『古典がもっと好きになる』
2008/12/29(Mon)
岩波ジュニア新書 田中貴子著 『古典がもっと好きになる』を読む。
 
  ≪ 目次 ≫

序章 古文が嫌いになる前に

第一章 「古典」が生まれた背景

第二章 古文に慣れよう

第三章 『徒然草』を遊ぼう

第四章 百人一首うらばなし

第五章 『堤中納言物語』より「花桜折る中将」を読む

第六章 女もすなる『土佐日記』

第七章 「しんとく丸」の死と再生

第八章 能・狂言に描かれた女性たち

あとがきにかえて 私が古文を好きになるまで

 古文を学ぶというとき、習っているときは著者も言っているように何もわからず、ついていけてなかったけどついていくのが精一杯だった。ただ、人よりほんの少し丸暗記するのがいやでなかったことが、のち、いろんな本を読んでいて、なじみが持てたかなという程度だった。
 20代、私の住んでいる地方の古文書の解読を公民館に習いに行くようになって、大学入試などで文法などを問うてくる古文とはいったいいつ頃のどの地域の文章を言うのだろうかと思っていた。今の時代のようにマスコミが発達していない時代、ライシャワー大使はあの分厚い日本についての著書の中で、谷谷によって言葉も違い「郷に入れば郷に従え」というほど習慣も違っていると述べていた。
 第一章ではこういう疑問にしっかり答えてくれている。「はなしことば」「かきことば」について明記することによって答えている。高校などで学ぶ古文が通用するのは、700年間くらいの「かきことば」だとしている。その間の乱れを修正するということに尽力したのが藤原定家であったということのようだ。私も、変体仮名による「源氏物語」の一部を持っているが、それが定家本であるといわれるのはそのことだったのだと今頃その本の位置づけがわかってきた。しかし、その「源氏物語」は近世の古文書を先に習っていた私から見れば近世の古文書よりはよほど読みやすいのだ。読んで意味がわかるわからないは別として変体仮名を学んでいるのでかなりすらすら読めていく。その謎もわかってきた。
 『徒然草』はいつふれても現代の消費生活がなじめない私には気持ちが落ち着く。
おもしろかったのは、第五章 『堤中納言物語』より「花桜折る中将」を読む である。
 たまたま昨日、牛蒡の千切りを作っていたとき、主人筋の80代後半のおばさんから電話があった。話は「ヨン様が来日してなんとかというホールでの催し物のDVDを注文していたのが届いたのでコピーを作って送ってあげましょう。その他ヨン様に関する本を送って差し上げましょうというものだった。私はヨン様は相当好きだが、おばさんの熱狂振りには引いてしまう。大方30歳も年の違う女性同士が、なぜ共通してヨン様に惹かれるのだろうとさらに牛蒡をきりながら考えていた。すると、この、「花桜折る中将」のなかで、
 
 ≪中将は父君のもとに参上し、たそがれの景色を眺めたり、琵琶を弾いたりしています。その様子を見た人は、「絶世の美女もこんなに美しく優雅ではあるまい」と褒め称えます。男性に対して「女みたいにきれい」というのは最大の賛辞のようです。しかも、中将の姿は光り輝いて美しい花さえ寄せ付けないというのでした。・・・・・・平安時代ではマッチョな男性であるよりも、女と見間違えるような男性がよいとされていたのです。・・・・≫
 
 飛躍するようだが、国宝で最初に選ばれた広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像も重なってくる。
 
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『親鸞』
2008/12/25(Thu)
古田武彦著『親鸞』を読む。

 親鸞の資料を基に書かれた本であるが、読みにくい。
 読み終わったあと胃が痛くなった

 読後、自分の中にある親鸞像と描かれてある親鸞像に大きな違いがあると感じた。
 では、もともと私の親鸞像はどのようにして作られていったのか思い返してみた。

 高校生のとき倫理社会の授業で法然の浄土宗、親鸞の浄土真宗についてすばらしい先生に学んだ。
 その頃、鎌倉時代をどのように理解していたか疑問だが、子供の頃から聞かされていた親鸞様の話を古今東西の思想史の中で体系的にとらえられた気がして、私にはすごく真っ当な考え方の宗教の先駆者としてインプットされた。
 また、私のいた県立の高校が、倉田百三の学んだ学校であったために高校生の頃彼の『出家とその弟子』を読んだ。内容はすでに忘れたが、いい本だと思った。ただ、アンドレ・ジイドの『狭き門』であったか、ヘルマンヘッセの『車輪の下』であったか忘れたが、それと比較して、宗教(自分の信じる神であるとか、仏であるとか)への従順と、愛する人への従順とのはざまで苦しむのは、洋の東西を問わず同じかな、と思ったことをいつまでも覚えていた。そして、三十代、吉川英二の『親鸞』を読んで吉川英二の大フアンになった。そして人にも勧めたが覚えていない。私はこの覚えていないことについて、自分の乱読を深く悔いる。夫は、同じ本を繰り返し読んで、どこに何が書いてあったかしっかり覚えている。まあそれはそれとして、四十代になった頃からは、広く、ひろさちやなど浄土真宗というより仏教(仏陀)について、多く読んでいったように思う。

 多くの考えは、わたしは、ねこっろがって読む本の中で学ぶ。だからつい、多くの思想も、お気楽に右か左か上か下かといったような好みで生まれてくるように思ってしまうところがいけないのだ。
 それが、思想を持つことの厳しさと一体化しないのだろう。
親鸞を知ろうとするとき、その思想だけではなくて、思想を会得して民衆に広める苦しみとセットでなければいけなかったのだ。

 古田武彦は親鸞の宗教は人生をかけての戦いであったことを繰り返し繰り返し述べている。
 この戦いの苦しみの中から多くの人の魂を救ったというところに親鸞が世にありがたがられるのだと思わさせずにはおかない。
 私も、浄土真宗門徒の家に生まれて、また浄土真宗門徒の家に嫁してこんなことでいいのだろうかと落ち着かなくなってくる。

 その気概につかれて、時々、本を投げ出しては考えた
 仏教伝来以降、親鸞がいなければ、日本にこのような宗教観は生まれてこなかったのだろうか? 
 そんなことはない。仏陀の考えそのものなのだから。
 しかし、思想が存在するということと、それが、人類の恩恵となるということとは違う。
 人類の多くは、苦しみの中にいる。生きるということは苦しいことだから。しかし、愛される、また愛さずにはいられないという、育てられる、また育てずにはいられないという喜びがある。人生は要約すればこれだけだ。
 これだけのことなのに救い助けるといって搾取し、多くの人々を苦しめる為政者がいるのが世の常だ。時代の仕組みによって限りなく傷つけられる人々。またこういった恩恵にあずかるチャンスのない人が多くいる。
 「インドで始まった仏教が日本で花開いた」とよく言われるがまさに法然と親鸞によって民衆の宗教になったということを感じさせられた。
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『ゲームの達人』上・下
2008/12/20(Sat)
 シドニィー・シェルダンの『ゲームの達人』上・下2巻を読む。

 シドニィー・シェルダンにしては読み終わるのに日数がかかって一時期放っておいた。

 スコットランド出身のジェミー・マクレガーは、南アフリカにダイヤモンドを掘りに出かける。一発あてて、大金持ちになるために・・・・。
 そして、人にだまされたり、猛獣に襲われそうになったり、殺されそうになったりしながら、結局、ダイヤモンドを掘り当て、大金持ちになる。それを資金に起業し、その事業がことごとく成功し巨万の富を得る。その、娘、孫、ひ孫までの話。

 延々4代にわたる話で、3代まではいつもどおりあっという間に読めるのだが、4代目の双子の女の子の話になると、作家が男性であるのに、よくここまで女性の嫉妬について書けるなと思えるほど、気持ちの悪い嫉妬の話が続く。ここで、うんざりして投げ出してしまっていた。それでやっと、今日思い直して最後まで読んだ。事業は何代も続かず、結局は破滅してしまうのである。おしまい。
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『白州正子と歩く京都』
2008/12/19(Fri)

白州正子・牧山桂子など著 『白州正子と歩く京都』 を読む。

 この本は、「白州正子・牧山桂子著」としたが、本当はもう白州正子が亡くなってから、2008年つまり今年編集されたもので、白州正子に関係のあった人が、白州正子を読みながら、あるいは白州正子と深いつながりのあった人、出会った人々をたずねながら、さまざまな人が文章を書いている。
 また、「読む」としたが、B4の大きさの本で写真満載なので「読む」と「見る」が同じくらい楽しい。
 借りてきて読んでいるが、手元においておきたい本の一冊だ。
 牧山桂子なる人は白州正子の長女で、鶴川の家「武相壮」記念館として一般公開した人とのこと。
 
 ここでは、笠置寺のまがい仏についての一部の記述を引用しておく。
 ≪石があったから石仏を造った。
 それでは少しも答えにはなるまい。
 そこには仏教以前からの石の信仰があり、
 仏教と結びつくことによって、
 花開いたのであろう。
 現に笠置の磨崖仏などは、
 明らかに巨岩信仰の形を遺しており、
 道野辺の石地蔵も、仏というより
 さいの神のような姿をしている。≫

 同時に読み進んでいる古田武彦の古代の本で、ちょうど巨岩信仰の部分を読んでいたので、このことが少し理解できた。
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『ある運命について』 ⑬
2008/12/17(Wed)


 司馬遼太郎著 『ある運命について』ー「池辺三山について」ー を読む。

夏目漱石を読んでいたころ、それにつながる人として池辺三山の名はよく記憶している。
 びっくりしたのは、池辺三山は肥後の人で、その父池辺吉十郎は、西南戦争のとき西郷軍に付き肥後の西郷といわれた人で最後刑死したとのことである。
 西南戦争における西郷隆盛の話はよくきくが、肥後にも同じ思いでこの西南戦争を戦った池辺吉十郎という人がいたことははじめて知った。
 夏目漱石は池辺三山と相対して座って話していて、西郷隆盛もこんな人だったのではなかろうかと思ったといっているところがある。池辺三山はその父親池辺吉十郎に似ており、池辺吉十郎は、西郷隆盛に似ていたということである。
 それが、その風貌だけでなく、人間性も大変似ていたということである。
 新しい国を作ること。しかし、明治政府ができ、国元では、藩体制があるなかで、幕藩体制からみた不条理との戦いを避けて通れなかった西郷吉之助や池辺吉十郎。その事実を父親と似た人間性を持った池辺三山が後年思うことの語りには深い味わいがある。
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『リベンジは頭脳で』
2008/12/16(Tue)
シドニー・シェルダン著 『リベンジは頭脳で』を読む。

 ストーリィーがおもしろいので直ぐ読んでしまった。
 夫婦二人で引越ししたばかりなのに、前に住んでいた人と間違えられて、夫が留守の間に奥さんがギャング団に殺されてしまったところから、物語が始まる。
 犯人は捕らえられるが、ずるい弁護士が付いていて無罪になってしまう。
 奥さんを深く愛していた夫はそのギャング団ズーのメンバーを一人残らずやっつけることを誓う。
 天才と呼ばれるほどの優秀なエンジニアが、その明晰な頭脳を使ってマヌケなギャング団のメンバーを仲間割れをするよう仕向けるなどして一人一人仲間内で殺させていくという物語である。
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『ある運命について』  ⑫ 
2008/12/15(Mon)
 司馬遼太郎著 『ある運命について』ー「奇妙さ」ー を読む。

 幕末の新撰組についての話。
 司馬遼太郎は新撰組を題材にした『燃えよ剣』という作品を書いている。
 なぜか、若いころから何の影響からか判然としないが、新撰組は陰険な感じがして本でもテレビでもほとんど見たことがない。

 この、エッセイの冒頭
 ≪新撰組のことを調べていたころ、血のにおいが鼻の奥に溜まって、やりきれなかった。≫
を読んで、やはりそうなのかなと思う。

 では、なぜ新撰組について、書いたのかについて、
 ≪ただこの組織の維持を担当した者に興味があった。≫
とある。

 組織の中心人物、近藤勇と副局長の土方歳三に焦点を当てる。
 近藤勇は剣術(天然理心流)の先生のところに養子にもらわれ、その跡取りとなる。
 三多摩地方に出稽古に行く時は、土方の義兄の名主の佐藤彦五郎の家を宿にしていた。
 この佐藤彦五郎は、名字帯刀を許された豪農で、のち、新撰組の初期のパトロンとなる。
 土方歳三はこの、義兄の家に入り浸っていた。

 近藤勇は、頼山陽の『日本外史』の愛読者であったという。
 頼山陽の『日本外史』の、「宋学的尊王」、「宋学的攘夷」、という思想を強く持っていたという。
 そして、それが近藤勇の「政治的正義」となる。
 その「政治的正義」をつらぬく組織の維持。
 この内容について、

 司馬遼太郎は、新撰組についての作品を書いた総括として、「政治的正義」について、恐ろしいといい、人迷惑だと述べている。

 勤王家の集まりだと聞いて入ったという阿部は入って見ると大いに違い分離する。彼の言に、
 ≪「近藤勇の趣旨と申しますものは、つまりこれから幕臣となって幕府に尽くすと言うまでのことでございまして、その挙動というものは昔の山賊のようでございまして、ややもすれば直ぐに自分の意に充ちませぬとか、或いは反対の見込みのあると考えますると、それを密かに斬殺すというようなことで、甚だ危険でございました。」≫
とあるように、新撰組の上に立つものが、剣術かとしては腕利きであったが、いたって無知で残酷なものが多かったようである。
 
 司馬遼太郎は『燃えよ剣』では、土方歳三の、近藤勇のような正義などはなくただ組織だけだったと思える「奇妙さ」について書いてみたかったと述べている。
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『複数の「古代」』
2008/12/08(Mon)
神野志(こうのし)隆光著 『複数の「古代」』を読む。

2ヶ月くらい前より古田武彦氏の『失われた日本』-「古代史」以来の封印を解くーを時々読んでいる。
 古田武彦氏の論は、東大派閥などと相容れない論が多いということだが、なぜか説得力を持って迫ってくる部分があるので、時々目を通しているのであるが、この神野志(こうのし)隆光氏はまさしく東大教授である。

 この中で一度古田武彦氏の論についての記述が出てくるが、ここでは古田氏の考え方と神野志隆光氏の考え方はお互い抵触しない。


 自分の考えをまとめつつ授業をする中で手ごたえを得ているので本にまとめたとしている。

 読み手としては、私も学生同様専門家ではないので、古代を紐解く上で、まずはどのような資料を活用して読み込んでいくのかということについて、その方法を教えられた気がするのである。

 そして、私も長年、初歩的なところでつまずいていたことに気づく。

 たとえば、万葉集をまず学校で教わるとき、「・・・・のときよめる歌」の次に歌が載っている。そして、その文章と歌を現代用語に解釈しているだけなので、歌以外の地の文章が、歌の読み手が記載したものと公民館の「万葉教室」に時々いって歌に親しんでいても終生勘違いをするのである。
 
 しかし、地の文章というものが、編者によって書かれたものであり推測して、書いたものであることに容易に思いが至らなかったのは私だけであろうか。
 著者は、その、編者の推測の中で、『日本書紀』を読みながら推測した地の部分で、『日本書紀』とはことなる部分があることを何箇所か指摘して、その謎について迫っているのである。。
 
 著者がこの書で扱っている資料(古文書)は本当に少ない。少ないだけに一冊一冊の語る古代を、真摯に受け止めて、語ろうとする古代にいろいろあることを訴えるのである。
 
 読後ほんとに授業を受けたとの感がある。
 
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『ある運命について』 ⑪ 
2008/12/07(Sun)
司馬遼太郎著 『ある運命について』ー『胡蝶の夢』雑感ー を読む。

司馬遼太郎の作品『胡蝶の夢』についての話。
 私は、この作品はまだ読んだことがない。
 作品に触れないままで読むのでこの文章を読んで想像するのみである。
 佐渡島から医者になるべく本土に渡った伊之助という人の話であるらしい。
 もともと、佐渡島というお国柄の説明がないとこの伊之助の思いが読者に伝わらないということで、佐渡島が、いかに身分差別のはっきりした江戸時代にあって自由の気風があったかということの説明がある。また、江戸中期以降北前舟の寄港地として日本国中の港町よろしく栄えていたか。
それが、航海術の向上により佐渡島の小木に船が寄港しないで沖を通り過ぎるだけになっていき、寂れていく。それをいち早く見越した伊之助の祖父が記憶力のいい伊之助を金に糸目をつけず勉学への道を歩ませるのである。
 
 先に読んだ『サムライとヤクザ』において江戸幕府崩壊の原因を語っていたが、ここでは、

 ≪末期には幕府機関の重要な部分が”蘭学化”することによって身分社会は大きくくずれるし、さらに皮肉なことに蘭学を学んだ者が、卑賤の境涯から身分社会において異数の栄達をした。
 ひとつの秩序ー身分社会ーが崩壊するとき、それを崩壊させる外的な要因が内部にくりこまれ、伝統秩序の中で白熱するという物理的な現象が、人間の社会にもおこりうるということも、作者は風景としてみたかった。≫
 
 と次代を担う力の胎動について、語っている。
 
 
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『サムライとヤクザ』
2008/12/06(Sat)
新書本 氏家幹人著『サムライとヤクザ』を読む。

 この著書を十分理解したか、また自分なりの感想がもてるほどに読み込めたか自信がないが、この本ほど読み進んでいくうちにカルチャーショックを受けた本は最近希である。

 江戸300年のあとにくる維新について、私は、ずいぶんな本を読んだような気がするが教科書どおりの解釈が抜けきっていなかったのだと今さらながら感じる。

 教科書どおりというのは、アメリカの黒船が日本沿岸に姿を見せるようになってから日本国中が右往左往するようになっての維新という感覚である。しかし、江戸幕府の崩壊は、士農工商で成り立っている幕藩体制の中心をなす武士。その役割も経済力も武士としての精神もなくなったことが維新へとつながったというのである。

 ≪戦国の世から徳川の泰平の世への転換と軌を一にして、戦士の作法だった「男道」は色あせ、役人の心得である「武士道」へと様変わりする。江戸前期に鳴らした「かぶき者」が幕府から弾圧されると、「男」を継承したのは江戸の藩邸が雇い入れた駕篭かきなど町の男たちだった。武士が武威を彼ら荒くれ男に肩代わりさせてた帰結が、幕府のあっけない倒壊・・・・・・。≫

この書のカバーにこの一文を見たときに「まさか!」と思ったのが「なるほど」に変わってくるのである。

 この著者は私のように内容がいまひとつ理解できにくい読者に最後のエピローグに内容をまとめてくれている。それを、ここにすべて転用する。

 ≪・・・くどいようだが整理してみよう。   
 戦争を家業に人殺しを本領にしてきた荒々しい男たちの一部が、戦国の世の終焉によって武将や大名に上昇転化し、徳川の体制に組み込まれていった。その過程で戦士(戦場)の作法だった「男道」は色あせ、治者あるいは役人(奉公人)の心得である「武士道」へと様変わりしていく。仕掛け人は徳川家康。『郡書治要』『貞観政要』などの心得を説いた中国の古典を活字出版によって普及させようとした家康は、戦国の血なまぐさい「男道」を儒教的倫理で彩られた「武士道」に転化させた最初にして最大の貢献者だったと言える。
 爾来、江戸時代の武士は、将軍大名以下幕臣藩士に至るまで、総じて非武装化の道をたどり、戦士の本分を弱めていくのである(武士の刀狩)。江戸初期のかぶき者やその後相次いで登場した旗本奴や町奴などいわゆる”男の余熱”が幕府の度重なる禁令によって弾圧されたのも、時代の趨勢がもたらしたものだった。家康が基礎を築いた”徳川の平和”は、無法な暴力や喧嘩口論など私情による紛争をなにより嫌った。かぶき者や男だては、戦国の習俗から抜け切れない古いタイプの武士(男)と共に、社会の表舞台から摘み取られていったのである。
 とはいえ、将軍を頂点とする武士階級は、社会を支配し日常や非常時の秩序と治安を維持するために、それなりの武威を必要としていた。もちろん幕府も藩も相当の軍事力を擁していたが、その軍団は、平和ボケとそれにもまして武力のあからさまな行使を極力さけようとする事なかれ主義によって形骸化し、個々の武士もまた、形どおりの訓練を繰り返しただけで、戦士としての資質は失われつつあった。
 ならば誰が武士たちの武威を支えたのか。たとえば旗本や全国の大名屋敷が集中する江戸では、武家屋敷側は庶民の屈強な男を雇って、さながら傭兵のように主人の供廻りや駕篭かきを勤めさせる方法を選択した。自前ではなく、町の荒くれ男たちに武士の本領であるはずの武威を外部委託(アウトソーシング)したのである。委託された町の男たちはしだいに武家を軽視し、武家もまた彼らの命知らずの行動に危機感を持つと同時にある種賞嘆の感情を抱くようになる。「自分たちは武士とはいえ形だけの戦士だが、この男たちは根っから勇猛だ。実は彼らのほうが自分たちより」武士らしいのかもしれぬ」。
 階級の壁を越えたこの奇妙な感情は、江戸末期から幕末にかけて、博徒俠客の活動が過激になり、武士が再び実践を経験せざるを得なくなることでさらに増幅していく。そして近代以降、庶民の荒くれ男たちの側にも、俺たちこそ本物の武士の末裔だという自信が芽生えてくる。弱者を救い国を憂う高貴な俠客というキャラクターの登場である。

 自分たちはまぎれもない武士なのに、町や村の荒くれ男たちに比べると男(武士)として明らかに劣っている。身体的な頑丈さにおいて、それにも増して命知らずな闘争精神においてーーー・
 武威の外部委託と、武士における”男としての引け目”が、明治以降たぶん現代に至るまで、サムライを自負する政治家や企業戦士が、アンダーワールドの男たちを毅然と排除できないばかりか、ややもすれば彼らと”共存”し、その力を”活用”する習慣を生んだ歴史的素地だったのではないか。私はそう推理するのである。・・・・・≫

 読み進む中で、思わず苦笑したのは、この現象のある部分が、今に通じていると思えたことである。 江戸時代の落ち着きと共に、各藩が家中の武士たちが武士としての体面を保ちつつ役回りを実践するためのマニュアルを必要としそれも間に合わなくなり、大名の警護など粗相があっても幕府からお咎めを受けない町民に外部委託ていたということである。
 そのことは、現在、憲法の精神と行政サービスの間に矛盾がある。その矛盾を切り抜けるためにいろいろ市民との交渉についてのマニュアル作りをしてきた。しかしそれも間に合わなくなり現政権を存続させるために第三セクターへの行政委託を推し進めているという現象である。
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『ある運命について』 ⑩ 
2008/12/02(Tue)
司馬遼太郎著 『ある運命について』ー『菜の花の沖』余談ー を読む。

 司馬遼太郎の『菜の花の沖』はこのブログを立ち上げる直前の頃読んだ。長編であるだけに今でもその物語がずっしりと胸の奥にあるような気がする。
 江戸時代きっての快男児、豪商となった高田屋嘉平衛の話である。
 高田屋嘉平衛は淡路島の貧しい農民から身を起こして船主になり北海道にまで海路を広げ昆布や鰊などを持ち帰り本土の衣食の文化に強い影響を与えていく。
 当時の江戸幕府の状況、物流の状況、海運の状況、蝦夷地の状況、諸外国との状況、いろいろなことが高田屋嘉平衛の物語をとおしてつたわってきた。
 司馬遼太郎はここではこうした物流が庶民の生活を変えることを、さかのぼって斉藤道三の時代にかえって、灯油にする油の物流がさかんになることによって、それまでの「夜暗くなったら寝る」という生活が一変し、のちの、不夜城吉原までが出現するにいたることなどをつづり、この長編小説で伝えたかったことを語っている。
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『よく見る夢』
2008/12/01(Mon)
シドニー・シェルダン著 天馬龍行超訳 『よく見る夢』上下2巻を読む。

 上下2巻とはいえすぐに読み終わる。
 シドニュー・シェルダンの作品は4つ目だがどの作品もあっという間だ。
 ストーリィーの展開のおもしろさにひこづられてすぐに読み終わってしまう。
 しかしこの作品は今までの3っつの作品と少し違う。
 殺人事件があり、犯人探しがあり、逮捕があり、裁判がありというのはいつもと同じだが、このたびは、犯人が精神病にかかっているというのである。
 日本でも精神鑑定によって無罪になったりすることがあるが、なぜか釈然としないことが多いい。それは、その精神病というものに対する知識が私たちにないからというのがこの話からよくわかる。多重人格障害者・解離性同一障害とかいった精神病について詳しい症状が理解できる。
 患者が物語のなかで根気づよい治療によって治っていき正常に近い自分に戻っていく様子もえがかれており、患者のあるいは関係者への勇気づけにもなっている。
 物語の最後に「作者の覚え書き」があり、それには読者にこの病気に対する理解と、その原因について父親の近親相姦による性虐待がその第一と言うことを語り警鐘を鳴らしている。またこの作品での裁判のようすも興味深く読めた。
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