『ブラックジャック』
2009/12/27(Sun)
 手塚冶虫著 『ブラックジャック』を読む。

 これは、どんな病気も治せるという外科医の話だ。
 小さな話が沢山載っている。
 私はてっきり続き物かと思って二十何巻まとめて借りて帰った。
 読むのに思わぬ苦労をした。
 なにしろ会話文字が小さいので、老眼鏡を二つかけてやっと読めた。
 いまから読みますよと準備をしてその気にならなければ読めない。

 それに、いま『ブラックジャック』をこんなに苦労して読んでいると話したら、ああ、アニメでもやっていたこともあるし、なんとかでもやっていたと軽くいわれてしまった。
 いいもん。
 とにかく私は原作を読んでいるんだからという意気込みで今日も老眼鏡を二つかけて読んでいる。
 いまやっと二巻の真ん中あたりだ。
 考えてみれば別に順番に読まなくてもいいのだ。
 漫画の世界という感じがとても良い。
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プレゼント
2009/12/25(Fri)
 クリスマスはプレゼントの季節です。
 
 私はこのプレゼント、あまりあげたりもらったりしたことがない。
 
 もし沢山の人にあげたり、沢山の人からもらったりしたら捨てることのできない私の狭い家はどうなることやら。

 そんなことを思っている色気のない私でありますが、今年は、なんとかわいい小さな熊のぬいぐるみを頂きました。手づくりの。
 
 これは本当にかわいくて嬉しかったです。

 今年はどういう心境の変化か主婦というより、気がつくとひとりのおばさん的な心境でいることが多くなりました。
 
 このおばさん、うちでひとりでいることが大好きで、ねむたいのに眠らずパソコンのゲームで何時間もときをすごしたり、本を読んだり、台所を磨いてみたりそして夫や子どもや孫のことを考えてにやけてみたりしています。
 そして、こともあろうに、部屋を飾ったりしているのです。
 そういったときに頂いた熊のぬいぐるみ。
 じっとみつめて「気分はいかが」などと話しかけたりしてみます。

 きのうの夜は娘のうちに夫婦でおよばれでした。
 飾りつけはしっとりとうつくしくサイレントナイトにふさわしいものでした。お料理は、簡単に買ってきたまき寿司にサンドイッチ、サラダにから揚げといったところ。8時頃帰ってきた孫達のだいすきなお父さんはいっぱいのプレゼントにケーキがホールで二つ。一つはあしたのお友達とのクリスマス会のためだそうです。

 小さい頃、大家族でまずしかっったという夫、「おじいちゃんはねー、いい子をしているとサンタさんが8人乗りの新しい車をプレゼントしてくれるって。あしたきてたら一緒にどこかにいこうね」と孫と約束している。「えー。お父さんは車屋サンで買ったよ。お父さんもサンタさんにたのめばよかったね。」などと孫。
 今日はサンタさんから届いた新しい車に乗ってさっそく満足そうに出かけていった。
 なんだか見越しの松も立派に見えた。

 やれやれくまさんどう思う。
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『朝には紅顔ありて』
2009/12/20(Sun)
 西本願寺第二十四代門主大谷光真著 『朝には紅顔ありて』を読む。

 我が家は浄土真宗である。
 法要などのときにお寺さんのお話を聞かせていただくが、そのテキストとでも言うような書であった。
 門徒として、その話を聞くには本当にありがたいお話であるが、読み物としては、ずいぶん物足りない。
 仏教というものと、浄土真宗というものとのあいだをつなぐパイプがあまりにも無さ過ぎるからではないかと思える。
 ただ文中、サンフランシスコ条約のときの話が出てきて、それが仏教に繋げてあるのが興味深かったので引用しておこうと思う。

≪第二次世界大戦が終結し、敗戦国となった日本に対し、各国から賠償請求がなされました。当時、勝戦国イギリスの統治下にあったセイロン(現スリランカ)は、損害賠償の放棄をしました。そのときのセイロンの外務大臣・ジャネワルデネ氏は、サンフランシスコ講和条約締結の席上、お釈迦様の言葉を引いて、賠償請求を放棄する演説をしたといいます。
 もろもろの怨みは怨み返すことによっては、けっして鎮まらない。もろもろの怨みは怨み返さないことによって鎮まる。これは永遠の真理である。  『ダンマバダ』五≫


 
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『差別と日本人』
2009/12/18(Fri)
 野中広務・辛淑玉共著 『差別と日本人』を読む。

 先日、NHKで、小沢一郎について特集をやっていた。(じっさいには小沢一郎のことであったのかどうかとちゅうから見たのではっきりはいえないが。)
 
 そのなかで、細川政権の興亡についてのところで、野中さんは、はっきりと細川さんが総理大臣を止めざるをえなくなった収賄事件は、辞めなければいけないほどの内容ではなかったと明言していた。
 そして、雨の中を傘をさして細川邸を偵察に行った自民党の国会議員の中に谷垣さんが大写しになった映像が頭にこびりついた。正直そんなことまでする自民党の相手を貶めるための行動にガッカリした。どう見ても正義感からの行動に見えないあさましさがしっかり印象付けられていた。
 おりしも鳩山さんのお母さんからの献金偽装問題が日夜マスコミで取り上げられているときなので、自由民主党が同じ手法で鳩山政権に揺さぶりをかけている印象を国民の誰しもが受けたであろう。
 その番組について話していたとき、家人から野中さんの人となりについての話を聞いた。
 
 日ごろあまりテレビも新聞もみず時事問題に疎い私。
 まったくひさしぶりに出版されたばかりの政治家の本を読む。
 この書は野中広務と辛淑玉の対談形式になっており、私のように世間に疎い人のための解説が間に挟まれている。
  
 いやはやびっくりの一言。
 毎日、人権という言葉を頭に置かないで仕事はできない職場にいる。
 しかし、昔のことならいざ知らず、この平成の時代に野中広務と辛淑玉とその家族が体験している差別は一体何なのかと思う。
 第一そんな差別が、差別をする人をどのように幸せにするのだろうかとも思う。

 ≪辛 野中さんが理想とする国際関係っていうのはどんな関係ですか。

  野中 アメリカとは腐れ縁ですね。日米安保条約で結びつき、これだけ基地がある。これ  は平和条約じゃないですよね。

  辛 そうですね。ほんとうは平和条約にすべきですよね。
 
  野中 うん。そういうかたちに直していくべきだと。そして日本が一つの核になって、E  Uに匹敵するアジア経済圏をつくっていく。少なくとも、朝鮮半島、中国、ロシアの北東  アジアに共同体を形成して、経済的にも友好的にやっていく。日本はこれから生き延びて  いくにはこれらの協力がなければ不可能だ。できれば東南アジアの地域全部をしたいけど  、ここには手が伸びないし、アメリカやイギリスやそういう国々の魔の手はまだ残ってお  るから、そんなとこへは手をつけないほうがいい。そこで問題になってくるのは過去の傷  ですよね。この荷物が多すぎる。

  辛 そうですね。多すぎですね。

  野中 まずはこの過去の傷をしっかりと治していかなきゃね。だからこそ戦後未処理問題  の解決が大切になってくる。それを残された人生でやってみようと思っているんだ。
  
 「野中広務」という政治家は、談合で平和をつくりだそうとする政治家だった。
 オバマは、演説で平和をつくるかもしれないけれど、野中さんは、そんなものは信じない。人間の欲望や利権への執着といった行動様式を知り抜いているからこそ、それらをテコに、談合と裏取り引きで、平和も、人権も、守ろうとしたのではないだろうか。それも生涯をかけて必死で。・・・・≫

 私も感じるときがある。日本国の主権回復のかなったサンフランシスコ条約のときのあれこれのとき、日本は周辺隣国への戦争賠償を免除され、逆にこれらの国々を射程に置いた米軍基地がつくられた。

 米軍基地を取っ払うだけが国民の必死な願いとなっているが、あわせて周辺隣国への配慮も国民の必死な願いとなるべきではなかろうかと。そういう気持ちなくして、いじめや差別に取り組む姿勢ができないような気がするが。
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『蛍・納屋を焼く・その他の短編』 5
2009/12/16(Wed)
 
 村上春樹著 『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読む。

 「三つのドイツ幻想」

 Ⅰ 冬の博物館としてのポルノグラフィー

 冬の博物館を見て何を連想するかは、人それぞれかもしれない。
でもそこで、セックス、を想像するのが村上春樹なのだと思うしかない。
 ほんとに短い話のポルノグラフィー。


 Ⅱ ヘルマンゲーリング要塞1983

 東ベルリンでふと知り合った男性に街を案内してもらった話。彼が紹介したいところは、1945年のドイツのベルリンがロシヤ軍に突入されたときの、SSとロシア軍の戦車が正面からぶつかってこれが戦闘の山場となりその鉄道の操車場の跡。そして、ベルリンが誇る?ヘルマンゲーリング要塞。
 (ヘルマンゲーリング要塞 = 二千人のSS戦闘部隊が何ヶ月もたてこもれるだけの食料と飲料水と弾薬が常に配備され、秘密の地下道が迷路のごとく巡らされ、巨大なエアコンディショナーが新鮮な大気を要塞の中に送り込んでいた。)

 Ⅲ ヘルWの空中庭園
 
 この話は、彼がたまに見る空中遊泳の話と似ている。自分が浮いているのではなく庭園が浮いているという話。


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『蛍・納屋を焼く・その他の短編』 4
2009/12/15(Tue)
 村上春樹著 『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読む。

 「めくらやなぎと眠る女」

 めくらやなぎとは、高校生の女の子が入院中に作った詩に出てくる木で、想像上の柳の木だ。
 めくらやなぎの花粉をはこんで蠅は女の耳にもぐりこみ、女を眠らせる。女の体のなかにはいって肉を食べる。
 若い男が方手で蠅を追いながら眠っている女に会いに丘を頂上めざしてのぼってくる。でも、結局苦労して登ってきたが娘はもう蠅に食われちゃってた。という詩。

 その話を作った女の子は、友達のガールフレンドで友達にさそわれて病院の見舞いに行ってその詩のはなしを聞いた。

 ずっと年下の耳の悪い従兄弟を連れて病院に行き、その病院で、かってそんな詩の話を聞いたことを思い出す。

 従兄弟は、耳が聞こえないときがときどきあるのだが、その原因が分からず前の病院で耳ではなく、本人に、あるいは家庭環境に問題があるのではといわれ、母親と病院とが喧嘩になり病院を変えてみてもらったのだが、この病院でも原因が分からず同じようなことを言われ、従兄弟のなんともいえない気持ちと、この詩のはなしをだぶらせている。

 自分には症状があるのに原因が分からないといったことはよくある、そんなときの微妙な思いも描いている。
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『蛍・納屋を焼く・その他の短編』 3
2009/12/15(Tue)
 村上春樹著 『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読む。

 「踊る小人」

 このタイトルを見てすでに読んだことがあるような気がした。

 ハッキリした記憶がないので、どうだったかなと思いながら読みすすむと像の工場の話が出てくるのでやっぱりと思うがことの顛末についてはやはり思い出せない。

 話は、夢の話である夢の中の話なので、矛盾点が一杯あるがこんなことがあると面白いなという実験にはどうにか賛同できる。
 
 とても上手に踊る小人がいてそれが、女の子をダンスで射止めようというときに自分の体に入ってきて躍らせてくれるという話である。

 よく、手のいい女性が亡くなったとき、手だけでも置いていって欲しかったよね。ということを聞くことがある。

 私にも、10歳年上の親切な友達がいた。なくなって、15年になる。

 当時は、まだ仕立てた洋服を着ていた時代で、彼女は足が悪くて洋服の仕立ての仕事を内職にしていた。
 誰かが布地を持って洋服の仕立てを頼みに来ると、必ずその布地の色やデザインにあう裏地・ボタン・ファスナー・糸などを買いに連れていってくれとたのまれた。そんな時私に似合いそうな布地があると一緒に仕立ててくれたりもした。
 
 私の歩幅に会うスリット丈を決めてくれ、夫がスリットのあるスカートは嫌うからというと重ねのあるスリットにしてくれたり、20年は着れるようにしてよねというと普遍的に着れるデザインのなかから私に似合うデザインにしてくれたり、寒がりの私のために袖ぐりを少し大きめにして下に重ね着できるようにくれたりした。
 体型の変わらない私は彼女がはるか昔に亡くなっているのにいまだにその洋服を着ることがある。
 一度そんな服を着てしまうと、既製服ではなかなか体にぴったり合わないのでどうしようもない。
 
 洋服を着ると彼女のことを思い出す。彼女も読書好きでよく本の話をした。
 そして、司馬遼太郎の奥さんが、いま司馬遼太郎と出会えたら何が話したいですかとのインタビューに人の悪口といわれたというが、私がいま彼女が生き返ったとしたらまったくそういう話をする気がする。
 彼女は「いるいるそういう人が、ほんとイヤよねー。」と、一言の元に同情してくれたり、「あなたらしくもない、それは違うんじゃない。上手の手から水が漏れね」と私を戒めたりした。
 そして、私がもっともらしいことを言うとアカネ語録といってその考えを賞賛してくれた。そんな彼女がすっかり私の体に入り込んでいる。
 でも、その洋服をかっこよく仕立てるその手はもうない。
 
 考え方は人の体に入り込んでも、その体の動きは入り込まないのでこんな話が夢のごとく魅力的におもえる。
 著書ののテーマとは少し外れるが。
 
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『蛍・納屋を焼く・その他の短編』 2
2009/12/13(Sun)
 村上春樹著 『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読む。

 「納屋を焼く」
 
 読んだ後、何を語っている作品なのかと思う。
 きっと作品の中に出てくるセンテンス、「寝転んで遠くを流れている雲を眺めているようなぼんやりとして心地よいはなし」なのかなと思ったが、こうして話をまとめてみようとしてみると、そうでもないような気がした。
 ガールフレンドの彼女は、パントマイムを勉強しているという。たとえば、バーのカウンターで世間話をやりながら「密柑むき」をやる。

 ≪本当はなにもない。彼女はその想像上の密柑を一つ手にとってゆっくり皮をむき、ひと粒口にふくんでかすをはきだし、一つぶんを食べ終わるとかすをまとめて皮でくるんで左の鉢に入れる。その動作を延々と繰り返すわけである。≫

才能があるねというと

≪「そんなの簡単よ。才能でもなんでもないのよ。要するにね密柑があると思い込むんじゃなくて、そこに密柑がないことを忘れるのよ。」≫

ということで、このはなしは「密柑むき」とおなじことになる話だ。
もしかしたらそんな話だ。。
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『古典落語体系』第一巻 2
2009/12/12(Sat)
江国滋など編集の 『古典落語体系』第一巻 を読む。

「鰻の幇間」

 芸人になりたいといって、家を勘当された一八さん、羊羹があるので穴釣りをしようとするがしっぱい。
 それでは岡釣りをと思い直し、やっと浴衣姿のお客を見つける。上等の鰻やに連れて行ってくれお互い食べたり飲んだりするが、客は途中便所に行くといって立ち上がる。
 いつまでたっても帰ってこないので便所に行ってみるといない。帰っていかれましたよときいて勘定は済ませてくれているんだろうと思いきや、三つも土産を持って帰って、羽織を着た旦那に払ってもらってくれと言われたとのこと。
 泣く泣く、家を出るとき弟が何かのときにといってくれた十円を、縫い付けた掛け襟の中から糸を切って取り出し勘定を済ませるという話。

 岡釣りなどと最近ではナンパするときに使う言葉は、こんなふうにも使われていたのだと知る。
 解説には、、弟がくれたお金を糸を切って襟から出すところがなんとも泣かせると書かれている。実際に落語で聞くとそうなんだと思いうかべて楽しむ。

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『古典落語体系』第一巻
2009/12/12(Sat)
 江国滋など編集の 『古典落語体系』 第一巻を読む。
 
 「鹿政談」(しかせいだん)
 
 ≪昔から、奈良の名物ー
 大仏に、鹿の巻筆、奈良晒、春日灯篭、町の早起き、奈良茶、奈良漬、奈良茶粥・・・・。
 なんてえことを申しますが、それにまた、
 春日灯篭と鹿の数を三日三夜で数えたものは長者になる・・・・≫
 
 とはじまって、豆腐屋の与兵衛さんが朝早くおきて臼を引いていると物音がするので見ると犬がきらずを食べている。
 2・3回追い返したけど止めないのでまきを投げたら打ち所が悪くて死んでしまった。
 そばによって見るとそれが犬ではなくて鹿であって白洲に連れ出されて裁きを受ける。
 豆腐屋の与兵衛さんをお縄にした、このときの鹿の守り役が塚原出雲。
 その裁きをするのが、時の奉行根岸肥前守という名奉行。
 鹿をこれは犬だといって無罪放免にしようとする。ところが、鹿の守り役の塚原出雲がこれは鹿だと言い張るので、塚原出雲が鹿の餌料として、三千石の禄を受けていながら、その餌料を金子にかえこれを奈良町民に高利で貸付け役人の権柄でもって厳しく取り立て町人どもが難儀しておることを引き合いに出し、塚原出雲にこれは犬だと言わせて、無罪放免にするという話。
 「きらずにやるぞ」とか「マメで帰ります」という落ちである。
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『蛍・納屋を焼く・その他の短編』
2009/12/10(Thu)
 村上春樹著 『蛍・納屋を焼く・その他の短編』を読む。

 「蛍」

 読み終わるころになって、スーッと涙が出てくる作品。

 恋人が自殺をして、いつも思っているのは「彼のいる過去」であるのに、どうしたって「彼のいない現実の日常」とのギャップといったようなことに混乱している女性。
 その二人をよく知っている友達の僕が、いまでは恋人となって深いところで彼女の心の不確かな哀しみを見つめてしまう物語であるということを、読み終わって誘われた涙の中にそれに気づくといった不思議な読後感の残る作品である。
 
 村上春樹の物語が、カウンセリングのように読者に伝わってくる。
 一つのテーマへのタッチを目に映る風景を情景に写しかえる作業の中で描いているところが、無理なくテーマに近づける。そんな感じだ。
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『回転木馬のデッド・ヒート』 3
2009/12/09(Wed)
村上春樹著 『回転木馬のデッド・ヒート』の続きを最期まで読む。

  「嘔吐1979」
  「雨やどり」
  「野球場」
  「ハンティング・ナイフ」

 「嘔吐1979」は、日記を一日も欠かさずつけている男性が、彼の吐き気が1979年の6月4日(晴)に始まり同年の7月15日に終わったという。その間、彼のところにいたずら電話がかかってきていたが、そのいたずら電話と、吐き気とがどう関連しているのか分からなくて混乱しているという話である。
 この、作品ではこのタイトルについて思いをめぐらす。
 
 私が、大学に行っていた頃、大学の先生にしては、毎日のように決まった時間に出勤し、夕刻5時過ぎに帰宅される先生がおられた。
 私の学部の先生ではなかったが、私は、入学時からその先生の研究室を自分の控え室のように使わせていただいていた。勿論立ち寄らない日のほうが圧倒的に多かったのだが。
 
 私は国文科であったが、社会教育を自分自身の研究課題にしていた。
 研究課題というのはまったく大げさで、社会教育は研究するほどのものではないが、必要だと考えていたぐらいのことだ。
 それで、卒業後、当時毎年文部省の依頼を受けて中国地方では一箇所だけ近くの国立大学の教育学部で実施されていた社会教育主事講習を受けることを決めていたのだが、その先生は幼児教育学科の先生でありながら、その講習会の講師の重要メンバーのひとりだったということがただひとつ私とその先生との接点であった。

 私たちは、二人のときはときどきそのことについて話し合った。
 後期、幼児教育学科の学生達に平行して社会教育的な概念を持たせることへの実験を始められた。学生達の学習課題を幼児教育を中心に枠を広げていくなかで、お互いが学びあうという講座をひとつ設けられた。
 それは、学生達をいくつかのグループに分けて、自分たちの学習課題をどのように学習していくかのプロセスを話し合い、それに必要な講師を自分たちで交渉して学外からでも招いて他の学生達にもお誘いの広報活動から会場作り、接待、謝礼(もちろん学科持ちだが)の授受、お見送りお礼の手紙、そして学んだことの総括をするといったような形だった。
 講師は、覚えているものでは、社会福祉委員会の市会議員であったり、社会福祉施設の経営者であったりだった。とにかくグループの数だけ講師が招かれたようだ。

 そして、私にも卒業の時期が近づいたそのころ、先生から一冊の真っ赤な冊子を頂いた。それは、この講座についてそれぞれの学生達が綴った感想文集のようなものだった。
 そのタイトルが『1980』で、(いちきゅうぱーぜろ)とルビが打たれてあった。
 先生が「あなたがよく、いちきゅうぱーぜろといっていたから」といって笑われた。私も笑った。
 わたしは学生でもあったが、貧しい二人の子持ちの主婦で、学費と生活費が混ぜこじゃの生活をしていた。一日、大体2000円の食費から1000円の本を買えばその日は1000円の食事代といった感じだった。
 お互い生活が厳しいという話になると私は「勿論洋服は、いちきゅうぱーぜろの物しか買いませんよ」といっていた。そのことだった。しかし、あとで気づいたことだがその年の西暦が1980年だった。
 でもそのおかげで、まったく日記をつけていない私にもそんなこんなのあった年が1980年だったとおもいだせる。

 そのほかのはなしもとても面白いのだが、長くなったのでこのあたりで。

 
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『回転木馬のデッド・ヒート』2
2009/12/08(Tue)
村上春樹著 『回転木馬のデッド・ヒート』の続きを読む。

「タクシーに乗った男」
「プールサイド」
「今は亡き王女のための」

 どの作品も興味津々でおもしく読みすすむ。

 「今は亡き王女のための」という作品。
 あらすじはともかくとしてに示唆にとんだ一文がある。

 ≪僕は一目見たときから、彼女が嫌いだった。僕は僕なりにスポイルされることについてはちょっとした権威だったので、彼女がどれくらいスポイルされて育ってきたか手に取るように分かった。甘やかされ、ほめあげられ、保護され、物を与えられ、そんな風にして彼女は大きくなったのだ。でも問題はそれだけではなかった。甘やかされたり、小遣い銭を与えられたりという程度のことは子どもがスポイルされるための決定的な要因ではない。いちばん重要なことはまわりの大人たちの成熟し屈折した様々な種類の感情の放射から子どもを守る責任を誰がひきうけるかというところにある。誰もがその責任からしりごみしたり、子どもに対してみんなが良い顔をしたがるとき、その子どもは確実にスポイルされることになる。

 とうぜんそうだろうともと思えるが案外このことに確実に配慮できる人は少ないように思う。
 子どもをいろいろな機関に預け任せる子育てが一般的になりつつある世の中では子どもにかかわる人がそれぞれこのことを最低限の子どもへの良心として貫く必要があると思う。
 すべての子どもが自己修正されながら育つとは限らないと思うので。

 
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『 回転木馬のデッド・ヒート』
2009/12/07(Mon)
 村上春樹の 『 回転木馬のデッド・ヒート』 を読む。

 この本は9個の小品からなっているが、その最初の作品が「回転木馬のデッド・ヒート」だ。

 この「回転木馬のデッド・ヒート」は、以後の作品についての説明になっている。

 人から聞いた話が、自分の中にたまって誰かに聞いてもらいたがっているので書くが、本当にあった話ということだ。
 小説もおもしろいが、なんといっても本当にあった話は聞きたい聞きたい。あっ、読みたいだった。
 
 最初の話は「レーダーホーゼン」(=つりズボン式半ズボン)、親の離婚話だ。
母親がドイツに旅行に出かけ、日本に帰ってきても妹の家に行って帰ってこず、そのまま離婚用紙に印鑑を押してくれといってきて離婚したのだが、娘としてはしばらく自分をも捨てたことが許せなかったが、3年後話を聞いて分かる気がするというのだ。その話を聴いた村上春樹も分かる気がするで終わる。
 いくら腹に据えかねるようなことがあったとしてもそうそう簡単にりこんできるものではなくてちょっとしたきっかけで離婚するのではないかという気がする話であった。自殺もそういうきっかけですることがあるかもしれないと思った。
 はしょりすぎて説明不足はそのままにするが、ここで、方針という言葉が、プリンシブルとカナが打たれているのが以外であった。白洲次郎がこのプリンシブルという言葉を愛用していたことは知られているがそれは単純明快といったほどの意味かと思っていたのだが。
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『うたのすけさんのブログ』
2009/12/05(Sat)
『うたのすけさんのブログ』を読む。

 昨日は仕事休み。
 出かけなくてはいけない用事もない。
 夢のような一日だった。

 パソコンで読みたいと思っていた『うたのすけさんのブログ』に志村さんの連歌からアクセスして、9・10・11月の過去ブログをまとめて読ませていただいた。

 その暮らしぶりのあれこれがなんともゆったりしていて、そして、その筆致ののびやかなところが、ぎりぎりの体力にドジばかり踏みながら、ドリンクを飲んでどうにか一日をやりすごしている私としては、縁側であったかいお抹茶を頂いた感じがした。
 どうもその飄々とした感じが、宇野重吉さんの面影と結びつく。

 合の手の、コメントも楽しい。

 昭和一桁の人といえば・・・・。
 ときどき、うらやまに出かける。
 あさ7時50分から近所の主婦3人にまじって登るのが定番だが、たまに、休みの日に夕刻でかけると昭和一桁の方たちと出会うことが多いい。
 たいがいは男性でひとりで歩いておられる。
 二桁の男性は、うんと早く歩かれるので一緒に歩くことは無いが、一桁の人とは話しながらあるいたことが最近2度もあった。
 そのときは、「ナツハゼ」の木を探していたので、「ナツハゼってご存知ですか」「どこかでみかけられましたか」とたずねたとき、「うん、パソコンで検索したことがあったが、あれは昔子どもの頃わしらは、はちまきいちご言いよったぶんじゃないかのー」といわれ、わたしもはっと思い出した、そうだ子供の頃はちまきいちごと言うものがあったと。
 帰って夫に話したら夫も「そうじゃった、はちまきいちごいうとった」と我が家でも謎がするすると解けた。
 そしてナツハゼのある場所を二箇所教わった。
 
 なぜか、近所の主婦3人はいつもお天気と料理の話で盛り上がりそれはそれで楽しいが、樹木には殆ど興味がないようす。
 
 もっと、余談になるが、子ども達は、校庭の樹木を見て、あれはメタセコイヤ、大昔、地球上に木ができたときの最初の木。
 きっと第二次世界大戦のころ日本の山々は今の北朝鮮の山のようになっていたのではないかと思うんだけど、そのあと早く大きくなるメタセコイヤの苗木を東南アジアのほうの国から持って帰って一杯植えたとむかし今の建設省に勤めていた人に聞いたよ。そのころは、ご飯を炊くのも、風呂を沸かすのも、ストーブをたくのも、何もかも木なしにはやってられなかったからねとか、栗の木はね水濡れに強いから家を建てるとき台所やお風呂場に使うんだって。柘植はね、将棋の駒を作っていたのよ。こんど柘植の将棋の駒を持ってきて見せてあげるね。日本の楠はね、もしかしたらそれでつくった船に乗って縄文人は縄文土器を積んで遠くアンデスの山すそに行ったかもしれないと一人思ったりするのよね。とか、木の話は延々と続けても、子ども達は眼をきらきらさせながら聞いている。(子どもの頃はみんなそうだったのに)

 昨日は、うたのすけさんのブログをよんで、楽しかった自分の時間も思い出せた。
 
 
 
  

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