『雨はコーラがのめない』
2008/01/29(Tue)
江国香織の『雨はコーラがのめない』を読む。

この書は、薄い文庫本。

飼い犬「雨」と好きな音楽を聴きながら、時間を過ごす。
そんなときの思いを綴ったエッセイ集。

初めて、江国香織を読んだ。

音楽についても、愛犬「雨」に対してもとても敬虔で礼儀正しく優しい。
この思い方は彼女の文章から引用した。

≪彼らの曲は、いつ、どこで聴いてもおなじなつかしさと安心感に包まれる。
聴くものを傷つけまいとするような、途方もない礼儀正しさがある。
曲調も声もやさしくてドライだ。
きれいな色のお薬みたいな感じ。
「思慮深くていいよね。ペットショップボーイズは」私は雨に云う。≫

著者の優しさや感性に、読む人を安心させる品格のよさがある。
ほとんど聴いたことの無い音楽の話だけれど、読みながら一緒に聴いたような気がしてくるのが不思議である。
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『東京奇譚集』
2008/01/28(Mon)
村上春樹の『東京奇譚集』を読む。

「偶然の旅人」(「新潮」2005年三月号)
「ハナレイ・ベイ」(同四月号)
「どこかであれそれが見つかりそうな場所で」(同五月)
「日々移動する腎臓のかたちをした石」(同六月)
「品川猿」(書き下ろし)

これらの5つの短編からなっているハード本。

「偶然の旅人」は、自分の身の回りに起こった不思議な出来事について書いてある。
不思議なこととはいえ「まあそんなこともあるもんですよね。」程度のもので、ちょっと読むと誰にでも書けそうな文章だが、村上春樹独特の文体でやさしく綴られていて不思議な出来事を読んでいるというより、村上春樹を読んでいるといった感じで楽しめる。

「ハナレイ・ベイ」については日本を離れたことの無い私にとって、外国に遊びに行っている息子が事故死をしてそれを引き取りにいくという記述に、外国との接点にリアルに触れられた気がして興味があった。

「どこかであれそれが見つかりそうな場所で」は、話は面白いのだが読者が興味を持つところとタイトルとが重ならない。読みが浅いからかもしれない。

「日々移動する腎臓のかたちをした石」これも話が込み入っていて油断をするとわけが分からなくなる話。なのに引き込まれて読んでしまうといった話。

「品川猿」この話は面白い。心理学とかカウンセリングとか身の回りで毎日取りざたされている昨今、絶対に確実に解決するこんな話は胸がすっとする。
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『ローマ教皇とナチス』
2008/01/25(Fri)
大澤武男の『ローマ教皇とナチス』を読む。

この書は、あの、ユダヤ人を大量虐殺したヒットラーに対して、時のローマ教皇が虐殺の事実を十分に知っていたにもかかわらず、また、各国の司教などからの救済の要請があったにもかかわらず、それらを黙殺してしまったということについてかかれたものである。
≪アドルフ・ヒットラーの侵略戦争と、その渦中でユダヤ人の迫害虐殺が次第にエスカレートしていった時期に在位していたピウス12世は、其の事実を十分に知りつつ、また各方面からの訴えにもかかわらず、≪黙殺≫してしまった。≫
と述べ、その「モラルと人道的」なものに欠ける行為を糾弾している。

その沈黙の理由として
1、ドイツに対する彼個人の尽きることの無い愛と傾倒。
2、数億の信徒を擁する教会の組織、制度の統治者として、全体の安泰を願い、ナチスとの対立による教会への攻撃を避けたいという政策的立場。
3、宗教をアヘンとし、教会を攻撃して多くの聖職者・信徒を拷問などで殉教へと追いやったボリシェヴィズム(ボリシェヴィキの立場:ロシア共産党)に対する強力な防壁としての役割をナチスに期待するほど徹底した反共主義。

この3点があげられているとする。
筆者は、ピウス12世がいかに虐殺の事実を早くから知っていたかを検証し、また、彼が、いかにまじめな教皇であったかについてもその生育暦などからも紐解いている。

この書を読むことを通して第二次世界大戦が各国の立場によっていろいろと複雑であることを思わされる。
また先に読んだ『新書365冊』で、宮崎哲弥は、『ローマ教皇とナチス』をベターな書として取り上げ、
≪しかしナチスのユダヤ人迫害の深層を探っていけば、東欧をも含む欧米キリスト教社会の暗流に突き当たる。
その脈々たる流れは細りながら、今も欧米社会の地価を這っているのだ。≫
との書評がある。
他の人の書評がある本は読後感が深められるとつくづく感じられてありがたい。

宗教の対立がこの地球上の不幸の元凶であるかもしれないとまたまた思ってしまう。
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『信玄戦旗』
2008/01/24(Thu)
松本清張の『信玄戦旗』を読む。

この書は、武田家の起こりと武田信玄の死ぬるまでを書いたものである。
いろいろな資料の紹介や、その信憑性などについての記述があり、その記述に基づいての物語であることが説明されている。
そのためか話が前後したりしているので気をつけて読まないとよく分からない。
地図や陣形や、その他城模型・幟・家紋などの挿絵も多く、戦国時代の様子がよく伝わってくる。
山本勘助が実在したとかしないとかいわれていたように思うが、この書を読むと勘介の実在は疑うべくも無い。
私は偶然か戦国時代の話といえば、近畿以西のものばかり読んでいたのか、信濃、甲斐・相模のほうの様子はほとんど読んでいないのでこの信玄を読むことで、征夷大将軍の位を得ることの出来る清和源氏の流れに触れることが出来た。
また、小さい頃からよく聴かされていた大田道灌という人が、どういういきさつで江戸城を作ったのか知りたかったが、彼の人おなりのことと共にその辺のことも書かれてあった。謙信、信玄、義元、早雲などについての書もう一冊くらいは読みたい。
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『新書365冊』
2008/01/21(Mon)
宮崎哲弥の『新書365冊』を読む。

正月、本屋めぐりをした。
図書館で借りてばかりが続いたので、近頃の本屋の様子が気になってきたのだ。
大きな本屋が3キロ以内に4店舗ある。
3店舗立ち寄り、何冊かの本を手に取り読んでみた。
本屋に行ってもなかなか買いたい本にめぐり合えないということを改めて思い出す。
結局この『新書365冊』を買った。
『新書365冊』もかなり立ち読みして、書中紹介されている本で、おおこんな本なら読んでみたいと探してみるとそれはないといった風になかなか願望は満たされないことも思い出す。

この、『新書365冊』は、私のこのブログのように365冊の読んだ本のことが書いてある。
ターゲットを新刊の新書にしぼっているところに特徴がある。
それらの本を分野別に分けて、ベスト・ベター・モアー・ワーストに分けている。
ベストの本だけを読んだ、もちろんその他の本の書評も多少読んだが、内容が濃いいダイジェストなので、読み込みを必要とする。できるだけ正確に理解するために分からない言葉は広辞苑を引いた。それにも出ていない言葉が2つくらいあったがそれはあきらめた。

新刊の新書といえば言い古された考え方はないのだからカルチャーショックの連続である。

また、思想宗教に関する書物はいよいよますます研ぎ澄まされてくるの感を持つ。
宗教書については宮崎氏がどういったものが受け入れられるのかが大きな問題だが、実はこの点に関して深い部分で私と一致しているので段々向かうところが、シンプルになってくると思えるのであろう。
そして、ここでもこんなに偉大な人がいたのかとカルチャーショックを受ける。
インドのB・R・アンベードカルという人だ。

狂牛病についても、びっくりする情報に出会える。

私などが、色々考えても堂々巡りを起こしてしまう政治・経済・教育・外交・平和・軍備などの問題についても、色々な提案に出会うことが出来る。

内容が濃すぎて少し頭がくらくらするが、何度も読み返スことによって少しずつわかるかもしれない。
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『拝啓 漱石先生』
2008/01/13(Sun)
大岡信の『拝啓 漱石先生』を読む

大岡信が、いろいろな雑誌などに掲載したもののいくつかを集めたものである。
したがって、持論の繰り返しも多くある。
しかし、鼎談、あるいは対談の相手により、あるいは文章の場面の違いなどに合わせて少しずつ表現も変わっていて私には彼の主張がよりよく理解できた。

この本は、このブログの先に書きこみをした『戦争はどのように語られてきたか』と平行して読み進んだ。
どちらも正月の読み物としては内容に不足は無い。

この2冊の本で共通しているのは、片方は「戦争」を、また片方は「漱石」をその時々によって「どのように語られてきたか」ということが大きな関心事になっていることだ。
「語られ方」に歴史があるということだ。

大岡信は「卒論」に夏目漱石を取り上げた。
私も漱石を取り上げた。
私などが「私もそうです」というのはとてもおこがましいが、人生の課題が一緒ということで許していただきたい。
大岡信は1952年ころ3年間、私は1980年頃1年間勉強をした。
彼の卒論は「漱石と『則天去私』」と改題してこの本にも収録されている。
卒論は持ち出せないものだが、どうして持ち出したかについては忘れたようだ。
それはさておき20歳台でこれだけのものが書けているのだからすごい。
私は題を、「漱石の漢詩」とした。
実は漢詩はまったく読めない。
だから、漱石と漢詩との関係についてのテーマになる。
大岡信さんも漢詩は読めないといっておられるのを読んでそっと胸をなでおろす。
私は吉川幸次郎の『漱石詩注』という新書版を買い込んで悪戦苦闘した。
大岡氏は直接学ばれたこともあるようだ。うらやましい限り。
吉川幸次郎に言わせれば漱石の漢詩は漢詩が日本に伝わって以来日本人の漢詩としては最も優れているとも言う。
そうだとすればなんとしても漱石の漢詩を解読したものを読みたい。
しかし、今となってはわれわれ読者にも理解できるいい解釈の本も無いのではないかと残念だ。

卒論を書いたとき、私は漱石の留学による心境の変化に注目した。また、女性関係についてはそんなに興味があったわけではないが、鏡子夫人以外の女性についての漱石の女性への感情について見ていた。
しかし、大岡氏は修善寺の吐血時からの心境の変化に重点を置き作品への影響を語っている。また常に鏡子夫人に焦点を当てて女性について考えている。
今考えると、大岡氏の言っていることが当然と思えるのに、当時はそうでない漱石論に振り回されていたの感を持つ。

また、漱石の人間関係について考えるとき、当時は軽く考えていた、正岡子規と、高浜虚子について、もっと深く考えるようになった。
正岡子規という人について、彼と秋山好古・秋山真之兄弟の三人を主人公にした司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を読んで、私にとって、明治という時代と彼が生きた息吹というものに深く接したことも大きく影響している。

この漱石と子規については大岡氏も小文「友だちー青年漱石・青年子規」(「新潮」1996年9月号)を書いている。

まずは、漱石と子規の文通の量と質によって漱石と子規の間柄について考察してある。

≪61通の正岡子規宛書簡である。(略)この数は偉とするに足りる。というのも、それらの書簡は一通としてありきたりの時候の挨拶などに終始するものはなく、しばしばきわめて真剣な議論や忠告を、諧謔やいたわりでそっとくるみ込んでいる手紙だからである。≫

以下は漱石が子規の添削の手腕を面白がりつつ感服していた例。

漱石の句  玉欄と大雅と住んで梅の花
子規添削  玉欄と大雅と語る梅の花
  
また次は、子規が漱石の漢詩を読んで絶賛して言った言葉。
嗚呼、吾兄・何の学を修め、何の術を得て、而して此域にいたれるぞ。

これら二つの例は、手紙によってお互い尊敬しあっていた様子がわかる部分。

また、子規がイギリスにいる漱石に最後に送った手紙
≪僕ハモーダメニナッテシマッタ、毎日訳モナク号泣シテイル次第ダ。≫と、死を前にしてその悲しみを率直に書き送っている様子にも二人の情愛の深さが感じられる。

高浜虚子については、私は卒論当時ほとんど関心を持っていなかったが、虚子についても、彼がいなければ作家漱石は誕生していなかった。
いきなり、虚子が「流行作家漱石」を生み出すきっかけを作ったために漱石の転機が訪れるのである。
そのことについても本文を読んで強く感じた。

漱石との出会いについてであるが、漱石といえば『我輩は猫である』で、何が面白いといってこの作品ほど面白いものはないと、私は『吾輩は猫である』を読んだことにすべてが始まる。
しかし、大岡信氏は出会いは『行人』だといっている。
『行人』の主人公、苦悩する意識家の大学教授一郎の意識の密室の中での七転八倒のもがきようのうちに、私自身をありありと読むような気がしたのであるとして漱石の作品を興味を持って読むようになったといっている。
私はその辺にはほとんど興味が無かった。

漱石への入り口の違いは、漱石への気づきの違いに影響してくることにも興味を感じる。
私は漱石の俳句は好きで好きでたまらなかったが、大岡氏はその俳句が優れていることに長い間気づかなかったといっている。

とにかく、『拝啓 漱石先生』は、これから漱石について考えるとき大きく私の理解を深めることになる。
『拝啓 大岡先生』になりそうである。



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『戦争はどのように語られてきたか』
2008/01/09(Wed)
川村湊・成田龍一他による『戦争はどのように語られてきたか』を読む

年末から正月にかけて少しづつ読んだ。
読んでいる時間より書かれてあることについて反芻して考える時間がずーっと長かった。
この本は1999年、今から8年位前に朝日新聞社より出版された本だ。
文芸批評家の川村湊と歴史研究家の成田龍一と他の社会学者、または小説家、言語社会学者、小説家・戯曲作家、5人をそれぞれ加えて三人の鼎談で内容に立体感を持たせるような構成になっている。
川村湊が「はじめに」を書いているのだが、

≪私の個人的な体験から言えば、「戦争」についてもう一度考えて見なければならないと思ったのは、「湾岸戦争」とその一連の報道と日本における「動き」がきっかけだった。・・・・・・二項対立によって抗争・角逐するという二元論的世界ではなく、どこに歴史の中心や重点があるのかもわからないような散漫とした「戦争」だったのである。
それはカンボジアやアフガニスタンで繰り返されたような、どちらの側が勝利しても、大多数の人々の不幸の程度はほとんど変わらないという「戦争」であり、大儀名文のない「戦闘」の持続なのだ。・・・・・・私はどちらが正しいといった判断とは別次元のところで「戦争への関与」を否定しなければならないと思ったのである。≫

とある。

この5章からなる鼎談は、第二次世界大戦についての体験・記憶・記録を書いたさまざまな文学作品や体験記が、移り行く世界の情勢に応じて微妙に変化していることを注意深く分析解明している。
その経緯については、私達の知るところであるので、私達ももはや歴史の一員になっていることに改めて気づく。
これからも変化しながら語り継がれていくだろう。
これらの第二次世界大戦についての語りが、これからの日本のあり方を指し示す役割を大きく担っているともいえる。
司馬遼太郎の『坂の上の雲』は、あの長編大作で日露戦争を語ることによって、第二次世界大戦のおろかさを暗に語っているような思いで読んだことも思い出す。
司馬遼太郎は日露戦争について国民に正しく伝えられなかったことがその後の戦争につながったのではないかという思いで『坂の上の雲』を書いたとどこかでかでのべていた。

第二次世界大戦までは戦争をそれぞれが家庭の映像で「見せられる」ということはなかった。
しかし、戦後生まれの私達は小さな「抗争」「闘争」「戦争」は茶の間でテレビを通して解説つきで日々知ることができる状況だ。
茶の間の思いが政治につながる状況でもある。
短絡的にならないよう過去の戦争について耳をダンボにしておく必要がある。


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