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『NHK100分de名著 貞観政要』
2019/12/30(Mon)
 出口治明著 『NHK100分de名著 貞観政要』を読みました。
 ≪中国史上最大の明君・太宗が新形と交わした問答を、同じ唐代の歴史家がまとめた帝王学の最高傑作。後世の皇帝たちがこぞって読み継ぎ、わが国でも家康や明治天皇が愛読した名著を現代にひもとく。≫と表紙にあります。

 君主でも皇帝でもない一介の老婆が果たして読む必要があるのかどうか・・・・などと思っていたのですが、ハーンの会での忘年会で、みなさんの前でこれから読む本は何ですかと聞かれ、そのときは、パスカルの『パンセ』を読みたいと思っています。といってしまいました。ちょうど『パンセ』のいい本があったので、なんとか読み終わったころ、美智子皇太后さまのニュースで、皇太后様は、つぎにはパスカルの『パンセ』を読まれるのだそうです。と伝えていてこの偶然に驚きました。それなら、仏教徒のわたしも帝王学も読んでもいいのではないかと訳の分からない理由で納得して読みました。

 唐(618年~907年)の時代、二代目の李世民(太宗)が、玄武門の変で兄弟を殺し、父高祖の譲位を受けて即位してから、三代目に譲位するまでの太宗のその間の記録をそれから50年後に呉兢(ごきょう)が第四代皇帝中宗に進呈したものだと言われているものです。

 太宗の皇帝になったいきさつは、直前に読んだ中村真一郎の『水の女王』の作品を思わずにはいられません。『水の女王』では、兄を殺して、自分が皇帝になりさえすれば、それもできないことはなかったと悔いる後半生ですが、太宗はこれをやってのけて、皇帝になり、よきリーダーとは何かを一生懸命考え、それを実践する道を歩み始めたのです。

 今年は、おおく古い時代の中国の本をかなり読みました。そんな中で、疑問に思うことがあって、納得づくで読めていなことが多々あったように思います。そんなことが、このなかでは、えー、そうだったんだと思うことがよくありました。著者の言わんとすることが徹底的にわかる本とでもいうか、古い中国の読み物で、読後のすっきり感はほかに比べようがありません。まさしくこのような人をリーダーに持ったら、なんとか協力できそうです。

 著者は、自分が迷ったとき、この本がそばにあり、初心にかえれることは贅沢なことですと述べられていました。

読み終えて、あらためて、皇太后さまも皇后を退かれて、神とひとり対話されることも多くなるかもしれない。悲しむ人の心にどうぞ神の光が注ぎますようにとひとり祈られる姿を思い浮かべています。
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『水の女王』
2019/12/29(Sun)
中村真一郎著 『水の女王』を読みました。
 これも読んでいるうち、「以前読んだことがある」と思いました。

 中村真一郎の全集は、福永武彦の作品とで一冊になっていて、今まで読んだ4作品が収録されています。長編からだんだん短編になってゆき、この『水の女王』は本当に短い作品でした。しかし、この作品は、一国の為政者が、父親である帝から帝位を譲られて、ほかの兄弟や謁縁者から帝位を守るための普遍的な行為から生じた物語と言えそうです。
 主人公の王は、長兄である帝から疎んじられ、ほかの兄弟にもまして遠くの鄙びた任地にわずかの領地を与えられています。
 兄の機嫌をうかがうために、都に出向いてよくのですが、さんざん寒いところで待たされた挙句、皆の前で軽くあしらわれて辱めを受けます。その帰路の森を抜け出たところの途上での夕焼け前の休憩に、供の者が食事準備のなどをするあいだに、都から任地へと流れている川のほとりで出会った「水の女王」について描かれています。

 都を出て、供の者との行軍のあいだ、王は都で兄弟と帝の子どもとしてくらした楽しかった日々を思い出します。そして、帝が敵の妻を捕虜としてとらえてきた美しい女性のことを思うようになります。まだ少年だったころ、彼女が帝に侵されることを憂い、しかし、尊敬していた優しい兄のとの結婚が決まり内心喜びもしました。それでも、その女性への想いはまし、彼女に子供ができてさえ、その姿を見ることを喜びにしていました。そんな彼の思いは兄の知るところとなり、ほかの女性と結婚させられます。妻は自分への思いがないことを知り、手のつけられない娨婦(かんぷ=気の荒い女)となり皇女しか身につけられない着物を纏ったりしたために、それが密告され父から死を賜ってしまいます。気の毒とは思うものの、彼女への思いはやまず、とうとう兄は自分の妻をも殺してしまいます。そして、自分の地位を脅かすものとして遠くへ左遷されてしまうのです。

 夕日に染まったこの川は、都から自分の居城まで、こころを通わせてくれるただ一つのものです。冬の孤独のなかで、遠い都の便りを聴こうと耳をそばだてしまいます。
 ふと川のほとりの岩の上に夕日の中に揺れている美しい女性に目を止めます。女性は身を伸ばし空に向かって両手あげて宇宙の精を吸い尽くそうとしているように見えます。
 川の水はしぶきをあげ数知れぬ女たちが立ち現れて、彼女はその女たちの女王のようでした。そのことに王は歓喜に燃えあがり、しばらくして、歓喜は静かな幸福感に代わっていったのでした。
 兄が帝になる前、自分を推挙するものもいた。そのとき、どうして自分がその地位に就くことに固執しなかったのかという思いが、その手遅れを悲しんでもいたけれど、今、思いがけなくも満たすことができたと思うのでした。

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『生き残った恐怖』
2019/12/28(Sat)
 中村真一郎著 『生き残った恐怖』を読みました。
 読んでいるうち、「これは以前読んだことがあることに思い当たりました。
 作品中でてくる、「教会の入り口の錆びた閂」を見て、ずっと以前の恐怖を思い出して、それの告白のために、当時も」から今もつづいている友達に会いに行き、そのときのことを話すという話です。

 わたしにも「教会の錆びたの閂」には思い出がありました。。
 この小説のように深刻なものでは全然ありません。子供のころ、1時間くらいバスに乗って歯医院に通っていたころのことです。 
 そこの歯医者さんは、いま思えば当然と言えば当然ですが、ちょっとなにか歯の手当てをするごと手を丁寧に洗われるのです。それで、待ち時間が非常に長くなるのです。その歯医院の向かいに教会がありました。いつも閂はしまっているのですが、あるときその閂があいていて、人がおられました。なかには、本がいっぱいある棚がありました。どのような交渉があったのか覚えていないのですが、いつでも閂をあけて本を読んでください。と言ってくださいました。それからは、歯医者さんに行くのが楽しみになりました。歯医者さんが手をいくら洗われようと苦にならなくなりました。

 以前読んだ時もこの時のことを思い出したので読んだことがあると確信したのでした。
 この作品の内容についても同じように覚えていたいものです。

 戦時中、いよいよ召集令状が来て、深く悩んだ時のことです。
 ところが、この「教会の錆びた閂」を見た瞬間ある決断ができるのです。徴兵検査のために帰京するときの、あのバス飛び乗る瞬間だった。と述べます。彼は決定的に、自殺を選ぶ方に懸けます。しかし、それは「だれひとりからも理解されない」孤独のみちでした。そんな自覚が伴っていたので、その決心は非常な淋しさ、頼りなさ、に結び付いたといいます。そのため、一方の心で決まったという安心はありながらも、名状しがたい恐怖に脅かされたのでした。
 その決断とはもちろん、もし戦場で敵と向かって斬るか斬られるか、撃つか撃たれるかといった状況になったときには自殺をするというものです。その決断に至った思いのたけを友達に話すのです。友達に話すときは40歳を過ぎているのですが、当時20歳だった時の決断は、まるで猪八戒が、いろいろな先哲と言われる人のところをたずねて歩くようにおもわせます。、いろいろな考え方からこの決断へと向かいます。彼はあらゆる心理的現象を制裁に分析することで知られている作家なので、友達は、彼が恐怖の性質について考えたと述べたとき、次にどのような複雑な分析が始まるかと、深い興味を覚えたといいます。

 彼の考えのなかで、以外だと考えたのは、ぼくがカソリックの思想に関心を持っていたとっても、それが教会の正統の神学からすれば、受け入れられるものであるかどうかもわからなかった。という部分です。正統かどうかというより、納得いけばそれが一番自分に合った宗教と思うのですが、それもひっくるめて、若かったと言うのかもしれませんが。

 「絶対平和論、無暴力主義、だったんだな」、トルストイ、ムッソリーニ、ヒットラー、ガンジー、と研究をします。
 徴兵検査を受けると、彼の健康は絶望的に蝕まれていることが判名して、兵役免除になったのでしたが、この時の決断への恐怖については決して忘れられないのです。

 私はこれを読んでいてふと考えました、戦争をやろうとする人は、やっつけたいと思う人同士だけで、砂漠にでも行ってやったらよかろうということです。関係ない人を巻き込むのは、迷惑だと思います。

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『感情旅行』
2019/12/27(Fri)
 中村真一郎著 『感情旅行』を読みました。
 著者は
 ≪ぼくはぼくを取り巻いている日常生活から、しばらく身を退いて、僕とは何か、という問いを自分に発したくなると、それが外形的な現れとしては旅行という形式に具体化されるのだ。≫
 と、冒頭の文章に述べています。今度の旅の案内役J君、彼のその旅行の目的を知っていて、物慣れた様子で付き合ってくれます。
 J君は古河から東京に勤務していて、夜はこの市の音楽研究団体の指揮者をしています。そして、彼はこの市の演劇研究団体に属しているF嬢にもこのことを話していて、駅に迎えに来てくれます。そしてF嬢は、『なよたけ』を上演することになっていてその練習をし、J君は『なよたけ』のなかの歌の作曲もやっていました。自分も偶然『なよたけ』の作者の全集を編編集しおえるためにこの旅行が2週間遅れたのでした。

 彼は、座談会の席上で、現代作家の室町文化に対する一般的な無知を叱られたことで、古河公方の遺跡を見て歩きたい。との希望を持っています。私も、室町時代のことについては全く暗い部分の一つなので、彼とともに新たな歴史文化に出会えたことに大満足しました。

 古河は、15世紀半ばに関東地方を支配した城館があったところだといいます。この頃は、東京ではなく古河が中心で半独立国として、京都から自立していたとも言います。
 このころを背景として書かれた作品が、古河を滸我(コガ)として南総里見八犬伝があるといいます。
 御花園天皇の1449年正月足利成氏関東管領となる。そして、土御門天皇1497年九月に64歳で亡くなるまでの大まかな年表があります。J君の用意した『郷土史年表』と、彼の持ってきた『後鑑』との記述で説明があります。京都との確執、執事上杉家との確執に始まり、悲劇的成氏の悲劇的な一生を語ります。藤氏の1562年ころまで続いたようです。

 晩年を古河城で軟禁されて、自由をも与えられ過ごした熊沢蕃山の墓碑にも出かけて『先哲叢談』に出ている由井正雪と熊沢蕃山が出会った時の話をF嬢のお父さんY老人のから教えていただいたりして墓参をします。

 Y老人から、古河にまつわるいろいろな話を聞いて2泊三日の旅を過ごします。

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『熱愛者』
2019/12/27(Fri)
中村真一郎著 『熱愛者』を読みました。
 ただの恋愛小説とも読めますが、お互い愛し合って好きでいるのに、現実一緒に生活をしてみるとうまくかみあわず、お互いにストレスが蓄積して崩壊するといういくつかのパターンを一つの小説のなかで物語っています。
 
 解説を読むと、この作品は、松竹で映画化されたとあります。
 若いころ(1944年)の夏に信州の追分で親密になったという、佐々木基一氏の感想が載っています。

 ≪たぶん、中村真一郎には、あまりに物語りへの興味が強すぎるのだ。そういうわけで、ほとんど他人には伝達できぬような魂の奥の深い体験が、生きた体験として提示されないで、物語りのなかのできごととして、宥和されてあらわれてくるのである。『生き残った恐怖』が、なまなましい恐怖を伝達するかわりに、一種の寓話と化しているのもそのためだろう。『熱愛者』に、風俗的な軽さと、通俗的パターンが付きまとっているのも、おそらくそのことと無縁ではないだろう。『熱愛者』という表題は、わたしにはほとんど逆説的な皮肉にしか受けとれない。ここでは、愛の風俗的な外形は示されるが、愛の本質は少しも追及されない。日常的現実のなかにおける愛の不可能性は示されるが、主人公の音楽評論家が、それによって傷ついたり、絶望や苦悩に陥ったりすることは少しもない。それとも中村真一郎は、故意に通俗的な構図を借りて、現代人の乾ききった心の状態を、戯画的に表現して見せようとしたのだろうか。中村真一郎の創造の基盤は、たしかに、統一的人格の崩壊という現代の状況に根を下ろしている。あるいは明確な現実象の崩壊、現実の喪失という現代人の肉的体験に根を下ろしている。・・・・≫
などとありますが、よくはわかりません。
 けっこう長い読み物でした。
 福永武彦を読もうと思って、一緒に収録されている中村真一郎も読みました。
 

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『ドレの旧約聖書』
2019/12/23(Mon)
 谷口絵里也訳構成 ギュスターブ・ドレ挿絵  『ドレの宝島』を読みました。
 宝島社から、2010年11月26日に第一刷発行されたものです。

 『旧約聖書』のことが多く引用されている、パスカルの 『パンセ』を読んだことによる思い付きでもありますが、夫が数カ月前購入していてもっと早く読みたいと思っていましたが、この度、やっとどうにか読むことができました。
 新約聖書は高校生の時、世界で一番読まれた本だからということで、教会で頂いて読んだきりですが、旧約聖書を読むのは初めてです。

  夫がこれは旧約聖書といっても大幅に抜粋してある本だからと言って、自分は新たに岩波文庫の『文語訳 旧約聖書』Ⅰ~Ⅳを買って読んでいると見せてくれました。
 確かにこの宝島社のものは、文字も少し大きく、半分はギュスターブ・ドレの絵が入っていて430ページですが、『文語訳 旧約聖書』Ⅰ~Ⅳは文庫本ですが4冊で2000ページ近くあります。夫はドレの絵を楽しんだようですが、私が絵を見いるようになったのは中ごろからです。
 ほしいのは地図です。もしかしてと思って、文庫本には地図があるのではないかと夫にきいてみるとと、思った通り、最初はイスラエルだけの地図があり、読むにしたがって話の範囲が広がっていき、地図の範囲も広くなり、結局4冊で4つの地図があり、書かれている場所が多少分かるようになってきます。

 中島敦から『パンセ』、『パンセ』から『旧約聖書』となったのですが、『パンセ』も『旧約聖書』も読物としては特殊で読みが深まらないせいか、なかなか関連づけて納得というのができないのが残念なところです。

 いったいこの『旧約聖書』の記録をどう書く? もしかして紀元前17世紀頃からのとびとびの歴史を!!とも思えます。この『旧約聖書』はいろいろの宗教、中でもユダヤ教、イスラム教、キリスト教といった世界的な宗教の共通の経典です。

 旧約聖書の戦いの歴史を垣間見ると、これらの契約による宗教がいがみ合っている歴史が紀元前17世紀からずっとあるという思いがしないでもありません。ただ、パンセが感じている、人間が過去を考え、未来を予想する動物であることを自覚したときから、今この瞬間を生きることに、心を定められないみじめさから逃れるために、お祭り騒ぎをするという人間の不幸を理性によって直感的に認識するために常に神に祈る。とでも解釈すべきでしょうか。

 こういった宗教が起こる前提としては、中島敦が描く李陵のことを思い浮かべます。
李陵は徒歩の兵を引き連れて、騎馬兵を擁する北狄を撃つことになり敗戦の将として捕虜になります。そうしてその地方で暮らしてみて初めて、彼等の生活が野蛮なものではなく、その気候風土に適したものであることを悟ります、このように契約による宗教が起こるという風土的な前提があるのかもしれないと思えもします。
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『パンセ』 (下)
2019/12/19(Thu)
 パスカル著 塩川哲也訳  『パンセ』 (下) を読みました。
 岩波文庫が2016年7月15日に第1刷発行 したものです。
 
 ≪『パンセ』はたんにパスカルの私的な瞑想の記録ではなく、未完のキリスト教護教論の準備のメモの集成である。そこにはキリスト教の真理を読者に向けて弁証するという強烈な説得の意思が執筆の動機として控えている。しかし、そのような使命をパスカルはどこから授けられたのか。彼は一体いかなる資格で「護教論」の企てに着手したのか。すでに見たように、彼は聖職者でもなければ、専門の神学者でもなかった。地上の目に見える教会が、とりわけ彼に護教の任務を託した事実はない。・・・≫
 この一文は、60ページに及ぶ、解説二 「キリスト教護教論とはいかなる企てか」 のなかにありました。この文章を読んだ時、私はほっとしました。というのも、この作品を読んでいるうちに、彼は一体いかなる資格で「護教論」の企てに着手したのか。という問いがだんだんと募って来たからです。それは、彼の社会的な立場への問いかけではなく、侵しがたい神と彼との関係においての問いかけでした。しかし、それ以前に、この脈絡のない作品の文章を私は読めているのかという疑問が常にあったからです。
 著者は、この解説のなかで、岩波文庫への執筆に15年を要したと述べています。
 校訂者は校訂者である前に読者であるとも述べていますが、その人も同じような疑問を抱いていたことが分かってきたのですから、少しは理解できていた部分もあったと胸をなでおろすことができたのでした。

 そして、それへの回答も用意されています。
≪彼は預言者ヨエルの言葉を敷衍して、「神は預言者を通じて〔・・・・・・・〕、イエス・キリストの御代には、自らの霊をもろもろの民の上に注ぎ、教会の息子、娘、子供たちも予言するだろうと言われた」とのべる。≫
 と述べます。この文言は聖書では、「ヨエル書」第2章28節、(新共同訳では、第3章1節)、『パンセ』では、(上)の最後の三八二で、434ページです。

 預言とは、「外部の証拠によらず、内的で直接の直感によって神について語ること」にほかならないとあり、この文言はやはり『パンセ』では(上)の三二八で、395ページです。この文章には傍線が引いてあり、パスカル自身のメモに傍線が引かれてあるといいます。

 ≪パスカルは、自分が「内的で直接の直感によって神について語る」者、つまり預言者であることを自覚していたのである。彼が大胆にも「神の知恵」を直接の語り手として文中に導入するのもそのためである。≫
 と述べ、そのことは、1656年3月24日姉のジルベルトの娘で、ポール・ロワイヤルの修道女だったマルグリット・ペリエの身に生じた、目の手術を直前にして完治した「聖荊の奇跡」を見て、それらの経験から自覚を確固たることにし「教護論」への決意をしたと言われています。

 パスカルはその企画として、二人の哲学者、エピクトテスとモンテニューの人間観を突き合わせて相互の矛盾を浮き彫りにして、これを解決する神秘としてキリストの教えを提示したといいます。
 それで、『パンセ』(上)の最初から、 ずっとモンテニューの人間観のメモがあったことがうなずけます。

 それにしても、この読みにくい作品が、いま約350年を経て安佐北区民図書館にどのようにして鎮座していたのかという疑問があります。そしてさらになぜ中島敦がこの『パンセ』を読み込んでいたのか素朴な疑問が残ります。
  『パンセ』(上)での解説一の三では、どうして、またどのようにして、この『パンセ』が成立したかが語られています。あまりにも雑然として脈略のない説明に欠けたこのようなものが、という思いでしたが、文章をそれが発見されたのと同じ状態で出版することにしたそのものが彼らの危惧を裏切り、期待をはるかに超えて読者を獲得するロングセラーになったというのです。これについては私も同調しかねるのですが、徳川家光のころのフランスのようすが垣間見えたことには感謝です。

 この読書中に、息子を殺した元政府高官の判決がありました。法でも、福祉でも、倫理でも解決つかない問題が多々あるのが世の中です。以前、戦後戦犯で死刑を宣告された死刑囚に対して、GHQが仏教徒で、キリスト教の教誨師のような役割をする人がいないかと募集したとき、東京大学の宗教学者姉崎正治教授がその任に当ったということを書いた本を読んだことがありました。
 キリスト教にある神の恩寵というようなことを考えたことを思い出しました。

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『パンセ』(中)
2019/12/16(Mon)
 パスカル著 塩川哲也訳 『パンセ』(中) を読みました。
 岩波文庫が2015年10月16日に第1刷発行 したものです。
 
 ≪主著である『パンセ』を最後まで読み通した人がいるかということになると、これはまた別問題です。むしろ、そうした人は絶対的に少数派であると断言できます。興味をもって少しページをめくって「なるほど」と頷いた箇所もあるけれど、途中からキリスト教の話が多くなって通読は諦めたという人がほとんどではないでしょうか。
これには、充分な理由があるのです。
 一つは、『パンセ』の正式なタイトルが『死後、書類の中から発見された、宗教およびその他の若干の主題に関するパスカル氏のパンセ(思索)』とされていることからも明らかなように、『パンセ』とはパスカルが生前に考えを巡らした草稿の中から遺族や編者が宗教や道徳、政治、言語などに関する文章を選び出して編纂した随想集だからです。つまり、パスカルが一気に書き上げた著作ではないので、最初から最後まで読み通すのは容易ではないのです。おまけに、未定稿として残されていたものなので、草稿と草稿を結ぶ「糸」の部分にはパスカルではなく編者の意思が強く反映されています。≫
 これは、『パンセ』(上)に述べた、ネットでみつけた2通りの『パンセ』のダイジェストの中の一文です。何度か読んだのですが、私もご多分に漏れずやはりお手上げです。キリスト教について彼がどのように信仰をもっていたのかにこだわろうとすると、頭が痛くなってきます。1623年~1662年を生きたパスカルの当時のキリスト教事情が分からない、それどころか、そもそもほとんどキリスト教の歴史認識のないことに気づかされます。
 このような愚痴を語らず、
 ≪…換言すれば「キリスト教護教論」としてではなく『パンセ』として草稿が残されたために、私たちは汲めどもつきせぬ大きな知恵の泉を手に入れることができたのです。≫
 と、著者は『パンセ』から汲み取った文言を列挙されていますが、これは貝嶋先生の言われるように、哲学的、あるいは宗教的な用語を原文によって感じ取れたからこそではないかとも思えます。

 キリスト教についての文章がとめどなく続く内容を読むことで、すっかり忘れていました。この読書は中島敦を読んだことからの読書でした。1っか所やっと気づきました。
 491ページの最後から始まる、
 ≪八〇三
 もしも私たちが毎晩同じ夢を見るとしたら、それは日中いつも見ているものと同じ影響を及ぼすことになるだろう。そしてもしもある職人が毎晩十二時間にわたって自分が国王である夢を必ず見ることが分かっているとすれば、その男は、毎晩十二時間にわたって自分が職人である夢を見る国王と同じくらい幸せではないだろうか。・・・・なぜなら人生は一つの夢、夢よりはいささか手ごたえのある夢にすぎないのだから。≫
 の一文です。中島敦の「南洋譚」幸福に、自分が国王である夢をみる職人と、自分が職人である夢を見る国王が語られているのです。伊藤先生にお借りした『中島敦全集 第三巻』に収録されていた作品群中、ブログには記録してはおりませんが、中島敦の語り口に魅了されて読んだ作品の一つであったように思います。
 偶然ですが、中島敦もパスカルも39年の生涯でした。
 そして、正義よりも力が、言い換えれば暴力が権威になる時代を生きた人でした。


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『パンセ』(上)
2019/12/13(Fri)
 パスカル著 塩川哲也訳 『パンセ』(上) を読みました。
 岩波文庫が2015年8月18日に第1刷発行 したものです。
 
 中島敦を読んでいるとき、彼の作品はその設定が古代中国であったり、アッシリアであったり『光と風と夢』のような南洋であったりするが、思想的には、パスカルの『パンセ』によったものだといったような解説を読んだために、なにげなく、『パンセ』に興味を持って読んでみようと思ったのです。
とりあえず、ネットで2通りの『パンセ』のダイジェストのような文章をすべて印刷して3回くらい読んでみました。
 
 いよいよ本文を読んでみようと、この気持ちを、中島敦の関係の本をプレゼントしてくださった寺下さんに伝えると、寺下さんも中島敦と『パンセ』についてはご存じで、すでに『パンセ』は読んでおられて半分くらいからあとはキリスト教のことがずっと述べられているだけだとも教えてくださいました。
 そして、貝嶋先生は、哲学書は原文で読まないと違訳が多いと教えてくださいました。

 日本語がやっとの私に、原文など読めるはずもなく、貝嶋先生のご忠告もむなしく、いよいよ、安佐北区図書館にあることが分かったのでお借りしてきました。
  約493ページの分厚い(上)、650ページの(中)、506ページの(下)です。
 「はしがき」は『パンセ』はパスカルの残した文章を関係者が集めて編纂した遺稿集で、死後8年を経た1670年「死後書類の中から見出された宗教および他の若干の主題に関するパスカル氏の断想(パンセ)」という題名ではじめて公刊されました。など4ページにわたって書かれています。
 わたしはこの『パンセ』上巻を読むあいだ、A4を半分に折ったメモ用紙に、あとで、このブログ記事を書くためなどメモを取りました。ページ数とポイントとなる言葉、貝嶋先生に云われていたので、一つの言葉、例えばパンセ、オピニオンについてのちがった訳のメモなどです。これを他人が見ても何のことかわかりませんが、もとの『パンセ』があれば、なるほど・・・と、合点がいきそうです。

 『パンセ』も、いろいろの紙にメモ書きされているものを寄せ集めたもので、最初のほうはほとんどモンテーニュの『エセー』(エッセイ)からの言葉についてです。随分読んで120ページまでいくと、「エセー」とは「びっこ」のことだともあります。またほかの人の著作からのものもありますが、それもおおかたは、やはりモンテーニュの『エセー』からの抜き書きです。これだとモンテーニュの『エセー』を読んだ方が手っ取り早いのではないかとも思えて、やはりネットで調べたりもしました。

 そのうち、というより早いうちから、寺下さんの言われたように、キリスト教護教論になってきます。しかし、242ページの小さなコナダニを分解していくところからのキリスト教への切り込み方は、今まで読んだことがなかったような鋭い説得力で迫ってきます。
さすが、12歳で三角形の内角の和が二直角であることを証明し、16歳で『円錐曲線試論』?を発表して射影幾何学における「パスカルの定義」を明らかにし、徴税担当官だった父を手伝うかたわら史上初の歯車を用いた計算機の考案製作をし、「トリチェリーの真空」が大気の重さ、さらに一般的には流体の平衡にもとづいて生ずる現象であることを明らかにして、圧力の単位「(ヘクト)パスカル」にその名を残した人であることを感じさせもします。

 この『パンセ』(上)をどうにか読めたのは、人間の不幸について、その原因が、
≪人間の不幸は、ただ一つのこと、一つの部屋に落ち着いてじっとしていられないことからやってくる。・・・・≫という言葉がつねに語られ、それが宗教に結び付けられていくところにあるとも言えます。この一つの部屋に落ち着く幸福を味わうために、ひたすら読書ができました。この部分では、仏教の座禅について考えさせられます。

 ある一人の人が、自分にだけにわかる言葉でメモったものを読むために、そえを補う(注)が、本文以上に重要な役割をする本でした。


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『21世紀のための友情計画』ASEAN・太平洋諸国・南西アジア
2019/12/10(Tue)
 国際協力事業団が、平成4年に発行した、『21世紀のための友情計画』ASEAN・太平洋諸国・南西アジア を読みました。
 これは、1991年に実施された、ASEAN・太平洋諸国・南西アジアの16の国と日本が協力して行った友情計画の事業の報告書です。
 「21世紀のための友情計画」に基づき、
 ≪平成3年の招へい事業は、786名のASEAN青年、太平洋青年を迎えて、海部総理大臣の提唱による「日・南西アジア青年友情計画」に基づく100名の青年を新たに加え、合計960名の受け入れを無事終了することができました。≫と序の冒頭に記されています。
 あとは、計画の概要から始まって、実施体制、国別受け入れ実績、16か国の青年たちの感想文、合宿セミナー参加日本青年の声、実績資料、青年招へい事業実施協力団体一覧に、関係機関の連絡先、招へい青年名簿と続き、300ページに及ぶ冊子です。
 私は、今からおおよそ28年前、この事業に参加したインドネシアのユニタという女子学生のホストファミリーになったことがあり、この本は、その時の関連書物や書簡を箱におさめこんでおいたもののなかにあったものです。
  夫の友人の正本さんから依頼を受けて、このような事業の一端を担っているという自覚もなく受け入れを承諾しました。英語の通訳は近所の広島市の嘱託として同時通訳をされている渡辺さんに頼んでおいでいただき、交流は大学生だった娘の友人を数名招きました。
 インドネシアの他の学生やホストファミリーが集まるパーティーに出席するなど働きながらのことでもありましたので大変忙しい思いのなかで、あれよあれよという間のことだったように思います。
  このたび、この本を読んだのは、「広島ラフカディオ・ハーンの会」に出席したとき、寺下さんから回されてきた、佐伯啓思監修による『ひらく』2の冒頭にあったEU関連の記事からでした。EUの父と呼ばれたクーデンホーフ・カレルギィーと、ホストファミリーを頼んできた、正本さんとの関係について知りたいと思ったからです。


 夫から、若い時分に、ヒロシマを尋ねられた、クーデンホーフ・カレルギィーと鳩山兄弟に、正本さんを介して会い、尾道の友愛青年の家に送っていったことがあると聞いていました。このことを寺下さんに話すと、それはいつ頃のことですかと夫に聞かれましたが、夫はよく覚えていません。しかし、いまネットで検索して、それが1967年だと正確にわかりました。
≪クーデンホーフ=カレルギーは1967年に訪日した。彼にとってこの訪日は、東京で生まれて以来、71年ぶりの日本への帰郷であった。昭和天皇と香淳皇后に謁見し、皇太子明仁親王と美智子妃も接見した。
  クーデンホーフ=カレルギーは昭和天皇に個人として謁見し、勲一等瑞宝章を授与された。・・・クーデンホーフ=カレルギーを日本に招待した関係者のうち鹿島守之助と鳩山薫(鳩山一郎夫人)の2人は1966年に勲一等瑞宝章を受勲した≫とあります。
 夫もこの時は22歳だったことが分かりました。ですから、こんなに偉い人だと知ったのはすこし後になってからのことのようです。
このネット記事を読んで聞かせると、そういえば広島市内訪問の車はすべて鹿島建設の黒塗りの高級車だったことも思い出したようでした。そして、さらに詳しく思い出したようで、くわしく話してくれました。
 正本さんはすでに東京でクーデンホーフ=カレルギー夫妻にあっていて、広島にお迎えする計画にかかわっておられたようです。
 そのため夫は広島駅に誘われて迎えにいき、クーデンホーフ=カレルギーの手招きで正本さんと夫が呼ばれ、駅長室の隣の応接間、県庁、市役所、平和公園の慰霊碑、原爆資料館への訪問にご一緒したのだそうです。クーデンホーフ=カレルギー夫妻は、奥様が車いすだったためにクーデンホーフ=カレルギー自身が車いすを押しておられて、他の随員にはその役をさせられなかったのだそうです。
 ところが、県庁を訪ねられたとき、玄関が階段だったので、夫と正本さんとが両脇から「よっコラショ!」と掛け声を掛けてもち上げたので奥様がその掛け声をおもしろがって大笑いをされたのだそうです。クーデンホーフ=カレルギーも喜ばれ、県会議員が整列して待ち受ける中を知事室に随行し、市役所でも玄関が階段だったので「よっコラショ!」と正本さんと両方で持ち上げ市長室を訪ねたそうです。平和公園の慰霊碑前では、クーデンホーフ=カレルギーは、献花のために大きな花輪をわたされて、夫人の車いすを押すことができず、そこは夫が一人で押して、正本さんは奥様用の花輪の献花を手伝ったようでした。
 尾道の友愛山荘を訪れるために広島駅を離れられるとき、奥様が夫の腕をもって離されないので、友愛山荘までついていくように言われ、急遽友愛山荘でクーデンホーフ=カレルギーの講演を聞いて、尾道駅で御一行と正本さんをも見送ったようです。
 そのときの講演のお話はどうだったのかと聞いてみますと、当時の冷戦体制のなかでのヨーロッパの国々の現状について語り、それらの在り方について話されたということでした。


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 第232回「広島ラフカディオ・ハーンの会」参加記録
2019/12/09(Mon)
 12月7日土曜日、第232回「広島ラフカディオ・ハーンの会」に参加しました。
 参加者は15名でした。今回も島根大学ラフカディオ・ハーン研究会事務局の横山純子さんが参加してくださいました。ハーンが愛した松江から、そのハーンの顕彰を長いあいだされてこられた参加者を迎えるのは本当にうれしいことです。

 いつものように「Believe Me」をうたって始まりました。
 そのあと、私たちのハーンの会を応援してくださっていた、詩人の井野口慧子さんが胸部大動脈破裂で12月1日に亡くなられた報告があり、会員一同黙祷をいたしました。75歳だったそうです。私は、高校時代、三年間三次に下宿していました。そのあいだ、三次に嫁いでいた従妹をたよって遊びに行っていましたが、井野口さんのおはなしから、お生まれになったおうちがその近くであったことを、お互いで確認し、親しくお話をさせていただいたこともありました。
 4月13日の、昨年2月26日に亡くなられた、「風呂先生をしのぶ集い」には元気な姿で参加してくださいました。あまりの突然な出来事で時間がたてばたつほど「なんで!」という気持ちがつのり、寂しくなっていきました。

 古川さんは、「情報交換」のプリントの配布をしてくださっており、その説明をしてくださいました。

 三島さんは、2016年新宿書房発行の『ラフカディオハーンの魅力』――パッションからミッションへ――を紹介され、そのなかのハーンの「オープン・マインド」の精神について強調されました。「オープン・マインド」について、領域をひとつに限定しないという、その領域についての説明で、小泉凡氏の「オープン・マインド」の意味をはじめて認識しました。

 寺下さんからは、「ローマ教皇フランシスコの長崎市・爆心地公園での演説(2019年11月24日)より」のプリント配布がありました。「ローマ教皇フランシスコの長崎市・爆心地公園での演説が間違って訳されて報道され、その間違った訳によって、物議をかもしていることが報告されました。正確に訳していれば、そのようなことはなかったのにと、その違訳部分についての説明がありました。
 私もテレビの報道を家事をしながら適当に聞いていたのですが、この「テロ行為」という言葉を聞いたとき、宗教家らしくない言い回しに驚いたことは覚えていましたので、スペイン語も英語も全く理解できないのですが、寺下さんの指摘に安心いたしました。

 貝嶋先生からは、先生の会誌論考の、「ある保守主義者」 と風呂 鞏についての説明がありました。さいしょに、この「広島ラフカディオ・ハーンの会々誌」の「ある保守主義者」論考集がを風呂先生がぜひにと言われたことへの思いに触れられての説明には、もっともの意を深くします。
 風呂先生の大学院時代の担当であった貝嶋先生のこの論考には、会員には等しく特別の興味があり、風呂先生の修士論文が読みたいとの希望がありました。

 会が終わって、その夜は、「月あかり」というお店で懇親会がありました。


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『NHK100分de名著 カラマーゾフの兄弟』
2019/12/06(Fri)
  亀山郁夫著 『NHK100分de名著 カラマーゾフの兄弟』 を読みました。 これはすでに、2日から放送されている『NHK100分de名著 カラマーゾフの兄弟』のテキストです。

 中学生の時、違った方向に帰る友達が『カラマーゾフの兄弟』を読み終わったと、言ったときのことを思い出します。そのころの私は、トルストイやドフトエフスキィーを手に取ってみたことはあるものの、最後まで読めたものはありませんでした。彼女がどんな思いで、読み終えることができたのかと思いながらも、私にロシア文学が読めたのは、それから何年もあとになってのソルジェニーツィンの『癌病棟』でした。
 ですから、 いま、『NHK100分de名著』のテキストとはいえ『カラマーゾフの兄弟』全編に触れることができ、やっと彼女の足元にたどり着いたという思いの満足感にしたっています。
 
 著者の亀山郁夫は、1949年生まれで私と同い年です。そして、6人兄弟の末っ子と述べられています。不思議なことですが、私の学年でも末っ子が多かったように思います。私の家は割合学校に近かったので、私の家族についてはほとんどの同級生が知っていたと思います。しかし、遠くから通ってくる同級生の母親以外の家族の人を知ることはほとんどありませんでした。そんな彼女も、戦前に生まれた兄弟が数人いて年のはなれた末っ子のように聞いていました。母親と兄と姉たちが支えてきた家に、父親が戦場から帰ってきて、うれしい反面、違和感をもっている兄や姉のなかで、生まれ育った末っ子が、どのような思いで家族を見ていたのかが思われます。著者の。亀山郁夫氏は、
 ≪教師だった厳格な父のもとで育ちました。教育行政をあずかる身として大きな挫折を経験した父は、その鬱屈から軽い障害を持つ長兄をあからさまに差別し、そのために家庭内の雰囲気は暗くよどんで、思春期の私には耐えがたいものがありました。私は心ひそかに、父さえいなければこの家庭がどんなにのびやかで自由な空気に包まれるだろうという思いを持ち続け、現実逃避の道ばかり考えていました。・・・そんななか、『カラマーゾフの兄弟』を手にしたのです。小説のかなり早い段階で現れる「父殺し」という言葉に出会ったときの驚きは、いまもって忘れることができません。「父を殺す」、そのモチベーションがじつは自分のなかにもあることをそのとき初めて発見し、衝撃を受けたのです。≫
と述べ、高校2年生のとき初めてこの『カラマーゾフの兄弟』を読んだ時の、内容の把握への混乱についても言及されています。
そのことが、私たちのように途中で挫折した者にとって幸いしました。著者は、この作品が出来上がっていく背景と、その読み解き方について懇切丁寧に解説してくださっています。とはいえ大作ですから、何度かの前に戻りつでやっと読めました。
 この解説書を読み解くだけで読んだ気になるのは、とも思いますが、ロシヤ正教をはじめ、いろいろの分派宗教について知り、今のような法治国家日本ではない社会での、罪ということについて考える機会になりました。
 それに、中学時代の友人や、それに近い家族構成の数人の同級生のことを思い出しながら読めたことも楽しい読書でした。

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