詩集『ヘルンさんがやってきた』
2016/01/21(Thu)
 田村のり子著、詩集『ヘルンさんがやってきた』を読みました。
 ハーンの会の推薦で購入したのは少し前でしたが、読みそびれてあとまわしになっていました。ところが宍道湖畔を生活の場としておられるらしき著者の・・・・「宍道湖の夕日」よりの詩の前半を読んだとたんにこの詩集に夢中になってしまいました。
 わたしは、ハーンの顕彰会に参加させていただくようになって、1年と9ヶ月ですが、それでも夢中になってハーンの魂のゆくえをこれらの詩作品と共に追体験させていただく場面もあったように思えたのですから、ハーンを長い間顕彰されてきたかたがたにとっては、たまらないのではないかと思えます。
 ずっと昔、夫に連れられて松江を旅行したとき、小泉八雲旧居をたずね、その部屋に座ってハーンの魅力にも目覚めないまま記念写真などを撮ってもらった記憶はあるのですが、ハーンの顕彰会に参加させていただくようになってから以後、あらためて松江に行っていませんので、松江の地で、ハーンの足跡の中でくらしておられる著者の作品には、ハーンが小泉せつさんに導かれて松江を感じていったように、田村のり子氏に導かれてハーンを感じることができそうです。
 地図を広げて、浜乃木町、袖師が浦、鹿島町の原発(これはしっかり三年前に夫に連れられ資料館も見物)いやいやこのたびは松江市の輪郭とその中の町やお寺や山や・・・・、町は中原町、西川津町、雑賀町、・・・。お寺は龍昌寺、洞光寺、大雄寺、月照寺、・・・。山は嵩山、・・・。と散策しながら詩の鑑賞。
 たしかに《時にはまた、晴天の続く季節になると、お豊は子供を負ぶって、嵩山に登ることもあった。こうした行楽を子供はとても喜んだ。・・・・・お豊と子供がこうしてお詣りを済ませて帰途につくと、決まってまだ家にたどり着かない中に夕闇が垂れ込めてしまうのであった。・・・すべて幸せなときであった。》と、「阿弥陀寺の比丘尼」をハーンの会で丁寧に読んだのに、まるで知らない時と場所の話として夢うつつに読んでいたのでした。 じつはわれらが広島市安佐北区にも521mの「だけやま」と呼ばれる山があり、暮れの12月5日に私もそのやまに登ったのでした。字は「岳山」と書きますが、山頂にはかっては、「嶽山」と明記されていたことが説明版に記されてありました。この山は、地元に愛好会のようなものがあって、途中の千年杉とともにとても愛されていることが伝わってきて親しむことのできる山でした。でも、そのときも残念ながら「阿弥陀寺の比丘尼」を思い出すことがなかったのです。もちろんハーンは英語圏の人々に向けて書いたのですから、それでもよいのですが、やはり、いつの日か松江の嵩山にゆっくり時間をかけて登ってみようと思いました。何だかいまから胸がわくわくしてきます。
 そして、神々の物語だけでなく、近代化の醜い側面を憂う「宍道湖の夕日」と、「美保関―神話と軍艦」とその注釈を読んで、ハーンや田村のり子氏の、原発や、軍艦への思いが伝わって感激いたしました。
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続 『ラフカディオ・ハーン再考 100年後の熊本から』 2
2016/01/13(Wed)
   2、ハーンと浦島                   西 成彦
 ここでは『日本の面影』のなかの、「夏の日の夢」についての再考がなされています。いままでにも、この作品についての解説を読んだことがあるように思いますが、この再考を読むことによって、ハーンのほかの作品「塵」や、『神国日本』や、『極東の将来』などにも通じる思いがこめられていることにきづかされるようになり、「夏の日の夢」が、いままでとは違った作品に思えるようになりました。
 それは文末の、《こうして見ると「夏の日の夢」とは文明批判家ハーンが試みた西洋世紀末芸術の総決算のような作品であったことがわかる。そして、それは文明の極北に到達した西洋の読者ばかりか、その極をめざして歴史的生存競争の中で悪あがきをはじめた明治日本の読者にとっても、ひとごとではすまされない警告を含んだ文明論的エッセイでもあったのである。》へとつづく著者の深い再考によるものです。
 わたしは、 「夏の日の夢」を、以前読んだときは、ずいぶん情緒的に読んでいたことを思い起こしています。しかし、この再考を読んだあとに読み返してみますと、書き出しから、《その宿屋は私にはまるで極楽のようであったし、またそこの女中たちは天女のように思われた。それというのが、ちょうどその時わたしは、ある開港場にある「近代的に改善された設備」をすべて備えているというヨーロッパ風なホテルでのんびり過ごそうとしたのだが、そこに居たたまれずに逃げだして来たばかりのところだったからである。》(田代三千稔訳)とあり、西洋を真似たホテルを逃げ出し、日本に古くからある宿屋で、極楽をあじわっていると、すでに、西成彦氏の再考の文末を示唆していることに気づかされます。
田代三千稔氏の梗概では《1893年(明治26年)7月、長崎に行った帰りに三角港から熊本へ引き返したときの、現実と空想が交錯した異色ある紀行。浦島屋というのは、朝三角に着いて朝食をとった宿屋の名で、それがこの一文に、うるわしい日本の伝統と空想とを導きいれる因となったものである。》と述べられています。
 「夏の日の夢」は、痛烈な文明批評ともとれる作品でありながら、情緒的な印象が残ります。それは、この近代文明の発達した西洋の時間の流れと、ハーンが来日して出会った明治半ばまでの、おとぎの国のような東洋の端の小さな国日本の時間の流れ、西洋と日本という異なった歴史を歩んできた二つの文明圏の対比を、浦島における地上での時間の流れと竜宮における時間の流れとの対比において理解されていくその過程の詩情にあふれた文体に引き込まれてしまうからでしょうか。
偶然にも、先日の第185回「広島ラフカディオ・ハーンの会」で、教わった、高成玲子氏の「ラフカディオ・ハーンと日本美術」にも引かれていた、フランスの歴史家ヒュステル・ド・クーランジュの『古代都市』との関係もこの再考でも抑えられていて、このなかに描かれる「ギリシャ」について現実に即して理解したのは、この日本の祖先崇拝のありようをまのあたりにしてのことであることも明記されていました。
 この「夏の日の夢」にはもうひとつ「浦島」とは逆の内容とおもえる「若返りの水」の再話も挿入されています。これは、元の姿には戻りにくいということをとおして、急速に近代化をすすめ、西洋の二の舞になることへの教訓でもあることをも知ることができました。


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第185回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2016/01/10(Sun)
 出かけるまえに、訪問客があって少しあわてましたが、早めに出かけることができました。
道路の脇を流れる太田川の川面が暖冬の陽気にキラキラと輝いています。3日前に訪ねたKさんが、自分の所属する短歌の同人誌『真樹』1月号に掲載されたご自分の短歌を見せてくださいました。わたしには作ろうとしないから作れないだけだとおっしゃり、このキラキラが詠めたらなーとさかんに思いながらの運転でした。
会がはじまって、新年の抱負を全員述べるようにとのことで、三島さんが、いままでシャワーのように学習してきたことをまとめようと思うとのべられ、ほかにも、おなじようなことを思っているとの挨拶もありました。これはおおいに私も同感でした。しかし、よく考えてみると、私は少し違うような気がしてきました。読むと、なにかに帰結してしまうのです。広がってゆくべきなのに、帰結する(それをいつまで覚えていられるかはおおいに怪しくもありますが)。
帰結するという言葉がふさわしいかどうかはわかりませんが、私にとっては、古今東西知らないことばかりです。それが、なにかを読むことによって、その三次元のある部分にそれが位置づけられるのです。とてつもない勘違いをして位置づけているものに気づくことがあり、修正されることもあります。そのような作業がラフカディオ・ハーンの読み物でも、なされているといえます。新参者だから情報量が非常に少ないからでしょうか。ただ、これを埋められないような読み物に関心が薄れていることに最近気がつきました。今読んでいる本がそうです。白水社刊、キャロリータ・エリアシェフ、ナタリー・エニック共著、夏目幸子訳『だから母と娘はむずかしい』です。小さな活字で450ページ以上あるこの本がよく売れているというのですが、読めば読むほどわけがわからないのです。心理学や社会学に興味がないわけでもないのですが、あらゆるケースが想定されあらゆる問題が発生しそうです。ほんとにこれをまとめるとなると大変です。どのような物差しで読めばいいのでしょうか。許容範囲の狭さに自問自答します。三島さんのまとめるという作業の内容がどのようなものか教えていただければ、おのずと答えがわかるかも知れません。
 おわりころに、高成玲子氏による「ラフカディオ・ハーンと日本美術―その2」という論文についてのお話がありました。
 この論文では、《『日本―一つの試論』が、フェステル・ド・クラージュの『古代都市』をモデルとしてかかれたように、ハーンの美術論はヴィンケルマンの『古代美術史』をモデルとしていたといえるのではないか、と考えている。》と結論が述べられていることを確認しました。
 今このブログ゙記事を書くために、この論文を読み返しているのですが、ラフカディオ・ハーンは、モデルとしたというよりは、日本に、あるいは日本美術にふれて、フェステル・ド・クラージュの『古代都市』、あるいはヴィンケルマンの『古代美術史』をより深いところで理解したと考えるほうが適切ではないかと思えてきました。正月二日、広島県立美術館で、葛飾北斎「富岳三十六景」浮世絵展を鑑賞しました。富士山の稜線に並行する線を相似的に首尾よく配置した画など見せ付けられると、この私でさえ「画の六法」の何たるかを理解しそうです。ついでに言えば、午後ロビーで演奏会の催しがあり、ピアノとバイオリンとフルートとで、『春の海』の演奏がありました。昭和43年頃だったと思いますが、私は人間国宝だった島原帆山の尺八と琴の演奏を聞き、大変感動したことがありましので、この洋楽での演奏がなんだかとてもつまらないものに聞こえてしまいました。まだ耳がよく聞こえた頃のことだったということでは到底説明がつきそうもありません。
 そのようなことを感じることのできる、風呂先生の強烈な印象ののこる新春の濃厚な講義でした。
 
 
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