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 出雲かんべの里
2018/11/30(Fri)
 11月25日、広島ハーンの会のメンバー6人で、島根県松江市大庭町1614の、 「出雲かんべの里」に連れて行っていただきました。
 朝8時に比治山大学駐車場に集合なので、6時40分に家から車で出かけました。
 7時過ぎに到着して読書。ずいぶんしてみんな揃って5人で出発しました。東広島からの古川さんも「出雲かんべの里」にほとんど同時に到着されて、そろって訪問させていただきました。
 「出雲かんべの里」は、いま思い返せば、里と呼ぶにふさわしい地形にあって、何棟かの建物のひとつを案内されて階段を上がると裏山につながっています。これはちょっとびっくりです。その山道の向こうにさらに谷山を切り開いて、切り倒した木をチップにしてそれを一輪車にのせて運び、山道にじょじょに敷きつめて歩きやすい山道を伸ばしていく作業を5,6人で手際よく進めておられます。その周りでは、子どもたちが毎日山道をかけずりまわっているような足取りで、野生のイチゴを採って私たちにもどうぞと分けてくれます。
 そこで、作業をされている錦織明館長に出会い皆で挨拶をいたしました。お昼まで作業をして、昼食のあと、紙芝居をみさせていただく段取りのようです。それまで私たちは作業をされていない側の山道を登って展望台に上がり、中海の方向を遠く望みます。中国山脈を越えて、日本海側の空気を深く吸い込んで、神々の国に来たことを実感します。
 ゆっくり来た道を下山して、谷水をためた小さな池と呼べそうな水たまりのあるところへ行ってみました。よくみるとイモリが3匹くらい泥水の中にいます。その横では、薪を割って大きなお鍋の下で火を燃やしていて、お鍋からはゆらゆらと湯気がたってほんわりと親子連れのお客さんたちの気をひいています。私たちも薪割をさせていただきました。その時の斧がメイドインスエーデンでしたので驚きました。
 じょじょにふえてくるお客さんは、傾斜に造設された6畳くらいと思える広さの板敷の床に手すりやちょっとした案内板などのある場所に集まってきます。ここで皆さん錦織明館長のお話を聞いてお昼ご飯を頂きます。しっかりにぎった炊き込みご飯のおにぎりとトン汁とミカンを、もう一カ所の足の届かない板敷の台の上で足をぷらぶらさせながらみんなでいただきました。おにぎりは竹の皮で包んでありました。錦織先生もにぎりましたとおっしゃっていたので、先生の手のひらのぬくもりを感じながらありがたくいただきました。この建物の階段から抜け出た山の事業についてのパンフレットを頂いたのですが、5枚しかなくて私は頂けなくて、ここに書けないのが残念です。この事業の進捗状況はまたいつか必ず見にきたいとおもいます。錦織先生の紙芝居やお話は先生が出版された『紙芝居で伝える小泉八雲の世界』とほぼ同じでした。しかしそれを実践しておられる先生の姿は何とも言えない魅力があります。
 浮田さんが絶対行きたい!もう一度行きたい!と広島ハーンの会で駄々っ子のように言われた言葉が、いまかんべの里での錦織先生を思い出しながら私にもよくわかります。

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第217回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/11/28(Wed)
 11月24日、第217回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 参加者は女性4人男性8人の12人でした。
 今回の発表者は3人でした。このところ、ハーンの会は勉強熱心で時間を過ぎてもおわらず、次回の発表者について話し合ういとまがないまま終わってしまいます。なのに、こうして、自主的に、ちゃんと資料を作り発表の準備をしてきてくださるのですから、ハーンの会に対する会員の皆さんの熱意に脱帽です。

 古川さんの資料は、『レポート「うつのみや妖精ミュージアムについて(Utsunomiya Fairy Museumu)」です。このミュージアムは井村君江(85歳)名誉館長が長年の妖精研究結果で集まった絵画作品などが収蔵されているとのことです。この井村名誉館長と面識があるという貝嶋先生が、井村名誉館長は、妖精を見たことがあると述べられたことを話してくださいました。これは、平川祐弘著『小泉八雲 西洋脱出の夢』の
 ≪カトリックの信心深い大伯母に引き取られ、カトリック系の学校に学んだラフカディオ・ハーンの悲劇は、家庭が崩壊し、突然母 親から引き離された情緒不安定の幼児の折に彼が魑魅魍魎の実在を信じたことだった。
 「信じた理由は?」と聞かれた時。晩年のラフカディオは真顔で答えた。
 「私が信じた理由くらい強い理由はほかにはありません。私は鬼やお化けを、昼も夜も、この目で見たのですから。」≫
という部分を思い出し、感じたものによって不幸だったり幸せだったり・・・・と思わされます。

 田中先生の「第五高等中学校で教えた17人の外国人教師たち」という資料は、話題提供者 田中正道 とあって先生の楽しい語り合いへの心情がうかがえます。第五高等中学校創設以来、昭和16年までの17人の外国人教師の第五高等中学校での在任期間を現わす表が4ページにわたって記されています。最後のロバート・クラウダー先生は第二のラフカディオ・ハーンと学生たちにニックネームで呼ばれて親しまれていたといいます。このロバート・クラウダー先生は昭和16年12月8日太平洋戦争開戦の日、スパイ容疑で逮捕されたと言うことです。先生の其の後の生存がわかったとの1995年の熊本日日新聞の記事の資料もありました。あらぬ嫌疑で逮捕され辛い思いをされたでしょうに、日本と日本の学生たちへの愛情は変わっていないことに感動いたします。以前読んだ熊本大学小泉八雲研究会編 『ラフカディオ・ハーン再考』では、日本全体での外国人教師の国別の数の推移や、各高等中学校での外国人教師の数の比較などと、いろいろな表があり、ずいぶん具体的に見ることができました。作表には手間もかかったようですが、こういった表は、おのずといろいろな事象をはかり知ることができます。話題の核心はハーンの前任の外国人教師の資質についてでした。

 横山さんの資料は、この人に聞く--松隈章 『地元の人に愛されて初めて建物やまちは後世へと遺せる』 という建築物に関する資料でした。横山さんの説明が聞こえなかったので資料を読みました。若いとき、広島県建設工業協会に勤務していたので、黒四ダムの熊谷組から、あるいはH字鋼を使った霞が関ビルの鹿島建設から映画の券を頂き、ダムや建築に賭ける人々の熱意に感動していたのですが、自分たちが町を創っていくのだの気概での『地元の人に愛されて初めて建物やまちは後世へと遺せる』の思いも建築屋さんなればこその思いです。

 お茶のあとは、貝嶋先生の 「ある保守主義者」 の流暢な英語の朗読と、和訳でした。
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『わたしを離さないで』
2018/11/05(Mon)
  カズオ・イシグロ著 土屋政雄訳 『わたしを離さないで』 を読みました。
 早川書房より、2008年(平成20)8月第1刷で、2,016年2月61刷 定価800円+税です。
 450ページの文庫本です。
 1990年代末、イギリス
 ≪わたしの名前はキャシー・H。いま三十一歳で、介護人をもう十一年以上やっています。ずいぶん長く、と思われるでしょう。確かに。でも、あと八カ月、今年の終わりまでは続けてほしいと言われていて、そうすると、ほぼ十二年きっかり働くことになります。・・・≫で始まるこの作品は、どうも、「提供者」とよばれるひとの介護者のようです。この提供者というものがはっきりわからないまま、この語り手、キャッシーの過去の回想を交えながら小説が続いていきます。
 いささか第4章になるとうんざりして結論がわからないまま読むことの無意味さを感じるようになります。

 飛ばして、一挙に十六章285ページくらいから読み始めました。すると、提供者とは臓器移植の手術のための臓器の提供者であることが分かってきます。回想での舞台となる、世間からまったく隔離された生活や学習の場であるヘールシャムという施設は、この臓器の提供者を育てる機能を持った施設だったのでした。そして、これを経営する人の理念は、将来、こういった役割を担わせられる子どもたちにも、「魂」があるのだ、少なくとも、ここで過ごす間は人間らしく、心豊かな生活を送ってほしいと、いろんなスポンサーを見つけて、とくに、詩を書く事や、絵画や彫刻などの制作の指導に力を入れ、その作品を集めていくのでした。

 十六歳になると、このヘールシャムを巣立ってゆきます。≪わたしのヘールシャム時代の記憶は、最後の数年間とそれ以前という二つにはっきり分かれています。これまでは、「それ以前」のことをお話してきました。一年一年の区別も判然とせず、全体として黄金色の時が流れたという印象が残っています。・・・前半から後半へは、ちょうど昼から夜へ移り変わるように、すべてが急速に暗転していきました。≫友達の話を聞いて、≪物事を見る目が大きく変わったと思います。それまでは微妙な問題から尻込みしていたわたしが、あれを境に物事を直視し、疑問を持つようになりました。≫あるとき、そのあとこのヘールシャムでの先生である保護官を辞めさせられることになるルーシー先生から、自分たちの定められた将来についての爆弾発言がなされました。突飛すぎて、ほとんどの子どもが、先生の言葉が理解できないまま、先生自身へのうわさ話に変質していきました。しかしよく考えてみると、自分たちは知らず知らずこのような自分たちの任務を知っていたのではないかと、それをうっすらと自覚させられるような教育を受けて来ていたのではないかと自問自答します。
 ヘールシャムを巣立ってその中から八人がコテージへ送られ、後の人は他の2カ所に行きました。計算してみるとここでは3年間くらいを過ごしたのではないかと思われますが、コテージでの思い出もほとんど先輩後輩友達関係の話題です。ここで、提供者になるか、介護人になるかのが決まっていきます。キャッシーは介護人になりますが、提供者は、2回の提供で亡くなり始め、運が良ければ4回の提供ができるといった具合のようです。最後まで読んで、結果がわかり、読みさしたところへ戻って、読み返してみると、さすがノーベル文学賞作品と合点がいきます。これら退屈だったところが、すべてたくみな伏線であったことがよくわかってくるのです。

 この作品を読んで一番考えたのが、福岡伸一の『生命とは何か』など一連の著作についてでした。医学の発達によって、生命のはじまりと終わりの区切りが、変わってくるということなどです。受精卵がどこまで成長したら生命体として人格を持つのか、どの器官の活動が停止したら死と判断するのかといった生命そのものに対する考え方です。

 また考えたのは、今私が課題にしている小泉八雲の「ある保守主義者」です。武士としての教育は、いつでも腹を切る覚悟を強要 します。家を守るため、逃亡する父を守るために主君を欺いて腹を切ったという子供の例が挙げられています。自分の定めを自覚して生きる。という生き方です。

 昨日偶然全盲の人とお話をする機会がありました。公民館まつりに久しぶりに参加して、見学者に説明しなければいけない文章の中にわからない言葉があったためにあわてて図書館に入ったときです。パソコンの前に二人の人がおられ、「調べたいことがあるのですが」というと「どうぞ」と言ってくださり一緒に調べて下さった後です。その中の御一人が目が不自由なことに気付きました。気楽な会話の後だったので、つい全盲ですかと聞いてしまいました。「そうですよ」と気楽に答えられ、「うまれた時からですか」と聞くと60歳ころから見えなくなりはじめあっという間に全盲になったとのことです。少し語りあった後、つい臓器を提供することが子どもの時から定められている人の事を書いた本を読みおえたところです。と話すと、そのような人の目を頂いてまで見たいとは思わないです。60歳まで見えていたことに感謝し、それまで体の不自由な人への思いも持たなかったのに、いま、多くの人に支えられてくらせていることに感謝していますと笑顔で答えられました。

 公民館まつりでは、たくさんの出会いがありました。元職場のひとの、「今何読んでる?」の問かけに、『わたしを離さないで』を読み終えたところだといいました。「えっ!読み終えた!!みんな途中で投げ出したのに?」「うん、カズオ・イシグロもネタばらししてもいいと言ったそうなので言ってしまうとね、結論を読んでから読むとその前の伏線を充分楽しめて、さすがよ!」と言いました。

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