『聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか』
2010/01/31(Sun)
豊田有恒 著 『聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか』 を読む。

 この書は副題として古代王族闇の世界を推理するとして

  ミステリィー①高天原神話の消された神たちの謎
  ミステリィー②英雄日本武尊はなぜ死んだのか
  ミステリィー③崇峻天皇暗殺の犯人は誰だ
  ミステリィー④推古天皇は日本の即天武后だった!?
  ミステリィー⑤藤ノ木古墳に眠るのは穴穂部の王子と宅部の王子だ
  ミステリィー⑥聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか
  ミステリィー⑦天智天皇は暗殺された!?
  ミステリィー⑧天武天皇のほんとうの父親は誰だ
  ミステリィー⑨日本が白村江の戦いに敗れた意外な真相
  ミステリィー⑩長屋王殺害を命じたのは誰だ
  ミステリィー⑪高松塚古墳の被葬者は誰だ
  ミステリィー⑫三蔵法師をめざした皇太子高岳親王

 と12のミステリィーにメスをいれ砕けた文章で楽しく読める。

 「ミステリィー④推古天皇は日本の即天武后だった!?」によると推古天皇は大変なセクシー美人で聡明だったために日本初の女帝になったしその女帝ぶりは即天武后のようであり、女帝でただ一人レイプされそうになった人だという。
これは、やはり私のようにおいの聖徳太子の力を借りながら一時天皇の地位を仕方なく引き受けている女帝というように想像している人が多いいからの話ではないかと思える。しかし、この書では男性をしのぐりっぱな天皇としての様が生き生きと伝わってくる。

 「ミステリィー⑥聖徳太子はなぜ天皇になれなかったのか」
聖徳太子は次期候補として一番有力な地位にいたが、ノイローゼだったので天皇になれなかったという。
 それは、聖徳太子の家庭環境によるものと作者は同情を示している。
 父の用明天皇が天然痘で亡くなったとき14歳の聖徳太子の周りでは、母(穴穂部の間人の皇女)が異母兄(多米の皇子)と出来てしまう。そして叔父(崇峻天皇)が暗殺される。しかも暗殺者(東漢直)は聖徳太子の正妻(蘇我馬子の娘刀自古の郎女)と密通して逃避行に踏み切ったが馬子に見つかり殺され正妻も自殺してしまう。そんな環境のせいであるとしている。
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『聖徳太子はだれに殺されたのか』
2010/01/29(Fri)
関裕二 著 『聖徳太子はだれに殺されたのか』 を読む。

 これは私にとって大変ショッキングな内容の書である。
 散々、『日本書紀』の今までとは違った解釈について頭の中をこんがらかせながら読まされた挙句、最後の最後こともあろうに、聖徳太子を殺したのは秦河勝だというのである。
 しかも、妙に納得させられるのである。

 関裕二という人の作品は初めて読んだ。

 これまでの、
 【聖徳太子は29代欽明天皇の子の31代用明天皇と、おなじく欽明天皇の子の穴穂部間人皇女の間に生まれた。
 叔母に当たる33代推古天皇の摂政として行った政治的そして仏教的活動による偉業は、その後彼が聖者として尊ばれるものであった。
 その間仏教に反旗を翻す物部守屋を倒す。
 晩年を都である飛鳥から遠く離れた斑鳩宮で送り、太子が亡くなってその子山背大兄王をはじめとする太子一族が蘇我入鹿によって法隆寺において滅亡に追い込まれる。】
という、聖徳太子にまつわる事柄を次々と変更してゆく。

 聖徳太子はじつは蘇我入鹿と同一人物である。
 聖徳太子は摂政ではなく天皇だった。
 聖徳太子(入鹿)は物部守屋とは敵対していなかった。
 聖徳太子が死んだのは大化の改新(乙巳の変)で入鹿が殺されたときだった。
 入鹿を殺したのは中臣鎌足ではなくて、秦河勝であった。

 ということである。

 最初は、今となっては誰もわからない昔のこと。色々想像をめぐらして楽しむほうがロマンがあって・・・・などと考えていたけれどこの結末には・・・・・。

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『おなかのなかにおにがいる』
2010/01/22(Fri)
 作・小沢孝子 絵・西村達馬 『おなかのなかにおにがいる』 を読む。
 
 この作品は、節分会をむかえるにあたって、いろいろ考えていたときに、ほかの方が参考になればと持ってきてくださった本です。

 絵が大変かわいくて親しみやすそうです。

 おなかのなかには誰でもみんな鬼がいるよ!
 みんなでこの鬼をおなかのなかからおいだそうとそれぞれ自分のおなかの中の鬼の顔を書いて、その絵に向かって「おには外」と豆を投げつけるのですが、さいごへそまがりのごろちゃんは、へそまがりさを発揮して「おには内!」と、豆をたべました。すると、ほかのお友達の悪い鬼もみんなごろちゃんのおなかのなかに入っていきましたという話です。
 結末にもう少し工夫がほしいところですが、作家の意図はどうなのかしらと気になる本でした。


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『写説時を越え、よみがえる『坂の上の雲』を行く』
2010/01/21(Thu)
 太平洋戦争研究会 『写説時を越え、よみがえる『坂の上の雲』を行く』 を読む。

 あの6巻もある『坂之上の雲』を読み終え、しっかり明治の二つの大きな大戦を経験すると1・2年は明治を生きているような気分を味わえる。そして、まだその気分の抜けないうちに読んだ。
 『写説時を越え、よみがえる『坂の上の雲』を行く』は、たくさんの写真入の『坂の上の雲』内容のこいダイジェストのような書で、坂の上ファンの私にはにはこたえられない。
 このたび図書館で偶然見つけてもう一度借りて読んだ。
 読みながら、作中の出来事のいろんなことを思い出す。203高地を生略するときには、おおくのそしておおくの兵隊が死んだ。その屍の上を進軍していくが、のどが渇いても水は凍っている、おなかがすいてもおにぎりもカチンコチンで歯が立たない。涙が出てめがねが曇って読めないようなこともあった。伊知地上官をのろいまくった。
また、戦いで死んだ人より脚気で死んだ人が多いいと聞くと、森鴎外をのろいまくった。
 この、書にはいろんな登場人物の写真も多く掲載されている。このたびのNHKのドラマでは広瀬大尉役の人がいちばん本人にが似ている。彼への司馬遼太郎の高感度は120パーセント。部下を気遣う広瀬大尉の錦絵も掲載されているが、時の人たちにも大変な人気だったようだ。
 卒論に夏目漱石をやったが、文学で触れるのとはまた別の漱石に出会えるのも面白い。
 とにかく何度よんでも夢中になれる。
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『ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度』
2010/01/12(Tue)
 日本の戦争責任資料センター・アクティブミュージアム・「女たちの戦争と平和資料館」編 『ここまでわかった!日本軍「慰安婦」制度』を読む。

 図書館でいそいで本を選んだ。一つの棚から選ぶことを決めその中で2005年以降の出版物を9冊選んだ。
 その中の一冊である。

 2007年12月10日発行

 2007年7月30日、米下院本会議で日本軍「慰安婦」問題に関する決議が満場一致で可決された。日本政府に対して明確な公的謝罪と責任の表明などを求める。
 これに対して時の総理大臣阿部首相は「日本軍が強制した証拠はない」と言い、そういったスタンスからの言動を批判するシンポジュームでの吉見義明・林 博史・西野留美子三者の報告と資料から構成されている。

 よく耳にする「慰安婦」問題は、第二次世界大戦の歴史的記述の中では、一番明らかにされていない部分であったことを感じさせる。
 まだまだその被害をめぐって裁判が行われており、この書も裁判陳述書を読むような部分もありその時の痛々しい情景を引き戻しての記述はまだまだ戦後は終わっていないと言った感じがする。
 戦場に戦士を送る場面や銃後を守る戦時中の女性の姿を想像することは多かったが、この書を読むと女性の徴収のされ方やその扱われ方や戦後の保障の問題ではまったく同姓としてはやるせない気がする。
 

 この書の中で日本軍とドイツ国防軍とナチのSSが「慰安婦」制度を作っておりこの二国が突出していたと言っていいと述べていることが印象的であった。
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「出し巻き」
2010/01/02(Sat)
 今年のお正月の、私のアイテムは「出し巻き」。
 
 いままでのお正月でつくったことがなかったものです。

なのにどうしていきなりアイテムになったのかって。じつは私にも意外なことでした。

ほんとうは、赤カブと白カブの酢の物がアイテムだったのです。
 
 「緋のかぶや 膳のまわりも 春景色」  蕪村

とお膳を美しくする予定でした。

 とにかく美しく美味しいこのカブの酢の物さえあれば、どんな料理の見えも味も引き立ててくれると確信していたのでした。

 夫はお医者様に18キロぐらいの減量のために毎日の食事の内容と血圧を記録するように言い渡されています。体の状況を数字で説明されたせいか、危機感から確実に守ろうとしているにもかかわらず、現状維持で終わっています。

 そんな夫と暮れに買い物に行きました。
 正月料理、大量に買い込みましたが〆て7千円足らずでした。
 ハマチ一匹の値段にも足りないものでした。

 魚・肉は、普通の食事よりも少なめです。ハマチのアラを2パック買いこれから5人分くらいの刺身を作ってくれたので、私は更にそのアラを豆腐と煮込見ました。さいわい夫は戦争に行くまで大きな料亭で働いていた義父の影響でまかない料理はお手のものです。

でもこんなことでは、なんだか正月ではないみたいです。

 こんなとき、テレビで築地市場が放映されていたのを思い出しました。それも「出し巻き」屋の出し巻き作りの様子が丁寧に映し出されていて、男性のお客さんが行列を作って買って行きました。
 私も、見よう見まねで作ってみました。これが息子と夫に大うけで3個の卵で作ったのに2切れ残っているだけでした。全部食べては悪いかなといった残し方です。
 
 やればできると、変に自信のついた私はさっそくインターネットでレシピを4通りくらい見てみました。
 火加減が大変参考になりました。味付けはいずれも我が家の好みにはあいませんから甘みを充分加えます。それに築地市場のはだしが醤油色に見えましたが、レシピのだしの作り方ではその色になりません。きっと醤油色でないと卵の色がきれいに出ないのかもしれないし、砂糖もかなり入っていないとあの火加減であのこげ色は出ないような気がします。
 レシピのいう目標の卵と出しの割合が6:4とするには自信が無いので5:2くらいで作ってなんと成功。
 料理の苦手な私にとって、正月早々感動ものでした。
 夫が卵は一日に一個といわれているようなのでこれはラップをして冷蔵庫に保存してあります。
 
 出し巻き・カブの酢の物・高野豆腐・混布巻き鰊・頂き物のハム・車でお越しのお客様お茶も沸かしてございますと言ったところです。

 でも娘もこの雪では訪れないでしょう。
  
 明日はお寿司を作るので卵三個で錦糸卵を作る予定です。
 
 「出し巻き」はあさってまでお預けです。
 あっ日が変わっているので明日です。

 テレビを見ながら書いています。
 教育テレビ「日本と朝鮮半島」ヨンサンガン流域の古墳をめぐっての古代史。
 見ずにいられませんものね。







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