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『石仏 くまもとハーン通信 №25』熊本地震復興記念号 3
2018/05/30(Wed)
 記録が、最後になってしまいましたが、この冊子では、最初に一昨年の地震災害に負けず、復興に心を注がれていることが伝わってきました。
 ハーンが熊本の人びとに感じていた熊本スピリッツ。その忍耐強い精神に支えられての復興への道のりを歩んでおられるご苦労に敬意を感じます。
 地震の後、11月に震災の傷跡もまだ生々しいなかを、夫婦で10日間九州をめぐる旅をしました。
 小泉八雲旧居では、館長さんには、忙しくしておられるにもかかわらず、丁寧な説明をいただきました。その復旧が、この冊子では「後は南東のトイレの一部を残すのみ。」とあるのにほっとさせていただきました。

  「甦った石仏~熊本の再生と祈りのコスモロジー~」では、熊本の再生と祈りのコスモロジーという付加価値として創造的復興を願う事業の盛況も伝えられていることには、熊本の力強さを感じてうれしくなりました。

 小泉凡氏の寄稿文では、昨年暮れ頃松江に、新作狂言「ちんちん小袴」の公演を夫婦で見に行ったことを懐かしく思い出しました。

 「随想」のなかでの、松下純一郎氏の「かそけき音を聞く」では、重度の難聴の私もそっと耳を澄ますつもりで読ませていただきました。
 一昨年どうしても九州旅行をと思い立ったのには一つには、石牟礼道子の作品に出合ったからでした。物言えぬ人の心を掬い取っての作品に深く心揺さぶられたからです。ここでも八雲の「門つけ」の作品が最初に取り上げられています。ハーンの弱き者のかそけき声に耳をすます生き方がしのばれます。

 大友清子氏の「三角道によせて」でも、旅のことを思い出します。明治に創られた港湾施設などの美しさと、ハーンが訪れたときの旱魃のことをです。雨乞いの太鼓の音が聞こえてくるような気がしながら車を走らせました。
 この作品では、清少納言の父親についての記事がありました。清少納言の父親が赴任した土地だと知っていたらまた思いが少し深まっていたかもしれないと読ませていただきました。

 この~ハーン通信編集余話~「熊本地震と八雲の石仏」を書かれた菅 慶司氏の記事。ハーンが愛した石仏を大切に思い、冊子のタイトルにされ、表紙を飾る絵にまでされていて、そんな心のシンボルとなるものがあるということを、うらやましく読ませていただきました。石仏に寄せる思いが復興への慰みにもなったことを思うと表紙の石仏につい手を合わさせていただきながら読ませていただきました。

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『石仏 くまもとハーン通信 №25』熊本地震復興記念号 2
2018/05/22(Tue)
 向井ゆき子氏の、熊本地震が齎したもの「合志義塾塾生ノート」―父の面影―は、みじかい随想ですが、感動しました。

 1つには、びっくりするほどひどい震度7の地震災害を受けて、その災害によってお父様の子どもの頃のノートと大人になって夜学で教えられていたころの講義ノートが見つかったこと。
 2つには、そのノートが明治39年のノートであったこと。
 3つにはそのノートは、現在の熊本県合志市黒松に明治25年に教育の機会に恵まれない農村の子どもたちのために創設された私塾で学んだ時のノートであったこと。
 4つには、1年3か月かけて自身でそのノートの校訂・解読作業をされたこと。
 5つには、これの歴史的、教育学的、価値を見出してくださる先生に出合われたことで、それを世に送り出されたこと。

 どれをとっても何一つ 欠けてはいけない感動の数々ですが、この校訂・解読作業を通じて、「私は天国の父から授業を受けたのである」と述べられていることで、災害の景色の中で打ちひしがれた心に、お父様から照らされた光がどんなに心に響いたかと思うと感慨深く感じました。
 明治4年に読まれた
   書きおくも片身になれや筆の跡幾年すぎても墨やくちせじ
 という和歌を思い出します。
 お父様も、よもや110年ののち、我が娘が自分の筆の跡をなどるなどとは思いもよらなかったでしょう。

 じつは、合志出身の合志さんという人と、夫の同級生が結婚して福岡に住んでおられ、数年前に夫婦で泊めていただいたことがあります。彼女は広島大学在学中に、先生の所へ就職の相談に行ったとき、広島勤務をされていた甥御さんとの結婚を勧められたことで結婚したことをその時話してくださいました。以後合志市を通るときは親戚のお庭を通っているような気持ちです。これからは文化の香りにも心を向けて通れそうで楽しみです。
 
  また、 私の高校恩師である今は亡き阿川静明先生が、『ふるさとの灯』という300ページもの本を出版されて、送ってくださったことが思い出されます。これは、明治41年に先生の村の青年たちが自主的に仏教青年会と称して夜7時30分から9時30分までの夜学校を作り、読み・書き・算術などの勉強を始めた記録を知り、解読してまとめられたものです。日清・日露と二度の戦争への兵役と納税に苦しめられ、藩閥政治には不満はあるものの二度の戦勝に藩閥体制は崩れそうもなく、見切りをつけて南米などに行く者も増えた時代のことのようです。
このたび、向井ゆき子氏の記事を読んで、改めて先生の本をめくってみました。

 私も最近古文書を読んでいて、その解読方法にいろいろ悩んでいます。ほとんど解読できない夫は、平仮名ももとの文字で原稿用紙に書く方がよいのではないかなどと、脇からいってきたりします。
先生の本の最後に村の石碑文の解読が広い版を折りたたんで4枚添付されています。ご自筆の楷書でその文字の(原文)として原文通りに書かれ、つぎに(訓点読み)として、送り仮名と返り点などがあります。最後に(現代文・常用漢字・現代仮名使い)となっていて、こんな解読のやり方もあったのかと思う反面、「いえども」などは、雖を用いず「ふるどり」のない口に虫だけの文字になっていたりします。常用漢字かどうか確認する作業も大変だということにもなります。
 向井ゆき子氏の解読にも大変なご苦労があったのではないかと、そのご苦労にも敬意を表したいと思いました

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『石仏 くまもとハーン通信 №25』熊本地震復興記念号
2018/05/21(Mon)
 久しぶりにハーンの会のバッグから資料を取り出して読み始めました。
 この冊子が最初に出てきて、おやっ?と思ってハーンの会に同伴した夫に聞いてみると自分は貰ってないと言います。もしかして、会の皆に回し読みされたものが最後の私の処で、後で読もうと思っていたのが荷物に混ざって持ち帰ってしまった可能性が・・・・。
 せっかくだから、お返しする迄にと、端から端まで読ませていただきました。
 亡くなられた風呂先生の記事「丸山學先生から学ぶことの多さ」は、コピーされたものも読んでいたので、二度目ですが、ゆっくり読んでみました。
 ハーンがキリスト教徒に抱いている疑問と、丸山學先生のそれとの近似性に言及されています。
 偶然4月に古文書の会に出席したとき、自力と他力の相違について書かれている内容について話すとき、頼まなくてもお救い下さるのだから、それを深く信じて御恩報謝の気持ちで念仏を唱えるだけでいいと説明をするとき、ついでに、キリスト教では選民という言葉がありますが、他力本願の浄土真宗ではそのようなことは言っていないのです。と言ってしまいました。
 以後、キリスト教でいう選民思想についてなんとなく考えていました。
 いったいキリスト教の選民思想という言葉を私はどういう経緯で知ったのであろうか。そうして、私自身はどの様に理解しているのだろうかとの煩悶でした。高校1年生の時、世界のベストセラーはまず読まなくてはいけないだろう。それはどうも聖書ではないかと思い、聖書を読んで、同じ下宿の3年生の人が行っておられた三次駅前のカソリックの教会に連れて行ってもらい神父様の話を聞かせていただきました。その名をアレバレスというスペイン人で日本語も堪能でさらに8か国語を話せる賢く明るい人でした。何度か連れて行っていただき、主祷文や天使祝詞などは自然に言えるようにもなっていました。引率者が卒業されると私も行かなくなりました。後年、子ども文化科学館の初代の館長をされた滝口先生がスペインへよく旅行されていて、スペインのキリスト教はマリア信仰が強いと話してくださいました。どおりでアレバレス神父様も、イエス様にお願いするには身勝手なお願いかなと思うことでも、マリア様にお願いすると、マリア様がイエス様に頼んでくださるとイエス様も否とは言えず聞き届けてくださるなどと話されたことを思い出したものでした。こんな神父様が選民思想などを話されるわけもないし・・・。やっぱり教会に偶に行っていたころ教会で借りた本でなにか読んだのだろうか・・・。
 「ある保守主義者」のモデルと言われている雨森信成とキリスト教の伝道活動を一緒にしていた植村正久は、学問のない人に布教をしてはいけないと言っていたということだが、彼にはどんな思いがあったのだろうか・・・。今の日本のキリスト教系の学校でもそのような意識があるのだろうか・・云々。

 私も丸山學先生から学ばせていただく必要が大いにありそうだと改めて感じさせられました。


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第213回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/05/19(Sat)
 5月12日土曜日、第213回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に夫婦で参加しました。
参加者は14人でした。
 先月に引き続いて貝嶋先生の「ある保守主義者」の英語原文の翻訳解説が、いよいよ本腰を入れて始まりました。
 先月や、先々月もしてくださったのですが、会員みんな、風呂先生が亡くなられての落胆と悲しさでなんとなく気持ちがとどこおりがちになっており、貝嶋先生も急な役回りで戸惑いがある中での学習会でした。
 このたび先生は、他の翻訳者と自分の翻訳の特性の違いについて話しながら解説してくださいました。
 たしかに、文学作品として、読者を楽しませる目的で翻訳する場合と、その作品を映画化して、出演者の喋る言葉を吹き替えるための翻訳文や、字幕で使うための翻訳文とはおのずと違いがあることがわかります。どれも、作者の伝えたいテーマにそって訳すにしても、改めて、翻訳にもいろいろな用途があることに気づかされます。
  翻訳者の説明付で学べるチャンスに恵まれながら、私の英語への知識のなさが悔やまれます。悔やんでも仕方がないのですが、よく考えてみると、私が今解読している古文書への私の最終的な目的は、この古文書の内容をドラマ化できたらと願っていることです。ほとんど妄想に近い願いですが、その願いの為に、昼夜を分かたず古文書の解読に熱中しています。この古文書の大方の内容は、「三業惑乱」という事件の奉行所での裁きでの尋問とその受け答えで成り立っています。
 いままでどおり、なにげない江戸時代の古文書と思ってやり始めましたが、少し読み始めて、これは小泉八雲の「ある保守主義者」のなかの保守の内容はなにかという私の疑問の一端を提示してくれるものではないかと思いながらの解読になり、さらに、「三業惑乱」記念碑があり、この古文書の一部分のコピー提供を受け、現在、解体新築中のお寺に解読文を奉納しようとの思いになり、そして、澤田藤子の公事宿のドラマのようにドラマ化するための原作書になるように会話部分を江戸時代の雰囲気を残しながら見る人にわかるように書き直せたらと、とても熱い思いを抱いているのです。
 こんなことに情熱を傾けることによって、風呂先生の亡くなられてしまった寂しさを紛らわして暮らせることでとても助かってもいる昨今ですが、このようにつらい気持ちをほかのことに向けることでやりすごす生活のやり方を、福井の近く金沢ではそのむかし「方便な人や」と云ってほめていたのだそうです。
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『三業惑乱』解読作業日記 3
2018/05/04(Fri)
 領解文の
 ≪もろもろ(諸ヽ)の雑行雑修自力の心をふり捨てて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御助けそうらえと頼み申して候。頼む一念の時、往生一定御たすけ治定と存じ、この上の称名は、御恩報謝と存じ、喜び申し候≫

 という蓮如上人の言葉から、私の後生は、摂取不捨の身に預けられていることを感謝して日を暮すことを知らされ、こういった私の命へも情愛をもっていてくださることを固く信じている証明に、私は私自身を大切に取り扱わなければいけないことを悟ることができたことを前回の作業日記で述べました。

 私自身の事はさておき、疑問が残ります。

 勝圓寺の隠居廓亮の町奉行所での弁明のなかに、「浅間敷機」ということについて述べている部分が何度かあります。

 「蒐る浅間敷機を本とたすけ玉へる不思義の誓願力なりと
深く信じて少も疑心なければ、必す弥陀は摂取し玉ふへし。
このこころこそ他力真実の信心を得るすがたとはゆふへきなりと御座候。」

 といった具合です。ここでは「機」について一応『広辞苑』で調べてメモしています。「機に依りて法を説く」とあるように、仏教の真理は一つであるが、それぞれの機会に応じて適切な説法をする、です。

 私は領解文を了解できたのですが、世の中には、これを受け入れる心境でない人がいます。
 今日そのことを深く考えさせられる本に出合いました。若松英輔の著作による、この5月にNHKで放送される100分de名著 神谷美恵子の『生きがいについて』です。神谷美恵子は、ハンセン病の人と出会ったことによって医療者として向き合い、晩年にこの『生きがいについて』を著作した人です。生きがい喪失の苦悩の中にいる人や、またその虚無と死の世界から人生および自分を眺めてみたことがあったのにそこから脱することができた人などと接して、多くの哲学や宗教、そしてそれ以外の何か大きな力といったようなものにも思いを馳せ、救われない「生きがい」というような言葉で語る処の命について考えた作品です。
 蓮如上人はむしろこのような人こそが救われてほしいと願ったに違いありません。そしてこういった人たちが救われていく言葉が、「機」なのではないかと、切に感じたのでした。
 其れの一つが、ハンセン病患者の人の一つの詩です、

  土壌  志樹逸馬

わたしは耕す
世界の足音が響くこの土を
・・・・・・・・・
原爆の死を、骸骨の冷たさを
血の滴を、幾億の人間の
人種や 国境を ここに砕いて
かなしみを腐敗させてゆく
わたしは
おろ おろと しびれた手で足もとの土を耕す
泥にまみれる いつか暗さの中にも伸ばしてくる根に
すべての母体である この土壌に
ただ 耳をかたむける。

  と、ここでは、「蒐る浅間敷機を本とたすけ玉へる不思義の誓願力なりと
深く信じて少も疑心なければ、必す弥陀は摂取し玉ふへし。
このこころこそ他力真実の信心を得るすがたとはゆふへきなりと御座候。」
でいう、深く信じて少も疑心なければということがなくても、自然の有様が治癒してくれるのではないかと思えることです。
 このことも心に押さえておくことこそが大切と思いました。


 


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『三業惑乱』解読作業日記 2
2018/05/03(Thu)
 読み直し作業をつづけています。
 意外なことですが、このたびの作業が一味違ってきました。
 これまでの作業では、三業惑乱という江戸時代の大きな事件のいきさつばかりが私の興味の対象だったことに気付きます。
 しかし、これは、浄土真宗の宗意にかかわる事件で、二つの宗意がその是非を問うての事件です。
 新義方に対して、最後に勝訴した古義方の記録なので、そちらの宗意が丁寧に説明されています。
 そのくだりを読みこんでいると、浄土真宗の、殊に、蓮如上人の教えがよくわかります。
 蓮如上人は1415年に生まれた人です。1499年84歳で亡くなるのですが、その蓮如上人の手になる改悔文(領解文)が、私が育った実家で、農閑期など毎朝仏壇の前で手を合わせて称えた御文章です。大方今でも暗唱できそうです。

 ≪もろもろ(諸ヽ)の雑行雑修自力の心をふり捨てて、
 一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、
 御助けそうらえと頼み申して候。頼む一念の時、
 往生一定御たすけ治定と存じ、この上の称名は、
 御恩報謝と存じ、喜び申し候・・・・≫

 これを、この三業惑乱の古文書では、宗意として京都町奉行所で述べるところがあります。
 とくに、ここでいう「頼む」という言葉は和語、「信じる」という言葉は漢語、両方とも「信じる」という意味であるということを強調します。
 こちらから頼むでもなく、仏のほうから、後生は必ず助けてやるとおっしゃることをしっかり信じています。ですから、それへの感謝の気持ちで称名させていただきます。とでもいうのでしょうか。私流に平たく言うと、私がこの世で生かされているということを(実際生きているのですから)感謝します。なんといって感謝していいかわからないけど、南無阿弥陀仏と教えてくださったので、いつもその言葉で感謝の気持ちを表します。そして、皆が助けられている存在なので、お互いを大切に思って助け合って、後生を感謝の気持ちで過ごします。
 言い添えるなら、これによってほかの宗教について知る必要もなく、惑わされることもないことも幸いなことです。とわかってくるのです。
 これをよくよく考えていくと、この領解文は、自分自身の出離生死の意味を知るための取扱説明書だと気づかされます。

 5月3日、今日は憲法記念日です。日本の憲法の記念の日です。私たちが日本に住んでいる日本国民である以上、知っておくべき日本国の取り扱い説明書が日本国憲法だと考えることができます。しかし、この年になると憲法どころか多少の法律も了解して暮らしています。この取扱説明書による、取扱い間違いはあまりなかったように思います。変わると罪人になる可能性もあるかもしれません。どうか変更がありませんようにと祈るばかりの一日でもありました。

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