『北斗の人』
2011/06/25(Sat)
司馬遼太郎著 『北斗の人』 を読む。

 つい先ごろ読んだ、司馬遼太郎著の『十一番目の志士』同様、活字が小さいのでくたびれる。『十一番目の志士』ほどの長編ではないが疲れた。
 疲れるのはわかっているのにやはりおもしろいので止められず一挙に読み終わる。
 千葉周作の12歳ぐらいから、剣の道を修め、お玉が池に千葉道場玄武館を出現させるまでの物語である。
 最後に略譜として、それからの千葉道場と千葉一族、それらが幕末に与えた影響などについての解説がある。
 小説のところどころに、千葉周作みずからの記録も引用してあり、千葉周作が間近に感じられてうれしい。
 千葉周作の短歌や俳句があるのを引用しておく。

  思はじと 思えばまさる起き臥しに
    なほ思はるる君が面影
  (女性のことがちらほら気になり始めたころの歌)

  ここは別 伊香保の原や夏の月
  (他流道場から恨みを買いその戦いに心血を注いでいるときの句)

  春風や駕籠のすだれを吹きあげて
   花ぞ散りこむ東路の旅
  (上州から江戸へ、江戸から西へ道場破りを果たし北辰一刀流に  
   自信を持ち江戸で道場を開くことを決意して駕籠にも乗ったり
   気分も軽く江戸に向かっている途中の歌)
 
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『あじさい日記』
2011/06/17(Fri)
渡辺淳一著 『あじさい日記』 を読む。

 昔よく言っていた、テレビの『昼下がりの熱愛ドラマ』さながらの内容。
 開業医の院長をしている川嶋省吾。
 夫婦の倦怠とでも言うべき時期に、自分の寝室のクーラーが壊れていたために妻の寝室のベッドで休んで、ベッドと布団の間に妻の日記帳『あじさい日記』を見つける。
その日記に夫が浮気をしていることへの想いが綴られている。自分の浮気に苦しむ妻の心情は理解できるものの大目に許して欲しいとの思いは変わらず、以後、仕事と浮気で忙しい合間を縫って妻の留守中にこの日記を読まなければ落ち着かないという心境になり、内容はほとんど妻のあじさい日記になる。
 苦しむ妻は、世間の夫婦のありようについて考えたりしながら、その心境を気のおける友達に相談してみる。納得できる忠告の中でひとつ、少し家庭のことばかりでなく自分のたのしみに生活を広げるようといわれて、昔卒論でやっていた『源氏物語』をもういちど深めてみたいと思い大学での先生の『源氏物語』を読む会に参加する。10歳近く年上の講師と金曜日の例会のあと毎度食事をして、『源氏物語』の資料をかりに研究室に行ったり、源氏物語絵巻の展示会に一緒に出かけたりするうちに深い中になってしまう。
 そのことにやきもきしながらもさらに読み続けていくうち、自分は浮気相手に飽きられ、妻も先生に妻子がありそれをなにより大切にしていることを悟って熱が冷め夫に対する生理的な嫌悪感もなくなっていくところで日記は終わる。そして小説も終わる。
 
 小説中、『源氏物語』の先生が男女の機微について解説をしているところが大変おもしろい。ほとんど覚えていないが、若いころ読んだとき、女三宮がなんとなく好きだなっと思っていたのを思い出し、その辺の解説を注意深く読む。日記の中に、若いころ読んだときとはまったく違った感想を持つと書かれてあったが、作品は読む人の鏡のように思える。

 
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『十一番目の志士』
2011/06/13(Mon)
司馬遼太郎著 『十一番目の志士』 を読む。

 天堂晋助、彼がこの小説の主人公である。
 幕末の長州の刺客として登場するのだが、初めて聞く名前で気になる。
 気になるが長編ながら面白さに引かれて久しぶりに暇さえあれば読んでいるという読書をする。
 読み終えて、やっと調べてみると、架空の人物であるという。
 歴史家の中にも実在の人物だと思い込む人もいたというほどの描きよう。
 そして、この作品がNHK大河ドラマ『花神』になったとのこと。

 小説中、高杉晋作に出会い、勝海舟に出会い、坂本竜馬に出会い、西郷隆盛に出会い、新撰組の幹部や騎兵隊の幹部、時代を代表する人達に次々と出会い、それぞれの人たちの考え方や特徴をよく言い表している会話をする。

 時代小説のような面白さでありながら、幕末の江戸・京都・大阪などの各地、各藩の様相を的確に描写してある点ではやはりれっきとした歴史小説で、大阪夏の陣いらいはじめて幕府に反抗して幕府軍を派兵させた戦った長州の志士の思いを存分に味わうことが出来た。
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下関への旅 1
2011/06/07(Tue)
 記録が遅れてしまったが、5月22日の日曜日、夫と下関に行った。
 目的は長府博物館。
 ここを訪ねるのは3度目で、「3度目だから少し歩こうか」と2号線沿いの観光会館から、横の小川に沿って川上へ歩き始めると武家屋敷があったり、桂小五郎の生家があったり、毛利邸があったりしてまもなく長府博物館のある功山寺にたどり着く。
 毛利邸は萩の分家とはいえ、たたずまいや、部屋割り、贅沢を嫌った毛利家ゆえの藩主の重みを感じる。
 あまたあるどの部屋にも床の間や部屋に合った花器に生花が生けられており、それらが屋敷の庭園や裏山にあるものが素材になっていることにも落ち着きが感じられる。職員の女性の方々もそれぞれがこんな色に落ち着きましたというように紺色の作務衣を身に着けておられるのも奥ゆかしい。
 初めてたずねた毛利邸ですみずみまで見せたいただいたので、少し疲れた。
 長府博物館のある功山寺では疲れが出て気もそぞろ。七卿落ちの絵しか記憶に残らなかった。館長に会いに行った夫は平成25年までにお寺を出たところに新しい博物館が建つのだという。こんなに手狭な博物館で展示物にも限りがあるのにとにかく外に出て緑の境内に身を置きたかった。

 もとの小道を観光会館に向かって下っていると小川にたくさんいるアヒルがおなかがすいている様子なので、車からドーナツをもっていってアヒルにあたえる。すると、川の中のアヒルがまわりにいっぱい集まってきた。それならもう少しと車にドーナツを取りに行こうとすると全員駐車場に上がってきそうな気配。アヒルの大群と車に近づくと夫は大笑いするし、気づかれたみやげ物売り場の人はほかのえさを持ってこられしで皆で大笑いだった。
 
 昼食は二人して唐戸市場で、対岸の門司港を眺めながらウニとイクラ山盛りの海鮮どんぶりをいただく。この唐戸市場やその周辺には観光客があふれかえっていて潮風にあたりながらあちこちで海鮮料理の昼食を楽しんでいる。
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『追憶 悠久のはらからよ』
2011/06/04(Sat)
 加川イツ子著 『追憶 悠久のはらからよ』 を読む。

 著者の加川イツ子さんは、昨年80歳になるのを機に、自分の子どもや孫たちに、第二次世界大戦で若くして亡くなった兄と弟のことを知ってもらいたいと思って書き記しましたとこの冊子を貸して下さった。
 20歳のお兄さんは、1937年7月7日、20歳で召集された。広島の歩兵11聯隊の兵舎に48歳の母と8歳の自分とで会いに行ったとき、よく来たねと抱いてくれ、これから「中国」に行くと言い、9月には戦死の公報がとどいたとのこと。
 そして、12歳の弟さんは、1945年8月6日、12歳で県立工業(今の皆実高校)の生徒として建物疎開作業に動員されていてほぼ爆心地にて被爆死された。
 
 加川さんは短歌を詠まれていて、中国新聞にもいつも投稿掲載されていた方で、三滝寺の参道にも真樹の歌碑があり、
 「学童の一群れここに焼くという四方より小さき骨を拾いぬ」
 という、加川さんの歌も刻まれているという。

 最近古文書にはまっている夫が、まずは私に「なんて読む?」と聞くが私もわからないことが多い。若いころ知り合った古文書解読の会の知り合いに教えていただこうと、たずねていたらもうほとんどそのころのメンバーの方は亡くなられているとのこと。それではと、いま一番読める人を紹介してくださった。なんとその方が近所の方で、最近「いきいきサロン」で顔見知りになっていた加川さんだと聞いて驚くやらうれしいやらで、何かと一人暮らしでおられるのをいいことに解読に付き合っていただいている。

 12日、九州熊本から昨年尋ねた夫のお友達が来広される。そのとき三滝寺を案内することになっている。加川さんの歌が刻まれている歌碑に会えるかもしれない。
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『発心集』
2011/06/03(Fri)
鴨長明著 『発心集』 を拾い読みする。

 調べてみると『発心集』は第八までありそのひとつひとつに10数個の話があり全部で102の話がある。
 仏道に発心するという仏教説話。
 最初のほうの発心の説話は徹底している。
 徹底した世捨て人が語られる
 もし東日本大震災いぜんであったら、このように徹底して世捨て人となれる人に憧れただろと想う。
 しかし、この東日本大震災によってこれまでの自分の甘さに気づかされる。
 東日本大震災では、発心しようと思わない人々が世を失ってしまったかの実態がある。自発的に世を捨てるということと、世がなくなってしまうということは違う。
 発心することは一体どういう事なのか改めて考えさせられる。
 そんなことを想っているとき、第四の9話で「武州人間河(いるまがわ)沈水の事」という話に出会う。人間河(いるまがわ)とは、武蔵野国荒川の上流に当たるのだそうだが、そのあたりのある管首が、大雨の夜、大きな怒涛とともに家が流され、屋根から泳いで逃げて夜が白み始めたころ偶然浅瀬に流され一命を取り留めた。回りには多くの人や馬牛の死骸があり。と読むにつれこのたびの津波の様相を連想させる。
 この説話も、もし東日本大震災がなかったら、このようにリアルに疑似体験できるほどに読めなかったのではないかと想う。
 何につけても東日本大震災が頭から離れない。
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