『花てぼ』
2010/09/29(Wed)
太田雪影著 『花てぼ』 を開く。

ブログでおなじみの花てぼさんこと太田雪影さんの書を送っていただいた。
花てぼさんの美を求める姿の究極をいただいている書だ。大胆でありながらシンプルですがすがしい。一目見て気に入った。
予想を上回る素敵な書だった。
そして、たしかに装丁から何から何まで『花てぼ』さんだった。書が素敵だったと同時にわたしの審美眼にも自信が持てた。
 『花てぼ』さんのブログを読んでいて、本を出しておいでになることを知って、すぐにお願いした私のこの審美眼のたしかさ。ひさしぶりに自信満々。
 自信を失ったときと言えばずーっとずーっと以前、黛まどかの本を買ったときだ。
 あれっ、間違えてメモ帳を買ったかなと思ったほど開いても開いても白紙の本だったと記憶している。
 よく見ると両脇に一首ずつ句が載っていた。
 でも、黛まどかもきらいではない。図書館で借りた『サランヘヨ』これはすごくよかった。

句を楽しめる人にこっそりすごくあこがれている。
きっとそれは30歳のころ読んだ夏目漱石の
もらいくる 茶碗の中の 金魚かな
くらいからはじまっている。なんといっても漱石や子規の句はわかりやすい。でも最近読めないしわかりにくい、もっというとわからない句にも作者の思いを探りたいと思うようになり、わからないままで読むことにした。きっとそれは句をやる人たちの暗号だからだ。
さて花てぼさんの暗号は

口にして 暑限無暑限無と 極暑かな
 
 これなら受信できる
 ポンポコピーの ポンポコナの 長久命の長助

花てぼさんありがとうございました。
今夜も大切な一書、枕元において寝ます。

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『特攻隊と憲法9条』
2010/09/13(Mon)
田 英夫著 『特攻隊と憲法9条』を読んだ。

 噛んで含めるような文章なので、読むほうも自然ゆっくりとなり丁寧に読む。

 特攻隊とは、ご自分がその2ヶ月前まで東大に受かった喜びで胸を膨らませていて、考えてもいなかった19年の秋の学徒出陣のから海軍入団、そして特攻隊でのことが丁寧に終戦まで描かれている。
 田さんは200人の特攻隊部隊を率いていて、其の中の50人が死んでいく役割で、後はそうではないエンジンの整備をしたり防空壕を掘ったり、食料を調達したりする人で、部隊の雰囲気は独特で妙なものになっていたという。
 ここで、隊の実務を任されていた田さんは、
 
≪どうせ死ぬんだから、だれと一緒に死にたいか、きっと希望があるだろうと思い、
 「おまえたち、紙を配るからそれに一緒に死ぬ相手の名前を書いておれのところに持ってこい。その。とおりになるかどうかわからない参考にさせてくれ」と言ってやりました。
 そうしたら、驚くべきことに、AはBと書き、BはAと書く。CはDと書き、DはCと書くという格好で、すぱっと一回で相手が決まり、私が手を加える必要はまったくなかったのです。・・・・・・・・もう心の中に、じいーっと死の覚悟を秘めているという、おたがいがまな板の上の鯉の心境でした。≫

 省略した・・・・の部分も省略できるような記述ではないが、特攻隊員の出撃前の様子が伝わってき、そして・・・・の部分が後述の彼の靖国問題への思いに繋がっていく。

 田さんたちは結局次は米軍が鹿児島へ上陸するというとき宮崎にいて終戦を迎えるのですが、郷里に帰る途中で見た広島の様子に戦争の形態がまったく変わっていった世の中を知り、そして従兄弟で著名な物理学者の渡辺慧をニューヨークにたづね夜を徹してはなし、憲法9条の深い意味に気づくのです。

 彼は、自分が戦争の前後を思い返してみて、戦争が周到に準備されていたことを強く感じています。
 そして、いままた周到に準備されていることを、いろんな法の改正を解説しながら、やはり自分の報道陣としてまた政治家として生きてきた経験をもとに熱心に語りかけています。

 そして最後に、靖国神社問題と恒久平和への決意を語っています。
 靖国神社がもともとは戊辰戦争の官軍戦死者をまつった招魂社で明治十二年に明治天皇が靖国神社と命名されたいきさつが述べられ、国家が掲げる宗教国家神道が確立してゆき、靖国神社に祭られることが名誉なことであると言うことが打ち出されてゆく姿。
 しかし、実際特攻隊員として死を覚悟した人々の思いにもふれ、また実際には、第二次世界大戦では兵隊ばかりではなく多くの一般市民が巻き込まれて死んでゆく。それらの霊は・・・・との問いかけになる。

 図書館に行くときはいつも他の用事で行っているのであわてて本を選んでしまう。
 たまたま昭和の戦争をテーマにした本ばかりがまとめられた本箱から5冊借りてきてあと『731部隊』という本を残してやっと4冊を読んだ。その間、昭和天皇・天皇制について心を留めることがおおかった。
 戦後、昭和天皇はキリスト教に改宗したかったときもあったようだ。(この書の記述ではないが)
 そんなことも含めて夫にこのテーマを問いかけてみると、昭和天皇は天皇制を廃止したかったと思うと言う。なぜかというと天皇制を利用しようとしている人たちによって国を誤らせることがあることをよく知っておられるからだという。
 とりあえず天皇家はたいへんだ。
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『マッカーサー元帥と昭和天皇』
2010/09/08(Wed)
 榊原夏著『マッカーサー元帥と昭和天皇』を読んだ。

 榊原夏という人が女性なのか男性なのかわからない。

 作品の最後に、

  ≪マッカーサー元帥という稀に見るショウマン・シップの才能を持った人と、昭和天皇という稀に見る不器用 なまでの篤実さを持つ人を、写真という記録・宣伝の装置を通して振り返ってみるのが本書の意図であった。≫

 と述べていてこれで著者の意図がわかった。
 著者は米国バージニア州にあるマッカーサー記念館での所蔵写真の中に笑っている昭和天皇の写真を見て強烈に驚いたという。

 昭和20年9月27日、天皇が初めてマッカーサーと会見したときの写真で日本の新聞にも掲載されたものがある。その時シャッターは3回押されていて没になった写真ともに3枚載せてある。
 天皇が笑っている写真のかずかずというのは昭和22年5月26日にGHQの写真班のスペシャリストとして来日したディミトリー・ボリアという写真家によって撮影されたものである。

 敗戦国日本の元首は、どのような気持ちで連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーを迎えたのだろうか。
 降伏調印した翌日の高松宮の日記を引用し解釈して、

 ≪マッカーサーは復讐をするために日本へ乗り込んできたのではなく、新生国家を創るため「正義と寛容の心」臨むつもりでいると高松宮は解釈した。そうだとすると、案外、マッカーサーは岩戸の後ろに閉じ込められている天照大神を再びこの世に引っ張り出す手力男命ではないか。むしろ今までできなかった方法での国体護持ができるかもしれない。それならアメリカの燃料で日本の自動車を走らせるように、マッカーサーの司令で日本政府が動くとしても「ヨイワケ」だったのである。≫

 天皇から会見に臨んだ初めてのマッカーサーとの会見では、マッカーサーは昭和天皇の人柄に感激している。日本の国民性をもかんがみて、以後、マッカーサーは敗戦国日本の元首を連合軍の絞首刑にしろとの声から、また日本国内の退位しろの声から守るようになる。昭和天皇はそのとき44歳。父親である大正天皇の病弱のために20歳から摂政になり大正天皇が亡くなった25歳から天皇となり日本国民すべてが天皇の赤子であるという立場に立たされた。常に国民を守る立場にあった。マッカーサーはその時65歳、見本とすべき立派な軍人の父親を持ち、強すぎる愛情で呪縛していた母親が亡くなって解放されたのが50代半ばという生い立ちの違う二人は親子ほどの年齢差があり、昭和天皇は初めて自分の上にたつひとに守られる境遇を得るのだ。

 そうしたマッカーサーと天皇の関係。そして、GHQの写真班のディミトリー・ボリアとの関係が、これらの写真に現れている。

 昭和天皇の息遣いをそれなりに感じることのできる一冊であった。
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『天皇の戦争責任・再考』
2010/09/05(Sun)
『天皇の戦争責任・再考』を読んだ。

池田清彦・井崎正敏・小浜逸郎・小谷野敦・橋爪大三郎・八木秀次・吉田司、7名の寄稿による。

「はじめに」の説明によると、この新書の目的は色々な解釈がある中にも、たとえば百歩譲って、戦争時には、形式的地位にあったにすぎないにしても、開戦の詔勅の署名者であり、元首だった人間の戦争責任があいまいにされながら、戦争を経験しなかった人間の戦争責任が問われるのは、甚だ気持ちの良いものではない。
卑屈な謝罪や、そのば凌ぎの言い逃れや、感情的な居直りを解消していくためにも、日本人として避けてとおれない問題であるが故に真摯に取り組みたいと単純に事前になんのすり合わせもなく聴いてみたいと思った人の意見を並列したという。
七名の著者には何の関係性もない。

 そんななか、最後の著者吉田司という人の記事だけを取り上げる。

 「天皇論の現在はどのレベルにあるのか」吉田司
 この著者は異色である。
 
 この問題にまともに取り合うほど自分は天皇の置かれている立場などわかるものでもないので考えるにはおこがましいなどと知らんふりをしていたいと思うほどの国民の1人でもある私にはちょうどいい感覚で読めそうな著者だ。
 確かにこの著者が指摘しているように私にも天皇といえばヒロヒトであり、ヒロヒトといえば戦争責任について問うてみたい相手でもある。
 しかし、著者の関心は、今私たちがいただいているアキヒトについてはどうなのかというところ。
 彼の方こそが長い部屋住み生活の中でまた在位中の中でこの問題に苦しんでいるのではないか。とその問題を今現在の天皇の問題として考える。
 わたくしも実はつい最近ぐぐっとそんなことを考えるきっかけになった一文に出会った。
 愛子様が学習院初等科でイジメにあっていることに関しての美容院で読んだ週刊誌の記事だ。同じクラスの保護者が特別扱いしすぎるのではないかというようなことを言ったという記事。
 これは考えさせられた。私も子どもを預かる仕事をしているから保護者の意見は聞き捨てにならない。今、主権在民の法の中にあって、他の生徒には主権者としての権利が認められている。ところで愛子様は???。彼女は意見もいえない立場にある中で開戦の詔勅の署名をしなければいけない立場になるかもしれない人なのだ。
 負ければ、うちに敗戦責任と外に開戦責任を負わされる立場になるかもしれないひとなのだ。
 今、皇太子殿下がこんな責任を雅子様との間に生まれた娘に負わせる。そんなにありえないかもしれないことを考えないにしても国民の象徴といわれる人を育てるということをどのように考えられているだろうか。
 天皇の戦争責任を考えるとき、戦争の放棄を謳った憲法の遵守を平行してして考えなければいけない。
 天皇制についてもその意味を考えなければいけない。と思う。

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『空気と戦争』
2010/09/04(Sat)
猪瀬直樹著 『空気と戦争』を読んだ。

猪瀬直樹が2006年に東京工業大学に呼ばれて「日本の近代」と銘打って4ヶ月間講義したものがまとめられている。

まず、戦後、左翼の大学教授によって植え付けられたでたらめな歴史認識のプロパガンダで洗脳された学生たちに、彼は日本の政治機構は戦前戦後を通して変わっていないということを「日本の近代」、とくに、第二次世界大戦突入時の日本のおかれた状況と政治機構を語り、現在の霞ヶ関の実態を語ることで立証しようとしている。

「第一章 東条英機に怒鳴られた26歳の高橋中尉」
 高橋中尉とは戦前から人造石油の研究をした人で、石油が日本へのABCD包囲陣によって禁輸されたために軍の人造石油部門を担当した人のことでその人の手記を知ったことで猪瀬氏がどうして負けるとわかっている戦争をしたのだろうとの思いについて研究をしたことについて語る。

「第二章 30代の模擬内閣のシュミレーション」
 と題して『日本人はなぜ戦争をしたか 昭和16年の夏の敗戦』という猪瀬直樹氏自身の著作をもとに、昭和16年4月1日近衛内閣が首相官邸近くに総力戦研究所をつくり(研究生は模擬内閣を構成した)ありとあらゆる官庁の30代の俊才、軍人、マスコミ、学者、36名が集められ、もし日米が戦えばどのような結果になるか自由に研究せよというテーマが与えられ、8月に結果だ出た。緒戦は勝つであろうがやがて、国力、物量の差が明らかになって、最終的にはソビエトの参戦という形でこの戦争は必ず負けるということが8月27日に、近衛内閣、閣僚の前で発表される。
 しかし、東条英機のそんなことは机上の空論だ日露戦争だって勝算があって始めたわけじゃないの一括に戦争への空気が流れていったというのである。

「第三章 数字が勝手に動き出す」、陸軍の支那駐兵が従来どおりの強硬な態度をとりつづけるなら日米交渉は決裂する。この間の御前会議や閣僚の会議などのやりとりなかでの解説では、著者が微妙に天皇を中心とした皇族や東條英機の弁護をしているように思えるのが印象的であった。
 数字というのは
  陸軍の手持ち貯油量120万トン。
  商工省燃料局の貯油量70万トン
  海軍の貯油量は650万トン
国産石油の取得見込み量が1年目25万トン
             2年目20万トン
             3年目30万トン
人造石油の取得見込み量が1年目30万トン
             2年目40万トン
             3年目50万トン
インドネシアの油田の期待産油量1年目30万トン
                2年目100万トン
                3年目250万トン
これにたいして石油の消費予想量
  開戦1年目陸軍100万トン
       海軍280万トン
       民需140万トン
           ・
           ・
このような試算が御前会議で鈴木総裁によって発表される。
 模擬内閣で「日米戦必敗」と結論付けた、懸念のシーレーンの試算など
は皆無だった。
 じっさいタンカーはつぎつぎアメリカ潜水艦の餌食になりやむなく昭和19年「松根油」の研究にとりかかり「のべ4000万人の国民が松の根っこ掘りにかりだされた。

 こういった数字の一人歩きは戦前のみならず戦後も官僚などによっておこなわれているということを、生き残っていた当の鈴木総裁の言をかりて述べている。

「第4章 霞ヶ関との戦い」
 著者の猪瀬直樹が、小泉首相の下で道路公団民営化を推し進めていく中で「数字をごまかすと国が滅ぶ」と数字を一人歩きさせないために戦った記録を上げている。

 私のおぼつかない知識ではこれほどの取材をして書かれたものに一言をいうことはできないが、だから軍備を確実にした方がいいといわんばかりの論理には引いてしまう。
  



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