『林蔵の貌』 4
2010/03/23(Tue)
 北方謙三 著 『林蔵の貌』 第4章~終章である16章までを読了する。
 病院で借りたので、読めないで途中で返したらきっと気になるので次に行くときまでに読み上げようと、途中から一気に読んだ。
 1811年、明治元年(1868年)から57年前ロシアの艦長ゴロウニンを国後で捕らえて以降の頃からの、間宮林蔵の物語。
 朝廷に仕える野比秀麿は、幕府を倒そうとする。そのために、蝦夷地を領地にしようとする水戸藩、その藩士の狩野信平、と高田屋嘉兵衛の船に兄が乗っていて死んだために高田屋をしのぐ商人になりたいと思っている回船問屋の宇梶屋惣右衛門、腕の良い船頭で海賊でもある伝兵衛、そして蝦夷地の地理がわかる間宮林蔵がそれぞれの思いで、野比の指示に従って蝦夷地を領地にする夢を抱く。
 その夢を成功させるために、薩摩藩を取り込もうと島津重豪を誘う。
しかし、島津重豪に裏切られ、夢は叶えられないまま、一番みんなに慕われた狩野信平が蝦夷地で殺され、そして野比秀麿も殺される。以後、間宮林蔵は、二人の仇とばかりに島津重豪の夢をことごとくつぶすための企てを考えそれを実行してゆく。
 この時代の、各身分による生き方も描かれていて、そして、蝦夷地に対する考え方や当地のやり方を通して江戸時代後期の朝廷そして幕府の状況や各藩の状況が良くわかる。

 高田屋嘉兵衛の最後については、『菜の花の沖』では、晩年は淡路島でなくなったように書かれてあったが、この書では最後を国外で果てるという筋書きになっているがどちらが本当だろうかと気になる。

スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『林蔵の貌』3
2010/03/18(Thu)
 北方謙三 著 『林蔵の貌』 第三章を読む。

 三章も主語のない文章で始まる。
 この章では林蔵は、宇梶屋惣右衛門が作った500石ではあるが船底を尖らせ波が良く切れるようにした丈夫な船に乗ることを宇梶屋惣右衛門に強く誘われ、水戸藩士の狩野信平と、宇梶屋惣右衛門と越前三国の伝兵衛と伝兵衛の下のもの14人とで箱館から根室・宗谷・樺太へとそして樺太島をまわって東の海岸から南下して、択捉をも目指そうというところで第4章へ・・
 境遇も身分も立場もちがう四人がお互いの目的を探りあいながら幕府の奉行や高田屋やロシアや原住民ギリヤーク人から身を守りながら極寒の地への思いを熱くするところはワクワクのしどうし。
 この時代、幕府の中では領地は東北まででよいと考える人もいたという。
しかし、密貿易でどうにかやりくりをしていた藩にとっては、また、この国は将軍のものではないと言う考えを持っていたものにとっては争奪戦であったであろうことが伺える。
 このあたりは、幕末から明治維新・明治にかけて、下田・函館を開港したり、共和国を作ったり、武士団を開墾に送ったりした歴史を前もって匂わせるようなところがあるが、めったに人を寄せ付けない厳しい自然環境が、これだけの海産物をほおっておいたのだろうと思わせる。


この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『林蔵の貌』 2
2010/03/17(Wed)
 北方謙三 著 『林蔵の貌』 第二章を読む。

 夫のカテーテルの検査は順調で、血管が細くなっているところは綺麗に治していただいた。2泊して今日帰ってきた。
 夫は血管が異常に細く、足の付けからの検査なので歩けない時間が長いく、その分看護婦さんの手を煩わせた。ほんとに感謝。感謝。
 昨日は、午前中の早い時間に検査は終わった。朝食も昼食も抜きの夫には申し訳ないが、娘夫婦や義姉夫婦も心配して来てくれたりして久しぶりに一緒に食事をしたり、おなじ病院にご主人が入院中の友達と一年ぶりに情報交換したりした。
 早朝から夫の部屋を大掃除して布団も洗濯物もずいぶん干していたが帰ったら7時だった。物干し場では急に暖かく春めいた夜空でオリオン座が心配そうに洗濯物を見下ろしていた。
 今日は、夫婦でびっちり夫の食事指導を受けた。お酒もタバコも止めて私と同じように食べても太るので不思議。

 北方謙小説の書き方は、まずは行動があって、読んでいくと行動する人の人柄がわかってきて、更に読み進んでその人の氏素性がわかるという、そしてその場所も漸くわかってくるという書き方なので、理解しにくい。
そういう意味では、解説であらすじを読んでおいたので、2章はどうも江戸の水戸藩邸に出入りする藩士たちの動きであろうとだいたい想像できるのだが、確認するまでに時間がかかる。将軍家になっている一橋家が水戸藩も自分の血筋の者を入れようと娘を藩主の嫁に入れ、それに子が出来ないので養子を入れようと画策するのに対して藩主の弟を跡継ぎにしようとするのでそれを暗殺しようとすると言った事件が起こるなど不穏な動きを書き表すための手法かもしれない。中で水戸藩の狩野が高田屋に対抗して商いを広げようとする宇梶屋と蝦夷へ行き船の扱いのうまい伝兵衛と会いさらに間宮林蔵と会おうとするところで3章へつづく。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『林蔵の貌』
2010/03/15(Mon)
 北方謙三 著 『林蔵の貌』を読む。

 夫がカテーテル検査のために入院した。
 先生が外来を済ませて説明に来ますからそれまでご家族の方お待ちくださいといわれて3・4時間待たされた。
 夫はすぐに眠り始めた。

 本を持たずにあわただしく出かけていったので病院の本を借りて読む。
 北方謙三という人、歴史小説を書く人だということはなんとなく知っていたが初めて手にした。
 文庫本400ページが上下2巻。
 読み終えることは出来ないだろうと思いながら時間つぶしに読んでみると、なんと林蔵とは間宮林蔵のことだった。
 司馬遼太郎の『菜の花の沖』と時を同じくし、場所も蝦夷地。
 テーマは何なんだと心がはやる。下巻の縄田一男氏の解説で大体のことを知ることができる。

  ≪時あたかも、将軍の実父である一橋治済が専横を極めた11代将軍徳川家斉の治下、ロシアの脅威にさらされて いる蝦夷地を、松前や津軽、南部の緒藩に任せては置けない、そして幕府も直轄地として維持していく財力はあるま い。そう判断し、自らの領地にすべく画策を開始するのが水戸である。一方、蝦夷地を自藩の経済窮迫を救い権力拡 張のための交易の拠点としてのみ欲しようとする薩摩。更には、朝廷を中心として、この両藩を巻き込み、南と北の 双方から幕府を締上げこれを倒そうとする京都の動き、といった具合に、物語は冒頭から凄まじい水面下の抗争劇を 展開していく。・・・・下級武士としての諦観を抱きつつも、・・・・抗争の鍵そのものと化していく間宮林蔵、・・・・≫

 第一章 ロシア軍艦 では、越前の三国の漁師兼海賊の伝兵衛が命令に従って野比という男を船に乗せて津軽海峡を越えて根室に行き、さらに林蔵に会い3人でロシア軍艦に交渉に行く過程がつづられている。
ここでは、高田屋嘉兵衛や松前藩の者に知れないように行くことが課題だ。
この過程で高田屋嘉兵衛と松前藩とロシアとが密貿易をしているのではないかと気づく。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『め組の大吾』1~5巻
2010/03/14(Sun)
 曽田正人 著 『め組の大吾』1~5巻 を読む。

 ≪18歳の新米消防官・朝比奈大吾が配属されためだかケ浜出張所は、火事がめったにないことおからめでたいめ組と笑われる平穏な職場。だが、五味所長以下の面々は、鍛え抜かれた本物のプロ揃い。その先輩たちに一日も早く追いつこうと、大吾の奮闘は続く。≫

 これがこのマンガの紹介。
 このマンガは、「読みたいな」と思いつつ20巻前後ありそうな背表紙だけを長い間見ていた。
 その間ずっと新門辰五郎のことを漫画にしたものだと勝手に想像していた。
 読み始めてそうではなく、現在の消防士さんの話だとわかる。
 読み進んで手放せなくなった。
 主人公の大吾がどうなるかと手に汗握りながら熱中して読んでいる。

 
 私の職場は、小さな町の中心地にあるため毎日のように消防署の出動のけたたましい音を耳にする。また、一年に1回は消火訓練・避難訓練に来てもらう。いつも真っ赤な車の走る姿を目の当たりにする。
 あわてて現場に向かう消防士さんに対する理解を深めるにはちょうど良い読み物だし、公務員の仕事振りが取りざたされる中で一生懸命頑張っている若者の奮闘はすがすがしく自分も頑張ろうと言う気持ちになれる

 5巻まで読んだところで最後に著者の思いが語られていて、一息つく。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『聖徳太子』上 4
2010/03/12(Fri)
 梅原猛 著 『聖徳太子』上のⅢ章 を読む

 Ⅲ章 蘇我と物部の宗教戦争

 この章ではまず、
 太子誕生574年、622年死亡
 蘇我が物部を撃つのが587年
 であろう歴史年表を想定する根拠を語る。

 そして、552年の仏教伝来から、35年目の用明天皇の元年(587年)に初めて天皇が仏教崇拝を宣言する。それまでの廃仏派と崇仏派の思惑と興亡、宣言以降さらに物部氏が孤立を深めていく過程が語られる。

 この時代のこういった歴史の過程をこれほど詳細に扱った作品に始めてであった。
 年表を横に置きながら東アジアの状況の詳しい事情がわかった上で読み進む楽しさは格別だ。
 ただ、「人・物・事」を平明につづる部分と、梅原猛が歴史上の人物の行動について私見を述べる部分については、多少抵抗を感じる部分がある。
 特に穴穂部皇子が敏達天皇亡き後の皇后である炊屋姫(カシキヤヒメ)を犯そうとする事件に対する感想などには、その表現に立ち入りすぎる感が否めない。
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
冬眠で見た夢
2010/03/10(Wed)
 最近、本当によく寝る。
 考えてみると、2月のおわり頃から、3月のはじめにかけて、太古の昔は人間も冬眠していたかもしれないなどと思いながら、平気で8時間くらい寝ることがある。
 こんなによく眠ると眠りも浅くなることがあるのか夢を見ることがある。
 長い間夢など見たことがなかったのでなんだかわくわくする。
 その夢の中で、すごい化粧をして大変身する夢を見た。大体夢のパターンは決まっているのに、こんな夢は始めて。どうしてこんな夢を見たんだろうと考えてみると、日曜日、勤務でなければ絶対に見逃さないTVの「たかじんの何でも言って委員会」で、田島洋子さんが化粧のせいか、いつもとずいぶん違うようにみえてどうしたんだろうと思ったせいだと気が付いた。
 不思議なことに、その翌日、職場で保護者の若いお母さんと花粉症の話から化粧品の話になり、おたがいミキモトの化粧品を使っていることがわかり大いに盛り上がった。だいたい、何十年もこの仕事をしていて保護者と化粧品の話しをしたのは初めてだし、おなじミキモトの化粧品を使っているという人にも始めてであった。本当に不思議なことだった。
 そして今夜、久しぶりにスクウェアーダンスに行って、和太鼓も一緒にやっていた友達と帰りに食事に行った。そのとき「長い間ダンスに離れていてもダンスの夢などは見ないけど、このあいだ太鼓を打つ夢を見て急に太鼓がたたきたくなって・・・・。」と話したら、「えっ!私もそういえば10日くらい前にはじめて太鼓をたたく夢を見たのよ。夢の中では上手に気持ちよくたたけたよ」といったので、つくづく不思議なことだった。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『聖徳太子』上 3
2010/03/06(Sat)
 梅原猛 著 『聖徳太子』上のⅡ章 を読む

 Ⅱ章 仏教  亡国と興国の教え

 この章では、Ⅰ章で見た各国への仏教の広がりとその信仰がもたらす国の興亡との総括を試みている。

 梁と百済。武帝と聖明王。
 両者ともに篤く仏教を信仰していた。
 知識も広く見識も高く、人格も高邁な希に見る優れた王である。にもかかわらず、彼らは悲劇的な死をとげ、国家を滅亡に導いた。

 新羅の真興王。じつは彼もこの二人に劣らない仏教信仰者であった。なのにどうしてより国を強く栄えさせたのか。との問いに新羅の真興王の制定したという花郎の制度をあげている。
 また、仏教の第一の戒、殺生戒の教義を緩め「時を選び物を選んで殺す」と俗人向けの宗教に変更したことを上げている。

 この章の花郎の記事に、私は自分の今までの思い違いに気づかされた。
 私は、花郎とは朝鮮半島全体にあるものだと思っていたし、仏教を教え広める仏教者で、中でも、品がよく教養があり、姿かたちや声の美しい男性の若者で、人々には今のアイドルのように人気がありあがめられ大切にされていた人のことを言っていたのかと思っていた。そして、百済観音や広隆寺にある弥勒菩薩などは、それらがモデルになったのではないかと勝手に想像を膨らませていた。
 しかしそうではなくて、朝廷に推挙する人材として花郎を選んだというのであった。

 ここでは、もともと古い民族信仰に基づく東南アジア各地にある一種の宗教青年団の花郎を真興王が制度化したのか、ここでつくられた花郎という制度が以後東南アジア各地の宗教青年団というようなものになっていったのか読み返してもわかりにくい。もしかして、日本の明治維新などでも若衆宿と言うようなところから若者がたちあがったところもあるが、それも花郎の流れを汲むものではないかと又勝手な想像が膨らむ。






この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『聖徳太子』上 2
2010/03/04(Thu)
 梅原猛 著 『聖徳太子』上のⅠ章 を読む

 この 、Ⅰ章 仏教伝来の意味するもの は、序章の東南アジアの中での日本への仏教伝来の意味を探るという期待にすぐさまこたえてくれる。
 最初の小題 「仏教伝来は552年」、
  「政治的事件としての仏教伝来」以外の
  「仏教の誕生と展開」、
  「梁の武帝  仏教国の誕生と崩壊」、
  「朝鮮半島の政治的状況と日本」、
  「任那を譲って文明移入」、
  「新羅の脅威と聖明王の一計」、
  「百済の思惑と日本の無関心」、
  「百済の使者が見た梁の廃墟」、
  「百済の賭  一体の釈迦仏にこめられた悲願」
はすべて仏教伝来以前のインドでの仏教の誕生とその興亡であり、中国・朝鮮半島の国々の誕生とその興亡である。その資料は同じ時代を記録した「日本書紀」などに比べたら、正確でまことに詳細を極めている。
たとえば、

 ≪この欽明九年(548年)、三国間に若干のトラブルがあった。

(聖明王) 26年春正月、高句麗王・平成(陽原王)濊とともに謀りて、漢北の独山城を攻む。王、使いを遣わして新羅に救いを請う。羅王、将軍・朱珍に命じて、甲卒三千を率いて、之を発す。朱珍、日夜兼程して独山城の下に至り、麗兵と一度戦い、大いに之を破る。(百済本紀)

(陽原王) 四年春正月、濊の兵、六千を以って百済の独山城を攻む。新羅の将軍・朱珍、来たりて援く。故に克たずして退く。(高句麗本紀)

(真興王) 九年春二月、高句麗、濊人とともに百済の独山城を攻む。百済、救いを請う。王、将軍・朱玲を遣わし、勁卒三千を率いて之を撃つ。殺し、獲うこと甚だ多し。(新羅本紀)≫

と、このように一つの出来事が、関係国で同時に記録されているのである。
そんな資料により、百済が取引材料として仏教と文化をもって、以前野蛮で強かった日本の武力に頼ることで国を守ろうとした事情を解き明かす。
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
『聖徳太子』上1
2010/03/03(Wed)
 梅原猛 著 『聖徳太子』上の序 を読む

 結構圧巻。
 まずは序。

 聖徳太子の研究書の中でのこの書の位置づけと、自分の経歴の中でのこの書の位置づけについての説明。
そして、いままでの研究著作のおおくが、聖徳太子にまつわる論証となるべき資料が日本のもののみによっているので、これを、広く東南アジアの資料に広げてせまってみよう、そして、政治史のみならず経済史、文化史、宗教史など総合的に見ていくことで聖徳太子の実相に迫ってみようとすることを述べている。

 それまでのものはそうではなかったのですか?との素朴な感想を持つ。

 確かに、私が面白がって読んでいる歴史小説の中で、「ぺリィー来航」はほとんど日本側のしかも政治的な側面だけで語られているが、何かの本でこの黒船に何の目的でどんな人たちが乗っていたかということについて詳細に書かれてあった本を読んで意外な思いをしたことがある。なかでも、植物学者が乗っていてアオキの研究のために生息地を見たり、採取して持ち帰りたいと期待していたとようなことも書いてあったのが印象的であった。信長の時代に交渉があって盆栽にして持ち帰ったものが増やせず、鎖国している間中、植物学者にとってはこのことが気になっていたのであろうか。
 また、国文学者である梅原猛と物理学者である湯川秀樹に勧められて心理学者の河合速雄が『明恵夢記』を著作したことを思い合わせると総合的な見地から何かを解明しようとする姿勢に意欲を示していた頃に書かれたものとこの書に対する私の期待も広がりそうだ。







この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
『逃げていく街』のⅡ
2010/03/01(Mon)
 山田太一 著 『逃げていく街』のⅡ を読む

 この章では、職業人としての立場は出来るだけ遠ざけようとしながら、テレビドラマへの思いが綴られている。
 その思いは専門的に深く掘りおこして語られているので、読み物としてはそうとう深いものを感じつい姿勢を正して読みふける。
 木下恵介映画の助監督を7年やって、テレビドラマの世界に入っていった彼が、おなじ映像と音声とで創られる映画とテレビドラマの違い、観客の視聴する状況の違い、時代の流れを語る。

 ワンカット、ワンシーン映像を創って、映像に語らせていく映画。
 『寺内貫太郎一家』に象徴されるセットは決まっていてセリフで語らせるテレビドラマ。
 暗いところに集客して集中してみてもらう映画と、アイロンをかけながら、或いは宿題をしながら、電話をかけながら、集中は期待できない視聴者へのテレビドラマ。
 戦後、日本の家族は「個」の発展をなるべく邪魔しないように小単位であることを目標としたので、そういうものを題材にした嫁姑のいざこざ物語がおおくつくられ、そして不必要な親を捨て村を捨て「核家族化」していく家族を描く。「エゴ」が求めたぎりぎりの小集団「核家族」では、そこに問題を投げ込んでそれが解決すればその家族は安泰になったというような内容のものが多く「個」や「エゴ」が現在どのようであるのかを見つめたものは少ない。そして家族以外のものに結びつきを求めようとする作品が現れてくる。

 昨日職場で、「東京の実家のすぐ近くに1人息子を連れて引越し、新学期は東京でというはなしを今日子どもに打ち明けました。子どもが泣いて泣いて・・・4月までよろしくお願いします。」と、母親が挨拶にこられた。昨年のこの頃お父さんを急病で亡くした家庭のお母親だ。「お母さんが死んだら僕は1人だ。と言って時々泣くんですよ。」とも話された。お父さん子だった彼がお父さんの急な死に出会っての困惑は手に取るようにわかる。
 そんな家庭が大半になりつつある現在。
 テレビドラマはこんな身の上相談にどうこたえていくのだろうか
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |