『テケテケ伝』
2014/12/31(Wed)
 寺内タケシ著 『テケテケ伝』 を読みました。
 この本もみどりさんからいただきました。
 著者のサイン入りです。
 音楽好きの方々にとっては、そうそう、そうだったと楽しんで読める本なのかも知れません。時代の流行に疎いというか、ついていけない生活をしている私にとっては、一時代を風靡した人の音楽家の自叙伝として、ほとんど始めて知ることばかりでした。
 音楽ばかりを語るのでなく、同時進行で経営している建設会社の話や、いろいろなイベントのプロデュースをやったお話などもでてきます。
 《つくば万博の開かれた筑波研究学園都市は、戦後まもなく父の経営する会社が、デコレーション・ランプをアメリカに輸  出して巨額の利益を得たおカネで買った敷地二百万坪のなかにある。この土地は、その後、県と国にそっくり寄付して  いたが、これがきっかけで研究学園都市が誕生することになったのだ。父はとても尊敬できる人だった。》
さらに 
 《昭和60年(1985年)に茨城県の筑波研究学園都市を中心とした国際科学技術博覧会(つくば万博)が開催された。   開催が決まったときに、僕は茨城県知事からつくば万博のグランド・プロデューサー(総合企画担当)を要請されて、こ   れを引き受けた。仕事はつくば万博の基本構想から会場レイアウト、テーマソングの作曲、万博に参加する予定の国   でのコンサート・ツアー、常磐高速道路や一般道路整備、宿泊設備、鉄道などから会場周辺の上下水道の問題、さら   にはVIPの接遇、跡地の利用などグランド・プロデューサーとしての守備範囲は多岐にわたった。毎月二百万円近い給  料だったが、それは返上するかわりにいいたいことをいわせてもらった。》
という前置きがあります。
 「知ってた??」と誰かに聞きたくなります。
 仕方がないのでウィキペディアで検索してみたのですが、関係者に寺内タケシの名前がまったくありません。名前がないだけに、どのようなかかわりだったかが想像できそうです。
 いや、本当にやってのけるという信念の人だと思われました。
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第171回「ハーンの会」のニュースなど
2014/12/26(Fri)
今日は臨時職員としての午後に仕事のある日なので裏山登山を中止しました。
昨日は雪が降るまで我が家の食卓を楽しませてくれたトマトの「木」を片付け、ついでに庭の片付けと掃除をして夕刻までごみ収集が来なかったおかげで、どっさりのゴミも全部最終処理することができました。
 次に読む本もみどりさんからいただいた、寺内タケシ著『テケテケ伝』と決め、さわりだけを読んだので、老体を休め前回11月の「ハーンの会」配布物を順を追って読んでいます。
 「ハーンの会」ニュース一枚目、風呂先生、布団に入って寝そべって枕に両腕を組んで読書などされるとのこと。私は本は仰向けで読むのは専門ですが、うつ伏せでのこの姿勢は腰が痛くて30分と持ちません。人によって体の構造が違うのかと思える記事です。『湖都松江』の記載内容ミスの指摘がされています。印刷物崇拝主義の私としてはクワバラクワバラで、「ここではこう述べられている」読書を心がけなければいけないが、ハーンを正しく後の人に伝えたい風呂先生など関係者にとっては、たまらなく心痛むことなので、誤字脱字誤解だらけのブログ人の私も「何とかせい!!」と文責者に申し上げたい。「スコットランドという国」という朝日新聞のコピーでは、漱石がエディンバラに留学してその訛りのひどさに「落ちる人が死んでからお乗りください」を学んでも・・・・とロンドンに南下したといったようなことからイメージしていた思い違いを払拭いたしました。「有機的記憶」では、一応このプリントを読んで河合隼雄の『無意識の構造』を読んだので、すこし理解がらくであったように思います。「リーチさん」「ニューオリンズから来た男」「リーチ先生」などのコピー資料はいまの私にとっては至宝の情報です。最後の朝日新聞の「講義記録ノート」のコピーは、東大門閥人の一部の人の醜い側面をあらわにしている。
いつも楽しみな『すみよし』では、宮司さんのクリスマスケーキにまつわる話が、すこし前に読んだ本での、神武天皇が国を治めるに成功した理由にあらゆる宗教を認め、和みの大切さを図ったことをあげていたことを思い起こさせ、何世紀を超えて受け継がれてきた神道について思いをはせました。風呂先生の「小鹿田焼」では、もとは、名前は聞いたことはあるもののどこのことやらで、豊臣秀吉が朝鮮出兵をしたとき、武将は戦よりも朝鮮の技術者獲得に血道をあげていたといいますから、陶芸の技術者もその一部であったであろうなどと思いながら窯場を想像します。柳宗悦については、図書館で民芸好みの白洲正子の著書を読み漁っていたころ、何度も著書に登場してたしかに“これは民芸品ではなく上等な品ではないか”といわれたという世評を甘んじて受けてしかるべきという思いで読んでいましたが、いまや芸術家だけが芸術品を作るのではなく、庶民の生活が民芸品といえる「実用性」「廉価性」「平常性」「健康性」「単純性」「協力性」「国民性」を基調とする日用品を作り上げていく道筋がこの年齢になって理解でき、「老婆は一日にしてならず」と次へ読み進んでいきます。
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『無意識の構造』 (3)
2014/12/18(Thu)
 男性の四段階の発達段階には、力の段階、行為の段階、言葉の段階、意味の段階があり、ゲーテの『ファウスト』では、Logos(※ 私はプロテスタントの牧師からよく聞いていた言葉ですが「はじめに言葉(Logos)ありき」のことです)の含む内容としてこの4つの発達段階を段階としないでパラレルに取り上げられているとのべ、『無意識の構造』(2)のアニマでは省略したエロスの原理にたいして、ロゴスの原理と分類しています。
 この書では、このような原理などの記述があり、もっと具体的にとのぞむところですが、いぜん読んだ彼の著作が、目から鱗とならなかったのは、このあたりの基本がわかっていなかったのだと気づかされます。しかし、この本でも、基本について、彼のほかの著作に述べてあるところは新書紙面の関係でその著作を紹介して、省いてあると思えるところが数あります。
 力の段階は、
 《男性の力強さ、とくに肉体的な強さを表すもので、「低いアニムス」とでも言うべき存在である。聖女のような生き方をしている女性でも、分析を始めると、このようなアニムス像が夢に出現して驚くものである。聖女といえども人間であるかぎり、自分が肉体というものをそなえた存在であることを自覚するのはいいことである。》
 このあたりの説明は、著者が男性であることによる身勝手な解説と思いがちですが、この低俗と思えるアニムスをも持っていない女性がおちいるパニックのことを思うとこの解釈も大切で、ほかの段階とパラレルなことだと理解できます。
 行為の段階は、
 《強い意志に支えられた、勇ましい行為の担い手としての男性像によって表される、なんとも「頼もしい」男である。男の場合、アニマの問題が退行した状態で生じるときは、エロチックな空想として現れることが多いが、女性の場合は、エロチックな空想としてよりは、頼もしい男性の出現による未来の人生の展開などという。願望に満ちた考えとして生じてくる。もっとも、そのようなアニムス像を自分の相手として考えるのではなく、女性がその段階にアニムスにとりつかれてしまうと、彼女は積極的で行動的になり、自分の女性性を無視してしまう。このようなとき、彼女の性愛は積極的で、攻撃的にさえなり、人格の全体と遊離して、性愛がそれ自体として機能する。―つまり男性の性愛のパターンに近くなるのである。このような女性の相手としては、アニマにとりつかれてなよなよした男性が選ばれる。人間関係はいろいろな点で相補的にはたらいているものである。》
 言葉、意味の段階は、現代の女性にとって、大きい意味をもつとのべられています。
 《このようなアニムス像は、彼女たちの師としての男性に投影されることが多い。学者とか教授とか言われる人、あるいは彼女たちの稽古ごとの師が、アニムス像の投影をうける。このようなアニムスの投影のひきもどしを行い、アニムスを内在化させることは、女性にとってなかなか困難な仕事である。》なぜ困難であるかの説明と、うまくいかなかったときに起きるであろう問題も書かれてあります。はしょっての記述ですが、この書が38年位前の解説であることを考慮すれば、今起こっている、社会・政治・教育などの問題もそれなりに行間から想像できるような気がしてくるのが不思議でした。
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『無意識の構造』 (2)
2014/12/17(Wed)
 『無意識の構造』(1)では、この本を読む直前に聞いた話と、そしてこの本を読んでいる途中の知らせとが、この本との書き出しとあまりにも、関係が深かったのでそのほうのことだけの記録niなったきらいがありました。
Ⅰ 無意識へのアプローチ 1 無意識のはたらき 無意識の探索への手法として、耳が聞こえなくなるなどのヒステリーや、夢の研究、催眠法があるが、催眠法は、無意識の内容の検出には役立つものの患者が内容を認識できていないために治療に向かないことが述べられていることは、治療の意味を再確認することができます。2 コンプレックス なににコンプレックスを感じているかの検出方法はわかってしまえばなるほどと思えます。賢明な人をよく観察していると、日常の良好な人間関係を構築し、お互いの向上のためにさりげなくやっていることに気づかされます。3 心の構造 ここでは、私とは何かについて考えます。私の心が図で説明されます。私の心全体を、自己ととらえ、そのなかで意識されている、私が知っている私とでも言い表すことのできるものを自我とし、それ以外を無意識とします。さらにこの無意識を大別します。個々によるものと、誰もが持っているもの、その家族がもっているもの、持っている文化によるものです。さしずめ私がこの本を読んで理解するべき“organic memory”がこのことだと理解することができます。Ⅰ 無意識へのアプローチによる をうけて心理学はすっかり私を捉えます。個々によるものについての無意識は臨床心理学にまかせるとして、誰もが持っている“organic memory”について、ハーンの作品の内容にはそれるものの、興味深い部分について、特記します。
 アニマとアニムスについてです。アニマとは男性の心の中の女性で、アニムスとは女性の心の中の男性で、誰も無意識の中にそれを持ち合わせているものです。しかし、たとえば男性は男らしくとか、夫らしく、父親らしく、社員らしく、といわれるように社会のなかで属性をもったペルソナといわれる仮面をかぶって、強くたくましく生きていかなければいけません。この、男性の持っている無意識の女性像、あるいは女性の持っている男性像についてです。
 アニマ(女性像)、アニムス(男性像)、のもつ要素それぞれに四つの発達段階があるとユングはいうのです。アニマ(女性像)の第一段階は生物的な段階で、女で子どもが産めれば誰でもよい。第二段階では、ロマンチッで一個の人格をもった女性に対する愛で、美的さと性的要素を求め、第三段階は、霊的な段階で聖母マリヤに象徴されるように、母性の持つ至高の愛と、乙女の純潔さを求め、第四段階においては叡智です。この叡智ということのイメージとして父親の頭から鎧兜をつけて生まれ出てきたギリシャの女神アテネをあげます。私は、男性の持つこのアニマ像を有した女性が実在するだろうかとずっと考えました。すると12月17日、テレビで知り合いの方の娘さんの報道をしているのに気づいて見ていて、この人こそと思ったのでした。フランスにパンの修行に行ってフランス人のパン屋さんと結婚した石川さんの娘さんの話でした。
 男性の第四段階も大変示唆に富んでいて興味あるないようですがを書き込むと紙面が足りませんこのあたりで・・・。
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『無意識の構造』 (1)
2014/12/16(Tue)
昭和52年 中公新書発行の河合隼雄著 『無意識の構造』 を読みました。
11月の「広島ラフカディオ・ハーンの会」に出席して、作品「草ひばり」のなかで使用されている、“organic memory”について学習したとき、風呂先生から、本書『無意識の構造』の紹介を受け、夫が購入したのを読ませてもらいました。
 いままで河合隼雄の本は、内容は何一つ思い出せませんが、村上春樹との対談集を最後に、何冊か読んだ記憶があります。
 今回の読書は以前のように読み流すことなく、一昨日の午後から、昨日にかけて集中して読み、強く手ごたえを感じました。
著者が学んだユング学派が検証している心理学の核心を明らかに示した書物でしたが、実感を伴って読むことができました。実感といっても、自分が神経症や分裂症を患っていないし、その経験もありません。経験はありませんが、無意識の存在によって起こってくる事象の裏にあるものが明確になってくるのです。そして自我とか、自己ということについて思いをめぐらすことができるのです。
 体の中のある臓器の存在がわかるのは、体のなかでそのある臓器による働きが停止したときにかかる病気の患者について研究していてのことだということにきづかされます。無意識も、意識されていないものですから、その存在がわかりません。しかし、神経症や分裂症を患っている人を研究しているうちに、自己のなかには、自我と、自覚されていない無意識なる心的状態が存在することが明らかになってきます。
 説明の最初に、突然耳が聞こえなくなった女性の例が挙げられています。
偶然ですが、昨日の午前中一緒に裏山の福王寺に登った奥様から、以前、御主人が病気になられ退院して帰ってしばらくしたある朝突然、頭にきのこをかぶったようにぼわーっとした感覚がおこり耳が聞こえなくなったという話をききました。耳鼻科に受診し、いただいた薬を飲んでいて、娘の職場に何度も電話をするので娘さんが異変に気づき、耳鼻科に連絡をとると医師があわてて駆けつけてきて、治療をうけ、気がついたら、5日くらい記憶喪失にかかっていたことが判明したという話を聞いたばかりでした。そのほか今年になって、心因によって突然、難聴になって通院しているという話を二人から聞いています。おそらく、私が難聴の断りをするので老化による難聴も含めてこんな情報が多いのでしょう。
裏山に一緒に上った奥様は完治されているのですが、あとのお二人のお一方から、昨日読んでいる途中で、御主人が亡くなられたと喪中欠礼のはがきが届きました。定年退職を迎えた今春、祝いを書留で送ってくださったお礼に夫婦で伺ったとき、奥様は床の中で難聴の治療中だと話され、彫刻家の御主人は、別棟のアトリエで仕事をされているとの事で邪魔になってはと挨拶もしないまま、反対にたくさんの物をいただいて帰りました。この本がいま私に示唆してくれるものが、彼女にとって大きな恩恵となりますように祈らずにいられません。
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「広島ラフカディオ・ハーンの会」忘年会覚書
2014/12/10(Wed)
    鳩とトンビ
    雁とツバメ
    雁がねと鶯の
      なく声聞けば
    クルクルピーン クルクルピーン
    ピーピー ピーヒョロ ケンケンチクチク 
    ピンカラリンコン ホーホケキョ


 これは、メンバーの五十嵐先生が、吉田元首相や、野球解説者の小西徳郎や、相撲解説者の天竜三郎、大学の教師などの「ものまね」のなかで、それぞれこの歌を歌われました。
 いつも「広島ラフカディオ・ハーンの会」では、私と向かい合った席で、お行儀良く静かに講義を聴かれている先生の姿との落差が大きいだけに、みんなあっけにとらわれながら大笑いして聞きました。
 風呂先生などは、「がんばって長く会を続けていてよかった。五十嵐先生のこんなに楽しい「ものまね」を聞くことができて・・・。」といわれました。
 全員のスピーチが終わってから、私も興に乗じて、先生のところに行って、私が知っているのが、正調(じつは曲名がわからない)です。といって

    鳩とトンビと
    山鳥と雉と
    雁がねと鶯が
      一緒に泣けば
     クルクルピーン クルクルピーン
     ピンカラショッケン ソーラケンケン
     ケンチャカチャンのチンチロリンのホーホケキョ
と歌いました。

 というものの、私には、この歌をいつ誰にどのように習ったかまったく記憶がありません。
五十嵐先生はどこで習われたのかたずねてみました。すると旧制秋田高等学校出身の大学の先輩に教わったと話してくださいました。それを聞いていた夫が自分は友人の永田君に教わり、永田君は永田君のお父さんに教わり、お父さんは夕張炭鉱の労働組合にオルグとして来ていた旧制秋田高校出身の人に教えてもらったというのです。永田さんは歌が上手で山岳部などに入っていて、みなに聞かせ、広島でヒットさせたとも言いました。全国から来広した青年にも人気だったので、夫はガリ版刷りをしたことがあるといいました。私は後輩として、そこらで聞き覚えた人に習ったのかもしれません。
 久しぶりにこの歌を思い出したことでした。

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年末に思った風呂先生のこと
2014/12/10(Wed)
 今日は、10時からお客さんがこられるというので、山登りは中止しました。
昨晩、客室(仏間)と、トイレあたりは掃除をしておきました。今朝は、いつもどおり小さな家の、家中の拭き掃除をして、居間を片付け、そうじ機をかけて、パソコンに向かいました。
 片付けたのは、5月からお世話になっている「広島ラフカディオ・ハーンの会」でいただいたたくさんの資料です。5月に、たくさんの資料をいただいたとき、整理のやり方を決めたのですが、不都合なので、やり変えました。書くのは簡単ですが、散らかりまくっていました。
 昨日、九品寺という自治会の何かの会から依頼された工作の世話役の準備の目途がつきました。実はこれが私にとっては大変で、いままで児童館勤務では、役所の出入りの業者が、新製品のカタログや、商品を届けてくれていたことがどれほど仕事を助けてくれていたか、また児童館では、十分に買っておいても毎月の工作で使うのでいいのですが、下準備をしながら、何度も買い物に出かける要領の悪さです。
 そんなこんなで、近所の病気の方のいつもの訪問も、読書や勉強もそっちのけの毎日でした。
 5月からの資料の片づけをやりながら、ふっと気がつきました。事務局とみづからを呼ばれているハーンの会の風呂先生のことです。
 私は、物心ついてから、ずっと自分の母親がとても美しくて、近所のおばさんはそうではないと思っていました。そして、料理はいつもきれいに洗って、きれいなものを食べさせてくれ家もきれいに拭き掃除されてきれいな家だと思っていました。小学校に入ると、受け持ちの池亀先生が学校中で一番美しくて、一番賢いと思っていました。池亀先生のクラスでない子供たちをかわいそうだと思っていました。すこし大きくなって見ると、母はふつうの農婦であり、家も建て替えなければいけないほどのふつうのぼろ家で、・・・・。とわかってきました。
今の私は、風呂先生に小さいころの母や池亀先生に抱いていたような感情をいだいていることに気がつきました。資料の一枚一枚が大切な宝物のように思えてきます。
 じつは、予約がびっしりでずっと後の12月24日に胃カメラを飲む予約をしています。ピロリ菌の検査は陰性でした。どうも予習ができないでいたことが原因だったのかもしれません。いまは、どうして胃の検査をしようと思ったかと思うほど胃が痛くありません。思い起こせば、中学校を卒業と同時に三次に下宿し、しばらくして、吐血と血便で、貧血になりました。病院にいくとすぐ入院するよういわれ、「こんなに元気なのに入院しないと治せないなんて藪医者だこと」と、病院に行かなくなりました。2年生の一学期、修学旅行のための検診で強制的に40日も入院させられてしまうはめになりましたが結局結婚するまで治りませんでした。今思うと、胃痛は、いただいた資料が読めないことが原因だったと納得できます。
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第172回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2014/12/07(Sun)
12月6日、「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ参加いたしました。
朝、山登りはせず、平井呈一訳の「あみだ寺の比丘尼」を夫が作ってくれた本で丁寧に読み返しました。私の丁寧というのは、わからなかったりあいまいだったりする言葉は必ず広辞苑を引くということです。《町をかこむ渺々とした水田を小舟で渡らなければならなかったので・・・》の渺々を辞書でひいて、驚きました。当てはある漢字は違うもののびょうびょうという音の文字がいくつかあります。読んで、それぞれの文字の表す光景の違いを想像していると、平井呈一氏の時代のひとびとが、漢詩をよくしていたことがうかがえ、さらに、ハーンの熊本時代、彼が神様のように慕っていた漢学の秋月胤永先生から受けた漢詩の世界観にまで想像が広がります。
英文で読めないのが悲しいところでしたが、気を強くして、懇親会のあと雪で帰れなくなってはとタイヤ交換や、甘酒のだんどりを手伝って、大忙しでしたが、早めに到着できました。
いつも、ニュースプリントの2枚目にハーンと英語教育という項目が掲げてありますが、この英文を解読して、著者の心を読むという課題に名井先生がさらりと答えられ、26文字のアルファベットからできた文章のそれを読み解くことは英語の苦手な私にとっては順列組み合わせの観点からみて手品のようだと思えます。でも、きっと私も新しく買った辞書でこれを訳そうと心に決めました。
 そして、直前3回に分けて勉強した「草ひばり」のポイントのまとめも丁寧に書き留めてくださっていました。それに加えて、この作品をハーンの汎神論的信条によって違った角度からの理解もあることを示す、英米文学会編『英文学に見る動物の象徴』の「ラフカディオ・ハーンにおける「虫の文学」」(大東俊一)の引用文を添付してくださっています。
これは、その著者が、ハーンのすべての作品を知ることによって、ハーンの心に映る宇宙的な映像にハーン自身とそのほかの生物、そして意識を持たない空、海、風さまざまな物質までもが、どのように描かれているかに思いをはせ、達することのできるさらに深い味わいではないかと感動させられました。
付け加えるなら、ここでは対象が、より微小な草ひばりであったことによって、その二つの命がさらに幾重にも増して光り輝いて感じられたのではないかと思えることでした。
このブログを書きかけて、ある会合に出かけました。そこには9人が集まったのですが、一人はいつものように奥様に介護された脳梗塞で車椅子に乗った男性でした。テーブルに、3つの皿が載っており、それぞれに大体人数分のチョコレート、饅頭、なぜかコロッケが、入っていました。奥様は男性にそれぞれひとつずつ小さくしたりしながら、たべさせられました。あとは全員女性ですからおしゃべりは続きます。すこしして、男性がコロッケを大皿から取ろうとされると奥様がたしなめられました。「どうぞどうぞ」と、他の者はいいましたが、奥様が、テーブルの遠くへ押しのけてしまわれました。終始、よだれが出るのでタオルが首に掛けられてありますが、そのあと、男性はそのタオルを口にくわえてぎゅっと噛んでおられました。その様子が、日本舞踊で、口惜しい表現として、袖の裾を噛んでいる姿を思い起こさせました。さらに、足を食らう草ひばりへと想像は移ります。男性にとってその時間、食べる以外の楽しみがあったでしょうか。衝撃的な姿に出会て・・・・。
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『剣岳』〈点の記〉
2014/12/03(Wed)
 新田次郎著 『剣岳』〈点の記〉を読みました。
 有史以来、登ることを禁じられていた剣岳に、明治40年、陸地測量部の柴崎測量官が、初登頂した時の物語です。
専門用語が多いため、理解するのに難儀し、なかなか読み進めませんでした。405ページの作品ですが、363ページから、「越中剣岳を見つめながら」と題して、著者の新田次郎がこの小説を書くに当たって、とにかく自分もいちど頂上を極めたいと、彼自身が64歳で、登ったときの記録と、測量についてずいぶん勉強せざるを得なかったことを書いています。
 読み進めないまま、間で、2度もこの部分を読みました。そこで彼は、測量理論、測量技術をていねいに習ったために、理解はだいたいできたものの、これを小説にどのように表現するか、苦心したと述べています。
 昨夜やっと読み終えることができました。ただ、字面を追って読み進んだだけでしたが、至上命令である、「山岳会より先に登頂を成功させよ」への重圧感と、登頂成功でその責務を果たしたときの感動は伝わってきました。登頂せいこうしたものの、奈良朝時代の錫杖の頭と剣があり、すでに奈良朝時代に登られていた事が判明し、測量部からは初登頂と思われなかったために、そのことへの悔しさも伝わってきました。
 三角点とはいったいなになのか?という疑問が読んでいる間中ありました。特に、一等、二等、三等、四等と数字で表されている等級とはいったい何なのかわかりません。登頂に成功したとき、「剣岳四等三角点は設定されたとあります。下山するとき
 《柴崎は絶頂が見えなくなる手前で振り返った。白い十字型覘板が光っていた。・・・・限られた日程、限られた予算に頭を押さえつけられながら、ただひたすら、自らの肉体を酷使しつつ追い続けて来た結果が四等三角点だった。彼にはそれが口惜くてならなかった。(特別予算を計上して、剣岳に三等三角点を作れというならば、話は別である。危険なところに綱や鎖をつけ、足場の岸壁を削り取り、所によっては梯子を掛け、そして、運搬賃を倍にして人夫をあげれば、三等三角点設定は可能である)》というところで少しわかったような気がします。
 ところで今日、近所の奥様方と5人で町内をハイキングしました。目的は、国土地理院の基準点配点図をみながら、三角点3箇所、水準点2箇所を見つけて、それが何等であるか確認することです。三角点は2箇所、水準点は2箇所見つけて確認することができました。8時30分に集合出発し、9時5分道路わきにある、天王社の入り口右側で水準点を見つけました。水準点を意識して見ることができた最初でした。10センチ角くらいの石柱に丸い真鍮版が取り付けられ、真ん中に十字が刻まれ、1等水準点とか3141とか書かれてありました。石柱の4面を囲んで4個の自然石がしっかり埋め込まれていました。つぎに確認を目指した、水路に書かれてある三角点は見つかりませんでした。
 そして10時10分、太田川に沿って走っている国道261号線脇にある三角点を見つけました。この三角点には真鍮版はなく、十字が掘り込まれているだけです。石柱の側面のひとつには国という文字が確認できましたので、地中に国土地理院の跡の文字が埋まっていると想像できました。また一面には、横書きで四等とあり、下に三という文字があったので四等三角点と書かれてあると想像しました。ここからは、8月20日に土砂災害を起こした阿武山が、太田川にせり出しているものの、遠く南を見渡すことができます。
 つぎ、10時52分友広神社の境内に入ってすぐ左に一等水準点を見つけました。さらに、12時13分寺山に上り、4等三角点を確認しました。低い山なのですが、この寺山にははじめて登りました。三角点のある場所から、東側に木立はあるものの360度町内が見渡せることにびっくりしました。弁当を食べ、下山し、途中喫茶店でケーキセットを食べて、3時ころみんなで家にたどり着きました。27928歩も歩いていました。
 剣岳とおなじ4等三角点。やっぱり、等級の基準はわかりません。
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