『松本清張全集1』
2012/04/22(Sun)
『松本清張全集1』 を読む。
2段組で、文字の小さいのに難儀しながらの読書であった。
 知人のおおくが、読み始めると最後まで読まないと気がすまないので、主婦がそんなこともしていられないから読書はしないという。
 私は外出を好まないので、読書は家事の合間の暇つぶしに読んでいるだけだと思っていた。このたびも、読み始めると最後まで読むということはせず、暇ひまに読んでいたが、この松本清張の作品は続きが気になり早く続きが読みたいと思う作品で知人の気持ちがわかった気がした。
 この全集1には『点と線』、『時間の習俗』と、『影の車』と題して7話の短編があり、その後14ページのていねいな解説がある。
 ここでは、この解説を読んで、私がどんでんがえしをうけたことについて特記する。
 私は国文学を多少学んだことがあるが、その中に推理小説というジャンルはなかった。どちらかというと推理小説は大衆文芸の部類だったのかもしれない。
 しかし、この解説では、松本清張の作品を文学作品として取り扱い解説が進められていく。
 文学界のなかでの、推理小説ブームと、松本清張ブームなどの位置づけから解説されてゆく。
 この解説を読んでいて、推理小説家の書く歴史小説とについて改めて考えさせられた。

 松本清張は歴史学者のもとに行って、歴史について学んだり書籍に触れたりしたようである。その歴史学者がのちにそのとき調べたことを主題にした松本清張の作品を読んで、その読後感を新聞に書いたことがあるという。そのなかに、主人公の秘密をかぎとるような眼光紙背に徹する態度こそ私ども史家の学ぶべきものにほかならぬと書いていたことについて、この解説では、その歴史学者こそ松本清張に嵌められていると述べている。

 こう読んでいくと、私も実は嵌められているのではないかと感じた。
 直前に読んだ松本清張の歴史小説にいままで読んだことのないものを感じて、この歴史認識が大きく自分に欠けていたと思い込み、松本清張に関心が深まり清張のものを読んでみようという気になったのだった。
 とくに、徳川家康の各大名に対する処遇についての記述で、歴史上あったことは一般常識の範囲であるが、なぜ家康がそうしたのかの心理が、いままで描かれていなかったことであって、真相はそうだったのかと、私も嵌められていたのではないかということであった。この解説によると、まったく主人公の歴史上の人物の心境というのは、作者の想像力の所産であって、作り上げられたものであるというのだ。
 山岡壮八や司馬遼太郎そのほかの歴史作家が描くそれぞれの徳川家康がそんなに違っていたとは思えないが、とにかく松本清張の場合はまったく違ったイメージで、リアルに迫ってくるものがある。
 しかしそれは推理小説作家による迫真的なフィクションであるというのだ。そしてそれは、松本清張自身の前半生のなかにこの世を呪詛しその不合理な社会の仕組みに復習せんとする声があり、それを世を代表して実在の人物に仮託していたのだというのである。
 そういえば、家康の江戸幕府構築が、まるで、殺人犯が自分のアリバイ工作を崩れないように綿密に計算して一糸乱れぬ手順でちゃくちゃくとすすめて犯罪をおかすといった描き方と似ているのである。いろんな努力が積み重なって成り行きそうなったというのでなく、成った江戸幕府を家康が綿密に計算して成るべくして成ったと思わせる筆法なのではなかったか。そんなことにも注目しながら松本清張をもう少し読んでいきたい。
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『駅路/最後の自画像』
2012/04/12(Thu)
 松本清張・向田邦子著 『駅路/最後の自画像』を読む。

 いやーびっくりした。ご当地可部町が松本清張の作品に出てくるなんて。
 こんな巨匠といわれる作家の作品にご当地可部町が舞台になるなんて。

 そして意外だったのがこの本の成り立ち。
 最初、背表紙を見て、松本清張と向田邦子の対談集かとおもった。
 読んでみると、松本清張の『駅路』という作品と、それをNHKの土曜ドラマにするため向田邦子が『最後の自画像』という脚本にかいたものである。
 その2作の前にこの土曜ドラマの制作と、さらにずっと以前にドラマ化されたときにも制作デスクにいた元NHKプロデューサーの制作にまつわる松本清張と向田邦子のエピソード。
 そして後に編集者の向田邦子とドラマ『最後の自画像』と題する二人のエピソードがあり、この向田邦子のひととなりへの興味を充分満足させてくれる。

 『駅路』、わたしはもちろんこの作品の存在をもはじめて知ったし、ふたとおりに映画化されたどの作品のことも知らない。
 学歴がないのにこつこつ仕事をこなした異例の出世をした銀行マンが、定年退職をして次の仕事の誘いも断ってまもなく以前からよくやっていたようにふらりと旅に出る。
 いつもなら1週間くらいで帰ってくるのに1ヶ月たっても帰ってこない。
 妻が警察に届けを出してこの物語は始まる。
 家には時々ふらりと旅に出かけたときの写真が丁寧に日付つきでアルバムにたくさん残っている。退職前の銀行を訪ねて女性関係など聞くとそんな人ではないというのが大方の感想。しかし、捜査官は女性問題、しかも以前広島と名古屋の支店にいたことがあるというがその広島支店関係の女性とめぼしをつけて広島支店を訪ねる。可部から通勤していた女性の休暇の日付と写真の日付が符号するので、可部の雑貨屋の2階を借りているという彼女の居住先を訪ねる。
 彼女の従姉妹とその愛人が仲介役となって交際が成り立っていて、その従姉妹と愛人に殺害されていることがわかるという単純な筋立てである。
 この作品の書かれている昭和35年ころの可部町の風景と、そのころの人々の言葉つきが描かれていて懐かしかった。

 最近久しぶりに本を読んだ。「耳の手術は脳のすぐ側だから、そうすぐには調子よくならないよ」と夫は言うとおり、最初退院して気分をよくして家事に精出していたが体調が優れずできるだけ眠るようにしていた。
 なにもしないで横になって考えるに入院前後に読んだ本では、松本清張の徳川家康を描いた歴史小説の人物への洞察力に強い衝撃を受けていることが鮮明になり、すこし松本清張のものを読んでみようと思い立ったことで、またこのように読書の楽しみに触れることができた。
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