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『テンペスト』
2019/02/24(Sun)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第10巻 『テンペスト』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1611年、シェクスピアが47歳のときで、彼にとって最後の作品でロマンス劇です。

 ミラノ公爵で君主であったプロスペローは、弟のアントーニオによって王位を奪われ、2歳の娘ミリンダと二人で小舟で流され、絶海の孤島にたどり着きました。さいわいゴンザロートいう高潔な顧問官がこの作業を命じられていたために書籍好きの王のための書籍と衣食住の用品とを積み込んでくれていました。
 プロスペローはその書物を読み解く事で魔法の力を身につけました。その力と、空気の妖精エアリエルと、もとから島に住みついていた口の悪い化け物キャリバンを使って、あれから12年も生活してきました。
 星占いで、自分を裏切った連中が船に乗って島の沖合を通ることを知り、魔法の嵐を起こして彼らを島におびき寄せました。タイトルの「テンペスト」とは「嵐」という意味だそうですが魔法の嵐なのでそのまま「テンペスト」となっているということでした。
 この嵐のために、ナポリ王のアロンゾ―、その弟のセバスチャン、ミラノ公爵で弟のアントーニオ、ナポリ王の息子ファーディナンド、老顧問官ゴンザーローその他の貴族たちの乗った船が嵐にあって、大勢に人たちが、甲板から荒れ狂う海にこぼれおちて、それぞれこの島にたどり着いたのでした。この人たちはナポリ王のアロンゾ―の娘の姫クラリベルとアフリカのテュニス王との結婚式のためにへ出かけての帰りでした。ナポリ王のアロンゾ―は、島にたどり着いたものの中に自分の息子のファーディナンドがいないことで、二人の子供を失ったと失意にくれています。
 ポリ王のアロンゾ―のまわりに、たどり着いたひとたちが集まっていますが、皆が疲れ切って眠ってしまうと、ミラノ公爵で弟のアントーニオは声を潜めて、ナポリ王のアロンゾ―の弟のセバスチャンに兄のナポリ王殺して王冠を奪うよう勧め』セバスチャンはその気になりますがチャンスを逃します。
 一方、海に飲み込まれたと思われていたナポリ王のアロンゾ―の息子ファーディナンドは、島のプロスペローに見つかり、その娘ミリンダと恋に落ちます。プロスペローは、ファーディナンドが娘にふさわしいかどうか確かめ、思いに偽りはないか確かめ二人の出会いを喜びます。
 二人の幸せを前に、プロスペローは、「われわれ人間は、夢と同じもので織りなされている。はかない一生の仕上げをするのは、眠りなのだ」と哲理を得て、以後魔法は使わないことを決意して、最後の魔法によって、自分への罪をゆるし、さらに今までのすべての人たちの悪い心を改め、じつは船長をはじめとする乗組員たちを、エアリエルに頼んで連れて戻ってこさせ、皆で喜び合ウというのが最後の結末です。


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『マクベス』
2019/02/24(Sun)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第9巻 『マクベス』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1606年、シェクスピアが42歳のときの悲劇作品です。

 1040年、スコットランドはダンカン国王の治世です。
 マクベスとバンクォー両将軍は、反乱軍の逆臣コ-ダーの領主とそれに味方するノルウェー王との戦いのさなか、三人の魔女に「万歳、マクベス、将来の国王!」との挨拶を受けます。その戦いでは圧勝してダンカン国王は軍からの帰りマクベスの城に招待されます。
 ダンカン国王はそこで殺されます。マクベスが妻と組んで彼を殺し、犯人を部屋付の者たちのせいにするのです。二人の王子は次は自分たちとばかり兄のマルカムはイングランドへ弟のドナルベーンはアイルランドへと逃げます。
 三人の魔女たちは、バンクォーに「代々の国王を生み出す方」とも挨拶をしていたので、マクベスは自分より気高く気品があって理性的なバンクォーを恐れて、彼を殺そうとたくらみ、ダンカン王のとき悪事が見つかってクビになった人に殺させます。
バンクォーの息子には逃げられてしまいます。このバンクォーについては、著者の小田島雄志が解説で、
 ≪この劇では、バンクォーの息子が暗殺者の手を逃れたあとのことは書かれていません。だが実は、彼はアイルランドに逃げ、王女と結婚し、その子孫がスコットランドにもどり、魔女の予言どおり代々の王となりました。そして、1603年、イングランドのエリザベス女王がなくなると、スコットランド王が呼ばれて後を継ぎ、ジェイムス一世となりました。彼はまた、シェクスピアが所属する劇団のパトロンにもなったのです。その三年後に書かれた「マクベス」は、国王のご先祖バンクォーを善人にし、彼を殺したマクベスを悪人にせざるをえなかったわけです。また、ジェイムズ一世は悪魔学に凝っていたので、この劇で魔女や亡霊が活躍するのだ、という説もあります。シェクスピアは、時代に合わせながらも永遠の傑作を書いたのです。≫とあります。
 当時の観客としてこの作品を読むと、面白さが倍増するのではと思われます。
 マクベスの妻は自分たち夫婦の悪事にさいなまれて夢遊病者になります。
 つぎにマクベスは自分の戴冠式にも宴会にも出席しない次に猜疑心を持ちはじめ悪霊にも聞きだし、マクダフを討つことにします。危険を感じて逃げ出した城に残された妻子を殺してしまいます。このような悪政に反旗を翻して、ダンカンの息子の王子マルカムを総大将に、マクダフ、イングランドの将軍シーワード、スコットの名のある貴族たちの合流軍に破滅させられます。
 マクベスの治世は17年だったそうです。


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『リア王』
2019/02/19(Tue)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第8巻 『リア王』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1606年、シェクスピアが42歳のときの悲劇作品です。

 80歳を超えた古代ブリテンの王、リア王が三人の娘の長女ゴネリル、次女リーガン、三女コーディーリアを大広間に集めて王国を3分割して与えるための催しが始まるところから物語が始まります。リヤ王は三人の娘の自分に対する愛の深さのテストをします。長女と次女は父親への愛の心が微塵もないのに国を貰えるためにとありったけの追従を語ります。しかし、姉たちの心にもない言葉を聞いた末娘は、自分の素直な気持ちを語ります。リヤ王は彼女を一番愛していて、二人よりももっと愛を込めた言葉を期待していただけに怒ります。そのことに異議を申し立ててリヤ王を諌めようとした忠義心の強いケント伯も追放しますが、ケント伯はリア王を守るために、改めて身分のいやしい男に変装してリアに仕えます。リア王も気に入ってそれとはしらずそばに置きました。三女のコーディーリアは、彼女を娶りたいといって来ていたフランスのブリテン王に、さらに心映えを気に入られて一緒について行きます。
 リヤ王は孝行娘の三女コーディーリアへの国土は取り上げ、長女と次女だけに国を分け、両家の負担によって養われる100人の騎士と共に今後1か月おきに二人の娘の厄介になることを宣言します。
 いっぽう、忠義心の強いグロスター伯もエドガーとエドマンドという二人の息子がおり、弟のエドモンドが悪巧みをしてエドガーが父を裏切っているとだまし、グロスター伯に追放させます。

 リヤはもともと父親の面倒を見る気のない二人の姉に裏切られ、1ヵ月もすぎぬ間に二人から追い出されてしまいます。そんな王に最後まで附き添うのは、変装したケント伯、やはり変装したグロスター伯の長男エドガー、妻の長女ゴネリルに娘として道に外れる行為と戒め放り出されたオールバニ公、さらに二男エドマンドに放り出され、リアの次女の夫コーンウォール公に両目をえぐり取られ盲目になったグロスター伯など忠義の人で、悪巧みに放り出された人ばかりです。極めつけは、父親のことを噂で聞いてフランスから助けに来た娘です。こんな状況になって初めてリアは人間性を取り戻す処に多少救いがありました。
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『オセロー』
2019/02/18(Mon)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第7巻 『オセロー』 を読みました。
  汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1603年、シェクスピアが39歳のときの悲劇作品です。

 オセローは、海外貿易で栄えて豊かなヴェニス共和国に外国から金で雇われた軍人でした。彼は今のモーリタニアあたりの王族の出でしたが、幼いころから戦場に出て、世界中をかけめぐり戦って、やがてヴェニス共和国のために働くようになり、戦えばかならず勝ち、国家の信任を得て将軍になりました。
 そばにいるイアーゴーは旗手で、見かけは忠義の部下でしたが、オセローに恨みと妬みをもち、その感情を悪知恵の働かせて、最後にオセローを自殺に追い込むのです。
 忠実そのもののふりをして、アホと思っているロダリーゴーを使って、まずは、オセローの部下のなかでも一番有能で副将軍に任命された二枚目のキャッシオーとオセローの仲を引き裂く作戦に出ます。キャッシオーの大切な任務の前に無理やりお酒を飲ませ、怒らせることを言ってロダリーゴーに殴りかからせ、失脚させます。
 また、オセローの妻に気のあるロダリーゴーを利用して、オセローの妻とキャッシオーが浮気をしているといって、オセローを苦しめます。。 このような悪知恵で自分は忠誠心や親愛の情身近な人間を利用して悪事を働く。心の美しい人ほど罠にかかってしまう。このような作品を読むと、物語とはいえ体調が悪くなることがありますが、これはその最たるものです。
 小田島雄志はどう感じたのかについて
 ≪だがオセローの悲劇を、彼の身になって味わってみると、その壮絶さは他の主人公 (『ハムレット』・『リヤ王』・『マクベス』) たちに少しも劣りません。その苦悩―愛と嫉妬との戦いや、愛そのものに内在する矛盾、つまり、愛する相手のすべてを所有したいという願望と、それは不可能と認める絶望との戦い―は、崇高とさえいえる悲劇性を持っています。それは、「イアーゴーこそ真の主人公」とするあやまった考えを粉砕するのに十分でしょう。≫と述べられています。
しかし、味方の中で、いちばん忠誠心を表して身近にいる人が一番の敵であったというのはしんどい話です。
「イアーゴー、おまえがか!!」といった作品でした。



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『ハムレット』
2019/02/17(Sun)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第6巻 『ハムレット』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1601年、シェクスピアが37歳のときの喜劇作品です。
 小田島雄志は、最初の解説で、
 ≪王子ハムレットが、芝居の目的は「自然に対して鏡を掲げ」ること、といっていますが、作品『ハムレット』は、鏡となって、各時代を、そして各観客(読者)を、映し出してきたのです。つまり、『ハムレット』になにを読みとるかで、その時代の姿や、読む人の関心のありかたが見えてくるのです。≫と述べています。
 ハムレットが、自分の父のあと王位に就いた叔父が、じつは父親を殺したのではないかと疑っていました。そんなとき、自分に現れた悪霊に叔父が父を殺害した様子を教えられ、さらに叔父への疑いを深めるようになります。ちょうどそのころ城にやって来た悲劇役者たちへ、悪霊の示した通りの劇を演じてもらい、それを叔父に見せて、事実を探ろうとハムレットは計画をたてます。役者に演じ方を「自然に対して鏡を掲げ」という言葉で大げさにではなく自然に演じるよう説明するのです。。
 じつは、シェクスピアは、いっさい脚本など残しておらず、亡くなったあと劇団員などが脚本を書いたということですから、(読者)というのは、この本を読むジュニアに向けての小田島雄志のメッセージと受け取れます。
 また、悪霊の言ったことをハムレットが鵜呑みに信じないで、疑うところの解説についても、小田島雄志のていねいな解説が作中にあります。劇中時代の数百年まえのハムレットがヴィッテンベルグの大学生という設定ですので、ヴェッテンベルグは、1517年にローマ・カトリック教会を批判してプロテスタントの宣言を発した町であったので、1600年初頭の観客の意識に合うようにこのようにしたというのです。
 ハムレットの苦しみの中には、王位就いた叔父が、自分の母親を妻にしたということです。自分の父である先の王に深い愛を契っておりながらの女心に疑念を抱くと同時に、自分を抹殺したいであろう王から身を守ることが容易でないことです。そのために狂人になったふりをします。そんなことから、物陰にひそんでハムレットを見張っていたポローニアスをそれとはしらず刺殺してしまいます。ボローニアスは自分が一度は愛していたオフェーリアの父親でした。
 王はハムレットを避けるために急遽イギリスへ向かわせます。しかし途中で海賊船に襲われいったんは捕虜になり許されて帰ってきます。その頃ポローニアスの息子がフランスから帰ってきて父の死を知り、そのため妹のオフェーリアが狂気に追いやられたことを知ります。最後に王は兄レアティーズとハムレットに決闘をさせるよう仕向けます。そのことがきっかけでハムレットも兄のレアティーズも王も王女も死んでしまいます。王家の血をひくものがいなくなったハムレットは、死の間際、イギリスに行く途中に見た、王とはかくあるべきと思ったフォーティンブラスを王に附けるよう言って静かに目を閉じました。



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『十二夜』
2019/02/15(Fri)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第5巻 『十二夜』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1601年、シェクスピアが37歳のときの喜劇作品です。

 「十二夜」とは、クリスマスから12日目の夜、つまり1月6日の夜のことで東方の三博士がキリストの生誕を祝うため訪れた顯現日です。その夜はダンスや演劇などでにぎやかに祝うのがシェクスピアの時代の慣例だったそうです。
 難破した船に、顔立ちがそっくりの男性と女性の双子の兄弟が乗っていました。兄と妹はおたがいを確認できないままそれぞれが違った人に助けられ、そのことによっておこる喜劇です。
 妹のヴァイオラは兄は死んだかもしれないと思いつつ、たどり着いた国を治めているというオーシーノー公爵に使えるための便宜を助けてくれた船長に頼み使えることができるようになります。使えるために男装し、シザーリオと名乗っています。
オーシーノー公爵は、伯爵のお嬢様オリヴィアに求愛しているというのですが、オリヴィアは父親と兄を失ったばかりで喪に服していて男の人とは面会もしないのです。
 シザーリオはすっかりオーシーノー公爵に気に入られ、オリヴィアへの燃える胸の内を聞かされ、それを告げに行かされます。無理だとは知りつつできるだけ思いを伝えようと決心します。オーシーノー公爵に女心が働いてしまって、恋してしまったシザーリオにとってはつらいお使いです。もちろんオリヴィアは受け入れようとしないのですが、粘ります。その交渉をしている間に、オリヴィアはシザーリオに恋するようになります。
 オーシーノー公爵はオリヴィアを、オリヴィアはシザーリオを、シザーリオはオーシーノー公爵を愛してしまうという三角関係になってしまいます。
 一方、兄のセバスチャンはアントーニオという男に助けられて別の浜に打ち上げられます。一人で旅をしたいのですがアントーニオに気に入られどこまでもついてこられて困っていました。しかし、オーシーノー公爵の住む町に来たとき、名所見物をしようと思ったとき、アントーニオは以前オーシーノー公爵の艦隊と海上で戦ったことがあって名を知られているので捉えられたら困るといって町の南の郊外のホテルで待つと言い、離れ離れになります。
 ところが最後にどんでん返しが起こります。
 オリヴィアは兄のセバスチャンをシザーリオと見間違い愛を告白し、受けいれられて婚約します。そのあと、オーシーノー公爵のあとに附いてきたシザーリオに愛の言葉を掛けます。オーシーノー公爵は「あなたの愛するこの子は心から愛している大事な小姓だ!さあついてこい」と言われシザーリオは喜んでついていくという一幕があり、アントーニオが現れるとオリヴィアが人違いしていたことに気付き、オーシーノー公爵は愛する小姓が女性であったことがわかり同時に二組の結婚式が執り行われることになって、この喜劇はめでたく終わるのです。
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『ジュリアス・シーザー』
2019/02/13(Wed)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第4巻 『ジュリアス・シーザー』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1599年、シェクスピアが35歳のときの作品です。
 主人公はジュリアス・シーザーではなく、「ブルータスおまえもか」で有名なブルータスです。ブルータスが皇帝となろうとするジュリアス・シーザーを倒して、シーザーが溺愛していたアントニーに倒されるまでが書かれています。
 この作品はローマの歴史が書かれたプルタークの『英雄伝』の英訳をもとに書かれた戯曲で、他にも2作この本を元に戯曲を書いているということです。ローマの歴史絵巻の一部分を、当時のイギリスでのエリザベス一世のあとの後継者問題への関心にあわせて、彼が多く作ったという後継者問題をテーマにした作品の一つのようです。
 最初に、戯曲には書かれていないけれど、当時の観客が事前に承知していた前提とするブルータスとその妹の夫キャシアスについての話が注釈として書かれています。ブルータスの母はもともとシーザーの愛人であり、どうやらブルータスの父と結婚するまえ彼を産んでいたようで、シーザー自身「もしかしたらブルータスは我が子かもしれぬ」と思ってブルータスを特別可愛がっていたといいます。またキャシアスとブルータスに司法担当の高官の地位をめぐって争うよう政治的術策をし、ブルータスに依怙贔屓をしたことがきっかけで、キャシアスとブルータスの仲は悪くなり、キャシアスはシーザーを憎むようになり暗殺を思い立ちます。不満分子に声をかけると、ブルータスが中心にいるのなら正義は我にありと天下に知らしめることになるので一味に加わると言うので、キャシアスは、ブルータスに自分の気持ちを述べ、ブルータス自身の気持ちも同じだということを確認します。
 ブルータスはキャシアスに、シーザーに対して「相争う感情」「自己との闘い」があることを告白します。ブルータス家は代々共和主義者で、一人の帝王を抱くことを潔しとしていません。シーザーが帝王になろうとするのならこれを討つべしと思っていると同時に、自分を我が子のように愛してくれるシーザーを彼もまた愛しているということです。ところが、高潔なブルータスは私情よりも公事を大切にし、死を恐れる以上に名誉を大切にすることを表明します。
 それで、3月15日、一味とシーザーを襲い殺害します。キャシアスはアントニーも殺害するようブルータスに進言するのですが、ブルータスはアントニーがシーザーの死の理由を聞かせてもらえるならブルータスに従って運命を共にするといったことで彼を許します。キャシアスは何度かアントニーを信じないように言うのですがブルータスはききいれませんでした。ブルータスは市民の前で演説をして歓迎されます。しかし、そのあと、アントニーが上手に市民の反応を見ながらブルータスやキャシアスの避難をし、シーザーに野心がなかったことを述べ、、シーザーの敵としてブルータスやキャシアスへの敵愾心を煽り立て、軍を率いて彼らを倒して終わります。

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『ヴェニスの商人』
2019/02/12(Tue)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第3巻 『ヴェニスの商人』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 1596年~1597年、シェクスピア32歳のときに書かれた作品です。
 海外貿易で繁栄を誇っていたヴェニス(ヴェネツィア)が舞台です。
 ヴェニスの繁栄を支える商人で、キリスト教徒としての信仰心も厚く人格も高潔で大勢の友達にも恵まれているアントーニオという青年紳士が作品のヒーローです。

 アントーニオにはバッサーニオという友達がいます。バッサーニオは、派手な暮らしで財産をすっかりなくし、借金をなくす計画を立てます。その計画をアントーニオに話しますが、アントーニオが全財産を貿易につぎ込んで手持ちがないため、アントーニオが保証人になって、ユダヤ人の金貸しシャイロックからお金を借ります。アントーニオは無利子で人に金を貸し、いつもシャイロックの高利貸しのやり方に異議を唱えていたので、シャイロックは日頃のうっぷんを晴らすために、アントーニオに三千ダカット3か月の違約金として彼のからだの肉をきっかり1ポンド(453グラム)いただくということを公証人のところに行って正式に契約書を交わすことに同意させます。
 バッサーニオの計画というのはベルモントに行って大きな遺産を受け継いだ美しく美徳を兼ね備えた女性ポーシャに求婚して、世界中の数多いる求婚者に勝って幸運をつかみ取るというものでした。アントーニオは心からバッサーニオの求婚が叶うよう願っているのでした。その友情の深さに他の友達もバッサーニオを応援しています。その友達の一人ロレンゾーとシャイロックの娘ジェンカも恋仲でバッサーニと同じ船で駆け落ちするというロマンチックな愛も語られています。また、求婚者が引き当てる箱選びという奇妙な話もあって、世界中から来たポーシャへの求婚者はこの箱を引き当てるというテストを受けるというものです。ポーシャは一度バッサーニオと合ったことがあってその時からお互い惹かれあっているという実感を抱いていたのでした。バッサーニオが来てくれたことでポーシャは大喜びするのですが、そこにアントーニオの船が暗礁に乗り上げ1艘も帰ってこないという知らせが舞い込んできます。バッサーニオとポーシャはあわてて結婚式を挙げ、ポーシャの用意してくれた大量のお金をもってバッサーニオはアントーニオの法廷に出かけます。ポーシャにはベラーリオ博士の助けを借りて、彼の代理として男装して、やはり男装したネリッサを書記にして法廷に駆け付けます。法廷に立つ公爵は男装したポーシャをみて期待を込めて裁判を任せます。そこでポーシャはシャイロックに慈悲について語って聞かせますがシャイロックは聞きません。期限は過ぎたが債務者にいま返済する能力があるかを確かめます。するとバッサーニオが何倍も帰すことができるしいやというなら自分の心臓を与えてもといいます。ポーシャは法は曲げられないと述べ契約書通りアントーニオの肉を取るよう判決を下します。つづいて、キリスト教徒の血を1滴でも流せばおまえの土地・財産はすべてヴェニスの国法に従い、国庫に没収される。という判決を下します。また殺人容疑でも重い刑が処せられることになりますが、アントーニオの慈悲をもとめる発言によって軽減されることになります」。

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『夏の世の夢』
2019/02/10(Sun)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第2巻 『夏の世の夢』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。

 夏至の夜一夜のできごとの喜劇です。
 ≪当時は、一年でいちばん昼の長いその日にお祭りさわぎをし、その夜に、妖精たちがもっとも活躍すると考えられていました。そのためにこの題が付けられたのでしょう。この物語には三つの世界が出てきます。貴族・紳士界と、職人界と、妖精界と。≫
と「はじめに」で説明があります。そして、本文の最初には、
 ≪むかしむかし、まだ妖精たちが人間の世界に自由に出入りしていたころ。ギリシャのアテネはお祭り気分で盛り上がっていました。アテネを治める公爵シーシュースが、アマゾンの女王ヒポリタと戦って勝ち、彼女を妃に迎えることになったからです。結婚式はあと四日、新月の宵にと決められていました。≫と場面設定がよりわかってきます。
 三つの世界、貴族・紳士界と、職人界と、妖精界にはそれぞれ問題が起こっています。
 貴族・紳士界の問題というのは、公爵シーシュースにつかえるイージーアスが、娘のハーミアが、父親の勧めるディミートリアスと結婚しないと言うので死刑の告訴をするというのです。公爵シーシュースはライサンダーに恋するハーミアに死刑になるか女子修道院に入るかしかなくなるから思いを変えるようにやさしく説得しますが、思いを変える気持ちはないようです。ライサンダーは、ハーミアに、アテネの厳しい法律の届かない村に住んでいるおばさんのところにいこうと誘い、ふたりして夜こっそり森で落ち合って駆け落ちすることにします。そのことを知ったヘレナは片思いをしているディミートリアスへ知らせ、二人してこっそり森に行きます。
 職人界では6人が集まって、公爵シーシュースと女王ヒポリタの結婚式の余興に応募しようということになり、しかし無能なものの集まりで、苦労しています。こっそり森に集まって練習しようということになります。
森にすむ妖精界では、妖精王のオーベロンと女王のティターニアがかわいらしい小姓をそれぞれ自分の小姓にしたくて、仲違いをしていました。
 妖精王のオーベロンには、すばしっこくていたずら好きの妖精パックが仕えています。オーベロンはパックに「恋の三色すみれ」を摘んでこいと命じます。その花の汁をねむっている間にまぶたに注がれた人は、目が覚めて最初に見たものを夢中で恋するようになるというのです。そのあとほかの花の汁を注げば魔法は解けます。パックにそれを女王のタータニアのまぶたに塗らせ、最初に見たものに夢中になっている間にかわいらしい小姓を引き渡させようとの魂胆でした。妖精のいる森に集まることになった職人たちと、恋する男女4人いたずら好きのパックによって大混乱が起こり、最後にはみんなに幸せがおとずれという喜劇でした 
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『ロミオとジュリエット』
2019/02/09(Sat)
 小田島雄志文 里中満知子絵 『シェイクスピア ジュニア文学館』(全10巻)の第1巻 『ロミオとジュリエット』 を読みました。
 汐文社より、2001年3月初版で、2008年7月5版で、1600円+税です。
 シェイクスピアの本を図書館で5冊借りてきました。  
 『三木清における人間の研究』を読んでのち、どうも頭が混乱してきたので、気分を変えての読書です。『三木清における人間の研究』を読んでのち、つづいてやはり今日出海の『天皇の帽子』を面白がって読んだり、『三木清における人間の研究』に関するブログ記事を書いたりしても、そこに書かれている三木清の印象が悪いのです。2017年4月の岸見一郎著 『NHK100分de名著 三木清著『人生論ノート』』を読みかけましたが、『三木清における人間の研究』の印象が強くて、なかなか素直に彼の言葉が伝わってきません。山を歩きながら考えます。描かれた三木清の姿と、文章の乖離をどう考えたらいいのだろうか?戦時中というものが人間をおかしくするのか、共産党というものが人間をおかしくするのか・・・・・。大した苦労もせず生きてきた私にはわからないのか。そのうち、夫がお酒を飲むとき、私もたくさんお酒を飲んでみました。しかし、どうも気分が晴れません。 気分なおしに図書館へ行ってシェクスピアの演劇でも読もうと出かけてやっと見つけたのがこのジュニア版です。文字が大きく現代語訳。ときどき、1600年代の当時の人びとの風評などを交えて、セリフへの解釈もあります。なんといっても小田島先生の書かれたものですから大いに楽しんで読みました。その抜粋です。
≪「やあ、おはよう。ゆうべなにか食わせたっけ?」
「置いてきぼり、という木彫り(きぼり)の皿で、いっぱい食わせたじゃないか」
「まあ許してくれ、マーキューシオ、どうしても行かなければならない用があってな。そういう場合は礼をまげてもやむをえんこともある」
「そういう場合は膝をまげても礼をせねばならんこともある」
「おれがいうのは礼儀の礼、おまえがいうのは敬礼の礼だ」
「そうだ、きれいにいい当てた」
「それはまた冷静なご判断」「礼節の好例さ、おれは」
「好例とは鑑のことか?」「そのとおり」
「それならかがみこんでおれの靴を見ろ、鏡のようにみがいてある」
「うまい、その調子でおれのシャレについてくるか、おまえの靴がすりへるまで。いいか、おまえの靴裏へったとて、シャレはへらずにうららかに、とはどうだ」
「へったくそなるシャレなれど、口のへらずがうらやまし、とね」
「いや、まいった、駄ジャレくらべじゃおれはおまえのいい鴨だ。それでいいかもしれんがね」

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『三木清における人間の研究』
2019/02/05(Tue)
今 日出海著 『三木清における人間の研究』 を読みました。
集英社より、日本文学全集59 今東光・今日出海集 1991年(昭和44年)2月初版で、1998年(昭和45年)1月3版で、創業40周年謝恩特価290円 のなかの作品です。
 サルトルやオルテガなど二人の哲学書の解説を読んでいたので、興味津々で読みました。ところが、哲学するより、何しろ面白くて大笑いしながら読みました。
 昭和16年11月国家総動員法による徴用令第10条により、文士、画家、牧師、写真屋といちおう報道作業に必要な人員を徴用し、比島方面、ジャバ方面、仏印、マレイと開戦前に南方作戦の報道班員を密々編成して徴用された時のことです。参謀本部の思いつきで始まった報道班の編成は、隊長や軍人がどう扱ってよいかわからず、仕事らしい仕事が与えられない状況に、翌年3月に突然第2陣が到着します。
 そのなかに、三木清がいたのです。哲学や評論の筆を執っては当代一流の名を謳われた人を必要とするような用務も無ければそれを利用できる人もいないのに一片の徴用令書で戦地へ送り込むことの愚巨に憤りを感じてもいました。それに、徴用された時から、第1陣は待遇が良く、第2陣との間に確執が生まれます。
 文士どうしの気遣いなどでだんだん良くなってはいくのですが、三木清は評判がよくありません。徴用期限は1年と決まっているのに、返してよいのか現地の部長も参謀部でも判断がつかず、自分は参謀部から9月の終わりに内地へ連絡帰還して明らかにしてくるようにと命令を受けて飛行機で飛び変えることになりました。帰還してみると予定どおり徴用解除の手続きはほぼ完了しているので、せっかく帰ったのだからもうマニラにいかなくてもと言われます。友のことを考えるとそうもいかずマニラに行きます。すると、マニラで問題が起こっていました。自分たちに嫌疑がかかっていたのでした。映画班への嫌疑で、班管理の生フィルムをひそかに比島にいる邦人に売っているという嫌疑でした。数日して嫌疑が晴れました。ある有力な徴用員が部長へ密告していたのだということが分かったのですが、それが三木清であったということだったのです。密告を受けた部長は勿論それが誰かを知っているのですが、ところが彼が自分たちが徴用解除に先立って左遷されたのでした。
 解説によると一緒に徴用されたのは尾崎士郎や石坂洋次郎で、石坂洋次郎も別に三木清の偽悪的な側面を書いていたことがあるといいます。第二次の派遣部隊は三木清、火野葦平、上田広、柴田賢次郎、沢村勉らであったといいます。
 「三木清における人間の研究」は、三木清の処女作「パスカルにおける人間の研究」に対応されるタイトルだったようです。
三木清については岸見一郎のテキストがありますので読んでみたいと思ったことでした。

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『NHK100分de名著 サルトル著『実存主義とは何か』』 
2019/02/03(Sun)
海老坂武著 『NHK100分de名著 サルトル著『実存主義とは何か』』 を読みました。
 これは2015年11月に放送された番組のテキストです。買った時には読んでいないようです。正月前に大きな書庫を買って整理ができやすくなって、あるかもしれないと思う本がすっと見つかるのはよいことでした。
 これを読んでみたいと思ったのは、中島岳志著『NHK100分de名著 オルテガ『大衆の反逆』』 を読んでのことでした。ブログ記事では触れませんでしたが、3回目に出てくる、柳田国男の『先祖の話』から、ある老人が口にした「ご先祖になるつもりだ」といった言葉に注目しての記述や、「遺影」の存在、という部分を読んで、どうして私を含む現代人は先祖のお墓参りはするものの、自分の葬式はしなくていい、戒名もいらない、お墓もいらないと思うようになったのかと思い、ふと内容は忘れてしまったけれど、サルトルや、ボーヴォワールを若い頃みんなと読んだことを思って、昨夜から読み始めました。
 「はじめに」に、≪「もっといい時代はあるかもしれないが、これがわれわれの時代であり、作家は自分の時代と一つになるべきだ」という自分の言葉をサルトルは愚直なまでに生きていた。若き日の友人だった哲学者のレーモン・アロンのように時代の「観察者」の位置には決して立たず、持続的に精力的に、同時代にメッセージを発し続けた。1968年の5月革命の世代の若者たちは「アロンと共に正しくあるよりは、サルトルと共に誤ることを選ぶ」としてサルトルの姿勢を支持したのですが、それは、傍観者の正しさとは単なる日和見主義に過ぎぬ事を見抜いていたからで、たとえ誤ったとしても、サルトルのうちに、同時代のかけがえのない対話者を見ていたからではないでしょうか。わたしはそう考えます≫とあります。そして実存主義・・・。まさに私たちが一番感化を受けた思想です。
 瞬間、これにはオルテガ著『大衆の反逆』とは真反対の感を抱きます。
 しかし、オルテガや、その水脈にある人たちが「大衆」と呼んでいる人たちに加えている世間知らずの学者と感じる大学の教授だったのに、そのことに気付いて、教授を辞め評論家や執筆者になっています。
 サルトルはというと、1929年24歳でトップで教授試験に合格した年に徴兵されます。1940年35歳ではドイツ軍の捕虜にもなっています
 最後に海老坂武は、≪二十世紀はいかなる世紀にもまして人間が人間を殺した世紀ですが、二十一世紀はさらにさらに人殺しが増えるかもしれません。テクノロジーの発展が人間生活に開放を、幸福をもたらした面は確実にあるのですが、しかしそれだけではない。軍事技術、つまりは人殺しの装置の巨大化を促したことは確実です。・・・・グローバル化とは国境なき暴力を意味していたのでしょうか≫とも述べています。
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『NHK100分de名著 オルテガ著『大衆の反逆』』 
2019/02/02(Sat)
 中島岳志著 『NHK100分de名著 オルテガ著『大衆の反逆』』 を読みました。
 2月に放送される「NHK100分de名著」で放映される番組のテキストです。
 著者中島岳志は「はじめに」で、≪今回、この『大衆の反逆』を通じてみなさんと考えたいと思っているのは、「リベラルと民主主義」という問題です。≫とのべています。
 そして、この冊子は、さいご4回目の放送では、「保守」とは何か となっています。ほんとうに、いま私たちにとって「保守」とはなにかについて、みっちり勉強したいところです。 
 オルテガの若きころの著書『ドン・キホーテを巡る省察』という本で、「私は、私と私の環境である」という有名な言葉を書いているといいます。それに、著者中島岳志が大切にしているという、仏教でいう自分自身の我を認識する思想と重ね合わせ、オルテガの「絶対的な自分はいない」ことを確認し「自分の能力を過信することへの強い疑念の表明」を支持します。この部分では、私もおそらくブッダもそのことを悟り、そのことを自分に日々言い聞かせ、自分なりに自分が守っていこうとする法を作り、生活のあり方を考えながらサンガを作り、修行者と共に一生を送ったのではないかと想像したりもするので、納得しながら読めました。
 この書でのべる「大衆」という言葉については、私たちがふつうに想像するのとは違って、「大量にいる人たちのこと」で、しかも「根無し草」になってしまった人たち。自分が意味ある存在として位置づけられるよりどころのような場所なき人のことです。単なる「庶民」とは違う。自分の居場所を持ち、社会での役割を認識していて、その役割を果たすために何をすべきか考える人。それが、オルテガにとっての本来的な「人間」だった。近代人はそうではなくなり、「大衆」化してしまっている。そしてその「大衆」は、たやすく熱狂に流される危険があるというのが「大衆の反逆」という問題設定だといいます。このことが、「私は、私と私の環境である」と符合するように思います。
 「大衆の反逆」という問題は以前からあったとはいえ、≪1800年から1914年までに―したがって、ほんの1世紀あまりの間に―ヨーロッパの人口は1億8000万から4億6000万に跳ね上がったのである!このふたつの数字の隔たりは、過去1世紀がさかんな増殖力をもっていたことを明白に物語っていると、私は推理する。この3世代のあいだに、人間の巨大な塊が生産され、それが歴史の平野に奔流のように投げ出され、氾濫したのである。≫という物理的な要因も述べています。
 この「大衆」はまさにこのような「私の環境」をもって生まれてきた人たちに象徴されているとも想像されますが、この書では人口のことについてはこれのみの記述です。 それより、マスコミの発達の中にあって、ますますその「大衆」は、たやすく熱狂に流される危険がある環境におかれていることを危惧しています。
 このような中で、過去・現在・未来それぞれを生きている人間は、どんなに偉い人でも間違いを起こす。謙虚になって、自分とは敵対する他者をも寛容をもって受け入れ、拳を振り上げて殴ることで支配するのではなく、静かに鎮座して人々の話を聞き、着地点を探りながらその場を収めていくというリベラルな姿勢を持つことの大切さを語っています。


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