『加冶隆介の議』他
2010/08/29(Sun)
 弘兼憲史の『課長島耕作』の一部・『部長島耕作』の一部・『加冶隆介の議』・『ラストニュース』を読む。

 今年の夏は暑さがひどいせいか体調が優れなかった。
 ほとんど仕事だけの生活に切り替えた。

 そんな中、いきなり夫がここから3キロくらい奥にある団地の10数年前に住んでいた家を壊して駐車場にすると言い出した。
 壊し始めるまでにほとんど片付ける体力も日にちもなかった。いらないものばかりを捨てきれずに倉庫代わりに置いていたので清々してすっきりすると思っていたが、2・3度片付けに行って本箱を見たのが災いした。読返すわけでもないとわかっているのに処分した後の喪失感が体力減退に追い討ちを掛けた。
 ほとんどそんな本があることさえ忘れていたのに本箱を見て思い出したのだ。
 夫はもったいないから公民館に寄付しようかといったがそんな交渉や仕分け作業をする気力もなかったので「そんなことをしたら公民館が迷惑よ」と全部処分してしまった。どう考えても二度と手に入れることは出来ない。記憶の断片がなくなり痴呆になるような気分にさえなってくる。

 ただこの弘兼憲史のマンガは娘のものできちんとダンボールに入れてあったのでそのまま持ち帰った。
 娘に話すと「バザーに出すといいよ」というのでその手もあったのかと改めて思った。バザーは終わったばかりなので1年は手元に置くので順に読んでいった。
 なんだか、天然ボケの私も現実社会に引き戻された感じがして、日々の生活よりこれらの本を読むほうがさらに疲れた。

 『加冶隆介の議』を読み終わる頃、T市会議員が我が家を訪ねてきた。社民党でいまや市議会では彼の会派が一番の大所帯になっている。彼は今季限りで市会議員を辞めるという。少し前、後継者がイケメンだと夫が私に伝えたのでイケメンなら私にも紹介してと言っておいたので後継者を連れて来たよと若い後継者を連れて二人できた。私の息子よりも若いのでなんとも頼りなく感じる。出身を尋ねると竹原ですという。竹原といえば小早川家・・・というと小早川家跡の近くです。などと話しているとT議員、目ざとく読みさしの本を見つけて何を読んでる?と聞かれたので「マンガですよ『加冶隆介の議』っていうの読まれた?」ときくと二人とも読んでいないということなので読み終わったらまわしてあげますと冗談半分にいう。

 『ラストニュース』は、猪瀬直樹が原作を書いているという。猪瀬直樹というと、図書館から借りてきている『空気と戦争』の著作者だ。彼の論を打破できなければ、社民党の存在は危ういのではないかと思うのだが難しくてよくわからない。
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お通夜に行ってきました。
2010/08/25(Wed)
 亡くなられたのは72歳の男性で職場関係の方です。
 私の職場では年に一度「細田さんのワクワク園芸教室」というのをやっていました。
 その細田さんが亡くなったのです。
 私は今の職場が4年目なので細田さんとは3年半のお付き合いでした。
 癌になられてそれでもお願いすると軽トラに何もかも積み込んで来てくださいました。
 花と子どもたちが大好きでした。
 それに今年は植物公園の補助を受けてゴーヤで緑の日よけを作るという計画でその植え付けもお願いしました。 「調子が悪いので同じ園芸仲間の人にお願いしておきました」とおっしゃいましたが密かに期待していたとおり途中から来てくださいました。
 奥様も調子を悪くされていたのを聞いていたので「奥様の調子はいかがですか」と伺うと「午前中もあれの病院に行ってきたがことにはならんかった。わしが病気で心配かけてあんなにしてしもうた」とやせ細った身体で辛そうにいわれたのが私との最後の会話だったかもしれない。
 最初細田さんのお宅を訪ねたとき花一杯の玄関にご夫妻でなかよく並んで座っておられたのを思い出す。

 通夜の席で読経の後のお話では
 「細田さんは私のライバルでした。」といきなりおっしゃった。
 「仕事でも趣味でも生き方でもいろんな意味でライバルでした。
 ある日お寺のゴルフコンペに細田さんをお誘いすると快く参加してくださり、そのときは私の方が上手でした、ところがだんだん腕を上げられ、お寺のコンペだけでなくいろんなコンペで優勝されるまでになりました。胃の全摘手術をされてからは卓球だけされるようになりましたがこれも向かうところ敵なしでした。私は細田さんは負けず嫌いだとおもっておりましたがそうではなかったのです。彼は〇〇ダムでなくなった村の出身で立ち退き問題の間、長男である自分はもう家を出ていて後を引き継がれた弟さんが49歳の若さで亡くなり立場上大変な苦労をされたのです。細田さんの何事にも努力をするという姿勢こそが、その苦労との戦いのなかを生き抜いてこられたという姿勢であったのかと思いました」といわれた。苦労話はされていなかったがその状況の話はそっくり聞いていたことを思い出した。
 「この春、92歳の母親が亡くなりました。
 私は福岡の出身です。夜、福岡の兄から母が危篤だという連絡を受けましたが、あくる日葬儀の予約が入っていたのでそのお勤めを済ませてから急いで帰るからと一方では母の回復を期待しながら伝えました。
 明けて2時に亡くなったと知らせを受けました。私はいわゆるマザコンで母より大切なものはこの世にありませんでした。飛んで帰りたい気持ちで一晩中母親のことを考えました。
 親とは何でしょうか。親とは子どもがいて始めて親になるのです。親心とはその子を思う心です。わが子が幸せになってほしいという気持ちです。しかし、ただ幸せになればいいというだけのものでしょうか。親心とは、その時々の子どもの苦しさ悲しみ喜びそんなものをすべて請合うのが親心ではないのだろうかと思いました。そうだとすれば、飛んで帰りたいのにお葬式のお勤めを果たさなければならないといういう私の心を請合ってしっかりお勤めをするのですよと見守ってくれているような気持ちになりました。そうであるなら、いっそう誠心誠意お勤めをしようという気持ちになりました。
 それからは何をするにも母親の親心というものに抱かれていると感じられるようになりひと時ひと時を大切に生きられるようになったのです。
 誰も1人で生きているのではない。目に見えなくても耳に聞こえなくても親心仏心に包まれているんだということを知っていてください。そんなことを話させていただく細田さんの葬儀のご縁にありがとうとお礼をもうします」というようなお話をされた。

 最近葬儀屋で行われる葬儀では、なくなった方とお勤めをされる方とのご縁がないことの方がほとんどで、こうした亡くなられた方のお話は喪主など挨拶をされる方からのお話しか聞けない。
 私の横に座っていた若い青年が母親の話のところでは目頭を押さえていた。
 ほんとうに私も細田さんの葬儀のご縁で、自分の両親、そして子どもに対する親心について改めて思いを深くした。  
 
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