裏山の花
2014/04/25(Fri)
 このところ休まず裏山に登っています。
 しかも、これまでは展望台まで登るのを常としていましたが、このところ連続6日、更に急な坂道を登って上の駐車場まで行っています。
 所用のあるときは時間を早くにずらせて歩きます。
 以前は、所用のあるときは中止にしていたのですが、今では時間をずらせて登ると、どの時間にもそれぞれ登っておられる人のあることがわかって、クマやイノシシ、サル、シカにも出会わないと思えてひとりで登れるようになりました。
出会う人たちの中には植物に詳しい方もおられ、いろんな花の名前を教えていただきましたので、4月の1日から今日まで、山で出会った花の記録をしておきます。8割は記録できているつもりです。
 アケビ(ミツバアケビ)
 スイセン
 ツツジ
 アイリス
 スミレ
 フジ
 ツタキキョウ(蔦日々草)
 ノイバラ
 アセビ
 ツバキ
 ミヤマガマズミ(紫陽花のように白い花が咲く)
 ヤマザクラ(4月の始めには普通のピンク、遅れて白い桜が咲く)
 サルトリイバラ (ガンタチイバラ、カカラともいう)
 シャガ
 シキミ(悪しき実の「あ」をとっての名前、実は猛毒。梻きへんに佛と書く。)
 スズランスイセン(スノーフレーク)
 ナルコユリ
 ヨウラクツツジ
 クロモジ 
 ザイフリボク??(聞き間違いか?)
 ショウジョウバカマ
 モクレン(駐車場に植樹されている様子)

 昨年は第三日曜日の山頂福王寺の大祭の帰り、ヒトクチダケ(一口茸)というきのこを見つけて、新聞に紹介していただきましたが、今年はアミガサダケ(編笠茸)を見つけました。

 こんなに詳しくわかってすっごくうれしい。
 退職後のうれしかったこと、[その1]です。
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『若き日の詩』
2014/04/22(Tue)
 松谷みよ子著 『若き日の詩』 を読みました。
 この本もみどりさんに頂きました。
 2月頃にも一度読んだのですが、よくわからず、どのように記録すべきか見当が付きませんでした。
 言葉の羅列から連想されてくるものが頭の中でこんがらがってくるような気持ちでした。
 このたび与謝野晶子の圧巻を読み終えて、偶然そのあとにあらためて再度読むことによって、ぐっとことばが意味をもって語りかけてくるようになっていました。与謝野晶子の作品を解説してくださった赤塚行雄氏がここでも道案内をしてくださっているのかもしれません。
 与謝野晶子の本も、最初はむつかしくてなかなか読めなかったのですが、中ほどあたりから興味をそそられるようになり、最後に近づくにつれ胸に押し迫ってくるような読書経験をいたしましたが、この『若き日の詩』の本もそんなかんじで、最後の『徒労』という作品になると、気持ちそのままいただいておりますというかんじになりました。

 自分の病気が治らない、死ぬるかも知れないと知ったとき、生きている一日一日が、さらにすべてのことが徒労であると思える自分がいる。
 まるでムーランルージュのように。
 私がいま、不治の病になったとして、この一日一日を徒労だと思うでしょうか。そんなことは思わないはずです。逆に死に向き合う一日一日が、とても大切な瞬間に思えるのではないか。と思ったとき、この本のタイトル『若き日の詩』が目に入いりました。
 たしかに、若いときならこのように心がゆらめいたに相違ありません。
 年老いた今のこの心境と比べたとき、一日一日を苦しみながら、あるいは楽しみながら、日々を、そして年月を重ねることの尊さに出会えていきました。
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『女をかし 与謝野晶子』
2014/04/20(Sun)
 赤塚行雄著 『女をかし 与謝野晶子』 を読みました。
 読み終えた後に気がついて読んだのですが、巻頭にこの作品の説明があります。
 ≪与謝野晶子は大正五年(1916年)から、昭和十年(1935年)まで、足かけ20年にわたり、横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)に815編の評論や随筆などを寄稿しました。
本書は、それを基に評論家・赤塚行雄氏が平成八年(1996年)1月1日から8月9日まで「与謝野晶子その後―横浜貿易新報の時代」と題して神奈川新聞紙上に141回にわたり連載したものです。≫
 最初に読んでおけば文の文脈に「あれ?」と思うこともなかったのにとちょっぴり残念でした。
 みどりさんに頂いた本には、著者が女性であるとか、女性の作家を語った作品が多く、あらためて女性としてのいろいろな生き方を知ることができました。
 それらのなかでも、この与謝野晶子の生き方には強い尊敬の念を抱きました。
 いつの時代にも、政治家が軍閥や財閥に加担することによって政治資金を作り、政治権力を得ようとすることに血道をあげ、国民を不幸へと巻き込んでゆくというのはよくあることです。
 こういった政治家の態度を見極め、そういったことがどういう災いをもたらすかについて、古今東西の例を引き合いに出して、未来起こるであろうことを予告をし、それがほとんど的中してゆく過程には驚かされます。
 伴侶を勝ち取り、たくさんの子どもを生み育て、気むずかしい夫を立てながら家計を支え、国家に物申す。

  女おかし近衛司(コノエヅカサ)の纓(エイ)巻きて
           供奉(グブ)詠にぞ参る伊勢物語
 タイトルの「女おかし」は与謝野晶子のこの歌から採ったものだということです。
 赤塚行雄氏は、晶子の歌の持つ、このような豊穣にして絢爛たる物語装置と、そのなかでの女の力の誇示は、これまでの歌人が持たなかった才能だと思うのである。と述べて、彼女の特徴を余すことなく私たちに紹介しています。
 また、   
  下京や紅屋が門をくぐりたる
         男かはゆし春の夜の月
の歌にも言及し、男かはゆしと言い切るその放胆ぶりをめでています。

 これらにもあるように、与謝野晶子の生命力あふれる現実と夢の架け橋を色彩豊かに謳うその視線の向こうに、見えてくる政治の姿。なだめすかしながら、全うな世の中へ導いてゆこうとする評論や随筆。きな臭い世の中にあっても誰にも糾弾させない文体。男でも書けないことを・・・と森鴎外も舌を巻いたという「女おかし」の世界に酔いました。
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定年退職6日目
2014/04/06(Sun)
 今日は定年退職6日目です。
 3日目から再開した裏山のぼり今日で3日・4日・5日・6日と4日目です。なかどころの展望台まで往復して、8000歩前後です。今日は雨でしたが登りは3人、下りは6人でした。7時55分に出発して9時15分頃家にたどり着きます。今日は下りてきて、団地の手前でかわいい鹿2頭に出会いました。
 昨日と一昨日は、藤の種をひらいました。碁石を小さくしたような手触りです。藤の蔓からたくさん長い豆の鞘が垂れ下がっている光景はよく見かけていて、いったいあれがいつどうなるのか知りませんでしたが、4月はじめにはじけるのか、猿が採って食べ散らかすのか分かりませんが、道路の端に鞘と少々の豆が落ちていました。持ち帰って新聞紙の上に広げて乾かしています。この状態で秋までもてば木の実の工作のとき児童館で使えそうです。昔はお手玉に入れていたと夫は話すのですが・・・・・。
 日中は金柑の甘煮を作りました。金柑の甘煮は2日にも大鍋で炊いたのですが、金柑にたっぷりの砂糖を入れて、50分くらい弱火で煮るだけです。今日は中くらいの鍋二つで、一つの鍋では2日と同じ作り方で作り、いい金柑だけを選んだもう一つの鍋では、ケーキ用に、まず、少しの水でやわらかく炊いて冷まし、種を取り除いて刻んで砂糖を加えて煮ます。すぐに焦げ付くのでへらで混ぜる手を止めてはいけません。そのあと保存用のタッパーに移し、レモン汁を加えて10分間レンジにかけました。
 あとは3月中の郵便物の整理をし、みどりさんに頂いた与謝野晶子を描いた『女をかし』を読みました。「君死にたもうことなかれ」の詩をうろ覚えに暗記している程度で、与謝野晶子についての本は読んだことがなく、みどりさんのおかげでまた世界が広がりそうです。
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定年退職後5日目
2014/04/05(Sat)
 定年退職で仕事をやめて5日目です。
 仕事をやめたら家の片づけを、あれもしようこれもしようと考えていました。
 仕事のための体力や集中力をキープしておく必要もありません。疲れたらいつでもすぐゆっくり休めるのだから、とことん気の済むまでやろうと考えていました。
 思い通りにできたのは1日目の午前中まででした。ぽかぽか陽気のせいでしょうか、訪ねてくる人があります。花の苗を持ってきてくれる人がいました。そのあと、狭い庭のなにかを抜き取って頂いた苗を植える作業をします。おいしいそうなサツマイモと玉葱とキャベツを持ってきてくれる人がいます。料理を始めます。生き生きサロンをやっている友達が、新しく仲間に誘ってあげた人のことについて話してゆきます。その人のところに資料を届けにいき、更にその報告に行きます。4軒となりの奥さんがエホバの証人のお話にこられます。近所づきあいがてら庭先で話を聞きます。さらに孫が来て、ほい!あれを食べさせ、これを飲ませ・・・・・・・・。
 そして、一昨日の3日と昨日の4日は元の職場に仕事に行きました。3日は5,5時間、4日は4時間働きました。名目は臨時指導員です。
 同じ職場で、自分の立ち位置が変わったことで、見えてくるものが大きく違うことにおそまきながら気がつきます。児童館は休館日が第一・第三日曜日と祭日しかありませんので、身分が全員嘱託職員4人の職員では数人の臨時職員に手伝っていただきながらの一人勤務が結構多くて、それがプレッシャーです。お互い休んだ日の連絡事項も当然増えていきます。それにあれこれいろいろさまざま。とにかくすべてから開放されたのです。同じ児童館に来て、この開放感はすばらしい。
 臨時指導員ともなれば、保護者やPTA役員や、福祉協議会などの役員さんなどは笑顔で事務室を案内しておけばすみます。
 4月1日から新1年生をあずかります。子どもの特徴がまったく分かりませんので、児童館を飛び出してしまう子がいるかもしれません。最悪のことを考えて「私玄関付近で子どもたちとあそびます」といってまずは担当の指導員を安心させます。玄関付近の遊びにはコマ回しや剣玉・綾取り・卓球の面打ちなどがあります。玄関から飛び出しそうなこどもをチェックしながら子ども達が得意そうにやってみせるそれらの技を褒めて掃除をして臨時指導員第一日目は終わりました。
 次の日、違う担当の支援でしたが、遊び時間は同じ位置で仕事をすることにしました。顔なじみで5年生のH君が最初からコマを手のひらに載せて廻して見せます。開放感いっぱいの私はH君に指導してもらって真剣に挑戦しました。何度かやるうちできました!手を高くささげて子どもたちにも見せました。まわりにいたほかの3人の子どももできるようになりました。私にとっても3人の子どもたちにとっても記念すべき日になりました。
とくに私にとっては、65歳を過ぎても新しい技に挑戦できたことが喜びでした。「H君ありがとう!!」 の臨時指導員第2日目でした。なんのこっちゃの定年退職の日々です。
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『安達太良のあおい空』
2014/04/02(Wed)
 あらお しゅんすけ著 詩集『安達太良のあおい空』3・11福島の記録 を読みました。
 この本もみどりさんに頂いた本です。
 著者のあらおしゅんすけ氏は、福島県二本松市に在住です。
 東京電力福島第一原子力発電所から約六○kmの距離です。
 著者の荒尾駿介氏は、原発事故によって100万人に近い人々と共に、低放射線量下で長期にわたって生活することを余儀なくされたのですが、そこが、どんな環境で、どんな思いで、生きているのかを書き留めて伝えるべきだと考えられ、ブログで記録されていたものが、こうして本になったようです。
第一作
≪いのち
安心して 空気を吸って
安心して 食べ物を食べて
安心して 子育てをして
安心して 眠る

2011年に 気がつきました
それが どんなに有難いことだったのか
それが どんなに幸せなことだったのか
それを 皆さんにも伝えたいのです

広大な宇宙 150億年の一点
四十億年の生命の歴史の中にある我われ
安心して きょう一日を 丁寧に生きる
自分の 他者の命を愛しみながら≫

と思える日があったり、
 
≪原子力社会
どう考えても おかしいのです
悔しいのです
なんとも 腹立たしいのです

この国に 社会正義はないのでしょうか
この国は ほんとうに民主国家なのでしょうか
この国に 司法はあるのでしょうか

何人もの人が亡くなり 自殺に追い込まれ
200万人もの健康や命が脅かされ
100万にも及ぶ人たちに 大迷惑をかけたのです

それでも 誰一人として 罪に問われていないのです
2011年3月から もう一年半です
子どもたちも見ています≫
このように、このブログに転載することがいけないことかもしれないので、2編にとどめますが、月日の経過とともに、著者の揺れ動く心の記録があり、どの詩も大変重く感じます。

放射能汚染の不安に怯える悔しさ。
これだけの人災で誰も罰せられない悔しさ。
安気に老後をくらしていたそのくらしを失った悔しさ。
ただちに健康被害はありませんなどの言葉に信じがたいものを感じる悔しさ。
チェリノブイリのように5年たってやはり人間の住めるところではありませんなどといわれそうな悔しさ。
それでも54基の原発のある悔しさ。
なんといっても、スリーマイルやチェルノブイリや警告はたくさんあったのに今になって原発のこわさを知った悔しさ。
札束でほおをたたかれていた悔しさ。
8万円でモルモットにされていると感じる悔しさ。
「原発が過酷事故を起こして膨大な放射能が飛び散ったとき、原発からざっと半径100キロメートルに及ぶエリアに住む200万人の人たちが従来通りの生活を続けた場合、健康面や経済、社会面で、どういう現象がおこるか?」という大実験をされていると感じる悔しさ。
それらが今も続いているという悔しさ。
言い切れないほどの悔しさが日に日に募っていく悔しさ。

ひろしまの原爆慰霊碑に「あやまちはくりかえしませんから」と誓ったのに何もできていない自分が悔しくて泣くしかありませんでした。
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