『歴史と視点』私の雑記帖 2
2009/11/30(Mon)
 司馬遼太郎著 『歴史と視点』私の雑記帖 の続きを読む。

 「戦車・この憂鬱な乗物」・「戦車の壁の中で」

 司馬遼太郎は昭和18年11月に青野が原の戦車第十九連隊に入隊した。
 翌年4月、満州四平の陸軍戦車学校に入校し、12月に卒業。満州牡丹江に小隊長として配属され、翌年、新潟県、さらに栃木県佐野市に入うつり、ここで終戦を迎えた。
 ときのことは、若き日の自分のもっとも憎むべき体験談としていつも語られる。
 この作品では、なんと文庫本で45ページを費やしてこのこと一辺倒である。
 
 彼の隊が持っていた戦車について
≪このような、75ミリの野砲を積んでいるというだけがりっぱな、しかし実態は徹甲弾をふせぐことの不可能な鉄製砲塔の戦車をなぜ末期陸軍はつくったのだろう。まったく金と資材の無駄づかいで、こういうばかげたものを作るくらいなら、戦車兵を自転車にのせて爆電を背負わせて走らせるほうがずっと効率がいい。竹やりでもいい。どうせ、全滅はおなじであることをおもうと、そのほうが安上がりだというだけでも気がきいているのである。≫

 このようなことを、ことばをかえて延々と述べる。

 この戦争でも、世界中の多くの人が死んだんだから。
 自分もことのしだいはしっかり見ているんだからね。
 僕だって死んでたかもしれないのだから。

行間からのこの思い「今にしっかり生かしていくことを誓います。」
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『歴史と視点』私の雑記帖
2009/11/29(Sun)
司馬遼太郎著 『歴史と視点』私の雑記帖 を読む

 きょう夫が目の手術のために入院した。
 病室に案内され、あれこれ済ませてほっと一息、
 
 病室は7階。
 エレベーターであがって出たところに視界のいい大きな窓がある。
 7階からの視界は美しい。
 足下のたっぷり水量のある太田川の流れを隔てたあたりに平和公園の原爆資料館が見える。公園のこんもりと紅葉した木々の向こうに商工会議所の黒いビルをバックに原爆ドームのドーム部分が見える。
 そして、そのずっと右奥にビルの隙間から市の体育館グリーンアリーナの緑の屋根も見える。この体育館の東に隣接して中央図書館があり美術館があるはずだ。そこは日露戦争の時に大本営の宿舎などが置かれたあたりということで井戸の跡があり城南どうりを車で走っていると小さな石碑が建っているのがわかる。通りの名前のとおり道路の向かいはお堀に囲まれたて毛利輝元が築いた広島城だ。

 原爆ドームと大本営跡。
 夫が入院のためのオリエンテーリングを受けている間に読んだ『歴史と視点』の最初の作品「大正生まれの『古老』」に語られる太平洋戦争と日露戦争の面影をなぞることができるこの窓の風景を見ながらから小さな広島の街の歴史を思う。

 司馬遼太郎は大正11年生まれ。
 グアム島から出てきた横井庄一さんについていくつかの新聞社から大正生まれだからというような理由でコメントを求められたことについての言及から始まる。
 横井庄一さんの生きざまは、「戦陣訓」の成せるわざとマスコミは騒ぎ立てる。しかし、「生きて虜囚のはずかしめを受けるな」という「戦陣訓」についてマスコミが取り上げるほど軍隊においては意味を持ったものではなかったという。
 日露戦争での日本の捕虜の扱いはよく知られている通りだが、日本軍の捕虜は三千内外だけど収容所での待遇改善要求をして騒いだりもしているようだ。
 軍閥にこの国を占領されてしまっていた昭和十年前後以後の国家というのは、あれが国家だったのかと思われるほどインチキくさい。
 そのインチキくささゆえの「戦陣訓」。
 海軍・陸軍の参謀についての愚かしさをいつものごとく語っている。
 いつもにない言葉として、反戦を表明する言葉として、「戦争はイヤですね」というような言葉ではなく、「日本は地理的に対外戦争などできる国ではありませんね」といってもらいたいと述べる。
 
 そして、反戦のアジビラの文体に太平洋戦争の集団的政治発狂の文体を見る。と述べているところは共感できる。
 最近、小学校の学級崩壊の話を聞くことがあるが、ふと、教育界の中にも集団ヒステリィーが起こる要素があるのでなければよいがと密かに思う。
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『男どき女どき』
2009/11/28(Sat)
 向田邦子著 『男どき女どき』を読む。

 読んでいくとブログでおなじみのカワグチエイコウさん紹介の文面に出会って、「あっ!この本を読まれていたのかな」と椴法華村との共感関係に。
  
 「独りを慎む」というという作品では、向田邦子さんとは20歳くらい年齢が違うようだがはるかあの世とこの世とで共感関係に。

 この「独りを慎む」というのは、家族がいればこそ、家の中での立ち居振る舞いも食事の作法もきちんとしているが、これが独り暮らしになったとたん、お鍋にじか箸を入れて食事をしたり、下着姿で部屋を歩き回ったりしていることに気づいて自己嫌悪に陥るという話だ。

 我が家も、29日から、夫がたぶん1ヶ月位になると思うよといって入院する。
 夫は自分のこともさることながら私の食事について心配する。
私が野菜ばかり食べて、大好きな魚をちゃんとたべれないことが心配なようす。(いつもお刺身は夫が作る)

 私はといえば夫には言えないが、向田邦子さん同様、限りなくお行儀が悪くなるのが心配なところだ。
 それに、せっかくの独り暮らし、人が来ても玄関に出たくないし、電話にも出たくない。家の前に車が2台並んでいて在宅がハッキリしてるのに居留守を使うことを世間が許してくれるかどうかも心配。

 「反芻旅行」では、旅行した後、自分の行った所をテレビで見たりすると嬉しいし懐かしい。
 旅行のあとのこの反芻の楽しさを語っているところ。最近めったに旅行しない私だけかと思っていたらしょっちゅう旅行する人もそうなんですね。

 しかし、私ほど旅行しないと身につく業がある。あるとき、台湾の写真を見ていて、これってキールンの港じゃないと思ったとき、ほんとうにキールンだった。台湾統治時代の事件を取材した『エフ・マン事件』(?)を読んだ後だった。

 もうひとつ、どこだったか碑(イシブミ)の話があった。まだ文字のない時代に相手に石を送って
その石の感じで気持ちを伝えた時代の話。ロマンチックだ。
 30歳のとき近くの大学に学生として通っていた頃、ある教育原理の先生が、幼児教育学科を担任しておられて、高知に研究会に行かれた。
 私は国文科だったが、入学当初から毎日出勤される先生の研究室を控え室にさせていただいていたので、担任の学生と同じお土産を頂いた。
 太平洋海岸の石だった。これが先生の「意思」なんですねというと、そうだ、学生達にもそういって渡そうといわれた。先生の「意思」が伝わったかどうかは知る由もないが・・・。
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『愛という字』
2009/11/26(Thu)
 向田邦子著 『愛という字』を読む。

 久しぶり区民文化センターの図書館に行った。
 村上春樹3冊と『カラマーゾフの兄弟』・『アンナ・カレーニナ』と向田邦子を2冊お借りした。
 向田邦子はブログでおなじみのカワグチエイコーさんの影響。

   伊賀山の 野辺にさきたる 萩みれば 君が家なる 尾花思ほゆ
 
 これは、近日NHKの「万葉日めくり」で紹介されたうた。

 日本が台湾を統治していた頃、台湾の女学校で万葉集を学んだ台湾人の高齢者のかたがたが現在でも、グループを作って、万葉集をよんだり、歌を作られたりされているのだそうだ。

 紹介されたされたご婦人はその中のお一人で、わが孫達にも日本語と万葉集を教えて「いいものは、つたえなくては」とおっしゃった。そしてこの歌を紹介され、この歌に出てくる萩の花ってどんな花かとずっと思い続けていたといわれて、ぐっと胸が熱くなった。
 
 そして、台湾で亡くなられた向田邦子さんのこともなぜか思い出した。

 『愛という字』には、「びっくり箱」・「母上様・赤澤良雄」「愛という字」の作品が収められている。
 みんな、日曜東芝劇場で放映されたものということ。
 読みながら、居間でテレビで放映されている映像をなぞっているような感じする。
 ほんとうに、ちょっとした気持ちのすれ違いなどからやきもきする日常生活を伏線を上手にもちいながら描いているところが人気があるのかなとも思えるし、映像から目を放させない序破急の構成にも脚本家の手腕が凄いなと感じる。
 「母上様・赤澤良雄」では、特攻隊帰りの息子が死を目の前にして、遺書を送った文面があり、なんどか涙しながら読んだ。

 画家との出会いを物語る「愛という字」も、出会った人がたまたま画家ということであるが、日常を遠くはずさない範囲でこころの機微を描いていて読後感に爽やかさが残るいい作品だった。
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『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』 4
2009/11/25(Wed)
 村上春樹著 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』の続きをさいごまで読む。

 さいごのエッセーに「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」という作品がある。
 意外なことに、被差別部落のことが話題に上る。

 ≪・・・僕は17歳になるまで、被差別部落なるものが近くに存在することをまったくしらなかったからである。・・・正直言って僕の両親も教師も友達も、部落問題についてはまったく何も教えてくれなかったし、言及したことすらなかった。だから僕は被差別部落についての知識をまったく持ち合わせず、差別が存在することすら知らなかった。・・・≫とのべ、この17歳にして始めてその存在を知った経緯については誰にも話したことがないともおっしゃる。
 
 そして、自分がしでかした事件によって、その存在を知った経緯についての話がつづくのであるが、そこに、だれもが差別を嫌い差別をしようとする人を毛嫌いするような集団が自分たちのクラスであったことをつくづく「僕らの世代はそれほどひどい世代じゃなかったと思う」とのべている。

 あらためて、村上春樹についてウィキベディアでみてみると、なんと誕生年月日が私と2ヶ月足らずしかちがわない。
 じつは私も15歳のときに学校の夏休みの全校生徒対象の講演会で始めて知った。
 末っ子のわたしはそのころ下宿をしていて家を出ていたし、姉と兄もそれぞれ家を出ていたので以後どのくらいたって姉や兄に話したか記憶にないが私が話すまで知らなかったといったことだけはよく覚えている。
 
 さらにウィキベディアで村上春樹の項を読みすすんでみると、「平易な文章と難解な物語」というところに村上春樹自身、、

 ≪「論理」ではなく「物語」としてテクストを理解するよう読者に促している。一辺倒の論理的な読解ではなく、「物語を楽しむ」ことがなによりも重要なことだという。・・・魂の深い部分の暗い領域を理解するためには、明るい領域の論理では不足だと説明している≫

というところがあり彼は、この件についての記述の方法としてさりげなく彼の「物語」を書くときの手法を用いて最大の効果を上げているようにおもえる。
 
 おそらく、彼にとってはこの件についてどのように語るべきか長年の懸案だっただろう。
 しかしいま、この一文を読んで、「さすが」と脱帽する。

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『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』 3
2009/11/24(Tue)
村上春樹著 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』 のさらに続きを読む。
 
 あまりにもおもしろいエッセイが続くので暇さえあれば読んでいる。

読みすすんで、「牛も知っている・・・・」というはなしのところで、自分の「熊も知っている・・・」というエピソードとダブってしまいこだわってしまう。

 この「牛も知っている・・・」というのは、むかし、カルシウスというアメリカのファミリーのポップ・バンドがあって、その新曲をラジオで宣伝していたが、そのうたい文句が「牛も知ってるカルシウス」というものであった。くだらないと思いつつも頭から離れないという話で始まる。
 
 じつは私ずいぶん昔、松山千春のアルバムのテープを誰かにもらって、ドライブ中「これいいね。」と夫と聞いていた時期があった。
 
 そのころ夫に意外な仕事がきていて、広島市から2時間半くらい奥まった山中に別荘地がありそこに「別荘を建てたいので・・・暇を見つけてやって」ということで、その調査などに、私の仕事の合間に一緒に行こうと誘われた。

 山あいの林の中に木々の間からすでに何件かの別荘が見え隠れするところに車を止めて「ここだから」と夫が言う。
 「熊がでるから、音楽はそのままかけといて」とも言う。

 松山千春のアルバムの歌声の中で

 「別荘というのは造成せずに立てるのかね、まっ、それもそうか。」などと思う。夫はタンクの水をバケツに移しその中に細くながい透明のホースをつけこみ一方の端をつまみ出し、私に渡しこれとマジックを持ってここに立っていてという。

 松山千春のアルバムの歌声の中で
 
 「そうか、地べたは凹凸があっても、家は水平垂直がいるよね。」とか、「なるほど、三平方の定理もこんなところで使うのか」など、子どもの頃数学は大好きでもこのようにリアルに数学が役立っている場面に遭遇したことがなかったのでやに感心しながら、測量(計測?)の様子をたのしんで見ていた。すると、木立ちの間からだれか、人の気配がする。「これをどうぞ!」と焼肉料理を持ってきてくださりなにかと話しかけてこられる。

 松山千春のアルバムの歌声の中で

 「別荘って、孤独を楽しみに来るのかと思っていたけどここに来て人が恋しいのかな。」と、別荘の機能というものを知らない私はわけのわからないことも思う。
 
 その後、この別荘建設予定地に2,3度連れて行ってもらった。その度松山千春をがんがんならした。
 
 以後、私に気持ちの中で、吉和村では「熊も知ってる松山千春」ということになっている。
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『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』2
2009/11/22(Sun)
村上春樹著 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』の続きを読む。

 13個目のコラムに「空中浮遊クラブ通信2」というのがある。
 
少し前のコラムに「空中浮遊はすごく楽しい」というのがあってこれにたいして、通信2ということらしい。
 あまり夢は見ないが、たまにずいぶん昔から空中浮遊の夢を見るという。
地上から50センチくらいの空中に浮遊しているのだがそれがたまらなく気持ちいいということだ。
 ところが、朝日新聞社の彼の担当編集者の五十嵐という人が、同じように空中浮遊の夢を見る。
かれは、地上2メートルくらいのところを浮遊していてその心持は村上春樹と変わらないという。
 自分が彼より1、5メートル低いことを悔しく思っていたが、河合隼雄先生に夢のことを聞いたら、空中浮遊というのは物語りづくりで、だからちょっとしか浮かないが、高いところまでパーッと浮かぶのは子どもで大人はまず見ないといわれ、五十嵐さんは子どもだということでほっとするという話がおもしろい。

 河合隼雄は著書に『明恵夢記』(むつかしいので納得いくまで読んでいないが私の少ない蔵書のなかにある)があり、夢については日本一と思われている人と思うがすぐにそんな人と自分の夢の話ができるのがうらやましい。なにしろ共著もあるのだもの。

 わたしは、一輪車に乗れない。20年位前一輪車の講師の先生に「サーッと乗って走っている夢を見たんですよ。」と話すと、「あっ、それじゃーすぐに乗れるようになれますよ!」といっていただいたが今だに乗れない。やっぱり素人判断だったんだ。今はもうその先生は亡くなられたが、わたしは意を汲んで、新一年生に一輪車の扱い方、乗り方を特訓している。勿論実演ぬきで。
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『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』
2009/11/21(Sat)
村上春樹著 『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』

この書は1995年から96年にわたって週刊朝日のコラムに掲載されたものをまとめたものが大方というもの。丁寧に数えてみると(4度数えた)60くらいある。

 「もう10年も前のことだけど」
 「95年日本シリーズ観戦記「ボートはボート」
 「体罰について」
 「砂の中のキー」

まで読みすすんで「体罰について」の記事について述べてみる。
村上春樹は、小学生のときも高校生のときも体罰を受けたことはないが、中学生のとき自分も含めておおくの生徒が日常的に体罰を受けていて、いまでもそのことを根に持っていると述べている。
「日常的な体罰」ということにびっくりした。ただ救われるのは、このように体罰を受けていたにもかかわらず、体罰ははっきり正しくないとのべる人間がいるということだ。体罰の連鎖ということを聞くことがあるが連鎖が断ち切られているからだ。
 私自身、体罰を受けた記憶はないが、同じクラスの子が教室で体罰を受けたことがある。その時は教師に対してどう思ったかおぼえていないが、いま、こどもにかかわる仕事をしているからかそのときのことが実際体罰を振るはなければいけないほどのことだったとはどうしても思えない。
 では、どのような場面なら体罰が必要なのかと考えてみるがそのような場面に出くわしたことがないのでわからない。
 
 ≪僕はそれ以来、教師や学校に対して親しみよりはむしろ、恐怖や嫌悪感のほうを強く抱くようになった。人生の過程で何人か優れた教師に出会ったことがあったが、その人たちに個人的に接触したことはほとんどない。どうしてもそういう気持ちになれなかったのだ。これもまた不幸なことである。≫
 
 体罰を振るわなければいけない場面があるとしてもこの言葉は深く受け止めるべきと思う。
 




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『泣き虫なまいき石川啄木』
2009/11/20(Fri)
 井上ひさし『泣き虫なまいき石川啄木』

 この作品では、石川啄木の家庭のなまの声が聞こえてくる。
 石川啄木の生活ぶりがストレートに伝わってくる。
 お金を誰からどのようにして借りたのか、またかしているものはどのような気持ちで貸したのかということも、生々しく描かれていて説明も解釈も必要としない。
 
 一貫して曹洞宗である石川家の一と節子の家庭の貧しさを描いているが、あるとき、幸徳秋水の「天下万民安楽」という言葉に心酔した石川一と金田一京助(国学院講師で、いま又東京帝国大学の講師の口がかかっており結婚したばかり)との間で意見の相違があり仲たがいをする場面での啄木の妹光子の言葉が二人を唖然とさせるところがおもしろい。 
 ≪光子 それにね、兄さん、どんなにいい時代がやってきたところで、すべての人間が仕合せになれるとは思えないの。どんな時代にも不公平なことが起こるに決まっている。そこでそういう不条理は死んでから清算されるの。だから死後の世界に、天国、煉獄、地獄があるのよ。

  一 僕にこのまま貧乏でいろというのか。貧乏はいいとして、貧乏につきものの家庭のイザコザと死ぬまでつきあえ、というのか。
  
  光子 お金持ちのところにだって家庭のイザコザはあるは。家庭はだれにも遠慮せずにそれぞれが身勝手のいえるところ。そのことがよくわかっていて、相手の身勝手にも耳を傾けてやり、自分の身勝手もさらりという、とそういうことになっているうちはいいけど互いの親兄弟や親戚が口をだしてきたりして、それぞれ自分の身勝手にこだわり始めるのね。そうして家庭を、自分の言い分が勝っただの、負けたからこの次に仕返ししてやるだのという血みどろの戦場にしてしまうんだわ。たいていの家庭がそう。だから賢者は家庭を持とうとしないのよ。≫

 以前人形劇をやってその台本を手がけたことがあったが、きれいごとの説明を台本に載せようとしたところに、真実にふれ共感を得るようなものができなかったのかなーと反省する


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『子どもの宇宙』
2009/11/07(Sat)
 河合隼雄著 『子どもの宇宙』 を読む。

 感動的な書だった。
 人間の心理にふれることに改めて感動を覚える。
 毎日人は子どもから老人まで何かに躓きながら生きている。
 実際何に躓いているのか、躓きから立ち上がることができるのか。躓いていることの意味は何なのかなどなど。
 
 この書では、「子どもの宇宙」について語ることによって、その宇宙が抑圧されることに対する危険性と、それから開放される可能性とについて解き明かす。
 そして、読者自身がいま持っている自分の宇宙についても考えが及んできて、躓きの意味についてふかく内証できそうな気がするのである。

 じつは我が家の蔵書で、蔵書といっても新書本。線引きや書き込みがたまにあるところを見ると読んでいるはずで、自分が興味を持ちそうなところにしるしがつけてあったりする。けれども殆ど覚えていないのがなんともつらい。それに、二度目であるにもかかわらず、そして新書本であるにもかかわらず読むのずいぶん時間がかかった。内容の深さが胸に重くのしかかって中々読み進めない。
 この前読んだときにはこれほど強い感銘を受けたかどうか・・・・。
 しかしいま、これからの仕事の中で、子どもの深い思いに心を砕いていくことでこの本から得た偶然のチャンスを見出せるようになれそうな気がしてくる。
 
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『河口慧海』
2009/11/02(Mon)
山本和夫著 『河口慧海(えかい)』を読む。

子供向けの伝記物である。

この河口慧海という人を私は始めて知った。

慶応二年、漱石などとほぼ同じ頃、大阪の堺市の桶屋に生まれる。長男で家業を継ぐことが大事の家で、勉強をさせてもらえなかったが、あまりの勉強好きに両親が折れて学問の道に進む。
14歳のときシャカの伝記を読んで感動したことから仏教の勉強を始め明治32年チベットにでかける。当時、チベットは外国人を一切入れない国で、入国したとわかるや否や死刑にされるというお国。中国人に化けて入国し4年目に帰国。二度目のチベット入国もはたし、後に東洋大学でチベット語や、チベット仏教を教える。79歳で生涯を終える。
著書に『チベット旅行記』があるという。

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