『燕山夜話』
2009/08/26(Wed)
拓 著 毎日新聞社訳・編  『燕山夜話』 を拾い読みする。

 娘の出産で3歳の孫を預かっていて、図書館や公民館に行かなかったために、読む本がなくなった。
 やむなく、我が家の本箱から、古びた『燕山夜話』を取り出して眺める。


 「貴重な遺産・中国の書道」 原題 「有法和無法」

 これは、書道について書かれている。
 永字八法の解説から入り、実は線はたくさんの点が一列に並んだものである、などと説明し、ゆえに八法は四法に基づき四法は一法に基づくというのである。すべては、点の発展と変化によるものだとする。
 書道にはその前提として「法」が必要であるとする。
しかし、あまりこの法に束縛されていては書道の水準を高められない。
 「無法の法」・「天然を法とする」・「造化を師とす」もでてくる。

 ≪このように見てくると、書道の法なるものは、他の芸術と同様、根本的には、客観的自然界と実際生活のなかから生まれるものである。そこで、われわれは、あらゆる技法を掌握し、運用するにあたっては、決して法の束縛にとらわれず、法を客観的実際のなかに還元し、客観的事物の発展変化の特徴に照らしあわせて、大胆にこれを発展させ、条件が成熟したときには、新しい技法を創造するよう心がけるべきである。≫

  まことに、このたびの選挙でもこういった考え方で変革に望むべきではなかろうかと思う。

 また、職場にきてくださる絵手紙の先生の筆法が文の中の王義之(おうぎし)の書法と同じで、ガチョウのように「腕運びて手は知らず」というのと同じであった。 今の私はこの書き方に興味を持っている。


 「略字なのか、誤字なのか」 原題 「是簡化字還是錯別字呢」

 これは、中国の漢字の簡略化についての話である。
 教養人でさえ、かえって読めないというのである。
 これが、1961年から62年にかけて発表された随筆であるために、今の中国ではどのように感じられているかはわからない。
 奇抜なものの例として、略字の中に「漢数字の九の下に口」を書いた字をあげている。これは、「曹」と言う字の略字である。「曹」という字の中に口が九つあることからそうしたというので、
≪まったくのこじつけで、まるで話にもならない。≫
と言っている。

 これで思い出したが、吉田松蔭が自分の号を、「二十一回」としたことがあった。なんとも色気のない号だが、彼は、もともと杉家に生まれた。
 その「杉」と言う字は「十と八と三からなり、これをたすと二十一になる」。
 また、「吉田」という字の中に「十がふたつと一がありこれを足すと二十一になる。そして、大きい口と小さい口で回という字になる。」それで、号を「二十一回」。
 似たことを考える人がいたものと苦笑してしまう。

 あっ!もうひとつ落語に「平林」を「タイラバヤシカ、ヒラリンカ、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」というの。これは、私の以前勤務した施設の前に「平林」という表札がかかっているうちがあり、子どもたちに図解で教えた。
 覚えの早い子どもたちのこと、成長した彼らもこんなことを考えているかもしれない。クワバラ、クワバラ。


「書物を持っているなら早く読め」 原題 「有書趕快読」

 なんと、私のいまの状況をいっているようで、おかしい。
 持っている本と、借りている本についてである。
 持っている本は、それが、分厚くてなかなか読めないようなものであっても一応内容を把握しておきなさいというものだ。

 二つのカバンに一杯になっている借りた本はすでに読み終わってしまった。
この書は夫の蔵書で、本の様子については聞いていたがそのうち読もうと表紙がボロボロになるまで読まずにいるのである。
 「梅をながめてかわきをとめようというもの」ですって。
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『司馬遼太郎短編全集』2
2009/08/26(Wed)
司馬遼太郎・著 『司馬遼太郎短編全集』1 1958~59 を読む。

1 「伊賀源と色仙人」

たった一枚の不渡り手形で木賃宿の住人に落ちてしまった大阪船場丼池の仲買商の伊賀源次郎が、そこでであった色仙人に

≪「アハハハハ、どうせ落ちるところまで落ちたんや。もうこれ以下は落ちん。奈落の底で土性骨を鍛えたら、筋金入りの人間になるぞ。明日から俺の稼業を見習わせる。朝4時に起きイ」≫

 と、きたえられ、資本も出してくれて、事業に成功する。

これほどの才覚があるのなら色仙人自分でやれば良いようなものだが、

 ≪「・・・・商人の出世は、才能でも運でも努力でもない、人間の魅力ちゅうやつや。男に好かれる愛嬌やな。仲間が、頼まれんでもそいつをたすけて立てていってやろうという気組みになりおる。すると運が自然とひらける。運がひらけば、人間黙ってても努力するわ。太閤を考えてみい。あいつより頭のいいやつはウンといたが、みんなワイワイとあいつをたててとうとう天下を取らしてしも歌。明智光秀をみてみい、頭は太閤よりずっと良かったやろうし、人格も太閤のように女にダラシナイところもなく、模範生みたいな奴や。そいつを誰も助けなかった。とうとう山崎の竹薮で野垂れ死んでしもうた。・・・・お前には、愛嬌がある。」≫
と、言うことらしい。
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『司馬遼太郎短編全集』 2
2009/08/21(Fri)
 司馬遼太郎・著  『司馬遼太郎短編全集』 2 1958~59 を読む。

9 「大坂侍」

 幕末の大坂の十石三人扶持の侍、鳥居又七右衛門保繁の話。
 彼は、商人が幅をきかせ、金がすべての大坂で、商人の娘に惚れられ自分も好いているのに、この、金が全ての大坂に嫌気が指して、自分は武士だといって江戸に上り彰義隊に入る。
 しかし、こてんぱにやられ、逃げてくるが、結局この戦争も官軍も幕軍も戦争の軍資金は大坂商人から出ていたということを知り、孫悟空が天地を走り回ったつもりでも結局お釈迦様の手のひらを走り回ったのに過ぎなかったように武士だ武士だといって言っても結局大坂あきんどのたちの手の中で走り回っていたような気がした話である。
 今、国政選挙が近づく。
 立候補者がいろいろ、選挙戦を戦ったが結局大手企業の株主たちの手のひらを走り回っていたということにならないといいが、と老婆心も湧く。

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『ローマの街角から』
2009/08/16(Sun)
 塩野七生・著 『ローマの街角から』を読む。
 2000年10月30日発行

 名前は目にしたことはあるが、初めて手にした。女性であった。

 古代ローマ史に関する本を書く人で、にローマに住み、その間のコラムを集めたものである。

 日本の歴史がすこし理解できる程度の私。
 恥ずかしながら、知らないことだらけだ。
 知らないながらも、少しずつ、知っていくと興味も湧いてきて、古代ローマに関する部分は、
『広辞苑』を繰りながら、二度読みをする。
 勉強さながらの読書となった。

 古代ローマについて、

 ≪宗教や哲学やその他のことでの人間性改善の試みなどはじめから捨て、民族のちがいも宗教や文化のちがいも認めた上で、それらを超えたところでの人間の共生を目的とした、法というものを創り実施したローマ人に魅かれるのである。≫

 と、述べ、遠く、そして、古い古代ローマ史を世に発信するのである。

 私は、古代ローマを知らない。
 ルネサンスがなんであったかもよく知らない。
 彼女はルネサンス時代のマキュアベリの心意気でローマを評価し、世の中を見ていくつもりらしい。
 その目で、遠くローマから、日本のことをあれこれ考えての「具体的な提言」には、目からうろこである。
 確かに、人間の改善を試みた、宗教も哲学も、啓蒙主義も共産主義も何一つ役に立たなかったかもしれない。いまや資本主義も、冷たい目で見られつつある。
いまいちど、私の中にルネサンスを考えてみるのはけして無駄ではないような気がする。
これから、国政選挙が始まろうというのに、この腐りかかった自国に、なんらこうしてほしいという具体案も浮かばないのももどかしい。
でもこんなときだ、思いついたひとつのことだけでも正直に自分の国政への提言を試みよう。
まず、「農地解放」にかわる「住居解放」といおうか「住宅解放」をやるべきではなかろうか。空き家は国が没収管理、住居の無い人に住まわせる。
この案は、おぼろげなものであったが、この著書の、「司馬遼太郎」を読んで、司馬遼太郎のことばと、塩野七生の解説を読んでいてはっきりした。





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『司馬遼太郎短編全集』1
2009/08/12(Wed)
 司馬遼太郎・著 『司馬遼太郎短編全集』1 1950~57 を読む。

 6 「饅頭伝来記」

 小僧のときから養われた師匠に死なれて、中国にわたった僧侶が、帰国するとき連れて帰った小僧が、日本で饅頭を伝えたという話。
 
 中国に渡った、僧侶は中国で、お寺に捨てられていた男の子を手元において育てる。
その、子どもが、成年に達したとき、誰も気づかない振りをしているが、女の人と通じてしまいおなかに子どもが出来てしまう。僧侶が征夷大将足利尊氏に請われて日本に帰るときその小僧をつれていく。
 自分の生きがいが見つけられないまま、僧侶に言えずに中国においてきた、恋人と、そのおなかの中にいた子供のことを思い出し、ざる一ぱいの饅頭を、近所の子どもたちをよろこばせようとしてつくて振舞うようになる。

 司馬遼太郎の作品には知らないことばがいつもたくさん出てくる。尊氏の擁立した時の帝は、15歳でお茶が好き。そのお茶と一緒に出てくるものを点心(てんじん)と記している。
茶菓子のことであろう。専門家の間では天心というのかもしれない。
 あるとき、帝が、その点心が甘くて舌触りもよくおいしいので、これは何かと訪ね、饅頭であることを知る。「建仁寺に住む元の人で姓は林、名は浄因、町では大変な人気者と聞いております。毎日、ざる一ぱいの饅頭を作っては、近所の子どもたちをよろこばせていますとか・・・・・・」と聞かされる。
帝は、新居を作り、奈良に招く。
彼は、職人をやとい本格的に作り始める。
 もともと、浄因は、学問も優れず、意思もよわく坊主には向かなかった。

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『冤罪の作り方』大分・女子短期大学生殺人事件
2009/08/10(Mon)
 小林道雄・著 『冤罪の作り方』大分・女子短期大学生殺人事件 を読む。

 子どもの頃からお化けよりも、なによりも怖いのが、国家権力による冤罪だと思っている。

 この表題を前にして、怖いもの見たさで読み進む。

 読んだ感想として、今日も何人かの人が逮捕されているが、ほんとうにこの人たちが罪を犯したのかどうかわからないと思うことである。

 まして、判決が出たとしてもはたしてどうかわからないという思いに駆られる。

 この書を読んでいくと、裁判員制度に疑問を持っていた私といても、やはり、司法が闇の中ではいけないのではないかという思いがする。

 が、さらによく考えてみると、これも良いように利用される恐れがないかと検証してみなくてはいけない。

 この、副題「大分・女子短大生殺人事件」では、あるいは、司法の中にDNA鑑定という、司法界以外の第三者による、科学的な検証が仲介すれば、より冤罪が減るのではないかという希望を持たせられたはずだ。しかし、逆にそれを逆手に冤罪が作り出されていく、まして拘束期間が検査のために何年間か余分に伸びるという結果になり14年の歳月を経て、釈放になったのである。

 先ほど、テレビで筑紫哲也が出て、足利事件のことを言っていた。足利事件のことは私はよくわからないが、息子はちょうど子どもがもう直ぐ生まれるという次期だったので、一生懸命経過を見ていたが、どうも冤罪ではないかとの気持ちを禁じえなかったといっている。
 
 足利事件でも、大分・女子短大生殺人事件にしても無罪にはなったが、真犯人がいるはずである。このことについては、釈放された人のほうがぜひ見つけ出して逮捕してほしいであろう。それが、せめてもの冤罪をかけられた人への国家が謝罪すべきことではないかという気がする。


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『メダカの花嫁学校』
2009/08/09(Sun)
 阿川佐和子著・『メダカの花嫁学校』を読む。

 1991年頃の作品。2000年に文庫化。それから更に9年。

 月日の流れるのは早い。

 まあ、彼女のついこの前のことのような気持ちで読んでしまったが差し支えないのではないだろうか。
 ただ、大きく違うのは、まだ、結婚願望があり、初々しい彼女の花嫁姿を期待できるかどうかというあたりが、違っているかもしれない。
 
 彼女のかわいい部分が出ている作品に、「殺し文句」というのがある。

 小学校の図書館でアルバイトをしていたときの体験談。

 低学年が良く利用する部屋に、高学年の男の子が入っている。
 しかも、靴を脱がずにひざ歩きでチョコチョコ入ってきていたので注意すると、またひざ歩きでチョコチョコ出ていき、立ち上がったとき、いきなり長身になったので、「君、どうでもいいけど大きいねえ」とみあげていうと、彼は低い声で「女は小さいほうがかわいいよ」とつぶやいて去っていったという。
 彼女は頬がボーっと紅潮したという。

 子どもたちと、毎日接していると、子どもであっても、人の気を引くことや、殺し文句でうならせる子どもに何年かに一度くらいの頻度で出会う。

 これはもう先天的な才能としかいいようが無い。

 終わりに壇ふみとの対話も載っていてそれもずいぶん面白い。
 
 この文庫本、ずいぶん読まれた形跡がありる。
 
 こうした、軽い感じの本も旅行の友や、夏バテのときにはいい。

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『司馬遼太郎短編全集』1
2009/08/08(Sat)
 司馬遼太郎・著 『司馬遼太郎短編全集』1 1950~57 を読む。

 5 「長安の夕映え」父母恩重経ものがたり

長安が最も栄えていたころ、死んだ母親の供養のためにはるばる天竺からきたという80過ぎの乞食僧が、父母の恩重について、とくとくと語って、人々に感涙を誘わせるというものがたり。
 内容は、

 ≪一切の善男子、善女人よ。
父にシ慈恩あり、母に悲恩あり。そのゆえは、人の世に生まるるは、宿業を因として、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育他図。・・・・」≫
 
 と、ほとんどがこの父母恩重経とか言うものの内容である。
 
 人間一度はこの話を読んで、そのことについて、考えてみることは大切だと思うが、実際には、父母に虐待を受けたり、理解が得られない子どももおおい中、つい教えられずに過ごしてしまう。
 こういったことをものがたりにしてさりげなく語っているところがなんともである。


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『司馬遼太郎短編全集』1
2009/08/06(Thu)
 司馬遼太郎・著 『司馬遼太郎短編全集』1 1950~57 を読む。

 4 「流亡の伝道僧」

昭和19年の冬、四平から新京へ行く汽車の中で、独りよがりの伝道僧を見かけた。
 その伝道僧の話。

 2回目に彼を見たのは、それから2ヶ月後。
 蒙古人の牧草地帯。
 自己紹介をしあい、名古屋訛りがあることがわかる。

 3度目に会ったのは牡丹江駅の構外。
 彼は、日本人が好きでなく、元軍籍があったが軍人が嫌いという。

 その後、彼について、少佐で軍籍を返上して真宗の僧侶になり、新版熊谷次郎直実てところで独り 合点居士というあだ名があったということを聞く。
 そして、出家遁世の理由も聞く。
 銃殺を命じられた元牧師だったという一等兵が「私は、人として人を殺す権利を神から与えられていない」という言葉を言った。それを聴いたのに起因するとのこと。

 そして、第一回の北方抑留者の引き揚げのとき、東満の国境監視班からシベリヤにまわされて帰ってきた人から、またまたこの僧侶と思える人の話を聞く。

 トラックにいっぱいの人を乗せて撤退しているとき一人の男が闇の中から飛び出してきて、拳銃を突きつけて5人の病人を乗せてくれといったという。
 むりやり3人のせて、二人を残した。
 「病人と坊主ではいくらソ連兵でも殺しはすまいさ」と道路わきの家の中に入っていったということだ。

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『司馬遼太郎短編全集』1
2009/08/05(Wed)
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 3 「勝村権兵衛のこと」
権兵衛は、十年の恨みを込めた女仇の新九郎を斬る。
斬る直前、新九郎と逃げたれんは死んだと聞かされる。
それを聞いたとき、何故かれんにたいする恨みはすっと消えた。
斬った後、新九郎に対する恨みも消えた。
罪の意識だけが深く残った。
通りがかりの僧侶に教えられ以後念仏に生きるという話。

これは、司馬遼太郎28歳のときの作品。
先に読んだ、『最後の将軍』は彼の晩年の作品であるが、文章の息遣いというものは似ていて、そう変わるものではないということを感じた。
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