『「昭和」という国家』 
2009/04/29(Wed)
司馬遼太郎著 『「昭和」という国家』 を読む。

1999年出版。

司馬遼太郎が亡くなる10年前1986年(昭和61年)5月19日からNHK教育テレビで12回放映されたものである。

第一章 何が魔法をかけたのか
第二章 ”脱亜論”私の読みかた
第三章 帝国主義とソロバン勘定
第四章 近代国家と”圧搾空気”  教育勅語
第五章 明治政府のつらさ  軍人勅諭
第六章 ひとり歩きすることば  軍隊用語
第七章 技術崇拝社会を曲げたもの
第八章 秀才信仰と骨董兵器
第九章 買い続けた西欧近代
第十章 青写真に落ちた影
第十一章 江戸日本の多様さ
第十二章 自己解剖の勇気

付論一 日本語について
付論二 兵器のリアリズム

<感想>「雑談『昭和』への道」のことなど   田中 彰 
司馬遼太郎・「雑談『昭和』への道」制作余談   栗田博行

各章の題名を見ればなかに何が書いてあったか鮮明にいまは思い出せる。これが思い出せなくなったら何度でも読まなければと思わせる書である。

最後の田中彰氏の感想にも考えさせられる。
司馬遼太郎の読み方の注意すべきことを述べている。

≪さて、本書の感想を述べるに当たって、前提となるいくつかのことを確認しておこう。
 その第一は、司馬さんはあくまでも作家ということである。
「わからないということがわかった」という厳密さをもつのが歴史家とすれば、作家はそのわからないところをフィクションとして描き出す。
前者が禁欲の世界に学問としての厳しさを要求するのに対し、後者はその歴史家の禁欲の世界を自由にかけめぐるのである。
 第二は、フィクションを自由に駆使する作家の画く歴史は面白い。だから禁欲の世界で苦吟する歴史家の叙述とは比較にならないほど多くの読者を得る。描かれる人物は、豊穣な表現力によって自由に作品のなかをかけめぐるから、歴史小説はいきいきと叙述されて面白い。だが、そうした作品の上に作家が歴史を語るとき、本来は史実に忠実でなければならないにもかかわらず、みずから描いたフィクションの世界があたかも歴史の現実のごとくにすりかえられ、さらにそれが歴史の流れをつくり出しているかのごとくに語られることである。史実とフィクションとのないまぜから抽象された作家の歴史の見方が、いつの間にかその前提を無視してひとり歩きをはじめることがある。その語り口が魅力的であればあるほど、そこには落とし穴が生ずることもある。司馬さんの場合、しばしば司馬史観といわれる。司馬史観なるものは、司馬さん自身がいった言葉ではない。が、いつの間にかそう名づけられたのは、その影響の大きさなるが故である。その落とし穴がどこにあり、どのようにひとり歩きしているかを認識しながら、読者は歴史の流れのとらえ方を読み取る必要があるだろう。
 第三には、司馬さんの風貌のカリスマ性である。・・・・・・司馬さんのイメージは魅力以外の何ものでもないのだ。
このカリスマ性が前述の第二の問題と結びついて司馬史観なるものを神話化したり権威化したりしている。≫

この記述にはドキッとさせられた。自分もその落とし穴に陥っているからである。  
自分にとって多少司馬遼太郎の歴史認識に誤りがあったとしても、どうせ自分で司馬遼太郎に及ぶ研究ができるわけでもないからいいのではないかと、自ら進んで落とし穴に入っていくこともあったかもしれない。
彼の文章には、そう思わせるカリスマ性が確かにある。

司馬遼太郎の着地点があいまいなところもきちんと指摘してあるには頭が下がった。
自分との大正時代の認識の違いも明確にされている。

この人の一文によってこの書の重みがズシッと感じられる。
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『聖なる春』
2009/04/25(Sat)
久世光彦著 『聖なる春』 を読む。

1996年出版。

 久世光彦は初めて読んだ。
 最初は自伝小説なのかと勘違いして読んだが、「私」を主人公にした小説であったようだ。
 「私」には、東京大空襲のとき燃え盛る火の手から逃れる途中、顔に火傷を負いそれが大きなあざとなって残っている。家も蔵を残して焼けてしまいその蔵の中でクリムトの絵を模写しそれを売って一人で暮らしている。
 そこには親子ほど歳の違う画学生のキキという女性が出入りしている。
 キキと贋作を買ってくれるフランソワという男と「私」のお話。
  「私」には、顔にあざがあるということと、その火傷を負ったときの恐怖とが心に常に重くのしかかっている。
 キキという女性も今は精神病院にいる母親との奇妙で悲しい思い出を引きずって生きている。
 フランソワという美術商の男はまったくその生い立ちなどがわからない。
 しかし、この男、キキ親子と何か深いわけがありそうなことを匂わせて小説は終わる。

 三人ともみんなつらい運命を背負って生きている。
 読み終わると、人が苦しい思いをして生きているのは、その苦しい状況を知ればわかるが、その心の奥底に漂うものについては、なかなか感じ取ることができないとおもった。
 しかし、つらい思いをしている人どうしだと感じあえるんだなーとしみじみ思った。

 そういう悲しみの奥底に漂うもの、やってこないとわかっている春を待ち続けるこころがえがかれている。



忙しいのとその疲れで図書館に行きそびれて読む本のない日が4、5日続いた。
ヤッパリ本がないと寝付けなくて寝不足が続き、4晩も眠れないのはちょっとつらかった。
久しぶりの現代小説で楽しかった。
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『中年シングル生活』
2009/04/18(Sat)
関川夏央著 『中年シングル生活』 を読む。

1997年出版。

終始一貫シングル生活の悲哀が書かれているエッセイ。

彼はどうもわたくしと同い年。
中年シングル。
うらやましい限りと思っている私たちにとっては、まあお互いないものねだりといったところか。
どちらにせよノー天気なところは私たち世代特有かとも思える。

なかに、樋口一葉や夏目漱石、斉藤緑雨、高村光太郎、ひさしぶりにであう国木田独歩などのエピソードもあってそのあたりは楽しんで読めた。

また、小さいころ歌って聞かせてもらった「浦島太郎」のうたを勘違いしていたエピソードもおもしろかった。

一番 「乙姫様のご馳走に、鯛や比目魚(ひらめ)舞踊り、ただ珍しく面白く、月日のたつのも夢のうち」

四番 「帰ってみればこは如何に、元居た家も村もなく、路に行き会う人々は、顔も知らない者ばかり」

この曲を、「ただ珍しく面白く月日のたつのも夢のうち」と暮らしているとついに「怖い蟹」と出会わなくてはならないと思っていたという話は、私たちにもその手のエピソードには事欠かないことを思い大笑いして読んだ。

さいごの「昔知った物語」は少し長いが、山田太一の『男たちの旅路』というテレビドラマのことが書かれている。鶴田浩二ふんする警備員の男が、特攻隊の生き残りで、女もろくに知らずに死んでいった戦友への義理立てとして結婚する気になれないといっていたが、50を過ぎて23歳の女性と結婚するという話が心に残った。
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完四郎広目手控『文明怪化』
2009/04/16(Thu)
高橋克彦著 『完四郎広目手控文明怪化』 を読む。

≪時は安政年間<広目屋>という、江戸の広告代理店を営む藤岡屋由蔵。そこに居候する旗本の次男坊・香冶完四郎が、江戸の町に起こる怪事件を戯作者・仮名垣魯文らとともにみごとに解決。≫

と本の広告にあるように、怪事件を解決していく探偵小説。

明治新政府になって人の運命が大きく変わっていく。
新政府を担っている薩長土肥に対して、おいていかれた徳川側の人たちの悲哀を画きつつ、その人たちのがんばる姿が生き生きと画かれている。

徳川幕府が立ち上がり、落ち着くにしたがって直参旗本などの権威がおちていき、その次男坊などの行く末の所在無さ、それに変わって町奴たちが江戸の町を管理していくようになる姿を扱った作品を読んでいた時期があったが、今度は新政府が立ち上がって、もと旗本が活躍して新政府の悪を暴いたりして、世の中を正していこうとするその対比を楽しみながら読んだ。

司馬遼太郎によると、明治時代は官民が一体となって日本を作り上げることに精を出し、汚職などがほとんどなかった時代だったといっていたが、警察が反新政府側の会津藩の人たちからなり、また、錦絵や、新聞のマスコミをになったのがもと旗本などの人であったことも一因ではなかったかと思える。

このところ、マスコミの姿勢が問われおおきく論議されているが、マスコミが読者の売り上げで成り立つようにならない限り、市民のための報道にはならないのではないかということを思わされた。
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『大河の一滴』
2009/04/08(Wed)
五木寛之著 『大河の一滴』 を読む。

1998年出版。

五木寛之は、人の弱いところ、貧しさや、心の弱さ、体の弱さ、環境の悪さ、いろいろなものに恵まれない人に常に思いを傾けて語っている。最初はときとして退屈なときもあるが、終盤に差し迫るにしたがって、深く仏教の本質に触れることができる。

 「面授が伝えるいきいきとした心」
 「『出家とその弟子』のちょっとした対話」
 「いつかおとずれてくる本当のさびしさ」
 「優雅なる下山のやりかたを求めて」


これらの章は、倉田百三の『出家とその弟子』についてかかれたものだ。
この作品は、いまも本棚のすみにあると思うが、私は高校生のころ読んだので、その書の姿については思い出すことができる。
戯曲である。

面授という聞きなれない言葉について、

≪言葉には、人間の肉声から伝わる言葉と、文字を通じて伝わる言葉と、二つあると思います。・・・・要するに人間と人間が向きあい、お互いに息づかいのきこえるような距離でもってなにかを学び、なにかを伝え、そしてなにかが伝えられる。こういうことを面授といいます。≫という文面で書き始められている。

ところが、五木寛之は、この『出家とその弟子』の対話の文面からは面授という感じを受けるというのである。
唯円が感じているさみしさということについて親鸞に質問するくだり。
五木寛之は、彼がそのようすを彼なりに再現して語ってくれる。するとまさしく、そのときの五木寛之の文面から読んでいる私も親鸞を目の前にしてお話を聞いているような気がして深く胸にしみとおるのである。ただただ親鸞の面差しを見上げて感じ入るのみである。
五木寛之は、この書によって面授されるように読めるような文章について時間をかけて研究したのだろうと思える。
ときとして、映像を見るように感じる文章に出会うことはあるが、たしかに面授するという感じの書にはあまりであったことがないような気がする。(そういうことにこだわって読んだことがないだけかもしれないが)

五木寛之はこういう文章が書けるようになりたいのべる。こういうふうにして、ひとびとを励まし慰めたいとの想いがあるのだということを読んでいて感じる。

平成の蓮如様かもしれない。
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『良寛に生きて死す』
2009/04/06(Mon)
 2005年出版の中野孝次著 『良寛に生きて死す』 を読みました。
 中野孝次は1925年~2004年7月を生きた人で、この本は、中野孝次本人が亡くなってから編集されたものです。

 良寛遺愛の手毬の写真が掲載されています。
 糸を巻いてつくり、最後まわりに花の絵が刺繍されている美しいものですが、良寛には

  この里に手毬つきつつ子どもらと遊ぶ春日は暮れずともよし

などのように手毬をついていたという歌がたくさんありますが、いったいにこの手毬をどのようについていたのかなと思ってしまいます。

 また、彼の居住した五合庵の写真も2枚載せられています。
 2間・2間くらいの建物で、閑静なたたずまいです。
 山の中にありますが、私のような人口の多いいところに住んでいても熊や鹿や猿や猪や狸がしょっちゅう出没するのに獣が怖くなかったのだろうかと思えます。

 ほかの写真は著者の中野孝次氏の写真やお墓の写真ばかりが載っています。

編集者が、中野孝次の生きかたについて、いかに良寛を理想として生き続けたかということを結果として伝える書になっています。
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『風のように別れた理由』
2009/04/06(Mon)

渡辺淳一著 『風のように別れた理由』 を読む。

1998年出版。
平成8年6月から1年半週刊現代に掲載されたエッセイをまとめたもの。

読んでいると、執筆期間に『失楽園』の執筆の後半が重なっていることが伺える。
『失楽園』の最後のつめ、どのように心中させようか悩んだことの告白や、映画化、放映反対運動、流行語大賞受賞などのエピソードが所々に出てくる。

いよいよ最後のほうに「島清恋愛文学賞」という一文がある。

これは、石川県美川町が郷土の島田清次郎という作家にちなんで1993年ころ作った賞だということだそうである。
渡辺淳一がその審査員になっているのだそうだ。

島田清次郎という人は、『地上』という作品が21歳のとき(大正12年ころか)50万部も売れ時代の寵児となった人で、そのため有頂天になり身を持ち崩し世から見放され31歳という若さで肺結核にかかって亡くなっている。昭和32年に『地上』が映画化され、37年には杉森久英氏の島田清次郎をモデルにした『天才と狂人の間』という作品が直木賞を受賞したということである。

渡辺淳一がここで恋愛小説について述べていることに興味を引かれた。
現代のように恋愛になんの障壁もない時代だと恋愛小説は書けないといっていることだ。それで、恋愛小説が世にないと言っている。
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『和泉式部日記』
2009/04/05(Sun)

いがらしゆみこ著 『和泉式部日記』 を読む。

マンガ 日本の古典シリーズの6

長保5年(1003年)4月から翌年の正月までの和泉式部の日記。

源氏物語とほぼ時を同じくする作品ということである。

マンガだと服装や髪型生活空間などの時代考証ができているので楽しみが多い。
源氏物語と同時代ということで源氏絵巻が参考になる分らくかなと思っていたが、著者は時代考証にずいぶん手間取ったとあとがきに述べていた。

和泉式部は橘道貞という夫と一人の子がありながら冷泉天皇の三男為尊親王(弾正宮)26歳と関係していた。その弾正宮が病死して一年がこようとしている。そのやさき弾正宮の弟で弾正の宮によく似ているという、敦道親王(帥宮)との恋に落ちる。和泉式部はそれでなくても男性とのうわさがたえず、周りの人からそのことをとやかく言われることに苦しみ悩むが、やはり恋に落ちてしまうという内容である。

もとの作品には、お互いの心情を詠んだ147首の贈答歌が織り込まれているという。このいがらしゆみこのマンガのなかにも聞き覚えた歌が何首かでてくる。

この時代、心と心を通わせる手段としては贈答歌があった。
人はだれかと心を通わせたい。
この贈答歌に秀でた女性がもてるのはもっともなことだと思う。
そして、この恋は歌を詠まない恋に比べたらどんなに素敵なことだろうと思う。
想いをなにか物や事象になぞらえて表現すれば想いはいちだんとふかまりいろどりも美しいだろう。お互いが会う以上に歌のほうをワクワクして待ち望んでいる様子が充分伺える。
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『古事記』
2009/04/04(Sat)
石ノ森章太郎著 『古事記』 を読む。

居住するエリアの公民館の「地域情報センター文庫」という棚から借りてきた本だ。
「地域情報センター文庫」の図書は手続きなしでどうぞ借りていってお読みくださいという図書が並んでいる。

この公民館の図書室は、数年前まではどこの公民館の図書室もそうであるように、中央図書館と各区の区民文化センターが併設している図書館、いわゆる大きな図書館からのお下がりと若干の図書費でまかなっているようなわびしいかんじの図書室で、だんだん利用しなくなっていた。
数年してあるひ、仕事の用事で訪ねて様子がすっかり変わっているのにびっくりした。

それぞれの本が、本屋に並んでいる新しい本よりも存在感を持って並んでいるのである。
そして、私の大好きな司馬遼太郎の『坂の上の雲』のコーナーがしつらえてある。
そして、図書室を出たところ、図書室に入っていくところといったほうが本当で、広い玄関フロアーにさきに述べた「地域情報センター文庫」という棚がある。そして、もうひとつ名前はわすれたが、どうぞこの図書は事務室に一声かけてお持ち帰りくださいというコーナーのたなもある。
そして、図書室の貸し借りの手続きをする机に、「良かった本おすすめのメッセージ」を書くそれようの紙が備えられている。
ここでかりると、返すのがひどく遅れたときでもはやくお返しくださいの催促がないので、私はそのご恩に、借りた本の中からお勧めを選んでちょっとした本の内容の紹介と感想を3,4行書いて無記名で箱の中にいれておく。次に行ってみると、そのメッセージが、掲示板に掲載され、その本が掲示板の下のさんに立てかけられているという趣向だ。子どもの感想文は多いいが、大人のはあまりないのか最近は、10枚くらい掲示されているなかの7、8割が私の書いたメッセージが掲示されている。
こういった企画も以前にはなかったことで、私も公民館職員と似たような仕事をしているので、職員によってこれほどかわるものかと、内心どぎまぎしたが、これは、あるボランテアグループによるものであることがわかり、そういったボランテアグループが育ったこの近辺の住民の文化の高さに改めて敬服した。

4,5ヶ月前、ある友達が「あなたが薦めてくれた本読んだよ」というのでよく聞いてみるとメッセージを読んで、本を借りたということであった。どうしてわたしがそのメッセージを書いたとわかったのか聞いてみると、「ずーっと読んでいてあなたかなと思ったらそうとしか思えなくなったのよ」とのこと。
図書室の変容について、「市長賞ものよね」と盛り上がった。

それ以来、区民文化センターの図書館同様利用を続けている。


件の「地域情報センター文庫」という棚に、赤い背表紙がきれいに30冊くらい並んでいる。
そのなかで、『古事記』と『和泉式部日記』をお借りした。
開いてびっくり漫画だった。
漫画は、これまたうれしくて、さっそく読んだ。
頭が痛くなった。
いや、頭が痛いときに読んだからか。
しかし、内容が終始一貫しないので頭が痛くなったとも考えられる。
読み進むほどに頭痛が増してくる。
ブログに書きこみどころではない。
石ノ森章太郎もこれを書くのに苦しんでおおくの月日とエネルギーを費やしたと記している。
書き込まないまま、いがらしゆみこの『和泉式部日記』と、渡辺淳一の『風のように別れた理由』をよんでやっと頭が正常に戻った。
『古事記』の内容に触れるとまた頭痛が起きそうなので、このたびは私の町の公民館の素敵な図書室の紹介にした。


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