FC2ブログ
『生物と無生物のあいだ』 
2018/09/29(Sat)
 福岡伸一著 『生物と無生物のあいだ』を読みました。
 講談社より、2007年5月第1刷発行で、定価740円+税です。

 1890年ロシアのディミトリ・イワノフスキーがウイルスを発見したといいます。
 ウイルスは、単細胞生物よりずっと小さく、これまでの病原体とは異なって、非常に整った風貌をしていたといいます。それまでの病原体や細胞一般は、ウエットで柔らかな、大まかな形はあるけれど、それぞれが微妙に異なる、脆弱な球体として捉えられるものですが、ウイルスは違っていたといいます。あるウイルスは正二十面体の如き多角立方体、あるウイルスは繭状のユニットがらせん状に積み重なった構造体、またあるものは無人火星探査機のようなメカニカルな構造で、しかも、それぞれ同じ種類のウイルスはまったく同じ形をしていて、そこには大小や個性といった偏差がないのだそうです。
 そして、ウイルスは、栄養を摂取することがなく、呼吸もせず、老廃物を排泄することもない。つまり、一切の代謝を行っていないというのです。
 しかしウイルスは自らを増やす。自己複製能力を持っているというのです。ウイルスは、単独では何もできないけれども、細胞に寄生することによってのみ複製するというのです。
 今まで、「生物とは何か」と言えば、必ず、自己複製するもののことを言っていました。けれども、こうなると、細胞に寄生することによってのみ自己複製するウイルスとはいったい生物なのか、その風貌の如く無生物なのかということになります。
 生物の生物たるゆえんの定義が間に合わなくなりそうです。このタイトルにつけられた、「生物と無生物のあいだ」というのはウイルスのことだったようです。
 ウイルスは、そのメカニカルな粒子を、宿主とする細胞の表面に付着させる。そして、その接着点から、細胞の内部に向かって自身のDNAを注入する。そのDNAには、ウイルスを構築するのに必要な情報が書き込まれているのに、宿主は何も知らずに、その外来のDNA情報を自分の一部だと勘違いしてせっせとウイルスの部材を作り出して、その複製を行うのだというのです。そうして新たに作り出されたウイルスは間もなく細胞膜を破壊して一斉に外へ飛び出すというのです。
 この福岡伸一氏の著書の中で初めてヒーローとして登場したウイルスは、ウイルスというものの、人体に及ぼす害についてではなく、生物とは何かという定義を揺るがす存在として登場してきました。
 このように、彼の著書では、生命科学の事柄が、いろんな側面で登場してきます。しかし、私の読解力では、いろいろなことが、読んでも読んでもなかなか確信が持てないのですが、総じて、分子生物学そのものが、未知の世界で、何一つ確信の持てるものがないというのが正直なことと受け止めていいのではないかと思われます。このような思いを抱けたのは、福岡伸一氏の生命科学に対する謙虚さによるところが多いのですが、このことが大切ということも学ばせていただきました。
 福岡伸一氏の著書を、著作年のふるい順に読んできたのですが、6冊目のこの本は、最初に読んだ『動的平衡』より古い本でした。彼の著書にふれるまでは、科学は日進月歩という思いでしたが、じつは、謎が謎を生んでいくという、ちょうど私の読書のように、知らないことがあるということをだんだん知っていくということに似ているということを垣間見た数日間となりました。
 

スポンサーサイト



この記事のURL | 未分類 | コメント(8) | TB(0) | ▲ top
『合志義塾 明治39年塾生のノート抄』
2018/09/26(Wed)
 監修 文学博士 中村青史 向井ゆき子編集 『合志義塾 明治39年塾生のノート抄』を読みました。
 発行者 向井敬二 2017年11月1日発行で、定価税別5000円です。

 この本は、明治39年、渡邊辰蔵氏が13歳のときに合志義塾で学ばれたときのノートを、その娘の向井ゆき子さんが、編集されたものです。発行者の向井敬二氏は、ゆき子さんの息子さんではないかと思われます。この本が入手できたのは、広島ラフカディオ・ハーンの会で、回覧された 『石仏 くまもとハーン通信 №25』 熊本地震復興記念号の、向井ゆき子さんの随筆によってこの本のことを知り、向井ゆき子さんにお願いして、送っていただいたことによるものです。
 いっしょに、2017年12月1日合志市発行の『「カタルパの樹」シンポジウム 記録報告書』と、2018年1月15日合志市発行の『「カタルパの樹」と合志義塾展 図録』も送ってくださいました。

 この本の体裁をざっと見た後、さきに、合志市発行の2冊子を隅から隅まで読ませていただきました。それによって、合志市では合志義塾のことが、2014年、協力NPO法人熊本マンガミュージアムプロジェクト、発行:合志市・合志市教育委員会で 『カタルパの樹―合志義塾ものがたり―』 というマンガで出版されたことを知りました。さらに同年、テレビ熊本がドキュメンタリードラマ 「合志義塾カタルパの樹がつなぐ明日」 を放映して、市民の意識が、合志義塾への記憶を呼び戻し、祖先に対する誇りを受け継ぐ熱意に燃えていたやさき、このノートが発見されたとあって、その喜びがこの度の震度7の激震のさなか、向井さんは勿論のこと、市民の一条の光となったことを思わずにはいられませんでした。

 ノート『歴史科』のなかに、
 ≪家康は天下一統したれば、文学を以て国を治めんと欲し、藤原粛林信勝を招き、伏見に学校を開き、和漢の古書を集め、文学の振興に尽力せり。当時学者とも云ふべき人は加藤清正・浅野長政あり。其後・・・・≫とあります。家康が、文学を以て国を治めんと欲したということが意外でしたし、当時学者というべき人に加藤清正・浅野長政の名をあげてあることも意外でした。しかし、江戸時代を考えていくと、あの戦国の世に引き続いた時代とも思えないほどに文化が花開いたことを思うと頷けてきます。また、加藤清正については、この8月に遠藤周作の『宿敵』上下を読んだばかりで、かなり記憶に新しく、イメージとしては、戦に強く、城つくりの名人ということですが、教育熱心な母親に育てられていることや、今に役立っている、領民の生活基盤を整える事業をよくしたことを考えると、それも頷けます。それにしてもこのノートから、少年にしてその業績も間近にあり、古くから敬い親しまれてきた近しい人の名を聞いて、勉学に励む気持ちをいっそう高揚させたことも想像できてきます。
歴史が、物語的に教えられている感じは、私たちへとつづく歴史として、血の通った授業が想起され、昔からの言い伝えを聞いているような懐かしい気持ちで読むことができました。

 『修身科』では、当時の状況がよく表れている第22課の大日本帝国・第23課の忠君愛国・第24課・25課の国民の務などを興味深く読みました。

 『数学』では、まず、最初の分数に整数を乗ずる法から驚きました。私たちはこのとき分子に整数を掛けますが、ここでは、一方分母を整数で割るという方法も教授されています。双方を教える方が数学に対する理解が深まることがわかります。全く意外でした。 やはり偶然、この8月に遠藤寛子著『算法少女』を読んで、合志市に近い久留米藩の算法に熱心な藩主の話を知ったばかりでしたので、むべなるかなの思いでした。

 解読部分の※や?をみると、なんとか読めないかと、獺祭のごとく辞書を何冊も広げての奮闘が始まったりして、すべて読めてはいませんが、さいごの、向井ゆき子さんの「編集を終えて」を読み、また、中村青史氏の「解題」、渡辺直哉氏の「跋文」を読み、このノートの、平成28年4月16日の熊本地震からの数奇な運命をより具体的に辿ることができ、様々の方々の協力と理解があっての、向井ゆき子さんの解読の努力のたまものであることに改めて深い感慨に涙して、合志市の重要な一級資料を向井ゆき子さんの好意によって手にすることができたことを夫婦で感謝し、喜び合いました。



この記事のURL | 未分類 | コメント(5) | TB(0) | ▲ top
『生命の科学 静かなる改革』 (2)
2018/09/25(Tue)
 ポール・ナース氏は、エルヴィン・シュレーディンガーの『生命とは何か』の著書にもとづいて講演をしたことがあるといいます。エルヴィン・シュレーディンガーは、生物学において情報の重要性を説いた最初の科学者のひとりで、その後、彼は情報をいかにしてコード化するかについて考え初め、「生命を理解するのに何が重要なのか」ということについて彼はかなり近いところまで来ていたと思いますと述べます。生命は一つの目的をもって機能しているように見える複雑なシステムです。そのシステムは、有機体の維持と複製(繁殖)のための情報管理に深くかかわっています。つまり、情報を獲得し、処理し、利用するわけです。生命について考える方法はたくさんあると思います。たとえば、生命の科学、遺伝子情報をコード化するDNA,細胞という生命の基本になる単位、自然淘汰とともに生命がどのように進化していくか、などなどいろんな角度から考えることができます。しかし、これらのすべてを結び合わせることは、情報に対してひとつの焦点を持つことであり、生命における様々なシステム内の情報を管理するということだと思いますと述べています。
 この記事を書きながら、あらためて、情報のコード化という言葉についての概念が、エルヴィン・シュレーディンガーの言っている情報のコード化というのと、遺伝子情報をコード化するDNAが同じ意味でつかわれているのかどうかと、ふと疑問に思えました。調べてみると、エルヴィン・シュレーディンガーが、『生命とは何か』を出版したのは、1944年でした。DNAが発見されたのが1953年です。少し違った意味にとらえる方が、いいのではないかと思えました。調べていて、びっくりしたのは、エルヴィン・シュレーディンガーは、物理学者で、さらにヒンズー教徒で、他の著書では、
≪「宗教は科学に対抗するものなのではなく、むしろ宗教は、これとかかわりのない科学的な研究のもたらしたものによって支持されもするものなのであります。神は時空間のどこにも見出せない。これは誠実な自然主義者の言っていることであります。」「西洋科学へは東洋思想の輸血を必要としている。」≫と述べているということでした。

 横道にそれました。元に戻ります。
ブルース・マキューアン氏は、≪生命とは何かと言えば、それは外界を認識する神経組織や身体機能以外の何かというよりも、それらを遥かに凌駕する、何かとても大きなもののことでしょう。そしてそれは、宗教的な体験に近いものだと私は思います。どんなものかはわかりませんが、それは私たちが〈神〉と呼んでいるものを具体的な何かとして認識するということではなく、少なくとも、今この瞬間に、それに気づき、幸運にもそれを感じ、生き、それをありがたいと思える感覚そのものだと思います。≫と述べたそうです。
 唯一の日本人、船引宏則氏は、1967年生まれです。「定義は難しいですが、見たらわかっちゃうというのが面白いですよね。じゃあ、生命をみて直感的に感じるのは何か?きれいに組織された、やわらかくてみずみずしいものが脈動している、という感じでしょうか。≫分からないです(笑)。でも、僕は生命の仕組みを探ることによって、その本質に触れたいと思っているのでしょうね。」でした。
 福岡氏は、この対談を通して、普通は目に触れることが少ない科学者の人生とその研究の日々に新たな角度から光を当て、血を通わせることができたように思うと述べていました。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『生命の科学 静かなる改革』 (1)
2018/09/24(Mon)
 福岡伸一著 『生命の科学 静かなる改革』を読みました。
 集英社インターナショナルより、2017年1月第1刷発行で、定価700円+税です。

 福岡伸一の著作が5冊目となりました。
 1冊目はほんとうに新しく出会う人名や彼の研究する分野の専門用語、出会ったことのないミクロの世界の話で、何が何だかわかりませんでした。2冊目から、そのような言葉にすこしなれて、ミクロの世界から見る、生命の話が少しずつ分かったつもりになってきました。この調子でいくともっと理解が進んで楽しくなってくるのではと期待しての5冊目でしたが、これはまた、ずいぶん難しい本でした。

 しかし、この本を通してある時代の、もちろん平成30年ころの、一研究者の姿は、垣間見ることができることが実感できてきます。
 何のために研究するのか。
 研究は莫大の経費を必要とします。
 そのために、研究が、世のため人のためにどのように貢献できるのか。
 という問題に並行して、出資者の要望に応えていかなければならないという課題があります。
 そういった課題が、それぞれの研究者の研究を支える、探究心とどうかかわっていくのかというところです。
 そこのところ、まず第1章の最初、「失われた矜持を取り戻すために」というところで述べています。
 ≪研究者が失われた矜持を取り戻し、純粋な探究者として再起するには、20世紀から、21世紀にかけて大展開した生命科学の道のりを今一度振り返り、この基本的命題を再確認する必要があるのではないか。そんな危機意識が本書を執筆する原動力となった。≫
 研究者の置かれた立場が、科学の進歩の度合いと、時代の状況を現わしているように思われます。
 彼は、かって自分がポスドクとして勤めたことのある、ロックフェラー大学に出かけての対談を第2章に掲げます。対談相手は、ノーベル受賞者である神経生物学者のトーステン・ウィーゼル氏、神経生理学者のポール・グリンガード氏、分子生物学者のポール・ナース氏、ほかに、神経生理学の権威であるブルース・マキューアン氏・細胞生物学者の船引宏則氏です。

 夫々の科学者に最後、物理学者のエルヴィン・シュレーディンガーの『生命とは何か』という本をもとに、「あなたにとって生命とはなんでしょう。今のあなたは、生命をどう説明するでしょうか。」という質問をします。
私は生命を、
トーステン・ウィーゼル氏は「バランスのとれた生活を送るためのコツ」といいます。

ポール・グリンガード氏は「細胞が成長し、分裂してできる有機体」あるいは、「私たちは誰なのか」に注目するのはどうでしょうともいいます。


この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
 『黒いちょう』
2018/09/21(Fri)
 文・松谷みよ子 え・遠藤てるよ 『黒いちょう』 を読みました。
 ポプラ社より、昭和50年8月第1刷 昭和59年3月第10刷 定価750円の本です。
 近くの児童館で、交通安全協会主催の交通安全教室のために出かけたとき本棚で見つけて半年くらいをめどにお借りしたものです。

 『黒いちょう』というタイトルで思い出すのは、松岡鶴治著『黒い蝶』です。というより、半世紀前にご自分の祖父が出版された手記を、復刻された桑本仁子さんです。
 彼女は大変な才女で、これの英訳も出版し、アメリカの図書館などに寄贈されたのだそうです。一昨年平成16年7月のハーンの会にお出でくださりお話を伺うことができたのです。その時の美しい桑本仁子さんを思い出すと同時に、作品の中で、おじい様が戦時中、広島市内から山陰への県境まで一台の自転車で、その後まもなく亡くなられてしまわれる被爆された娘さんと疎開地の家族のもとへ黒い蝶の舞う姿とともに歩かれた道々のことを思い出すのです。

 私は黒い蝶について調べました。そして、黒い蝶のオスの蝶道について知ることができました。そのとき、ハーンの会の先生方は、自分たちの子どもの頃は、黒い蝶が家に入ってくるのは不吉の知らせだとおうちの人たちが敬遠されていたと話してくださいました。
 この作品は、その時の先生方のお話を彷彿とさせるような作品でした。

 お月様とお日様はお仕事がちがうのでめったにであえませんでした。ときたま、お日様が西の空に沈もうとするとき、お月様が東の空に姿を現す時があります。そういうとき、お日様とお月様はなつかしそうに、いろいろの出来事を話し合われるのでした。たいていは、可愛かった子どもたちのお話のようです。
 ある日、お日様は沈む間際にお月様を待っておられました。ふるえる声で、「わたしは、きょう、はらがたってならないのです」と、お日様は真っ赤に燃え、雲のいろどりもただならぬ有様でした。「あの山を見てください。あの山に、今、ひとりの子が死んで横たわっているのです。しかし、その子の村では、まだ、そのことを知りません。それなのに、私は沈んでいかなくてはならないのです。」「なぜですなぜその子は死んだのです。」とお月様はせきこんで尋ねました。
 あの山は、村人にとって生活に必要ななくてはならない山でしたが、『立入禁止』の立札が建てられ、見知らぬ国の大勢の兵隊たちが戦争の訓練をするところになりました。その子は、きょうは演習がないと聞いて、弾丸の破片を鉄くず屋に売って、おとうさんおかあさんを喜ばせようと山に登ってきて、鉄くずを見つけては集めて喜んでいました。その時黒い蝶がひらひら飛んできたのです。あまりにの美しさに帽子を脱いで追いかけはじめ、山の深くまで誘い込まれていきました。ところが、ぴたりとやんでいた大砲がいっせいに打ち出されてその子は死んだのです。お月様は涙を流して、わたしが、「その子のそばにいてやりましょう。もし村の人たちが探しに出たら、どんな小さな道も明るく照らしましょう」と約束しました。
 ジーンと胸にしみる、そのような話でした。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『生命の逆襲』
2018/09/20(Thu)
 福岡伸一著 『生命の逆襲』を読みました。
朝日新聞出版より、20013年4月初版で、定価1400円+税です。

 週刊誌「AERA」に連載中の生物学コラムをまとめ、編集しなおした本だそうです。
 彼は、『ドリトル先生の不思議な旅』の、ドリトル先生への憧れを、先に読んだ3冊の本のなかでもたびたび話していました。その、ドリトル先生が、もし、現代に生きたとしたら、今日の私たちのあり方・考え方に対して嘆くことは間違いありません。「おお、なんたることか。人間はそんなに偉い生き物ではない。浅知恵で生命をコントロールしようたって、そんなものは結局のところ、大いなるしっぺ返しを受けることになる」というだろうと述べます。
 ≪進化の頂点に立っていると自負している人間ですが、本当はそうではありません。38億年にわたる生命の時間の中で、ヒトが現れたのは、ほんのごく最近のこと。ほとんどの生物はヒトの大先輩にあたります。そして彼らもまた進化の試練をくぐり抜けて、現在、その頂点に立っているのです。・・・人間の思惑に対して、生物たちがどんなふうに逆襲を果たすかについて、あれこれ考察してみました。逆襲とはいえ、それは攻撃や復讐ではありません。常に教訓と展望を含んだ諭であり、寛容さの表れです。私たちは、ドリトル先生のように、彼らのささやきに耳を澄ませ、そしてリスペクト(敬意)を示さなければならないのです。≫とも述べています。

 私は、読んでいるとき、メモを取る時があります。
 この本では、「P62 多田」・「P90 人の細胞60兆個 2の46乗」・「P112 オス」・「P166 ip細胞」と、メモっています。後でゆっくり調べようと思ってのメモや読後記録を書く参考にするためでしょうか。
 とりあえず、「P62 多田」のために62ページを開きます。≪・・・・多田さんは専門分野である免疫制御の研究で大きな成果を上げるとともに、一般向けの著作の執筆、能の台本の創作、美術や芸術への関心など、幅広い興味と教養の持ち主でした。・・・・≫とあります。
 さっそく、ネットで検索してみました。なんと、1971年に抑制(サプレッサー)T細胞を発見するなど、免疫学者として優れた業績を残す。(現在ではサプレッサーT細胞の存在には疑問符がつけられている)とありました。福岡伸一博士も、動的平衡の破綻に気付いたのは、20年後であったと述べており、生物の研究の困難さについて考えさせられましたが、とりあえず、生命を構成する60兆個の細胞の不思議さの解明はほとんどなされていないと何度か書かれているのが頷けます。
 「P90 人の細胞60兆個 2の46乗」のメモは、計算してみようと思ったのでした。
 「P112 オス」 これは、私から見て、訳が分からない夫の行動様式(不必要なものを集めて捨てさせない)の謎が解ける優れものの話でした。
 「P166 ip細胞」のメモは、時の話題に上っていた時期がありました。もう一度ゆっくり読んでみようと思ったのだったのです。やはりここでも前のめりの人体実験の不可能性について述べざるをえなっかたようです。

この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『せいめいのはなし』 (2)
2018/09/19(Wed)
 『せいめいのはなし』 ⑴ では、内田樹(たつる)氏との対談で終わってしまいました。

 川上弘美さんとの対談のところでは、福岡伸一は「仏教に詳しい人から聞いたんですが、輪廻思想と言っても、生まれ変わって何かになるという考え方だけでなく、自分の分子が散らばって、ミミズの一部になると同時に岩石や海水の一部にもなるという世界観もあるようです。だから実は、科学というのは昔から人間が知っていたことを言い直しているにすぎないかともいえるのではないかと思います。」と述べています。このことをラフカディオ・ハーンが美しい言葉で語っている作品に出合ったことがあります。私も動的平衡についての説明が理解でき始めると直感的にそう思いました。この動的平衡についての考えは仏教者が一応に納得できると思えたのでした。

 養老孟司さんは鎌倉に「養老昆虫館」を作っているようで、そこを訪ねての対談です。
 パソコンにつないでの1万倍の電子顕微鏡もあるのだそうです。
 この対談では、両者とも無類の虫が好きなので、昆虫などの話で盛り上がります。

 昆虫の擬態についての話は、私が撮影したイシガケチョウの話も出てきます。読んでいて私も大いに盛り上がりました。とくに、ありの巣穴の中で、似ても似つかないゴミムシがアリのふりをしていたという話です。アリの巣を養老さんが壊したときに、初めてアリがそれに気づき、壊した嫌疑をかけて、全部兵隊アリにかみついていたというのです。
 この擬態について、人間が見て似ているように見えることと、他の昆虫や、天敵である鳥などが、どのように見えているかということとは、相当違うのではないかということに気付かされます。音で意思を通じ合わせていて、ゴミムシはアリ語を話していた可能性もあることも示唆しています。

 また、右利きと左利きなど、どうしてあるのかという話題があります。咄嗟の時、どちらの利き足で逃げるか、その時考えていたのでは逃げ遅れるから、咄嗟に右足が出ていくようになっているといいます。女性男性の役割分担のようなものでも、いがいと、そのようなことから決まっていったのではないかと言っています。「ビュリダンのロバ」という哲学では、お腹がすいたロバの両側に同じ干し草の山があると、ロバはどちらを食べたらよいかわからず餓えて死んでしまうといって、要するにロバは馬鹿だという話だというのですが、意外と説得力があります。

 気にかかったのは、最後の方に水俣病について、≪アセトアルデヒドを水銀触媒で作っていた工場が、世界におそらく何千もあったろうけれど、あれだけの大惨事を起こしたのは日本のチッソだけだった。≫という話です。気になって、途中ネットで追跡し、意外な情報に驚きました。今少し勉強してみたいと思っています。

この記事のURL | 未分類 | コメント(4) | TB(0) | ▲ top
『せいめいのはなし』 ⑴
2018/09/18(Tue)
 福岡伸一著 『せいめいのはなし』 を読みました。
 新潮社より、2012年4月第一冊発行で、定価1400円+税です。
 副題は、「生命のささやきに耳を澄ます」 です。

 内田樹(たつる)、川上弘美、朝吹真理子、養老孟司、四氏との対談です。

 内田樹との対談では、意外な展開がありました。
 「生きている」ということは、体の中で合成と分解が絶え間なくグルグル回っているということで、その流れこそが「生きている」ということ。その流れを止めないために私たちは食べ物を食べ続けなければいけない。シェーンハイマーはこの現象を「dynamic(=動的な)state(=状態)」と英語で述べ、「生命とは代謝の持続的変化であり、この変化こそが生命の真の姿である」と新しい生命観を誕生させたと、福岡伸一氏が説明。さらに、ノックアウトマウスのように、もし最初からその遺伝子がなければ、他の遺伝子や他の細胞が、互いにその欠落を補うようになる。というと、内田氏は「それって、まるでレヴィ=ストロース言うところのブリコラージュですねと応答します。
 私は福岡氏の本を読むのがつづけて3冊目だというのに、このことには全く気づきませんでした。
さらに、経済活動も本質的に「動的平衡」ではないのか、モデル的にずいぶん近い気がすると言い出します。
 どうしてこのところ、経済活動がダメなのかその理由を考えていて、経済活動というのは、商品や貨幣に価値があると「グルグル回すシステム」のために仮象しているだけで、交換の目的は、交換される物自体にあるのではなくて、「交換することができるような人間的能力」を涵養することにある。といって、「クラ交易」というものの解説になりました。
 私には、「クラ交易」なるものについて全く知識がないので、「動的平衡」の本質を深めます。
 ≪「動的平衡」はそれを構成する要素が絶え間なく消長、交換、変化しているにもかかわらず、全体として一定のバランス、つまり恒常性が保たれているシステムです。生きているということも、自然ということも、環境ということも、地球全体も動的平衡にあって、その中でグルグル原子が回っているにすぎない。生命活動は回っていき、次へとバトンタッチしている。≫
 たしかに、国際社会全体の経済活動が、動的平衡でないと、必ず国際問題化することが、二重写しに見えてこないでもありません。

 それを証明するかのように、この対談の終わりの方で、動的平衡の破綻という一項目があります。自分がみつけたGP2の遺伝子の欠落したマウスを作ったら、全く正常そのものでピンピンしていると思っていたら、それは、マウスの環境をクリーンな部屋で無菌状態にして無菌のえさを与えていたためで、娑婆に出したら、ばい菌だらけで、まもなくそのマウスはGP2がないことの問題点を露呈したというのでした。
この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『センス・オブ・ワンダーを探して』 ⑵
2018/09/17(Mon)
   この著書にも、『動的平衡』で、述べられたことが、いろいろな医学の応用への警鐘として述べられています。
 生命体を分子機械のような考え方で、その一つだけの部品を働かないようにして、生命体にどのような異常が起きるか観察して、部品の役割を言い当てようとしたノックアウトマウスが、多くの予想に反して何の異常もなくすくすくと成長していく実験を通して、生命体に、機械的な操作を行うことへの疑問を投げかけるのです。

 動的平衡の考え方をベースにすると、生命の部品は一つのパーツが一つの機能を持っているのではなく、互いに他と協調しながら、その共同作業の中である機能を持っている。何かの働きをするパーツがなくなれば周りのパーツが亡くなったパーツの役割を覚えていてその欠落を埋めるように動いて動的平衡を作り出すというのです。
 生命の部品は機械のようにきちっとしたものではなく、ユルユル、ヤワヤワなウエットなものなのです。とその復元力を説明します。

 ノックアウトマウスのための実験が続きます。多くのマウスがその実験の犠牲になります。福岡氏は、私より10年と半年後に生を受けた人で、この対談の時が51歳でした。
 「そろそろ私も人生のしまい方を考えないといけないと思っているんです。」
 「・・・生命の探究をしていたはずが、いつの間にか死の生物学をやっていた。・・・私たちは積極的に飽くことなく殺しているんです。しかも、自分で殺すだけでなく学生たちにも命じてやらせている。それをやめようと思っているんです。・・・実験を通した科学研究では私は大発見は出来なかったけれども小発見は幾つかしました。幾つかの遺伝子を見つけて「Nature」に論文も掲載されました。だから、もういいんじゃないかと、これからは死を詮索しすぎたのをちょっと回復する、繋ぎ直す仕事をしなきゃいけないんじゃないかなって思っているんです。」と述べています。これについては、私も69歳まで生きることができました。病気になっても、大きな手術を受ける気持ちはありません。体に動的平衡の限界が来た時が終わりで十分だと思っています。裏山を散歩していろいろな生き物と出会ったり、輪廻の中に生存できている自分を感じていられる本を読んでいる方が、しあわせと思います。

 最後に、阿川氏の、マツコ・デラックスさんが「人間力が衰えているときに、私みたに男か女かよくわからない怪しいものが跋扈する」とおっしゃっていたんですけれども、・・・・ハカセは人間はどうなると考えていらっしゃるんですか。との問いに、間違いなくやがて急速に廃れていきますよ。人間ほど適応力を失ってしまった生物はいないですよね。みんな夏だったらクーラーの中で育っているから、たとえば温度が50度になったら死んじゃうでしょう。地球の歴史を見ていると酸素濃度なんて言うのはメチャクチャ上がったり下がったりしているんですよ。酸素の濃度が高かったときは代謝効率が上がってすごい大きなトンボとか恐竜とかができてきたんだけど、今は二十パーセントまで落ちていますからね。・・・・と答えています。ほんとに、いま山に登っても、食べれるキノコを見分けられる人もいなくなりました。

この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『センス・オブ・ワンダーを探して』 ⑴
2018/09/17(Mon)
 福岡伸一・阿川佐和子著 『センス・オブ・ワンダーを探して』 を読みました。
 大和書房より、2011年11月第一冊発行で、定価1400円+税です。
 副題は、「生命のささやきに耳を澄ます」 です。

 「センス・オブ・ワンダー」について、表紙カバーの見開きに、福岡:「子どもの時代にいろいろなもののオーラを浴びることがその人をずっと支えていく。それがその人の『センス・オブ・ワンダー』になるということだと思うんです」と述べてあります。本文では、この言葉は、レイチェル・カーソンという人の書籍名で子どものときに浴びたオーラのことを書いていると言い、素敵な言葉を引用しています。

 「私が不思議だと思ったことは、たいして本を読んでいないくせに、物語から得たものなんです。それが自分の身にも起こらないかなって思ってた。」と阿川佐和子氏も述べています。本文では、石井桃子氏の「子どもたちよ。子ども時代をしっかり楽しんでください。おとなになってから、老人になってから、あなたを支えてくれるのは子ども時代の『あなた』です」という言葉を語っています。
 
 福岡氏は、バージニア・リー・バートンの『せいめいのれきし』―地球上に生命がうまれたときからいままでのおはなし―は、子供の頃に読んだ宝物のような本で第一の本だと述べています。その絵本は石井桃子の翻訳で、阿川氏は石井桃子が作った「かつら文庫」で読み、バージニア・リー・バートンが、来日したとき目の前で大きな絵を描いてもらったことがあるといいます。

 生命の進化のプロセスについて、「個体の発生は系統発生を繰り返している」という200年くらい前のエルンスト・ヘッケルという人の言葉を論じています。
 一つの細胞である受精卵は、だんだん分裂して細胞の塊になって中空の饅頭の皮みたいになった後、一部がくびれて反対側に達して、ボールの中に管ができる。これが消化管のもとになって、妊娠数週間目ぐらいで、ちょうどミミズのように見える。次に魚、イモリ、トカゲときて、鳥みたいに見える時もある。それから、首がくびれて頭でっかちの形になり、尻尾があったりしていたのが消えて、ようやく人間の形になっていく。人間がお母さんのおなかの中で辿る変化は、生命の歴史のプロセスと同じ。人間の個体はある意味で生命38億年の時間を内包している。という説明には、成程と納得しながらびっくりしました。
 
 また、遺伝子について述べています。個体のレベルで生物を扱うのではなく、生命の共通の原理を見出すために、ミクロなレベルで生物を見るべきだと、分子生物学が現れる。1953年にDNAの二重らせん構造が見つけられ、1977年ころからDNAを切ったり貼ったり自由に操作できるバイオテクノロジーが生み出されてきた。以後、ドリトル先生のような生物学者絶滅危惧種になっていったことも述べていました。

この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
『動的平衡』
2018/09/16(Sun)
 福岡伸一著 『動的平衡』を読みました。
 木楽舎より、2009年2月初版、4月第6刷発行で、定価1524円+税です。
 安佐北区民図書館でお借りしました。
 難しく、読み進むのに大変時間を要しました。
 何度か借りる期間を延長して頂きました。
 読後も記録を書けませんでした。
 なにしろ、高価で性能のいい顕微鏡で見ることによって、言語化されたことについての話なのに、顕微鏡ものぞかず、辞書も地図もネットもない部屋で、何一つ難しい言葉も調べようとせず読んだことに原因があるかというと、全くその通りともいえるし、引き続き彼の著作を4冊読んだ今になってみると、そうでもないともいえます。

 著者の福岡伸一氏は90年代の初め、ハーバード大学のジョージ・シーリー博士のもとで研究員をしていたといいます。
 シーリー博士の師匠は、ジョージ・パラーディという科学者で、細胞の内部でタンパク質が規則正しく移動する経路とメカニズムを明らかにし、その成果で1974年、ノーベル医学・生理学賞を受けたというのです。
 シーリー博士の兄弟子にあたるギュンター・ブローベルという人はパラーディの成果をさらに発展させ、タンパク質が細胞から外部へ分泌される機構について研究を進め、分泌されるべきタンパク質は、その先端にシグナル配列という特殊な構造を持っているて、シグナル配列が一種の荷札として識別され、細胞内にとどまるタンパク質と細胞外へ分泌されるタンパク質が仕分けされることになるということを明らかにし、1999年ノーベル賞を受けたというのです。
 最初は、そんな人脈の中にいた研究者の本を読めるなんてと言った気持ちでした。

 今この本を目の前において、本の最後の章の「動的な平衡」とはなにか、というところを読み返してみると、心が落ち着きます。
 ≪生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである。
 だから、私たちの身体は分子的な実体としては、数ヵ月前の自分とはまったく別物になっている。分子は環境からやってきて、一時、淀みとしての私たちを作り出し、次の瞬間にはまた環境へと解き放たれていく。
 つまり、環境は常に私たちの身体の中を通り抜けている。いや「通り抜ける」という表現も正確ではない。なぜなら、そこには分子が「通り過ぎる」べき入れ物があったわけではなく、ここで容れ物と呼んでいる私たちの身体自身も「通り過ぎつつある」分子が、一時的に形作っているにすぎないからである。
 つまり、そこにあるのは、流れそのものでしかない。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ、かろうじて一定の状態を保っている。その流れ自体が「生きている」ということなのである。シェーン・ハンマーは、この生命の特異的なありように「動的な平衡」と言う素敵な名前を付けた。
 ここで私たちは改めて「生命とは何か?」という問いに答えることができる。「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答である。≫

 生きながらにして、輪廻の中に平衡を保てているということに心が落ち着くのでしょうか。

この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
第215回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録(3)
2018/09/04(Tue)
 発表は、田中先生と、浮田さんと寺下さんでした。
 田中先生は、「大谷正信(繞石)と旧制広島高等学校」と題して、資料十数枚準備してくださいました。
 旧制広島高等学校の沿革、卒業生で加藤友三など名だたる人、大谷正信の在職期間や、入試試験ディクテーション問題の一部資料の提供とその特性、彼の出雲弁の印象など、生徒の感想などについて発表がありました。熊平金庫の創業者も卒業生であることを聞いたとき、若い頃、職場で和文タイプを打っていて、建設省の局長などの名前や、工事名や地名でその活字がないときなど、たびごと1本5円の活字をわざわざ本通りの熊平金庫まで買いに行っていたことを思い出しました。当時は随分のんびりしていたものでした。それに訛りと言えば、山口大学を出て熊平金庫に就職してきた男の子が、上司に「金庫をさげー」といわれて、金庫を低く下げ降ろしたら叱られたと話していたのを大笑いして聞いたのも思い出します。広島では「金庫を持ち上げろ」とはあまり言いません。
 『英語青年』の「ヘルン先生のチャールズ・キングズリ」の、キングズリの新プラトン学派哲学では、プラトンの国家を読みかけにしたままだったことを思い出し、ここらの哲学については機会を改めて、ゆっくり読み直せたらと願わずにはいられませんでした。

 浮田さんの発表は、【島根県立宍道湖自然観「ゴビウス」&「出雲かんべの里」を訪ねて】とだいして、これも十分な体験記録の資料を配布してくださいました。
 「ゴビウス」とはハゼなどの小さな魚を現わすラテン語だそうで、宍道湖・中海に生息する生き物の水族館のようなものなのでしょうか?
 「出雲かんべの里」へは、なんと三島さんが、浮田さんと娘さんお孫さんを案内してくださったのだそうです。そして、錦織館長さんに紙芝居を見せていただかれたことや、お孫さんが「工芸体験」で、「和紙てまり」と「機織り」をされて、その作品を持参して見せてくださり、私たちも夏休みを体験したような気持になりました。
 錦織明さんとは、第215回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録(1)に、あの「からむし」がらみで記した『紙芝居で伝える小泉八雲の世界』の著者です。じつはすごい人に会われたのでした。

 そして、寺下さんは、オスヴァルト・シュペングラー『西洋の没落』の序論的素描~ハーン「ある保守主義者」との類似点、というテーマでの発表でした。
 昨年、第215回「広島ラフカディオ・ハーンの会」(2017・9・9)のニュースに風呂先生が、「ある保守主義者」と、それから22年遅れて出版されたシュペングラーという人の『西欧の没落』がよく似た構成であると松田悠八が書いた記事の紹介をされていましたが、それを受けての考察でした。
 22ページの資料を配布してくださっての解説です。持参して紹介してくださった『西欧の没落』は、一中一夜で読破できるような代物でない現代用語辞典ほどあろうかという分厚さ2冊の著作です。
 みんな引き込まれてそれを聞いたのですが、それはまるで、西欧の一つの文明を語るような、いや世界のそれまでのいろいろの文明について語るような、もしかして人類の文明について語るような、人間個々の一生について語るようなそんなお話でした。
 ちょうど図書館で借りてきて読み始めていた福岡伸一の『動的平衡』について語っているようなそんなお話でした。
 終わって、もっとこのことについて皆で学習しようと云うのがそれぞれの感想でした。

  古川さんも最近のニュースとしていろいろな情報の資料を作ってきてくださいました。この情報は、ほかの会でもいろんな学習をされていることが伝わってきて、なぜか一人でいろいろ考えているとき、 読み返しては励まされてゆきます。


この記事のURL | 未分類 | コメント(0) | TB(0) | ▲ top
| メイン |