『たけくらべ・山椒大夫』(1)
2014/08/31(Sun)
 講談社の少年少女日本文学館1 『たけくらべ・山椒大夫』 の中に収録されている小泉八雲著・平井呈一訳 「耳なし芳一」・「むじな」・「雪おんな」を読みました。
 子供向けの図書でありながら、平井呈一の訳が使用されていることが以外です。
 手元に上田和夫と田代三千稔の訳がありますが、子どもにわかりにくい表現の訳はこの平井呈一の訳です。今のところ、平井呈一訳の『怪談』が手に入りそうにないのでわたしにとっては貴重です。
 ここでは、高杉百合子・梅田千津子による、読書指導のしおりを書き取りました。
 ≪鴎外が西洋文学に学び、近代思想を深く身につけたのとはぎゃくに、小泉八雲は西洋文明に毒されない「日本の心」を、外国人という新鮮な目で見出そうとした文学者です。39歳のとき、アメリカの記者として来日、その後、松江中学の英語教師となります。近代の西洋文明を好まなかった彼は、母親の血筋ということもあって、東洋に関心を持っていました。
 そして、日本に興味を抱き日本の風物・人情に魅かれて、深く日本を愛するようになります。「明治」という近代化の進むなかで、忘れ去られようとする「日本の美」「他民族にはない日本人のやさしさ」を愛し、小泉セツと結婚、日本に帰化し永住するのです。繊細な感受性を持ちロマンチストだった八雲は若いときから、さまざまな不思議な物語や怪談話が好きでした。日本に来て、各地に残る民話伝承や古い文献を通して、多くの怪異譚を知り、ひじょうに喜んだといいます。
 それらの原話に手を加えて、叙情性あふれる文学作品にまとめあげたのが『怪談』です。
 なかでも「耳なし芳一のはなし」は『怪談』を代表する作品です。赤間が関の琵琶法師芳一が平家の怨霊に魅入られ、亡霊に耳をかきとられるという話です。しかし、ただ、気味の悪い魔性のものを描くというだけでなく、滅びていったものの哀れさや登場人物の心理などが、巧みな構成、表現であらわされています。
 『雪おんな』は、恐ろしいなかにも妖しい美しさが漂っています。印象に残るのは、『雪おんな』のお雪です。巳之吉の妻となって十人の子どもを産んだ末、巳之吉のもとを去るとき、子どもへの愛情ゆえに彼を許し、悲しく別れていきます。ここには、八雲が幼いころ別れた母への愛情や、女性への憧憬がこめられているようです。
 『むじな』は、人を化かすと信じられていた動物です。二重の驚きに心臓もちぢみあがったであろう商人の顔が、目に見えるようではありませんか。
 一つ一つの作品の異なったおもしろみをよく味わってください。≫

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『〈時〉をつなぐ言葉』 ラフカディオ・ハーンの 再話文学 (2)
2014/08/30(Sat)
 牧野陽子著 『〈時〉をつなぐ言葉』 ラフカディオ・ハーンの 再話文学 やっと第二章の民話を語る母 ―『ユーマ』 までを読んでいます。
 ここでは、先の第一章に引きつづいて、第二章 民話を語る母 ―『ユーマ』 について記録します。第一章ではテーマの「〈夜〉のなかの〈昼〉」ということについて十分咀嚼して記録することができませんでした。少ない読書体験に、いきなり、ハーンの作品を特徴付けるエドワード・モースの作品の引用が提示されたために、すっかり興味がこの方にいき、ハーンの昼間の出来事が、夜の深遠な思索の中に包括されているといったことへの丁寧な考察がなされているにもかかわらず、そこらをしっかり捕らえられなかったという読みの甘さが災いしてしまい反省です。
 第二章の民話を語る母 ―『ユーマ』 の『ユーマ』とは来日より前にかかれたハーンの小説です。西インド諸島、フランス領のマルティニークで、白人のマイヨットの、乳母の混血の女奴隷の名前がそのまま題名になっています。マイヨットの母親はマイヨットを乳母のユーマに託して彼女が小さいときに亡くなります。乳母として献身的に尽くすユーマが、奴隷解放を主張する黒人奴隷青年との恋と、自らの義務感との板挟みとなり、奴隷の暴動に巻き込まれて白人の主人一家とともに焼け死ぬまでの物語です。
 この作品の中で、マイヨットが不安な気持ちでいるときに、ユーマはいつでも民話を語って聞かせます。白人の子どもを預かる乳母は誰でもお話し上手で、子どもの抱く不安を受け止め、鎮め宥めていきます。聞かせるお話の中でも、奴隷たちの中で語り継がれたアフリカの民話が、フランス領のマルティニークの風物や人情と混在する中で、クレオールの民話として語られたとして、クレオール文化についても語られています。
 各地に伝わる民話、また違った自然や風物や文化の中でこの民話が語られ混在してゆくことで、その民話が磨かれ普遍化させてゆくという文学の領域をなぞり、開示していきます。ハーンは、さらに日本での再話文学の中でこれらの領域を花開かせていったと論が進められていきます。
 ≪再話すなわち“語りなおすこと”を媒介として、日本と西洋という異なる文化が混交し、新たな想像力の世界を生み出していく。その一方で、再話による変容の過程は、そうした文化の違いや時代の違いをも包摂し、超越する普遍的な構造を物語の核として浮かび上がらせていくことにもなる≫と結論づけられています。
 『ユーマ』のほかにハーンの小説として、『チータ』、『アルプスの少女ハイジ』・『秘密の花園』もとりあげ、異なる文化の混交しによって、人間性を回復する例をあげての解説でした。
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広島の土砂災害について覚書(2)―山に登れば
2014/08/28(Thu)
 私は、大雨ごとに、まずは古くに開発された団地に住む、私の家が土砂災害に遭うと毎日暮らしていたので、あの太田川から大きな段差もなく連なった八木、緑井地区が、洪水ではなく、土砂災害にあったということが、いまだもってわかっているようで何もわかっていない自分に呆然としています。
 災害のあと、裏山のことが気になりながら、こわくて、家に引きこもっていました。
 やっと、25日、26日、27日と裏山に登りました。
 8月になってからは、それまでも、ほとんど雨の降らない日はないといった調子でしたから3回くらいしか登っていませんでした。
 25日は土砂崩れしたところはないか、また崩れそうなところはないか、道路の側溝に水が流れ出ているところはないかを見ながらおっかなびっくりの登山でした。出会う人出会う人が、「しばらく顔を見なかったけど元気だった?」と声をかけてくださいます。皆さん毎日登られていたとは・・・・。
 半分くらいの人が展望台まで登られるのですが、私はいつも、展望台でおち合った方々と3人から7人くらいで、さらに駐車場まで登ります。
 この展望台から駐車場までの間の南へのむけての斜面で幅8メートルくらいが、道路の上10メートルくらいから、道路の下20メートルくらいまで土砂崩れしてえぐられていました。ガードレールの土台部分から道路が崩れ、ガードレールと電線、電話線がぶらさがっています。
 道路は凄い土砂の量だったと思われますが、除去作業のあと大量の雨も降ったのか、すでにきれいになっていて、近寄ってはいけない部分にコーンが置かれています。先ほど私たちに「気をつけてください」と声をかけて車で登っていかれた、山頂のお寺の住職さんはこの道をいかれたのだと思いながら、被災者のいない現場の復興の早さには驚きます。ほとんどの山道が木々に覆われて下界が見えないのですが、すっかり見晴らしがよくなって、山崩れを起こしている山々が少し見渡せます。
 展望台からは、安佐南区のこのたび多くの被災者を出した阿武山に連なる北山の北面の土砂崩れがよく見えます。犠牲者を出さなかったので報道されていないのでしょうが、二つの谷からの土砂崩れが合流して太田川の流れにまで続いています。ここが報道されている交通止めの路線だときづかされます。
 ここからは、安佐北区の西向きの土砂崩れの爪あとが3箇所見えました。それぞれが山の頂から帯状に土砂崩れをおこしていて、急斜面を木や岩を伴って崩れていくスピードが想像できます。
 「山は、青年期、壮年期、老年期とあります。中国山地の山は老年期です。」と中学校の授業での先生の説明を思いだします。「老年期のなれのはてか」と思うばかりです。
 3通りの登山道が展望台で一緒になり、いろんな被災場所の情報が聞けました。そして、意外と、広島県出身の方は割合少なく、昨日27日には、出身地を知っている人だけでも、宮崎県、山口県2人、高知県・奈良県の方々でした。
 いつ崩れるかわからない山裾暮らし。いろんな人とご縁をいただきながら、余生を送っていくのだと感じています。
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「K」 さんの見舞い
2014/08/27(Wed)
  秋月胤永(アキヅキカズヒサ)の所有していたといわれている、扇面に書かれた書を、夫が写真に写し取ってきてくれたので、それを読んで解読していただこうと、Kさんの家を訪ねました。古文書のくずしと、書道のくずしは違うから・・・と、書の解読は敬遠されていたKさんですが、夜、家に灯りがついてなかったりして、元気でいらっしゃるのかなと気になっていましたので訪ねました。いらっしゃらないので、思い切って、仲良くされてる隣のMさんを訪れて尋ねてみました。すると、M さんもKさんのことで胸いっぱいにされていた様子で、入院されたのよと、いろいろ話してくださいました。
 病院にお見舞いに行くかどうか迷いましたが、行ってみました。今、歯の治療中ですのでしばらくお待ちくださいといわれ、治療を終えてお風呂に入ってこられるまで待ちました。その間、「夏になっても裏山登山の途中、下手な歌を見ていただいていた気がするし・・・・。」などと、その間、いつから出会っていないのか考えてみたりしました。
 もともと、やせた方でしたが、すっきりと美しいKさんが車椅子で職員の方に連れてこられた時には本当にうれしく思いました。
 2ヶ月で10キロやせたといわれ、私の手を胸に当てて、やせた体を示されました。
 「何か食べたいものがありますか?」と尋ねると何もほしくないといわれました。「退屈されてますか?」ときくと、「あなたらしい質問ね。」と、いわんばかりににっこりされたので、「読んでいただきたいものがあって」と、「『八重の桜』に出てきた会津藩の秋月胤永という人のもののようです。」といって、彼の詳しい紹介のA4のプリントを4枚差し出しますといきなり、ピシッと背筋を伸ばして、特に彼の漢詩の部分は丁寧に読まれました。書の写真の拡大したものは、それに書き込んでくださいと、お願いをすると、一字一字丁寧になんどかなぞりながら、8割がた書いてくださいました。そして、辞書がないからごめんなさいと、言われました。片付けて、「体重が戻らないと退院なさらないですか」と尋ねると、そうだと頭をコックリとされました。「疲れさせてしまいましたね、看護婦さんをお呼びしましょうか」というとコックリされたので、看護婦さんを呼んで病室にお連れしていただくようお願いしました。最後に「また、読んでいただきに来てもいいですか」と訊ねるとにっこりしてコックリとされたので、「また来ます。」といって別れました。
 運転をして、病院から家に帰る3キロばかりの途中、なぜかすこし涙が出ました。
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 広島の土砂災害について覚書
2014/08/25(Mon)
 以下は私の携帯電話に、8月になって、広島市の防災メールで送られてきた情報を、このたびの災害、翌々日の途中までを、順をおって、書き写しました。
 この登録は、私の住んでいる安佐北区から安佐南区に勤務するようになった2011年4月に、初めて勤務する児童館のある小学校で担当の先生あるいはPTAの役員の方で、操作に手馴れた人によって登録されたものです。今でこそかなりの人が登録されているようですが、その年が、学校が非常変災を保護者にいっせいに知らせるシステムを立ち上げた元年でした。児童館も小学校の下校などと連動していますし、保護者が一緒ですので、いろいろ不具合もありながらの登録でした。私は今年春定年退職したのですが、防災メールだけは残っていてお知らせがあります。しかし、この土砂災害を何らかの形で記録に残そうとして、この携帯記録を思いついたのですが、記録していて、これが、勤務している安佐南区だけの防災メールだということに遅まきながら気がつきました。気にしなくてはいけないのは勤務地の学区のことなのですから当然といえば当然でしたが、やはり、気にするほどの災害がなかったことが、気づかなかった大きな要因です。
 災害以降も雨の降らない日はありません。24日1件、22日6件、21日3件と防災メールが入っています。
気がついていたら災害に見舞われていたというような災害でした。メールが情報を届けてくれるからといって、自然の変化に無関心でいられないということを身にしみて感じさせられました。
 じつは、19日には、私は、二つの児童館を訪ねていました。「稲村の火」という紙芝居の紹介をするためです。この紙芝居は、ラフかディオ・ハーンの「生神様」という作品が元になって出来たお話しです。和歌山の村に起こった津波から村人を救った村長の話です。昭和12年から22年までは教科書に載っていたのだそうですが、私たちはまったく知りませんでした。その翌日こんなことになろうとは・・・。

 携帯への広島市からの防災メール
8月4日16時09分 大雨警報、雷、洪水注意報が発表されました。
8月5日2時37分 大雨注意報が発表されました。大雨警報、雷注意報が解除されました。
8月5日8時12分 大雨警報、雷、洪水注意報が発表されました。
8月6日5時13分 大雨警報、洪水警報が発表されました。
8月6日9時36分 広島市:大雨に対する注意喚起安佐南区災害警戒本部からお知らせします。8月6日9時現在広島市 に大雨・洪水警報及び土砂災害警戒情報が発表されています。安佐南区では、これまでに降った雨により、土壌が緩ん でいる場所がありますので、土砂災害に厳重に警戒してください。
8月6日14時25分 大雨・雷・洪水注意報が発表されました。大雨・洪水警報が解除されました。雷、洪水注意報が発表 されました。
8月9日16時10分 大雨、暴風、波浪警報、雷、洪水注意報が発表されました。
8月10日7時58分 大雨注意報が発布押されました。大雨警報が解除されました。
8月10日11時20分 強風・波浪注意報発表されました。暴風・波浪警報・大雨・雷・高潮注意報が解除されました。大雨 警報、雷、洪水注意報が発令され8月4日16時09分 発表
8月16日18時33分 大雨警報が発表されました。大雨注意報が解除されました
8月16日23時44分 大雨注意報が発表されました。大雨警報が解除されました。
8月17日6時12分 大雨警報、洪水、雷注意報が発表されました。大雨注意報が解除されました。
8月19日21時26分 大雨・洪水警報・雷注意報が発表されました。大雨・洪水注意報が解除されました。
8月19日23時35分 洪水警報が解除されました。
8月20日1時23分 洪水警報が発表されました。 洪水注意報が解除されました。
8月20日4時35分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)4時30分現在大雨のため、 安佐南区梅林地区、八木地区、緑井地区、および山本地区に避難勧告を発令し、避難場所を次のとおり開設しました。 なお、避難される場合は、河川の増水などに十分注意してください。(梅林地区)梅林小学校 、(八木地区)八木小学  校、(緑井地区)緑井小学校、(山本地区)山本集会所
8月20日5時57分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)4時30分に解説した梅林地 区の避難場所について、浸水被害のため、梅林小学校から佐東公民館に変更しました。
8月20日6時02分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)4時30分に解説した梅林地 区の避難場所について、浸水被害のため、梅林小学校から佐東公民館に変更しました。
8月20日7時58分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)7時58分現在土砂災害の恐 れがあるため、安佐南区八木4丁目42番街区、43番街区、48番街区、49番街区及び50番街区に避難指示を発令し ました。避難場所は八木小学校です。
8月20日8時00分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)8時00分現在土砂災害の恐 れがあるため、安佐南区長束西地区、伴地区及び伴東地区に避難勧告を発令し避難場所を次の通り開設しました。
 なお、避難される場合に河川の増水等に十分注意してください。(長束西地区)長束小学校、(伴地区)安佐南区スポー ツセンター、(伴東地区)伴東小学校。
8月20日8時18分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)8時00分に梅林地区避難場 所について、梅林小学校を追加しました。
8月20日8時33分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)8時00分に避難場所につい て毘沙門台小学校を追加しました。
8月20日16時22分 洪水注意報が発表されました。洪水警報が解除されました。大雨警報、雷警報はそのまま
8月20日17時18分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月20日(水)17時15分現在、広島市に 大雨警報及び土砂災害警戒情報が発表されています。これまでの降雨で土壌が緩んでいるところがあり、少しの降雨  でもがけ崩れなどの土砂災害が発生する可能性があります。崖の近くなど土砂災害の発生しやすい地区にお住まいの 方は、異常を感じた場合、早めの避難を心がけてください。また、河川が増水していますので、今後の気象状況に十分  留意してください。
8月21日4時5分 大雨注意報が発表されました。大雨警報が解除されました。
8月21日13時00分 安佐南区災害対策本部からお知らせします。平成26年8月21日(木)13時00分に山本地区の  避難場所について山本小学校を追加しました。




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『〈時〉をつなぐ言葉』 ラフカディオ・ハーンの 再話文学(1)
2014/08/24(Sun)
 牧野陽子著 『〈時〉をつなぐ言葉』 ラフカディオ・ハーンの 再話文学 を読んでいます。
 ここでは 1章 〈夜〉のなかの〈昼〉―「東洋の土を踏んだ日」「盆踊り」 について記録します。この、1章で、対象になっている作品「東洋の土を踏んだ日」「盆踊り」は、ハーンが来日してすぐのことをかいた作品です。
 当時、西欧の人はほとんどが、西欧文化とキリスト教を絶対的優位におき、日本に対して嫌悪感を抱くことを、その著書に残しているそうですが、ここでは、共感的に日本を描いた人の代表として、エドワード・モースとラフカディオ・ハーンあげ、二人の作品を比較することによってハーンの著作の特徴を浮かび上がらせています。
 大森貝塚の発掘で知られるエドワード・モースは、1877年、1878年、1882年と3回来日し、初めて来日したときの印象を、その著作『日本その日その日』で著しました。≪明治十年に6月17日の夜モースが横浜に上陸した時、「私は叫びたいほどうれしくなって、日本の海岸に飛びあがった」、「「すべてが新しく珍しい景色を眺めたとき、何という歓喜の世界が突然私の前に展開されたことだらう」と述べ、翌朝、早速、横浜の町の見物に出かけて、「日本の街をさまよい歩いた第一印象は、いつまでも消え失せぬだろう。―不思議な建築、極めて清潔な陳列箱にも似た、見慣れぬ開け放しの店、店員たちの礼儀、様々な細かい物品の新奇さ、人々の立てる奇妙な物音、空気を充たす杉と茶の香。我々にとって珍しくないものとては、足下の大地と、暖かい輝かしい陽光くらいであった。ホテルの角には、人力車が数台並んでいて客を待っていた。」モースは人間が引く俥に乗ることを申し訳なく感じて歩き出すが、いざ乗ってみると、車夫の力強い走りに魅了されてしまう。・・・・≫とモースの楽しい作品の紹介がされています。
 モースの13年後に、日本を訪れ、「東洋の土を踏んだ日」に人力車に乗って横浜探訪の一日を描いたハーンの文章は、枠組みも、取り上げる素材も似ています。しかし丁寧に読み込んでいくと、≪そこ展開する景観は、対照的に異なった印象を受ける≫と述べてあることに、合点がいきます
 ≪モースにとって、庶民の風景も、日本の住まいも、すべて、昼間の光に照らされた明るい世界だった。≫一方ハーンは、昼間見たものをとおして、日本のずっと昔から現在に至るまでの、無数の死者の霊魂を感じることにより、遠く遥かな時空へと突き抜けていき、異次元の地平線が幾重にもあけていく美しさがあり、再話文学への予兆が感じられることが述べられていることを、自分なりに確認することができます。
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第168回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2014/08/16(Sat)
 8月16日、「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ夫と参加いたしました。
 ふたりでの参加は2度目になります。
 あまり早くに予習をすると、当日には忘れてしまうので、午前中に「出雲再訪」の一、二、三、四、までを精読いたしました。読むのは、三回目くらいでしょうか。「出雲再訪」の再々読ということで、今度はこの一文から何が見えてくるのか、楽しみながら予習ができました。すこし前、日清戦争に勝ったばかりの日本を精査したような、彼の作品である「日本文化の真髄」という一文を読んだばかりでしたので、日清戦争の戦前の出雲に対して、戦後の出雲への再訪という視点がおのずと見えてきます。
 つい2、30年前まで、西欧諸国の植民地になるのではないかと恐れていた日本が、この戦勝によって世界の列強5位にのし上がった状況を居留地の神戸で見ていたのですから、ここは西欧人にとっても、もう一度、3歩下がって、日本全体を見極めざるを得なかったかもしれません。
 出雲の片田舎でさえ、どこかしこに戦勝の影を見たハーンは、帰化手続きも終え、これからは日本人として、近代化のもっとも進んだ東京にくらし、アメリカ、イギリスの大学からの講演依頼などの話もありながらも、最高学府帝大の教壇に立つ、この未知の旅への思いは、自分と一雄にとって、心中、妻のセツ、養父稲垣老人との同行三人の巡礼の旅のような出発であったかもしれないとさえ思えてくるのです。
 さて、比治山大学の会場に行ってみますと、すでに風呂先生は板書もされてせっせと準備をされていました。さっそく、第168回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュースと「すみよし」をいただきました。風呂先生の記事が読みたくて「すみよし」を読みました。今秋から始まる朝のNHK連続テレビ小説の竹鶴政孝の紹介を楽しく読ませていただきました。今年の正月前後に、白蓮の本を2冊読んでいたので、ときどき裏山登山で出会う人から、「これから連ドラの白蓮はどうなるの?」と聞かれていたのですが、次は風呂先生のこの一文でまた裏山の皆さんに説明してあげられそうです。森脇宮司の「現代の天孫降臨」は国民のみんながそう思っている喜ばしい話でしたが、高円宮典子様も出雲に嫁して、新たにハーンに出会われるのではないかと思いをはせました。
 会が始まると、風呂先生から、「広島ラフカディオ・ハーンの会」の立ち上げから尽力されていたという、佐藤俊之先生が、6月21日にお亡くなりになられたという報告がありました。そして、生前のハーンへの研究成果について、おおきくふたつのことを話してくださいました。遺族の方から頂かれた、遺品の秋月胤永(カズヒサ)の書も披露してくださいました。 
 ご冥福をお祈りしたいと思います。
 9日間の予定で、ギリシャのハーンのシンポジュームに出席された古川正昭氏の報告もありました。お土産のお菓子もおいしくいただいた会でした。
※秋月胤永(カズヒサ)とは会津藩の人で明治に罪を許されて、ハーンが熊本の五高で出会った時には、最も尊敬し「神様のような人」と賞賛した人でした。

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「日本文化の真髄」
2014/08/14(Thu)
 小泉八雲著・平井呈一訳編 『心』 のなかの 「日本文化の真髄」 を読みました。
 岩波文庫 『心』 の15ページから43ページまでの作品です。
 書き出し≪一艦だも失うことなく、一戦にだも敗(ヤブ)るることなく、日本は、中国の勢力を打ちくじいて、新たに朝鮮をおこし、領土を広げて、ここに東洋の全政局面を一変させた。政策の上から見て、これは瞠目すべきことと思われるが、さらに心理的にみると、なおいっそう瞠目すべきことである。≫
 もう一度、日清戦争の経緯を確認すると、イギリスの軍需産業は当時清国にも日本にもその手をおおいに広げていた。清国は、ロシアの脅威から身を守ろうとして大連に上陸した日本軍を追い払うために、イギリスから巨大な戦艦を購入してそれに備えた。明治27年8月1日に清国に宣戦布告をした日本が、28年4月17日には下関で日清講和条約を調印して朝鮮と台湾を実質領有します。
 それをなした日本についての観察から、日本文化の真髄をハーン流に述べ29年3月にはイギリスとアメリカで発信するのですから、「どうして日本がこれほどのことを?」と思っていた世界中の人々にとって研究に値するものであったことはいうまでもありません。
 さてそれほどの驚くべき足跡。彼は、お雇い外国人教師の経験をも踏まえ、≪この国民の頭脳が、よくこれだけの激動に耐えることができた≫ことの謎に迫ります。
 日本人が高々30年足らずのあいだに相当の代価を払って西欧化した分野と、まったく影響を受けなかった分野があります。西欧の工業方面、科学的な医術・科学・顕微鏡学などの天性は生まれつき適応していて伝わってきたものは直感的に理解しそれ以上の技術力を磨くことができます。とくに外科手術に関しては、世界中に日本の外科医ほど優れた外科医はいないと述べています。また、ことに軍事力と政治力ではとりあえず特異な性格を発揮したと述べます。しかし、西欧の芸術研究にはいたずらに時間ばかりを費やしてなんら効果が現れないと指摘します。このような分野については、双方とも古代からさほど変わりがなく、共感できにくいことをまず理解するべきと述べています。
  なぜ理解できないかということを日本の津々浦々を観察することで説明します。まず、西欧で大掛かりな工業設備と組織構造とで製造する製品を日本で製造はしていても、日本の家並みは旧来どおりの西洋人から見たら人間離れした小さな家が並んでいるばかりで、その小さな家並みの中でこれらのものを低コストで迅速に生産することを異様に感じます。地震、津波、火山の噴火、洪水、火事などの災害に対して、一時しのぎの家を建て生活をする。万物流転、諸行無常の仏教観、人生は涯なき旅の一里塚、物に執着はしない。≪日本の国民生活の最も著しい特徴は極度の流動性である≫といい、西欧人は≪自分の依存しなければならない社会機構、または生産機構が、特殊なその要望に添うように人間をつくりなおし、各自に生得の力を棄てさせ≫と、流動性がまったく利かず、がんじがらめといいます。
 西欧人になくて日本人にある特性を、丁寧に、敬意と愛情をもって理解に勤めています。
 それから120年後の今、小さな家や、仏教の影響や災害の多さは変わらないとしても、「各自に生得の力を棄てさせた」当時の西欧人に近づいている今の私たちを見出します。
 

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『心』
2014/08/13(Wed)
小泉八雲著・平井呈一訳編 『心』 を読みました。
副題として日本内面生活の暗示と影響とあります。
☆「停車場で」
★「日本文化の真髄」
☆「門つけ」
☆「旅日記から」
☆「あみだ寺の比丘尼」
☆「戦後」
★「ハル」
★「趨勢一瞥」
★「因果応報の力」
☆「ある保守主義者」
★「神々の終焉」
★「前世の観念」
☆「コレラの流行期に」
★「祖先礼拝の思想」
☆「きみ子」
 これら15作品がありますが、☆印の作品はすでに平川祐弘・河島弘美・仙北谷晃一・田代三千稔訳で読んでいるので、このたびは、これらは読みませんでした。★だけを読みました。
『心』は、1896年(明治29年)にボストンのハウトン・ミッフリン書店、及びロンドンのオスグッド・マックイルビィン書店から同時に出版されたのだそうです。
 ハーンは明治23年4月に日本に来て、9月より松江中学校と師範学校に勤め、明治24年11月より熊本第五中学校に転任、明治27年10月より神戸クロニカル紙の論説記者となります。翌年28年1月には眼病のため退社するのですが、『心』の大部分はこの神戸時代に書かれたものと、熊本時代に書かれていたもので、他の作品から漏れていたものが付け加えられたのだそうです。
 教育者という立場から、一西欧人の論説記者という立場になっての文章のちがいを感じることがあるのはそのせいでしょう。
日本の神道、仏教によって形成された日本人のものの考え方や感じ方や気質を、キリスト教や進化論、西洋哲学に比較して考察を深めていくさまは圧巻です。
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教科書の訂正について
2014/08/12(Tue)
 3・4日前から裏山登山でいつも出会うかたがたのあいだで、狼の話題があり、ずっと狼のことを考えていました。
 私は、結婚して下の子どもが小学校へ入学するのと同じく近所の大学の短期大学部を受験しました。それまで、受験勉強を考えたことがなかったので、いざ受験となると、まず教科書がありません。受験科目は3教科ということでした。国文なので国語は必須ですが、あとは数学と倫理・社会にしました。わりと近いところに第一学習社という出版会社があり、タイピスト仲間の友達がいたので、昭和52年3月15日発行(受験勉強を始めた年の発行)の『倫理・社会の研究』(教授資料)という本を手に入れました。これは、教える先生に対しての本で教科書にそって、解説や例、抑えるポイントなどが詳しく伝授してあります。中身はアリのような文字がぎっしり402ページあります。これを丁寧に読むとテストの点が取れるような記憶ができるかどうかは別として、倫理・社会の教科が何を教えようとしているのかが大方100%理解できると思えるのです。最初からこれを生徒に学ばせれば効率よく理解できたのにと思わないでもありません。
 話を元に戻します。狼の話です。この本のなかに「狼に育てられた少女」カマラとアマラの話があったことを思い出して、読んでみました。なぜこの話がこの場面に出てくるかと手短に言えば、人は人に育てられて人になるということです。ところがこのことをインターネットで検索してみると、これはシング牧師による捏造であったことが判明されているそうなのです。私より4歳年上の夫に「狼に育てられた少女の話が教科書にあったよね」というと、「あれは嘘なんよ」と即座に言いました。中高一貫校の私立に行った夫は、高校で先生がじつはそうではなかったと説明されたというのです。この本が出版される20年位前の話です。
 この「狼に育てられた少女」について考える機会がなかったせいもあって、このことに何の疑問も持たなかったのですが・・・・・。
 素朴な質問です。どうして、教科書はこのような間違いについて長年訂正をしないのでしょうか。ほとんどの人がこのことに無関心だとは思いますが、たとえば、この考え方が、母親の子育てのやり方が、子どもの成育のすべてを左右するという考え方などにも繋がりそうです。

 偶然ですが、今、小泉八雲が、明治28年に書いたであろう『心』を読んでいます。これは小泉八雲が、日本の神道の概念を西欧の人々に紹介するために、科学や進化論や哲学や倫理を駆使して丁寧に解説したものです。教科書を読む前にこの本を読んでいれば即座にこのことに疑問を感じたのではと思えるのですが・・・。
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『日本人は何を考えてきたのか』
2014/08/08(Fri)
 日曜日の夜録画しておいたNHKの『日本人は何を考えてきたのか』を観ました。
 爆発で痛ましい姿の福島第一原発の映像のあとに「日本人はどこに行くのか」そして、「知の歩みに未来をとくカギがある」と副題らしきものが写しだされてきます。
 昭和のはじめ長引く不況のなか、政党政治は混迷し軍部が胎動してゆきます。満州事変から太平洋戦争へと日本が歩んだ時代多くの人々が理想の世界の実現を宗教に求めたといいます。ここでは、社会に大きな影響を与えた、出口なおと出口王仁三郎が創始した民衆宗教の大本教を取り上げます。
大本教が目指したものは何だったのでしょうか。出口なおのお筆先にかかれたものを見てゆきます。
○モ一ツ世界の大洗濯を致して根本から世を立て直すから世界が一度に動くぞよ
○日本は神道神が構はな行けぬ国であるぞよ 外国は獣類の世 強いもの勝ちの悪魔ばかりの国であるぞよ
○天照皇大神宮殿の岩戸開きには 天之宇受女命殿も御手柄で 其折はありたなれど 誠でないうそでざまいて 岩戸開いたのであるから 嘘はこの世の宝ざと申して世を立てて好きすっぽうの 世の持ち方なれど 日本の遣方は其遣方では続かんぞよ 持放題に世を持ちて 御出たのを影から改めしてありての 二度目の世の立替
 明治25年創始のころの言葉だと思えるのですが、この、日本から見ての欧米への観察が偶然ですが、ラフカディオハーンのそれと同じなのが私にとっては印象的でした。
 番組では彼女が神がかりしてこの言葉を発する状況になるまでの足跡をたどります。彼女の婚家がある京都綾部村では近代化によって機械化が進み、多くの人が職を失い、さらに地方を犠牲にする松方デフレによって自殺者、破産者、精神に異常をきたす人が次々とでて、まともな家は2,3軒しかなくなり貧困の極みにいたります。政治は軍閥のことしか考えない。切羽詰った八方塞の中で、たまりにたまったものが神がかりとなって、大声で神の言葉を発し始めたと解説します。同じような環境に合った人たちの共感を得るのでしょう。信者が集まってゆきます。ここを訪ねた後の王仁三郎は、神道への考えには疑問を持つものの、天皇とすべからくの身分を取り払った一つにした国民という概念、に共感し、出口なおの提言を根底に維新として実践してゆきます。
 このように、大本教は、出口なおの末娘婿の王仁三郎に引き継がれ、常に民衆の声を吸い上げ臨機応変に教理を作り世界平和の理念を打ち立てエスペラント語の提唱までしていくようになり、おおいときで414支部800万人まで信者を増やしていくのです。
 さらに現在の大本教へ至る顛末も紹介されてゆきます。余談ですが、信者の中にはあの秋山真之・海軍機関学校教官の浅野和三郎など海軍幹部あるいは陸軍幹部、国会議員、右翼、までがいるとは知りませんでした。
 貧困・格差社会に財閥・軍閥への疑問、政党政治への失望感の蔓延する今、出口なおのことばを見つめなおす意味があると提言しています。


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『それでもわたしは山に登る』
2014/08/06(Wed)
 田部井淳子著 『それでもわたしは山に登る』 を読みました。
 おなじ団地に住むお友達が貸してくださった本です。
 読めないでいたのですが、昨日彼女のうちを訪ねて、「いろいろ失敗もあったけど・・・と、書かれていて、歩こうという気持ちにさせてくれたのよ。」との助言で、今日は児童館の仕事が入っていたのですが、大雨警報が出ていてキャンセルになり、昨晩今まで経験したことのない息ができなくなるほどの腹痛があったこともあり、布団も上げずに横になって録画しておいたテレビを見たりこの本を読んだりしました。
 さすが世界初の女性エベレスト登頂者・世界初の女性七大陸最高峰登頂者、強靭な肉体と精神力と行動力と企画力、そして運の強さなどに驚かされます。癌も3度目の克服中、それぞれの登頂でいろいろあったであろうに、中で今振り返って心に残っていること・学んだことをシンプルに書かれてあって、読者にもやる気を起こさせ、勇気を与えてくれる本でした。読み終わる頃から、今日一日布団の上でごろごろしていたことが本当に悔やまれてきます。
 「まえがき」にあるように、《この大震災後、山で切羽詰った状態になった時、つまり土壇場に立たされた時、どう行動したかについて本にしたいという話を編集部からいただいた。第1章をにあたる部分を少しずつ書き始めて5ヶ月後のことだ。本当の土壇場が自分にやってきた。》 と腹水の中にがん細胞が発見され、余命3ヶ月とも言われる。という事情で第1章と第2章がうんと違ってくるのですが、この癌への取り組みが、これまでの不可能を可能にした経験への取り組みへの姿勢ではなかったかとこの作品をより説得力のある力強いものにしているように思えます。
 「病気や、治療の都合など人に語る必要はない。」と思っているかのように、登山、ボランティアや講演、テレビ・ラジオ出演など、ほとんどの日程を崩さずに放射線治療や手術をやってのけ、この本を読んでそのときの状況を知ったら関係者はびっくりされるかもしれないが・・・などと書かれてあります。そうでありながらも、ご主人と車で移動するとき、葬式のことについて話し合うことがあり、家族だけで静かに送って、1ヶ月くらいしてからみんなを招待してお別れパーティーでもやってくれと夫に依頼されていて、そこらのちょっとした低い山にでも登る計画を立てているような按配なのがとてもさわやかでした。
 登頂目標に、メンバー全員で下山できることを第一にあらゆることを冷静に判断してゆく。
 登頂への人生は、大自然を相手に、登頂へのあらゆる問題を偏らずに見るという目が備わっていく過程でもあったのでしょうか。
 命を預けあったメンバーとの信頼関係によって繰り広げられるボランティアのための多くの事業も、登頂と同じように、楽しんでやっていくことを忘れていないところが多くの人を巻き込んでゆくゆえんではないかと思わされたのでした。
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『日本の心』(三)
2014/08/03(Sun)
 小泉八雲著・平川祐弘編 『日本の心』の「永遠に女性的なるもの」を読みました。
 この作品では、タイトルからハーンの女性観といったものを汲み取れるのかと思ったのですが、そんな私的な感性の表出ではありませんでした。
 これまでにない、西洋人の根幹をなすものの見方、感じ方を知ることになりました。
 本文の前に≪人間に譬うべきものを天に探せば いたるところに僕らの比喩が見つかる ぼくらはナルシサスの眼をもって自然を眺め いたるところおのれの影に見とれるのだ―ワトソン≫とありました。
さらりと眼を通して本文に入っていったのですが、じつはこれがハーンが説明するところの西洋人の感性を如実にあらわしていると後になって気づかされるです。
 なるほど、英語に女性名詞・男性名詞のあることもやっとわかってきます。
 この作品のテーマは、ある学生の「先生、イギリスの小説にはなぜあんなに恋愛や結婚のことがしょっちゅう出て来るのですか、そのわけをおしえてください―私たちには奇想天外のことに思えます」の質問への返答の困難さから出発します。
読み進んでいくうちに、私は戸川幸夫の「人はなぜすけべなのか」という本のことを思い出さずにいられませんでした。この本は世の中のいろいろの生物の繁殖行為を生態学的に述べたものです。結論は、あらゆる生物のうちで人間の子どもは自立するまでの期間が長く、しかもその自立を支えるために母親と父親双方の助力を必要とするために、両者が、絆を持つために生まないセックスをするというような話です。
 西洋人と日本人を比べるとき、対比として違った生物の対比をしている感を持たなければ理解でき合えないということなのでした。もちろんハーンがそう述べているのではなくこの例は私のつたない感想です。少なくとも狩猟民族と農耕民族の違いくらいはあるでしょう。
 なんにしても、自然の恵みによって生きている人は自然の法則そのものを賛美し、狩猟によって生きる人は、他の動物への人間の体の優位性を賛美するのかもしれません。また、他の民族から略奪することによって生きている人は、ナルシスト的な発想を持つようになるのかもしれません。
 また、美術品を通しての解説もあります。人物の美しさを写して自然をめでる西洋人に対して、自然の美しさそのものを純粋にめでる日本人。
 ある意味、西洋人の人物の美しさを当てはめずにはめでるこができない美意識を偏狭と見れば、それを超越した自然への憧憬のほうが自然をよく表していると西洋の人々への説得を試みています。
 ≪例えばわれわれの最上の昆虫の絵と日本の同種の絵とを比べてみるがよい。・・・・細微の限りを尽くしたヨーロッパの版画が達成したものは、冷たい写実に過ぎぬ。それに対して日本の絵師は、理解を絶する解釈の妙味を発揮して、その生物の形態の特徴はおろか、動きのあらゆる特色に至るまで、数回にも至らぬ運筆のうちに把握し、描出してしまう。日本の絵画の絵筆からおどり出る絵の一つ一つは偏見に曇らされることのない感受性を持つものにとって、一つの教えであり、啓示である。≫というようにです。
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『日本の心』(二)
2014/08/02(Sat)
 小泉八雲著・平川祐弘編 『日本の心』を読みました。と(一)で書きましたが、正しくはその中の平川祐弘訳の「生神様」だけでした。そして、このたびはその中の仙北谷晃一訳 「夏の日の夢」だけ読みました。
 それは、偶然暑さのきびしい8月1日の早朝、3時頃目覚めて、読んだのでした。
 読み終わって不思議な気持ちになりました。
 千年以上の年月が頭の中に「もやー」と薄い霞のようにあるような感覚です。
 ハーンが日本で始めて帝大で「文学論」の講義をしたと広島ラフカディオ・ハーンの会に参加するようになって何かの資料で読んだ気がします。漱石の「文学論」は30年前頃読んだ記憶がありますが、ハーンはどのような講義をしたのだろうかと思います。彼のこの作品からうけるこのような感覚はどのような「文学論」の系譜から生まれたのでしょうか。
 浦島太郎の物語を想起させる浦島屋という名前の旅館を後にして熊本に帰る途上を描きながら、ふたつの物語を語り、その物語について思いをめぐらせます。短い行程の中に、この二つの物語から、今ではすべて塵となった何百年もの長い年月を行きかった数限りない人々。その塵の一つである現世の自分。長い年月の幻の霞の中の自分。読み終わってもその中に朦朧と存在する自分を感じます。
 物語の一つは浦島太郎です。浦島太郎は故郷に帰ってきたものの、もう字も読めなくなったような自分の墓を一族のお墓の中に確認して、自分は400年以上も前に溺れ死んだことを知ります。浦島は、海神の娘である妻に渡された玉手箱が幻想の原因かと思い箱を開けてしまいます。とっさに白い幻のような煙が立ち上り浦島は急に精気を失い砂浜に倒れてしまいます。
 ハーンはこの物語から夢想にふけります。そして道々考えます。箱から出た幻のような煙はいったい何であったのだろう。≪時代を経るごとに新しい魅力を加えながら千年もの長きに渡って生き続けてきたこの物語は、そこに何ほどかの真実がなければなるまい。・・・・一体浦島を可哀そうに思うのは正しいことだろうか。勿論神々は浦島を途方にくれさせようとした。しかし神々を相手に途方にくれないものがあるだろうか。生そのものが迷夢以外の何ものであろう。途方にくれた浦島は神々の意図するところを疑い、玉手箱を開けてしまった。そして何の苦もなく息絶えた。人々は神社を建てて浦島明神として祀り上げている。それなのにどうしてそんなに憐れまれなくてはならないのだろう。≫  
 海神の娘である妻こそ、浦島が愚かにも自分との約束を破って箱をあけてしまったことも知らずに浦島の帰りを淋しく待っているのに誰にも慰めてはもらえないのは何故。
 そしてもう一つの物語は、ひとりの年老いた木こりが木を切りに山に出かけ、のどが渇いて清水を飲んだところ若返り、あわてて帰って妻に知らせ、妻も清水を飲みに行き、たくさん飲みすぎて赤ん坊になってしまい、夫が途方にくれる話ですが、浦島について夢想した後では、滑稽さを楽しむことは不謹慎であるかのように、この話は以前ほど魅力的でないと評しています。
 この二つの物語のバックミュージックのごとく、往きすぎる村々からは雨乞いの太鼓の音が聞こえます。そして、電線に止まる鳥たちは一様に一番上の電線に止まり、風の吹いてくる方向の道に向かってとまっています。これらの構成によって織り成されるハーンの世界に酔い、危うく8時半の勤務を失念しそうになるのでした。
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『日本の心』(一)
2014/08/01(Fri)
 1990年初版発行・2001年15版発行の講談社学術文庫『日本の心』、小泉八雲著・平川祐弘編を読みました。
 20の小作品があり、翻訳者は編集者を含め6人です。
 それぞれの翻訳者とその作品名は
☆仙北谷晃一 「夏の日の夢」「永遠に女性的なるもの」「赤い婚礼」「阿弥陀寺の比丘尼」「塵」「日本美術に描かれた顔について」
☆平川祐弘 「停車場にて」「戦後に」「ある保守主義者」「君子」「生神様」「人形の墓」「乙吉の達磨さん」
☆河島弘美 「旅の日記から」「コレラの流行期に」「大阪にて」
☆牛村 圭 「虫の演奏家」
☆森 亮 「草ひばり」「焼津にて」
☆遠田勝 「漂流」
 です。
『明治日本の面影』同様、 先に読んだ昭和33年初版発行・平成元年16版発行の角川文庫『日本の面影』、ラフカディオ・ハーン著・田代三千稔訳と重複する作品が半分に近い9作品あります。おなじ作品でも作品の中のどの部分を訳して取り上げているかわかりませんので、やはりすべてゆっくり読みます。
 特に印象的だった「生神様」(前作品では「生神」)から読んでみましたが、前読んだものの前に前書き「一」、「二」としてあります。これが、凄いと思わされました。
まず「一」として、欧米の読者へ向けて神社の建物の説明から始まって、日本人の神社への想いといいますか、神道に対する姿勢といいますか、そのような説明しにくいことを説明するには英語では語彙が少なすぎるといいながらも、意外なことですが、もし自分が神様として祭られる身になったとしたらとの設定をしながら、ものの見事につたえています。
 そして「二」で日本の明治以前の平和が保てていた要因、日本の多くの村にあったある種の法律、正確に言えば法律とまったく同等の力を持っていた倫理について、あるいは産業・宗教などに関する習慣について述べています。日本人が今でも、阪神淡路大震災や東北の震災に次ぐ大津波後の世界中から絶賛された種々の行動様式といえる原型のような説明です。
それから浜口五兵衛が自分の田んぼで収穫できたばかりの稲わらに火をつけて海岸沿いに海を見に出ていた人々を高台にひきつけて村人400人の命を助けるお話が続き、その後、村人は彼の恩義に報いるために彼を神様であると言明し、大明神と呼び、神社を建てたということについて、終わりにも10行ほどお百姓たちのその行動の根拠となる思いについて、友人の日本の哲学者にお百姓が浜口五兵衛の霊魂と生身の肉体がそれぞれ別の場所にいることを理屈のうえで信じることができるのか尋ねたことを書き記しているがそれについての問答については、西洋の「霊魂」に対する考え方がよくわからないため読み返しても私には理解できませんでした。これから、ハーンの作品に触れている間にわかってくるようになることを期待したいとおもいます。
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