『西鶴名作集』
2015/02/28(Sat)
 講談社の少年少女古典文学館17 藤本儀一著 『西鶴名作集』 のなかから、『日本永代蔵』より、「初午は乗ってくる仕合わせ」、「世は欲の入れ札に仕合わせ」、「世界の借屋大将」「茶の十徳も一度に皆」「見立てて養子が利発」。『好色五人女』より「姿姫路清十郎物語」、「恋草からげし八百屋物語」。などを読みました。

 25日、ときどき、臨時指導員として働いている児童館でのこと、職員のひとりが、「テレビで見て作ってみました」とお絞り人形なるものを、三体作ってきて、動かして見せてくださった。この日は4人だけでの勤務でしたが、他のものは、聞くなり見るなり、お絞り一枚と、割り箸だけを使ったこの人形に見入ってしまい大喜びです。それぞれ手にして動かして楽しみました。わたしは、これは膳のまわりのものばかり使ってあるので、ほう間のお座敷芸ではないかと勝手に思い込み、家に帰ってもつくって散々遊んだ挙句、きょうになって、いわゆる太鼓もちの雰囲気を味わいたくなり、家の本棚からこの本を取り出し、パラパラとめくってすこし読んだのでした。

  じつはこれは娘の本で、読んだのは初めてでした。この名作集は読みやすく解説も図入りでわかりやすく丁寧です。
 さっそく三箇所にありました。
  「見立てて養子が利発」―見込んだ養子は大当たり― の文中、
 《ところが、この京の男、遊芸にかけてはあまりにも器用で、謡曲は三百五十番全部覚え、碁は名人に二目でかち、蹴鞠は宗家から町人としては最高位の紫腰の袴を許され・・・・・・即興小咄は太鼓もちの神楽庄左衛門や願西弥七も、はだしで逃げるほどだった。》
 「姿姫路清十郎物語」、副題―おなつ清十郎、悲しい恋のゆくえ― の文中、
 《これもまた俗にいう“昼のない国”を演出して遊びほうけるのだった。こすっからい太鼓もちをおおぜい集め、火の用心の口まねをさせたり、こうもりの鳴き声をさせたり、遊女の見張り役のやり手婆に、お盆でもないのに門口で茶釜をたいて歌念仏をうたわせた。》
 《そんなさわぎのなかで、いっこうにあわても、おどろきもしない太鼓もちがい他。闇の夜の治介という、この世界を知りつくした男だ。「男ははだか百貫というじゃありませんか。ふんどし一本でも世の中は世の中は渡れるというもんですぜ。清十郎さま、なにもあわてることはありませんや」と、清十郎をはげました。》
 すこし、遊び客相手の太鼓もちの雰囲気も伝わってきて西鶴の世界を垣間見た気になります。

 それとは別に「世は欲の入れ札に仕合わせ」―あっぱれな後家さん―には、実生活で考えさせられました。この話は、後家さんが住んでいる家を借金のために手放さねばならなくなって、宝くじの要領で、入れ札をさせて、逆に借金返済金以上の大金を手に入れる話です。空き家がずいぶん増えています。みんな年老いて、実家などの空き家を抱えて、さてどうしようかと悩んでいる人も周りに少なからずいます。私たち夫婦も、長年抱えていた空き家を4年位前に倒して駐車場にして、借りてもらっています。江戸時代では、こんな方法もあったのかと、さすが、大阪などへの丁稚奉公は商科大学だと小泉八雲が作品のなかでいっていたことばににうなずけました。
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『神国日本』
2015/02/23(Mon)
  昭和13年12月20日(戦時体制版)初刷2万部発行定価78銭、満州・朝鮮・台湾・樺太外地定価85銭、第一書房刊行、小泉八雲著 戸川秋骨訳『神国日本』を読みました。
 出版元の第一書房が15冊の図書を戦時体制版として昭和13年に、《思想・芸術・宗教等の文化の各方面に渉って、古今東西を通じて現代日本に最も緊要にして重大意義ある名著のみの普及を計るものであります。》 として、昭和2年に発刊されたものの刊末に、14ページこれら図書の解説を増補してあらたに発刊したものです。
 ついでに記すとそのなかの5冊「大地1部」・「大地2部」・「大地3部」・「風とともに去りぬ」
は確実に読んだ記憶があり、「石川啄木」は他の著者のものを、あまた読んでいるので、なんとなく読んだことにして、さらにこのたびの「神国日本」を読了したということです。
 日本人はこの島国で、鎖国による唯一無二の体制による価値観のなかで何世代も生きてきました。1854年に開国し、それから36年後の1890年に来日したラフカディオ・ハーンは日本語も話せないまま、いきなり、地方都市の松江中学で教師となり、貧しい中で懸命に学問に取り組む地方の子どもたちの英語教育に当たりました。彼にとっては、御伽噺のような不思議な国の、この子どもたちに接することから、日本の国への解明が始まります。
 日本の風物や民話をかたる作家として、あるいは新聞記者のレポートの目線で、欧米に12の作品を発信してゆきます。
来日して14年目、ハーンの生涯で最後の作品となるこの『神国日本』は、「黄金の国」日本に群がろうとする世界中の国々のなか、開国に当たっての国内の政変による幾多の戦乱や騒擾がつづくなか、そして貧しさのなか、自主独立を目指して、列強国との交渉・戦法・武器に耐える準備を模索研究し日清戦争から日露戦争へと懸命に耐え忍ぶ日本の歩みを目の当たりにし、このような日本人の精神を形成し支えているものは一体何なのか・・・・と、可能なかぎり日本についてレポートされている作品です。
 そしてさらに40年後の昭和20年、敗戦をむかえた日本に占領国軍司令部のマッカーサー元帥やその側近は、ラフカディオ・ハーンのこの『神国日本』を読みつくして来日したと言い伝えられています。まさに日本はこの作品に書かれてあることと全く変わっていなかったとの感想を持ったようです。
 それから70年がたち、私もこの本を手にすることができました。
 この本は、印刷にむらがあり、印刷の薄い部分は、目覚めた朝空けの明るさや、天井にはめ込んである明かりのところでは読めないのだと、半分くらい読んだときにやっと気づいたり、読めない漢字を調べるには手間がかかり、100ページくらい読んだときにやっと前後からの類推で読めるようになったり、文章の意味がわかりにくく、二度三度読み直してもわたしなりに理解できていない部分が多々あり読み進めない本でした。一気に読める章については、著作の時期、同居していた翻訳者戸川秋骨の資料提供により練り上げられた文章ではないかとも思えたのですが、この件については専門家の感想を待つしかありません
 ですが、日本という国についてこのように私に説明してくれたものがあったでしょうか。読書が「自分探しの作業」である部分があるとすれば、わたしはこの本を読みおえたら、もう自分はこれっきし本を読まなくてもいいと思える本でした。自分は日本人と日本を知るために生まれてきたのでしょうか。もうこれきり、いつ死んでもいいのではないかなどと思わされるところがある不思議な本でした。
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第174回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2015/02/16(Mon)
 2月14日、第174回「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ参加いたしました。
 寒さのおり、自宅学習はラフカディオ・ハーン著戸川秋骨訳『神国日本』が1日数ページくらいしか読みすすめず、無為に過ごしているような日々の中での参加となりました。
 このような停滞の中にあるせいか、会員の方々と会えることが楽しみな参加になりました。
 このたびは、上野公園東京都美術館の朝聞書展に1月20日から24日まで展示された、太田雪影さんのラフカディオ・ハーン著「日本の面影」のなかの「富士山」からの抜粋を書に仕立てた写真のコピーを持参し皆様に配布いたしました。
 太田雪影さんとは、本名、太田千代子・ブログ名、花てぼさんです。写真は、「日々の暮らしを記憶に刻む」という、みどりさんのブログに掲載されたものです。昨年、わたしは5月13日のブログに「目覚めればラフカディオ・ハーン」という記事をかきました。第164回「広島ラフカディオ・ハーンの会」のニュースのなかのハーン著「日本の詩瞥見」の『詩歌撰葉』にかかれている詩の書の美しさを愛でている文章があったのをのせたのです。その記事のコメントに花てぼさんが「この感動をどう伝えようかとそして早く伝えたい・・・」また、「ハ-ンの講座?に出席なさっているのですね。こんな素晴らしい会の機会に恵まれておられるのが何ともうらやましいです。」ともかいてくださいました。そして昨年秋、ハーンのものを書にかくことを予告してくださり楽しみにしていました。それが年明けの1月21日のブログには「何か月前から予告していたのでしょうか、やっと今「小泉八雲の文」を書にしたものを上野の都美術館で発表しています。みどりさんがよく写真を撮ってくださいましたので、みどりさんのブログをお訪ねいただいてご覧になってください。これを書きましたきっかけは、ご紹介いただいた「日本の面影」でした。ありがとうございました。」とコメントをいれてくださいました。上野の美術館にかかげられた、ラフカディオ・ハーン著『日本の面影』よりの美しい一幅の書が、このようないきさつで広島ラフカディオ・ハーンの会のご縁によって掲げられたことを伝えたかったのです。
 今回の学習会では、風呂先生の解説に強い感銘を受けました。前回に続きハーンの「阿弥陀寺の比丘尼」の学習でしたが、文中にある、お豊の坊やがお豊の身代わりに死んだという「身代わり」について、浜田廣介の『泣いた赤鬼』の話をされ、これを読むと涙が出るといわれました。わたしもこの話を聞いて涙が出ました。半分は風呂先生のもらい泣きで、半分は、自分が50歳のころから職場の人たち12・3人で人形劇をやっていて、4作目にこの『泣いた赤鬼』に取り組みましたが、失敗に終わったことを思い出したからです。このとき、風呂先生のような感性でこの作品に取り組んでいたら、人形作りから違ったものになっていただろうとお話を聞いて思いました。子どもたちに伝える内容への検証がなされていなかったことへの強い反省です。親友である赤鬼の願いをかなえるために、青鬼が赤鬼に別れの張り紙を残し旅に出かけていくシーンにしっかり心を置くべきでした。
 会の締めくくりの挨拶では、田中正道先生が「風呂先生の井戸は汲めども汲めども清い水が湧きでてくる」と評され、的を得た評のあまりの美しさに風呂先生の心根が映し出されていることを思い、参加者全員が惜しみない拍手を送りました。
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 『ともしび』
2015/02/10(Tue)
 平成25年、広島県密教青年連合会(真生会担当)発行 第47号『ともしび』 を読みました。
 A3 2枚8ページからなる会報といったようなものです。
 先日、2月7日(土曜日)に虚空蔵山(こくぞうやま)登山の帰りに参詣した並滝寺に立ち寄ったときに、参詣者用に置いてあったのをいただいたものです。
 持ち帰ってゆっくり読んでみて、あらためてこういった神社、寺院などの意向をつづった書き物に、いままで全く目を留めて理解を深めようとしなかった自分を悔いたのでした。
 ラフカデオ・ハーンの会に参加させていただくようになり、そこで毎月いただくすみよし神社の発行されている『すみよし』を読むようになって、さらにラフカデオ・ハーンが生存中の最後の著作となったという『神国日本』を四苦八苦して読みながら、はじめてこのような書き物を真摯に読んでみようという気持ちになったのでした。
 表紙には安田学園の校庭で被爆したにもかかわらず生きつづけているというソメイヨシノの葉桜の写真がもちいられています。
 そして、残り7ページは
 1、神様と仏様           広島蜜青会  大願寺  平山真悠             
 2、祖母の人生を振り返り    福山即身会  法薬寺  釋 光教
 3、曼荼羅の中にいる私たち  尾道真生会  観音寺  末道弘聡
 4、高野山の伽藍         広島蜜青会  金剛院  常廣淳亮
 5、心の安らぎ           福山即身会  正善寺  今井隆博
 6、薬師如来について      尾道真生会  光音寺  吉武真仰       
 7、通信欄
となっています。
 そのなかで、日本では古来、神道と仏教がどのようなかかわりを持って日本人の心の中に根付いていったのかを説明しておられる部分に出会うことができました。
 1、の「神様と仏様」のなかでは、「お寺で買ったお守りと、神社で買ったお守りを一緒に持つと神様と仏様がけんかをするじゃろう」という素朴な疑問から、神仏のかかわりについて
 《仏教が日本に伝わってきた時に、日本では、仏教は私たち衆生を救済するために、神様のお姿を借りて目の前に現れ ておられるのだという本地垂迹説が広まったのです。神様と仏様は表裏一体として拝まれていたわけです。このようなこ とは今さらながら神仏習合を説くものではなく、私たち日本人の“信仰”の豊かさというものをもう一度見つめ直すものな のだと思います。》
と、述べられています。
 また、4、の「高野山の伽藍」では、伽藍のなかにある諸堂の説明のなかの【御社】の部分で、
《地主神である丹生・高野明神を勧請しています。この神の守護により伽藍を建立し神仏融合の始まりとなりました。》とあります。これらの説明は、ラフカデオ・ハーン著『神国日本』に述べられている、「仏教は神様に友達のように受け入れられた」という説明をあきらかにしています。また「神道という言葉については昔からあったものではない」との記述については、この会報では触れられていませんが、廃仏毀釈後鮮明になってきたのかなとも思われました。
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虚空蔵山(こくぞうやま)登山
2015/02/09(Mon)
 2月7日土曜日、虚空蔵山に登りました。
 このところの天候の悪化から、もと登る予定だった山を変更しての登山でした。
 虚空蔵山は、東広島市志和町にあり半月まえに登った曽場ヶ城山から7km北北東にあります。
 3・4日まえからの冷え込みで寒く、衣服、お弁当のおにぎりもすこし多めに、スパッツも装着していったほうがいいとのアドバイスも忘れないように準備しました。7時40分の羽柴さんの迎えを待って車に乗せていただき、国広さん、佐々木さんと拾って、水野さんご夫婦、玖保さん堂河内さんの乗っておられる車と合流、総勢8人で出発しました。芸備線と並行する県道37号線を白木町まで北上して、それから南下。志和堀をとおり、並滝寺池という300年前につくられたと看板表示に説明されている大きな池と道路の間にある駐車場に車を置きます。登山靴に履き替えて、すぐそばにある登山口の看板のところから登り始めました。
 登山口のある県道が山裾を削ってできたからでしょう、登山口から、急傾斜地で、さっそくロープの世話になって登り始めることになりましたが、それからは、なだらかな道がすこしつづきました。そのあと、またずっと急傾斜地で、登るのは何とか楽しんでロープに助けられて「よいしょ!よいしょ!」と登るのですが、これをくだるとなるとなんだか怖くなります。ずいぶん間隔をあけて下ることが大切だなどと思わされます。こんな急傾斜地ですからあっという間に一気に高度をあげ、真下にどんより曇った空を映した並滝寺池が見えてきました。無駄な迂回もなくまっすぐあがってきて、まるでロープウェイであがってきたような感じです。
 途中、すっと高く伸びてきて、二股にわかれた羊歯がながく伸びています。こんなに長い羊歯は見たことがないねと、ステッキで測ってみました。二股に分かれたところからなんと98センチもありました。
 そこらあたりからはふつうののぼりです。すこし平らなところは、やはりそのむかし修行僧のための粗末な宿坊でもあったのではないかと思われます。幹の肌が白っぽくゴトゴトした木が目に留まります。アベマキという木でコルクを作るのに用いられると教えていただきました。大好きな春欄も枯葉の間からつぼみを覗かせて春の兆しを告げています。
 途中AコースとBコースとの合流点ですの案内板があります。わたしたちはAコースだったことがわかりました。そこで、水分補給などの休憩を取っていると、一人の男性が登ってこられました。町内の方で、毎週1回くらい登ってこられるとのことです。そこからすこしいったところに山の案内文にも紹介されている大岩と呼ばれるところがありました。そこに先ほどの男性が座って景色を眺めておられます。どのように行けばそこにいけるか教えていただき行ってみると絶景!!その人も入っていただいて記念撮影などをします。さらにすこしすすんで頂上。666,1メートルの三角点を撫で回して、またまた記念撮影をしました。昼食にはすこし早いのでそのまま下山しました。なぜか道をどこかで間違えて、あの難所と思えた長い急傾斜地がないままに降りてしまいました。だからといって迂回した様子もないのです。いまでもそのことを不思議に思っています。
 車で並滝寺池をめぐっている山の中を道なりに迂回して並滝寺に行きました。この道路は、ミステリー映画のロケにでも使えそうな景色の中をすすみます。湖粋園というレストランを供えたホテルもあり、駐車場も広いのが坂道に三段あります。すこし登って、並滝寺に着くと667年創建と書かれてあります。荒れるに任せてあるのがなんとも寂しくその藁葺きの本堂の回廊でお弁当をいただきそれから帰途に着きました。一応初の冬山登山で早い帰還でした。
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