『銃口』上下
2014/10/26(Sun)
 三浦綾子著 『銃口』上下 を読みました。 
 みどりさんに送っていただいた書籍の中の一冊です。この作品に馴染みのある方は多いのではないかと思いますが、わたしはこの度初めて手にいたしました。
 『銃口』という題名はなんとなく重苦しい感じがいたします。ところが読み始めますと、上巻のほとんど終わりの頃までが、純朴で弟よりもお化けが怖い小学3年生の男の子竜太が、4年生から受け持ちになった立派な坂部先生に憧れて教師になるまでのすこやかな成長物語です。小学3年生の時が大正天皇崩御で昭和になるのですが、やっと上巻が最後部になって、赤化思想家として突然旭川警察署員に連行されて行くということになり、物語が動き始めます。
 昭和16年1月9日のことです。その年の8月21日釈放されますが、留置場で無理やり教師の辞表を書かされていたため教職にもつけず、ほかな職に就いても保護観察中ということで続けられず、改めて婚約していた同級生の芳子と満州に行って二人共教職に就く段取りをした矢先、昭和17年2月13日、7師団に入隊することになります。
 教職に就くと入隊は免除され入隊しても伍長になるのですが、辞職をさせられていたので2等兵として入隊。しかし、内務班で戦友としてあたえられた、人間性溢れる近堂1等兵に支えられ3ヶ月で1等兵に昇格、満州の安陽では人事係でしたが、虫垂炎のため入院している間に変わってきた部隊の酒保係になるため上等兵になり18年11月ころ山田軍曹と二人での任務となります。
 昭和20年8月9日未明20人で留守を預かっているときソ連軍が越境してきます。焼夷弾の炸裂によって食料倉庫、酒保倉庫も火災にあい、とどまる意味合いもなくなり、敗戦を予期し、とにかくだれもが生き延びることを考えていた山田軍曹の考えで逃避行が始まります。途中考えの違いから、仲間は別れて、最後は山田軍曹と二人になってしまいます。そして、ついに、8月14日には抗日義勇軍に捕まってしまいます。しかし、その抗日義勇軍の指揮官が、以前旭川にいたとき炭鉱から逃亡して、隆太の父に20日間家に匿ってもらって一命を救われた金俊明でした。彼に助けられて、翌日15日戦争が終わり、日本が無条件降伏したことを知らされます。軍服を国民服に着替えさせてくれたり、国民服を作業着に着替えさせてくれたりして、羅津という港に漁船を持っているという彼の叔父さんのところまで、送ってくれ、漁船に乗せてもらい無事二人共下関港に到着できます。一発で何万人も殺す爆弾にやられた山田軍曹の郷里である広島で彼とも別れ、旭川に何日かして帰郷し、10月に芳子と質素ではあるが結婚もでき教職に復職します。
 1989年2月24日昭和天皇大葬の日に教え子に招待されて東京に出てきたところで物語は終わります。
 この、作品では、北海道の綴り方事件によって、80人にも登る熱心な教師が赤化思想があるとみなされ冤罪になったことが取り上げられています。読み終わって、先日読んだ、『義人の最期-明治維新と広島藩の騒擾』の冤罪ということに思いが行きました。
 「そんな人ではない。または、こんなことをする人ではない。」ということを証明するには、やはり彼の子供時代からのことを語らなければ、説明つかないことがあるため、上巻のながい物語があったことが後になって理解できました。
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『日本の怪談』(2)
2014/10/20(Mon)
ろくろ首
寝みだれの 長き髪をば ふりわけて 千尋にのばす ろくろ首かな
頭なき 化物なりと ろくろ首 見て驚かん おのが体を
つかの間に 梁を伝はる ろくろ首 けたけた笑ふ 顔の怖さよ
六尺の 屏風にのぼる ろくろ首 見ては五尺の 身を縮めけり
船幽霊
えりもとへ 水かけらるる 心地せり 柄杓貸せてふ 船の声音に
幽霊に 貸す柄杓より いち早く おのれが腰も 抜ける船長
弁慶の 数珠の功力に 知盛の 姿も浮かむ 船の幽霊
幽霊は 黄なる泉の 人ながら 青海原に などて出づらむ
その姿 碇を負うて つきまとふ 船のへさきや 知盛の霊
罪深き 海に沈みし 幽霊の 浮かまんとてや 船にすがれる
浮かまんとて 船を慕へる 幽霊は 沈みし人の おもひなるかな
恨めしき 姿はすごき 幽霊の 舵を邪魔する 船の知盛
落ち入りて 魚の餌食と なりにけむ 船幽霊も なまくさき風
平家蟹
しほひには 勢ぞろひして 平家蟹 浮世のさまを 横に睨みつ
西海に 沈みぬれども 平家蟹 甲羅の色も やはり赤色
負け戦 無念と胸に はさみけむ 顔も真っ赤に なる平家蟹
味方みな 押しつぶされし 平家蟹 遺恨を胸に はさみ持ちけり
家鳴り(やなり)
床の間に 生けし立木も 倒れけり 家鳴りに山の 動く掛け物
逆さ柱(さかさばしら)
逆柱 建てしは誰ぞや 心にも 節ある人の 仕業なるらん
飛騨山を 伐りて建てし 逆柱 なんのたくみの 仕事なるらん(日光東照宮のこと)
上下を ちがへて建てし 柱には さかさまごとの 憂ひあらなむ
壁に耳ありて 聞けとか 逆しまに 建てし柱に 家鳴りする音
売り家の 主を訪へば 音ありて われめが口を 開く逆柱
思ひきや 逆さ柱の 柱掛け 書きにし歌も 病ありとは
化け地蔵
なにげなき 石の地蔵の 姿さへ 夜は恐ろしき 御影ぞとなる
海坊主
板ひとつ 下は地獄に すみぞめの 坊主の海に 出るぞあやしき
札へがし(ふだへがし)
へがさんと 六字の札を 幽霊も なんまいだと 数えてぞみる
ただいちの 神のお札は さすがにも 糊気なくとも へがしかねけり
古椿(ふるつばき)
夜嵐に 血潮いただく 古椿 ほたほた落ちる 花の生首
草も木も 眠れるころの 小夜風に 目鼻うごく 古椿かな
ともしびの 影あやしげに 見えぬるは 油しぼりし 古椿かも
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『日本の怪談』(1)
2014/10/20(Mon)
 池田雅之著 『日本の怪談』 角川文庫2005年出版 を読みました。

 ハーンの怪談と奇談のすべてかと思える数、42篇が収録されています。
 5月から、ハーンに関する本にずいぶんふれてきていると思っていたのですが、一部分の16篇しか読んでいませんでした。今まで読んだことのある作品でも、いぜんよりよりすんなりと読める感じがしました。その原因が、最後の「あとがき」を読んでわかりました。
 《小学校の上級生や中学生でも十分楽しめるように、平易な訳文を心がけ、むずかしい漢字にはできるだけルビをふってあります。低学年の子供には、先生方や父母の方がじかに朗読していただければと思います。訳者の私は、朗読にも堪えうるよう、声を出しながら翻訳をしましたので、朗読用のテキストとして活用して頂ければ、こんな嬉しいことはありません。》と述べられています。
 このように書かれたことに誰よりも喜んだのでは、ハーンではないでしょうか。著者は、ハーンがいろいろな時代を超えて伝えられてきたこのようなお話が、未来に向けても時代を超え、ところを超えて伝わっていくことを望んでいたことをよくご存知だったからこのような作品が出来上がったのでしょう。
 怪談や奇談はジャンル別に6章に分かれていますが、第六章の「妖怪のうた」を引用しておきます。

火ともして 狐の化けし 遊び女は いずこの馬の 骨にやあらむ
狐火の 燃るにつけて わがたまの 消ゆるやうなり 心細道
離魂病(りこんびょう)
こやそれと あやめもわかぬ 離魂病 いづれを妻と 引きぞわづらふ
二つなき 命ながらも かけがへの からだの見ゆる 影のわづらひ
長旅の 夫をしたひて 身に二つ なるは女の さある離魂病
見る影も なきわづらひの 離魂病 思ひのほかに 二つ見る影
離魂病 ひとに隠して 奥座敷 おもてへ出さぬ 影のわづらひ
身はここに 魂は男に 添寝する 心もしらが 母が介抱
たまくしげ 二つの姿 見せぬるは 合わせ鏡の 影のわづらひ
大蝦蟇(おおがま)
目は鏡 口はたらひの ほどにあく 蝦蟇も化生の ものとこそ知れ
蜃気楼
蛤の 口あくときや 蜃気楼 世に知られけん 龍の宮殿
蜃気楼 龍の都の ひながたを 潮干の沖に 見するはまぐり
雪女
雪女 よそほふ櫛も 厚氷 さす笄や 氷なるらん
本来は 空なるものか 雪女 よくよく見れば 一物もなし
夜明ければ 消えてゆくへは 白雪の 女と見しも 柳なりけり
雪女 見てはやさしく 松を折り なま竹ひしぐ 力ありけり
寒けさに ぞっとはすれど 雪女 雪折れのなき 柳腰かも
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『ラフカディオ・ハーン』日本のこころを描く
2014/10/15(Wed)

 2002年発行の岩波ジュニア新書405 河島弘美著 『ラフカディオ・ハーン』日本のこころを描く を読みました。
《ラフカディオ・ハーンという人を知っていますか。小泉八雲、ならどうでしょう。…》という書き出しで始まるこの作品は、いかにもジュニアむけです。
 子ども達と読んでいるような楽しい気持ちで読み進んで行きました。
著者の河島弘美という人は今まで読んでいる、講談社学術文庫発行の平川祐弘編の小泉八雲作品集でもそれぞれ数篇訳しておられおなじみですので、時々ハーンの訳文が引用されている部分でも違和感なく読めました。
 1、ヨーロッパ―誕生と幼少期 2、アメリカ―青年期 3、横浜―日本の玄関口に立って 4、松江―神々の国出雲へ赴任 5、熊本―日本を見る目の深化 6、神戸―「小泉八雲」の誕生 7、東京―生涯最後の地 という章立てで、ハーンがその一生を送った場所の順に彼の作品や、書簡、残された記録を紹介して、彼がそれぞれの場所で心惹かれたものをとおして、彼への理解を深めてゆくことができます。
 わたしは、最近になってハーンに親しむようになり、少しその全体像が見えるようになってきているのですが、ほとんどぼやけて見えていました。しかし、ここでは、この本に出会えてすっとはっきり見えるような資料に出会うことができた部分を紙面の許す限り記録できたらと思っています。
 一つは、熊本から神戸に行ったときのことです。《神戸クロニクル社の仕事は6ヶ月契約で、論説と短信を受け持ちました。ハーンにとっては楽な仕事でしたが、訳1年で辞めてしまいました。それは、作家として生計を立てる自信を得たためと考えられます。ここで、ハーンが日本に来てからの著書をまとめてみましょう。日本に関する最初の著作『知られぬ日本の面影』上下2巻は熊本出立の直前1894年9月に出版され、年内に3回も版を重ねるほど好評でした。》1895年の第2作『東の国から』そして第3作1896年3月『心』への作風の変化について《のちのハーンは大学での講義の中で、散文の小品をスケッチとエッセイに分けて説明し、スケッチは水彩画のような描写、エッセイは学識に基づく論述であると定義します。まさにハーン自身の仕事が、そのエッセイに近づきつつあったのです。三冊目の著書『心』の巻頭を飾ったのが「停車場にて」であるのを考えると、そのようなハーンの変化は誰の目にも明らかでしょう。》
 今一つはチェンバレンとの関係について、《実はチェンバレンは、ハーンよりずっと長生きして、のちにヨーロッパに帰り、ハーンの死後、第六版の改訂では「ラフカディオ・ハーンという新項目を立てました。驚いたことに、この項目でのチェンバレンの記述には明らかな悪意が見られます。 ―彼は最初ロンドンに出た。それからアメリカに行った。一文無しで臆病者の彼は、そこで多くの苦労を嘗め街路で寝るときもあった。彼の一生は夢の連続で、それが悪夢に終わった。彼は情熱のおもむくままに日本に帰化して、小泉八雲と名のった。しかし彼は、夢から醒めると、間違ったことをしたのを悟った。(高梨健吉訳『日本事物誌』平凡社東洋文庫)― ハーンはあれだけ親しい文通をして、帰化した理由も知っていることを考えると、むしろチェンバレンという人の人格まで疑いたくなるような文章です。》
 資料の抽出がわかりやすい部分の一部でした。
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『〈時〉をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学(9)
2014/10/13(Mon)
 牧野陽子著 『〈時〉をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学 第九章 地底の青い空-「安芸之介の夢」を読みました。この本の最後の章です。
 読んでいなかった「安芸之介の夢」についての考察されている章でした。一応読みおえましたが、もともと「安芸之介の夢」を読んでいなかったので、国際語学社の小泉凡監修 諸兄邦香編訳 『KWAIDAN』と、角川ソフィア文庫のラフカディオ・ハーン著 池田雅之編訳の新編『日本の怪談』から、「安芸之介の夢」だけ選り出して読んでから改めて読み直しました。作品のあらすじを本文から引用します。
 《大和の国の遠市郡の郷士、宮田安芸之介の家の庭には杉の大樹があった。ある暑い昼下がり、安芸之介は友達とともにその樹陰で休んでいたところ、急に眠気を催し、夢を見た。青い絹を垂れた御所車をひいた華やかな行列が近づいてきて、立派な身なりの使者が常世の国王の命で迎えにきたという。車に乗ると、たちまち立派な楼門の前につき、宮殿の中に案内され、常世の国王に会う。そして美しい王女と結婚して、西南にある島、莱州に国主として赴任する。七人の子供をえて幸せな23年を過ごすが、妃を病でなくし、安芸之介は元の国に帰ることになる。船で港に出たところで、安芸之介は目覚め、自分が杉の下で眠っていたこと、眠ってから数分しかたっていないことを知る。そして友人の話から、安芸之介が眠っている間に顔の上に一匹の黄色い蝶が現れて、蟻の穴の中へひきこまれていったこと、その蝶が再び戻ってきて安芸之介の顔のあたりで消えたことが分かる。不思議に思ったから彼らが杉の木の根元を掘ってみると、大きな蟻の巣があり、安芸之介の見た常世の国とつくりが一緒だった。国王とおぼしき立派な蟻もいて、妃をほ葬った丘の塚まであった、という話である》
 この「安芸之介の夢」が最後に取り上げてあるのには意味が有るように感じました。
 冒頭、
 《ハーンは晩年、まだ小学生だった長男の一雄に、アンデルセン童話集やギリシャ神話などを読ませて、毎日英語を教えたという(小泉一雄『父「八雲」を憶ふ』)。ハーンが亡くなる一ヶ月ほど前、『怪談』を読むことになった。そして一雄は、「父の没する日わたしは怪談中の「安芸之介の夢」を丁度読了したのでした」と回想している。「安芸之介の夢」は、はからずもハーンが人生の最後の日に読んだ、文字通り最後の物語でもあった。》
とあり、ハーンは亡くなるその日にこの作品を、溺愛しその教育に心をくだいた長男の一雄と読んだということが印象深く感じられます。ハーンの最後が早すぎたとは言え、亡くなる日がこのようであったことでホットするのは、わたくしだけではないと思えるからです。
 著者は、この「安芸之介の夢」には、ハーンのほかの作品取り上げられている、架空の世界とを行き来する異郷訪問譚、人間以外のものとの結婚をするという異類婚姻譚、またハーンが心をよせた小さな虫たち、樹木、そして海と島などの重要なモチーフがほとんど出揃っており、交響楽の最終楽章のよであると述べています。さらに、この作品の結末が、原話での破壊の場面などはなく、眠りから目覚めた時にも、その間の一部始終を友達が見守っていて、見た夢と現実との橋渡しをしてくれ、夢に見た気がかりなことも無事であったりして、夢の中の幸せだった20年も、なんだか彼の死後も彼が気にかかっていた遺族もこのようであることをが暗示されているような思いで死を迎えられたと思えます。
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『義人の最期-明治維新と広島藩の騒擾』Ⅱ
2014/10/10(Fri)
 『武一騒動』に続く、『木坂文左衛門獄死―可部天保銭贋造事件』の部分を読みました。どちらも明治初頭の広島藩のできごとをあつかった文献です。
 著者は郷土史を手がけるようになって、子供の頃から聞いたことのある明治維新当時の可部の贋金作りについて興味を覚え、調べているうちに、贋金作りは藩命で行われ、藩命を受けて忠実に尽くした鋳物師は獄死(蜜殺)し、藩命を下した本人、その贋金作りを計画し命令した事件の責任者は、のち広島市長になり、あるいは華族に列せられておのおの栄職につきます。この矛盾をさらに調べる中、疑獄事件の構図に思いを馳せるようになり、その経過経緯を明らかにすることを使命として本書となった感があります。

  (疑獄事件を広辞苑で引くと、①事情が入り組んで真相がはっきりしない裁判事件。②俗に、政府高官などが関係した疑いのある大規模な贈収賄事件を言う、とあります。最初疑獄事件ということで、②の方を決め込んで読み進んでいたのですが、資料からは、②に関するものがなく、①の方であるとして読んでみますが、疑獄事件として列挙された事件にはやはり②の例が多く政官界を巻き込むことによる事件への疑念が多いことに気づかされます。)

 著者は、広島藩において、江戸時代以降2番目に大きな農民一揆となった武一騒動が起き、さらに贋金までもつくらなければならないという、藩財政がこれほどの窮地に陥るまで、藩がその経営への努力をしなかったことにも思いを馳せます。ここに出てくる鋳物師とは、西の鴻池とも言われたほどの木坂文左衛門という人で、この可部の地で「なばら屋」として産業を興し、雇用を増やし、町を潤し、事あるごとに、藩財政への援助を冥加金として差し出したほどのひとです。それについてはいちいち克明な記録がのこされています。木坂文左衛門について読み進んでいくうち、今では産業とてない可部ですが、以前は、この「なばら屋」が、石見銀山で大きくなった「かべ屋」、維新のとき長州の軍資金を提供していた「白石家」と太田川の船溜りに何隻もの船を持ちたくさんの蔵をならべていたことを想像させるのですが、この贋金事件でのいけにえとなって、さいごの「なばら屋」も潰されてしまうことを思いました。
 著者は最後に「疑獄」について考察しています。この部分のなかで、武一騒動の原因と背景の、「山県人気質」の条で、昭和50年全国的話題となった加計町役場(職員数98)の職員労働組合の給与アップストライキの闘争についてのべています。源田実の実兄である源田松三町長はストの責任を追窮して免職3名を含む13名の厳しい処分を行い、それに対して組合側の不服申し立てに対して町長側が勝訴したことについて触れてあります。この加計町の事件については、この本の発刊以後、組合側の職員が上告していましたが、12年後に高等裁判所にて勝訴し、さらに10年後に最高裁で高等裁判所の決定が確定したという後日談がありますが、この書物が出来るころには一審後のことで、著者も隣の町の職員として、時の裁判の有り様にかなり不安を抱いていたことを感じました。
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『義人の最期-明治維新と広島藩の騒擾』Ⅰ
2014/10/08(Wed)
  罪  状
                         山県郡有田村 武一 当未四十八才  
 「其方は八月四日村々の百姓の動揺の機に乗じ可部町卯介、壬生村の源左衛門が旧知事を迎えるを名目として隠に金集めする姦策に同意し広島に出たところ、その策は成功せず、また、本地村瀧蔵等の意見に従って一六郡一市の嘆願書を認めたことから大いに慾心を逞うし、一己の考えを以てこの義が容れられざれば法に逆らっても・・・・・の儀書を綴り多人数を引き連れて強訴するのみか、古屋村亀蔵が三村屋来助方においての異人搜索の談合に際し、よろしいと申し聞かせ・・・・」
と、刑場の場所を、過去いくつかの書物でのいろいろな説を列挙する中で、旧佐伯郡草津村(現、広島市草津町)として、処刑の様子が書かれている、昭和58年6月発行の吉川光著 『義人の最期-明治維新と広島藩の騒擾』を読みました。
この本は3冊の本を1冊にしたような本です。最初『武一騒動』が60ページ。そして、『木坂文左衛門獄死―可部天保銭贋造事件』が75ページ、『〈付録〉疑獄事件の構図と教訓』が20ページあります。
まずは、『武一騒動』について記録いたします。
 ―、概要
 二、騒擾
 三、騒擾の背景と動機
 四、西本屋武一郎(俗称) 
 五、処刑
 六、武一は暴動の最高の指導者であったのか
 あとがき
 この作品は、文学作品というより、公文書の資料集といった印象を受けます。騒擾の様子は、8月4日から10月4日まで、二ヶ月六〇日間の日を追っての日誌のようです。騒擾の背景については、藩財政が、開国以来の沿岸防備・長州戦争・戊辰戦争、さらに慶応4年と明治2年の凶作により逼迫し、重しい年貢・献金・調達・賦役など領主の収奪が強化され、生産の中心的担い手である農民は苦しい生活に追いやられていました。武一については、この運動を起こしたのも彼が石門心学者でって藩主への忠誠心から出たものと言われているとし、後、暴徒と化した農民と行動をともにしなかったことが、一種の裏切りと受け取られ、のちのち、それまでの一揆の首謀者のように、顕彰されなかったのではないかと述べられています。
 著者は、武一の旧藩主引き止めの真の目的は、新しい時代に生きねばならぬ農民が流言に迷って太政官に反対することによって、やがて起こるであろう混乱を未然に収拾するために、何はともあれ旧藩主が広島に残り新知事として政治を行うことが唯一無二の方策と確信し、そのため厳然として引き止め運動に立ち上がったとしています。
 
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第170回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2014/10/05(Sun)
 10月4日、「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ参加いたしました。
 参加のために福王寺への朝の散歩登山は途中の展望台までと決めて、1時間あまりで帰ってきました。途中で鉄森さんから五十嵐先生ともどもお休みとの連絡を受け、淋しく思っておりましたが、出席してみると、新しい方も出席されていて、部屋いっぱいの参加者でした。
 このたびは、3部に分けられた「草雲雀」の2部の解説をしてくださる予定でした。
 前日から、思いついてその部分の英文を読んでみることにしました。ほとんどの単語を辞書で引く始末で、ほとんど進んでいませんでしたが、登山途中で、わかった部分を何度か読み返しました。ハーンの書いた英文だと思い返すことで、ほんの少しでもハーンにふれられてうれしくなりました。忙しかったとはいえ、もっと早くからやっていればもっと楽しめたことでしょう。
 しかし、少しの予習でも、作品への思索に大変役立ちました。
 風呂先生が文中の organic memory ということばに着目するようにと、ハーンが既に読み知っていたH・スペンサーの『総合哲学』にある、経験・記憶・本能の関係や、ユングの夢・神話に内在する、無意識(深層心理)を重視する考えを示して話してくださいました。
 この、 organic memory という言葉を、家で訳すとき、そして、平行して読んでいた牧野陽子氏の「夏の日の夢」の解説を読みながら、また福王寺への散歩登山の途中ずっと考えていました。
 「出会うことで成就し充たされ死んでゆく。」
 長い時間をかけて、幾世代にもわたって、人間の体に植えつけられた体験と記憶、出会うことで成就し充たされるというこの記憶はあるが、死んでゆくという記憶はないとも述べていました。このテーマが一貫して彼の作品に流れていることへの安心感が、それぞれの人間が持っている、人間の記憶への回帰本能を充たしているのではないかと思われてきました。

 勉強会から帰って、さそっく「草雲雀」の3部の英文の解読を少しいたしました。
 そしていままた、福王寺の山道のことを考えています。
 福王寺へ登ってゆきますと此度の災害で大きく削られ崩れたマサツチの山肌が色鮮やかに何本も見えてきます。山道も一部分、上からずって来た土砂がガードレールを押し倒し、谷底へ、けずれていて、応急処置がされ、いまは軽四しか通れません。40数年前可部に越して以来、このような光景を見るのは初めてです。そうして、この夏、もう一つ今までにない光景がありました。黒くてほんとうに小さな虫が山道を飛び交っていて、マスクなしには歩けないほどでした。いつも登山者ほとんど60歳代以上の人ですが、だれもこんなことは初めてだと話されます。だれかが、この虫は半日の命だそうだとの情報を教えてくださいました。半日で死んでしまう虫が2ヶ月以上毎日大量発生するのです。山麓のわが家に帰ってみますと網戸を楽に通り越したこの黒い虫の死骸で廊下はざらざらしていて、ふき取る雑巾は虫の死骸だらけです。これらの虫は、どうして今年になっていきなり大群で発生したのでしょうか。これらの虫は、孵化すれば半日の命と知りながら、地下に異状を感じて大量に孵化したのでしょうか。そして、そのことが、この黒く小さな虫の記憶なのでしょうかと思いをめぐらしています。
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『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学(8)
2014/10/04(Sat)
 牧野陽子著 『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学 第八章 海界(ウミサカ)の風景―「夏の日の夢」 を読みました。
 ハーンは、熊本赴任2年目の1893年(明治26年)7月に、熊本から長崎に一人で旅をしました。
 そのときの泊った浦島屋という、聞けば竜宮城を思わせるような旅館の名前から、『万葉集』の歌からとったチェンバレンが子どものために書いた『日本お伽噺集』の中にある浦島太郎のことに思いを寄せ、自分流に再話を語り、その再話を中心に、ハーンの随想が語られているのが、「夏の日の夢」です。
 この、解説書を読んで、「夏の日の夢」を読み返しました。以前この「夏の日の夢」を読んだ後に、ハーンの再話で従来の浦島太郎と違う部分をおもしろく感じたので、時たま仕事に行く児童館の子どもにあらすじは従来のお噺と同じにかたって、亀を助けた優しい浦島太郎のことを印象付けないで、ただ浦島太郎が約束を破って、玉手箱を開けてしまったために乙姫様はそんなこととは知らずかわいそうにずっと浦島を待ち続けさせた裏切り者として語ってみたりしました。
 作品中の次の部分が仏教思想と呼応して、大変印象に残っていたからでもあります。
 ≪もしかしたら浦島の秘密によって来るゆえんも、人の心の忘れっぽさにあるのではなかろうか。・・・・・一体浦島を可哀そうに思うのは正しいことであろうか。もちろん神々は浦島を途方に暮れさせはした。しかし神々を相手に途方に暮れないものがあるだろうか。生そのものが迷夢以外の何ものであろう。途方に暮れた浦島は神々の意図するところを疑い、玉手箱を開けてしまった。そして何の苦もなく息絶えた。人々は神社を建て浦島明神として祀り上げている。それなのに、どうしてそんなに憐れまなくてはならないのだろう。≫
と、ハーンが回想する部分を読むと、まるで蓮如上人の「白骨の御文章」を思い浮かべます。
≪紅顔むなしく変じて、桃杏のよそおいを失いぬるときは、六親眷属あつまりて嘆き悲しめども、さらにその甲斐あるべからず。さてしもあるべきことならねばとて、野外に送りて、夜半の煙となりはてぬれば、ただ白骨のみぞ残れり、あわれというもなかなかおろかなり。≫
 この、≪生そのものが迷夢以外の何ものであろう≫と≪おおよそはかなきものはこの世の始中終≫を知るがゆえに、郷里に帰って知ってしまった現実に疑念を持つことはおろかなことで、箱を開けてはいけなかったのです。

 この牧野陽子さんの解説を読んで、いま作品を思い返すと、まったくハーンのこの旅が、一幅の絵のように感じられます。
龍宮城のような浦島旅館ですごし、さらに、夏の青く輝く海と空と山の美しさの中で、幾百年も物語られた浦島への思いに浸り、暑さの盛り、清流の水を飲み、車屋に75銭を支払い、あたらしい車夫の引く人力車に乗り、雨乞いの太鼓の音に胸を高鳴らせて、セツのもとに帰っていく風景が、まさに「夏の日の夢」として。

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『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学(7)
2014/10/02(Thu)
 牧野陽子著 『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学の第七章 聖なる樹々―「青柳物語」「十六桜」 を読みました。そのまとめ、№2です。
 3 「十六桜」―樹下の切腹
   ・ 十六桜
   ・ 原話「十六日櫻」
   ・ 樹下の切腹
   ・ 樹木への転生の物語
   ・ アンデルセン「柳の樹の下で」
 4 樹々の原風景
   ・ 熱帯の樹々
   ・ 「ゴシックの恐怖」
   ・ 「年老いた樫の木の最期の夢」
   ・ 世紀末の幻想
   ・ 正岡子規と「十六桜」

 ≪「十六桜」は、枯れた桜の樹を自らの命を絶つことで救い、再び花を咲かせた老武士の話である。きわめて短いものなので、次に全文を引く。≫と平川祐弘の訳文で、冒頭の≪うそのよな十六桜咲きにけり≫のエピグラフで始まっています。
 原話は≪実(ゲ)に草木さへも心ありてその情に感ぜしならん≫という花を見たいと願う人の気持ちに応える日本各地に古くからある話のひとつが明治34年2月の『文藝倶楽部』に掲載された「諸国奇談」のひとつです。
 ところが、ハーンの作品では、侍が桜の老樹の下で切腹します。当時西洋人読者に強いインパクトを与えていた切腹ということを、ここでは、老樹の身代わりとしての切腹との意味付けをし、しかも老武士は霊となり、何百年も自分の祖先を見守り、楽しませてきた樹木の霊に乗り移ることをあらわしていると分析しています。
 これら、樹木の霊に関する作品を計画していたころ、アンデルセンを読み直し、「大きな空想力、素朴な魔術、驚くべき圧縮力」と感嘆し、それに学びたいと思っていたことを表明しているということです。この短い作品は、まったくの起承転結の見本といっていい組み立てのなかに、切腹という衝撃的な行為を粛々と執り行うことで、老樹と老武士の霊を呼応させ、あとに寒の日に咲き誇る美しい桜の花々を連想させます。
 ハーンは、日本に来るまでに、ギリシャや、スコットランド、フランス、アメリカ、西インド諸島と様々な地域に身をおいてきていますが、それらの国々にはなかったもの、日本の国に来て、癒され、安らげ、惹かれていったものについて、ハーンの嫌い恐れた、南国の、くねくねと高く伸びた樹木や、ゴシックとの比較において≪西インド諸島の熱帯で森で心理的な呪縛の実体を自覚し、そして来日後、自然の万物に霊魂が宿るとする日本古来の精神風土や様々な民俗、伝説に現れる日本人の樹木観そのものに感じ入り共感することで、ハーンは素直に樹々の世界に打ち解けることが可能になった≫と説明されています。
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『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学(7)
2014/10/01(Wed)
 牧野陽子著 『<時>をつなぐ言葉』ラフカディオ・ハーンの再話文学の第七章 聖なる樹々―「青柳物語」「十六桜」 を読みました。そのまとめ、№1です。
 1樹霊の物語
 2「青柳物語」―樹木のいざない 
  ・原話「柳精霊妖」
  ・樹の妖精
  ・老樹のいざない

 1の樹霊の物語では、ハーンの日本の樹木への思いについての解説があります。
 西洋人が日本に来ての印象に、とにかく日本の樹木は美しい、と誰もが感じ、樹木の優しい風情に人間と心が通い合っているとさえ感じています。ハーンはこのように、人間の用に立つべく創造されたものという西洋古来の樹木観に対して、日本人のアニュミズム的な樹木への感性に深い共感を抱きます。
 2の「青柳物語」―樹霊のいざない は、主人公の若侍が青柳の霊である17歳の美しい娘に出会うまでの、ハーンの物語の進め方に注目します。
 能登の大名に仕える友忠という文武両道に秀でた若侍が、主君の命で都に上る途中、吹雪に襲われ、日も暮れはて、馬も進まなくなり不安に駆られたとき、柳の樹々の生い立つ近くの丘の小さな藁屋根の家を見つけ、宿をお願いして、老夫婦に迎い入れられます。ここで娘を見初めて、恋が芽生え和歌などを交わし嫁にもらう。しかし主君の許可を得ていなかったため、その娘の美しさを聞き知った主君の主筋に当たる細川候に召しだされてしまう。友忠は呼び出され死を覚悟で出向くと、青柳に密かに送った漢詩の素晴らしさに心打たれた細川候はその思いを遂げさせるべく婚礼を挙げさせ祝福してくれる。そうして幸せな5年が過ぎたある日、突然妻が苦しそうに、じつは私は人間ではなく、樹であることを告げ、誰かが私を伐っているのでお別れです。前世の因縁で結ばれた二人なので来世でも一緒になれるが、現世では死ななくてはならないと消えてしまいます。残された友忠は僧侶になって国中をあまねく行脚し、吹雪の日に迎え入れられた丘をみつけ、柳の木が何年も前に切り倒されていることを知ります。
 この物語の、≪そして丘の上の柳の樹陰の家へたどり着くと老婆がいたわるように「さあ、どうぞ」と中に入れてくれた。≫という言葉に注目し、柳の樹の精と結ばれる場面への導入を浮き上がらせています。
 もとの話、辻堂兆風作『玉すだれ』巻三「柳精霊妖」では、戦後の世でありながら詩心をもった友忠と娘の相聞歌と友忠が書き送った漢詩の素晴らしさが強調されています。筋立ては一緒ですが、ハーンの作品では、柳の樹の精と結ばれることが強調され、しかもその神秘へのいざないが、老樹の「さあ、どうぞ」なのでした。
 さいご、≪「青柳物語」とはつまりは、夢の世界を提示した老樹のいざないと、そのいざないに応える人間の物語なのではないか。≫としめくくられています。
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