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『三業惑乱』解読作業日記
2018/04/27(Fri)
 古文書を昨年4月から加川さんに教わり始めて、以後その楽しさにすっかり夢中になり過ぎ、体調を崩してしまいました。
 そのため、1・2月は加川さんと、二人でお茶を飲んでいました。
 2月末、加川さんが見たことのない古文書を持ち出してこられました。そろそろまた始めようといざなってくださっています。
 古文書を借りて帰って、ばらしてコピーして、とじて、さっそく3月6日に教わりに行きました。以後加川さんが安佐北市民病院に入院され、15日くらいして遠い鉄道病院に転院されてしまいました。
 結局1回だけの読み合わせになってしまいました。
 鉄道病院に見舞ったときは、加川さんには、解読した文字を書き込んで出来た原稿用紙の冊子を見ていただき、進展状況を話しました。毎日、山にも登らず解読作業を続けました。何と言っても、私にとっては大変な作業でした。
 書いたものを4度くらい読み返して、読めなかった文字を考え直して気づいて書き込んだり、間違いを直したりします。
 最後まで読めないで空白になっているところや、誤読の訂正は加川さんが元気になっての退院を待たねばなりません。
 もう一つ、水野さんと4月14日に見学に行った公民館の古文書の会でも、偶然『三業惑乱』をされていたことも話しました。私のとは違う手で書かれた『三業惑乱』の古文書です。このように、多くの人がそれぞれに書き写した『三業惑乱』があることがわかります。
 公民館では、8ページと、9ページのコピーが参加者に配布され、9ページの中ごろまでを、一文字づつ説明してくださり、帰る前には1~16ページまでをコピーしてくださいました。
 それを家に持ち帰って、解読したのを書き込み、その原稿用紙も綴じておいたのを見ていただきました。
 その日は古文書に関係のない人たち3人で見舞いに行った日だったこともあり、勿論、冊子を見ていただくだけにします。
 それでも「よく頑張ったね」とほめていただきたくて持参したのでした。加川さんは、ゆっくりと「よく頑張ったね」と、ほめてくださいました。それだけで大満足です。「今、パソコンに是と同じものを打ち込んでいます。それを読みやすくしたものをその下に打ち込むつもりです。」とも話させていただきました。

 バンザーイ!!!  そして今日、その打ちこみを終えることができました。

 そのあと、古文書解読まんまの文章を40ページまで読み返しました。けっこう打ち込み間違いや、さらに読み間違いや、変換間違いがあることがわかりました。明日から108ページの終わりまでまた頑張るつもりです。


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第212回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/04/09(Mon)
 4月7日、風呂先生がお亡くなりになって、だんだんとその悲しみが深まっていく中で、それでも、この寂しさを分かり合える会員の方たちに会え、そして、風呂先生の奥様に会えると思っての、第212回「広島ラフカディオ・ハーンの会」への参加になりました。
 最初に、先生ご存命の時から、必ず会の初めに歌った”Believe me If ”を歌いました。
 貝嶋先生が、日程の説明を含めた挨拶をしてくださり、さらに、ゲストとしておいでくださり私たち会員ともおなじみになっている井野口慧子さんの紹介がありました。
 そして、風呂先生の奥様をお招きして、奥様からお話をいただきました。
 ハーン研究の書籍に囲まれて、一人残された奥様が愛しく思われて涙が出そうでした。
 あと、参加者一人一人が亡き風呂先生への思いを伝えて、風呂先生を偲びました。それぞれに先生とのかかわりを大切にしている思いが伝わってきて先生のご遺徳がしのばれます。
 つづいて、風呂先生の奥様を囲んでの記念の撮影がありました。私がこの会に初めて参加させていただいた165回のハーンの会以後、懇親会場以外での写真撮影はありませんでしたが、昨年秋とこの度、比治山大学の校内で貝嶋先生が撮影してくださり、大変記念になりました。風呂先生を囲んでの写真と、風呂先生の奥様を囲んでの写真とになり、この会が風呂先生を失うという大きな節目に、会員の方々が、皆さん風呂先生の灯されたハーン顕彰の火を、絶やすまいとする熱い決意の記念になりました。

 そのあと、伊藤先生の、「宮沢賢治とラフカディオ・ハーン」と題しての発表がありました。
 長年大学で、宮沢賢治について研究されてきた方だけに、まず第一歩の発表に、宮沢賢治とラフカディオ・ハーンについて調べてみようとされる、先生のとても真摯な姿勢をうかがい知ることができました。
 この世に生を受けて、誰しも「雨にも負けず風にも負けず、夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持・・・・」って生きていきたいと願うその率直な気持ち、その言葉から、文学への、あるいは生きていくことへのなにがしかの努力が始まった。そんな思いを持つのは、私一人ではないはずで、浄土真宗などの他力本願的な仏教とはまた一味違った、仏教者として信じるだけには収まらず、信仰を通じて、苦しく悲惨な生活のなかにも、なにか喜びや、夢を見ることのできるそんなものを見つめた宮沢賢治に出合わせていただける今後の研究発表にもおおいに、期待ができそうな感じがする発表でした。
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