なかなか治らない風邪
2011/10/31(Mon)
 風邪がなかなか治らない。
 本を読むのも気が進まず珍しくテレビ三昧の日がつづく。
 読みかけの本『立花隆「嘘八百」の研究』は結構タブーとされてきた内容が多く、実際、何の意図があって書かれたのかそんなことまで考えてしまう。
 ついでに、タブーなこととしていまTPPの問題がありそうだ。
 この論議は、まるで明治維新の尊皇攘夷の頃のことを思い起こさせる。
 尊皇攘夷が尊農攘夷に様変わりしたのかとの感を抱く。
 昨日縫い物をしながらそれとなくテレビでNHKを見ていたら、1963年?放映の大河ドラマ『花の生涯』第一回を再放映した。なかなか味のある内容と演技だった。この分だと、以後も続けて放映するのかと思いきやどうもそんな雰囲気でもなさそうだ。
 放映後、寺島実郎へ年配の女子アナウンサーが感想を聞いた。寺島実郎はこの『花の生涯』の最後、井伊直弼が刺殺された時の最後の言葉が、人生の中でずっと意味を持ち続けてきたことを述べた。
 世界の中で日本のおかれている立場や、時代、そのことを知らずそしてあまり考えもせずに軽率に尊皇攘夷などという行動をする若い者たちが残念である。などというような言葉であったらしい。もちろん、ここではいっさいTPPの文言など出ては来なかったのだけれど、なぜ今、この番組を一回分だけ再編集もせず、NHKがやったのかと不思議な気がした。もちろんわたしはTPPが大きな試練だとはおもうが反対と言うわけでもない。
 風邪気味な私の頭ではTPPにたいする啓蒙番組ではないかとも思えたのだが・・・・。

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『立花隆「嘘八百」の研究』パートⅡ
2011/10/27(Thu)
 菊池信輝著 『立花隆「嘘八百」の研究』パートⅡ 「田中角栄論」から「小泉純一郎評価」のデタラメまで

 闇将軍史観の“亡霊に”リベンジされた男 立花隆は「田中政治」の本質を理解していなかった!盲目的な”バラ撒き”政治の否定と闇将軍史観が、田中追究後の立花自身の“政治認識”に与えてきた致命的な影響とは?もはや元来が政治オンチだったとしか思えない知的怠慢ぶりを総括する!

 うかつにも風邪をひきこんでしまい、咳きと悪寒と、体のだるさが3週間も続き、寝るとお務めだけの日々での読書であった。
 2・3度読み返した。まず、横文字のおおさ。これに弱い私は何度か辞書を引く羽目になった。さらに、批判されている本や記事をほとんど全く読んでいない。そして、うかつにも田中政治から現在の野田政治までの政治的変動の流れが掌握できていない。この本を読むことによって、そういえばそんなことがあったようだったなどと間の抜けたことを考えていた。
 この記事の小見出しのを掲げる。

 [自分の仕事の粗悪なコピー]
 
 [田中政治は単なる“バラ撒き”ではなかった]

 [「構造改革」の暴走を促す立花的政治論]

 [ロッキード事件は“枝葉末節”]

 [「闇将軍史観」が曇らせた“政策への目”]

 [立花のオモチャにされたポスト田中政治]

 [官僚主導国家観のマボロシ]

 [思い込みだけの小沢一郎評]

 [全く理解されていない構造改革の流れ]

 [小泉は田中政治じゃないからいい?]

 [立花隆は時代の変わり目でつまずいた]

 この記事は、2001年、小泉内閣発足直後頃の記事と思える。
 記事の内容をようやくなどれた程度の読者である私も、小泉内閣の性格や仕事の全容が詳らかになってきたここにきて、この著者の先見性に気づかされる。
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『立花隆「嘘八百」の研究』パート1
2011/10/24(Mon)
浅羽通明著 『立花隆「嘘八百」の研究』パート1 立花隆「教養」とは東大生の「シケブリ」と同じだった!を読む。

この本は、パートごとに、そしてさらにその章ごとに著作者が違っている。
この本がどのようにして出来上がったのか(たとえば週刊誌の立花隆批判のキャンペーンに次々に書かれていったものを一冊にまとめたものだとか)本のおしまいの部分などを見るがわからない。

このパート1は一章のみで出来上がっており、立花隆の「知」の捕らえ方についての批判である。

[サル学と女子プロレスを区別する知的根拠とは?]では、女子プロレスなどには知的興味がまったくわかないと断言する立花に、立花隆の「サル学の現在」などという著書を対比させて、知的レベルを云々する立花隆に疑問を投げかける。

[化学啓蒙と下ネタ、鬼畜ネタ]では、この本を面白くしたのは、テーマにセックスと殺しの話題が突っ込まれて書かれ、立花隆の俗物性だと思うとのべる。

[サル社会に「高級」「低級」の評価をして何を伝えたいのか?]では、平和と話し合いを何より好み戦争と暴力は野蛮だから反対とすればで済んできた戦後民主主義の価値観を、サルの社会に投影する立花隆に疑問を抱く。

[類人猿に投影された“願望”の限界]
進化論的に人間に近しいサルを研究すれば、そこに我々の起源、本質を考えるヒントが必ず見つかるとの思いに、サル学の権威者もそれを否定しているとのべる。

[社会ダーウィニズムかワンマン社長の演説か]では、「知的好奇心のすすめ」では、自らの思想的願望を、現代では生得的行動という言葉で置き換えられている「本能」としてすりかえられていることへの問題点を提起する。

[その正体は老舗週刊誌的「知」!]立花隆が読書から得ることをすすめる「有効情報」とは、『週刊文春』『文芸春秋』で受けを狙うに有効な情報であるとする。

[「事実」(ジャーナリズム)は「教養」[思想]を代行できない]立花隆の『東大生はバカになったのか 知的亡国論+現代教養論』で「現代の教養テクネーとエピステーメー」なる新教養教育の青写真を提示しているが、これは、ベーコン、ダランベール、西周らの啓蒙主義者が描いた人類知の体系図だとする。

[立花隆は、脱シケブリ=荒野をめざせるか!!]
「事実」では、満足できなくなった我々が今必要としているのは既製品でない教養を形成してゆく主体的姿勢であって、立花隆の言うシケブり的な既製品の教養ではないと述べる

パート1を読みながら何が言いたいのかほとんどわからなかったが、このブログを書くに当たって、整理していて趣旨がわかった。
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『岩崎弥太郎 三菱の企業論 ニッポン株式会社の原点』
2011/10/21(Fri)


 中野明著 『岩崎弥太郎 三菱の企業論 ニッポン株式会社の原点』 を読む。
 この本は、「企業の論理」と「企業の倫理」について書かれたものだ。
 このことを、小栗忠順、坂本龍馬、渋沢栄一、岩崎弥太郎をみながら検証していく。

 幕臣の小栗忠順は、幕府の立場から日本を開国を迫った諸外国から護るために、アメリカに使節団としていったときアメリカ社会の企業を見て、日本にも必要と、1865年「日仏組合商法」を設立する。しかし「日仏組合商法」は堺商人などを口説いて設立したトップダウン方式の会社で、資本金もあまり集まらずフランス政府の方針転換や幕府の混迷により、具体的な活動をする前に立ち消えになった。
また、同じ年の坂本龍馬は「亀山社中」を設立する。これは、異国船を借り受けて、長州藩が薩摩藩の名義で武器や船舶を購入し、長州藩に提供し、その見返りとして長州藩が米を薩摩に進呈する。そのように話を取りまとめ、その運送を業とする。と言うようないまでいう商社マンのようなことからはじめるが、特徴は給料制であり、利益は分配するという考えで貫かれている。
 明治2年1869年の設立なる渋沢栄一の「商法会所」は、そのころ政府が発行した兌換紙幣を、各藩の石高に応じて新紙幣で年3分の利子で各藩に貸し付けるという方針に対して、この金を原資にして民間からも身分に関係なく出資を求め、工業殖産をはかろうとした。出資者にはその年の損益に随い、金利割渡すというようなものである。 
 岩崎弥太郎は、1867年、土佐藩の殖産興業の拠点施設「開成館」の長崎の「土佐商会」の後藤象二郎の後釜の新留守居として長崎に呼び出される。後藤象二郎によって借金まみれになっていた土佐商会を建て直し、同時に彼単独での取引も始める。そして開成館幹事心得として長崎を引き払って大阪土佐商会に転勤。1890年には藩の資本で商業を行うのは朝旨に反すると言うことで、名称を九十九商会に改める。さらに廃藩置県により九十九商会の資産はいったん返還され4万両で弥太郎に払い下げられた。以後三ツ川商会と名を改め、さらに三菱と名を改め、弥太郎の倣岸たる専制独占主義で岩崎家のための創業が他の企業を席巻してゆく。

 「企業の論理」だけの経営者を岩崎弥太郎とし、「企業倫理」のある経営者を渋沢栄一とし、両面の微妙なバランスによって資本主義が成り立つと結論づけている。
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手相占い師になった私
2011/10/13(Thu)
 先日、友達の勤務する児童館の「児童館祭り」の手伝いに行った。

 祭りには、占いコーナーというのがあって、その部屋の前の受付で、くじのようなものを引くと、おみくじ券か占い券を引きあてることになっている。
 ほとんどがおみくじ券だが、運がいいと占い券が当たる。占い券には3通りあって、そのなかの一つが手相占いで15人くらいが当たる。その手相占い師がわたくしだ。

 実は、直前までこの役を受けたことを後悔した。
 当てにしていた人に断られて困っているふうだったので深く考えもしないで応じてしまった。
 「もし心配なら、これを読んで勉強して、子供たちに元気が出る言葉をいってやって!」と手相の本を渡して、言葉をかけてくれた。  応じたものの日が近づくに連れてだんだん気が重くなり、手相の本を開くたび、そして職場で子供たちの手のひらをさりげなく見るたび気がめいっていた。当日前の夜は、本の中から、褒める言葉を選び出して、メモしてみたりした。

 オープニングの手品の途中から抜け出して変装を始めた。金髪のかつらをかぶり、ラメ入りの黒いショール、スパンコールをちりばめた黒い服とスカートを着用、銀色のシューズを履く。真っ暗な部屋で真っ黒なカバーをかけた机の上には、アンテックなステンドガラスの小さなランプのかすかな明かり。砂時計に水晶玉。大きな虫眼鏡。

 おやおや、だんだんその気になってきた。
 最初のお客様のご来場。
 「こんにちは!」砂時計をひっくり返す。
 子どもは、暗闇となにやら奇妙な雰囲気にオタオタしながら「こんにちは!」という。
 「どうぞ。その椅子に座って!」
 「手品見た?」
 「はい」
 「面白かった」
 「はい」
 「どんなところが面白かった?」
 「鳥なんかが出てきて」
 「そうね、びっくりしたよね。あれは鳩という鳥よ。白鳩」
 「何年生?」
 「4年2組です」
 「そう、4年生は何組みあるの?」
 「2組です」
 「2組は何人いるの?」
 「27人です」
 「じゃー、女の子は13人くらい?」
 「いえ、18人です」
 「えっ、じゃあ男の子は9人なのね」
 「そうなんです」
 「ところで、手相って知ってる。?」
 「いえ、知りません」
 「そうよね、知らないよね、知らないけどあたったのね。顔がみんな違うように、手のひらもみんな違うのよ」
 「顔を見て、やさしそうなひとだな。とか、怖そうな人だなと思うことがあるでしょう。手のひらにもそう思えるような様子に見えるんだって。手のひらを見せてくれる。」と、差し出された両手を握る。
 「あらあら、元気で優しそうな手をしているのね。」
 「何か困っていることとか、気になっていることがある?」
 最後まで手を離さないで、子供の話を聞いてやる。そして、なんでも乗り越えていく力があなたにはあると励ましてやる。
 「ありがとうございました」と丁寧におじぎをして出ていく。
 ボランテアをした3人とも、子どものいろんな思いが聞けたことに感動して、やってよかった。子どもの心に出会えてよかったと話し合った。「はい。どこにでも手相占い出かけます。」の思いになりました。
 これですっきり、読みかけの本も読み始めました。
 

 
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ナツハゼジャム
2011/10/11(Tue)
 今年もナツハゼジャムをつくりました。
 昨年、カワグチエイコウさんの、ブログでナツハゼジャムのことを知り、今年もナツハゼでジャムを作ろうと楽しみにしていました。
 まずは、5日、裏山に夫と採りに行き、3合炊きの炊飯器で作りました。
 こんなにおいしいジャムが自分で出来るなんてと嬉しさいっぱいです。
そして、9日に私たち夫婦と娘で孫二人を連れて青少年野外活動センターに子守がてら出かけました。8月に2歳になったばかりの孫娘の機嫌が良かったので、たくさんのナツハゼが収穫できて、こんどはおおきなお鍋で作りました。
 青少年野外活動センターでは、きのこも沢山はえていて、持っていたナイロン袋があるだけ取りました。本当は食べれるのかどうか少し心配でしたが、茂みからでたところで3人の男の人に出会ったので、このきのこは食べれるのでしょうかとたずねたら、ヒラタケであまり美味しいことはありませんが、干しておいて食べれますとおっしゃったので、大喜びでした。
 持ち帰って、近所の方に差し上げたら、しっかり湯掻いてから調理すれば美味しいと言われたので味噌汁、天ぷら煮付けとつくって食べました。まさに秋を食べた喜びでした。残りはベランダで干しています。
 偶然、青少年野外活動センターでは、年に一度の「オープンデー」と称したイベントをやっていて、全員で1000円しか持って行っていなかったのですが、うどんとオニギリを買って分け合って食べました。
 また、飼育されている乳牛の牛乳でバターとチーズづくりに参加してくださいというこで、生まれてはじめてバターとチーズを作りました。また、さつまいも堀りにも参加してくださいと言ってくださったので、全員で6株掘らせていただき土産にお持ち帰らせてくださいました。イベントへの参加賞で上等の干し椎茸も大人の数3袋くださり、思わぬおみやげもどっさりありました。
 元はといえば、エイコウさんのブログのおかげと感謝、感謝です。
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『岩崎弥太郎』
2011/10/01(Sat)
小西聖一著 『岩崎弥太郎』 を読む。

 『竜馬伝?』が大河ドラマで放映されていたとき、岩崎弥太郎を香川という俳優さんが演じていたのをときどき見た。
 今朝、裏山を散歩していて、岩崎弥太郎の子孫であると言う人に出会った。
 裏山の散歩では、ほんのすこし、顔なじみだった人だ。
 男性なので多くは語られないが、高知で育ったときには、板垣退助ゆかりの人もいたとか話されたが、テレビでの岩崎弥太郎と、自分たちが聞き知っている岩崎弥太郎は違っているようだと言われた。
3週間図書館に行っていなかったので、夕方図書館に出かけて、図書館で岩崎弥太郎を検索をしてみた。ほとんどの図書が中央図書館のものだが、私の区の区民センターにも8冊あり、2冊は借り出されていた。残りの6冊から2冊を借りてきた中の一冊だ。
 簡素でわかりやすく、ドラマで描かれていたいろいろの部分を思い出し、あれはここのところのことだったのかと、あらためて大河ドラマが理解できるようなことだった。
 また、明治7年の台湾出兵の件、西南戦争への道筋が、今まで読んだ本とは少し違った視点からかかれており、また戦時の新政府軍の軍隊輸送や軍需品輸送の側面から戦争が語られていることが新鮮であった。
 そして商売が、人の縁と、頭を下げるということで成り立つことがよく理解できる一冊だった。

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