『斎王の葬列』
2012/06/17(Sun)
 内田康夫著 『斎王の葬列』を読む。

 間で他の本も読んでいたり忙しかったとはいえずいぶん読むのに日にちがかかった。
 インターネットで調べてみたら、過去にドラマ化された「あらすじ」があった。どれくらいの時間で放映されたのかは分からないが、読むよりは短時間だろう。それでも、テレビよりは読むほうがいいというのは、結局テレビだと途中で寝てしまうか他の家事を思いついて集中できないからなのか。
 他の人はどうなんだろう。
 ここではせっかく「あらすじ」があったのでそれを借用。
 天皇に代わって伊勢神宮の神に仕えるため、宮中から派遣された皇女のことを斎王というが、その斎王の群行が立ち寄ったと言われている宿泊施設のひとつに、滋賀県甲賀市土山町の垂水頓宮(たるみとんぐう)という場所があった。現在は国史跡に指定されている頓宮の跡地といわれている場所を、地元の人々は御古址(おこし)の森と崇め、そこを踏み荒らすものには祟りがあると言われていた。
 34年前に、御古址の森で野元末治(山崎健二)という男性が、倒れた鳥居に押し潰され遺体となって発見された。その傍らには、神事の折に人の代わりや、憎しみや呪いの象徴として使われたという青銅製の人形代(ひとかたしろ)があったことから、「盗掘した祟りだ」との噂が立つが、妻・恵子(横尾香代子)は「殺されたんだ」と叫び訴えた。しかしその恵子も変死体で発見され、その傍らには激しい筆で「怨」と書かれた和紙が置かれていた。

 変わって現代、ルポライターの光彦(沢村一樹)は、学生時代の友人である白井貞夫(山崎銀之丞)に白井が運営する劇団東京シャンハイボーイズの取材を頼まれる。劇団の今回の演目は「斎王の葬列」。都から伊勢神宮へ遣わされた皇女の通い路であった滋賀県土山が舞台で、「斎王群行」を題材にしたものである。
 取材に訪れた光彦が、劇団員達に混じって劇団の宴会に出た翌日、シャンハイボーイズの元劇団員で、白井にロケ地を紹介した長屋明正(土屋裕一)が死体で発見される。そしてその数日後、今度はシャンハイボーイズのマネージャーだった塚越綾子(藤吉久美子)が殺されてしまう…。
 光彦は、二つの殺人事件を調査していくうちに、明正が劇団を辞めたことと、7年前に綾子が劇団に就職したことには因縁があったことを知る。そこには劇団の看板女優である小宮山佳鈴(酒井美紀)と劇団のスポンサーである喬木正隆(山本圭)の存在も見え隠れしていた。
 そしてさらに捜査を続けていくうちに、明正が生まれた34年前に、垂水頓宮で野元という男が殺された先の事件が、今回の事件に大きく関係していることを突き止める。

・・・本とは違うところ・・・

ドラマ: ルポライターの光彦(沢村一樹)は、学生時代の友人である白井貞夫(山崎銀之丞)に白井が運営する劇団東京シャンハイボーイズの取材を頼まれる。
 
本: 長屋明正が殺され、警察から殺人容疑での取調べで困っているとの連絡を受けて、ルポライターの光彦(沢村一樹)は、学生時代の友人である白井貞夫(山崎銀之丞)に白井が運営する劇団東京シャンハイボーイズが宿泊している土山町にいく。
 



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『心理学は子どもの味方か?』―教育の開放へ―
2012/06/10(Sun)
 小沢牧子著 『心理学は子どもの味方か?』―教育の開放へ―を読む。

 心理学は子どもの味方か? 「否」 と答えて痛烈な批判が続く。

 こんな書物があったのか‼
 自分の勉強不足の感をぬぐえない。
 まず、臨床心理学が教育にどのように関与しているかについては、療育センターの存在が思い浮かぶ。
 集団の中で、非常に個人的な行動をとる子どもに対して、普通に療育センターへの相談が薦められているようである。私の職場では、親が困って相談をしてきた時に療育センターがあることをお知らせする。
 そういった子どもは何かと手数がかかるということで、療育センターで何らかの診断がくだされれば、臨時職員の加配が得られるというメリットもある。
 その療育センターの職員が心理学を極め、発達障害や適応障害などの診断のスペシャリストとして登場しているように思っていた。
 私たちの、子どもの障害に関する職場研修で、これらの障害を持つ子どもが最近圧倒的に増えているといわれている。
 たしかにすべての子が適応障害で、おまけに、それを見るのが大変だという私も適応障害なのだ。
 ちょっと情緒豊かな人であれば、金子みすずの「みんなちがってそれでいい」なのだ。
 そのことを、実は臨床心理学の研究者・教育者として、また実践者として過ごしてきた著者が、自分の子育てを通して、心理学の「違いや遅延への対応」が本当に子どもや親の為になるのかと疑問を感じるようになる。
 著者のその問いかけが命がけであることが、その原因を、有史以来たったの40年くらいしかなかった専業主婦の存在にまで言及していることである。
 専業主婦は、家事や子育てを事業として成り立たせているかのような理論武装が必要なのである。思い違いをしては困る、家事や育児は事業ではないという。
 私たちの年代の主婦であれば、私たちの母親が重労働のあいまに自分たちをどのようにそだてたかを思い起こせば感覚的に当然のこととして理解できることではあるが、心理学が、教育現場に厳然として関与する限り親子ともに苦しまなければならない現実があるということである。
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『日と霊(ひ)と火』
2012/06/10(Sun)
 渡辺郁夫著 『日と霊(ひ)と火』 を読む。
 渡辺先生のものは、全部読んでいたと思っていたが、図書館で意外にもこの本を見つけたのでさっそく借りて帰った。
 「はじめに」を読んだら、先生独特のまろやかで淀みのない、深みのある文章に出会ってなんだか崇高な気分になれる。なぜ先生がこの本を書き、なぜ私がこの本を読むのかはっきり分かってくる。
 これまで読んだものは浄土宗や浄土真宗への思いを書かれたものであったが、この書は、古代史を、発掘された遺跡や、書籍と、書籍に語られる神々を祀る神社を訪ねての紀行文のような宗教的評論である。
 神道は、仏典やコーランや聖書などのように、経典によって理解することはできない。『古事記』『日本書紀』『魏志倭人伝』『出雲風土記』などのわずかな歴史書や物語からうかがい知るほかない。ここに語られる神々の国にどのように仏教が受け入れられていったのかを考える時、古代史の縄文人と渡来人と弥生人の関係性を考えてみることはとても意味のあることだ。
 その受け入れる様に、独特の感性があることを、「国譲りの神」、「結びの神」などという表現や実態を感じながらわからせてくれる。
 そして、この「譲る」とか、「結ぶ」とかいった無意識的な感性が、仏教を意識的に認識できる支えとなっているのではないかとかたる。
 私はめったに旅をしないが、この本に書かれているいくつかの神社を訪ねた時のことを思い起こす時、書かれていることを抵抗なく受け入れられる。
 神社の聖域でも日本人の持つ感性に共通のものがあるということを感じる。

 本稿の最後のほうにこのことが的確に書かれている。
 ≪明治23年9月14日、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は外国人としてはじめて出雲大社本殿への昇殿を許された。松江中学教頭の西田千太郎の紹介であったが、破格の待遇といわれている。ハーンはチェンバレンの英訳した『古事記』を読んでいるが、彼の神道への接し方は書物を中心としたものではない。西洋の東洋学者は神道を解明しようとして書籍の中に神道を求めようとし、困難につき当たる。ハーンはこう言う。「しかし、神道のほんとうの姿は、そうした書物の中や、儀式や戒律などのなかにあるのではなくて、じつは、国民の心情のなかにあるのである。つまり、神道は、日本の国民的心情の、永遠不滅な、つねに若さにみちた、最も高い感情が、宗教的に発現したものである。」
 これが杵築大社(きづきの大社・出雲大社の名は明治以降のもの)に参拝した後のハーンの感想である。
 神道とは何かという問いの最もすぐれた答えの一つがここにある。私は神道とは何かと聞かれたら、感受性だと答えたい。この国に生まれ、この国の自然の中で育った人々の中に自ずと培われるある感受性といってよいだろう。だからこの国の自然とそこに生きる人々がいる限り、滅びるようなものではない。政治体制の変動などたいした問題ではない。・・・・≫
 ・・・・。のほうもいよいよ読み応えがあるのだが、きりがないので割愛する。

 十数年前に出版されたものであるが、いよいよ日本人の無意識の感性が、東北大震災を経てさらに、私たち日本人を支えてくれているように感じる。
 書き忘れたが、卑弥呼など女性シャーマンについて語られるところも相当の分量あるが、もちろんこれも、読み応えがある。


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『生まれてバンザイ』
2012/06/04(Mon)
俵万智著 『生まれてバンザイ』 を読む。
 久しぶり、俵万智。
 装丁も小さく可愛い。ワクワクしながら表紙をめくる。
 子どもをおなかに宿し、産み、育てる。
 みどり児との毎日の出会いが 瑞々しく歌い上げられる。
 この出会いは刺身のようだといっている。子どもとの時間は、とびきり新鮮で、飛び切り美味しい。けれど鮮度のあるうちに言葉にしてしまわなければ、あっという間に古びてしまう。
 子育ての実感をとても上手に言い表している。
 きょうの可愛さはもう明日には違う可愛さに代わっている。
 若いお母さんに出会わせてあげたい一冊である。
 最後のほうに子育て以前の恋の歌も収録されている。
 恋の歌は、刺身では出せないところがあって、じっくり煮込んだり味付けに工夫をしたり、盛り付けに細心の注意を払ったりしているという。
 やはり俵万智。素敵だった。
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『鈍色の歳時記』
2012/06/03(Sun)
 阿刀田高著 『鈍色の歳時記』 を読む
 『鈍色の歳時記』の鈍色はにびいろと読むのだそうだ。
 12の短編からなる。
 タイトルには、それぞれ説明書がありるので、この度はそれをメモる。
 「冬日和」 三冬  太平洋側はからりと晴れ渡ることが多い。厳寒の候に多い。さえ渡った晴天をいう。
 「豆撒き」 晩冬 節分の宵に神社仏閣、一般の家庭で行う追儺(ついな)の豆撒きのこと。豆撒きのあと自分の年齢の数だけ食べる風習がある。
 「水ぬるむ」 仲春 寒さがゆるみ、氷も解け、沼や池の底にひそんでいた魚も動きはじめ、春の動きが感じられてくること。
 「黄水仙」 仲春 水仙の一種。三、四月ごろ鮮黄色の花が開く。観賞用の多年草。
 「父の日」 仲夏 六月の第三日曜日。父に感謝を捧げる日とされる。ネクタイなど小物を父親にプレゼントする習慣が定着してきた。
 「半夏生(はんげしょう)」 仲夏 二十四節気七十二候のうち、夏至の第三候に当たる日。夏至から数えて十一日目。
 「百物語」 晩夏 夏の夜、怪談で涼しさを味わうという趣向の催し。百本の蝋燭を立て、一つの恐ろしい話をしては、一本ずつ消してゆき、百本目の蝋燭を消すと、本当に化け物が出るという。
 「油照り」 晩夏 どんよりと曇って風が無く、汗ばむような蒸し暑い日和。「待宵」 仲秋 陰暦八月十四日の夜。十五夜の月を待つ夜のこと。明日の晴天がはかりがたいとして、十四日の月を賞する。小望月とも言う。
 「鉦叩き(かねたたき)」 初秋 コオロギの仲間で、灌木や庭の植え込みなどに棲み、鉦を叩くような単音で鳴く。
 「秋出水(あきでみず) 仲秋 台風などで河川の水かさが増し、堤防が決壊して大水が出る。一年のうちでも被害が大きいとされる。
 「年の瀬」 仲冬 十二月になってからを言う。特に十二月も押し詰まった時期をさすこともある。正月の準備にかかる時期。

 「オール読物」に1月から12月まで、この言葉から、連想して物語を作ってみましたといった感じの作品。
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全而帰之
2012/06/03(Sun)
 全(まつたい)にして之(これ)を帰す

 子は完全な体を両親から受けたので、死んだら完全無垢の体を両親に返すべきであるということ

 斎氏 世よ(=代々)医を業とす。第四世子穣の妹は八重子と日(い)ひ、性(=生まれつきの性質)順なるも質(からだ)弱く、脊椎病の罹(かか)る。競競(きょうきょう)として(=おそれつつしんで)服薬するも瘳(い)えず。明治十六年一月六日、九歳にして夭(わかじに)せんとすること日を数ふべし。母に請(こ)ひて曰く、「児の死期将に(まさ)に至らんとす。唯(た)だ屍体を剖(さ)きて後の患者に■せんことを望む」と。母泣きて聴(ききい)れたり。為に順和社員に報(まう)して、三木先生に請ひて執刀せしむ。遠近の医人来たりて之を観(み)る者、八十余名。益ます得る所有り。社員為に■を詳らかにして、碑を■、伝へて朽ちず。銘を嘱(つづり)て曰く、「而今而後(じこんじご)・・・・・(・・・・・の部分、碑面が摩滅してよみとれていないか?)・・吾知先央・・・・」と。    竹村順 撰し 並びに書す。

 これは、私の住まいから一番近くのお寺の墓地に建てられた碑の文面の読み下し文である。古文書グループのKさんから、地域のことなので、是非とも正確に読み取りたいとの希望があって、つてを頼って読み取っていただいた。
 お願いしたのは、3月はじめの頃であったが、やっと昨日手元に届き、今朝Kさんに届けた。
 原文と照らし合わせて、この文を二人で読んでみて、思っていたことと違っていたことについて話し合った。
 解剖を希望したのが九歳の子ども本人であるのか、その母親であるのか。もともとこの記事を扱った新聞には、原文は載せていないが、母親が希望したように記されてあった。しかし、この文面では、子どもの希望のように記されている。
 Kさんは母親だろうと言われた。しかし私は娘本人だろうと言った。
 私の母が昭和47年50歳の時、突然倒れて脳腫瘍を患った。当事広島県では母が入院した県病院にしかCTスキャナがなく脳外科のスタッフはテレビ映画のベンケーシーを見るような様子だった。母はその時の手術をしてすっかり治していただいたのだが、従前その母が、頭痛がするたび、兄に「私の頭が痛いのはどうにかなっているのだろうから私が死んだら必ず解剖してみて欲しい。」と時々言っていたのを思い出したからだ。
 私もこのたび耳の手術をした時の手術の様子を全部DVDに撮ってあるのを見せていただいて、100パーセント理解した。
 痛みを持つ人は、自分の体の究明を望むと思えるので、本人が希望したのではないかと思うからだ。
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