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『ふるさと賛歌』
2017/11/10(Fri)
 加川イツ子著 『ふるさと賛歌』を読みました。
 広島県安芸郡船越町、著者の加川さんはこの地で昭和4年に生を受けて、40歳までをそこで過ごされました。
 その40年のあと、可部で40年を過ごされ、80歳になられて、遠く船越町を偲んで書かれたのがこの冊子です。
 この本は加川さんの執筆・製本です。
 世界にたった一冊の本です

 加川さんからお借りしたとき、なにか加川さんのプライベートな部分に触れるような遠慮も少しありました。
 読み終わってみると、そんなことを感じるどころか、つい最近読んだ『銀の匙』を思い起こします。
 中勘助の『銀の匙』の原稿を読んで夏目漱石が絶賛したといいますが、私は、加川さんのこの素人抜けした作品に絶賛を贈りたいと思いました。
 ふるさとのこの町の所在地とそれゆえにたどってきた歴史、地形、景観、たたずまい、人々の暮らし、その中にあっての昭和4年生まれの加川さんの子どもの頃の生活がいきいきと活写されていることに、読みごたえを感じました。

 考えてみれば、著者は短歌でも、創作・研究結社「真樹社」の広島市北部の結社の選者をされている方でもあり、「内面客観」の追求に於いては長年の研さんを積まれた方でもあるのです。
 私にも書くようにと勧めてくださったのですが、とても書けませんと即答。原因はこの「内面客観」による文章の書き方というものがわからないからだと今気がついています。

 そして、この冊子作りなのですが、ハーンを知る前だとさほど興味を持たなかったかもしれませんが、彼の縮緬本を作ったといったものに心境的に近いのではないかということを思っています。以前大学に入学したころ、それを祝って多くの書籍を下さった広島文化科学館を作って初代の館長になられた滝口先生から、『凡无鴣』という約縦10センチ、横7センチの冊子をいただいたことがあります。これは仲間と200部作って、手書きで何冊目と書き込んで上から小さな印が押してあります。

 自分で作品を書いて、本に仕立てる。
 古文書の解読書の冊子作りももしかして著者の発案でしょうか!!!
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第207回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2017/11/06(Mon)
 11月4日、参加の日。
 朝からとにかく疲れていたのだと思います。 帰って寝込んでしまいました。
 今日はハーンの会があるから、という思いだけで、疲れを感じる間もないまま、できるだけの家事をし、その間、相談事をもってくる自治会の役員さんの相手もして、そのあとあわてて“可部公民館まつり”の古文書の展示を見せていただきに行きました。
 展示室では、待っていてくださった会長の辻村さんとお話をさせていただきました。
 帰りエレベータで出合ったMさんが偶然古文書の会員で、10数年勉強されたという人でした。この方から、文教の学長だったこともあった横山先生が亡くなられたことを聞いて、教えを乞いたい師がまた一人・・・。ととてもさみしい気持ちでした。

 昼食はいい加減に済ませて、とにかくリポビタンDを飲んで出席しました。
 風呂先生のⅠからⅨまで「ある保守主義者」では、
 1、 福井藩の武士の子として生まれ、そこで受けた躾・教育の影響
 2、 黒船来航による幕府の混乱
 3、 お雇い外国人教師を密かに観察する子どもたちの結論
   ① 首をうちおとせる
   ② 腕は強いが腰が弱い
   ③ しかし、鉄砲・大砲を持っていて訓練されている
       しかし、自分たちも取り入れて訓練すれば怖がることはない
   ④ 寒がり屋
 4、 明治維新。新約聖書を読む
 5、 キリスト教徒に回心
 6、 キリスト教を捨てて西洋へ出発
 と、ある保守主義者の要約してくださり、ハーンの出版した英文での作品にはⅥが抜けていると説明されています。もちろん日本文でも抜けているのですが、ナンバーは順になっていました。
 この抜けている部分が、彼が敬愛していた伝道師とともに新潟へ2年間くらい布教に行っていた時期のことが内容になっているのではないかと説明してくださいます。
 ここでの、布教の会場を占めていた者はほとんどが仏教の僧侶であり、そうとうな反発をうけたことを話してくださいました。なるほど、これは英文で西欧の人びとに読ませられるようなものではなかったのではという感想を持ちます。
 それだけに、よりいっそう読みたかったというのが感想でした。
 江戸時代の古文書で、武具奉行の解説では「鉄砲」は「鉄炮」となっています。日本のみならず、「鉄炮」から「鉄砲」への歴史も興味を持ったことでした。


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『銀の匙』
2017/11/05(Sun)
 中寛助著『銀の匙』を読みました。
 インターネットの図書館の青空文庫で読ませていただきました。
 昨日、11月4日、第207回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加して、『銀の匙』にまつわるエピソードを聞いて、どうしても読んでみたいと思いさっそく読みました。
 焼津の文学ツアーに来た人が、ハーンともう一人『銀の匙』の著者中寛助のミュージアムも見に行ったことが書かれてあったことから、風呂先生が3年間『銀の匙』それだけを中学校の教材に使った灘中学校の国語教諭の橋本武の功績について話されました。
 ところで、この『銀の匙』は、前篇と後編からなり、前篇は自分が生まれたときのことから、叔母に背負われてばかりいた幼少の時代、そして小学生のころの思い出がつづられ、後半はそれから青年になるまでの心情がつづられていています。
 書いてある内容は、読み方によっては他愛のないものなのですが、一時代の風俗のなかで育っていく子供の育ちを通して、その時代を知っていくことができます。用いられている漢字は、当用漢字以外の漢字を使用した本を読まなくなって久しい私たち世代にとって、大変読みづらく難しいものです。あてずっぽうに読んでいきましたが、その時代をしっかり掌握できるためには、そこに使われている漢字を丁寧に読み取っていき、また、一つ一つの物や事柄を丁寧に知っていくことではじめて書かれていることが理解できるでしょう。
 この話で3年間授業をされた、灘中学校の国語教諭の橋本武先生について考えました。
 文中、兄に行きたくもないのに魚釣りのお供をさせられていたころの話に、
 ≪「なにをぐづぐづしてる」といふ。
はつと気がついて
 「お星様をみてたんです」といふのをききもせず
 「ばか。星つていへ」と怒鳴りつける。
 あはれな人よ。
 なにかの縁あつて地獄の道づれとなつたこの人を 兄さん と呼ぶやうに、子供の憧憬が空をめぐる冷たい石を お星さん と呼ぶのがそんなに悪いことであつたらうか。≫
 という部分がありますが、自分が先生と呼ばれて、それだけのことを子どもと一緒に勉強しただろうかと思ったとき、・・。また、
 ≪蚕が老いて繭になり、繭がほどけて蝶になり、蝶が卵をうむのをみて私の智識は完成した。それはまことに不可思議の謎の環であった。私は常にかやうな子供らしい驚嘆をもって自分の周囲を眺めたいと思ふ。≫
 というような文面がその先生の心境を映しているように感じられもしました。
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