『鶴は病みき』
2013/08/31(Sat)
 岡本かの子著 『鶴は病みき』 を読みました。

 昭和11年6月、岡本かの子47歳のとき『文学界』に発表されました。

 大正12年34歳、鎌倉の平野屋に避暑したとき、偶然、隣り合わせの部屋に芥川龍之介が住んでいました。このときの彼への印象や思いが作品の中心をなしています。この作品が彼女の処女作ともいえるようです。
瀬戸内晴美は解説で、

 ≪龍之介に対するかの子の愛憎の陰影がきつかっただけに情熱がこもり、かの子も内心期するところがあっ   た。・・・・この作品の反響は大きく、賛否両論で、非難する側の風当たりもかの子の予想以上だった。≫
 と述べています。
 芥川龍之介の作品や、表立った彼との付き合いからはうかがい知ることのできない、彼の日常、彼の隣人への思いや、付き合いでの感情のやり取りが日記風に仕立てられ赤裸々に書かれていますので、読者にとっては泥沼に 咲く睡蓮、その睡蓮を花開かせるための泥沼の葛藤を知るよい機会となります。
 文壇では大家でも、そんなことは隣人には関係ない。隣人として住みやすい隣人であることが評価される。たとえ隣人が文壇に多少かかわりを持つものであってもそのことには変わりない。そこのところ夏目漱石などは自分自身で自分のことを茶化してユーモラスに描いた作品もあるが、他人が嫉妬も含めて描いたものなので、リアルに隣人としての嫌悪感を受け止めることができるという筋立てです。
しかし、一方
 
 ≪これらは、他人に向かって一種のポーズをつくり、文学だの美術だのを語っている氏よりも、どれほど無邪気 で懐かしく、人間的な憂愁や寂寞のニュアンスを氏から分泌しているかもしれないのだ。私が氏のために、ずい ぶん腹立たしい不愉快な思いをしながら、いつかまた好感を持ち返すのは、ふとしたおりに以上のような氏の人 知れないひそかな表情に触れるともなく触れるからかもしれないのだ。≫
と、暑い夏、建具をすべて開け放してのくらしからうかがい知る彼の気の抜けた表情への母性を伝えてもいるところが救われるところです。
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『東海道五十三次』
2013/08/30(Fri)
 岡本かのこ著 『東海道五十三次』 を読みました。


 みどりさんにいただいた『一平 かの子 心の生きる凄い父母』に触発されて、かの子の作品を読んでみたくなりました。岡本太郎が『東海道五十三次』を評価していたので、まずはこれからと思ったのですが、読みかけてこの作品の倍のページを割いた瀬戸内晴海の解説を先に読んでしまい、発表順がよかったかなとも今思っています。
 太郎は内容には触れていませんが、瀬戸内晴美がこの作品について書いているところの一部を書き写して読後の記録にしようと思います。
 ≪「東海道五十三次」は、かの子の傑作のひとつといっていい作品である。人の人生でなにかに魅入られるとい うことほど、生きがいのある、そしてまた切なく苦しい悲しい経験はないだろう。対象が人であれ物であれ、魂 をしぼりあげられるほど魅入らされる喜びもまたこれ以上のものはない。ことにその魅力を持つ相手が「旅」と いう捕らえがたい非情のものである場合、魅せられた方の魂の憧れは、行けども行けども、涯しもなく、いつ果 てるとも定まらない。報いられることのない恋に現を抜かしているような無償の情熱が旅では孤独にしかも豪華 に霧散させられる。この作品は東海道に憑かれた作楽井という男の生涯が描かれ、その不思議な無償の情熱の透 明な美しさが過不足なく描かれている。
  平凡で幸福な一穀物商だった男が三十四歳のとき、ふと商用で東海道へ足を踏み出したのがもとで、病みつき になり、生涯を東海道の旅ばかりに暮らし、妻子に見放され世間からも落ちぶれ、ひっそり死んでゆくといった 奇矯な漂泊者作楽井の旅への情熱は、読後も妙に読者の心にまつわりついて離れない。<奥さん、東海道という ところは一度や二度来てみるのは珍しくて目保養にもなっていいですが、うっかり嵌まりこんだら抜けられませ んぜ、気をつけなさいまし>・・・・≫ 
と、東海道の魅力を語る部分をかなり丁寧に引用している。そして、かの子のこの作品に一平がどのようなかかわりをしたかを、一平の解説と、美術学校時代から東海道に興味を寄せていた一平が、漫画会の一行で五十三次自動車旅行をしたり、その作品の序文を書いたりして、それらの作品との関係を語っています。
 瀬戸内晴美の解説は、岡本かの子がパステルカラーで書いているものを、彼女が原色でデフォルメしたように思える解説でやっぱりすごいなと思いました。
 ※この解説を書いた時はまだ瀬戸内晴美でした。
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『一平 かの子 心に生きる凄い父母』
2013/08/28(Wed)
 岡本太郎著 『一平 かの子 心に生きる凄い父母』 を読みました。

 やはりみどりさんにいただいた本です。

 岡本太郎の彫刻や絵画をそんなに見たことはないのですが、一度見たら忘れられないほどのインパクトですのですこしは知っているつもりでした。それらの作品がどうして生まれてくるのかということの意味がこの本を読むことによってバンバン感じられる書です。
 岡本太郎が父母のことを語りながらも、芸術とは何かについて理論的に熱く語っているところがありますし、さらにその物差しの中で、一平とかの子の作品(二人の作品に触れたことはないと思うのですが)を評しているので、よけいに彼の作品群の意味が、芸術についての感性の薄い私でも、わかった気分になれるということだとおもいます。

 この書は、『朝日ジャーナル』・『文藝春秋』・『婦人公論』など、長年いろんな雑誌などに依頼されて書いたエッセイや解説のようなものをまとめて本にしたものです。
 ですから父一平にしても母かの子にしてもそのエピソードが重複しているのがほとんどです。なんども繰り返し、私たちが自分の父や母のことを思い出すような気になって、読み進むことができる本です。
 まずは父母ともに、自分を子ども扱いせず一人の人間として、大人に対するように接してくれた。幼い頃は特に父親は朝早く朝日新聞社に出かけて夜遅く酔っ払って帰ってくるだけなので、ほとんどかかわりがなかったというのです。そのため、日中母親と二人でさみしくすごし寂しさのあまり後ろ向きに机に向かって座りつづける母親の後から飛びついて髪をひっぱったりして、箪笥などに兵児帯で結び付けられていた記憶ばかりが強調されています。
 そして、振り返って
  ≪岡本かの子は、たくまずに誤解のカタマリであった。実際、生前の彼女は息子である私でさえ、そのイメー  ジがつかみにくくなるくらい猛烈な性格だった。生涯を通じての未熟な童女であり、それと同時に、古代の巫  女を思わせるといった人があるとおり、底深く、熟しきった面があった。≫
とものべて、岡本かのこの特徴を語り母親への敬愛の気持ちを語っています。
 とりあえず岡本太郎が注目していた『東海道五十三次』を読んでみることにしました。
 岡本太郎、岡本一平、岡本かの子、そして、彼らの交友から、若い頃、論語知らずの論語読みだった芥川龍之介や谷崎潤一郎、川端康成などを違った側面からうかがい知ることができたことに、本当にみどりさんに感謝です。


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『春まだ浅く』
2013/08/26(Mon)
 高樹のぶこ著 『春まだ浅く』 を読みました。

 やはりみどりさんにいただいた『光抱く友よ』に収録されている作品です。

 地方から東京に出た短期大学生の2年生の容子と、大学2年生の恒夫との恋愛を通して、結婚するまでは魂のふれあいだけの交際と、恋愛と性交にまで及ぶ恋愛について論じているといえる作品です。
 このテーマは、若い頃読んだ小説などによくあったような気がするのですが、ここまで真摯にそのことを深めて考えさせられる作品に出会ったことがないような気がして驚いています。
 結婚するまでは魂のふれあいだけの交際をと希望する容子の心情を大切にして、そこを守っている二人ですが、あるとき、容子に高校卒業以来お互い東京の大学に進学したけれど、ほとんど音沙汰のなかった貴子からすぐ来てほしいと連絡を受けます。かけつけると恋人との子を妊娠したので堕胎する費用を貸してもらえないかと頼まれます。様子を見ると住むところにも困っている様子で自分のアパートに同居させます。時々アパートにも立ち寄っている恒夫と3人で楽しく会話するのですが、恒夫がその貴子の恋人とのそれからのかかわりを見て、「だらしがないな」と言ってしまいます。彼のそのひとことで、三人の気持ちは動きの取れないものになり。「どうして、私がだらしがないの、・・・・。あなただって、そうじゃない、だらしないじゃないの。ひとの恋愛に口出ししたくはないけど」・・・から始まるこの男女の関係に関する問答が深められていくところに私自身言い知れぬ戸惑いを感じました。
 愛と情けの違いとでも言うのかよくはわからないけれど、これがわからないでは、今までの恋愛小説や夫婦の機微というようなものも理解できていたのかどうか疑いたくなってくる。
 詩人であるみどりさんが、作品の中に詩情を強く感じられたという高樹のぶこの作品。こんなところにも自分の読書に関する感性が疑われてくる。こんなところに注目しながら高樹のぶこの作品をもっと読んでみたいと思いました。
 この『春まだ浅く』の題名から、小学4年生の春、大学を卒業したばかりの先生が赴任してきて私たちの担任になられた。その先生が黒板に

   春まだ浅く 月若く        そびゆる山は英傑の
   命の森の 夜の香に        跡を弔ふ 墓標
   あくがれいでて わが魂の     音なき河は千載に
   夢むともなく 夢むれば      香る名をこそ流すらむ
   さ霧の彼方 その上の       此處は何處と我問へば
   思いは遠く たゆたいぬ     汝が故郷と月答ふ

と板書して、歌わされたのを懐かしく思い出しました。

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『揺れる髪』
2013/08/25(Sun)
 高樹のぶこ著 『揺れる髪』 を読みました。

 みどりさんにいただいた『光抱く友よ』には、先に記録した『光抱く友よ』とこの『揺れる髪』と、次の記録予定の『春まだ浅く』の3作の作品が収録されています。
 作家高樹のぶこの作品を読むのは初めてで、なかなかの読み応えに一挙に3作読んで読み返しながらの記録になりましたが、1作ずつに分けて記録することにいたしました。

 商社マンである夫は1年間という約束でユーゴスラビアに単身赴任して5ヶ月になります。その留守に妻の時子が、夫が赴任するときにはまだ短かった髪を毎朝頭の両方に二つに分けて結ぶ役割を担っていきます。勝気な娘は少しでも分け目が曲がっていたり、結ぶ高さが違っていてもうるさく結びなおさせるので、髪を短く切ってくれないかと願っていました。そんなある日、娘はひどく青ざめて疲れたようすで帰ってきて手を異様にごしごし洗っていて、理由を聞いても言わないで自分の部屋に閉じこもってしまいます。翌日、用事で出かけた帰り、学校帰りの娘たちと出会うと、娘のかばんなどの持ち物を友達にみんな持たせています。事情を聞くと、前日の学校帰りに、捕まえたカエルで遊んでいて、このカエルの足を裂くことができた者のかばんを1週間みんなで持つことに決め、誰もやらないのに娘が裂いたのだといいます。生理的にも悪寒を覚え動転して厳しく娘を攻め立て叱ってしまいますが、翌朝娘が結んだ自分の髪を鏡に写して「髪を切る」といいだします。この髪がカエルに似ているからだといいます。勝気な娘はカエルの足を裂きはしたものの、自分が一番傷ついているのだと娘をきつく抱きしめるという話です。
 物語は夫を早くなくして女手ひとつで育ててくれた母親との生活との思い出と平行して語られます。優柔不断な自分と違って気の強い娘は母親に似ていると思いながら育てる様子を描いています。


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『光抱く友よ』
2013/08/24(Sat)
 高樹のぶこ著 『光抱く友よ』 を読みました。

 やはりみどりさんにいただいた本です。

 この小説の主人公相馬涼子は女子高校生です。担任でアメリカ留学帰りの英語教師の三島良介に思いを寄せていましたが、あるとき、彼が同じクラスの松尾の頬をぶったりして厳しく怒っているのを聞いてしまいました。落第生で学校中の誰からも相手にされていない松尾に叱られた事情を思い切って聞くと、松尾から手紙を書いてくれるよう頼まれます。三島から何度か家庭訪問しても会えない母親に渡すようにと持たされた手紙への返事でした。松尾は母親の千枝になんとか返事を書かせて三島に渡しましたがあまりにも稚拙な文字と文面であったために、松尾が母親に見せないで勝手に小細工したと逆切れされ丸めて投げ出されてしまったための依頼でした。事情を聞くうち涼子は三島先生への想いはすっかり消えて、逆に怒りを感じるようになりました。その怒りを三島先生に自分がぶつけようと松尾に宣言するときつく止められてしまいました。涼子が手紙を書いたことで、三島は一応松尾に理解を示します。
 以来、涼子と松尾はお互いの家を訪ねる仲になります。
 松尾の薄汚い三畳の部屋の天井には、アメリカに帰っていった男の趣味だった木星などの天体の写真が張りつくされていて何かにつかまっていないと吸いあげられて宇宙に飛び出していきそうな気持ちになります。涼子は父親が大学から持ち帰る顕微鏡で取った写真を見ているときと似たような気分になることをはなし、肉眼では見ることのできない世界をおもい人間の無力さを共有します。
 アルコール中毒で精神病院に入院した母親に代わって小さな居酒屋をやりくりしている松尾はいよいよ学校に来なくなりました。訪ねていった涼子は退院してきた母親が、花見客と酔いつぶれて松尾の悪口を言っているのを聞き涼子は松尾がどんなに母親のために辛い思いをしているかを伝えようとして手紙のことをしゃべりそうになりました。そのとき松尾が通りかかり、その場から涼子に知られたくないと堅くしゃべらないように言い置いたことが、半分ばれそうになっていることに気づき母親を連れて涼子にさよならを言って帰っていくのでした。

 作品は芥川賞受賞作品です。読んでいてはっとさせられるところがあります。不幸な生い立ちの女性が生きていくために知らず知らず身につけていく感性を魅力的に描いています。
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『那珂川青春期』
2013/08/22(Thu)
 森詠著 『那珂川青春期』 を読みました。

 やはりみどりさんにいただいた本です。

 この小説の主人公大山茂は県立黒磯高校2年生。
 詩人の父親を支えて母親は旅館の仲居をして働いていたが、父親は他に女を作って一緒に蒸発してしまいます。兄は奨学金とアルバイトで東京の外大に進んで寮生活をしているので、市営住宅に母親と二人で暮らしています。
 タイトルの那珂川についてはどこにある川なのかこの年になるまで知りませんでした。栃木県の北、福島との境にある那須岳から茨城県の水戸に流れている川で、小説は那須岳を仰ぐ那珂川の流域、黒磯というところが舞台になっています。
 作者の高校時代をモチーフにしたと思える青春小説で、1960年ころの時代性もよく出ています。男道を極めようとする5人の友情を軸に、番長グループとの戦いや、女子学生とのクリーンな恋愛、戦前を思わせるような教師への反発、わかいころバンカラだった豪快な校長とのふれあい、体育祭での体のぶつかり合い、学園祭とかキャンプ、模試で東京にいって安保反対の学生デモに参加したりと、卒業までの話が次々とすすんでいきます。
 友達である青木が五味川純平の『人間の条件』についての解説をする部分があります。

 ≪「おいおい、これはあくまで小説だぜ。小説は歴史書じゃない。歴史の告発書ではない。似たようなことはあったのだろうけれど、あくまで著者の作った虚構だ。事実ではないぜ。」・・・「嘘だとはいってないよ。著者は、そういう世界や現実をきっと見たのだろう。その迫力は感じる。しかし、著者が描こうとしたのは、そうした苛酷な時代の中を、人間として真摯に生きることがどんなに辛いかだ。その生きにくさを主人公の梶上等兵を通して描いた虚構だ。真実ではあるけれど、事実ではない。小説の読み方を間違えてはいけない。小説はあくまで小説。事実の記事やルポルタージュではない。」≫

 この作品をこのように読んでほしいというメッセージとも受け取れるし、小説一般の書き方・読み方を指南しているようにも思えて大変参考になりました。
 おりしも、今日は仕事が休みで甲子園の高校野球決勝戦でした。彼らの額から流れる汗や涙、1イニング終わるごとテレビから本に目を落としては、読み進んで、作品の最後卒業式で大学に合格して進学する子、初心を貫抜くために浪人を決めた子がいて、本当に青春のエネルギーをいただいた一日でした。
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『明るいほうへ 父・太宰治と母・太田静子』
2013/08/18(Sun)
 太田治子著 『明るいほうへ 父・太宰治と母・太田静子』 を読みました。

 やはりみどりさんにいただいた本です。

 太田治子は、太宰治が、妻以外の女性太田静子に生ませた娘として有名な人ですが、ふれるのは初めてです。
 太田治子は、働きながらひとりで育ててくれた母親から太宰治との思い出話をいつも聞かされていました。さらに、その母親の残した日記を細かく読みくだいていきます。
 名作『斜陽』がほとんど母の日記からの引用であることをのべ、その母親への太宰治のその時々の思いを、作品としてかきのこさている他の親族や当時の作家仲間や関係した編集者の記録と母親から聞かされていた話や日記にかかれている事柄を照合して細かく分析しています。残された娘の悔しい思いが伝わってきます。あまりにもリアルで、いままでそんなことをほとんど知らずに読んでいた若かりし頃の私など、以後太宰治の作品に触れることがあれば、週刊誌の三面記事を読むような心持で接していくのではないかと思えてきます。しかし多くの読者が、そんなことも承知の上で太宰文学に傾倒しているとすれば、そこに高い芸術性があるのでしょうか。
近年読んだといえば、ブログをはじめて以後『津軽』を読んでいます。そのときの思いはまったく忘れていたので、再びここに掲載してみます。

   ≪『津軽』は、昭和19年太宰治35歳の時、小山書店から「津軽」の執筆を依頼され、5月から6月に津  軽を旅し、11月に出版されたものである。
   太宰治は津軽の生まれである。
   津軽の金木の出身で、中学を青森で過ごし高校を弘前で過ごす。
   そして東京帝国大学に入学し東京での生活が始まる。
   故郷を離れて東京で暮らし、自分はいったい何者なのかといったことを考える時、自分は津軽の人間であ   り、しかも家を引き継ぐことの無いオズカズ(三男坊や、四男坊をいやしめて言う時に使うこの地方のことば  )である。
   都会人の自分には不安を感じるが、故郷に帰ってはオズカズであることを自覚して振舞わねばならないと心  に決めてのたびであった。気質は津軽を受け継ぐも、オズカズに宿命づけられている。この戸惑いが、文中の  本流をなしている。
   津軽半島の中ほどに太宰治の生まれた金木がある。その北西に竜飛岬に近いところに小泊と言うところがあ  る。
   その、小泊というところに病身の母に代わって子守として雇われ、3歳から8歳まで自分の面倒を見てくれ  教育をしてくれた〈たけ〉が嫁いでいる。その〈たけ〉に会うのが、この津軽の旅では一番の楽しみであった  とある。
   故郷と言えば〈たけ〉を思い出すと語っている。
   ここのところでは夏目漱石の『坊ちゃん』の〈きよ〉の存在を思い出す。
   松山での教師生活に見切りをつけて、東京に帰っていく坊ちゃんが〈きよ〉のことを思っているのと二重写  しになる。
  〈次から次と矢継ぎ早に質問を発する。私はたけの、そのように強くて無遠慮な愛情のあらわし方に接して、  ああ、私は、たけに似ているのだと思った。きょうだいの中で、私ひとり、粗野で、がらっぱちのところがあ  るのは、この悲しい育ての親の影響だったという事に気付いた。私は、この時はじめて、私の育ちの本質をは  っきり知らされた。〉と最後に書き記している。
   津軽の起こりや歴史を古今の文献に求め、それを確かめつつ、また、津軽の自然や風物を懐かしみ、人との  心の触れあいの中に、自分の育ちの本質を探して長い旅をしてきたが、自分を育て、本当に心の友となれるの  は、太宰治の家に働いていた人達だということであろうか。
   司馬遼太郎の『街道を行く 北のまほろば』には、太宰治の『津軽』から津軽や津軽の人の特徴をとりあげ  てあることがおおい。それが、とても興味深く書いてあるので、『街道を行く 北のまほろば』を中断して先  に『津軽』を読んだ。
   『津軽』は昭和19年に津軽を旅行したものであり、『街道を行く』は平成6年に旅行したものである。   その間50年の年月が流れている。
   太宰治の『津軽』は、若い頃に少し読んだきり読んでなかったが、この度読んでいていやみのない品のいい  作品だと思った。≫

  『津軽』を書いた19年は、8月にお産を控えた奥様がありながら、1月に太宰治は恋に落ちていた太田静子  を3年ぶりにその疎開先の住まいに訪ねて、また逢う約束をしていたそんなときでした。

   みどりさんのおかげで、さらに記録していたブログのおかげで、いい作品だと思った作品が泥沼に咲いた蓮  のようなものであったことに気づかされたのでした。

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『仏教を歩く №7 良寛』
2013/08/10(Sat)
 朝日新聞出版刊 『仏教を歩く№7 良寛』 を読みました。
夫が定期購読している本で、今年の4月7日号です。
見返しに、「仏教を歩くとは」とこのシリーズのコンセプトといったようなものの記載がありました。
 ≪インドに発し中国を経て日本に広まった仏教は、今もさまざまなかたちで私たちの暮らしに深く根づいています。お彼  岸、お盆、お遍路さん、精進料理、お祭り、そしてお葬式。仏教はいつの時代も、私たちの生活の身近にありました。   『仏教を歩く』は、各時代を代表する祖師や名僧たちを取り上げ、その足跡をたどることで、今も絶えることのない日本  仏教の豊かな水脈を再発見しようというシリーズです。≫
 病院や、美容院の待合で、良質な用紙を用いた広く薄い冊子に出会うことがよくあります。十分に落ち着いた景色やそれを物語る資料の写真とで、即その世界に浸れて優雅な気持ちになれます。そんな本です。
 荒井魏著『良寛の四季』を読んだあとの読み物としては、今年発刊されたものにしては、まるで新しい資料による検証がなく、従来の良寛像のままですましているという多少奇異な感じもいたします。
 表紙から裏表紙まで40ページ中、良寛についての記載は27ページで、あとは、“ブツ女”田中ひろみの「この仏さまが好き!」、ドイツ人住職が伝える「禅の道」、瀬戸内寂聴の「仏教への誘い」、小野庄一の週刊お遍路さん、「典座さんの食べる仏教」という5つの連載ものです。この連載ものは良寛とは直接関係なく広く仏教について書かれてあり、あとでまとめてひとつずつ読むほうが私の読み方にあっているかもしれません。

 ※ 良寛さんの時代の手毬には、中にぜんまいの綿が入れてありよく弾んだというのは知らなかったことで、試してみた   いような気持ちになりました

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『良寛の四季』
2013/08/07(Wed)
 荒井魏著 『良寛の四季』 を読みました。
 みどりさんからいただいた本です。
 新たな資料の研究により、近年、従来の良寛像が、大きく塗り替えられていることを受けて、著者はその研究を元に、良寛ゆかりの越後をくりかえし訪れて、改めて良寛の魅力と生身の良寛の吐息を感じ、それによっての解説を加えた優れた俳句・短歌・漢詩を味わうことができます。
 忘れていたのですが、ブログ記事を書くようになって、2009年4月に中野孝次著 『良寛に生きて死す』 を読んだことを記録していることに気づきました。いま、その記録を読み返してみて、そのときも若い頃夫に進められて読んだときにも特別良寛について深く感じなかったことを思うと、歴史的背景、宗教的背景、あるいは家庭的背景に言及して考察してあるので、あらためて良寛にわが身を置いて読めることで良寛の魅力に触れることができるたのだと感じています。
 良寛が、短歌などを勉強するのにどんな本を読んだらいいですかと聞かれて、『万葉集』だと答える部分があります。すると難しいところがあってよく読めないのですといわれて、わかるところだけ読めばよいと答えていました。
 読解力にも感性にも個人差があります。相手の能力を見抜いての答えなのかとも思いますが、私自身にもこの答えが一番いいのではないかと妙にうなずけたのが印象に残りました。良寛の師の辞世の句に、十分に仏教の経典に通じた人でないと理解できないむずかしい句がありました。良寛も辞世の句にまったくこれと同じ心理を伝えたくて
   裏を見せ表を見せて散るもみじ
と詠みました。これなら後世に通じ、現代でもこの句が多くの人に親しまれているのが理解できます。
 なんだか、このように肩の力を抜いて生きていていいのだと感じられます。

 読んだ内容が汗とともに流れ落ちて記録にとどまらない状態です。
 今、やはりみどりさんからいただいた
  ≪ ひだるさに寒さに恋をくらぶれば 恥ずかしながらひだるさがまず ≫
と詠んだ沢庵の歌を紹介した水上勉著『沢庵』を読み終え、つづいて夫が購読している『仏教を歩く№7 良寛』を読んでいます。
 施設では、たまにクーラーのある部屋で過ごしますが、35度前後の遊戯室で布ボールでの野球の審判をしたり、卓球をしたり、大縄跳びの縄をまわしたりしているので読んだことはみんな汗で流れ出てしまいます。

 天暑し自愛せよ。と、良寛さんから恋文が舞い込んできたと錯覚してがんばっています。



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