二日がかりのマーマレード
2013/02/26(Tue)
昨日月曜日は、日曜出勤の後の休日でした。
朝、夫がボンタンをたくさん買ってきました。
途中それでも姉のところで十数個差し入れしてきたといいます。

ちょうど、みかんのマーマレードがなくなって昨年お中元で頂いた高級そうなジャムを食べていたところでした。
三年前の夏、えいこうさんのなつはぜのジャム作りに刺激を受けて以来、ジャムやマーマレードはほとんど手作りです。みかんのマーマレードの前はりんご、そのまえは柿、その前は夏みかんといったようにです。
この手作りを始めて、おごはん大好きの私、近所の安くておいしい食パン以外では朝食を頂かなくなりました。お昼だってパンがいいなと思うときもあるくらいです。

夫が買ってくると、これでマーマレードをと思っているのは言われなくてもわかります。
高級そうなジャムは、りんご以外夏みかんもブルーベリーも我が家のほうがおいしくいただけます。自分好みに作っているのだからそれもそうです。
作り方をさっそくインターネットで検索してみました。だいたいは他の柑橘類と同じです。ただ、種に包丁で切れ目を入れて湯がくとその湯がき汁にうまみが出ますと書いてあるのは初めてでした。そして、外側の皮の白いところを取り除くと書かれてあります。

二十一個のうち十一個のボンタンを作ることにしました。
外側の皮は薄くむいで二度ゆでて、細切りにして一晩水にさらしざるにあげました。
白い皮は捨てました。
内側の皮は湯がいて湯がき汁とでミキサーにかけトロントロンにしました。
種も湯がき汁と一緒にミキサーに掛けて濾しました。これもトロントロンです。
トロントロンが苦いので不安でした。
ためしにそれぞれの材料を三分の一くらいおなべにとって、砂糖を400グラムくらい足して煮立ててみました。味をみると、苦味が程よくなっていました。夫もこれなら美味しいと、材料全部煮ることにしました。
子どもがいたころ使って以来、職場の祭りに貸し出すくらいしか使っていない打ち出しの大なべを取り出しすべてを入れ砂糖もレモンの絞り汁も大量に足しました。
煮立て上がって、底まで丁寧にかき混ぜてみると、大変!。底が焦げています。白っぽかったマーマレードがオレンジ色に急変しました。こげ色の皮も少しあります。これは大変!大きくて深いなべにとどくおたま。そういえば、おなべを買ったときおまけにつけてくれたでっかいおたまがありました。
流しの奥のほうから取り出してみるとビニール袋の中で真っ赤にさびています。金タワシでこすりまくってきれいに洗いました。再度火を入れてかき混ぜながら煮込んでいきます。さらに黒いこげがちらほら見えます。
びっくり、おたまが、日本刀のようなピカピカのねずみ色になっています。きれいに洗い上げたおたまが、さらに一皮むけてしまったようです。酸化鉄入りのマーマレードになりそうです。一時間半混ぜながら煮込むうち、酸化鉄も大方掬い取って出来上がりました。
まるで『グリとグラ』のような二日間でした。

残りの十個のボンタンをどうするか今は考えられません。

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『弱き者の生き方』
2013/02/18(Mon)
 大塚初重・五木寛之著 『弱き者の生き方』 を読みました。

 この書は大塚初重氏と五木寛之氏の対談集です。
 五木寛之は対談の名手といえます。
 五木寛之は、人と語ることを面授という言葉であらわし大切にしています。
 五木寛之の作品は近年のものしか読んでいないのですが、自分の過去の体験での戦争の悲惨さを語ってはいたものの、この作品ほど自分が死に逝く人の傍観者・加害者になった苦しみの心境や、引揚者であった自分への差別を語ったものはなかったと思います。
 彼は、2日間にわたってのラジオ放送で、大塚初重氏が、自分の戦争で撃沈(昭和20年4月14日)された寿山丸に乗っていて助かるときに、ちぎれたワイヤーロープにぶら下がって、自分の足にしがみついてくる人を蹴落として助かり、さらに吉林丸に乗って撃沈されて2度も漂流をした話を語っているのを聞き、対談を申し込んだというのです。
 同じように、自分の悪にさいなまされ続けて生きている人がいる。
 生と死が紙一重のなかを生き続けなければならなかった時代のこととはいえ、この重い荷を背負って生きている人、その弱き者としてそのことを語り合える人にめぐり合えたという気持ちであったことでしょう。
 ここでは、ふたりの戦争体験やそれぞれの家庭の事情が赤裸々に語られます。

 おまけに、高松塚古墳の壁面が発見されて、前田青邨邸で6人の画家によって模写されていたそうですが、そのときの思い出話のように興味深い話も再三です。

 お互い、80歳前後の年齢になって、それからの世を生きて、何を思うか。
 衝撃的であったことは、「和魂漢才」から「和魂洋才」になり、最近「無魂洋才」になっていて、精神的基盤がなくなっていて、そのことが現代の社会問題の要因のひとつとして解き明かされていくことです。
 この作品で五木寛之の言葉として、「あきらめる」を「明らかにして極める」と解しています。自分の悪をも含めた人生を「明らかにして極める」という姿勢を持つ。ということです。
 私も、若かったときほど、自分だけがつらい目に遭っていると思うことがよくありました。この書を読んでいくと、弱いとか、貧しいとか、つらいとかいう感じもどこかへいって、ただいま、生かされていること。そのことだけが認識できていきます。

 この本も、みどりさんに頂いたものです。
 何もわからず、弱いだけの自分とでも、付き合っていけるような気持ちにさせてくれる一冊でした。
 感謝して余りあるものを感じています。



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『空中ブランコ』
2013/02/15(Fri)
 奥田英朗著 『空中ブランコ』 を読みました。
 やはりみどりさんが下さった図書です。
 読み終わって、心が空白になりました。
 これって、読書によって精神科医の診断を受けたせい?と思われます。

 この本の主人公は精神科医です。
 伊良部一郎という精神科医のところに診察に来る空中ブランコの役者、やくざ、総合大学の医学部精神科医の若手医師、プロ野球選手、女流作家それぞれで一話、しめて精神科医のシリーズもの5話といったところです。

 シリーズ者のご多分にもれずユニークな精神科医です。こんな精神科医に診てもらうとたちどころに以前の精神や能力を取り戻せそうという安心感から読み始められ、安心してその症状と向き合えるのが読者の精神安定に寄与しそうです。

 世の中にはどんなに超能力的なものを持っている人でも神経症に悩まされるんだな。とか、まあいろんな症状があるもんだとか、病理に罹らないのが不自然と思えるほどになりそうです。
 最後の「女流作家」は、私のささいな、でも本当に自身を疑ってしまうほどの、読んだ本の題名や内容をことごとく忘れてしまうという症状をいやでも思い出してしまいます。
 この女流作家は今までに自分の書いた主人公やヒロインの職業を忘れてしまいます。新しく作品を書き始めるとき、その主人公の職業の設定を考えていると、その手はもう使ったかどうかわからなくなり、たくさんの自分の著書を読み返さなければならないという羽目になってしまいます。そうなってくるといきなり吐き気をもよおしところかまわず吐いてしまいます。

 結局、自分の渾身の作品が売れなかったために、売れる作家を目指して、気に染まない作品を次々書いていることに気づかされるのです。
 そして、渾身の作品の良さをわかってくれる少数の読者のことを忘れていることに気づくのです。
自分の中にある吐き出したいものが吐き出せないでこんな症状に苦しむことになっていたことに気づくのです。

 根本の問題を引き出さずにはおれない精神科医の対応によって、簡単に精神病が治っていくのです。
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「行水の」秋―2
2013/02/11(Mon)
 公文式俳句カード『秋』の2は

 行水の すて所なき 虫の声

 風流ですね。
 あたりから虫の音が聞こえてきます。
 行水といえば、たしか夏目漱石の『吾輩は猫である』の中に出てきたような。
 なんでも松の枝先にカラスが止まって行水を見ているような光景を・・・・。
 『神田川』の銭湯も行水もない世になって久しいです。

 原発炉 ヤマタノオロチに 育ちけり
 原発炉 捨て所なき 民の声

 どうも季語も何もなくなりました。
 
 行水で洗い流したら、きれいになるような仕事ができる世の中がいいですね。
 昨夜NHKで原発の使用済み燃料についてやっていました。原発利権システムの中で巨額の赤字決算になり、銀行の融資を止められないよう現況のシステムを止められないと。
このままやり続けたら・・・・!!。この額面が福祉に使われたら・・・・。




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「桐一葉」秋―1
2013/02/10(Sun)
公文式俳句カードなるものが、みどりさんの送ってくださった図書の中に入っていました。
 公文にはこんなものもあるのかと疎い私のことで、しきりに感心しています。
 公文式といえば、今の私の職場に公文式の将棋セットがあります。
 少し、大き目の駒に進む方向などが赤く示されていて子どもたちが本将棋に挑戦することが多くなり、確実に愛好家が増えています。

 それに倣って、今日は私なりの利用法で活用してみたいと思いました。

 「桐一葉」秋―1
  桐一葉 日当たりながら 落ちにけり 高浜虚子

 幸い桐の木が私の身近にあります。裏山の山道、なだらかな道を登った正面に急傾斜地から伸びてきている桐の木があります。
 山道を登るのは、いつも朝早めの朝食を済ませ、木々の茂る急傾斜地を横切る4メートル幅のアスファルトの山道をカーブミラーのあるところないところありながら東に北に東に北にと近所の奥様方と楽しく登って行くのです。
 東から北へのカーブのときは明るい東の日差しを受けます。そこに桐の若木が下から伸びてきている姿をいつも確認します。
 桐一葉 日当たりながら 落ちにけり 
ああ。そんな桐の木と慣れ親しんだ私にとってこの句の光景を想像するのはたやすいことです。
 桐一葉 乾いた風に 舞にけり
 桐一葉 枯葉の中を 落ちにけり
 桐一葉 小鳥の前を 落ちにけり
 桐の実も 朝日に腕を 伸ばしけり
 桐の実も 秋の実りを 競いけり
 世が世なら 箪笥に下駄と 生きる身を
 
 今日の勉強は終わりです。
 
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『ハピバースデー』
2013/02/08(Fri)
 青木和雄・吉冨多美著 『ハピバースデー』 を読みました。
 これもみどりさんからの贈り物です。

 驚きでした。一度読んだことがあったのでしょうか。
 88ページまで読み進んだとき、突然全体のあらすじが見えてきました。
 これまで、読んだことがありそうな本に出会っても、読んだことは思い出しても、そうだったそうだったと、先を思い出せないでいました。ところがこの本は、読んだことは思い出せないのに、話は先まで予測できたのでした。

 できのよい兄ばかり可愛がる母親静代から、生まなければよかったとことばで虐待を受けて声が出なくなった女の子かおるが、祖父母のところに預けられ、祖父母やその環境によって自己快復をし、人の役に立つ人間になりたいと思うようになり、強く成長します。かおるが、祖父母のところで知ったことは母親も病気のお姉さんばかり気になって、自分に感心を持ってくれない祖父母に傷つきながら育ったことでした。
 祖父母もかおるを預かることで、静代への子育てへの過ちに気づいてゆきます。そして、母親の静代は同じ職場の年若い上司によって、かおるへの子育ての過ちに気づいてゆきます。

 毎日の子育て、過ちがあって当然です。自分を内側から知ろうとしないところに大きな過ちを起こすことがあることを語っています。

 ここでは、こどもにかかわることで成長してゆく教育者と、問題を助長してゆく教育者も出てきます。有り余るほどの幸せを子どもたちと享受できる先生と、単にサラリーマン的で実のない先生です。

 子どもをわかろうとする心が子どもに通じ子どもが救われていくことを語っています。

 私も拙いが故に、あれでよかったかと反省で眠れないことも多々あります。
 初心に帰って子どもをわかろうと精一杯努力することで救えたらと元気の出る読書でした。
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『シュガータイム』
2013/02/07(Thu)
 小川洋子著 『シュガータイム』 を読みました。
 やはり、みどりさんからの贈り物の図書の一冊です。

 小川洋子。大好きなのにどうして今まで読まなかったのだろうと自分を疑いながら読み始めました。
期待どおり。美しい物語でした。
 主人公のかおるは、ホテルでアルバイトをしている大学生。
 自分をよく理解し親身になって励ましてくれる友達真由美とその彼の森君。そして、しっくり愛し合える彼吉田さん。同じ敷地の教会で修行に励む、小さいころ背が伸びない病気になった小さな義理の弟航平。この五人は、大学野球の観戦にも出かけて楽しい最終学年を迎えようとしていました。

 3月のはじめ、最後の春が始まる。と不意に私は強く思った。

 吉田さんが、友達がお膳立てしてくれたと、かおると共に精神科に行かなければならないといいだし二人で病院へ出かけ、吉田さんの不能について知ることになります。二人にとってそのことは、なんでもないことだったのでそのまま病院へは行かないことに決めました。
 吉田さんのバイク事故のあと、しばらくの間、遠ざかっていた吉田さんから、来月シベリアの奥地の小さな町の研究所に、ある女性と、極低温における金属の性質の変化について勉強するために留学し、ハードな留学なので長くなりいつ帰れるかわからないとの紙がきます。その女性とめぐり合った経緯は、かおると行った病院から後日、彼のところに、長い間患っているある患者の対話療法のパートナーになってほしいと依頼があり、彼女との取り留めのない会話のなかでお互いがふくまれあっている関係であることを確認したことに始まると。
 その彼女への思いの中に、自分が義理の弟航平に見ている思いであることに気づくことを匂わせて小説は終わります。
その思い
≪僕自身の意識さえ届かない奥深い魂の一点に、彼女の瞳が映っています。それることなくひとすじに、僕を見つめているのです。・・・真夜中の月のようにひっそりと、僕の中にたたずんでいるのです。・・・どちらかというと哀しみに近いものです。いとしくあわれで、涙さえにじんできそうな・・・。≫
この小説を読み終わり、このような関係を認識していないけれども胸の奥に手を当ててみれば、誰にでもこのように思える人はあると感じました。しかし誰もそこにとどまらないのに、彼がその女性を選ばざるを得なかったというのは、かれが不能であるということに、自分に育てる何者もいない、学問だけだというところに意味があるように思え、人には誰もそれぞれ事情があって相手を選んでいるのではないかと思わされました。
 そんな事情を本当に美しく描いてある作品でした。

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『秘花』
2013/02/05(Tue)
 瀬戸内寂聴著 『秘花』 を読みました。
 ブログでおなじみのみどりさんからの頂き物です。

 「秘すれば花 秘せずば花なるべからず」言い換えれば「言わぬが花」ともいえそうな内容です。
 
 大和の申楽観阿弥清次の子世阿弥元清の生涯の秘め事を語っています。
 一~三部では世阿弥自らが語り、四部は最後を看取った佐渡の女性に語らせるという構造になっています。

 十二歳で足利三代将軍義満にその芸とその姿を好まれ男色の相手となり、観世の申楽は頂点に達します。それから徐々に衰退して、七十二歳に6代将軍義教によって罪状のわからないまま佐渡へ島流しとなり京に帰ることのない八十歳過ぎまでが語られます。

 世阿弥二十二歳、時流に乗った一座の人気も最高潮にまで上り詰めるなか、父観阿弥が常日頃、この世の時には勢いづく上向きの男時とすべての勢いが衰え不如意になる女時があると教えていたように、父親が亡くなります。
 将軍義満に愛された女性をいただき夫婦になるのですが、子どもがなく、弟四郎の子ども元重を跡継ぎとして迎えます。
 迎えた後になって長男元雅、次男元親と実子が生まれ、すでに父親から受け継ぎ四郎にも伝えてあった『風姿花伝』を長男にも伝えてしまうのです。両家は世阿弥の契約の反故によって別れ、四郎は別に一座を立てます。元重は元雅より格段に『花』があり、当然元雅のほうが衰退していくのです。そのことで次男の元親も十七歳にして出家して親の元を去ります。四郎も元重も元雅も元親もこのようなことは望まなかったのですが、世阿弥自らのわが子可愛いさが、この悲運の現況となったことへの悔恨もありながら、さらに元親の出家の二年あとにその元雅も何者かに殺されてしまいます。
 伝えるべきもののいなくなった芸についてさらに研究した花伝を晩年、元親がもしこの島へ着たら伝えてくれと島の女性に口述します。

 作品中、観阿弥が世阿弥にわれらの祖先は秦河勝だと言い出す部分があり、興味深く思いました。この部分は著者寂聴がかってに創作したものか、観阿弥の創造したものでそのことが何かの記録に残っているのか知りたいところでした。
 また、一座運営のため権力におもねるための芸も大切でその研究もするが、一般大衆の人気を得るための芸についての研鑽への思いは、私たちの仕事や趣味の芸事にも通じるものもあると、生きていくための「秘すれば花」心の闇そんなものを感じさせられました。
 今まで読んだ寂聴の作品では一番すばらしいと思いました。
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