『からゆきさん』
2013/11/28(Thu)
 森崎和江著  昭和51年出版『からゆきさん』 を読みました。
 この書もみどりさんからいただきました。
 正直大変読みづらい本でした。
 読みづらいながらも、なんとか最後まで読み終え、最後に、あとがきともいえる「余韻」を読み、改めて書き出し部分を読みかえし、読みづらかった原因がすこしわかったようなきがしました。
 著者は、「からゆきさん」についてなんらかの知識をさほど持ちえていなかったのかもしれません。ところが、友人の綾さんを理解しようとして、彼女の養母が「からゆきさん」だった影響でなかなか理解できないので、「からゆきさん」について調べ始めたのかもしれません。調べていきながら、たとえば、明治時代の福岡日日新聞の関連の記事の背景などから彼女の養母おキミさんを重ねて理解できる部分を書き綴っていったのではないかと。
 文中、福岡日日新聞の記事の抜書きがおおくあります。その抜書きの背景を知るためにほかの資料・文献などを調べたり、「からゆきさん」だった人を訪ねてお話を聞いたりして、理解しようと努力すればするほど生身の女として到底理解できない葛藤があったと思われます。それだけに執筆中、日本を捨てたい気持ちにもなり編集担当者をこまらせたと告白しています。
 この本の中で印象に残った、「戦後の貧民」と題して一米国人の観察が福岡日日新聞紙上に米紙から転載された記事を書き記しておきます。
≪「村と言はず圃と言はず、所さだめぬ海人の釣り船の上にまで課税の手は容赦なく及び、」、貧民は苦しみ、「アジア人特殊の下等室に」男女が満載されて米国に出稼ぎにでる。
貧民が多すぎるので「数千の移民は朝鮮や台湾に輸送されるが」、いなかからは大望をいだいたものたちが絶えず東京へでては、都市の貧民者を圧迫している。「独占事業など言ふ舶来の事業が」ふえて、高価なものを人民は買わされ、「可哀そうに人民は重い税と、少数の金持ちの懐中を肥やすために、なけ無しの銭を搾られている。」
 マッチの燃えさしや魚鳥のはらわたを大切そうに拾ってゆく人、仕事がなくあぶれているものたち、資本家は弱者を責め、小児を保護する法律もないため幼い者も工場で使われ、「其無慈悲なこと恐らく世界一であらふ」、などと書かれている。戦費を消却するための課税の重さや、工業法さえない資本の独占化の過程が、アメリカのジャーナリズムの目に、アジアにおける支配国の裏面を感じ取らせたのであろう。≫
 ※文中の「」が、何を意味するのかわかりません。
  日本人労働者が国外で目につくようになったのはいつの頃からでしょうか、古く支倉常長がイスパニア・ローマに使いで行く途中、港々で多くの日本人労働者を見たと何かで読んだことがあります。日本国は技術立国以前は卑弥呼の時代から、人身を資源の一部として成り立たっていたのかもしれないとも思える本でした。
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『白蓮』娘が語る燁子
2013/11/25(Mon)
 聞き書き宮嶋玲子 『白蓮』娘が語る燁子 を読みました。

 この書もみどりさんからいただきました。
 この書のできたいきさつがかわっていると思います。
 白蓮は3度結婚するのですが、白蓮が2度目の結婚で「石炭王」といわれた伊藤伝右衛門のもとで10年足らずをすごした九州の飯塚市が、九州観光推進機構が広域観光ルートの第一号に白蓮と伝右衛門のゆかりの地であるということで選んでいただいたので、まずは白蓮の娘の蕗苳(フキ)に白蓮についていろいろ聞いて白蓮をこの書によってよく知ろうということのようです。
 蕗苳にしてみれば、自分は伝右衛門との子ではなく、白蓮が新聞に伝右衛門への絶縁状を掲載して別れ、そのあとの結婚によって初めて幸せを得たと白蓮が口にしていた宮崎龍介との間にできた娘です。思い出といっても宮崎家のことしかないだけに、飯塚市民のかたがたに受け入れていただけるだろうかとの気持ちがあったようですので、意外な申し入れというほかありません。
 しかし、いまは寂れてしまった筑豊の町おこしのためにと快諾。当時、すでに保存されることが決まった伊藤伝右衛門の屋敷が、その修復を終えたら、町おこしに役立つのであればと白蓮の遺品を必要に応じて展示することも快諾しています。

 大正天皇の御生母を叔母に持つ華族の白蓮。1885年(明治18年)生誕から亡くなる1967年(昭和42年)までの81年の生涯、なかでも宮崎龍介との結婚によって、龍介の父、宮崎滔天と孫文との親交で、中国の革命にも深くかかわりを持つことになります。以後、日中の交流に実質的にかかわっていき、失敗にはおわるものの盧溝橋事件からの日中事変へと軍部の進行を止めるために、蒋介石に懺悔の気持ちを伝える役割を背負って龍介が南京に出かけるというくだりなど、とても興味深い場面を読むことができました。
 また、つながりのある人たちに、有名な方が多く、読みすすむごとに目を見張るものがありました。白蓮の葬儀委員長の片山哲をはじめ、姉の嫁ぎ先が、昭和天皇の侍従長入江為守、母親の兄嫁の実家が樺山伯爵。生涯の友人になったのが村岡花子で、奉仕活動では賀川豊彦が先生であったりします。そして短歌は佐々木信綱に師事し、文化人との交流では、高浜虚子、吉井勇、倉田百三、菊池寛などの名前があがっています。龍介の母宮崎槌子の姉、前田卓子は夏目漱石の『草枕』のヒロイン那美さんのモデルといわれているとのことです。印象に残ったのは生涯の友人であった九条武子についてです。「人というものはどうかすると自分の幸福を忘れていることがある。幸福だということを忘れれば幸福にはぐれてしまうということを教えられた。私は何とあの方に感謝していいかわからない。」といっています。これを読んだ私も、この大切な言葉に出会わせてくださったみどりさんに感謝します。
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『炎のあとに、君よ』
2013/11/05(Tue)
 早乙女勝元著 『炎のあとに、君よ』を読みました。
 みどりさんからいただき、1945年3月10日の東京大空襲の惨状のただなかと、被災者のその後を生々しく感じた読書でした。
 東京都庁でいただいた東京の地図を手元に置いてたどりながら読みました。東京が舞台になっている読み物は多いので東京大空襲について語られている本も多いかと思いますが、このようにそのものを取り上げて、語られたものを読んだのは初めてではないかと思います。それだけにおおきな衝撃を受けました。
 小説の主人公勝平は、30代に東京空襲に関する総合的な資料作りを初めて15年目、戦後40周年を記念する企画のために、爆撃した側の新資料の解明・分析の緊急作業に精出しているとき、ある新聞の「人生指針」(人生相談)への投稿に回答者の仕事もしていたのですが、その東京の大空襲で孤児になったという投稿者の名前と年齢に自分の父親の愛人との子ではないかと言う疑念を持ちます。投稿者は、爆撃で肉親と片目を失って養護施設で育ち小学校5年生のとき、二人の子どものいる夫婦に引き取って育てられる。中卒で就職。結婚するまでの12年間、給料は養父母渡してきた。結婚して幸せな日々を送っていたが、最近養家の義理の兄が無心にくるようになりどうにかやりくりしていたが、今回桁外れの借金の保証人になってくれとのことで大変困っているとの内容でした。
 投稿者田木子といえば、色街玉の井のヤミの店の小料理屋の内儀の娘で、勝平の父親の愛人が内儀で勝平の腹違いの妹多希子ではないのかと思えたのでした。そして、勝平が、空襲のあった頃からずっと思いを寄せていたきよちゃんこと恵坂きよ江が空襲で逃げ惑ううちおぶっていた彼女を殺してしまったと後生ずっと苦しむ原因になった人でした。
 そのきよちゃんへの恋心、そして思いの通じた喜びと別れ、そしてきよちゃんの苦悩と死を描いています。
 昭和19年3月10日の東京大空襲では10万人の人が亡くなり、被災者は100万人と言われています。アメリカ側の「戦術作戦任務報告」、B29を主力とする戦略爆撃がもたらした被害実態と、その爆撃効果や影響を知るために作成された「米戦略爆撃調査団報告」の記述が述べられています。
 「・・・・なお、われわれの攻撃の目的が、非戦闘員の無差別爆撃のためではないということは特筆されなければならない。それはもっぱら、日本の中心部に集中している工業と、戦略上重要な目標を破壊することにある。」これはたとえばスズキ家がボルトを作れば、隣のコンドウ家がナットを作り、お向かいのタナカ家がワッシャーを作っていると言う具合に、日本の都市の家屋はすべて軍需工場で、女、子どもまでが軍需産業に従事している以上、これを目標にして何が悪いかとの理屈によるものであるという主張によるのだそうです。攻撃側の資料と、爆撃を受けた街の地獄絵図と、多くの無残な死体を掻き分けて生き残ったものの苦しみと、記録しなくてはいけないという責任感とを息のつけない思いで描いています。
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