感想に思い当たる。
≪城山 何が言いたいんだっていうね。
 吉村 そう。あれが芸術であり高尚であると思ってるんだよ。
こんなこと言っちゃ悪いけど、最近の芥川賞の受賞作みたいなもんだよ。
小説なんて明快なものなのに、2ページと読めないもの。
大岡昇平とか梶井基次郎なんか全否定になっちゃう。
僕たちにわからなけりゃ、誰にわかるかっていうんだよ。
 城山 ああいうものは書く人だけしか読まないなんて言ってたものだけど、いまや僕たちに書く人も読まないよね。
 吉村 読まない。書いている本人もわからないんじゃないか。≫

この評からいくと私たち素人にわからなくて当たり前。
ほっとする。

「中陰の花」とは、この世とあの世の中間のことだそうだ。
この書は霊能者といった人についての話。
実際に霊を感じる人がいるのかもしれないし、書かれているような感じ方をするのかなといった興味だけで読み進む。
しかし、表現にはやに素人ッぽいところがあって・・・ちょっと寂しい。
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