『小泉八雲と日本』
2014/05/25(Sun)
 西野影四郎著 『小泉八雲と日本』 を読みました。
 この本は広島ラフカディオ・ハーンの会に出席させていただいたとき、会の代表の風呂鞏先生にいただいたものです。
 いただいたものですから、当然大切に扱うことにしていたのですが、最近話題の理化学研究所などの論文と違って、丁寧すぎるほど丁寧で、1行でも出典があるとその文献名や学会報名の著作者や翻訳者、記述者名が書き添えてあり、それへの解説の出典などもまた記されているという丁寧さに向けて、一つの資料も漏らさずに検証したいといった意気込みで書かれていて、ハーンにはじめて触れる私にとっては、たいへんな情報量です。気軽に読み始めたもののなかなか読み進めず、この2,3日は小脇にかかえて裏の山道を散歩しながらもよみました。
 正直やっと読み終えたという思いです。
 この力作の、著者はご高齢で、ご息女以外にお孫さんもおられず、焼津に小泉八雲の記念館が建設されるに当たって、蔵書をすべて寄付されることを決められ、1年後にトラックが引き取りにくることになってから、この『小泉八雲と日本』の執筆をおもいたたれ、これの資料となる蔵書を取りにくるまでにと、老体を鞭打って急いでの執筆になったようです。

 ハーンの1890年(明治23年)4月4日の来朝から、1904年(明治37年)9月26日に亡くなるまでの、顕彰がされています。
 最初に赴任した松江から、熊本、神戸、東京、そして」在京中のおおくの夏休みを過ごした焼津へと彼の生活した地域のこと。日清・日露の戦争のあった激動の時代、諸外国との関係によって日本政府のおかれた立場と、そこに住む外国人の翻弄されるようす。日本人のコンプレックスと、ハーンの生まれや育ち、障害によるコンプレックス。日本人を含むハーンの交友関係。教師として、あるいはジャーナリストとして、文学者として、日本・仏教・民謡などの愛好者としての彼が顕彰されていきます。
 私は、唯一松江での居宅跡を数年前夫と訪ねただけです。
 そして彼が日本で生活したその時代について、たまたまことしの5月、明治4年に広島浅野藩全域を巻き込んでの武一騒動の痕跡のある、廿日市の八田家長屋門をたずねて、廃藩置県によって、ながい幕藩体制から中央政権を樹立し、(いいかえれば、それぞれの藩主の自己破産によってこうむった国民の被害の上に)新政府の建国途上にある当時のそれぞれの階級の日本国民の生活に、おもいをはせたという程度の時代認識があるだけです。
 ハーンについての著書は初めてです。この著書によって、ハーンの生きた時代と、ハーンとハーンを取り巻く人たちと、ハーンが日本に、そして世界に及ぼした影響など、ハーンを愛してやまない研究者から、おおくのことを学ばせていただきました。
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登山靴
2014/05/17(Sat)
 朝の裏山登山で知り合った方が、「可部冠」へ登るんだけど一緒に登らないですかと誘ってくださいました。
 可部に住んで41年になりますが、「可部冠」には登っていませんでした。登ることができたらどんなにうれしいでしょう。
 安佐南区から、安佐北区へ54号線を北へ向かう太田川橋から山々のはるか向こうに先のとがった山がみえます。、それが「可部冠」です。
 毎朝歩いているので自信があるような、そのためにとても疲れていて自信がないような、複雑な気持ちでしたが、連れて行っていただくことにいたしました。
 インドやパキスタンの4000メートル級の山への登山経験のある書道家の寺岡先生につきそっていただき、イオンモールに出かけて登山靴を買いました。
 先生のアドバイスがとても適切で登山用靴・中敷・ソックス・靴の洗剤など靴手入れセット・下着・スパッツを買いました。 日々の登山疲れに、2,3日前からのこれら買い物疲れが重なって、何をする元気もなくなり、昨日の夜はちゃんとついてのぼれるか不安でたまりませんでした。キューピーゴールドとドリンクを飲んで休み、朝、何とか出かけました。数日前8人で登ると聞いていましたが、私とで3人でした。登山口でパチリ、案内板でパチリと記念撮影などしてくださいました。そしてお二人のあいだに入れてくださったので、とにかくほかの方に迷惑をかけないように登ることを第一目標に、足の置き場所を考えながら、一生懸命歩きました。休憩を2度入れて、1時間20分で頂上でした。
 735.7メートル。
 ついにやった!!
 頂上ではほかの登山グループ何組かと出会い、写真などをほかのグループの人に撮っていただいたり、あれが白木山、阿武山、堂床山、などと教えていただいたりしました。少ない木陰に入り込んで、お菓子やお弁当を食べました。
 20分くらいの休憩のあと下山いたしました。くだりのほうがよく怪我をするからとの注意をいただき、1時間10分でもとの登山口へ帰ってきました。
 下山途中から体調が回復し、帰ってから、家の片づけをしたり、庭のツワブキを収穫して皮をむき、灰汁抜きをしたり、吉永小百合出演の「まぼろしの邪馬台国」を見たりしました。
 登山靴も自分の役割を終え、次の出番はいつかなーと思いながら、玄関にしずかに休んでいます。


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目覚めればラフカディオ・ハーン
2014/05/13(Tue)
 このところ約1ヶ月、自分に午前中2時間30分くらいの裏山登山を課しています。
 そろそろ体が根を上げて、少しの暇でも身体全体が睡眠を要求してきます。
 さらに広島ラフカディオ・ハーンの会への参加以後、少しずつでも資料や書籍を読むことを課しています。
 はたして読んでいるのだか眠っているのだか・・・。
 ところが読んでいることが今日実証されました!!。
 書道家の先生のお宅を訪問しました。最近はこんなことを書いておりますのよと、葉書に書かれた作品のファイルをぱらぱらと見せていただきました。
 とたんに『詩歌撰葉』についての文章が、私の脳裏からこの葉書の文字を通して甦ってきたのです。

 ≪紙の上に惜しげもなくふりかけられた金粉の素晴らしい雨があり、蝶たちの間にきらきら輝き、あるいは花々の上に光っている。しかし、この幻の光景―花と蛾と黄金の雨―をおおうように、あるいはそれを斜めに横切って、長い数行の見慣れぬ黒い文字が小走りに走る―大風に吹かれる黒い木の葉のように、ねじれてくるくる回りながら。それぞれは生ある言葉である―思いが声となったものだ。そして、それらすべての醸しだす調和は形に負けずに優雅であり、色合いに負けずに繊細である。この色合いを背に、幻想的な黒が浮かび上がってくる。≫(第164回「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュース 2014・4・5発行4ページからの抜粋)

 見せていただいた書には色彩はまったくありませんでした。それだけに≪長い数行の見慣れぬ黒い文字が小走りに走る―大風に吹かれる黒い木の葉のように、ねじれてくるくる回りながら。それぞれは生ある言葉である―思いが声となったものだ。≫が、色彩を超えてより一層美しく舞い、たまらない色気を放っているのです。
書家の生ある「ことば」が妖艶に紙の上に流れているのです。
 この書家の書を、これまでこのように感じたことがあったでしょうか。うつろうつろでも読んだハーンの審美眼が私の心に宿ってきていたことを知り、無常の喜びがわきおこりました。
 もしかして、ハーンの作品に触れるということは、このような感性がほのかに私の周りに漂ってくることになるのかもしれません。
 ハーンへの思わぬ期待が膨らみ今夜は興奮して眠れそうにありません。
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『焼津小泉八雲記念館―八雲と焼津―2007』
2014/05/12(Mon)
 平成26年、小泉八雲記念館発行 『焼津小泉八雲記念館―八雲と焼津―2007』を読みました。
 小泉八雲が晩年、焼津に行くようになっての焼津にまつわる第一作、『霊の日本』1899年の装丁カバーが表紙に使われているなんとも美しい冊子です。
 第165回広島ラフカディオ・ハーンの会に出席させていただいたときに頂いたものです。
 小泉八雲その生涯と題して、その生涯が初心者用に興味深く簡単に書かれてあり、晩年の夏休みをすごした焼津のことや焼津を題材にした作品の紹介などもあって、ハーンその人についておおまかに知ることができました。小泉八雲について何も読まずに急に会に参加して、ハーンについて、不案内のままで、会のパンフレットなどを読んでいますが、最初にこれを読んだほうが分かりやすくより楽しめたかなと思いました。
 「漂流」の解説については、最近起こった私事のことと思い合わせて特に興味を持ちました。「漂流」の主人公の天野甚助は、乗っていた船が遭難して板子を頼りに泳ぎ3日2晩漂流して助けられます。この板子をいつも何かにつけてお願い事をしていた地蔵様に奉納するというお話らしいのです。
 先週の日曜日、千代田の小保利薬師を訪ねたとき、国宝の薬師像ほか、たくさんの彫刻の仏像に出会いました。展示館の職員の方が、私たち夫婦しかいないこともあって、実はあの小さいほうの12体の仏像などは地元の人が子どものころ、浮き輪代わりにして泳いでいたということです。と耳打ちしてくださいました。それで私が、そんなことなどから、仏像が海などに流れていったのを拾って、一畑薬師や東京の浅草寺などの信仰が始まったのですかね。といいますと、えっ!といった顔をされたので、夫が一畑薬師や浅草寺のいわれを話し始めました。その話しぶりが、一畑薬師の説明は昨年一畑薬師を訪ねたとき、一畑薬師のいわれがそれぞれの柱に順に書いてありましたが、その柱に書いてあるとおりに物語りますので、私は可笑しくて大笑いしたのでした。日本の信仰のあり方がここにもあったかと本当に楽しく読ませていただきました。
 またハーンは、日露戦争が開戦すると、海外の新聞雑誌に盛んに日本びいきの記事を書き送っていたというところでは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだとき、バルチック艦隊が喜望峰を回って攻めてくる途中、港々で、燃料補給をしようとして、契約してあったにもかかわらず、補給を請け負った会社などが落ちぶれていく親戚に接するような態度であるため、補給に難儀したことが書かれてあったことを思い出し、ハーンのこのような支援が役に立った部分があったのかとの思いがいたしました。


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第165回広島ラフカディオ・ハーンの会への参加記録
2014/05/11(Sun)
 ご縁があって比治山大学、総合情報館(7号館)7402室で開催された、第165回広島ラフカディオ・ハーンの会に出席させていただきました。
 早めに部屋にたどりつくと、会の代表の風呂鞏先生がおられ、Tさんからお話を聞いていますとおっしゃってくださり、安心しました。座る場所も難聴を考慮して決めてくださったのでずいぶんありがたく思いました。
 風呂先生は一冊残っていたからと立派な本もくださいました。
しばらくして、Tさんが、私が通ったことのある広島文教女子大学の前学長の五十嵐先生をお連れしておいでになりましたのでいよいよ安心いたしました。
 白板いっぱいに板書がしてありましたのでノートに写し取りました。それから、約2時間30分、聞こえる部分だけしっかりお話を聞いてしっかり疲れました。
 皆さん英語はぺらぺらな様子でラフカディオ・ハーンについても、夏目漱石研究の荒正人よろしく彼の人生のあらゆる箇所に精通なさっておられるのではないでしょうか。
 何も知らない心細い参加者の私でしたが、会のニュースに、会代表の風呂鞏先生が、『和漢朗詠集』をひいて、手にとって見たこともないが、實(げ)に無知なる者こそ幸いなるかな。前途には常に発見という喜び・至福の大海原が無限に広がっているのである!!といっておられることに勇気を得て末席に学ばせていただけたらと思った勉強会でした。
 導いてくださった鉄森さんに感謝感謝です。
 それにしても、頂いたパンフレットや書籍に目を通すことにゆうに1ヶ月はかかりそうです。
 もしかして3日おきに三日坊主をやらなければ・・・いやいや深めることは一切しないでとにかく一回すべて読みましょうの決心です。
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『表札など 石垣りん』
2014/05/09(Fri)
 石垣りん著 『表札など 石垣りん』 を読みました。
 この本もみどりさんから頂きました。
 2000年3月3日発行 童話屋から出版されています。
 ためしに先に読んだたくさんの詩人の詩の解説をした滝いく子の『愛のうた』を開いてみました。思ったとおりこのなかに石垣りんの詩も収録されていました。「貧乏」という詩です。
 そっと読み返して、その凄さにあらためて脱帽。
  ≪  貧乏
   
   私がぐちをこぼすと
   「がまんしておくれ じきに私は片づくから」と
   父はいうのだ
   まるで一寸した用事のように。

   それはなぐさめではない
   脅迫だ と
   私はおこるのだが、

   去年祖父が死んで
   残ったものは畳一畳の広さ、
   それがこの狭い家に非常に有効だった。

   私は泣きながら葬列に加わったが
   親類や縁者
   「肩の荷が軽くなったろう」
   と、なぐさめてくれた、
   それが、誰よりも私を愛した祖父への
   はなむけであった。

   そして一年
   こんどは同じ半身不随の父が
   病気の義母と枕を並べ
   もういくらでもないからしんぼうしておくれ
   と私にたのむ、

   このやりきれない記憶が
   生きている父にとってかわる日がきたら
   もう逃げられまい
   私のこの思い出の中から。≫

 この言い切りよう。このようなことを思わないように、つましくけなげに生きている私たちですが、たじろぐばかりです。
 もちろん『表札など』にある詩の数々にも。
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『小樽 小林多喜二を歩く』
2014/05/07(Wed)
 小林多喜二祭実行委員会編 『小樽 小林多喜二を歩く』 を読みました。
 この本もみどりさんから頂きました。
 2003年 新日本出版社から出版されています。
 税別で1100円の47ページの冊子です。
 全編しっかりした立派な紙が使ってあり、最初、小樽の地図があり、必要に応じて拡大された地図もあり合計3枚の地図が掲載され、まったく行ったことのない遠くの町をたどるにはとても安心できます。建物などの古い写真も多く使われて、街の様子が小林多喜二の文学作品からの引用文で説明されているところなどは、往時を偲ぶことができます。
みどりさんは小林多喜二のこの祭りに参加されたのかもしれません。
 そのむかし、小樽にはアイヌの人たちの暮らす台地があり、松前藩とアイヌの人たちが物々交換をして松前藩が不当にもうけてアイヌの人たちを苦しめていた時代が長くあったに違いありません。
 歴史は一挙に1880年の手宮から札幌間の鉄道開通から始まります。以来小樽は北海道の玄関口として繁栄の一途をたどって、1905年日露戦争で樺太の半分を手に入れてからは樺太貿易の中継基地となり、1914年第一次世界大戦でさらにヨーロッパ向け雑穀の輸出で、小樽には空前の海運ブーム、雑穀ブームが訪れ、小樽の相場はロンドンに直結すると小樽商人は豪語したといいます。そのせいか、小さな町ながら、銀行がたくさんありました。旧113銀行小樽支店、北海道拓殖銀行小樽支店、北海道銀行小樽支店 日本銀行小樽支店、元第一銀行小樽支店、元三井銀行小樽支店、元三菱銀行小樽支店、のレトロな写真の紹介があります。
 当時はちょっとした金持ちは銀行を作ったり証券会社を作ったりしていたようですから、記録に残らないそういった商業施設はもっともっとおおかったかもしれません。小林多喜二も小樽高等商業学校卒業後、1924年(大正13年)
から1929年(昭和4年)11月中旬に解雇されるまで拓殖銀行に勤務しました。
 しかし、小樽は北海道でもとりわけ階層分化の進んだ町で、小林多喜二はそういう小樽の町と人を題材に多くの作品を世に贈ったとあります。
1928年から1933年2月20日に拷問によって虐殺されるまでの間に「監獄部屋」、「防雪林」、「一九二八年三月十五日」、「蟹工船」、「不在地主」、「工場細胞」、「転形期の人々」(未完)、「党生活者」、「地区の人々」などの作品を書いています。たぶん私はどれも読んだことがないので、近いうちに何か読んでみたいと思いました。
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『愛のうた』
2014/05/06(Tue)
 滝いく子著 『愛のうた』 を読みました。
 この本もみどりさんから頂きました。
 1985年 新日本出版社から出版されています。
 著者の滝いく子さんは、1934年兵庫県出身の作家です。
 以前、やはりみどりさんから頂いた『ちひろ愛の絵筆―いわさきちひろの生涯』も滝いく子さんの著書で、いわさきちひろさんの世界を親しむことができました。
 この著書は、「赤旗」日曜版に1982年12月から1984年3月までに、詩人の作品を紹介したものを、さらに加筆をしたものがまとめられています。
 石川啄木、島崎藤村、北村初雄、小山正孝、ハインリッヒ・ハイネ、伊藤整、カール・マルクス、黒田三郎、室生犀星、新川和江、滝口雅子、高田敏子、西岡寿美子、佐藤春夫、高村光太郎、安西均、山之口獏、淵上毛銭、及川均、おおむらたかじ、大木実、木俣冴子、津布久晃司、井上康文、中川一政、木山捷平、真壁仁、深谷武久、天野忠、三方克、石垣りん、嵐山瑕生、バドレーク・カラム、木村好子、福田律郎、槇耕平、ポール・エリュアール、ルイ・アラゴン、金子光晴、片羽登呂平、瀬野とし、鳥見迅彦、永瀬清子、吉野弘、三田洋、与謝野晶子、大塚楠緒子、田辺利宏、宗左近、峠三吉、ビクトル・ハラ、パブロ・ネルーダの作品の紹介です。
 福田律郎の詩の紹介のところで
 ≪私はむかしから、特に詩などについては、言葉でどんなにわかっていても実感としてうけとめられなければ理解にまで辿りつけないという幼稚で厄介なクセをもっている。それは今も抜け去らない。だから福田が詩った党や同志への熱い思い、党と共に闘うというそのことさえも、実感として理解できなかったのである≫
と、自分の詩の理解についての思いを述べている。この部分を読んだとき、私はなんだか理解し合える親友を得たような気持ちになってうれしかったと同時に自分に勉強が足りないことを感じた。
 自分とはちがった主義、宗教、哲学を持っている人の思いは、理屈も何も生理的に理解不可能である。しかし分からないながら読み返していくうちに相手の状況が分かるようになり、自分の世界が広がり、自分が耕されていくのかもしれない。そう思って読み返していると、彼が詩う息子、「生きる」「闘志」「注意力」「不屈」が、私の養子にもきてくれたらと思えてくる。つらく、息も絶え絶えになったときは、これらの養子が私を元気づけてくれそうな気がする。
 出会えて懐かしかったのは、大塚楠緒子だった。
 いきおい夏目漱石を思い出した。 あるほどの菊投げ入れよ棺のなか と彼を詠わしめたその人の詩を記しておく。
 お百度詣
 ひとあし踏みて夫思ひ/ふたあし国を思えども/三足ふたたび夫おもふ/女心に咎ありや。 
 朝日に匂う日の本の/国は世界に唯一つ/妻と呼ばれて契りてし/人もこの世に唯ひとり。
 かくて御国と我夫と/いづれ重しととはれなば/ただ答へずに泣かんのみ/お百度まうでああ咎ありや。


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