『桜の樹の下には』
2015/05/21(Thu)
 昭和43年発行 日本文学全集37 牧野信一・梶井基次郎集のなかの 梶井基次郎著「桜の樹の下には」を読みました。
 この全集は、私たち世代のなじみの二段組みで、この作品は見開き2ページの短い作品です。
 《桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。なぜって、桜の花があんなにもみごとに咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二、三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。・・・・・・・・・。

 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみんな腐爛して蛆が湧き、たまらなくくさい。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それをだきかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
 何があんな花弁を作り、何があんな蕋(ズイ・しべ)を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管速のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
 ―お前は何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく瞳を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。・・・・・・・。

 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 いったいどこから浮かんできた空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。》

 みじかい文章の、出だし、中ほど、最後を抜粋させていただいた。
この本の最後の「作家と作品」を読んでいて、中谷孝雄の『梶井基次郎』の抜粋に出会った
 《梶井が宇野千代さんに恋情を抱いていたことは、私も前から知っていたが、私の家にいる間も梶井はたびたび長い手紙を宇野さんに出していたようだ。しかし他人の情事には甚だ冷淡な私のことだから、こちらからそのことについて訊ねてみようともしなければ、梶井のほうから進んで話すでもなく、二人のことについては私は何も知らないといってよい。それでいて私は、梶井の生涯に於けるそれが唯一度の厳粛な恋愛だったと信じて疑わないのであるが、・・・。》とあります。
 このようなことは世間の広く知る所なのかもしれませんが、これまでの読書では、これほどの重大なことが記憶にとどまらなかったのに、このたびは宇野千代といえば桜と思い、この記事に目が留まったのでした。
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『闇桜』
2015/05/20(Wed)
 我が家には、樋口一葉の図書はほとんどなく、ネットで検索本文を印刷させていただき、繰り返し三度くらい読みました。
 上・中・下とありますが、短い作品です。
 樋口一葉の作品は、なぜか声に出して読まないと、調子が乗りません。
 娘の千代は、今となっては中村家の一人娘で大事にされて育てられています。
 となりの園田家の跡取り息子良之助は二十二歳の若者で何某学校の通学生。
 幼い頃より、良さん、千代ちゃんと呼び交わし、けんかするときもありながらもよい遊び相手でした。
 まだ風の寒い二月半ば、梅見てこようと夕暮れに麻利支天の縁日に冗談など言い合いながら二人で出かけます。
 途中で「中村さん!」とだしぬけに背中をたたかれて、振り向くと、友達がおおぜいで「おお睦ましいこと」と囃し立てて通り過ぎてゆきました。
 その後、良之助に対して以前のようには口が聞けなくなり、自分の恋心に気づいていきます。良之助への恋に苦しみ、ついに病気になってしまいます。
 良之助はそれとは知らず、病気と聞けば、以前の如く心配して始終見舞いに来てくれます。それがまた恥ずかしくて帰ってもらうよう家人に頼むが、だれも千代の心に気づいて気をまわしてくれるものもなく、臨終もちかくなって
 《良さんに失礼だがお帰り遊ばしていただきたいとああそう申すよ良さんお聞きのとおりですからとあわれや母は身も狂するばかり娘は一語一語呼吸迫りて見る見る顔色青みゆくは露の玉の緒今宵はよもと思うに良之助立つべき心はさらにもなけれど臨終(いまは)に迄も心づかいさせんことのいとをしくて屏風の外に二足ばかり糸より細き声に良さんと呼び止められて何とぞ振り返れば。お詫びは明日。風邪もなき軒端の桜ほろほろとこぼれて夕やみの空鐘の音かなし。》
 で終わり、最後の一行にやっと闇に散る桜が描かれて、片思いの病で死んでいく千代の姿が浮かび上がっていきます。
 当ブログの、2013年10月23日の記事に、澤田章子著『一葉伝 樋口夏子の生涯』を読んだ記録を書き付けていました。今その本の一部分を読み返してみました。
 桜の話が、一葉の話になってしまうのですが、半井桃水は一葉の作品が新聞に向かないなら、雑誌で一葉を押し出そうと同人誌『武蔵野』の発行を計画します。一葉は、時間を惜しんで、この「闇桜」を書きあげ恋慕っている桃水に見てもらいにいきます。桃水はできばえを誉め、朝日新聞の主筆の小宮山にも作品を読ませ「氏が説には、むさしのは君が所有のぬしたるべし」と小宮山のことばを聞かせて夏子を励ましたといいます。夏子が“一葉”と署名したのもこの作品が初めてでした。
 一葉が『武蔵野』第一篇を手にしたのは、1892年明治25年の3月27日でした。片恋をテーマにした「闇桜」が一葉の名で初めて活字になって雑誌を飾りました。夏子は発行予定日に鮨を作って近所に配ったりしたといいます。一葉が二十歳になったばかりの春です。一葉はそれから四年後に亡くなるのですが、以前読んだ小泉八雲の『神国日本』を翻訳した戸川秋骨はその回想で、斉藤緑雨から重態を聞かされて訪ねると、「美しい、才気のほの見える言葉づかいで」「皆様が野辺をそぞろ歩いてお居での時には蝶にでもなって、お袖の辺りに戯れまつわりましょう」と語ったといいます。
 この「闇桜」こそ一葉にとっての“闇桜”だったのではないかと思えたのでした。

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『りゅうのめのなみだ』
2015/05/19(Tue)
 昭和43年 偕成社発行 文・浜田廣介 絵・岩崎ちひろ 『ひろすけ絵本(1)りゅうのめのなみだ』を読みました。

 この絵本は、ひろすけ絵本全10巻のなかの第1巻です。

 ほかの『浜田廣介童話集』などとおなじように、夫がネットで買ったものです。もともっていた人の名前もマジックで書かれてありますが、絵本なのに箱入りで、箱に硫酸紙で丁寧に包装がされています。

 岩崎ちひろの描いたりゅうは、表紙いっぱい迫力がありますが、それにまたがって乗っている男の子はおだやかで、赤を基調としたとても美しい表紙です。

 登場人物は中国服を着ていて、建物もみんな中国風です。


 山の奥に隠れているといわれているりゅうは村人から怖がられていました。
 そんな中、誰にも可愛がられていない竜をかわいそうに思う男の子がいました。
それで自分の誕生日のお祝いに、山の奥まで出かけていき、りゅうに呼びかけて、りゅうを誕生日に招待しました。
りゅうは、うれしく思い、誰にも愛されない寂しさのために、ひねくれていた自分のことをつたえ、何百年というあいだ目のそこに閉じ込められていたような不思議なひかりのなみだをながして、その男の子を背中に乗せました。
りゅうはこの喜びに、船になって、優しい子どもをたくさんたくさん乗せて、この世の中を新しいよい世の中にしてやろうと男の子に言いました。
男の子が町に帰ったときには、りゅうは、煙を吐き、汽笛を鳴らして、りっぱなおおきな船になっていました。
といったお話を物語ります。
私も、これを読んで、大きな船に揺られるような心持で眠りにつきました。


この本の記録も、よんだあと、ずっと遅くなってしまいました。
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第177回 「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2015/05/18(Mon)
 5月16日(土)、第177回「広島ラフカディオ・ハーンの会」へ参加いたしました。
このたびは、夫は欠席でひとりで参加いたしました。
 連休、いろいろな山に登って、夫はマダニ噛まれ病院で切り取る手術はしたもののそのあと体調がいまひとつぱっとしないようです。夫の分もしっかり録音することを約束して出かけました。
 参加してみると、今月は欠席者が多く、年度初めで忙しい人が多いとのことでした。
 いわれてみれば、私も、昨年難聴のため迷惑をかけっぱなしでの退職でほっとした矢先の臨時勤務の依頼、現場のシフトが回らない事情がわかっているだけに断りきれず一年だけと受けたものの、今年度は、昨年の倍以上の日数の依頼、おまけに新年度以来、家へ持ち帰っての布製のサッカーボール、野球ボール2個ずつの縫製、フェルトでの実物大のもみじ饅頭22個の縫製。退職前に勤務しているときでさえ家に持ち帰って仕事をすることはなかったような気がするが・・・・。やっと自由になれた幸福を満喫することにも追われて、退職後のこの忙しさは一体・・・。
 そんななか、風呂先生にいっぱいたくさんのことを学べる魅力に惹かれてハーンの会だけはなんとしてもと参加できたことの喜びは何にも変えがたい気がいたします。
 いつもどおり、10枚ものニュースをプリントしてくださっていてその説明を受けます。
 テーマはハーンの作品のいくつかを貫く”substitute”「身代わり」への思いです。先月の会で、この「身代わり」を描いた濱田廣介の『泣いた赤おに』の紹介を受け、私は4月いっぱい心優しい濱田廣介文学に浸っていました。
 そして、「十六桜」「乳母桜」と桜の木にちなんだ話に伴って先月から桜の木への関心も高まる中、小川和佑『桜の文学史』(文春新書)から、
 《ところで、ハーンの『怪談』のさくらも、一葉の『闇桜』のさくらにも、芭蕉、蕪村、一茶など江戸俳諧にない花の影がさしているのはなぜだろうか。散るさくらに生命の際を見る近代文学の桜観はいったい、いつなにから始まったのだろうか。》
 の部分より、昭和のさくら観は、梶井基次郎の『桜の木の下には』が元になっているとの説明がありました。
 風呂先生は小泉八雲を顕彰した方々への思いを大切にされています。このたびの『すみよし』への寄稿文にも、第一次八雲会のかたがたの、事業目的への努力を紹介されています。私も、定年退職後、縁あって、広島ラフカディオ・ハーンの会に参加させていただき、小泉八雲を顕彰してやまない風呂先生をとおして、英語が苦手で英語に全く無能であるにもかかわらず、ハーンの日本語訳の文学を通して、おおくを学び、学ぶことの尊さ、楽しさを享受させていただいています。先生の、小泉八雲を顕彰して、さまざまな資料を集め、大切に保管をして、八雲の思いを後々まで伝えようとの努力の恩恵を受けて、これらの学びをより深め、広げ、楽しむことの体験ができています。ハーンの会への出席の翌日は、さっそく、樋口一葉の『闇桜』と、梶井基次郎の『桜の樹の下には』を読みました。さらに小山内薫をネットで検索していて、彼が東京帝国大学文学部英文科に進学して、一学年留年したのは、小泉八雲の解任に対する留任運動に加わったためとあることを知り、おやおや、あなた方でしたかと思わず楽しんでいるのでした。
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『椋鳥の夢』
2015/05/09(Sat)
 2006年 株式会社日本図書センター発行 浜田廣介著 『わくわく!名作童話館⑦椋鳥の夢』を読みました。
 この『椋鳥の夢』は、1921年(大将10年)に浜田廣介が新生社から、はじめて出版した童話集が、現代風に読みやすくして出版されたものです。
 読み終えた後、ブログの記録ができずに何日か過ぎてしまいました。収録されている童話の目次などの記録をしていると、随時思い出しそうで、まずは22作品ほかの目次を記録します。
 「椋鳥(ムクドリ)の夢」・「ひかり星」・「ほろほろ鳥(チョウ)」・「雨と風」・「呼子鳥(ヨブコドリ)」・「蜻蛉(トンボ)の小太郎」・「一つの願い」・「燕(ツバメ)と野鼠(ネズミ)の子」・「子鴉(コガラス)の手紙」・「黄金(コガネ)の稲束」・「三日目の椎の実」・「花びらの旅」・「昼の花夜の花」・「青い蛙(カエル)」・「お日さまと娘」・「お月様と鯉の子」・「ある夜のキューピー」・「いない母さん」・「寝台(ネダイ)の子と星」・「お糸小糸」・「二つの泉」・「ユダヤの娘」*[参考]自序・『椋鳥の夢』解説「思いやりと優しさ」/浜田留美
 
 このように書いてみると、やはり忘れられないのが「椋鳥の夢」です。
「椋鳥の夢」は、お父さんと二人で暮らしている椋鳥がお父さんに、「お母さんは今、海の上を飛んで帰ってきているの?」と聞くと「そうだよ」と答え、「お母さんは今、山の上を飛んで帰ってきているの?」と訪ねると「そうだよ」と答えるお父さんのことばを聞いて、本当は帰ってこないお母さんをじっと待ち続ける話です。
先に読んだ角川春樹事務所発行 浜田廣介著 『浜田廣介童話集』どうよう、最後の解説は、浜田廣介の次女の浜田留美さんで、やはり廣介の生い立ちを、
 《廣介はやがて、米沢中学に入学、親類の家に下宿して通うことになりました。・・・学校が休みになると、廣介は家へ帰ってゆきました。すると、家にはお父さんだけがいて、お母さんも、弟も、妹たちもいませんでした。その上、お父さんは、廣介に、もうお母さんに会ってはいけないといいました。そのころ、お母さんの実家の近くまで行った廣介が、窓に映る影だけを見て帰って行くのを村の誰かが見たそうです。この本の題名になっている「椋鳥の夢」は、お母さんに会えなかった廣介のさびしい気持ちから生まれた童話です。》
 と、記しています。
 読んでいると、淡々と進んでいく筋書きに、よけいにお母さんを待つ心情が感じられて、繰り返し読んでも涙が出てきます。
 浜田廣介は、私が昨年以来小泉八雲の勉強をするようになって、あらためて出会うことのできた作家です。
 この解説のなかで、浜田廣介は子どものころ、お父さんが買ってきてくれる巌谷小波(イワヤサザナミ)氏のお伽話の本をよく読んでいたということが書かれてありました。 いま読み進んでいる平川祐弘の『小泉八雲 西洋脱出の夢』の記述のなかに、巌谷小波も小泉八雲どうよう、1870年代大学卒業後、ロンドン宣教会に入り、やがて南太平洋に渡って、マンガイアや、ハーヴェー群島などの神話や歌謡の翻訳をしたウィリアム・ワイアット・ギルの作品を元に著述をしていたと書かれてあるのに出会い、また一つのつながりの発見ともなりました。
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『大将の銅像』
2015/05/02(Sat)
 名著復刻 日本児童文学館 昭和48年10月ほるぷ出版刊 
 大正11年実業の日本社発行、濱田廣介著 『大将の銅像』 を読みました。
こ の本は、箱が二重になっています。箱が二重になっている本ははじめて見ますし初めて読みます。なんだかとても立派な本を読んでいる気持ちになります。
 装丁及び扉は竹久夢二だけあって、とても美しい本です。
 序は島崎藤村です。
 序の終わりに、
 《濱田小父さんは私の若いお友達ですが、今度皆さんのために一冊の本を書きました。どんな好いお話がこの本の中から出て来るでしょう。眺めても眺めても飽きない青い蝉のような子どもの世界のことがもっとお知りになりたくば、濱田小父さんのお話へおいでください。》
 と、『泣いた赤鬼』のなかに出てくる、看板のような廣介童話へのおさそいがあります。
 また、序では、
 《・・・・。童話は、現在の私にとって余戯ではない、そして童話が―というよりも、かかる形式が、私にまで、自己を表現するに可能な、しかもふさわしいものと感じ始めたのは、この頃のことである。
 これら作品の或ものは、芸術価値を要求しても不当でないと考える。でも結局はどうでもいい、たとえこれらの童話は、大人にも、何人にも、読まれていいものであることだけは信じている。
 それを信じて、私は、自分の道を歩みたい。》
 とあり、これら童話を書き、そのことを世に問うことの決意といったものが表明されていて、童話の行間に見える作者の息遣いが伝わってきます。
 収められている作品は、
「大将の銅像」・「地蔵さまと機おり蟲」・「一つの願い」・「カメレオンの王様」・「第一の贈物」・「みそさざい」・「剥製のとり」(詩)・「ある母さまと蛾と」・「噴水の鶴」・「砂山の松」・「ある夜の豆ランプ」・「誰にやるか」・「一本の棕櫚」
 の13作品です。
 漢字、仮名遣いは大正11年、ちょうど私の父親の生まれた年ですが、当時のままで、すべて子どもにも読めるようにルビが打ってあります。庿介が、どんな思いでこの漢字をあてたのかも感じられ、それもルビのために、すらすら読めてうれしくなります。
 廣介童話は引き続いて3冊目ですから、なじみの作品もありました。なじみの作品を読み返しながら、さらに新しい作品に出会っていくのですが、
年齢のせいか、「ああそう、こんな話だった。そうそう。いいお話ね。」と2,3篇読んでは眠りにつき、夜中に目覚めては2・3篇読み・朝とこから起き上がるまでに2・3篇と読みます。
 庿介の童話を読んでいると、気持ちのいい一日が送れて、世の中が美しく思えて人生得をしたような気持ちにさせられます。
 
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