『忠臣蔵』
2010/12/26(Sun)
昨夜テレビで『忠臣蔵』を見た。
この『忠臣蔵』は、私が高校時代をすごした三次と少し関係がある。
この三次も藩主は浅野家で、その浅野家から赤穂の藩主浅野長矩に嫁したのが阿久里だ。
阿久里はほんの子どもの頃、この三次をでて長矩に嫁して亡くなるまで江戸でくらした。
 私の父が勤務していた会社の三次営業所。その営業所の道路向こうの一段高いところに、鳳源寺という三次の浅野藩の菩提寺がある。
 とある夏に、父の営業所を訪ねたとき、お寺の境内に遊んだ。
 四十七士にまつわる案内板などもあって散策もする。
その菩提寺には、義士堂があったり、大石内藏助お手植えの枝垂桜があったり五輪の遺髪塔があったりする。
枝垂桜の咲く春になったらもう一度訪ねてみたくなった昨夜の『忠臣蔵』だった。
スポンサーサイト
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『愛する能力』
2010/12/15(Wed)
 最近『歎異抄』の9章で、真の信仰について考えさせられていたせいか「信仰を持てる人と持てない人の違い」について考えている。それは「人を愛せる人とそうでない人」と似ているのではないかと思えた。
 
 心の中のことなのでよくわからないが、自分は人を愛すると言う感覚が今ひとつわからない。
 瀬戸内寂聴など作家などにも身も世も捨てて男性に走る人がいるが、そんな人が愛するという心境がどんなものなのかと思っているとき図書館でこの瀬戸内寂聴の『愛する能力』と言う本を見つけた。彼女の本は最近読まないことにしていたがいきさつ上、題名に引かれ借りてしまった。
 さらさらと読み始めると、簡単なエッセイ集である。彼女はどこかで、「どのように書けば文章が売れるかツボどころがわかっているのでもうそんな作家は止めようと思って髪を切った」と言っていた。売れるかもしれないがあまり魅力は感じない文章が続く。
 その中の一つに「愛する能力」と言う一文がある。
 艶っぽい話のなかで、その能力を垣間見たかったのだが、話は阪神タイガーズが優勝したときの星野監督についてだった。
 ≪「選手たちを信用していく」という言葉を、星野さんは何度も繰り返した。愛する能力とは相手を信用する能力である。≫
 ちょっと私の課題に対して物足りない気もするが、やっぱり信と愛は同じだと彼女も思っているのだから、ここではこれでいいことにしよう。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『八木用水ものがたり』
2010/12/12(Sun)
 八木用水とは私が住んでいる町から広島市街地へ続く途中の地域の用水で、この絵本はその用水がどのようにしてできたのかという1700年代の話を物語っている本。
 祇園公民館の「祇園まちづくりプランプロジェクト」の発行になっている。

 渡辺郁夫氏がこの用水の流域に暮らしておられて、この用水から水車で田んぼに水を汲み入れていた子どもの時代の風景を書き記しておられたので、ふと読んでいない『八木用水ものがたり』が家にあることを思い出し手にした。
 2・3ヶ月前、近くの劇団が『八木用水ものがたり』を公演するというので券を2枚買っていたのに、自分達に用事があるのを忘れていたことを思い出し、隣の奥様に差し上げたらお礼に買って来てくださったもの。
 ここでは水がないことに苦しむ農民を助けようと八木用水を作ることを思い立った大工の卯之助の働きが中心になっている。そして八木用水ができることによって9つの村が潤い、多いところでは181.0%も出来高が伸びたことが記してある。
 以前この用水のすぐ脇の小学校の敷地内の児童館に3年間勤務していたことがあって、いつも綺麗な水がとうとうと流れていたのを思い出す。
 その頃はその用水には思いが行かず、300メートルくらい東に大きな太田川が流れていて、通勤途中、太田川橋から川下を見て、この川筋に石を積んで畑を作り芋などを植えていたが洪水のたびに流されて賽の河原の石積みのようなおもいの重労働で苦しかったことを書いた新聞の投稿欄の記事を思い出していたりした。確かにその太田川は河川敷はとても広いが川そのものは低く周辺の水田の用にはならない。
 この卯之助と言う人は郡中御普請所の御用聞の職をしていたが八木用水の完成の功により藩から生涯2人扶持を給せられたとある。その子孫もたかい土木技術により各地で活躍したとある。また庄原の上野池の改修工事も手がけたとあり、広く活躍したことが伺える。
 用水の地図を丁寧に見ていると、用水は武田山のふもとの村々を取り巻いて流れている。武田山は安芸武田氏の所領があったところだ。武田氏は戦国時代に二十数キロ北の現在の吉田町を拠点とする毛利氏によって滅ぼされるのだが、毛利氏は吉田町と言うくらいだから良く米が取れる所領を持っていたし、三本の矢の一本である息子の吉川は豊平と言う地名で豊かな平野を所領していたので、武田氏は水のない米の取れない所領を持っていたために毛利に滅ぼされたのかもしれないなどと戦国時代の経済基盤に思いをはせる。
この記事のURL | 未分類 | コメント(2) | TB(0) | ▲ top
「つれづれ日記」
2010/12/08(Wed)
 最近一ヶ月近く、近所の奥様方にご一緒させていただき、毎朝裏山を歩いている。
夏以降、ずっと身体を休めることで仕事に備える事を重視していたためか、体力が極端に落ちてきているようなので、朝8時前から9時過ぎまでを裏山に登りはじめた。
総じて気持ちのいい日が多いいが、黄砂の日も雨の日も風の日も楽しく登る。
どなたも私よりも高齢で、癌の手術もされた事のある方もおられたりするのに最初は本当のところついて歩くのがしんどかった。最近は目的地の展望台で軽い体操もできるようになった。

 昨日は市役所本庁で研修があるので、山登りは中止した。少し早めに出て、平和公園に寄って、職場で子どもたちと折りためた千羽鶴をお供えし公園内を散歩することにした。
 そして、渡辺郁夫氏が著書で述べておられるところの、原爆資料館正面から延びた慰霊碑に続く白い道を歩いて慰霊碑からのぞむ原爆ドームを見て、浄土からあふれでてくる平和を感じてみたかった。

 10時過ぎの平和公園は底冷えのする寒さだった。原爆ドーム付近では、観光客はほとんど外国人の方々だった。「本通りを抜けて元安橋を渡ったところに原爆の子の像があるから」といってくれた夫の言葉どおり、原爆ドームから下って元安橋にでたところからすぐに原爆の子の像が見えた。ここでは岩手からきた修学旅行らしい高校生が、30人くらいのグループに分かれていろんなところでガイドさんの説明を聞いている。事前に電話で折り鶴のお供えできる場所を確認しておいたので、まずは原爆の子の像のところで大きなナイロン袋から折鶴を取り出してお供えをする。修学旅行生も事前に調べてあったのだろう綺麗な千羽鶴をお供えする様子を専属の写真屋さんが写している。

 平和公園はおおくのひとがそこここにいるのに深閑としている。広い公園の樹木の枝先までもが世界中の平和を願う心をしずかに潜めているように思える。
 平和公園が世界遺産に登録されるまでは、平和公園は広島市民の身内や隣人の霊をなぐさめ、広島の「世界の恒久平和」という願いを込めた、広島市民の公園だった。しかし昨日は、平和公園を歩きながら、平和公園が世界中の「世界の恒久平和」という願いもつ數限りないひとびとの気持ちを汲み取る公園になっていることを感じた。

この記事のURL | 未分類 | コメント(6) | TB(0) | ▲ top
| メイン |