『北国物語』
2009/09/27(Sun)
船山馨 著 『北国物語』を読む。

 昭和16年の作品

 フー。職場の一番大きなイベントの準備でサービス残業が毎日続いた。

 やっと、イベントが予想を大きく上回る参加者で盛会裏に終わり、片付けも少し終わり、一息ついたら体調を壊した。
 体調は壊れていても、孫の子守や、ほったらかしになっていた家の片付けや何かで毎日忙しい日がつづいた。
 自分が自分でないような毎日の中で、眠る前に1ページか多くて10ページくらい読みすすんでやっと読み終えた。

 船山馨のものは、40年近く前に読んだ『お登勢』以来2作目。
 最近テレビで見た『北の零年』で『お登勢』のことを思い出していた。

 しかし、この『北国物語』は、開拓時代の北国の話ではなかった。

 昭和16年頃の話で、そのころの北海道の風景や風俗がうかがえる。
  
 東京の大学で2年生で孤児になった真岐良吉は苦学をして何とか大学を卒業し、昼は郵便局の事務員をやり、夜は神田の夜間中学の英語の教師をして暮らしていたが、ツテあって北海新報社の東京支社に職を得た。2年して北海道の本社に転勤になり、9月の初め、東京はまだ夏の残暑が厳しい中を、生まれ故郷でもある勤務地の北海道にむかうところから小説は始まる。
 そして、翌年の1月末のカーニバルを終えたところで小説は終わり、わずか4ヶ月内外のことのなかに、北国の人々の哀しい人間模様が語られている。

 ≪そのような凍えた夜風のなかをしばらく歩いてゆくうちに、真岐はふと急にこころの濡れてくるのを感じた。なにが悲しいというような、はっきりしたものではなかった。ただ漠然と、自分をも含めてナターシャも衣子も、イヴァンたちや叔母や信之や、それから死んだ叔父や、見たこともなかった衣子の母のことまでが、なつかしい人のように心に浮かび、それらの人々のかって生きていた、あるいはいま生きつつある心情に、いじらしい哀しみが湧いたのであった。この急な哀感は真岐にも思いがけないことだった。真岐はうろたえながら感傷の実態を振り返っていた。そうして、それは突きつめてゆくと、生きるということの哀しみのように思えるのだった。≫

 こういった、北国に生きる人の哀感を切々と語っている。

 
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『草の花』
2009/09/12(Sat)
福永武彦著『草の花』を読む。

 1954年の作品。

 人はみな草のごとく、その光栄はみな草の花の如し
              ペトロ前書、第一章、二十四

 聖書の一節が目次の前ページに引用されている。
この引用は、題名『草の花』との関連であろうが、作品の内容からするとすこし違和感がある。


 サナトリウムで同室の汐見茂思という男性と知り合い親しくなるが、汐見は手術を受けたいと申し出て、手術はうまくいかず死んでしまう。
 汐見は自殺をしたのではないかと思う。
 もしものことがあったら枕の下のノートを2冊を君に上げるよ、といわれ、そのノートの内容がこの作品の大部分を占めるという構成になっている。

 汐見茂思は、学生の頃、おなじ弓道部の後輩の藤木という男性に心引かれる。藤木が病気でなくなり、残された母親と妹をいつも訪ねていたが、妹の藤木千枝子にその想いが移行する。

 しかし、千枝子は熱心な無協会派のキリスト教に心酔し始め、汐見を誘うが汐見は自分の孤独を愛してそういったものにすがろうとはしない。
 また、キリスト教がしっかりした組織を持ちながら、戦争に反対の運動をなぜしないのかとのくやしい気持ちも持っている。
 そういった汐見から千枝子ははなれていき他の男性と結婚をする。
 その後、汐見は戦争に徴兵され、そのあと病気になり、洗礼を受け洗礼を受けたことを後悔しながらサナトリウムでの生活を送るが、結局自殺をしようとしたのではないかと思わせるような手術を受けて死んでゆくのである。
 読み終わり千枝子を探しだし、汐見ガ亡くなったことと、ノートの事を手紙で知らせる。
 千枝子から、今も忘れえずにいることや、別れたことにいくらか後悔もしていることなどについての返信を受け取る。

 ≪戦争に対する恐怖の第一は、生理的な死への怖れ、自我の消滅に関する原始的な本能だったろうが、第二に、僕の場合には、人を殺すことの怖れも同じ程度に混ざり合っていた。もとより僕は自ら人を殺す意志はない。が、上官から強制され、不可避的な局面に遂いやられて、或いは自分が死ぬか敵が死ぬかの局面にたたされて、果たして正当防衛の名の下に相手を殺し得るか。自分が死ぬのは厭だったけれど、人を殺すというこの恐るべき言葉は、僕の良心を極度にまで激昂させるのに充分だった。それに敵、・・・・敵とはなんだろう、僕が自ら選んだのでもない敵、何故につまらないイデオロギーの相違から、人は相互に殺しあわなければならないのか。・・・・・・・・≫

 兵役を逃れられない若者の心情を述べている。

 死生観、宗教観、こういったものをみずみずしく描いていて久しぶりに純文学にふれた気がする。
 上記の戦争に関する記述では、当時、これだけのことをハッキリと述べていることに改めて、私たちはこういった作品に影響されながら大人になっていったことに思いを重ねる。

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『燕山夜話』(2)
2009/09/03(Thu)
 拓著『燕山夜話』を拾い読みする。

 「ある古代の日中囲碁戦」 原題「評 ”三十三鎮神頭図”」

 中国人のわるい風儀は捨て去るべき、という話。

 その悪い風儀の一例として、国際的な試合に対する態度について述べている。
 国際的な試合の一例は、過去の囲碁の試合である。
 九世紀の中ごろ日本の王子が中国を沢山の進物を携えてやってきた。その王子が囲碁が得意で棋士との試合を望んだ。もてなした宣宗は第一級の棋士を呼んで試合をさせた。引き分けになりそうな様子であったが三十三手まで打って鎮神頭という一手を打って中国側の棋士が勝った。日本の王子は、彼は、何級の棋士ですかと訪ねたが宣宗は第三級の棋士で、第三級に勝てなければ第二級、第一級の棋士と試合はできないとこたえたという。
 そういう態度について批判したものである。
 当たり前のことであるが、宣宗を通して中国人の特徴を言っているのだろうかと、思える。
 
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