『愚の力』
2011/03/21(Mon)
 大谷光真著 『愚の力』 を読む。

 大谷光真 1945年生まれ、東京大学文学部卒業。龍谷大学大学院修士課程終了。東京大学修士課程終了。77年、浄土真宗本願寺派第24門主。

  この本は東北関東大震災の遺体の収容もままならない中、福島原子力発電所の放射能漏れの重大な懸念の中、避難者の過酷な生活が報道される中で読むこととなった。
 私たちは、この惨状をテレビでの報道で日夜見守りながら、被災者の苦しい心のうちを分かち合うということくらいしかできない。

 この書は、人間の有限性について、それをあるいは末通らない(すえとおらない)ものとして、あるいは悪人として、愚であることへの自覚を促している。

 有限性ということでは、このような災害に対して、すべての人を救出できない。救出しやすい人からしか救出できない。あとは祈るということしかできないのである。自力に限界があるということである。
 末通らないということに、災害のときの緊急医療でのトリアージという作業の例が心にしみる。被災された方には慰めの言葉もないが、どうにも助からない人や、軽症の人はタグをつけて医療の対象からはずさざるを得ない。はずされた方はまことに気の毒だが、宣告する側の心理的な苦痛も大きい。このように人は徹底してやり遂げるということができないということである。
 あるいは悪人(自分の力で仏になるべき能力や素質がそなわっていない)として、愚である自分に向かい合うことから逃げない、他人事ではない「切なる生き方」を求める。

≪親鸞聖人がはじめて関東の地に立たれたとき、目の前の悲惨な飢餓を見て、浄土三部経を千回読もうとされました。何とかしたいけれど、何もできない。何もできない自分にいたたまれなくなって、お経を読んでみようと思い立ったのですが、やがてこれはごまかしだと気づいてお経を読むのを止めました。≫



 浄土真宗とはなにか、と考えるとき、鎌倉幕府の立ち上がる前後のことは、今では想像もつかないが、疫病や飢饉、政情不安のなかで翻弄して苦しむ親鸞聖人を知り、その心に寄り添えることが浄土真宗を少しでも理解することにちかずけるんだと、あらためて教えられる。
 


 

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「漱石の悲しみ」
2011/03/18(Fri)
 『司馬遼太郎講演全集』Ⅲのなかのひとつ。

 明治は文章の大混乱期。そのなかで漱石は、現代、だれが書いても通用する文章をかき、文章の混乱期をおさめさせたと位置づける。
 『坊ちゃん』は、式亭三馬のにおいがある。式亭三馬には人のくせをテーマとしてかく。「親譲りの無鉄砲で」と「江戸っ子の正義感」というふたつのくせをテーマとし、江戸時代の日本風土の中での小説の伝統にのっとってかいたという。
 その話をされるのが自身いやだったという『草枕』は美文調で、当時、口語でありながら、文語の彩りをもつ作品に世間は感激したという。
 漱石の本領とでもいうべき『三四郎』は明晰な文体でかかれている。行動派でなくて徘徊派。試しつ、眺めつ、行きつ、戻りつ、徘徊の楽しみを知っている。三四郎の性格は漱石の分身だが、熊本から東京に出てくる。その東京は新文明の発祥の地で日本で唯一の配電盤機能を果たした都市だったと司馬遼太郎は当時の東京をかたる。

 漱石は英語の語学のためにイギリスの留学し、大学の講師をしていたが、新聞社から話があったのでやめてしまった。明治時代という立身出世の時代に出世というカードを全部持っていたのに全部捨てた。
 菫ほどな小さき人に生まれたし
という句を残してその心境を吐露している、とのべる。
 ずいぶん昔のことになるが、漱石の作品の解説などを読んでいたことがある。
 読んでいくにつれて、週刊誌の芸能記事を読んでいるような気分にもなりだして、興味が薄れていった。
 おそらく司馬遼太郎も何らかの理由で興味が薄れていたのであろう。しかし、読み返してみて、の解説を承ると、ちがった漱石が見えてくる。というより、偉大な作品群にあっとうされて、漱石への理解ができていなかったことに気づく。
 いま、司馬遼太郎の作品解説を読んで、漱石の作品が日本の言語文化に及ぼした影響について考える。
 



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「秦氏の土木技術」
2011/03/15(Tue)
 『司馬遼太郎講演集』Ⅲより
 
 奈良時代以前から、朝鮮半島から日本に移民してきた人々の中には中国人だと名乗る人がおおいいという。
 これは、文明的に中国圏内にあったということで秦氏も秦の始皇帝の子孫であるなどと名乗っている。
 四川省が秦の領土になったのは始皇帝のかなり前の時代からで、紀元前2世紀のころ秦は蜀の地に大きなダムを作る。都江堰(とこうえん)と呼ばれるダムで本流の横にあらかじめ空堀を掘っておき、中洲を作っておいた急流である本流から分流させるという方法で枝流を作り、いまも50万ヘクタールの農地を潤しているという。
 このダムについてケンブリッジ大学の教授によって書かれた『中国の科学と文明』という本の図面と解説を読んで、司馬遼太郎はこのダムを見学に行ったという。このダムのを展望できるつり橋からの眺めが、京都の嵐山に似ているという。嵐山には、渡月橋がかかっていて下には保津川の急流が流れている。中州があって一部が嵯峨野の方に細々と流れている様子が都江堰(とこうえん)の眺めと似ているという。
 これら、古代の山城国を開いたのが秦氏である。
 その潜在的な王様のような人、秦河勝。この人については聖徳太子のパトロンとして歴史に名をはせるので、それによって、秦氏の技術力を基盤にした巨大な経済力が明らかになるのである。

 この「秦氏の土木技術」という講演は、播州、姫路において開催された公演で、この播州も秦氏によって開かれた地であることを知っていただきたいということであった。

 東北での大地震と津波による被害で、これから土木作業が始まる。
 日本は建築土木立国とも言われる。高度の技術力によって復興の槌音が響いてくることになるだろう。災害地の人々に復興した大地での恙無い生活が一日も早くできるよう願ってやまない。
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「心と形」」
2011/03/10(Thu)
 司馬遼太郎が、1990年 東北大学医学部同窓会での講演記録に大胆な加筆をしたもの。

 日本が世界の中ではきわめて臓器提供者が少ないという課題についてである。

 日本の風土の中で、臓器提供を拒む風土について検証していく。

 日本人が、死者を仏様としてあがめる風土についてである。

 キリスト教が「霊と肉」を主張するのに対して、五蘊をいう仏教はどうか。

   ※五蘊 ①身体 ①感覚・感情 ①表層(心に浮かぶ像)①意志 ①識 五蘊皆空=無我
   ※無我 我ならざること。我を有しないこと。われというとらわれを離れること。我でないもの       を我(アートマン)とみなしてはならないという主張。われという観念、わがものとい       う観念を排除する考え方。アートマンは存在しないこと。霊魂は存在しないこと。
       出典は中村元著『仏教語大辞典』

 仏教を、鎌倉仏教いわゆる浄土宗・浄土真宗と、それ以前。そして、仏教が寺領でやっていけた時代と、寺領がなくなった明治以降に分けて考える。

 鎌倉仏教以前の仏教は宗教というよりも多分にそれは哲学であった。そして鎌倉仏教いわゆる浄土宗・浄土真宗になって救済をいうようになって、仏教は信仰に変わり宗教になった。そして、寺領を失った仏教は僧や寺が食べるために教義を変えた。

 仏教は凛として「霊魂は存在しない」と無我の概念はいっている。

 ≪人間はたれでも生死のことばかりは片時もわすれないのですが、といっておおくの人々はふかくは考えません。当然なことで、そんなことを考えるのは「風土」の役割なのです。私どもはその、「風土」にその課題をゆだねているのです。・・・・・しかし、その「風土」が、脳死・臓器移植の問題の前で、そ知らぬ顔をしています。よく考えてみれば、私どもは「風土」を長年耕さず草をはやしてきました。

 荒削りな文章になったが、臓器移植を考えるにあたり、宗教とその教義に改めて触れられたことで身が引き締まる思いがしたと同時に、書き表されてはいないもののキリスト教の「隣人愛」にも触れられたきがして救われた気もする。

 臓器移植も事例を重ねて他人の臓器で生きる人たちのデータも重ねられていき、どのような展開を見せるかはわからないが・・・・。
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「義務について」
2011/03/06(Sun)
 1990年 イギリス・ロンドン大学ローガンホール においての、司馬遼太郎の講演記録。
 
 「義務」という言葉は明治の西洋化に伴って訳語として即席に作られた。
 「義務」の義は ”正しいことを、打算や本音を超えてやること”という意味が入っていて、司馬遼太郎はうまい訳だと評価する。

 西洋においてこの義務という概念が最初に見受けられるのがオランダとならんでイギリスだといっている。
 英国人の国民的性格は、ざっといえばプロテスタントが作ったものであり、そしてもうひとつ毛織物工業がさかんで、それを売るための貿易という大商業、ビッグ・ビジネスがさきがけて起こっていたことをあげている。
 ビッグ・ビジネスは組織がやることなので、それに参加している個々のひとびとは給料制で、ビジネスの部分的機能を果たさねば、ビジネス全体が、故障した機械のように動かなくなるということを最初に知った国民の中に入る。
 当時、カトリックは『聖書』は教会が持つもので平信徒に読ませたりするようなことはせず、教会という問屋をとうしていたが、プロテスタントはたれもが『聖書』をもち、たれもがそれを読み信徒がじかに神と結びつこうとし、厳格に自分を律していた。
 
 世界は、15世紀末から詳しくは1493年5月4日、ローマ教皇の勅書によって、地球があたかもりんごを二つに割るように西経46度37分で領有権を分けてしまいます。日本人がまったく知らぬ間に、日本はポルトガルの領有に入ることになり、ヨーロッパ人としてはじめて日本に上陸したスペイン人のザビエルは同時に日本を大天使ミカエルにささげたのです。

 しかし、1588年ドーバー海戦において、「いま自分はなにをすべきか」と考えることのできる英国人の国民性は貧弱な商船で、分け前主義で、カトリック教国の「太陽の沈まぬ国」としてヨーロッパ世界をおおう大帝国であったスペインの無敵艦隊を打ち破ります。

 この海戦での商船の艦長の一人がのち、オランダの貿易会社に雇われ、関が原の戦いの年に、初のプロテスタントとしてオランダ船デ・リーフデ号で、惨憺たる航海の末豊後の湾に入り込み、のち徳川家康に気に入られ旗本になる三浦按針ことウイリアム・アダムズなのです。

 日本は、武士道を土台にして「義務」を育てたつもりでした。
 しかしいまどうでしょうかと結んでいる。
 義務を「納税の義務、兵役の義務、教育の義務」といった国家から拘束性の強い言葉としてではなく、ナポレオン治下のフランスとスペインの連合艦隊と戦って戦死した、ネルソン艦長の最後の言葉「私は、私の義務を果たした」のように、「そうすることが、私の義務ですから」と、ゆたかに、他者のための、あるいは公の利益のための自己犠牲の量を湛えて存在している精神像以外に、資本主義を維持する倫理像はないようにおもう。と述べている。

 こういった著書に触れることができたこと。私の人生を芳醇にしてくれる読書だった。

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『潮騒』
2011/03/02(Wed)
 三島由紀夫著『潮騒』を読む。

 読み進んでいくうち、これは以前、読んだ小説だと思った。
 ふるさとの外を知らなかった自分の原風景のようなところでおこる、男女のつたなくも生活に根ざした恋愛小説のようだ。
 『愛の渇き』は大人の愛を描いていたが、若者の初恋を描いてすがすがしい。

 本は新潮文庫。後ろに、「三島由紀夫 人と文学」と「『潮騒』について」と「年譜」がある。これを読んで三島由紀夫の人となりや作品に違った角度で親しむことができた。

 それにしても、こんなに読んだことを忘れるのかとの思いもして、自己不信がいよいよましてくる。
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