『別れの後のミニトマト』
2013/01/30(Wed)
 ブログでおなじみのみどりさん著 『別れの後のミニトマト』 を読みました。
 もちろんみどりさんが送ってくださったものです。
 しかし、この冊子があることに一昨日まで気がつきませんでした。
 梨木香歩の 『からくりからくさ』 『西の魔女が死んだ』 を読み終えて、もっと梨木香歩の著書を読んでみたいと、みどりさんが送ってくださった段ボール箱の全部の本を取り出しました。そのとき、みどりさんの詩集が添えられてあるのを見出しました。今まで気がつかずにいて、みどりさんの気持ちをぜんぜん汲み取れていなかったふつつかな自分にどうしょうもないものを感じました。
 それにその詩集には、美しい絵葉書も添えられてありました。ゴッホの≪薔薇≫の絵葉書。昨年東京に出かけたから見ることのできた新宿の損保ジャパンビルの美術館で見た≪ひまわり≫以来のゴッホです。そして≪薔薇≫の中にある気流のようなものは県立体育館の東隣の広島市立美術館にある≪ドービニーの庭≫の絵の中をわたる風を思い起こします。不思議な縁を感じます。
 仕事に出かける前の数十分、『別れの後のミニトマト』のなかの「別れの後のミニトマト」、何度か読みました。子を持つ親の思い痛いほど伝わってくるすばらしい詩です。仕事への道々、詩とはいったいなんだろうと答えの出ない思いにふけりました。
 あと、ゆっくり読んでいくうち、みどりさんの世界がじわじわと身にしみて、本当に身近になっていくのを感じうれしくなりました。
 あとがきに、小冊子をつくるにあたって世話になった人の名前に都月次郎氏の名前がありました。都月次郎氏といえば詩集の装丁。改めて、みどりさんの詩集の装丁を見つめなおしました。
 新鮮なトマトが放つ光、それはお孫さんの未来にも注がれている光のようにも見え力があります。
 この表紙の装丁もこの詩集にふさわしい印象に残るものに思えました。
 この詩集私の宝物として身近において大切にしたいと思います。
 みどりさんありがとうございました。

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『西の魔女が死んだ』
2013/01/29(Tue)
 梨木香歩著 『西の魔女が死んだ』 を読みました。
 直前の『からくりからくさ』の著者、梨木香歩の著書です。
 これもみどりさんにいただいた本です。

 学校に行けなくなった女の子まいは、ひとりで人家から外れたところの広い屋敷に住んでいるお母さん方の祖母のところに行って、しばらく過ごし、その間の祖母との生活から、学校へ行くことを決意するまでの話です。
 祖母は魔女についてまいに話します。
 ≪大昔、人々は皆、先祖から語り伝えられてきた知恵や知識を頼りに生活していたんです。身体を癒す草木に対する知識や、荒々しい自然と共存する知恵。予想される困難をかわしたり、耐え抜く力。そういうものを、昔の人は今の時代の人々よりはるかに豊富に持っていたんですね。でも、その中でもとりわけそういう知識に詳しい人たちが出てきました。人々はそういう人たちのところへ、医者を頼る患者のように、教祖の元へ集う信者のように、師の元へ教わりに行く生徒のように、訪ねていったのです。そのうちに、そういうある特殊な人たちの持っているものは、親から子へ、子から孫へ自然と伝えられるようになりました。知恵や知識だけでなく、ある特殊な能力もね。・・・・・そういうと、とてつもないもののように聞こえますけれど、多かれ少なかれ人にはそういう能力があるんですよ。・・・人より上手に歌が歌えたり、計算が早くできたりする人がいるようにね。≫
 祖母はいつまでも自分の元にいてもいいというが、学校に行けないでいることはできないと、戦闘状態の気持ちでいるまいは、それはできないと言う。それなら魔女修行が必要ということで、まずは、早寝早起き、目標は自分のことは自分で決められるようになる。日課を決めての、家事の手伝い、勉強、そんな生活の中から、自分が学友の中で、どんな気持ちで生活していったらいいかを自分で考えられるようにまで、成長していく。

 この本の終わりに、「解説」があります。読んだ瞬間、こんなすばらしい解説を読んだことがあったかなと思いました。この作品から読み取って感じ学ぶべきことを的確に述べた教育的解説です。書いた人は、この単行本のカバー装画を書いた早川司寿乃という人です。

物語を通して、「死んだらどうなるの?」という素朴な子どもの疑問に答えていく部分があります。解説で、
≪この場面でもうひとつ際立つのは、死が清々しく描かれているということです。今の時代、生は〇、死は☓、というふうにされがちですが、ここでは、生がいきいきと描かれているのと同じく死もまたいきいきと描かれています。・・・魂と魂との間には、隔てる距離や遮る何かがあるわけではなく、とても自由です。≫
ここで使われている魂。心との違いを感じさせてくれそうな物語でもありました。
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『からくりからくさ』
2013/01/27(Sun)
 梨木香歩著 『からくりからくさ』 を読みました。
 これもみどりさんにいただいた本です。

 蓉子は、祖母が亡くなって、祖母が住んでいたうちが空き家になったのを、母親の提案で自分もそこに管理人として住むことで他人に貸すことにする。
 アメリカから鍼灸の勉強に来ていて蓉子と英語・日本語を教えあっているマーガレット。蓉子の通っている染色工房に来ている機を織っている内山紀久。そしてテキスタイル図案研究をしてやはり機織りをしたいと思っている佐伯与希子。この4人と蓉子が祖母から受け継いだ有名な人形師の造ったらしい市松人形の「りかさん」共同生活のような生活が始まる。
 紀久の十年前亡くなった祖母のお棺桶に一緒に「りかさん」そっくりのお人形があったこと、与希子は病気のため最悪の覚悟で身辺の整理をする父親から曽祖父の兄に当たる人が高名な人形師であったこと、さらに母親の大伯母にもこの人形師との関連があるなど蓉子・紀久・与希子が不思議な宿世の縁で結ばれていることがわかり、生命の連なりを支える絆を描く。
 4人の共通の仲間として、二人の男性が、時々このうちを訪れる。
 その一人神崎は、精神的に危なっかしい人がいると、気がついてそっと上手に支えてしまう。そのために、支えられた人は参ってしまう。それで、まったく合いそうもない紀久が、彼のことを好きになってしまい、そのあとマーガレットが彼の子どもを身ごもってしまう。神崎はそのことを知ってかしらずか、トルコ方面に旅に出かけてしまい、その生存すらわからなくなる。
 のち、彼女たちは、永遠に交じり合わない唐草、色の溶け合う絵画の世界から、色が点描として屹立し集合する染色の世界を選んだ神崎が、マーガレットから、母方、父方ともにマイノリティーであることを打ち明けられ、そのことを知った神埼が個としてすっくと立っていた風情のマーガレットに惹かれ、何千年もその独自性を固持していった民族に惹かれたことを理解する部分もある。

 この書には、染色や織物など、美しさを求めながら、こつこつと手仕事をする人が描かれていくのですが、平行して、この作品そのものを、著者がこつこつと紡ぎ染色し織っているという感じで、読みながらも、時々目を落としそうになるのを、ほっとけないで一つ前から拾い上げていくというような読み方で読みすすんでいきました。
 そして蓉子の、慈しむとか、大切にするとか、尊ぶとかそういう思いのかけ方に、読者である私も包まれていきました。
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『至誠に生きた人々』 ④
2013/01/23(Wed)
 丸山義雄著 『至誠に生きた人々』の第三話から第五話「文学」「休憩室・お楽しみ」「寮歌」を読みました。
 「文学」では、漢文、とくに漢詩がほとんどで、私にはちんぷんかんぷんです。
 地理もよくわからないし、時代もよくわからないし。情景を浮かべにくいのです。

 漱石の文学表現における漢詩の役割といったようなことを大学で一時考えたことがありましたが、著者の丸山義雄氏は漱石と同じく漢文の研究者ではなく、漢詩を本職の息抜きに楽しんでおられるところがありそうです。そんなことを思いながら「休憩室・お楽しみ」まで読み進んでいくと、漱石の弟子というか友達に、寺田虎彦がいて、彼の随筆集を読み返してみたいとも思わされました。
 私たちの日常生活とは縁遠い漢文や、将棋、研究開発。いずれもコンを詰め、上等なひらめきがなければなりがたいものばかりですが、それを成り立たせている心の向くところを読ませていただく読書というのは、この何年かなかったような気がするのです。寺田虎彦の随筆集以来でしょうか。でも、読んだのは、高校生のころのことで、書かれてあったことは覚えてはいませんが、その風景だけがこの書と似ていそうだとぼんやりと思うのです。
 昨年、特殊相対性理論をわかりやすく書いた本を読みましたが、それとも違うし、ずっと昔、広中 平祐の何とかという本を読んだのとも違うし。やはり科学者でいらっしゃりながら、「文学」の陶淵明の文に「日本文化の底流に漢文があります。私はそれが好きです。」と書かれているようなところが、私にとっては、丸山義雄氏の著書の大きな魅力かと思いました。難しい本ながら、そんなところが、一張一弛の一弛になるのかもしれません。

 それにしても、この書の元になったブログ記事に多くの人が、アクセスされるのですから、漢文が理解でき、楽しめる方もおおいのかもしれないとも思いました。


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『至誠に生きた人々』 ③
2013/01/23(Wed)

 丸山義雄著 『至誠に生きた人々』 の第二話「人生の指針」を読みました。

 ここでは、諸葛孔明、上杉謙信、直江兼続、河井継之助、山本五十六、小林虎三郎、孔子、海軍五省、新渡戸稲 造、キスカの木村昌福提督、佐貫亦男教授、城山三郎、将棋の木村一基、原野亀三郎、加藤一二三、升田幸三、藤沢周平などの話があり、同感できるところや、身につまされることが多く五省どころか、おおいに反省することがありました。
 城山三郎の「静かに行く者は健やかに行く 健やかに行く者は遠くまで行く。」は昨年から我が家の壁書きになっています。
 升田幸三の郷里は私の実家から1時間くらいのところにあります。『名人に香車を引いた男』は数十年前読んで、賭け将棋をしていたという横川駅前や、広島の本通りを通るときは思い出すこともありました。 

 反省では、「一歩前に踏み出す勇気」。家族にも、友達にも指摘されることです。
 また、『礼記』に出てくる孔子の「一張一弛」にはドッキッとしました。
 19歳のころ、ある男性に「あなたは、いつも弓の糸をしっかり張っているように見えるね。たまには緩めないと、何かの時には糸が切れるのではないかと心配だ」といわれたことがあります。きっと、いつも何かを思いつめているように見えたのでしょう。
 しかし、昨年2月に耳の手術で、20日くらい仕事を休んで、復帰したとき、自分でもあれっ!と思えたのはへぼ将棋が少し強くなれたと思ったことでした。
 ときどき職場で子どもたちを相手に将棋をするのですが、高学年の将棋を習いに行っている子どもには、他の子や来客対応もありながらでは、一手の手違いで押されぎみでした。しかし、初歩的ではありますが、相手にも指す手がないぞ、というのに気づくようになり、相手の手違いの一手を待てるようになり、あとはすかさず押していけるようになりました。そのときは、将棋が最強のコンピュータの報道を見たからかと思っていましたが、この「一張一弛」を読んで、入院して一休みしたからかなとも思えました。
 「一張一弛」。一張は簡単そうですが、一弛をどのように過ごすかは難しいと思えます。
 しかし、丸山義雄さんから送られたこの著書『至誠に生きた人々』を読みながら時を過ごすことは勉強になりながら、一弛のためにはとてもいい時間だと思いました。

 丸山義雄さんに感謝です。
 
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『至誠に生きた人々』 ②
2013/01/21(Mon)
 丸山義雄著 『至誠に生きた人々』の第一話を読みました。
 第一話「会津藩の幕末・明治」は著書の主題です。

 数年前テレビで、萩の人たちが、会津の人たちに仲良くしましょうと呼びかけたところ、斗南のご意向もありましょうから、とやんわり断られたといういったような報道を聞きました。
 なんとなく、斗南に押し込められた会津藩主や藩士が去ったあとに残された領主をしたう領民の子孫の気持ちを思って心が熱くなったことを覚えています。

 私たちは3人兄弟だったこともあり小さいころから、広島県の中国山地の小さな村で毛利元就の三矢の教えなどを伝え聞いて育ちました。おそらく会津藩でも、のちの悲劇の遠因ともなった保科正之公の藩をあげての幕府への忠勤と仁政の教え、さらに江戸幕府瓦解のとき忠義の誠を最後まで貫いた藩としての誇りと無念が藩の隅々から近隣にまで語り継がれてきたとおもいます。

 会津では藩士の男子子弟は、6歳になると「什」(ジュウ)という組に入り「什」の誓いのもとに遊びや勉強をし、10歳になると藩校の日新館で、文武両道を学び忠勤の武士としての心構えがきちんと教育されていたということです。 幕末、長州などが身分に関係なく広く軍隊を組織したのに比べ、会津藩は武士道に精通した清強な武士団で戦いの作法にも潔さが際立ったようです。

 そして、斗南に行っても藩の教えを堅く守りぬき、苦汁に耐え、勉学に励み、勝者による歴史観に対して、『京都守護職始末』を著して藩主容保の忠誠の証を立て会津朝敵の汚名を雪ぎました。さらに多くの至誠の人物を輩出していったことへの思いを深く受け止めて、伝えたいとの思いが短く簡潔な文面から熱い思いと共に伝わってきます。

 白虎隊に入っていたのに、年齢がひとつ違うということではずされたために生き残り、東京大学総長を2回も勤め『京都守護職始末』を著した山川健次郎。この人が白虎隊の話になると感極まったというエピソードや、中村半次郎の鶴ケ城明け渡しのエピソードも語り草の名場面。
 このような話も、あの河井継之助が総督を勤めた長岡藩を郷里にもつ著者に語られると感慨もひとしおでした。
 今年の大河ドラマ「八重の桜」は、この書を手元に送ってくださったおかげで、何倍にも深く味わうことができることと楽しみです。

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『至誠に生きた人々』 ①
2013/01/20(Sun)
 丸山義雄著 『至誠に生きた人々』を読みました。
 著者の丸山義雄氏がブログのご縁で著書を送ってくださいました。
 みどりさんが送ってくださった『海を渡った蝶』にある、北帰行を調べているうちに行き着いたyoshさんです。
 みどりさんからさらにご縁が広がりました。
 夫婦で感激です。
 昨日届き、今日は第三日曜日ということもあって仕事休み、早速読みました。
 ブログでは漢詩に関する記事がおおく、漢文や漢詩、少なくとも文学か歴史を専門にされている方かと思っていましたが、ご専門は電気工学科で東京大学で修士課程まで勉強されてその方面のお仕事をされた方ということがわかり以外でした。
 第一話の「会津藩の幕末・明治」が主題ですとおっしゃられていましたが、第六話の「サイエンス」から読み始めて・第一話・第二話・・と最後まで読みました。
 サイエンスは、もともとわからないことが無限大にあるんだとわかったところから一歩も前に踏み出したことがないので、どうしてもここに惹かれるのは当然のことですが、やはり「わからない」で終わるのは仕方がありません。でも、読み終わって、思索が頭を空回りするのは、楽しいことです。
 読んだあと、久しぶりに夢を見ました。夢での出来事は、おそらく、お昼前から、夕方暗くなるまでのことで、目覚めてもしっかり内容を覚えていていました。この長時間の経過の夢は、どれくらいの時間をかけて見た夢なのでしょうか。映像のコマの早送りをしているのでしょうか。
 以前運転をしていて対向車とぶつかりそうになったことがありました。そのとき、一瞬のことなのに、ゆっくりとしたコマ送りの映像のように見えたので、冷静なハンドルさばきで難を逃れたことがあり、時間を脳がどのように認識するのだろうと不思議でした。
 サイエンスのなかの「タイムマシーン」での、主題とは違っていくのですが、本文が短いだけに、文章の効用でしょうかその文章からそんなことに思いは巡りました。
 「現生人類の繁栄」の、子どもを生めなくなっても長生きするおばあさんの存在が人類の繁栄をもたらしたという文では、思わず笑ってしまいました。戸川幸夫の『人はどうしてスケベなのか』という著書を思い出しました。子どもを生むためではないセックスをする人類の謎をほかのさまざまな動物と比較して生態学的に、社会学的に納得させる本です。人間は成人して自立するのに20年前後かかる。その間夫婦が協力しなければ育てられないのでその共同作業生活を維持する意味でもそれは必要というものでした。昨今若い夫婦の離婚のために孫を育てている祖父母は多くなる一方です。あれあれいつまでがんばらされるのやらと気が遠くなっている老夫婦もすくなくないことを思っての可笑しみでした。
「拡散方程式の不思議」は、さっぱりわからない方程式の話ですが、その答えが、特殊相対性理論と合っていないというので、唯一の物性値の拡散係数の新しい数式ができたというニュースを見れることが、とりあえず私の生きている間の楽しみのようでした。

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『女人芸術の世界』
2013/01/18(Fri)
 尾形明子著 『女人芸術の世界』 を読みました。
 やはりみどりさんにいただいたキキョウの花のきれいな装丁の書です。
 副題に「長谷川時雨とその周辺」とあります。

 昭和3年7月に、長谷川時雨という人が、夫である三上於菟吉の資金提供を受けて創刊した「女人芸術」について、その創刊の創刊意向やいきさつ、そこに集まったひとびととその作品のこと、昭和7年6月で廃刊になり、新たな「輝ク」の創刊までが記されています。

 余談ですが、「はじめに」の前に精養軒での談話会でのきれいに撮られた記念写真があり、精養軒といえば、どこかでみたような・・。
 ふと、夏目漱石に出てくる料亭の名前であることに気づきます。
 やはり、大正2年12月、長谷川時雨は鴎外、漱石、信綱を顧問に6代目菊五郎と共に「狂言座」を結成、とあり自分のなじみに出会ったような懐かしい気持ちになりました。

 「女人芸術」に話をもどしますと、できるだけ多くの女性の執筆の場にと、広い心でどんな作品をも受け入れていこうとする長谷川時雨の気持ちによって、多くの女性作家が登場します。長谷川時雨のそんな気持ちを表したものに「日本橋」という彼女の連載作品がありそのなかで、
 ≪江戸っ子という代名詞は各地の精鋭な人々、その地に甘んじられず、中央に出てくる覇気満々たるの徒、つまりその時代の新興階級こそ真の江戸っ子です。≫
 ≪自然そこには闘争的のものがあります。プチブル気分は持たない。それが外面的に表われて上は粗末な着物でも下を清く、何処で倒れても準備をしておくという風になり、内面的には金銭や権勢にあゆ阿諛せず虐げられる者に同情する気持ちをつくったのです。≫
 と述べている。
 脚本、小説、自叙伝、随筆、詩、そして絵の上手な人、編集の上手な人、交渉のうまい人、会計のできる人、女性だけでその持っている能力を出し合っての創刊であったようです。
 宇野千代、円地文子、林芙美子、太田洋子、佐多稲子などの若いころにも出会えました。思えば圧倒的に男性作家の本の読者である私には、昭和初期の美しい色彩にあふれた女性たち、時代を美しく生きようとする活力ある女性たちに圧倒されながらの読書でした。
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『うさぎたちが渡った断魂橋』
2013/01/14(Mon)
 山田盟子著 『うさぎたちが渡った断魂橋』を読みました。
 みどりさんからの3冊目です。
 
 ≪ウサギは、東西を問わず、弱者の代名詞でありました。「格子のなかの白ウサギ」は、マニラを明治期に訪ねた俳人が、からゆきにつけた呼称です。しかし内地で格子の張店にならぶお女郎とて同じでありました。お女郎、からゆき、慰安婦を生みだす日本の風土を、初巻で見極めていただきたいのです。
 そのウサギたちが渡った「断魂橋」は、事実として南満州の鉱山の町に在りました。日本人と中国人街との境堀にかけられた橋なのでした。≫
本文最初の頃の抜粋です。

 慰安婦を生みだす日本の風土、というものがどういうものかについては他国のことを知らないので読み込むことのできなかった私ですが、貧しさからとか、強制されて、性を辱められ体を痛められた女性の話だけでなく、男女を問わず奴隷として売られていった人たち、強制されての慰安夫のことにまで話は広がり意外な史実をおおく知ることができました。

 たとえば以前、支倉常長か、あるいは大友宗麟・大村純忠・有馬晴信などの大名の名代としてローマへ派遣された4名 の少年の話を読んだときでしたか、港々に日本人奴隷をおおく見たことの記録があることを知りましたが、どのようないきさつでこのような奴隷がおおくいたのか謎のままでした。戦国時代、鉄砲伝来による硝石の入用によって戦国大名は多くの硝石を必要とし硝石一樽と奴隷50人が交換されたというのです。『五箇山ぐらし』という書では加賀藩で、一揆などの犯罪者を送り込んだ隠れ在所のあの高床式の家屋の床下で塩硝がつくられていたことが書かれていましたが、それは天保年間の話でした。昨夜みた新島襄の妻八重子のドラマの、鉄砲に詰める硝石の混合のやり方についての会話も、彼女の娘の頃の時代でもその程度であったのだから、戦国武将の時代に1樽に奴隷50人というのもありえる気がしました。
 さらに、明治になって三池炭鉱の石炭を三井物産が輸出するとき日本人奴隷も天草の口ノ津から密輸していたというのも大きな衝撃として知りました。
口ノ津は、アフリカの奴隷を売り買いしていた黄金海岸と対比して白銀海岸といわれるほどに人身売買の港であったとの記述で、口之津という地名に、魏志倭人伝に奴隷を「生口」と言っていること、人数のことを「人口」といったりするのを思い起こし、その地名にもなにか物悲しいものを感じました。
 なかでも一番衝撃的なことは、終戦後の遺骨収集団や戦友会などにも旧軍隊の階級があるということで、下っ端の者には声も掛からない、たまたま慰安夫であって周りの世話をしたことで覚えられていて声が掛かったという証言者も写真などに写っている人は上官であって、自分には回ってこないということでした。それも、上官が死んだので言えることだというのです。
 まさしく、上官たちが祭られ、上官の子孫が又祭られるかもしれない神社にお参りすることで、隣国に恨まれ、・・・。
やりきれない気持ちで本を閉じようとしています。
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『海を渡った蝶』
2013/01/10(Thu)
 右遠俊郎著 『海を渡った蝶』 を読みました。
 これもみどりさんから頂いた本の箱からの2冊目です。

 著者はこの作品をどのようなスタンスで書き始めるかについて序章で丁寧にそのいきさつを述べています。そのいきさつの斬新さにつられて私の読書熱も高まりました。
 「小説家の書いたウソを書かない自分史」。そのテーマは初恋と失恋です。理解できていなかったそのときの世の状況の資料と、記憶を忠実になぞった作品と理解しました。
なのでこの作品は、史料価値をも充分に備えているともいえる貴重な書物にも思えます。

 昭和19年、9月旅順高に入学。20年6月校則を破っての退学、学生であれば兵役を免れたものを7月7日遼陽の輜重隊に新兵として入隊させられる。
 8月15日の終戦、捕虜となり、あちこち移動させられるうち自分が通った中学校の校門の前を歩かされているとき恩師に出会う。
 捕虜の中から同級生の松川も声をかける、その出会いで情報が松川の父に伝わり二人とも脱走できる。9月の下旬であった。父親との再会も果たす。ソ連軍の日本人への立ち退き命令で12月半ば金州にいた父母弟妹の4人が大連に逃げてきて自分たちにも22年1月17日から引き上げの順番が来る。
 意外なことに、この作品のテーマである妹の級友である初恋の女性に出会うのは、114ページ目から。
 引き上げ順番を決めるため、各戸の困窮状態の程度を正確につかんでおく必要から、地域に残された労組員のオルグが青年の集いを持った。そこで出会うのである。
 芝居をやろうと言うことになり彼が『北帰行』をもとに脚本を書き主役を演じ彼女が相手役を演じた。二人は仲良くなったが彼の引き上げによって別れる。
 岡山に引き上げて、6高の図書館に勤務するようになり、石川県に引き上げた彼女に会いに行き、最終的な彼女の意思で別れる気持ちに決着がつき、誰にも内緒で東大受験を目指して東京に行くところで終わる。
 芝居で演じた宇田博の『北帰行』。この宇田博が、旅順高の4年先輩で、旅順高では、校歌などとともに、この歌の背景が語り継がれていて、作品の複線の役割にもなっている。

 作品中、多感な青年時代に読まれていく本が、私も20歳前後に読んだ本であることに親近感を覚えました。
又、この作品には、男女の関係において、惹かれあう心・心情と、交じり合う肉体との関係に、思ってもみなかったこと(もしかしたら当然のこと)を学んでいく著者の成長記録が精彩を放って私の心を捉えました。

『北帰行』、そうです。この曲です。
 
窓は夜露に濡れて 都既に遠のく
北へ帰る旅人一人 涙流れてやまず

我身入るるに狭き 国を去らんむとすれば
せめて名残の花の小枝 つきぬのぞみの色ぞ

富も名誉も恋も 遠き憧れの日の
あわきのぞみはかなき心 栄光我を去りぬ

建大一高旅高 終われ闇を旅行く
汲めど酔はぬ怨みの苦杯 磋嘆干すに由なし

一人黙して行かん 何を又語るべき
さらば祖国我同胞よ 明日は異境の旅路


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『くらやみの猫』
2013/01/07(Mon)
 都月次郎著 『くらやみの猫』 を読みました。
 お宅にたくさんの本があるとおっしゃるみどりさんからの贈り物です。
 まずは箱の一番上の本から手にいたしました。
 書店の棚から取り出したように、真新しい感触です。
 詩集は若い頃少し読んだきりほとんど読んでいません。
 詩情が欠落しているのか詩集を読むのがあまり上手でありません。
 読み終えて、本を閉じると、濃紺の表紙に真っ白くお星様の光のように「くらやみの猫」と表題が浮かんでいます。
 そこで一編の詩をつくりました。

 久遠の宇宙 
       深山あかね

枕に持たせた頭いっぱいに浮かべる
深い濃紺の夜空に煌く星
久遠の宇宙に吸い込まれそうになりながら
遠く遠く遊泳する

穏やかな心
いとしい心
優しい心

深く鎮まる宇宙に
そんな心のありかが
あるのだろうか


目覚めた朝の灯かりの中で
そんなものが
マグカップに
お皿に
そっと置かれてある


下手だけどめったにつくらないので記念に記します。

 詩の書き方
    都月次郎      
ほんとうは
書きたいことはいっぱいあるんだ。
けれど女や猫とおんなじで
追いかけると逃げる。
ぼーっとしていると
むこうからやってきて
いつのまにか
ひざに乗っている。


「ぼーっとしていると」は私の得意技ですがやはりそこが詩人と違うところでしょうか。
とりあえずささやかな食卓に感謝できた朝。

 みどりさんにも深く感謝いたします。ありがとうございました。


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『年賀状』
2013/01/02(Wed)
   あけましておめでとうございます
    2013・1・1
<M>(奥様)おばあちゃんの入院3年目。年末の衆議院選挙の棄権、残念だったでしょうね。
<S> 小選挙区、誰にも投票しようがなかったんじゃない。少しは民主党に期待していたからな。裏切られた感、まだ少ないままでよかった。
<M> 大飯原発再稼動の時の、野田さんの「安全宣言」が酷すぎたからね。あんな「ウソ」言っては駄目。
<S> しかし本人は「私は正直者だ」と信じてる訳だろう。マンガやな。けどね、自民党の勝ちすぎ、危ない、危ない。世襲議員のおぼっちゃま達の火遊び、要注意。
<M> おばあちゃん、きっと病床でうなされているよ。
<Y>(おばあちゃん) 苦労して築きあげてきた平和が・・・・❢?

  今年も、よろしくお願いします。

 元旦に我が家に届いた年賀状です。
 <S>先生は、私たち夫婦が若いころから尊敬してやまない大学教授でした。先の広島市長が同じ学部から衆議院議員に立候補したときのごたごたで大学をおやめになりました。 
 悩まれていた地域の保護者の方々の悩みを聞いていただくために一度我が家においでいただいたとき以来 忙しさにかまけて、ずっとご無沙汰続きでした。でも、こんな世の中になってしまうと先生をしきりに思い出します。
 若い頃、<S>先生のお宅を訪ね、奥様のもてなしもうけたこともありますので、先生の居間からのぼやきが眼に見えるようにつたわってきます。白いガーデンテーブルとイスのある芝生だけが植え込まれた広いお庭。居間と研究室風の客間にはできるだけたくさんの学生などが集える大きなテーブルに多人数座れるイス。
 賀状には毎年、このような形式で家族の決意などが書かれてありますが、子どもたちも旅立って今年は夫婦のぼやき対話になっています。
 この間お子様も成長につれ、お庭や居間などの様子もずいぶん変わっているかもしれませんが、ご夫婦の思いが変わっていないことは、いつも年賀状で知り、心強く思っています。
 先生には若い頃たくさんの大切な言葉をいただきました。たしか畳の席であったと思いますが、私が何か話したとき、いきなり「あなたは蓮舫さんによく似ているね」と言われました。私は蓮舫さんという人の名をそのときはじめて聞いたのですが、先生は直前たしか沖縄に出かけられ、会合で蓮舫さんに会って意見交換をされていたらしいのです。いまも蓮舫さんがどのような心持の人かよくはわかりませんが、なぜか私自身のことを評されたこの一言もよく覚えています。
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