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『NHK100分de名著 マーガレット・ミチェル著『風と共に去りぬ』』 
2018/12/29(Sat)
 鴻巣友季子著 『NHK100分de名著 マーガレット・ミチェル著『風と共に去りぬ』』 を読みました。

 「えっ!」 本屋で1月が『風と共に去りぬ』と聞いて驚きました。
 12月のハーンの会の後の忘年会で、この『風と共に去りぬ』が話題になったからでした。『風と共に去りぬ』でのタラの地がアイルランドの聖地からとられた名前で、ハーンは2歳から13歳までアイルランドのダブリンで育ちますので、ハーンの会員はアイルランドへ行かれたりしてよくご存じなのです。
 ところで、『風と共に去りぬ』が100分de名著で放送される意味とは?との思いで読んでみますと。
 ≪「それは勇気とは違う」アシュリは疲れた声で答えた。「戦争というのはシャンパンみたいなものなんだ。勇者だけではなく意気地なしの頭にもあっという間に酔いがまわる。戦地では、勇猛果敢になるか殺されるかだからね、どんな阿呆でも勇敢になれるさ。ぼくが言いたいのはもっと別のことなんだ。ぼくの臆病さというのは、初めて砲撃の音を聞いたとたんに逃げだすよりも、はるかに質の悪いものだ」
 戦争への流れに抗い、武力で戦わないことの方がはるかに勇気を要する――そうしなかった自分の“臆病さ”をアシュリは「は  るかに質の悪い」と言っているのではないでしょうか」≫
という文章に出合います。これが、平和と思える日常に、戦争が起こらないための努力をする“勇気”について語った著者の鴻巣友季子氏がこの作品に込めるメッセージではないかと思われます。
 『風と共に去りぬ』を書いたマーガレット・ミチェルはどうでしょうか。
 ≪ひっくり返ったいまの世の中では、ああいう育ちの人間(アシュリのこと)はなんの役にもたたないし、なんの価値もない。世界 が逆さまになれば、決まって真っ先に滅びる人種だ。それは、そうだろう?戦おうともしないし、戦う術も知らないんだから、生き残るにあたいしない。世界がひっくり返ったのはこれが最初でも最後でもないだろう。昔からあることだし、これからも繰り返される。そうしてそうなった日には、だれもが何もかもを失い、すべての人々は平等になる。全員がふりだしにもどって、何もないところから再スタートだ。
 そう才智と腕っぷしだけで勝負するんだ。≫
と運命に立ち向かうことの大切さを述べている部分のように思えます。
 これを読んだ後、家にあった『風と共に去りぬ』 4枚組 デジパック仕様 初回限定 生産希望小売価 格税込7980円を4枚全部視聴しました。アメリカ国民の半数が読んでいるという原作のイメージを変えない映画作りの苦労が伝わってきます。分量の多い原作から、アメリカ合衆国の白人至上主義を唱える 秘密結社クー・クラックス・クランの部分も抜いてあると述べられていました。
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第218回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2018/12/28(Fri)
 12月15日土曜日、第218回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 11月の終わりから12月初めにかけての交通安全協会の活動(?)に、しっかりくたびれて半月以上も裏山に上ってもいず、元気だけが取り得の私に元気がなくなっては・・・・。いつもの1時到着目標を思いながらも、頭が働かず、準備する気力もなく、私としてはおそくに到着しました。それでも5番目の到着で少し気をよくすることができました。参加者は12名でした。
 最初にみんなで 「Belive Me」 を歌いました。
 つづいて、三島さんが松江からの情報を伝えてくださいます。本の紹介でしたが、羊羹に気を取られて羊羹の注文し、本の注文をしなかったので、1月に注文しようと思います。
 次は、田中先生の発表です。いま手元にその時の3つの資料があります。一つは、「旧制中学校生徒の定番読み物―ハーンの『怪談』」と題されて、昭和9年ころの英語教育の状況が垣間見られます。2枚目は和英・英和辞書の広告です。「歳暮・新春のお買い物メモにお忘れなく冨山房の大英和」には当時の買い物事情を思わされます。3枚目はこれら辞書がアメリカのハーバード大学やカルホルニア大学などで第二次世界大戦中に発行された海賊版についての『名古屋外国語大学外国語学部 紀要』第35号の抜粋です。二つ目の資料は10月20日の日本英学史学会の資料です。「ハーンとジェーンズを結ぶ浮田和民」という資料です。ジェーンズも浮田和民も初めて知る名前でしたが、熊本洋学校での師弟関係のようです。三つ目の資料は「ラフカディオ・ハーン著作および関連書 古書ご案内」と題しての丸善雄松堂の在庫目録です。これはB4 2枚にハーンの作品の初版本14冊、ちりめん本5冊と、ハーンの英訳したフラン宇文学書1冊、研究書3冊、ハーン作品のフランス語訳1冊、ドイツ語訳3冊の広告です。いちばん高価なのはやはりちりめん本で、5刷で約50万円です。
 土屋さんと古川先生は11月25日の「出雲かんべの里」訪問の報告をされました。
 私も連れていっていただいたので、その報告書、楽しく読ませていただきました。
 
  終了後、忘年会に伊藤先生の車に鉄森さんと乗せていただいて参加しました。
  会場はいつもの本川町の多津満です。
 自分はいままで、難聴で人の話が聞こえないので、皆さんの楽しまれる姿を見させていただくのがほとんどでの参加でした。ところが後になって考えると、コミュニケーションをするにはまずは駄弁とばかり、なんだか開き直って一人喋って帰りました。柴田さんがよく我慢して聞いてくださいました。柴田さんは、局で農業担当?をしておられるとのこと。帰ってから、私は自分の育った農家の実家のことを思い出しました。母は年寄り夫婦の家への養女で、父はその入り婿。田舎の小さな商家は戦時中売るものもなくやめたのでしょう。婿入りしても用事のない父は郵便局に勤め、国債を売る仕事をしていたようです。我が家の現金は国債に変わり、物心ついた頃、引出し一杯の国債がありました。 義理の祖父母は亡くなり、父は兵隊にとられ、母は生まれたばかりの姉と二人で残されたようです。兵隊から帰った父は、農地解放でとられた養父母からのものと婿養子に来るとき貰ってきた田圃をつぎつぎに買い戻すため一生懸命働き、私が小学校3年生のときには家も農家風の大きな家に建て替えました。自動車社会になってゆくのに、提供する農地を持たない自分が道路を広くする提案をしても説得力がないこともあってか一番多いときは3ヘクタールまで増やしました。お金のない父が、他の町でこっそり免許を取得して、町に婿入りした叔父の車を下取りして乗り回していたことを私たち家族が知ったのはしばらくたってからのことでした。持っていても村で乗り回すことができなかったのでしょう。そんな父が仕事で白い乗用車を乗り回しはじめた村には乗り合いバスと農協の三輪トラックしか走ってなかったように思います。農業はほとんど母がいろんな人に手伝ってもらってやっていて反別の収穫量はいつも他家よりずっと多いと喜んでいました。母は、農業とたくさんの牛馬の世話で、(私たちの参観日もなぜかほとんど父の役割で)家から出掛けることはありませんでした。この、家が大好きというのが私に遺伝した唯一のことだったと思われます。そんな父母のことを近所の人は本当によく働く両親だとほめていましたが、父は、他の農家のように年寄りがいなかったから、思うように働けただけだとそっと言ったことがあります。思えば年寄りのいないうちは我が家くらいでした。農閑期は我が家は碁会所になったり、近所に不幸があると我が家に集まって棺づくりなど葬式の準備をされたり、婦人部の敬老会の出し物などの練習所も我が家でした。年寄りのいない家なので思うように使えたからでしょう。お寺参りでの御講師さんの説教はきまって嫁姑問題でした。農家には、熊や猪など野生動物の問題と、重労働と、嫁姑の問題があることを思い出しました。


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『海嶺』
2018/12/24(Mon)
三浦綾子著 『海嶺』 上中下三冊を読みました。
 角川書店より  2012年 改版初版発行の文庫本です。
 15日のハーンの会の忘年会で末国さんにこの本の紹介を受けました。
 わたしがこのところ中浜万次郎にはまっていて、万次郎のことを話していたら、この本の事を紹介してくださったのです。図書館にいって、それまで3回も延長して借りていた万次郎の本4冊を返して、この3冊を借りました。家には万次郎の本はマーギー・プロイスのものと、井伏鱒二のものしか残っていませんが、今年度出版の万次郎の子孫のものに、鎖国時代、日本の漂流者を外国の船が日本に送り届けたときの状況を万次郎がアメリカで読み知っていたことを書いたくだりがあって、詳しく知りたいと思っていた矢先のことでもありました。
 この作品は、1837年8月12日、日本からの漂流者7名を送り届けに来た、アメリカの船モリソン号が、浦和で砲撃を受け、さらに薩摩で砲撃を受け引き返した事件となった漂流記です。
 なにしろ長編です。ことに応じて当時の日本の状況や政策、世界の国々のことが丁寧に述べてあるので、わかりやすく夢中になって読めました。
 1830年10月10日、それは音吉をふくむ14人の乗組員が江戸へ向けて熱田港を出航した日でした。日本にたどり着き砲撃を受け、引き返すまでの約7年間が描かれています。(中浜万次郎が漂流することになった船が土佐藩の宇佐浦から出港したのは1841年1月でした。)
 途中嵐にあい漂流をはじめて、その間11人が壊血病などで亡くなり、1年2か月後、3人が最初にたどり着いたのがアメリカ北西部のフラッタリー岬で、原住民に助けられます。ところが奴隷として扱われます。
 こっそり年長の岩吉の書いた手紙が原住民の部族から部族へと次々にわたり、イギリスの商社、ハドソン湾会社(英領カナダの統治権を握る商社)の商船ラーマ号がやってきて、マクネイル船長が自分たちを買い取って救出してくれます。そして手紙を受け取っていたハドソン湾会社の太平洋岸総責任者でマクラフリン博士のところフォート・バンクーバーに連れて行かれます。マクラフリン博士は3人を日本に送り届けることによって、日英通商を開く機会を得たいと願っていたのです。ここではトーマス・グリーンの家 に世話になり、英語の勉強をさせられます。
ついに停泊しているイギリス軍艦イーグル号で日本に向けて出発することになります。しかし、ハワイに立ち寄り、南アメリカをまわって大西洋を北上してイギリスのロンドンへとの航路でした。ハワイのサンドイッチ島ではブラウン牧師夫婦に世話になり、出航します。ロンドンには1835年6月に着港10日間滞在します。その間貴族出のマッカーデイの案内で汽船やロンドンタワー、石造3階建ての家、700年かけて作った教会のステンドグラス、大英博物館などを見物します。そしてゼネラル・パーマー号でマカオに出航となります。
 1835年12月マカオに上陸。何とこの滞在は1837年7月に日本に向けて出港するまでの期間となります。その間ギッツラフ牧師の家の隣の家が3人の住居になります。ギッツラフは聖書の和訳に3人を協力させヨハネ伝などの和訳書を作りました。そんな3人のところへ、さらに肥後の船乗りが同じく漂流して助けられたとのことで4人が加わっていよいよ日本への出航となるのでした。
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『自然と人生』(抄) 考察 (1)
2018/12/17(Mon)
徳富蘆花著 『自然と人生』(抄) の考察をこころみました。
手元にあるのは、日本文学全集6徳富蘆花集1967年(昭和42年)12月第1刷だけです。
30ページたらずにもかかわらず「自然に対する五分時」、「写生帖」、「湘南雑筆」があり、「自然に対する五分時」に17、「写生帖」に4、「湘南雑筆」に26、合計47収録されています。
 さいわいネットに百科事典などでの説明がありましたので、それらをここに引用して、いま手元にある作品が、当時どのような形で出版されたのか、世間でどのように受け止められたのかについてみていきたいと思います。

 ブリタニカ国際大百科事典 によると、
≪ 『自然と人生』は、徳富蘆花の随筆小品集。1900年刊。・・・・1889年に民友社に入社した当時から書きためた散文をまとめたもの。内容は小説、評伝、散文詩87編など種々雑多だが、3部に分けた散文詩中『湘南随筆』が最も知られる。自然描写の克明なノートが簡潔な漢語表現と香り高いロマン性によって貫かれ,作者の評価をいっそう高めるものとなった。≫
  小学館デジタル大辞泉では、
≪・・・・。自然描写を主とした散文詩87編のほかに、短編小説と画家コローの評伝を収める。≫
 株式会社平凡社世界大百科事典では、
≪・・・・。巻頭に短編小説『灰燼(かいじん)(1899初出)を、巻末に「風景画家コロオ」(1897初出)をおき、その間に自然の写生を主体とした散文詩風の小品文87編を〈自然に対する五分時〉〈写生帖〉〈湘南雑筆〉の3部に分けて収めている。従来最もよく知られたのは〈湘南雑筆〉で,1899年,1年間克明にとったこの自然観察のノートは、汎神論的な自然観とそれに接合する社会観との独自の文体による表現を通じて、大きな影響を与えた。』
 三省堂大辞林では
≪・・・・。短編小説・評伝・随筆・散文詩を収録。万物に神を見る汎神論はんしんろん的自然観がうかがえる。自然詩人としての名声が高まった作品。≫
 精選版 日本国語大辞典精選版では
≪色彩感あふれる自然描写を主にした散文詩八七編などからなる。簡潔清新な文語体により明治・大正期の文章に大きな影響を与えた。≫

これらのことから、『自然と人生』(抄)には、もっとたくさんの」作品があったことがわかります。
汎神論と思える部分についての考察については多くの自然の動きの描写を動詞にしているところからそのように述べられたものからの解説のことを言うのか、いまだj熟読を要します。
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「武蔵野」
2018/12/15(Sat)
  国木田独歩著 「武蔵野」 を読みました。
 集英社より、日本文学全集12国木田独歩・石川啄木集1967年(昭和42年)9月第1刷です。(同じ全集でもこれには定価がありません。)

徳富蘆花の『自然と人生』のなかに、「雑木林」という作品があります。逗子での作品がおおいなかで

 ≪東京の西郊、多摩の流に至るまでの間には、幾個の丘あり、谷あり、幾筋の往還はこの谷に下り、この丘に上がり、うねうねと  してゆく。谷は田にして、おおむね小川の流あり、流には稀に水車あり。丘は拓かれて、畑となれるが多きも、そこここには角に  劃られたる多くの雑木林在りて残れり。
   余はこの雑木林を愛す。木は楢(ナラ)、檪(クヌギ)、榛(ハン)、栗、櫨(ハジ)など、なお多かるべし。・・・・≫

 「武蔵野」の描写といえば国木田独歩を思います。「雑木林」は1ページたらずですが、国木田独歩の「武蔵野」は18ページです。そのむかし岩崎文人先生に丁寧に教わったことがあるのですが、「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」の出始めのところを思い出したのがやっと、といったところです。
 いま丁寧に国木田独歩の『武蔵野」を読み返してみると、かれは武蔵野をどのように描こうかと研究しているの感があります。国木田独歩らは徳富蘆花の「写生帖」を称賛したと、徳富蘆花の年表(小田切進編)にありましたが確かに徳富蘆花の文章の方が格段に優れていると思えます。ロシアの野を描いたツルゲーネフの文章を二度引いてあります。広島の烏はときに人間をあざ笑っているかのような声をして飛び去るようにも見えることがありますが、ロシアでは、去る烏でさえその野にあっては小心に見えるとの描写には、なるほどロシアの野はこのような厳しさを感じさせる野であろうかと思えます。

 作品は、一から九まで章をたててあります。五で、朋友が郷里からよせた手紙にやはり野を散策逍遥する文を寄せたのに事寄せて、武蔵野はそうはいかないとばかりに、武蔵野を描く文章は他の章と違ってテンポよく人懐かしく語られており、全体このように朋友を説得するごとく、書けばいいのではなかろうかと思えます。

 「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」という入間郡も今となってはその面影がないのではないでしょうか。この時代の武蔵野を思うとき、東京の変遷には驚くばかりです。

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『自然と人生』(抄)
2018/12/13(Thu)
 徳富蘆花著 『自然と人生』(抄) を読みました。
 集英社より、日本文学全集6徳富蘆花集1967年(昭和42年)12月第1刷で、定価290円の本です。
この日本文学全集6徳富蘆花集では、367ページまでが『思出の記』で、あと30ページたらずがこの『自然と人生』(抄)です。30ページたらずにもかかわらず「自然に対する五分時」、「写生帖」、「湘南雑筆」それぞれにさらにタイトルをつけての自然と人生の描写があります。まずは、

  ≪『自然と人生』(抄)
   自然に対する五分時
   このごろの富士の曙
  こころあらん人に見せたきはこのごろの富士の曙。
  午前六時過、試みに逗子の浜に立って望め。眼前には水蒸気渦まく相模灘を見ん。灘の果には、水平線に沿うてほの闇き藍  色を見ん。もしその北端に同じ藍色の富士を見ずば、諸君おそらくは足柄、箱根、伊豆の連山のその藍色一抹のうちに潜むを知 らざるべし。
  海も山もいまだ眠れるなり。 ・・・・≫

と始まります。
自然の描写が続くなか「自然に対する五分時」はさいごに

 ≪田家の煙
 余は煙を愛す。田家の煙を愛す。高きに踞して、遠村近落の煙の、相呼び相応じつつ、悠々として天に上りゆくを見るごとに、心すなわち楽しむ。
 しかれども、市井の濁波今や滔々として村落に及び、田家淳撲の風しだいに地を掃わんとし、賭博、淫風、奢侈、遊惰、争利のバチルス、ほとんど戸ごとに侵入せんとするを思えば、むしろ一炬その家とその人と焚きつくすの優れるなきかを疑う。
 否、むしろ教えてしかしてこれを化せんのみ。
 ああもし吾力よくせば、余はあまねくこの三個の進物を全国の村落に贈らんものを。三個とは、良医、良教師、しかして良牧師。
 良好なる小学校、良好なる会堂、良好なる診療所、この三は健全なる村を造る三要素。しかして健全なる村は健全なる国を造る 大基本。あまり多く果実をつくるは枝は折る。富めるのみなるその国は亡ぶなり。国民をして天を仰がしめよ。
  田家の煙のいぶせき藁谷より出でてしかも天に上るを見ずや。≫

 というのもあり、世を憂えた作品で率直な解決への提言となった射て異色です。
ほとんどが伊豆から眺めたらしい風景のすばらしい散文詩です。


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『思出の記』 
2018/12/11(Tue)
 徳富蘆花著 『思出の記』 を読みました。
 集英社より、日本文学全集6徳富蘆花集1967年(昭和42年)12月第1刷で、定価290円の本です。
 紙は元から薄茶がかった色だったのか、サンルームの本箱で日焼け、時代焼けしたのか、そのうえ文字も小さく、画数の多いものなど見えずいい加減に読むほかなく(パソコンのある部屋だと天眼鏡で視て「IMEパット・手書き」で読み意味なども検索して含蓄ある文章を堪能できるが)、さらに電気の位置の具合がよくないので疲れてなかなか読みにくいハンディーもありながら、辛抱強く読めたのは、最初に荒正人の解説を読んだからです。荒正人とは、わたしがいま住む可部の町の南西にそびえる山をけずってつくられた巨大な団地の坂を上がった県営住宅に同じ団地に住む夫の姉を頼って引っ越してきて、わびしく『夜と霧』などを読んでいる頃、訪問販売に来た人が紹介してくれて買えなかった、立派な装丁で大きな『漱石全集』10巻を出した人。
 漱石の専門家という印象でしたが、徳富蘆花の解説まで書くとは・・・の思いで読んでみますと、明治時代が見えてきます。
明治時代を書いた本はそれはたくさんありますが、それに注釈をくわえたものとしては、出来過ぎています。
 ≪『思い出の記』の基調として「立身出世」という理念が基調をなしていることは、大きい特色である。これは、アメリカ文学などでいう成功物語(success story)とはまったく異なっている。「立身出世」は庶民から身を起こすのではなく、没落した士族の子弟が、粒々辛苦の末に、家名を興すという特殊な思想である。これには注釈が必要である。≫ からはじまる明治政府の公家階級の身分制、封建時代の秩禄への政策の説明。明治9年1月1日の士族の人数。家族を含めた人数。幕末の諸藩の秩禄額。これを次々取り崩しの政策による80パーセント余りの文無し士族の成れの果てへの説明が、きっちり数字を使って説明してあります。

 もう一つこの本を親しく読めたのには、熊本市に在住の、向井ゆき子さんのお父さんの書き残された、合志義塾での明治39年塾生のノートの発見によって、合志義塾の成り立ちを、向井ゆき子さんの送ってくださったノート原文とその読み下しの本や合志市の冊子などからも詳しく知らされていたからでした。 『思出の記』のヒーローは、明治元年生まれです。12歳の4月12日故郷を出て、母の姉夫婦の家(もとは由緒ある郷士)に世話になりに行きます。さっそく。従妹の案内で屋敷をみてまわり、≪―― 珍しいのはユーカリ、アカシア、カタルバ、神樹などという樹、これは鉄道の枕木になると鈴江さんは説明したが、・・・・≫ とさっそく、いまやかっての合志義塾を象徴するカタルバの樹が本文中に出てくるのです。うまれた村の寺子屋に毛の生えた小学校、西山塾、海南英語夜学会の英語教諭体験、育英学舎、帝国大学と進んでの成長の思い出は、明治の教育環境をよく映しているのではないでしょうか。合志の入江塾・合志塾を彷彿とさせます。

 また、異教にどちらかといえば冷淡な立場であったのに、先生・友達の影響からキリスト教に改宗し宣教師を目指すほどに夢中になったり、キリスト教内部の揉め事で学舎を去ることになったりと、キリスト教との関係は、ラフカディオ・ハーンの「ある保守主義者」への課題にもつながり、関心の高まるところです。もちろんハーンがモデルとした雨森信成的に近代化の基盤思想としてのキリスト教への関心もあったでしょう。しかし、荒正人の時代背景の解説や作品からは、昭和20年の敗戦の時もそうでしたが、時代のあおりを受けて身の置き所がすさまじく変化し、価値観が根底から崩壊したなかで、今までになかった宗教によりどころを求める人があって不思議はないともいえます。

 読み始めから、文章の美しさに目を見張り、そのあと読み終わるまでのその文体。本を開くのがほんとうに楽しみでした。
早くにこの文体を知っておれば、・・・・。
 作品中、友人の妹の美しく成長した姿に
≪―― ああ、もう僕は云うべき言葉を知らぬ。桜、桜、それでもお前は花と威張れるか。≫ という部分では、私もつい、文豪漱石に向かって「漱石、漱石、それでもお前は文学者と威張れるか」と卒業レポートに徳富蘆花その人を研究したろうと思ったほどです。


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『予知夢』 
2018/12/10(Mon)
 東野圭吾著 『予知夢』 を読みました。
 文芸春秋より、2003年(平成7)8月第1刷で、2,008年4月31刷 定価467円+税です。
裏山に一緒に登っているUさんがくださった本です。他にも過去3人が読んだらしい文庫本をどっさり下さいました。いちばん薄い本順に並べて、一番薄い本から読み始めようとして手に取った本です。いちばん薄いにもかかわらず、第1話 夢想る ゆめみる、第2話 霊視る みえる、第3話 騒霊ぐ さわぐ、第4話 絞殺る しめる 第5話 予知 しる と古文書張りのふりがなつきのタイトルで、5話掲載されています。
 東野圭吾といえば、推理小説だとなんとなく思っていたのですが、これはまたタイトルからして少し様相が違う感じです。

 三橋暁という人の解説の冒頭には、
 ≪オカルトとミステリーの間には、深くて暗い河がある。って、その昔どこかで聴いた曲の歌詞みたいだけれど、この両者の遠くて  近い微妙な関係を表現するには、まさに言い得て妙である。          

   お待たせしました。<探偵ガリレオ>シリーズの最新刊をお届けする。東野圭吾の読者ならびに熱心なミステリ・ファンならす  でにご存知のように、本書は先行する『探偵ガリレオ』(・・・・)に続くシリーズの第2集『予知夢』(・・・・)
  を文庫化したものである。
   さきに文庫になった『探偵ガリレオ』の帯には、「刑事は奇妙な事件を抱えて天才物理学者の扉をたたく」とあったが、そのわ   ずか二十三文字のコピーが、連作推理の内容を見事に言い表している。・・・・≫
とあります。
 長い間(寒さの折、寝室をテレビのない部屋に変えてから)テレビのない生活になって、まあテレビを楽しむような気持で読んだのですが、≪・・・・読者ならびに熱心なミステリ・ファンならすでにご存知のように、・・・・≫ も心に響かない読者が、少ない家事の合間に読んだのでした。
 ただ、≪・・・・今でも学者らしからぬ俊敏さと体力を維持している。ちなみに、湯川のモデルは俳優の佐野史郎だという。≫ はちょっと意外!
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『NHK100分de名著 スピノザ著『エチカ』』 2
2018/12/04(Tue)
 12月3日(月)夜10時25分から10時50分までの、第1回の放送を録画しておいたものを今朝見ることができました。
 解説者の 國分功一郎氏は、20世紀のフランス哲学者に人気があったスピノザについて知っておきたいと思っての研究が始まったといいます。ところが、OSが違うので、まずは自分のOSとどこが違っているのか気づくのが大切で、気づいてくるとやっとスピノザを身近に感じられるようになってきたといいます。ここのところがこの度うまく説明できたらいいなと思っているそうです。

 スピノザの著書 『エチカ』 のエチカについての説明があります。これは動物の巣・すみかで、本人が住んでいる処の場所の習慣、ルールだとあります。テキストでは道徳との違いで説明されていますが、ここでは、幾何学的秩序によって論証したことを説明します。テレビの画像がうまく機能できる説明でもあります。定義・公理・定理・証明という手順です。点とは、線とは、というところの出発点は神です。神とは、「絶対に無限なる実有、言い換えればおのおのが永遠・無限の本質を表現する無限に多くの属性から成っている実体と解する。」 もっと言い換えられなくては理解不可能です。これは神は有限なはずがない。神に外側はない。すべては神の中にある。私たちも神の一部である。神即自然と証明されていくのです。これは自然科学的な発想です。

 具体的な倫理の話から読み始めると分かりやすいので、まずは善悪から考えます。
一般的観念で考えず、それぞれの組み合わせによって善悪は決まることを証明します。我々の活動能力を増大しあるいは減少し、促進しあるいは阻害するものを善あるいは悪と呼んでいる。善いものは「喜びの感情」を高める!自分にとって良いものである善をよく知る人、故に賢者は「色々な楽しみ方を知っている人」となるのです。

  私事でいうと、いま一番夢中になれるのは古文書の解読です。すでに解読されているものがほとんどで、研究者でもないのにどうしてなのか自分にもよくわかりません。ただ、このたび、スピノザに触れて、私が解読しているものが、17世紀からほとんど19世紀初頭まで変わっていない日本の古文書であってみれば、庶民にとってほとんど汎神論のスピノザの哲学を当てはめて実験してみることに意味がありそうです。
昨年4月からはじめて、最初に読んだのが、1630年12月生まれの貝原益軒の『家道訓』です。徳川幕府政権内での富める人も貧しき人も共に、家を守るための教えです。つぎに『理勢志』でしたが広島藩の役人が1807年に藩の様子を記録したものです。そして今年の2月の初めから江戸時代中期の「三業惑乱」に関する事件が寺社奉行の裁定に及んだ時の記録です。これは今の基準で考えられるものではないと思いますが、寺社奉行の裁定には共感を覚えます。もともと幕府は宗教には拘わらないというスタンスを持っていたようですが、宗教紛争が藩主の存続にかかわる様相を呈してきたので、藩主が訴えてやむなく寺社奉行の裁定になるのですが、あくまでもその宗門の宗旨を基本に裁定するところは、相当な司法能力でありまっとうな司法裁定だと思えます。
 スピノザが少し身近になってきました。次回の放送が楽しみです。
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『NHK100分de名著 スピノザ著『エチカ』』 
2018/12/03(Mon)
 國分功一郎著 『NHK100分de名著 スピノザ著『エチカ』』 のテキストを読みました。
 12月3日(月) 今夜10時25分から10時50分まで、第1回の放送があります。第1回の放送までに全部読み終えることができてより放送への理解が深まりそうです。

 「はじめに ありえたかもしれない、もう一つの近代」
 ここでは、1632年うまれのスピノザが生きた17世紀という時代が、歴史上の大きな転換点だったことの説明があります。いま私たちが知っているタイプの国家の誕生。近代哲学や近代科学が大きく発展。社会契約説の登場。現代へとつながる制度や学問が出揃い一定の方向が選択された時代だと位置づけられます。
 そうでない近代の考え方がスピノザの哲学だというのです。それって?を理解するには、今現在を生きる私たちが理解することの難しさをOS(オペレーション・システム)の違いで説明します。
 この「はじめに」から、「第1回 善悪」、「第2回 本質」、「第3回 自由」とわかったつもりでゆっくり読んでいきます。というより早く読めません。そのくせ、いつもはだいたい読んでいる途中で、家事をしていても、車の運転をしていても、その時読んでいる本のことを考えますが、この本は考えることができませんでした。もしかしたら21世紀のこの時代では日常的な生活の中で考えることがなじまない哲学なのかもしれません。

「ありえたかもしれない、もう一つの近代」が、やっと「第4回 真理」を読み終わる頃わかり始めてくるのです。

「真理」についてデカルトは、
 ≪我思う。故に我あり。≫
で、その真理観の特徴は、真理を公的に人を説得するものとして位置づけます。それに対してスピノザは、
 ≪真の観念を有する者は、同時に、自分が真の観念を有することを知り、かつそのことの真理を疑うことができない。≫
 「真の観念を獲得できれば、それが真だと分かるよ」と、真理は他人を説得するようなものではなく、真理と真理に向き合う人の関係だけが問題になっているといいます。
 この考え方の違いが、近代を二通りに考えている基準です。デカルトの考え方でなければ、近代科学の発展につながらなかったといいます。
 スピノザの哲学は、何かを理解する体験のプロセスをとても大事にしていることで、何かを認識し、それによって自分の認識する力も認識していく。認識に二重の性格を持たせています。これが、「主体の変容」につながり、自分を高めることにもつながるのです。此れはある意味で「密教的」と述べています。私は長い間、密教とはどんな教えだろうと疑問に思っていました。充分理解できたとは思いませんが、密教の意味がスピノザを理解すると同時に得られたことは、確かにこれまでの私には、密教を理解する素地がなかったということでもありましょう。ではなぜ今スピノザの哲学も必要なのではないかということについてもひも解いてあります。これが今になってテレビで放映する意味ですが、その真理をテレビを見ることでさらに突き止めることができるでしょうか。
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