『すみよし』6月
2016/06/17(Fri)
 風呂先生が寄稿されている『すみよし』6月をよみました。
 風呂先生の寄稿文は「求めるべきものは、成長より幸せ!」とタイトルが付けられています。ハーンの講演記録『極東の将来』、兼好の『徒然草』題8段、ウルグアイの前大統領ホセ・ムヒカ(世界でいちばん貧しい大統領)の絵本からの抜粋を元に、コストのかかる文明・文化や生活、経済の成長、に警鐘をならし、これらを追い求めることの愚かさについて語られてありました。
 『極東の将来』については、熊本大学小泉八雲研究会・編『ラフカディオ・ハーン再考』の付録に収録されているのを読んでいて、感動したのを覚えていましたが、これを機会に再度読み返しました。ハーンは、講演の最後に、地元熊本の「熊本スピリット」である、生活する中で単純、善良、素朴なものを愛し、不必要な贅沢と浪費を憎む心。その古くから美徳だった生活様式の素朴さと生活の誠実さを守ることが、日本の偉大な将来にかかっていると結ばれています。
 このたび熊本で甚大な災害がありました。先日のハーンの会で、一足早く出席された田中先生が、直前熊本に行かれた様子について、熊本の人たちは、この災害での復興を、新しく作り変えるチャンスだととらえておられ、その災害にめげず積極的な思考に感動されたことを話してくださいました。
 災害の多い日本にあって、ひごろの「熊本スピリット」が復興に立ち向かう精神にも繋がっていることを改めて感じました。
 そして、価値あるものを価値あるところにと、ハーンの長男一雄誕生のとき、秋月胤永(かずひさ)が祝いに送った自筆の掛け軸をお持ちだった風呂先生は、それを翌日6月12日、熊本に寄贈する為に持参された風呂先生の粋な計らいにも感激しました。

 『すみよし』では、宮司 森脇宗彦氏の『「正直」考』を読みました。これもありがたいお話でした。神代の時代から、神が、正直であることを最大の徳目としていることが伝わってきます。締めくくりに、《6月は大祓の月である。多くの企業も今年も大祓をしてほしい。そして会社にたまった垢を取り除いてもらいたいものだ。個人も同様に心身の大祓いをしてほしい。きっとその先には明るい神の光が射してくるであろう。》あり、神社の役割で人心一新に一役買う決意です。
 この『すみよし』を読ませていただくようになって、住吉神社について、夫から「住吉は海難から守ってくれる神社」くらいな簡単な説明を聞いていましたが、先日『天平の甍』を読んでいて、733年に渡唐の遣唐使船でのこと、《この暴風雨のあとは、船中はひたすら神仏への祈りに明け暮れた。住吉神社や、観音への祈願が行われた。》とある部分に触れ、このような時代に身近に祈祷などがされていたことに半分さもありなんと思って印象に残っていました。
 このたび、夫が定期購読していた週刊『日本の神社』22の 『古より難波を守護する住吉神社の総本山 住吉大社』を開いてみました。70cm×30cmのCG鳥瞰図があり住吉大社の偉大なたたずまいに圧倒されます。ずっと開いていくと、「聖地のミステリー神功皇后をめぐる神と人応神天皇誕生の裏に隠された古代史最大の謎・・・」とあります。今晩はこれを読みながら眠りに就きます。
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第190回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2016/06/15(Wed)
 午前中はいつもどおり福王寺参道を駐車場まで登って、早めに昼食を済ませて参加しました。
 黒板には、いつもにもまして、参加者からの報告内容や、その報告書の書類などが列記してありました。
 今回の記録は、まず、その多項目の版書の記録をしてみたいと思います。
 1、Believe me if ・・・(会のはじめに全員で合唱します)
 2、開会のことば(堀江さん)
 3、ニュースなどの説明
 4、休憩(10分)
 5、「日本美術の顔」まとめ
 6、「極東の将来」その①
 7、その他 ア)寺下氏「オバマ演説」について
        イ)次回桑本仁子さんのお話(60分)
        ウ)熊本旧居への寄贈掛軸西川先生
 8、閉会のことば(五十嵐先生)
a資料
  1、ニュース 2、すみよし  3、会報 4、ピッコロ2枚  5、極東の将来  6、関連新聞書評  7、朝日新聞5/30
bニュース
  1、井野口さん12/3  2、熊本より6/12総会  3、200回4/8or4/8
c発表・報告
  1、三島「松江発見」総会  2、田中 熊本訪問 ハーンの教育  3、古川 ピッコロシアター  4、浮田 明治村探訪記     5、横山 山口蚊象など
 会が終わって、家にたどり着いたら、6時をまわっていました。
五十嵐先生の閉会のことばに、風呂先生の出番がないくらい報告があったと言われましたが、風呂先生以外の熱心な報告が難聴の為聞こえなかったのが、とても残念でした。
 横山氏の「山口蚊象などについて」の長時間の報告だけは、あとで風呂先生に報告の趣旨をたずねさせていただくと、「松江の旧八雲記念館はゲーテ記念館を模したものではないということです」という話でした。説明の為の資料を見ながら、雨漏りのために立て替えたというところで、むかし、国泰寺の建設会館に勤務をしていた頃、たまたま大雨の降る日、スーパーゼネコンの営業の方が、雨降りの日は雨漏りの電話が殺到して・・・。といわれていたことを思い出し、現今ならば、最新のシールができて手当てできるのではないかと感じ、内田融氏の山口蚊象氏の無反応へのコメントについては、設計者は、施主の希望に沿って設計しているので、のち、その建物についての社会の受け止めに異議を唱えるようなことはないのではないかとも思いました。
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『生誕100年 靉光展』
2016/06/09(Thu)
 『生誕100年 靉光展』を読みました。
 お隣の奥様が、やはり2007年の記念行事に向けて作成したNHK「日曜美術館」のDVDと一緒にお貸しくださいました。
 この本は、2007年、靉光生誕100年を記念して、東京国立近代美術館・宮城県美術館・広島県立美術館が、「生誕100年 靉光展」を開催するにあたり作成したものです。
 この制作にあたられた方々は、さきに読んだ『画集 靉光』・『『AI MITSU 靉光と交友の画家たち』など、既存の靉光にかんする書籍などをふまえて、このたびの展覧会の意義を、
《生誕100年となる今年は、また彼の没後61年目でもあるのだが、この61年間その時々に、靉光がどのように論じられてきたかを検討することは、そのまま画家と社会との関係についての戦後思想史となり興味深い。・・・「戦時下でも自己表現を貫いた抵抗の画家」「戦争で命を奪われた悲劇の画家」・・・「異端の画家」「日本のシュルレアリズムの代表」・・・だが一方でそうしたキャッチフレーズは、彼を伝説化し、それ以上に踏み込んだ客観的・実証的な研究を困難にする。一種の先入観を形作ってきてしまったともいえる。実証的なイメージの影響関係や技法上の独自性をめぐる研究は、比較的近年になってから、ようやく本格化してきたといってよい。そして生誕100年の今日、私たちは靉光の作品を、どのように受け止めるべきだろう。その魅力の秘密に、その謎に、今回の展覧会は少しでも迫ることができるだろうか。》と、改めて設定しておられます。
 この想いで、絵画も、以前の2冊のように、額におさめられた写真ではなく、画面いっぱいに絵の一部分を拡大してあったりします。これについては、以前の2冊で全体を見ながら近づいてみるという見方ができたらいいと、前の2冊を返さないで、見比べたかったという思いがいたしました。
 それにこたえて、『花園』の絵は、大きさをそれぞれ変えて、三枚の写真があり、「蝶」の拡大写真は見ごたえがあります。
これらの絵に見入って、山に登るとそれを見た私も山の見え方が違ってくるようになります。絵の意味がわからないように、実は、私が見ている山の樹木や草花も、鳥や昆虫、カエルやミミズなども、まったく私の生活にはなんら関わりもなく、その生息している意味も分からないのです。昨日、今日は、静謐で美しいバイカウツギの花や、テイカカズラの風車のような花や玉椿の小さな白い花がアスファルトの上にあちこちと散り落ちているかと思えば、3・4日前あたりにはノイバラやガクウツギ、ネジキの花が道いっぱいに散っていたりするのですが、これらの山の木々の日々の移り変わりが、私に何のかかわりがあるとも思えないのです。そのかかわりのないものが、生きて緑をましながら日々変化していくさまに、心惹かれるのです。
 靉光の生家の姪っ子だという隣の奥さんが、「私は昭和13年生まれで、小学校へ上がるか上がらないかの頃、叔父さんが時々うちに帰ってきたのを覚えとるんよ。」といわれた言葉。遠く中国から妻にあてた手紙に、壬生に寄ってから帰りますと書かれているのを読んだときふと我に返りました。
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栴檀(センダン)
2016/06/02(Thu)
 仕事への途中とおくに、ぼやっと薄むらさき色の花をつけた背の高い木が、3、4本みえます。
 きになって福王寺への裏山散歩のとき、水野さんご夫婦にたずねてみました。「さーて、なんじゃろう。」いつもはすぐに調べてくださる水野さんですが、何のコメントもなく数日が過ぎていきました。ところが、今朝、他の木について調べていて、ぐうぜんその木が栴檀であるということが分かりました。
 センダンの説明にこのような興味深い記述がありました。
 《こぼれ話 「獄門台」明治36年刊行の「大日本有用樹木効用編」に「この材は古来罪人を梟首するに用いし故にこの材を用ゆることを嫌う人多し。罪人の首をこの木に掛けし事は源平盛衰記などにあり」としている。斬首処刑された首を晒す、いわゆる獄門台の材として用いられたそうである。そこからセンダンを庭に植えるのを嫌う人もいるという。
なぜそのような習慣がうまれたかについては、南方熊楠が新聞に連載した「紀州田辺の生物」という随筆のなかで説明している。 「日本では梟首に使われて悪木とされるが、インドではこの木に邪気を払う力があると信じられている。この俗信が中国を経て日本に伝わり獄門台に使われ始めたのだ」という。
 センダンの樹皮は駆虫薬としても使われることもあるので、晒された生首にたかる虫を追い払う効用もあったのかもしれない。ただ元々は南方の木であり、江戸時代以前に京、大阪や江戸で大きな材が採れたのか疑問に思う。右の絵は「徳川幕府刑事図譜」にある獄門の図。首の置いてある台が獄門台で、大きさやその作り方が決まっていたようだ。徳川幕府刑事図譜は明治26年に刊行された本で、徳川時代の刑政を批判するために作られた。同図譜はカラー版もあるが生々しい。本絵図は白黒絵となっている。さらし場には斬首の前の引き回しの時に使用された道具や捨札、幟(のぼり)が立てられている。》(写真は省略)いずれ、水野さんにもお話しようと思います。
 ところで、私が水野さんに、4月初めの頃、貯めていたかまぼこ板とヒートンや針金をお渡ししておいたら、以後、福王寺参道の樹木に名札がつけられるようになりました。もちろん20枚くらいのかまぼこ板では足りるはずもなく、今ではラミネーターで作った名札もずいぶん増えてきました。私の思いに応えるべくラミネーターまで買われたのかとたずねてみたら、池田さんが自宅にあるラミネーターを、一時的に水野さんに預けられて、それで作られているとのことでした。池田さんはラミネーターフィルムの費用を援助していただくよう役所に掛け合ってくださったのだそうです。
 水野さんは、私の肩をたたいて、「あなたのあのかまぼこ板のせいで、大変なことになったよ」とおっしゃいました。
 もちろん、樹に取り付ける作業は大変です。そばにいる人は誰であれ手伝います。名前には間違いがあってはいけないと、水野さんはとことん調べ、正確な名札が一枚づつ増えていきます。
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