『ひとびとの跫音(あしおと)』下
2011/08/28(Sun)
司馬遼太郎著 『ひとびとの跫音(あしおと)』下を読む。

 拓川居士
 阿佐ヶ谷
 服装、住居、あるいは金銭について
 ぼたん鍋
 尼僧
 洗礼
 誄(るい)詩

 こう目次を記してみると、どうにか内容の整理が付きそうだ。

 司馬遼太郎のこのような作品にはまったく初めて出会ったような気がする。
 今までの作品は歴史上の人物をえがいたものを読んだのがほとんどで、この作品では正岡子規にかかわって正岡家の養子である正岡忠三郎を中心として、その家族、親兄弟そして友人のことを、あるいは付き合いを通して、上下2冊にわたって書き記しているのである。
 
 司馬遼太郎がよく訪ねたのは、忠三郎であり、忠三郎亡き後の忠三郎夫人のあや子さんである。そして、忠三郎と司馬遼太郎をよく訪ねたのがヌヤマタカジであり、その亡き後連絡を取っていたのがタカジ婦人である。

 その、交流の中にあって、語られる人物像には大変興味がある。ついついつられて、2冊とも読んでしまったのである。

 ヌヤマタカジは共産党員として長年刑務所にいたことがある。その刑務所暮らしというものが、彼が部屋の隅に行ってひとつのことをじっと考えたり、蓋つき便器にすわってじっと本を読んでいた性癖から、入院してもベットのそばにあるいすにじっと腰掛けて本を読んでいたりする様子があるが、これは私も似たようなことになろうかと思うが、彼のように何かの思想に酔っていなければいけないというようにはならない気がする。
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『みみをすます』
2011/08/21(Sun)
谷川俊太郎著著 『みみをすます』 を読む。

詩集を読むことはほとんどない。
私にとって詩はむつかしく敬遠してしまう。
たまたま職場に老眼鏡をかけないでも見える大きな文字でつづられたこの詩集があった。
開くとすぐに

≪みみをすます
 きのうのあまだれにみみをすます

 みみをすます
 いつからつづいてきたともしれぬ
 ひとびとのあしおとにみみをすます

 ・・・・・・・・・・・・・・・≫

ちょうど司馬遼太郎の『ひとびとの跫音』という本を読んでいた。
江戸の末期松山藩に加藤恒忠という漢学者がいた。早くに父親をなくし小さいながらも戸主である甥の正岡子規の後見人でもあった。加藤恒忠が藩主に伴ってヨーロッパにいき、ベルギィー滞在中に生まれた三男の忠三郎が子規亡き後正岡家の養子になる。その忠三郎は生家をきらい、正岡家にもなじめず、それでも精一杯養子としての任務を果たす。そんな忠三郎ももなくなる。保管のよい正岡家の人々のことを残された書簡や短冊などを忠三郎の未亡人のあや子からも聞くという内容と、この詩の
≪いつからつづいてきたともしれぬひとびとのあしおとにみみをすます≫という文言が耳に吸い付くように聞こえてきたのだった。

この詩は16ページもつづいて、さいごに
≪みみをすます
 きょうへとながれこむ
 あしたのまだきこえない
 おがわのせせらぎにみみをすます≫ となっている。

そのほか「えをかく」・「ぼく」・「あなた」・「そのおとこ」・「じゆうにつき」がある。

よくわからないけど、どの詩も太古の昔、どこへ続くとも知ることのできない未来。
せわしいせみの鳴き声の中で、そんなことをじっとみみをすましてきいている。
そんな感じのすてきな詩集だった。

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『世なおしトークあれこれ』
2011/08/21(Sun)
美輪明宏著 『世なおしトークあれこれ』 を読む。

 スポーツニッポン新聞で、2005年11月から2006年12月まで58回にわたり連載されたものを書籍化したという。

 意外な感じがした。
 もっと軽いタッチのもので夏休み少し優雅な読書でもと選んだはずなのに。
スポーツニッポン新聞の愛読者は、たくさんの記事の中にこの記事をさらっと読むぶんには清涼剤になるかもしれないが、こうしてまとめられるとしっかり著者の主張が浮き彫りにされる。

 たとえば「刑の重さについて」では刑が軽すぎて抑止力にならないことを憂いている。

 ≪今なぜ残忍な犯罪が増え続けているのか、それはやみくもに「死刑反対」を唱えるえせヒューマニスト、えせ弁護士、えせ人権団体のせいなのです。・・・・・・無駄に罪を犯すのはおよしなさいという「抑止力」になっているのです。悪いことをしたのだから、自分の命を差し出しなさいということや、「みせしめ」のためでは決してないのです。≫

 少し前 『少年にわが子を殺された親たち』を読んで、被害者の家族のそれからの人生が必ずや止まってしまう、あるいは家族崩壊を招くこと気づかされたばかりだ。
 身近で、少年による殺害事件が起こったときのことを思い返してみる。死んだ子供はどうしたって生き返らない。犯罪を起こした子どもはそのまま中学校に通学している。検察は少年の犯した犯罪は面倒だからほとんどの事件を闇に葬り不起訴にしてしまう。中学校側は犯罪を犯した少年の人権について重きを置き、さらに事件を見ていたわけではないし、被害者に同情しつつも犯罪を犯した少年の対応に追われる。他の保護者たちは、被害者は気の毒だけれど、自分の子どもが同じような事件を起こさないとも限らないという複雑な心境になり、被害者への思いが止まってしまう。
 
 しかし、著者がこのあたり両方の思いを深く冷静に見つめていて、考えさせられてしまう。私は自分のことをえせヒューマニストとまでは思わないまでも、困難によって強くなれると思うことで被害者の心の闇に目を向けないようにしていた自分が如実になる。

 日々子どもどうしのトラブルの中に身をおいているが、やはりいま、加害者の対応におわれ被害者を見過ごしていることがほとんどだ。
 トラブルの質にもよるが、今までの職場では、被害者に同情の態度を見せれば、加害者は自ら深く反省をするというパターンで解決できてきたが、今の職場では、加害者の状況が平常を逸脱している状況がほとんどで、双方の保護者を交えた対応におわれ、被害者の心のケアーにまでは手が回らないと思っている。
 著者は、親の育て方に問題ありとも言い切る。これも私は今まではそのように考えたことはなかった。親に問題があったとしても、問題は今ここで起こっていることなので、ここを管理する自分たち指導員に問題があると考えて対応していた。しかし、いま問題は外から持ち込まれていて問題が何なのかわからない気がするときがある。自分が年をとったせいなのかなどとも考えたりする。

 今日の工作をしながらの子どもの会話
 A君「先生、僕のお母さんはいつも仕事で建物の設計をしてるんよ」
 Bさん「うちのお父さんは大工さんなんよ」
 A君「ええ、そうなんいいね。設計するより、作るほうがいいよね。いまどこで作ってる?」
 Bさん「C町におるんよ。」
 A君「じゃあ終わったら帰ってくるね」
 Bさん「帰ってこんよ。離婚しとるんじゃもん」
 A君「・・・・・・じゃあ、それはお父さんとは言わんじゃあ・・・」
 Bさん「・・・・・・・・」
 二人がどんな表情をしているのか、わたしはうつむいたまま工作をしていた。

このように、なんでもない会話の始まりがいつも深刻な方向に行く。美輪明宏ならこんなときなんというのだろう。・・・・。
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『ひとびとの跫音(あしおと)』上
2011/08/12(Fri)
司馬遼太郎著 『ひとびとの跫音(あしおと)』上 を読む

書名の「跫音」の文字には「あしおと」とルビを打ってあるが、書中の漢字にはルビがなく読めない漢字が多かった。
もし冬にでも読んでいたら辞書など引いて司馬遼太郎の文字使いを楽しんだかもしれないが、今は夏真っ盛り。なにしろ脳みそが煮えくり返るような暑さなので読めない漢字も知らん振りをして読みすすんでいく。
『坂の上の雲』の主人公、正岡子規、秋山兄弟のご子息。なかでも正岡家の養子、正岡忠三郎について書かれている。
正岡忠三郎は正岡子規が亡くなった年の明治35年に生まれ、昭和51年75歳で亡くなった。そのときの葬儀委員長が司馬遼太郎である。
また、忠三郎夫妻の仲人が秋山好古の長女の健子さんだという。
正岡忠三郎は、子規の外叔父加藤恒忠の三男で、13歳のとき子規の妹、律の養子になった。父は高等官であったし、母の実家は医師であったが、父がベルギィーで奉職中に生まれ、彼は両親と縁がうすく疎まれあげく何度か落第したりして、学資をすべてまかなってくれた律にも当てにされていなかった。
この忠三郎夫妻と司馬遼太郎の交流、忠三郎の友人の、ぬやまたかじ夫妻と司馬遼太郎との交流。そんなことが司馬遼太郎が正岡子規やその家族母八重や律を語るについてなんともいえない味になっているのかなと思える。

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『少年にわが子を殺された親たち』
2011/08/05(Fri)
黒沼克史著 『少年にわが子を殺された親たち』を読む。

このたび転勤した施設では今まで経験したことがないほど子どもの暴力が横行している。「まだ落ち着いたほうなんですよ」と以前からの職員はいう。

夏休み学校でのプールが始まって、監視員からクレームがついて、保護者に伝えられ、クレームがついた子どもの保護者がわが子にプール使用を禁じて、3人は泳ぎにいかなくなった。

プールでの出来事。こんなことを考えていて、ふと、以前川で溺れ死んだ子どものお母さんからいただいていたこの本のことを思い出して手に取った。

ずっしりと重たく、硬く閉じられ開いた感じがない。しかし、次に逢ったときのコメントのことを考えてか、私の文字で感想を書いたメモが挟まれていた。読んでいたのだ。

1985年の7月20日の出来事なのに、溺れて死んだ子どもの家族をよく知っているだけに、そして、転勤で毎日事故現場を眼下に見て通勤しているだけに、読めば読むほどつい昨日のことのように思われてくる。そして、この両親に丁寧に付き添わなかった自分は取り返しのつかないことをした深い自責の念に駆られる。

O君は4年生、夏休みになる終業式の日、少し成績が上がったので父親に買ってもらった釣竿とお母さんに作ってもらったおにぎりをもって友達3人で太田川の大岩に釣りに行った。O君はもともと泳げなかった。そして溺れて死んだ。

 いつもは家に居がちな母親は、その日、クラブ活動に参加している中1の次女に弁当を届けることと、中3の長女が希望する高校の見学に行くことになっていた。父親は羽振りのいいタイル工務店を経営していて1時間くらいのところの現場で働いていた。二人とも報を聞いてすでに亡くなっているとは知らず病院に駆けつける。

 ところが、一緒に釣りに行っていた2人の子どもの証言から、近所の中学生4人が来て中のH君が、O君に水中眼鏡をかけさせもぐることを強要し、水深4メートルの川に腰を押して入らせた、O君は立ち泳ぎをして、岩に手をかけたがH君が手を払いのけ顔に水をかけた。そして竿も流したことがわかりA君本人もそれを認めた。

ところが、事故検分をした警察は、A君のかかわりを否定した。

このことから起こる遺族の悲しみと悔しさとわが子に対する自責の念と、A君とおなじ中学に通う長女・次女への他の子どもたちの冷たい視線やいじめに苦しむことになる。

帯に
≪事件の真相さえも知らされず、加害少年たちだけが守られる。この理不尽がなぜ許されるのか?少年法の陰に置き去りにされた六つの家族の物語≫
とある。 

1991年2月26日と27日、A君に関する地裁判決と警察に関する地裁判決が下る。

1998年週刊文春に『少年にわが子を殺された親たち /怒りの実名座談会』と題して2週にわたる記事を読んで「須磨事件シンポジュウム」に参加したことをきっかけにこの本にO君の事件が掲載されるのである。

著者はO君の両親の言を忠実に書き記している。ご両親を知っているだけに「そういわれたでしょう」と思い涙ながらに読んだ。

O君の姉、中3の長女が娘の友達であったことから、事件以後長女も母親も何度か我が家を訪ねられた。私たちはその後2度引越しをしたが、遺族も引越しをされずっと後になってその新しい家には私も訪ねたことがあった。地価の高価なところに大きく立派なお家と、広い資材置き場用の倉庫がおなじ敷地にあって、うわさどおりずいぶん慰謝料が入ったのかなと一瞬思った。しかし読んでみると、お金目当てに裁判を起こしたと世間から冷たい目で見られていたので、大きな金の要ることは結審よりずっと先に買ったとあった。理に負け(特に警察の対応に理不尽さがある)、情けに負けたO夫妻の意地であったのだ。そしてそのことを書き記したこの書だけがO夫妻の真実を物語る。

昨日は、仕事からの帰り、父親が7年間くらいほとんど毎日行ってみたという大岩に目をやった。遠く対岸の工場の煙突から煙が出ている。裁判での警察から提出された写真の虚偽を暴くために工場と大岩の水位をずっと写真に撮ったという。この会と著者に出会うまでの13年間時は止まっていたという。
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『五箇山ぐらし』
2011/08/01(Mon)
かつおきんや著 『五箇山ぐらし』 を読む

この本はこの春転勤して新しい職場の図書室の本棚にあったもの。散らかっている本棚を整理していたとき目にして以来ずっと気になっていた。
期待以上の書であった。
天保10年、前年の夏加賀の国石川郡一帯の田がイナゴの害を受けて不作だったために、年貢を減らしてもらうよう実地検分を願い出た。藩では聞き届けた風を装って8月26日に金沢の町外れの西念、北安江、南新保という3村をおそって村役を捉え皆得の見せしめのために拷問にかけ家財すべてを没収五箇村へ流刑にした。
そこまでが『天保の人びと』という本になっていて、この『五箇山ぐらし』はその続編と言うことだ。
越中の国城端町善徳寺の裏門から足軽に追い立てられて五箇山をめざす囚人西念の肝煎間兵衛以下5軒の家族37名のそれからの物語である。
物語の主人公は肝煎間兵衛の三男松吉という子供である。
五箇山とはどんなところか、行ってからどんな待遇を受けるのか、はたしてもう一度故郷へ帰ることが出来るのか、大人たちのそんな話題から、仲の良い組合頭又右衛門の末っ子の正市と子供ながらのいろんな想像をめぐらす。
到着してみると、たくさんある合掌造りの大きな家に、それぞれ家族ごとにあずけられることになり、松吉はおばあ、かあか、おとう、の4人で作助じいのところに預けられることになった。作助じいは丁寧に迎えてくれた。意地悪だと思えたほかのばあばと仙吉も肝煎間兵衛家族がまじめで働き者だということがだんだんわかってくるとしだいに心を開いてくれるようになり、収穫が一段と増え、生活も楽しくなってゆくことに喜びさえ感じてくれるようになる。松吉たちは働くことを通していままで経験したことのない米作り以外の生産活動を体験してゆく。
もともと五箇山は加賀の国の武士の流刑地であった。一人の武士が作助じいのところにお預けとなってくる。この武士とも最初はかかわりにくかったが次第に理解しあうようになり松吉たちは武士の考え方をも知るようになる。武士も自分の生活力や現実離れした学問に疑問を抱くようになり実践力のなさに一緒に働くようになる。
歴史的な出来事を子供の体験を通して語らせるこの物語に、厳しい境遇の中にも、希望や冒険や気づきがあり、物語に力強さを感じる。
このたびの、東北大震災でも、子供の目線での視点を持つことで自分たちのそれぞれの立場でのやるべきことをやり遂げなければとの思いがする。
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