十月桜 ジュウガツザクラ
2012/03/30(Fri)
 しばらく太田川の清流にそって見通しのよい山あいを走り、橋を渡る。
向かい側の坂を登り、バブルの頃、見晴らしよく頂上に広く開発された市街地に一番近いというゴルフ場を抜け、くるくると回って降りたところの巨大団地に毎日通勤している。
 家から20分。
 通勤時のこの20分が一日の楽しみになっている。
 遠く水鳥が飛んでいたり、手招きしてくれる山の端の梢に白い花が咲いていたり、ごくまれに、川面が、あらわれわたるせぜのあじろぎといった風情を見せたり。
 そして、民家の庭木。とくに、私が挨拶のように必ず目をやって様子を伺う大きなカヤの木。それが20分の間に5本もある。3本は毎年庭師を入れて手入れをされている姿だ。もう2本は昔は手入れをしてもらっていましたが・・・という感じ。その2本のうちの1本の家族は仕事での知り合いで、私がいちど庭のカヤの木をいつも見させていただいているといったら、「はあ、あれはカヤの木というのですか」という調子だった。でも庭にすっくと立って川風から家族を守っていてくれることはわかっているという感じだった。
いやいや、こんなカヤの木のことを思っての話ではない、実はこの見通しのよい川沿いに、かっては庭木であったであろうという雑然とした物置を取り囲む雑草のなかに、昨年、たしか9月の終わり頃から咲き出したサクラがあって、それが、薄墨桜のような色合いで少しづつは散っていながらも、まわりの紅葉のなかに、そして冬景色のなかに、そしてとうとう遅い春が訪れてしまってもまだ咲き続けているのである。
毎日通るたび、いつまで咲いているのだろうとみかけていたら、最近一段とその数を増し、あでやかにもなった。
どうにも気になって、けさ、PCで検索してみた。

  十月桜 ジュウガツザクラ
10月頃から咲き始め、翌春にも咲く、年二回花を咲かせる珍しい桜。小彼岸系の品種。  

これかもしれない。
 これからも、この珍しいさくらの様子を楽しみに見ていきたい。
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『道化師の蝶』 雑感
2012/03/24(Sat)
『道化師の蝶』の小川洋子の評だけがメモしてなくて、昨日読み返しあらためて、この『道化師の蝶』と入院騒動と入院時に編んだ毛糸の帽子についてふと思った。
 もともと、入院するにあたって私には課題があった。
 耳の手術のため、耳のまわりを、3・4センチ剃りますよといわれたことだった。手術後すぐに職場復帰すると考えていたので、そのままで職場に行くことがはばかられた。
 何店かの帽子売り場でいろんな帽子をかぶってみた。もともと帽子をかぶる習慣がない私。どれもこれも不自然で用に足りそうにない。
 そこで、毛糸で編むことを思い立ち、インターネットで毛糸の帽子の編み方説明書がないかと探した。デザインはどうにも年齢にあわないが網目模様だけは借用できそうなのを見つけた。どんなデザインにしようかと、とりあえず円形に編んでいたら、関根勤の娘さんが、テレビでフェルト風の帽子に同じ素材で出来た花をあしらったのをかぶっていたのがなんとも違和感なく自然に見えたので、そんな形に編めたらと、かぶってみては大きさや形を確認しながらほどいては編み、ほどいては編みして納得いくものに編み上げた。
病院に持っていき、髪を剃ってもらってみると、言われたとおり髪を切らないで伸ばしていたこともあって剃っていることはわからない。耳の患者さんはみんな剃られているのだが誰も剃られているようには見えない。なんとあれほど危惧して出来上がった毛糸の帽子は不要だった。
 同室の患者さんが私の帽子を欲しがられるので、彼女用に編むことにした。彼女はわたしより頭が大きいので、編み目の印象が変わらないように鍵編み針のサイズを8から9に変えた。体全体とのバランスがすっきり見えるように、円の大きさは変えたが深さは変えなかった。その帽子も何度もかぶってもらってみてはほどいたり編んだりして出来上がった。
また、編み物上手の友人が編み方を書いて。というのだが困ったことに、網目模様は説明できないし目数も説明できない、花はそのときの気分任せ。結局退院後それも友人の頭に合わせて編んであげた。
結局、耳の周りを3・4センチ剃りますといわれたことから始まった着想でできあがった帽子は不必要で、二度とおなじものが出来ない。
『道化師の蝶』にすこし似ているかもしれない。

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『道化師の蝶』芥川賞選評 入院時のあれこれ 9
2012/03/23(Fri)
 黒井千次 評
 作品のなかに入っていくのがむつかしい。出来事の関係や人物の動きを追おうとすると、たちまち拒まれる。部分を肥大化させる読み方に傾きかけると、それも退けられる。
 読む者に対して不必要な苦労をかけぬような努力を注文する。

 川上弘美 評
 以前大学の「量子力学」の授業で、あらゆる確率が50%の先におかれた「箱の中の猫」は生きているのと同時に死んでもいるのです。と教えられ、世の中には言葉では表現できない現象が存在する。
 この作品の「私」による語りは進んでゆく。「私」の主体が変化するたびに物語の位相も変化する。以前の彼の作品では猫の内実にまで迫っていなかったが、この作品で初めて箱の中で「ニャー」とないている猫の声を聞いた気がする。

 高樹のぶ子 評
 一読したくらいでは何も確定させないぞ、という意思を文学的な意思だと受けとるには、私の体質は違いすぎる。それが「位相」の企みであるとわかってはいるが、このような努力と工夫の上に何を伝えたいのかが私にはわからない。

 山田詠美 評
 この作品の向こうに知的好奇心を刺激する興味深い世界が広がっているのがはっきりとわかる。それなのに、この文章にブロックされてしまい、それは容易に公開されない。着想を捕まえる網をもっと読者に安売りしてほしい。

 小川洋子 評
 作品に描かれた着想の一つ一つはどれも“銀色細工の技法”により織られた網で捕獲したしたもののように、魅惑的だった。追跡者を死に誘い込む死語。手芸の技術と平行して進む言語の習得。
 結局私に見えてきた模様とは、もし自分の使っている言葉が、世界で自分一人にしか通じないとしても、私はやはり小説を書くだろうかという自問であった。
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『道化師の蝶』入院時のあれこれ 8
2012/03/17(Sat)
 円城塔著 『道化師の蝶』 を読む。

 ちょうど1ヶ月前になる手術をした翌日2月17日にメモしているものの写し。
 小説の冒頭「旅の間にしか読めない本があるとよい。旅の間にも読める本ではつまらない」とある。
 私は一昨日広島県病院に入院して昨日1時半から耳の手術をした。
 安静にしておいてくださいと言われたが、本を読むことが、安静の一部分に入るのかどうかもわからない。
 制約は手術した左耳を下にして寝ないでくださいだ。
 右手には点滴の針がさしこまれ天井につながっている。頭には花嫁の角隠しほどの包帯が巻かれ、目も半分つぶれている。全身麻酔もいまとけたばかりで、はたしてこんな時に読むにふさわしい小説があるだろうかのとの思いが私のほうにはある。
 読み終えて、なおそう思う。
 
 A・A・エイブライムス氏と、飛行機で乗り合わせて知り合う。彼は銀色の糸で編まれ、ボールペンほどの軸に巻きつけ、ときおりその口を開いて、左右に振って着想を捕まえるという。 様々な着想が浮かび続けて、体を離れる。それをするには、大型旅客機の飛行中が一番よいということで、飛行機に乗り続けている。A・A・エイブライムス氏がエコノミー症候群で亡くなって、A・A・エイブライムス私設記念館に雇われる。友幸友幸の探索の報告書を書いて生活をする・・・・。
 村上春樹の作品を読んでいるような気分にもなる。
 この作品そのものが、着想の網にかかった作品のようである。
 
 私の感想は私にしかわからないが、この作品の芥川賞選者の評を読むとこれまたおもしろい。
 明日は、それの要約のメモが書けるかもしれない。

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『共食い』入院時のあれこれ 7
2012/03/16(Fri)
田中慎弥著 『共食い』 を読む。
今年度の芥川賞受賞作品である。
もう入院していたことも、過去になって、仕事にほとんどのエネルギーを費やしているいま、入院時のあれこれもどうかと思うのだが、入院初日の夜に読みメモしていたので、入院時のあれこれとした。

高校生、篠崎遠馬が主人公。
父の異常なセックスを描きそのためにおこる家庭のいざこざや、その性癖が自分にも遺伝していることにだんだん気づいてくるという生臭い作品である。
男の生臭さにおいて、以前、梁石日の『血と骨』を読んだときの印象に似ている。『血と骨』は長編で、ぐいぐいとその世界に入っていってしまうが、『共食い』は短いぶんだけ、そういう世界を絵画の中に置いているという、描写が感じられる。


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『春秋山伏記』
2012/03/11(Sun)
 藤沢周平著 『春秋山伏記』 を読む。
いまの山形県の庄内平野あたり、大鷲坊と名乗る山伏が、「櫛引通野平村、薬師神社の別当を任ずる」という書付を羽黒山からもらって野平村の薬師神社にやってくる。
そして、その山伏がその村の村人の悩みをつぎつぎに解決してゆくはなし。

「験試し」 では、足の立たなくなっていた若い娘の足が立つようにしてやることで、村人に山伏としての証しをたてる。
それまで、村人から信頼されていた月心坊と名乗る、にせ山伏に代わる為に、根気良く足が立たなくなった原因を突き止めて、毎日背負って野山を連れ歩きお日様に当ててやって元気を取り戻して歩けるようにしてやるのだ

「狐の足跡」 出稼ぎに出て、めったに家に帰ってこない大男の「かか」が浮気をしたことで、大男の怒りを買った浮気相手の男を、助けてやる話。助けてやるというのはどうかと思うが、殺されかねないからである。しかし全部の物語の最後に、結局、この「かか」は、越中富山の薬売りと駆け落ちをする。

「火の家」 長い間使い手のない水車小屋に見知らぬ人が住みついたというので、大騒ぎになった。実は、19年前までそこの母屋に住んでいて、村人にあらぬうわさを立てられ、母屋に付け火までされて一家離散した家の子供が成人して来たのである。村中に火をつけて仕返しをしようというのであった。大鷲坊は、そのことを村人に思い出させて反省をさせ、解決をしてやるという話。 

「安蔵の嫁」 嫁の世話をしてほしいと安蔵の母親に頼まれる。おなじころ狐憑きのした娘の除霊を頼まれていて、それがいろいろ手を下しても退かなかったのを、大鷲坊がしくんで安蔵に抜かせて夫婦にさせるという話。

「人攫い(さらい)」 後家になって、娘ひとり連れて出戻っているおとしの娘きくが祭りの夜いなくなり、村中で探す。結局、蓑作り村からきた夫婦にさらわれたのではないかということになり、大鷲坊とおとし他数名でその蓑作り村を探して見つけ出し、最後大鷲坊とおとしが結ばれるというはなし。

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『奥羽の二人』入院時のあれこれ 6
2012/03/10(Sat)
 「武将不信」は、最上義光(よしあき)のこと。
 彼は、信長の死後、まだ秀吉が全盛のころから家康に信頼を寄せて、慇懃を尽くしていた。
 そして、家康からもそれに対する温情は充分に感じ取っていた。なのに死後お家は改易となり60万石が没収された。
 いくら、こちらが気に入って将来を頼んで慇懃を尽くし働いても、家康という人は、そのときは誰が見ても公平な扱いをするように見えて、その人間の人格を見定めて、結局所領を決めていったというのが、これまでの松本清張の家康への一貫した見方のようであることが知れる。

 「脱出」
石州浜田城主5万4千石、古田重恒が、気鬱によりただひとり近づけた側衆の山田十右衛門のはなし。
古田重恒はいつ逝くかわからない。もしかのときはいやでも、山田十右衛門も殉死しなければならない。そこで、殉死を言い立てるであろう重臣の3人を殺してしまうことを企てる。2人は死ぬが、あとの一人は生き残り、このことが露見し重恒は自害し山田十右衛門は逐電したのを家来が追いかけて磔にしたという。殉死は誰でも怖かったという話である。

「葛」
やっとでた柳沢吉保の話。
そして、中国筋の官位の低いことを気にしているさる大名のはなしという。
柳沢吉保へのつてを探して「あの藩の国産の葛は無類のものじゃ」といわれたことで、絹篩の葛粉で外箱に詰めた紹鴎所持の茶入れをおくる。しかし吉保は綱吉の死にあって没落し官位が上がる暇がなかった。

松本清張の歴史小説。入院しなければ出会えなかった本の一冊。
 清張もその資料集めは有名だが、その資料に基づいての小説、大作ではないが、戦国末期の時代の人々の精神文化を垣間見ることができたと同時に、家康のあれだけ続いた徳川政権を作るにあたっての、なみなみならぬその決意を、厚顔をもってひとにあたってきたその情熱が伝わってもきた。


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『奥羽の二人』入院時のあれこれ 5
2012/03/09(Fri)
 「奥羽の二人」は、伊達政宗と蒲生氏郷のこと。
伊達正宗は、秀吉の小田原攻めに遅れてきたため、所領の一部の会津を召し上げられる。政宗の器量をおそれて、その押さえにその所領を蒲生氏郷に与える。氏郷は所領が増えたものの、中央への夢を完全に絶たれる。以後の二人の奥羽でのせめぎ合いも描いている。朝鮮出兵途中での氏郷の歌
世の中に我は何をか那須の原 なすわざもなく年やへぬべき
信濃なる浅間の岳も何を思う 我のみ胸をこがすと思へば
このあとすぐ病付き40歳で生涯を閉じる。正宗は72歳まで生きた。

「群疑」石川数正のはなし。
石川数正は、徳川家康が6歳のときから、織田、今川と人質の苦労をともにした、忠義の聡明な武将であったが、秀吉の所へ重要な使いで行かされるようになって、秀吉は和正の器量のいい事をほめまくり、家康の家臣でなければと惜しむ。
一方仲間の重臣から、役割を立派に果たせば果たすほど、秀吉に寝返るのではないかと疑われるようになり、我慢は限界を超えとうとう寝返る。寝返ってみて、徳川を割る秀吉の策略であったときづく。そして、秀吉の下でも居場所のないまま涙を流す話。
徳川の家に伝わる古箒 落ちてののちは木の下を掃く
家康のはき捨てられし古箒 都へ来ては塵ほどもなし 
という落書が絶えなかった。

 「英雄愚心」英雄とは、秀吉のこと。愚心とはその甥の秀次を関白にまでしておきながら、秀次に反感を持つ側近が秀吉の心境に乗じ作り上げた謀反という讒言によって自決させたことである。

「転変」福島正則の話。
 福島正則は、毛利のあとへ50万石で広島城に入った武将である。その福島正則とはどんな人であったのか。正則は秀吉子飼いの武将であったにもかかわらず石田三成が大嫌い。そのために、関が原では、先陣を切って家康のために大きな働きをする。しかし、じつは、家康に嫌われていたため、その意を汲んだ秀忠と本田正純に謀られて、御家断絶となる。
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『奥羽の二人』 入院時のあれこれ 4
2012/03/07(Wed)
 入院時に読んだ、松本清張著『奥羽の二人』について。
『奥羽の二人』は歴史小説の短編集。
松本清張に歴史小説があるのは知らなかった。きっと、どんな題名の本の背表紙を見ても、かってに推理小説だと思っていたのだろう。
歴史小説というとどうしても、司馬遼太郎とくらべてしまう。
しいていえば「こと・もの・ひと」のうち、司馬遼太郎が、「こと」にまつわる「ひと」を書いているとすれば、松本清張は、「ひと」にまつわる「こと」を書いている気がする。そのぶん「ひと」の心理描写がふかくせまってくる。

「背伸び」安国寺恵瓊のことについて書かれている。
安国寺恵瓊は、いまは広島市安佐南区になっている銀山城の城主、甲斐の武田の一族の遺族であるという。私の裏山山頂のお寺の境内に武田氏の墓がある。
土地にゆかりのある人なので、もちろん熱が入る。11歳で京に出て、東福寺の僧となった。彼は京にいる間、中央・諸国の各武将の静動を細密に研究して、策を立てて毛利に取り入り、毛利の外交官になり、秀吉にも認められる。そして、最後、関が原の戦いで破れ、六条河原で石田三成らとともに斬られた。

「三位入道」日向伊東入道義祐というひとの話。彼はすぐれた武人であり文人でもあったために田舎の武将に納まりたくない。まずは日向一円を支配しようと薩摩の島津義弘との戦いに負けて、大友宗麟など北へ西へと頼っていくが聞き入れられず、73歳で天正13年に乞食坊主となって没したというはなし。
彼の晩年の作 行末の 空知らぬとの言の葉は 今身の上の 限りなりけり
旅は憂し窓の月見る今宵かな

 「細川幽斎」
 細川幽斎は、将軍義晴の妾の子で、5歳のとき管領細川播磨守元常の養子にし13歳のとき義晴の子で新しく将軍になった義藤の一字をもらって藤孝と名乗った。新将軍の近習となるが、応仁の乱で三好・松永に殺され、弟の一人覚慶を脱出させ義秋とし朝倉に身を寄せた。そのとき明智光秀を知る。しかし、明智光秀の本能寺の変では、応援を頼まれながら、それを受けずに息子忠興ともに剃髪し秀吉についたときの心理の描写が興をそそる。
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『秘太刀馬の骨』
2012/03/05(Mon)
 藤沢周平著 『秘太刀馬の骨』 を読む。

 以前からいちど藤沢周平のものを読みたいと思っていた。

読み始めて、なかなか興がのらない。登場人物がおおすぎて、頭の中の整理がつかない。
 近習頭取という役職の浅沼半十郎は、62歳の家老小出帯刀の引き立てによって去年の暮れに近習頭取という役職についた。
 浅沼半十郎は、小出帯刀の命で、望月が闇討ちにあったお馬乗り役の矢野の家に伝わる剣法「馬の骨」の秘伝を受けた者を探す仕事を言いつけられる。秘太刀の調べは江戸から来た小出の甥の石橋銀次郎がやるので、それを手伝ってほしいと言うのであった。
 「馬の骨」の秘伝を受けたと思える、矢野の屈強の使い手5人にめぼしを就け、他流試合を禁じているにもかかわらず、彼らの弱点を見つけては、その他言をしないことを約束にして、立会いを申し込み、「馬の骨」の使い手を捜してゆく。
 しかし、浅沼半十郎は、「馬の骨」を執拗に探し当てようとする小出と、石橋銀次郎に嫌気をさすようになり、小出の派閥を出る。そして・・・・。
  
そのような、某藩の御家の騒動を語る時代小説である。

 読み始めたら、やはり最後まで読み進んでみたくなり、読みきってしまったが、自分の好みではないような気がした。

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入院時のあれこれ 3
2012/03/03(Sat)
 俳句のBさんが退院されてあと、23日に入院してこられた外因性の白内障の手術をされたCさん。
この方は、夫婦で日本国中を倹約ツーリングを趣味にされときどき海外旅行をされている博学の方だ。
朝の連続ドラマ『カーネーション』の岸和田の近くの生まれだそうで、びっくりするほどはっきりものをいわれる。
 たまたま足も骨折してテーピングをされていたが、何も出来ないのなら、このさい目の手術も受けておこうとの考えらしい。
目の手術には2泊3日コースと4泊5日コースがあるのだが、2泊3日コースだと予約がずっと後になるのだそうだ。
26日に退院されたAさんとはお酒の話と海外旅行の話で大いに盛り上がった。フィットネスもやりたそうだったが足の骨折でどうにもならなかった。
スポーツでは、いまは卓球が好きで好きでということだったが、若い頃、女子ソフトボール日本リーグのシオノギ製薬のピッチャーだったのだそうだ。岡本綾子の時代である。
 そういえば俳句のBさんの82歳のご主人は8階に入院しておられ、ここは女性部屋だから自分の部屋へかえりなさいといわれる奥さんの意見も聞かず、私たちがどうぞどうぞというので、日中ほとんど私たちの部屋にきておられたが、若かりし頃、宗徳高校から、名古屋の国体にバレーで出場して優勝されたのだそうだ。能美島から一中へ受験して受かったのに両親が広島へ行かせてくれなかった。行ったものは全員原爆で死んでしまったが自分は親のせいで生き残ったといわれていた。終戦になって、いまは囲碁で島ではいつも優勝されているそうだ。
時間つぶしの話が、たまたまツーリングで行った種子島の話になった。その直前にデールームで見つけて、そうとう穿ったことが書いてあるなと思いつつ『日本歴史のミステリィー』?と言う本を読んでいたので、日本への鉄砲伝来は種子島ではなくて、堺の商人が鉄砲の買い付けを種子島でやったと書いている本があったとその核心の部分を音読して聞かせてあげたら、そんなことは絶対にない。鉄砲伝来が種子島でないとおかしいという話を種子島で見聞きしたことを中心に話してくださった。
Cさんはなんでも見聞きしたことは忘れない人だとおおいに感心した。
 
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『社長 島耕作』 (入院時のあれこれ 2)
2012/03/02(Fri)
 入院にさいして、図書館であわててかりた『司馬遼太郎短編全集 七』と、『吾輩は天皇なり』・『宗教で読む戦国時代』、そして芥川賞掲載の『文芸春秋』3月特別号を買って持っていった。
 私の病室の隣とナースセンターの隣にデェールームという休憩所があり、そこにはテレビやお茶や本棚がある。
もって行った本に加えて、内田康夫の『倉敷殺人事件』『小樽殺人事件』『長野殺人事件』、松本清張の『奥羽の二人』、昨年度の芥川賞掲載の『文芸春秋』3月号、広兼憲史の漫画『社長島耕作』その他いろんな週刊誌や月刊誌を拾い読みした。
15日間の入院では、読み物に不自由することはなかったばかりか、そのときの気分でいろんなタイプの読み物が読めたので意外とリラックスして読書がすすんだ。
せっかくの読書体験なので、入院したときのことを思い出すときのために、思い出せるものを少しずつ簡単にメモできたらと思っている。

 さしあたり今日は広兼憲史の『社長 島耕作』11巻(たぶん11巻だった)

 我が家には娘の、『加冶隆介の議』が全巻そろってある。いま活躍している政治家を含めて多くの政治家に取材して書かれているためなかなか内容のある作品だ。そんなことがあって大いに期待して読んだ。
 そのことからいうとそうとう期待がはずれた。
 会社が合併したときの、リストラを含めた人事の難しさにぶち当たって、会社の経営よりも内部闘争に気をもむというストーリーだ。
合併した会社の人が次期社長をねらって元の会社の重役たちの結束を固め社内の有力者も取り込もうとしている。
双方の従業員がモチベーションをあげながら仕事が出来るようになるには・・・・。というところだったように思う。
 
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入院時のあれこれ 1
2012/03/01(Thu)
 2月の15日に入院、16日に全身麻酔で右耳の手術、27日に局部麻酔で左耳の小さな手術をしていただきました。
 手術は麻酔のため痛みはまったくなく、そのあともたしょうの違和感はあったもののほとんどといっていいほど痛みはありませんでした。
 そんな病院生活は、考えてみれば、下の子が小学校3年の4月から勤め初めて、30年で初めての長期の仕事休みでした。
 
 入院した病室は最上階の8階で、私たちの東病棟は耳鼻科と眼科の病室になっていました。
 4人部屋で、入院した日は次の日私に続いて耳の手術をうけるAさんと眼科の手術をされたBさんの3人でした。あくる日手術をうけ、全身麻酔が醒めたら自分の部屋に寝かされていました。
 そして次の日、目や耳の手術を受けたものばかりとはいえ、それぞれ体が元気なので、俳句をやっているといわれる78歳のBさんに教わりながら、その方が退院されるまで3人で俳句を作りました。
 
 Aさん 病室の窓をうかがう雪の精
     窓の雪とかすうれしさ友の花
     退院の友を見送るフリージア

 Bさん 見舞い花みなにほめられはずかしそう
     香りよく室なごませるフリージア
     8階の眼下に見える雪景色
     ゆっくりとどこへ帰るかあかね雲
     初対面退院時にはなかよしに
     夕食を退院決まり完食す

 私   街灯で海岸示す湾岸道(なんとかビルの合間に見え隠れする海と陸との境目をダイナミックに通る湾岸道を句にしたいと4・5句つくるがうまくいかずにいたら、小さいものを読みなさいと教えてくださる)
     点滴の針の先なる冬の肌
     点滴が溶け込むわが身春の朝
     見舞い花患者の仲間に入りけり
     病室の窓に寄り添う冬の鳩
     残雪の静寂にして春動く
     元宗の絵を洗いたる滝の音(玄関ロビーの巨大な元宋の滝の絵を読む)
     退院が決まりし人の娑婆の顔

 また、Aさんは58歳ですがスタイルも抜群で美しく、フィットネスを教えていると言われ、フィットネスを教わりました。これは退院するまで、間で入院していた21歳の眼科の患者さんも一時加わって毎日続けました。さらにAさんは、5月の末からクロアチアに旅行するということで、るるぶのクロアチアともう一冊クロアチアの旅行に関する本を持っておられたので読ませていただき、みんなでクロアチアのことを教えてもらいました。
 私は残念ながら何も教えてあげるものがなかったのですが、Aさんが、私が編んでかぶっていった白い帽子がほしいと言われたので、家から毛糸などを持ってきてもらい、彼女の頭に合わせて編んでさしあげ、2個編んでいたベージュの帽子もほしいと言われたのでそれもひとつ差し上げました。なにしろオーダーメイドの白い帽子は本当に良く似合ってすてきでした。
 こんなぐあいで、病室は一時、吉田松陰の野山獄のようなありさまでした。


 
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