『ちひろ 愛の絵筆』
2013/04/26(Fri)
滝いくこ著 『ちひろ 愛の絵筆』 を読みました。
サブタイトルに-いわさきちひろの生涯-とあるようにいわさきちひろの生涯がつづられています。
文末にちひろの一人息子の猛によって編集された年表があります。
知弘は1918年(大正7年)12月15日に、父は建築家、母は女学校博物家事・理科の教師で、1歳年下と4歳年下の妹の3姉妹の長女として生まれます。小学生のときから学業・スポーツ・絵画にすぐれていました。
14歳 黒田清輝の後継者岡田三郎助に師事。
17歳、第六高女補習科のとき朱葉会女子洋画展に入選。
18歳 藤原行成流の書を小田周洋について習い始める。
20歳 3月婿養子を迎え結婚。満州大連へ行く。冬夫の自殺により帰国。
21歳 中谷泰に師事、書道を文化服装学園で教える。
25歳 5月満州没利女子開拓団一行と共に、中谷泰、ちひろ、妹世史子とその友達5人で渡満。8月帰国
26歳 5月10日東京大空襲で家を焼かれ母の実家(長野県松本市)に疎開。
27歳 長野県で日本共産党に入党。秋、日本共産党宣伝芸術学校にはいるため上京。人民新聞の美術記者とな
り記事・カット・挿絵を書く。
28歳 前衛美術会創立に参加。日本美術会・日本童画会に入会。
画家として自活することを決意。神田ブリキ屋の二階に下宿する。
30歳 日本共産党の活動のなかで松本善明と知りあう。
31歳 1月21日、松本善明と結婚。前年出版の『お母さんの話』文部大臣賞を受賞。
32歳 4月長男猛誕生。
33歳 練馬区に家を建てる。
38歳 小学館児童文化賞受賞。
41歳 サンケイ児童出版社文化賞受賞。
43歳 教科書の絵の再使用に抗議。
44歳 自宅を増築して松本善明の両親をよびよせる。
45歳 画家の著作権擁護に積極的に取り組む。 
48歳 松本善明衆議院議員選挙に当選。
51歳 母文江、前年脳血栓で倒れたのを、自宅にひきとる。
53歳 『ことりのくるひ』でボローニア国際絵本展グラフィック賞1席
    代々木病院に入院。
54歳 秋、発ガン再入院し、小康を得て退院
55歳 3月再々入院。8月8日逝去。病名は原発性肝ガン。『赤い蝋燭と人魚』が遺作。

 この年代表を略して記しながら、自分の生活のため、そしてさらに夫を支えるために、そして二人の愛と平和を求める心情を表現するために描き続けた生涯の本文を思い起こしておりました。
 いわさきちひろの絵というと十分に承知しておりましたし、彼女の夫が松本善明氏であるということも十分に承知をしておりましたが、彼女の生い立ち、絵への挑戦、松本善明との結婚へのいきさつとその生活についてははじめてしりました。
 はじめの結婚。夫の自殺によって、その結末をむかえ、「南無妙法蓮華経」と丁寧な文字で日記帳の紙面いっぱいに書き連ねる日々から、松本善明氏に出会うまでに、宮沢賢治に陶酔し、描かれた素朴な自然、自然がかもしだす幻想的な雰囲気、彼のヒューマニズムに影響を受けたことが、それからの人生を切り開く大きな力になったことが印象的でした。「世界ぜんたいが幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」という賢治の思想に合致した松本善明氏にも改めてその人柄に深く感銘をしました。

 この本もみどりさんから頂きました。
 絵や写真もかなりあって、視覚的にもいわさきちひろをとらえられ、元気をいただけた一冊でした。
 東京にいくことがあったら、彼女の絵本美術館を訪ねたいねと夫が地図で調べてくれたり致しました。
 
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『一瞬の風になれ』
2013/04/07(Sun)
 佐藤多佳子著 『一瞬の風になれ』3巻を読みました。
 この本もみどりさんから頂きました。
 読み始めたらとまりません。軽妙なタッチで部員と共に走ることの意味をずんずんと深めてゆきます。
 ステキな本でした。
 1巻228ページ、2巻272ページ、3巻383ページとどんどんと分厚くなってくる本の構成も、この本の内容とマッチした面白さを感じさせます。
 1巻イチニツイテ、2巻ヨーイ、3巻ドンのサブタイトルにもこの本のテンポと内容にあっていてすごい思い付きだと思いました。
 イチニツイテ・ヨウイ・ドン! で一瞬の風になるショート・スプリント選手。
 この知られざる競技の奥にある緊張を支えるメンタリティ・身体能力・技・チームワークにとことんせまっていける作品でした。
 中学時代までのサッカークラブに挫折し、高校に入学して最初の体育の授業で出した50メートル走の高記録で勧誘されて陸上部に入り、まさに陸上部初年生として、陸上部の種目を知っていくことから始まります。自分には、一緒に入部した幼友達の連のように速くは走れないが、彼よりはスタミナが十分にある。100メートルは駄目でも200メートルは十分なスタミナによる練習によって彼に並べるかもしれない。連は中学のとき全国大会で7位になっているので、到底勝てるわけはないが、全国レベルの彼と走ることで、挫折で失った夢と希望を持つことができる。
 インターハイの地区予選から始まる各大会。その一つ一つの大会で、競技に向けての体のコンデション作り、集中力、よいスタート、よい走り、よいバトンタッチ、次々と課題が突きつけられる。その課題に向かって、先輩に教わること、チームメイトと課題を共有すること、あるいは顧問の先生と相談することで一つ一つまさに身体を張っての訓練を励ましあいながら着実に推し進めていく。
 その清々しさが読んでいてとてもさわやかで気持ちがよく単純に一生懸命応援してしまいます。
 一巻を読み終えたとき最後に陸上競技の専門用語の解説がありました。早く知っていればもっと理解が深められたと思いました。
 2巻目の最期にも栄養補給や筋肉トレーニングなどについての解説で、3巻目の最期には、謝辞があり、特に未経験者の私に何年にも渡り・・・陸上の詳細を教えてくださった・・・とあり、未経験者だから、未経験者の読者にもこれだけわかりやすく書けているとわかり、未経験者だから、人間をイキイキと描けたと思った次第です。
 また、この本を読んでいて、最近の書物の進化について考えさせられました。
 二葉亭四迷の頃からか言文一致運動が起こり、正岡子規の頃、写生文の推奨がかかげられました。それ以前の文章をあまり知らないのでそのことについて深く考えたことはなかったのですが、最近になって、本を読んでいて、やたらと風景や情景が浮かんできます。これは脚本ではないかと思えるほどです。映像文一致、じつはこれはすごいことでは!と思っています。
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早松茸(サマツタケ)
2013/04/05(Fri)
久しぶりの休日、夫と親戚へ届け物があって出かけました。
夫の叔父の家で、叔父は亡くなって久しいのですが90歳の叔母がお元気です。
用事のついでに、その近くにある叔父のお墓参りもしました。
そのお墓からは、遠く美しく広がる瀬戸内海と島々。左に宮島の弥山、右にはこの前爆発事故を起こした大竹の臨海工業地帯の工場群も見えます。
気持ちよく深呼吸などしていると、ふと足元にきのこの大きなのがありました。
夫に尋ねるとサマツタケだと教えながら、良くぞ見つけたと大喜びしてくれます。
帰ってネットで調べると早松茸と漢字が当てられていて意味がわかりました。
松茸のまがい物で春から初夏に生え、祝茸ともいうとあります。なんでもいい方に考えることにして、いつも笑顔いっぱいの叔母の顔も見れたし、「こいつは春から縁起が言いや」と言うことにして、今夜焼いて食べます。
それにしても、かつては松茸王国を誇っていた広島県ですが、松茸を見つけて採ったのは35年くらい前が最期、以後気はつけてみるものの見かけることはありませんでした。やっと今回見つけ、しかもまがい物です。
墓のすぐ横のちいさな駐車場。その脇の軽自動車が走れそうな幅の山道が、西国街道であったと歴史をひもといての丁寧な古い看板がありました。遊歩道用に木が切り倒されていてこの前来た時より、まわりが明るくなっていました。
朝晩、墓参りをするという叔母。
叔父は大昔小学校の教師をしていて、あちこちでの教員住宅生活が長かったようです。
あるいは叔母は、こんな歴史街道をいろんな教員住宅で過ごした叔父との思い出に浸りながら散歩されているのかもしれないと思いました。

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