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『NHK100分de名著 マルクス・アウレリウス著『自省録』
2019/03/29(Fri)
 岸見一郎著 『NHK100分de名著 マルクス・アウレリウス著『自省録』  を読みました。 これはこの4月1日から放送されるテキストです。
 マルクス・アウレリウス。初めて聞く名前です。
 ローマ帝国五賢帝の一人と言われているということです。
 ローマ帝国とは、と改めて欄外の解説で確認します。
 ≪紀元前七世紀頃に都市国家として出発したローマは、王政・共和制を経て次第に強大化、百年に及ぶ内乱の後、前二七年オクタウィアヌス(アウグストウス)(崇高なる者)との称号を得て帝政に移行。以後紀元四七六年に西ローマ帝国が滅びるまでの約五〇〇年をローマ帝国と呼ぶ≫
とあります。ローマ帝国の範囲を示た42・43ページの2ページに及ぶ地図には、地中海を中心に北はイギリスの南から3分の2くらいのところまで、西はペルシャ湾まで、そしてアフリカ北部沿いをすべてと広大な広さです。

 マルクス・アウレリウスは期限121年4月26日に生まれ、18歳で「カエサル」の称号を受け帝位継承者になる。24歳結婚。40歳ルキウス・ウェルス共同統治帝。48歳ルキウス病死。そして彼は59歳で現在のウィーンで死去。という一生を送ります。
彼は、哲学者として生きたかったのですが、皇帝に指名され仕方なく皇帝となったのだそうです。そんな彼が、戦地に同行した妻を失い15歳になった息子を共同統治帝に任命しますが、この息子が、後に暴政を敷いて暗殺されるコモンドゥスで、逸材を登用して後継に据えるという慣例を破って無能な実子に継がせたのは賢帝アウレリウスが犯した唯一の失策と指摘されているようです。

 若くして次期皇帝の指名を受け、哲学者になる道を絶たれたマルクス・アウレリウスは、多くの困難が待ち受けており、多くの不幸にも見舞われ日々の激務に追われていました。 そんななか、そういった境遇の一日一日をどのように「善く生きる」かについてメモを残しているのがこの『自省録』だといいます。記述は断片的で、繰り返し同じことが書かれていることもおおく、意味の通じないところもあるといいます。
 ヘレニズムの時代を代表するという、論理学・倫理学・自然学の三部門が互いに結びついて「智慧」(人間生活の一切を正しく処理するための知恵)を求めんとする実践的性格を特徴とするストア哲学、またプラトンの希求する国家論などに大きく影響をうけているといいます。
 ≪プラトンの国家を望むな。わずかでも前進すれば十分だと考えよ。そして、その成果も僅かなものと考えよ。≫
と述べている言い回しの部分では保守的な部分を感じます。「善く生きる」とは幸せに生きるということだと述べられています。そのせいか読んでいて、先達者としての言葉というより、母親など近親者からの教えに聞こえる部分がよくあります。たとえば、病気の人に「大丈夫、あなたは不幸ではない。その経験は、きっと今後の人生に生きる」というようなことは、実際自分が病気になったときに自分に言い聞かせる事であったり、母親が子供に言い聞かせることです。病気でも災害でも手を拱いて何もできないわけではないし、まして原発の放射能汚染などによるによる人災であっても耐えよと言っていい人はいません。
 こうして他者からは言われないようなことでも、そのように思うことの方が自分にとって幸せだと思うならその方がいいということです。
 このように書かれた内容については、かなり仏教に近い思考に感じます。神は信じているのですが、じっさいキリスト教徒は嫌いだという記述もあるということでした。


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『保守と大東亜戦争』
2019/03/25(Mon)
 中島岳志著『保守と大東亜戦争』を読みました。
 集英社より、定価900円+税で2018年7月に発行された本です。
 この本も寺下さんにハーンの会の時お借りした本です。
 微妙なことが丁寧に書かれているので、少しでも整理して理解できるようにメモしながら時間をかけて読みました。

 微妙なこととは、大東亜戦争の歴史認識をどのように解釈するかということです。
 1995年、戦後50年の終戦記念日の「村山談話」を≪これは日本が植民地支配と侵略によってアジア太平洋地域の諸国民に多大の損害と苦痛を与えたことを再確認し、謝罪を表明する内容でした≫
と要約してのべます。このことが発端となり
 ≪村山首相の思惑とは裏腹に、与党政治家の中に日本の植民地支配への肯定的見解を持っているものが多くいることをあぶり出し表面化させること≫
になったといいます。

 「村山談話」を否定する人たちについて、私は、人として、国として、それでいいのかという気持ちは抱いたものの、学校で習ったことや、本を読んで知ったこと以外、知らないのですから、このことは、教科書問題は気になりつつも真剣に考えませんでした。しかし、昨今の政治情勢や、何かに忖度していることをあらわにするマスコミの動向を見ていると、私より26歳も若い著者が、保守主義の立場から真剣に研究していることに敬意をはらって読みます。
 多くの資料とともに、『ビルマの竪琴』で広く知られている竹山道雄(1903年~1984年)の1956年に出版された『昭和の精神史』を中心に読み解いてくれます。『ビルマの竪琴』はたしか小学生の時読んだと思います。とても感動したことを覚えています。
 その竹山道雄が、戦後日本の知識人がマルクス主義へと傾斜するなか、保守論壇の中心に立って、共産主義の欺瞞を追求したといいます。

 保守的な人間観とは、自分をも含めた人間に対する懐疑的な見方です。いかに秀でた能力を持った人間でも世界全体を過不足なく把握しきることは出来ない。間違いや誤認から解放されることはない。またどんな立派な人間でもエゴイズムや嫉妬から自由ではなく怨嗟の念などから「罪」や「悪」から完全に開放されることはなく、完全な社会を作り上げることもできない。歴史の風雪に耐えてきた社会的経験知にある集合的な存在に依拠しながら時代の変化に対応する形で漸新的に改革を進めるのが保守の態度だと説明されます。
 
 大東亜戦争が起こったいきさつや様子について、竹山道雄は1936年に起こった
≪2.26によって日本の転落がはじまり、ついに亡国となった。あの当時の、国に中心が亡くなって国家としての機能を失い、戦争に引きずられていったこと――これは致命的だった≫
とのべているといいます。

 竹山道雄は当然、こういったラジカルな革命のなれの果てである、超国家主義的なエモーショナルな使命感の強要であったり、ヒステリックな軍隊の凶暴な暴力による統率だったりに険悪感を持つようになります。

 びっくりしたのですが、彼は、1927年~30年までドイツとフランスに留学していて、ナチスの台頭現地で体験しているといいます。
≪1930年代のドイツは平衡感覚を喪失し、蒸気を逸しているように見えました。すべてが極端から極端への反動となり、歴史に蓄積されたリベラルな知性はわきに追いやられました。≫
と、その様子を語っています。フランス革命による恐怖政治も研究済みだったでしょう。

 そして、やっと戦争が終わったかと思えば、戦後、大東亜戦争への革命と同じ手法で共産主義が台頭してきたことも丁寧に述べています。マルクスが、「私はマルクス主義ではない」と言ったというところは説得力がありました。

 急進的な革命は、どんな状況の時にどのような人によって起こされるのかの危惧を忘れてはいけないと考えさせられた1冊でした。


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『親鸞と日本主義』
2019/03/22(Fri)
 中島岳志著『親鸞と日本主義』を読みました。
 新潮選書より 定価1400円+税で、2017年8月発行、2017年9月2刷です。
 この本は寺下さんにハーンの会の時お借りした本です。帰って夢中になって読みました。

 著者の中島岳志は、序章の冒頭に
 ≪私は、親鸞の思想を人生の指針に据えている。いかなる教団にも属していないが、自分は浄土真宗の門徒だと思っている。≫
と述べて自分のスタンスを表明しています。
 この本では、「親鸞」を著作によって世の人びとに広く知らしめた倉田百三、吉川英治、亀井勝一郎などを取り上げ、これほどの人たちが日中戦争のころから国体論を述べるようになり日本主義化していった経緯を語ります。
 「親鸞」の徹底した論理性にまで行き着いて考えることなく、「親鸞」の他力本願の思想が日本人特有の
 ≪自然の情景の中に「もののあわれ」や「神秘」「美」を見出し、それを抒情的に詠うことによって宗教観念を想起させる傾向が強い≫
 といったことが安易に国体論などに結びつきやすい危惧ものべています。

 倉田百三は、わたしの母校の三次高校の卒業生ということで、たしか校門を入ったところに石碑もあり、入学するやみんなこっそりわが母校の誇りとばかり『出家とその弟子』や『愛と認識との出発』を読んだのではないでしょうか。それが発行と同時に大ベストセラーになったとは知りませんでした。また、その彼が世の人びとからバッシングを受けるようなこともあり、そうして忘れ去られ、さらに日本主義化していったことも知りませんでした。いま手元の文庫本『出家とその弟子』の最後の百三の妹豊子の手になる部分を開いてみると、一幕のつもりで書かれていたものが、彼女が義伯母から借りた「親鸞聖人一代記」だけを参考に、つづいて6幕まで書かれたことにふれられており、そこにはやはり非凡なものを感じます。

 吉川英治の『親鸞』は実家にあった絵柄がピンク・水色・黄色の三冊のハード本で読んだ記憶があり、それが私の吉川英治作品への入り口になっていたように思います。その彼がのち、すすんで日本主義を推進したことも知りませんでしたが、戦後彼がそのことを悔いて、毎年広島の原爆孤児の学生4人への奨学金を捻出していたことは夫からよく聞かされた話でした。

 なぜエリートたちがこのような国体論に変更していったのかについては、超国家主義を分析した橋川文三の説で、藤村操の華厳の滝での自殺に象徴される、時代の煩悶青年の存在をあげています。
 ≪橋川の見るところ、超国家主義は「自我意識の欠如」が要因となっているのではなく、自我意識の過剰こそが「原動力」となっている。彼らは自意識の問題に悩み、疎外感を克服しようとする過程で超国家主義に感化されていった。彼らは宗教的求道という特質を共有していた。≫
 と述べてもいます。

 この作品に藤井恵照という教誨師の話が出てきます。この人は、日本共産党の「輝ける指導者」を皮切りに多くの共産党員の転向をもたらしたのです。その手口が小泉八雲の「ある保守主義者」にでてきて、雨森信成をキリスト教に回心させた教師と同じであったことに驚きました。

 またこの作品には、真宗教学懇談会の苦悩が描かれています。真宗教学懇談会というのは日中戦争が泥沼化して、国内では総力戦・総動員体制維持の挙国一致政策がすすめられるなか、東西の真宗教団も総動員体制への対応を迫られていたことによる懇談会のようです。この懇談会を読むと、よくもこの懇談会の様子が仔細に記録に残っていたものと驚かされました。

 「あとがき」では
 ≪戦前の国体論的な親鸞主義者たちは、時代の嵐に飲み込まれ、「平凡の非凡」を置き去りにした。そこには当事者なりの切実さと苦悩が存在した。状況も逼迫していた。現在の高みから断罪することは避けなければならない。
しかし、「そこ」に問題があったことは事実である。しっかりと検証しなければ、また私たちは同じ失敗を繰り返す。過ちは慎重に避けなければならない。≫
 で締めくくられています。


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第221回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2019/03/20(Wed)
 3月16日(土)第220回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 次回の日程と当日のプログラム
   次回 4月13日土曜日
 ✻ 「春の日の花と輝く」
 ✻ 田中先生 
     プリント 「高等学校英語教科書にもMUJINAが原文で!」
          小沢準作とハーン
 ✻ 横山さん 
     プリント 「へるん」~風呂先生の寄稿~
 ✻ 古川さん 
     プリント・影像 熊本城復興の様子
              小泉八雲旧居
              石仏
              熊本大学へ講演会に出席されたことの報告
  ✻ 末国さん 
      プリント アイルランド通信
 ✻ 三島さん
     プリント 出雲散策―松原家と松江・ハーンと神  熊取正光
           平川祐弘著『破られた友情』
 ✻ 「ある保守主義者」を読む
 ✻ 今後のハーンの会について
 ✻ 4月13日について

 私は2014年5月の、第165回「広島ラフカディオ・ハーンの会」から参加させていただいています。風呂先生は2017年12月16日の、第208回「広島ラフカディオ・ハーンの会」が最後でした。44回勉強させていただいたことになります。
 風呂先生は生前、ハーンを顕彰してきた人を顕彰することを大切にされていました。
 いまその風呂先生がいなくなられて、風呂先生を顕彰したいという思いになっています。横山さんが私が参加していなかった時の先生の発表されたプリントを提供してくださっています。それを読み込んでいきながら先生の研究されたものを少しづつでも顕彰できたらと思っています。
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『日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族』
2019/03/09(Sat)
 深谷敏雄著 『日本国最後の帰還兵深谷義治とその家族』 を読みました。
 集英社より、2014年(平成26年)12月初版で、2015年(平成27年)1月2刷の446ページで、定価1800円+税です。
 深谷義治氏が書かれたものと、その次男深谷敏雄氏が書かれたものとがあり、それぞれ名前を添えてあります。

 深谷敏雄その人の略歴
1915年(大正 4年) 島根県太田市河合町に生まれる。
1932年(昭和 7年) 旧制太田中学校を中退。大阪伊藤岩商店に勤務。
1937年(昭和12年) 応召。12月歩兵1等兵として、広島宇品港から中国大陸の戦場に向かう。
1944年(昭和19年) 東京中野の日本陸軍兵学校丙種学生隊入校。憲兵学校卒業。憲兵曹長に昇進。
1945年(昭和20年) 敗戦。上官からの「任務続行」の命令を受けて以降国や戦友たちのために中国・上海で潜伏と任務を続ける。
1958年(昭和33年) 中国公安当局によって逮捕。上海市第一看守所に投獄。この時、長男妻31歳・長男12歳・二男10歳・三男6歳・長女0歳。以後あらゆる拷問や虐待を受け、結核などにもかかる。
1974年(昭和49年) 無期懲役の判決を受ける。上海市監獄に移監。家族と16年ぶりに面会。
1978年(昭和53年) 日中平和友好条約の締結を受けて特赦。5人の家族と共に大阪空港に帰還。島根県太田市に暮らす。
1979年(昭和54年) 重婚罪の疑いで告訴される。松江家庭裁判所出雲支部の審判で無罪に。
1984年(昭和59年) テレビ朝日・水曜スペシャル『日本100大出来事』で歴史の真相を公表
2005年(平成17年) 重度身体障害者となり、広島の病院に転院。
2014年(平成26年)  この本が出版された。寝たきりの生活の日々
 巻末の略年譜の抜粋です。

 この事柄については、日中友好条約締結にまつわる朗報として大々的にマスコミで取り上げられて、すでに多くの人の知るところだと思いますが、私は記憶にありませんでした。
 日本人の父と中国人の母の間に上海で生まれ、30歳で日本に帰るまで中国語で過ごした著者は誕生日によっては私と同級生と思えます。そんな人が、私と同じ時代を、家族ともどもこのような苦難の中で生きてこられたことに茫然とするばかりでした。とくに、毛沢東が亡くなって四人組になってからの家族を含めての苦労は並みたいていのものではありません。
 当然と言えば当然ですが、同じ時代をいろいろな状況で暮らしている人がいることを改めて認識させられました。
 
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『NHK100分de名著 夏目漱石著『三四郎』・『夢十夜』・『道草』・『明暗』』 
2019/03/06(Wed)
 安部公彦著 『NHK100分de名著 夏目漱石著『三四郎』・『夢十夜』・『道草』・『明暗』』 を読みました。
 これはこの3月4日から放送されているテキストです。
 夏目漱石は、彼の作品と関連書はかなり多く読んでいる作家の一人です。目新しくないと感じて、ようやく4日に買い求めて今読み終わりました。
 しかし、読み始めからずいぶん衝撃を受けました。
 かって漱石についていろいろ読んでいたときと比べてずいぶん時代が過ぎ、自分の漱石作品の読み方は時代遅れだという印象です。。
 まず、著者の安部公彦・東大教授は私よりも17歳若い1966年生まれ。
 初めて聞いた名前です。
 「はじめに」は、夏目漱石と「出会う」ために で、
 ≪夏目漱石は食いしん坊でした。甘いものやこってりしたものが大好き。ステーキの味を覚えたのはロンドン留学の間でしょうか。お菓子にも目がなく、ジャムを舐めるのも大好き。お腹に悪いから食べ過ぎないように、と鏡子夫人は戸棚の奥に菓子類を隠したそうです。美食というより、B級グルメといったほうがいいかもしれません。・・・・漱石の小説家としてのデビュウー作となったのは『吾輩は猫である』でした。設定からして、とにかく楽しい作品です。出版物としても人気で、よく売れた。漱石にはエンターテイナーとしての天性の才能があったのでしょう。当時のトップエリートとしての道を歩んだはずの彼が、通俗的にアピールする力を蓄えていたというのはおもしろい。「B級」の感性のおかげかもしれません≫
と、食べ物も作品も「B級」、
 ≪しかし、同時におもしろいのは、漱石がそうした「B級」性に安住せずに外に出ようとしたとき、とても創造的にもなったということです。≫
 『三四郎』では、
 ≪「うとうととして目が覚めると女は何時の間にか、隣の爺さんと話を始めている。」の冒頭部分にある「何時の間にか」という語句に注意しましょう。三四郎にとって、世界はいつも「何時の間にか」動いたり、変化したりしているようなのです。≫
と説明されています。たしかにこの作品にはこの感じが終始漂います。
 『夢十夜』では、
 小説のルールから外れる『夢十夜』は、≪不思議な作品なので、納得できない、どう読んだらいいのかわからないと不安になる人もいらっしゃるかもしれません。≫と読者の気持ちを思って30ページにわたって丁寧な説明があり、「あれれ。ここ変だよねえ。おもしろいねえ。」と漱石の遊びっぷりを味わうのもいいのではないでしょうか。≫と閉められていますが、読者の心の中に起こる作用となる言葉に注目しての解説で作品をより深く読むことができます。
 『道草』・『明暗』の解説も、鏡子夫人の『漱石の思い出』を参考にしての丁寧な解説で、これまでとは違った鑑賞ができていきました。

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第219回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2019/03/03(Sun)
 2月16日(土)、第220回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 記録が遅くなってしまいました。
 参加者は14人です。
 いつもの通り、“ Believe me, if all those endearing young charms”を歌って、貝島先生が、3月は16日、4月は13日が大体決まりそうだと話してくださり、年度替わりの大学内での日程調整に手間をかけていただいていることに感謝です。

 田中先生は、「中学校英語教科書の定番教材:MUJINA」と題して、中学校英語教育に使用する教科書のあれこれについて話されました。
 も一つ「中学校英語教科書New Prince Readers とハーンの“Mujina”」というプリントもあり、”Mujina“は1962年以来ずっと1989年まで改定をしながら使われていることを知りました。会員の中には英語教師が多く、教科書策定については興味のある解説であったのではないかと思えます。
 今これを書いていると、テレビで「世界とつながろうポケトーク」29880円のコマーシャルをしています。こんな便利なものができるとは・・・・。英語教育のありようが変遷してゆくのもうなずけます。

 横山さんは、『「へるん」~雨森信成に関する熊取正光氏による寄稿~』という資料を準備してくださいました。私の難聴を考慮して三島さんが前に出ての発表を申し出てくださったのでよく聞こえました。感謝でした。
 この解説を聞いているうち、何を書いたか忘れてしまった自分の「ある保守主義者」のレポートのことを思い、不安になってきました。熊取正光氏とは、小泉八雲による「ある保守主義者」のモデル雨森信成のお兄さんの二男の息子さんです。この子孫による伝え聞いた話というので、昨年ちょっとした経験がありました。中浜万次郎について書かれた本をつづけて何冊か読んでいて、最後にこの親族による本を読んだとき、冒頭、高知にある万次郎の銅像について書かれてありました。それを読んだ瞬間、万次郎はフリーメイソンだと気づきました。彼のことが全く違う角度から見えるようになり、それまでの読書はいったいなんだったのかとさえ思うようになったのでした。おそらく横山さんのこの資料を読み込んでいくと、またレポートを書き換えなければいけなくなるだろうとの思いでした。しかし、ほっとしたこともありました。雨森信成の奥様の名前が「錦」さんであることをどこで知ったのかわからなくなって、いまとなっては自分が思い込んでいただけではないかとさえ思っていたのですがちゃんとこの資料の中にもあったことです。
 さいごに貝島先生による「ある保守主義者」の翻訳と解説がありました。解説には風呂先生が好んでおられた仙北谷晃一氏ばりのハーンの特性による解説があり楽しめました。
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