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『可部の歴史と文化』2
2021/03/21(Sun)

 広島文教女子大学地域文化研究所 平成8年の発行の 『可部の歴史と文化』の、友久武文・神原雅之共著「可部地方の民謡」を読みました。

 

 この著作は、その前の「源平争乱期の可部」から比べると大変わかりやすく、民謡にさほど興味のない私もつい読んでしまいました。

たくさんの民謡に関する書物から可部地方を含む民謡を集めて解説されてあります。最後に、≪本稿は友久が素稿を書き、神原と協議して改稿した。採譜はもっぱら神原が担当した。≫とあります。友久先生というのは存じ上げないのですが、神原先生は私が在校生だったころ、幼児教育学科におられたことで名前を聞き、姿をお見かけしたこともあったのでなつかしく読ませていただきました。

すこし前、外山比呂志の『エディターシップ』を読みかじったせいか、二人で改稿されただけあって、より読者の興味を引くものになったかと思われます。

民謡では聞き知った歌はありませんでした。

わらべ歌のなかでは、手毬歌が5とおり紹介されている中で

1かけ 2かけ 3かけて 

4かけて 5かけて 6をかけ

7かけ 8かけ 9をかけて

10でとおととおと10かくし(可部町)

の最初のほうはすぐに思い出しました。

また、お手玉歌の

お一つ落として おおしゃあら

お二つ落として おおしゃあら

おおみいな おおしゃあら・・・・・

は、私たちは、おおさーら お一つ落として おおさーら お二つ落として おおさーら おみんな おーさら・・・・・と少しずつちがっていますが、これも懐かしく思い出します。

鬼遊び歌も3つ紹介されている中の一つ

あぶくたった煮えたった 煮えたかどうだか食べてみよう

(鬼) まだ煮えん

あぶくたった煮えたった 煮えたかどうだか食べてみよう

(鬼) もう煮えた・・・・・

もなつかしく何十年ぶりに歌いました。

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『可部の歴史と文化』
2021/03/18(Thu)
 広島文教女子大学地域文化研究所 平成8年発行の 『可部の歴史と文化』の、横山邦治著「わたしにとっての“可部”」と角重始著「源平争乱期の可部」両方で40ページを読みました。

 横山先生は亡くなられて4・5年になります。
「わたしにとっての“可部”」では、先生が子供のころ生まれ育った鈴張から3里先にある可部への道行と、そこで出会うちょっとした町の風景が述べられています。先生のお宅へ夫婦で訪ねたこともあったので、なるほどとの思いで往古をしのぶことができます。

 角重先生の「源平争乱期の可部」は、読み終わったあとでところどころ読み返して、平安時代の地方について少しわかってきます。
ここでは、「厳島文書」の「厳島野坂文書」のなかでも10通に満たない平安時代の文書のなかで見つけられた、可部源三郎こと源頼綱の追而書(治承四年1180年)を中心に平安時代の可部を思いめぐらすことができます。

もともと、藤原守仲から7代目の藤原成孝は、破産状態になり、1151年可部荘を本拠とする源頼信を養子に迎え高田郡の三田郷と三次の粟屋郷の所領を譲渡します。二つの所領に関する証拠文書などの譲渡です。源頼信はその付託に応えて現世の養育をし、官物の未払い分や私的な債務の弁済に当たります。そして、1167年には自らの安定的な領主権を確保したいがために、平清盛の威光を頼みに彼の信任厚い厳島神主佐伯景弘にその証拠文書を譲渡しました。それから30年後、それを引き継いだ息子の源頼綱も二つの郷の所領の経営に心を砕いて彼なりに尽力してきました。
ところが、1180年9月になって突然あっさりと景弘に三田・粟屋両郷を奪い取られてしまいます。そのとき、景弘に送られたのが可部源三郎こと源頼綱の追而書です。
治承四年1180年段階における“高圧的な景弘”と“卑屈な頼綱” の二人のコントラストのなかに、安芸国の平安末期の政治史を解くカギは潜んでいるというのです。

1167年には従五位下に叙せられた景弘は「平」を名乗るようになり、民部太夫寿永元年(1182年)在地の人間としてはきわめて異例な安芸守に就任するのです。

どんな時代もその時代の制度が年数がたつにつれて中央にも地方にもとんでもない弊害がでてくるその道筋が見えてきます。取り上げられた郷は、国司の権力が増し、納税不可能な土地を私有化したことで、私有地になってしまっていたためにおこることがらでした。正式な領有権は急速に権力を増していった平家に取られても仕方がないの一例です。

平安時代には一揆などはなかったのかというと、やはり地方の一揆が中央の制度に破綻をきたさせる様子もわかってきました。
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『鬼滅の刃』
2021/03/11(Thu)
 吾峠呼世晴著 『鬼滅の刃』 を読みました。
 『吾妻物語』以来の漫画です。
 なんだか読んでいて意味が解りません。3巻頃から少しわかりはじめ5巻でやっと次が待ちどうしくなりました。しかし、5巻まで和子さんから借りたので返すため、まず1巻の裏表紙の説明を記録。≪時は大正時代。炭を売る心優しき少年・炭治郎の日常は、家族を鬼に皆殺しにされたことで一変する。唯一生き残ったものの、鬼に変貌した妹・禰豆子を元に戻すため、また家族を殺した鬼を討つため、炭治郎と禰豆子は旅立つ!!血風剣戟冒険譚、開幕!!≫

 2巻は1巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告
≪鬼殺隊の青年・義勇の勧めで、炭治郎は鬼殺隊入隊を目指し、鱗滝のもとで修行することに。厳しい修行を突破した彼は、入隊の「最終選別」へ。そこで、鱗滝と因縁のある大型の異形の鬼と対峙し、師匠から教わった技で立ち向かう丹治郎だが・・・!?≫ ≪鬼殺隊入隊の最終選別で、異形の鬼と対峙する炭治郎は、師匠・鱗滝から教わった技で立ち向かう!!はたして選抜突破なるか!?そして、鱗滝の下へ戻った炭治郎は、目覚めた禰豆子と共に、毎夜少女が消えているという町へ向かい!?≫

 3巻は2巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告。
≪鱗滝の修行を終え、鬼殺隊の「最終選別」を突破した炭治郎は、禰豆子と共に任務へ。任務中、宿敵・鬼舞辻と遭遇するものの逃げられた炭治郎は、そこで鬼でありながら、鬼でありながら、鬼舞辻の命を狙う珠世と愈史郎に出会う。二人から禰豆子を人に戻す手がかりを得た炭治郎だが、突然、鬼舞辻の直属の配下・十二鬼月に襲われ!?≫ ≪毬と矢印を操る鬼二人と刃を交える炭治郎と禰豆子。自らを鬼舞辻の直属の部下十二鬼月と名乗る鬼たちに、珠世や愈史郎の助力を得て炭治郎たちは立ち向かう!!見事撃破し、宿敵・鬼舞辻への手がかりを得られるか!?≫

 4巻は3巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告。
≪最終選別の時の同期・我妻善逸と出会い、共に次なる任務へ向かうことに。鼓を操る鬼を倒した炭治郎は、善逸が猪の毛皮を被った少年に襲われているところに出くわし!?≫ ≪少年を止めに入る炭治郎だったが!?そしてしばしの休息の後、炭治郎たちは、鬼殺隊の緊急の指令により不気味な山へ向かう!!そこに潜んでいたのは・・・!?≫

 5巻は4巻のあらすじの途中からと、裏表紙の予告。
≪新たな任務で同期・我妻善逸や嘴平伊之助と共に那田蜘蛛山へ向かった炭治郎は。そこでは蜘蛛の鬼によって鬼殺隊が壊滅状態に陥っていた!お互いを家族という、異質な鬼の集団。父さんと呼ばれた鬼が炭治郎と伊之助に襲いかかり!?≫ ≪善逸は蜘蛛になる毒に侵され、伊之助と炭治郎も巨大化した父蜘蛛に翻弄され、戦いの終わりは見えず・・・そんな絶体絶命の一行の下にある影が・・・!?≫

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久しぶりのブログ記事
2021/03/07(Sun)
 ブログを書かなかった間、多少本を読んだ。いちばん分厚かったのは『5000匹のホタル』途中これはなんだか知っていることがらだ・・・・と思って、読み終えブログ記事を書きかけて念のため過去記事を調べてみたら2017年6月に感想など書いていた。そのうちだんだん本が読めなくなった。たぶんこんなにテレビを見るのは初めてという人生初のテレビ三昧が始まった。
 その原因の一つが、2月の初めから来客が連日だったことだ。其の後には事務局としての作業が少しある。必ず家にいることがわかっているからかもしれないと気づいたころの2月28日、和子さんが孫を連れてきて福王寺登山に誘ってくれた。

そして3月1日、思いがけない電話があった。それからのことをブログ記事にします。もし読んでアドバイスがあったらコメントしてください。

Nさんメモ
◎ 3月1日(月曜日)晴
朝、民生委員のYさんから電話があった。YさんはNさんの認知症の話をされ、Nさんが行くところがないと言っていたことで相談を受ける。そして家が近い私に協力を依頼された。
(最近、団地の下の191号線を車で走っているとき、免許書を返納したNさんが速足で歩いているところをよく見かける。彼女とは、年末に我が家の家の修理にトラックが入るので、その間我が家の車2台を彼女の家の庭に置かせてもらった。そのとき彼女のひどい赤切れにびっくり。年明け家の中の整理をしていて見つけた赤切れの薬を、ごみを出しに行ったときに出会った彼女にその薬を取りに来ていただいて・・・・、といったような関係だ。)

正午ころNさんに電話連絡がつき昼食後の12時40分に迎えに行くことに決めて二人で福王寺の駐車場まで登る。
下りる途中、夫がNさんに鯵の刺身を取りに寄るよう伝えたので我が家に立ち寄ってもらう。和子さんのつくったクッキーを食べながらコーラを飲んで鯵の刺身を土産に持って帰られる。送っていく。帰ってみると4時30分。

※ 迎えに行ったとき、私の家迄行ってきたばかりだといわれたので驚く。
登山途中では、教育テレビの高校講座の社会科でみた保険の話などした。
※Nさんは難聴の人へのボランティアをしていたとき、大きな声で話していて通りがかりの人に大声で話すなと怒られた話をされた。
※一緒に我が家にきたとき、出迎えた夫と私を見比べながら二人は結婚していたのかと言われたので驚いたと夫が後で私に話した。
※夕方二軒隣のOさんの家の前で娘さんを見かけたので挨拶すると、母がお世話になっていますと言われた。その様子から、近所の人が見守っていてくれることに感謝されている様子が伝わり、近くにいても働いているとやはり近所の人が頼りなのだと感じていることが伝わってきた。

◎3月2日(火曜日)晴
10時20分ころ電話する。いつもの彼女だったら昨日の鯵のお礼などをいうところ、先日はいろいろありがとうございました。とお礼を言われる。散歩したいときは誘ってねとお願いをして電話を切る。

◎3月3日(水曜日)晴
10時5分頃電話して忙しくしているかどうか聞くと、生協が来たので忙しかった。話のなかで、生協の商品には量が多すぎるものがあるといわれる。それでは多すぎるものはその半分をその値段で私に売ってくれたらいいというとそれを持ってくると言われる。散歩するかどうか聞くと散歩すると言われるので、散歩の支度をして持ってきてくれとお願いする。待っても来られないので出かけてみると1本手前の道で家を探しておられたので声がけをして一緒に我が家へ帰る。つっかけ履きで来ておられたので、散歩の準備のために彼女の家に行く。家に上がってくれと言われるので上ってみると以前とは考えられないほど家のなかは足の踏み場もないほどさばけていたのでびっくりした。散歩の行帰りの途中に2度ほど共通の知人のKさんの家に寄ってみたが留守であった。 一昨日より認知の度合いが極端に悪く感じられ不安になる。
※Nさんの持ってこられた生協の商品は想像より大量で代金をというとそれはいいと言われる。コロナパンデミックの前はいつもお刺身を届けていたのを彼女はありがたがってくださっていたので代金は言われるとおりにする。

◎3月4日(木曜日)晴夜小雨
夕刻5時前、鯛めしをもって訪ねたが留守だった。帰って携帯に電話をすると今下へ下へ降りてサンリブに行っているといわれた。鯛めしを持って行ったが留守だったというと、残念そうだった。帰りはいつ頃になるか聞くとできるだけ早くして7時ころになると言われる。7時に鯛めしと、そのあとわりと美味しく作れた大根の葉っぱと油揚げの炊いたのも持っていく。何度も来たのかと言われるので、いや今来ただけだと応えた。入れ物を返すことに自信がなくて気を使わせそうなのでお皿を持ってきてくれるよう言うと食器ではなく空になった入れ物を持ってくる。もし今日は口に合わなくても冷蔵庫に入れておいて明日美味しく感じることもあるから食べてね。というと、うれしそうな様子。こちらが慰められる。よく考えてみるとサンリブには食事に出かけられたのではないかと思った。

◎3月5日(金曜日)小雨のち晴れ
 午後4時前電話を入れる。喫茶店のキャロットで昼食を食べていて、そのあとサンリブに行くと言われる。甘酒を造ったので一緒に飲めたらとおもって電話しました。というと、お酒が苦手で甘酒も飲まないとのこと。じゃあ夕方きんぴらごぼうを造ったので少し持っていくね、というと喜ばれて、帰ったらもらいに行くと言われ、帰って取りに来られる。

◎3月6日(土曜日)
10時ころOさんとNさん宅へ酢鯖を片身ずつ届ける。Nさん宅では留守だったが、ちょうど娘さんと車で帰ってこられた。娘さんと挨拶をして帰る。世離れするほどの美しい娘さんは少しして同居すると言われた。(民生委員さんに聞いていたが黙っていた)
Nさんは、3時ころ入れ物の二つとラーメンとミカンを持ってきてくださる。娘さんはすぐ帰られたとのこと。
 夕方5時ころ再度今日はありがとうと言ってマスクを持ってきてくださる。出来立てのバラ寿司を味もきかずに大きなタッパーに詰め込んで錦糸卵や桜デンブ、紅ショウガ・パセリで飾って持って帰っていただく。7時過ぎ思ったよりお寿司がおいしくできていたので安心したと電話を入れるとおなか一杯食べたといわれた。

  彼女にかかわって、約1週間が過ぎました。
 核家族で育ち、長男の嫁でありながら夫の父母にも私の両親にも煩わされることなく見送ってきた私ですが、彼女に思いを寄せるこれからの生活が、わたしの何気ない日常になる今日の記念として記録しました。


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