「永富家」
2011/05/17(Tue)

 5月の連休、夫婦で播州を旅行した。
 もともと「永富家」は旅行の計画の予定になかった。

 3日の早朝、中世の龍野城は鶏籠山の山頂にあったとのことで、その山頂に登り、山頂より、豊臣秀吉が攻めてきたときの様子を想像しながら揖保川を眺める。下山して、山懐の近世の龍野城の周辺と城内を見学。そして龍野市立龍野歴史文化資料館に入館。
 その平屋建ての龍野市立龍野歴史文化資料館がまわりの借景によくなじんで、その外構もまわりの空間に調和していてすっきりと美しい。
 これまで見たことのある博物館や美術館では、大山祇神社前の美術館と美しさにおいて双璧だねなどと夫婦で話す。石に刻まれた「龍野市立龍野歴史文化資料館」の文字にもうひとつ「鹿島記念」の文字があったので、入館料を支払うときに「鹿島記念」とはなにのことですかと職員の方に聞いてみた。すると、鹿島建設の関連会社から建物の寄贈を受けたのです。ということで、さすが施主と施工者が同一人物でそれが鹿島建設というのだから超一流なはずよねとも言ったりする。その鹿島建設の社長だった鹿島守之助氏がこの龍野市の出身で、「永富家」から鹿島に養子にはいったのだそうだ。揖保川をくだったところに国の重要文化財に指定されている「永富家」がありますよと教えてくださった。
 なにはさておき行くことにする。
 
 パンフレットには
 ≪・・・17世紀の「永富家」は大地主で、庄屋をかねておりました。寛文12年(1672年)に脇坂氏が龍野の領主となってからは、藩に金を融通したり、あるいは年貢を大阪へ積み出す事を請け負うなど藩主も一目おく存在でした・・・。≫

 とあり江戸時代の民家を今に残しているのです。
 
 この「永富家」の歴史的、民俗学的などいろんな見所があったのですが、私は特にその運営姿勢に惹かれてしまいました。
 このたびの旅でもいろんな施設は公設公営がほとんどだったのですが、職員は公務員です。わたしも公務員のはしくれとしてその運営姿勢の見事さにかなわないものを感じました。
 まずは徹底して掃除が行き届いているということです。掃除になによりもお金をかけていると思えます。
 「永富家」のトイレは立ち入り禁止になっていましたが、管理人住居らしき棟との間にあるトイレは高級ホテル並みでした。
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