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『風の又三郎』
2019/06/29(Sat)
  宮沢賢治著 『風の又三郎』 を読みました。
 昭和36年7月発行、昭和58年12月42刷の、新潮文庫です。
 この文庫には、「注文の多い料理店」をはじめ。11の作品が収められています。

 そのなかの「風の又三郎を」をとりあげて、記録します。
 9月1日の朝、谷川の岸の小さな学校に5年生の高田三郎君という子が転向してきます。先生は、高田三郎君のお父さんが上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするために来たためにこの学校に転校してきたのだと説明してくれます。
 学校の子どもたちは、三郎が何かすると風が吹いたり、舞ったりするので風の又三郎と誰かがいいはじめます。6年生では一人しかいない一郎が下級生の面倒をよく見て三郎を取り込みながらみんなで楽しく遊んでいます。ある朝一郎は風の動きに又三郎がいなくなったのではないかとの予感を抱き、ともだちを誘って早く学校に出かけます。
 ≪「先生、又三郎は今日来るのですか。」とききました。
先生はちょっと考えて、
「又三郎って高田さんですか。ええ、高田さんは昨日、お父さんといっしょに、もう外(ほか)へ行きました。日曜なのでみなさんにご挨拶するひまがなかったのです。」
「先生飛んで行ったのですか。」嘉助がききました。
「いいえ、お父さんが会社から電報で呼ばれたのです。お父さんは、もいちどちょっとこっちへ戻られるそうですが、高田さんはやっぱり向こうの学校に入るのだそうです。向こうにはお母さんも居られるのですから。」
「何して会社で呼ばったべす。」と一郎がききました。
「ここのモリブデンの鉱脈は、当分手をつけないことになった為なそうです。」
「そうだなぃな。やっぱりあいづは風の又三郎だったな。」嘉助が高く叫びました。・・・・
風はまだやまず、窓ガラスは雨粒のために曇りながら、またがたがた鳴りました。≫
といった作品です。

 6月の初めころだったと思いますが、中学校のときの同窓会のお知らせが来ました。
 この同窓会の御知らせで、考えていました。私が会いたいと思っている子が来ない同窓会なんて・・・・。小学校の高学年頃だったのでしょうか。髪をくしゃくしゃにした男の子が転校してきました。帰ってそのことを母に話すと、母は「それはサンカの子だよ」といいました。「サンカは川のほとりを移動して生活して、棕櫚で箒などつくって生活をしている人たちだよ」といいました。その子もすぐにまた転校していったのではなかったかとおもいます。
 高校生になって下宿のすぐそばに貸本屋があり、そこで、三角寛著「山窩の記憶」?という本を見つけ夢中になって読みました。 それからはなぜか山窩とかマタギとか忍者の本を見つけると少ないのですが、熱心に読みました。
 ときどき、半分は、自分の中にこんな野性的な能力があったらと切望した人生だったような気がします。車や本や携帯やパソコンのない生活など考えられない、インフラの一部が機能しなくなったらお手上げという、こんないまの生活はいつか破綻する。と考えることで、バーチャルな世界で、川の水をたき火で沸かして飲んで、笹の葉の上に乗せた焼いた川魚を食べて・・・・と私のアバターは山窩が山姥に変わった姿なのかもしれません。
 宮沢賢治の作品は、そんなバーチャルな世界とリアルな世界を自由に行き来する不思議な作品かもしれません

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第226回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2019/06/19(Wed)
 6月8日(土)第226回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 「広島ラフカディオ・ハーンの会」は、風呂先生が亡くなられて、それでも風呂先生の意志をついで、ハーンの顕彰を続けています。しかし、都合がつかず休会になったことが3度あります。前回の5月の第225回も休会でした。その第225回と、215回・217回は 休会ということで、カウントしていき、今回は第226回として記録し、休会を1回と数えて、記録していけたらと思っています。
 今回も早くから、10人の参加がありました。

 貝島先生が、プリントを配布してくださり、ひきつづいての挨拶があり、会の進行予定を話され、そして、「ある保守主義者」論考集制作の予定と、進行状況についても説明してくださいました。大学での仕事がありながら、その合間を縫って、あれこれと世話をしてくださることに感謝の気持ちでいっぱいです。

 また、会の始まる前、いつものように三島さん、横山さん、伊藤先生、それに私の資料の配布をいたしました。
 私の配布物は3枚で、安田 登著 『NHK100分de名著 平家物語』のコピーです。ずいぶん前、5月の資料にしようと思ってつくっておいたのですが、すっかり内容については失念していましたので、説明はせずまあ読んでみてくださいと言いました。この記録を書く前に読んでみると、やはり皆さんに読んでいただきたい素敵な資料でした。資料の中にある「玄像」という琵琶については、ウィキペディアで「玄象」と引いて詳しく知ることもできます。

 三島さんは「八雲会報」を配布してくださいました。松江の方々と同じ資料が読めるのが、なんともうれしい会報です。「松江、小泉八雲と私」の記事を書かれている日本経済新聞松江支局長西村正巳氏は、ハーンへの興味も大変深いようで、ハーンの少数言語とのかかわりにも興味を持たれているようです。常松正雄氏の西田専太郎との往復書簡の記事も興味深く読みました。

 横山さんは2枚。なかに、「Kenchikushi」1月号からの仙田満という人の記事があり、≪明治に来たラフカディオ・ハーンやイザベラ・バード、エドワード・S・モースらは、親がこどもをとても大事にしているのを見て、他の民族には見られないことだと驚いている。≫という文面に赤い波線をひいてくださっています。このことでは、鎖国以前のルイス・フロイス(在日期間1562-1597)の報告書の、≪ヨーロッパではうまれた子供を殺すのは罪悪とされているが、日本ではしばしばこれを行うと。≫(永井路子著『歴史をさわがせた女たち』庶民編より)と述べ、さらに≪堕胎、子殺しが厳重に禁じられたのは正直のところ明治以後だと言ってもいい。それも実を言えば、富国強兵  低賃金で労働力をかきあつめ、戦争へ駆り出すためのものであったとすれば・・・・。母と子の歴史は決して明るくはない。≫とそれぞれの時代の事情について考えさせられます。
 いきなり暗い話になったのですが、写真のパネルトンネルは子どもが喜びそうです。以前児童館で勤務していたとき、ある児童館での児童館祭にナフコで大きな段ボールを数個貰ってきて、子どもたちが通れる大きさの丸や三角の切り込みを入れて並べると、入ったり出たりと大喜びだった事を思い出します。

 古川先生は、DVDでの報告でした。5月18日、5月22日、5月26日に挙行された松江城山稲荷神社式年神幸祭「ホウランエンヤー」に最終日に行かれたことの発表がありました。私たち夫婦もその日行ったので、もう一度楽しめました。横山さんは初日行かれたとのことでした。

 伊藤先生は3月20日に行われた、高揚公民館でのアーサー・ビナードさんの公演に関する資料を配布してくださいました。これは、今度入会された伊藤さんがこれを聞いて入会してくださったということで、取り上げられていた作品「十六桜」を少し前読みかえし、ひさしぶりにハーンの作品に接して、気が引き締まる思いがしたばかりでした。最後に、『論攷宮沢賢治』をくださいました。それを読んでいて、この参加記録が遅れた次第です。

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『論攷宮沢賢治』第十七号 (2)
2019/06/15(Sat)
 秦野一宏氏の論攷、〈考える〉ということ ―「なめとこ山の熊」考― を読みました。
 読むにあたって、論攷の対象になっている、角川文庫の、宮沢賢治著〈改編〉『風の又三郎』の「なめとこ山の熊」を最初に読みました。これは、さきの『春と修羅 心象スケッチ』の「序文」同様、解説を読んだあとに、「なめとこ山の熊」を読んだ方が深読みできたのかもしれないと論攷を読みながら思いました。

 なめとこ山の小十郎は猟師です。犬を連れて熊の狩をし、捕えた熊の毛皮と胆(イ)を町の大きな荒物屋に買ってもらうことで、孫と自分の年老いた母親の生活を守っています。
 そんな小十郎の猟師生活で、特に3匹の熊との出会いを中心に描いています。論攷では出会った順に熊Ⅰ、熊Ⅱ、熊Ⅲとしているので、それに倣います。
 熊Ⅰを鉄砲で撃ち殺したときは、≪「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑は無木はお上のものにきまったし里へ出ても誰も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生まれたが因果なら俺もこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生まれなよ」≫といいます。
 熊Ⅱと出会ったとき、≪小十郎は油断なく銃を構えて打つばかりにして近寄って行ったら熊は両手をあげて叫んだ。「おまえは何が欲しくて俺を殺すんだ」「あゝ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」≫それからちょうど二年後≪…そばに寄って見ましたらちゃんとあのこの前の熊が口からいっぱいに血を吐いて倒れていた。小十郎はおもわず拝むようにした。≫とあります。
 熊Ⅲと出会ったとき≪びしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞こえた。ところが熊は熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこういうことばを聞いた。「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらと青い星のような光がそこらいちめんに見えた。「これが死んだしるしだ。死ぬるとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。≫
 そのあと熊たちらしきものが山頂の広場に環になって一番高いところに凍てついた小次郎を座らせ回回教徒の祈るときのようにじっと雪に触れ伏したままいつまでもいつまでも動かなかった様子が描かれています。

論攷中、≪熊Ⅱは小十郎に問う。「おまえは何が欲しくて俺を殺すんだ」この熊の言葉は、〈人間ども〉あるいは〈おまえたち〉ではなく、直接「おまえ」、つまり小十郎という特定された個に向けられている。このことは重要である。たとえば〈熊殺し〉を戦争に置き換えてみればどうなるか。集団となって相手国の非をあげつらうのは簡単だが、目の前の相手を自分が殺さなければならないその理由を、当の相手に説明するとなれば、人は正常心を保てるだろうか≫

人間がこの自然界の中にあって生きとし生けるものがお互い殺生が許されるのはどんな時か・・・・を改めて突き付ける論攷でもあったようなきがしました。

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『論攷宮沢賢治』 第十七号 (1)
2019/06/11(Tue)
   
 『論攷宮沢賢治第17号』は、6月8日の、第225回「広島ラフカディオ・ハーンの会」のとき、伊藤先生からいただいた冊子です。
 この最初の論攷である、秋枝美保氏の論攷 宮沢賢治における短歌創作と「心象スケッチ」 ー石川啄木「生活の改善」の実現としてー を読みました。

 読みはじめて、この論攷の内容に困惑しました。
 私のなかで、近世と近代と現代の区切りというものについて、はっきりした認識がないと思い始めた矢先の出会いだったことによるものです。
 昨年の5月頃から入会した、月二回の可部公民館の「通史会」、月2回のうち1回はほとんど「ラフカディオ・ハーンの会」と重なるので半分の出席ですが、そこで、この会の古株でNHKの古文書解読講座で勉強したと時々資料提供をされ、解説をしてくださるDさんが、「仍如件」というのは、現代語に訳すとどういう言葉になるのだろうか、という疑問をもたれ話題にされました。沈黙が続いたので、つい「以上」ではないでしょうか。というと、そうだねということになり、さらにこの、「仍如件」という文末はいつころまで使われたのだろうかという疑問へとなりました。やはり沈黙が続きます。また私がつい、この言葉が一般に使用される文書の特性からいって、・・・・と考え、終戦まで使われたのではないでしょうかと、またいい加減なことを言ってしまいました。えーっ。という小さな声もあり、あとは何となくみんなそれぞれへの課題になりました。
 私が18歳ではじめて和文タイピストとして、就職した国泰寺高校の西側にあった建設会館での仕事の一つに、建設省からの建設業者への通達の文章が送られてくると、それに建設工業協会として、あるいは土木工業協会として、鑑をタイプで打って添え、300何社かの協会加盟業者に郵送するというのがありました。建設省から送られてくる通達文章のおわりに「以上」という言葉が必ずあったのが「以上」とのはじめての出会いでした。そして、その鑑の文末も「以上」とタイピングするようになっていたと思います。
 ちなみに昨年の秋から、交通安全協会支部の理事会の事務局を押し付けられ、7日に投函した6月の理事会案内ハガキの文末に「以上」とつけてみました。あのころから大方50年が過ぎようとしています。これはもう古くなった文章作法でしょうか。
 そのような文章上の課題についての疑問と文学とを一緒にするのはいかがかと思いますが、この論攷のなかで、明治になって言文一致への移行と並行するように翻訳文学や自然主義文学が流行りだし、それが紆余曲折あって宮沢賢治文学へと変質する過程が説かれているのを、丁寧に時間をかけて読みました。
 しかし、いくら丁寧に読んでみても、論攷の対象となっている賢治の作品、特にこの論攷で取り上げられている『心象スケッチ 春の修羅』の「序文」に触れないと、との思いから、我が家の本箱からさがして、「心象スケッチ」の「序文」を読んでみました。序文の中に
 ≪けれどもこれら新生代沖積世の 巨大に明るい時間の集積のなかで 正しくうつされた筈のこれらのことばが わづかその一点にも均しい明暗のうちに (あるいは修羅の十億年) すでにはやくもその組み立てや質を変じ ・・・≫
とあるのを読んで強い衝撃を受けます。
 私がこだわっていた近世・近代・現代の区分は、この作品のなかでは、いきなり無限大とも思えそれ以外のことは予想だにも出来ない時空の「一点にも均しい明暗」になるのです。
 これを理解しようと思いを巡らすうち、私の思いは、今を共有しているこの風景や人々みんなは、新生代沖積世のなかで、すべてわずかその「一点にも均しい明暗」になり、そのなかに自分が溶け込んでいき、目の前の我が家の建具も机もこのパソコンも、たった今訪ねてきた友人も、みんな自分の化身のように思えてくるのです。
 もしかして、これが宮沢賢治の世界かと不思議な体験へとつながっていく、私のこの論攷読書体験の結末でした。


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『NHK100分de名著 松永美穂著『アルプスの少女ハイジ』
2019/06/03(Mon)
 松永美穂著 『NHK100分de名著 アルプスの少女ハイジ』 を読みました。 
 これは今夜10時25分から放送されるNHK100分de名著のテキストです。
 今朝、私の車を車検にだし、帰りに早朝からの古文書解読で使い切ったための原稿用紙を買いに立ち寄ったお店でこの本を受け取っていないことを思い出し、あわてて買ってきた本です。

 直前のブログ記事の『松陰逸話』は薄い本なのに半月ぐらいかかって読むくらい忙しかったのか、気鬱だったのか、体力がなかったのか、もう本が嫌いになったのかと思っていましたが、なんと今日はこの『NHK100分de名著 アルプスの少女ハイジ』を3時間弱で読み切りしかもパソコンにまで向かっています。

 著者の松永美穂は、表紙に≪「喪失と再生」の体現者≫、あるいは≪試練が教えてくれる豊饒な自然、家族、社会の意味。≫と書いていますが、このことが、このところ大きく報道されている、川崎の事件への問題解決への細い糸口になりはしないかと思わされる気がしてくるのです。連日数人の有識者がいろんな専門分野の立場から、様々な意見を述べておられます。しかし、加害者・被害者双方にとって深刻な事態だけになかなかという思いです。
 こんなことを思っているとき、ふと、もしかして宗教が救えるのはこんな事例ではないだろううかと思われ始めた矢先の読書でしたから。
 私は、この家に移った後、真宗の仏壇は置いて、たまに線香をくゆらしてはいるものの、「信仰は麻薬だ」と言ったというマルクスの考えにもすこし理解もできる宗教感の持ち主ですが、放送第3回で述べられる、物語のクライマックスの一つ、ハイジのおじいさんの回心と共同体への復帰の場面の描写の中に、もしかしてと思わされます。その発端となる物語に宗教の登場する場面のそのほんの一部があります。
 ≪おばあさまはそんなハイジの様子を見逃しませんでした。「どこか具合が悪いの?」と聞くおばあさまに、ハイジは悲しそうに「話せません」と答えます。クララにも誰にも話せないと言うハイジの不幸な様子がかわいそうになったおばあさまは、「ハイジ。もし誰にも言えない悩みを抱えているのなら、天の神様にお話しして、助けてくださるようにお願いしなさい。神様は、、わたしたちのあらゆる苦しみを軽くしてくださるのよ」と言ってお祈りが何かも知らないハイジに、お祈りの仕方を教えました。・・・・ハイジは「今ではもうお祈りはしなくなちゃった」と言います。どうして?と聞くおばあさまに「毎日同じことを祈り続けたの。何週間も続けたけど、神様は聞いてくださらなかったわ」と言うのです。「神様はあなたに必要なものがちゃんとわかっていらっしゃるから、きっとこうお考えになったのよ。『うん、ハイジには、祈っているものを与えてあげよう。でもそれは、あの子にとっていい時期、それを本当に喜べるときにしよう。だって、今私があの子の欲しがっているものを与えてしまったら、あの子はきっと後になって、願いがかなわない方がよかったと気づくだろう。・・・・≫
 著者は、カソリックとは違うプロテスタントの特性を解説します。さらにヨハンナ・シュピリは、著書で「宗教」と言っても、自然の恵みや人の心に対して湧き上がる感謝を神様に向けるという特性を、教義についての説明ではなく、子どもにわかりやすい形で語っていることを特筆しています。この部分では、今私が読んでいる、古文書の『三業惑乱』の中で、奉行所が、真宗の僧侶に、おまえの信仰による安心とは何かと訊ね、
 ≪「私の安心は御文章改悔文の通り、阿弥陀如来を一心に頼む一念肝要と存じ奉り候 略して申上げ候得ば斯様にて御座候・・・・」≫
 につづけて分かりにくくいっているのとほぼ同じ内容ですが、われ等が自然の哲理を理解しうる人間であるがゆえに、救いの心・慈悲の心で見守ってくれている神・仏に身とこころをゆだねる謙虚さを育むなかで、忍耐と寛容さを持てる心にと、どう訴えることができるのかが宗教の大切な存在意義として感じられたことでした。


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