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『蒼 氓』
2021/04/30(Fri)
 石川達三著『蒼氓』を読みました。
 昭和49年37版の新潮文庫です。
 昭和10年の著作で第1回の芥川賞受賞作品『蒼氓』と、これにひきつづいて、第二部『南海航路』、第三部『声なき民』と次々出版されたそうです。この文庫本は、250ページ余りですが、それら三部とも収録されています。

 作品は昭和5年のブラジル移民の人たちについて語られたものでした。第一部『蒼氓』は、神戸の国立移民収容所に全国から集まってきたブラジル行の移民たちの、船に乗るまでの八日間の生活が描かれています。第二部の『南海航路』は身体検査などで合格した千人足らずの船内における四十五日間の出来事が描かれ、第三部『声なき民』は、リオ・デ・ジャネイロに船が停泊したときから、入植地に入植して、三日間が描かれています。

 読みながら、そういえば私の故郷では、海外に移民した人のことを聞いたことがないのですが、広島に出て、ときどき親戚の人に移住した人がいるという人に出会ったことがあります。それらの話と、この作品とのギャップは時代の違いなのかなどと思ったりもしました。それにしても作品はあまりにもリアルなので、著者について調べてみました。なんと彼は昭和5年に5か月、ブラジル移民の船に乗って入植した経験を持っているのでした。わずか5か月帰ってこられたこともも含め、彼のその時の手はずについては、作品の内容から類推できます。
 たしかにこの時代、そんな彼でないと書けない作品とも思えます。

 日本での極貧生活から生き残るために決意した移民でした。故郷を去る悲しさと不安、そしてかすかな希望。入植して、すでに入植して数年を過ごした
 ≪米良さんや真鍋さんたちは、まるで世間のことは何一つ考えずに、稲やカフェやバタチンニヤ(馬鈴薯)の事ばかり考えているようでもあった。ここでは、このような世界に在っては、日常生活以外の何ものも縁のないものであった。この部落ばかりが全世界で、部落以外のことは、星の世界のように遠かった。≫
 が入植2日目の偽りない思いでした。

 3月初めから体調をくずし、4月3日から、夫につれられて病院通いが始まり、やっとまともな体になり始めた私としては、こんなに健康を害したことがなかった分、療養の期間中のなんとも辛く、世間にまで気持ちの廻らない異常な期間の思いと、入植時の彼らの思いが、ほんの少し重なって見えました。


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『宣言一つ』
2021/04/28(Wed)
 有島武郎著『宣言一つ』を読みました。
 旺文社文庫の『惜しみなく愛は奪う』のなかに、他一編としての8ページの作品です。
 
 労働問題が、思想家などの理論を離れて、労働者自身による、労働運動になってきていることが述べられています。
今や、どんな偉い学者であれ、思想家であれ、運動家であれ、第四階級の労働者でもない人が、身の程をわきまえないで、おごった振る舞いで労働者に寄与できると思って、かき乱すことは僭越行為であるという内容です。

 この作品は大正11(1922)年の作品です。大正11年がそのような時代だったのかと思うばかりです。
 この文庫本の年譜では、大正10年には政商や財閥中心の政治をしていたと考えられてもいた原敬首相が東京駅で暗殺されています。そして大正13年6月7日には著者の有島武郎自身が45歳で自殺しています。
 高校生の時買って読んだときに子の年譜内容で気づいていかかどうかわかりませんが、この度印象的だったのは、10歳のときには皇太子の学友に選ばれており、さらに25歳のときには皇太子の補導役に推薦の内談があったが辞退していることでした。このような経歴を心にとめて子この年譜を読むとまた少しかわった感想を持つのでした。


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『惜しみなく愛は奪う』
2021/04/24(Sat)
 有島武郎著 『惜しみなく愛は奪う』を読みました。
 昭和42年発行の、旺文社文庫です。
 なんといっても井上靖の分厚い文庫本を5冊も読んだあとなので、翌日は次に読む本の目星をつけて、認知症のNさんを誘って、亀山公民館に随分前に借りた「ゆるせない病」という本を返しに行き、帰って午後は眠り続けました。そして、次の日は朝から夫の南原峡へつれて行ってもらいました。駐車場から加賀津の滝まで歩きました。途中で流れに岩に挟まった大きな白骨を見つけ、夫は人間のものではないかと引きずり出しますと恐竜の展示物のように完璧に近い動物の白骨です。何を見るにつけても井上靖の本の内容に照らし合わせて思いを巡らします。そこには「猟師でも山中で動物の死体に出会うことはない」と書かれていますが、それなのにこの岩の間に一部挟まって完璧に近い白骨は如何に・・・・。などと。

 目星をつけた本というのが、「あ」のつく著者の文庫本から選んだ、この『惜しみなく愛は奪う』でした。
 気楽に読み始めたのですが、えっ⁉、いま何と書いてあった?と、再々読み返すほどめんどくさい感じです。結局130ページの作品が、ゆうに分厚い井上靖の一冊分の時間を要しました。

 この作品は大正9年、有島武郎42歳の時の作品です。終わりころではありますが、途中で、
≪人間は愛の抱擁にまで急ぐ。彼の愛の動くところ、すべての外界はすなわち彼だ。我の正しい成長と完成。このほかに結局何があろうぞ
 【ここに「以下十四行内務省の注意により抹殺」とあり】
 私はこの本質から出発した社会生活改造の方式を説くことはしまいと思う。それは自ずからその人がある。私は単にここに一個の示唆を提供することによって満足する。・・・・。≫。
の部分から、その時代背景に思いを巡らします。
 大正9年といえばその前年、スペイン風邪で亡くなった島村抱月の後、松井須磨子が後追い自殺をした年です。彼女の歌った北原白秋作詞の曲も猥褻扱いで発禁処分第1号になりました。これから類推すると、猥褻的な文章が続いたのかもしれません。
 いっぽう、翌年の大正10年には、利益誘導型の政治を生み出したと言われる原敬首相が鉄道の現場職員によって暗殺されています。
 この抹殺部分のある1ページ前には、≪国家も産業も社会生活の一様式である。近代に至って、この二つの様式に対する根本的な批判をあえてする二つの見方が現れ出た。≫からの説明に続く文章のなかに、あるいは政権批判に続くような文章があったのかもしれませんが、そこまではとの思いもします。

 どのみちこの作品は、「惜しみなく愛を与える」というのは偽善である。本当の愛は、「惜しみなく奪うもの」であることを、今この時を、個人主義的に、愛を全うして生きるということの宣言と思えるような文章でした。

 「惜しみなく奪う愛」の一つの例として、基督をあげています。
≪基督は与えることを苦痛とするような愛の貧乏人では決してなかったのだ。基督は私達をすでに彼のうちに奪ってしまったのだ。彼は私の耳にささやいていう、「基督の愛は世のすべての高きもの、清きもの、美しきものを摂取し尽くした。悪しきもの、醜きものもまた私に摂取されて浄化した。眼を開いて基督の所有の如何に豊富であるかを見るがいい。基督が与えかつ施したと見えるものすべては、実はすべて基督自身に与え施していたのだ。基督は与えざる一つのものもない。しかも何物も失わず、すべてのものを得た。この大歓喜におまえもまた与るがいい。基督のおまえに要求するところはただこの一つの大事のみだ。≫


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『化石』
2021/04/20(Tue)
 井上靖著 『化石』を読みました。
 1969年発行の、角川文庫本で、760ページの文庫本です。
 こんなに分厚い文庫本というのは初めてだと思えます。そして古い文庫本で、用紙も茶色で読みにくそうで心配でしたが、読み終わるころにはこの本とすっかり親しくなっていました。

 それもそのはず、昭和40年の朝日新聞への連載ものといえば、私が高校1年生のときの連載ですが、そのときの井上靖は今の私と同じ72歳です。
 このところの私も、ひどい腰痛に悩まされ、それが治るや右耳も激痛に悩まされ、夫と病院の先生に頼っての日々なのです。
 ≪特にこの「化石」には、いわゆる小説らしい筋立てはほとんどない。初老人公の一鬼がヨーロッパ旅行中にガンを発見されて、今後1年しか生きないという死の宣告を受け、以後ひたすら一鬼の内部の死との対話、対決についてのみ語られている。そこにはすでに、愛も憎しみも利害の相克もなく、老年や死の問題をはじめ、人生そのものに対する根本的な問いかけや試作のみが語られている。≫
 と最後の解説にあるとおり、問いかけとが多くを占めていき、それへの思索がキャッチボールのように繰り返されていくのが、だんだん読者と著者の間に繰り返されて行くように読めてきます。
 なかで、父親が亡くなった年齢より。若くして死ぬのは親不孝だという部分がありますが、これも私が母親の亡くなった年齢を超えたことでほっとしているのと同じで、そうそうとやたら突飛な会話ではありません。

 死を前にして美しいセーヌ川の流れに“逝くものは斯くの如きか”と感じたことを、小説も終わりになり、手術が成功して、退院の日にふと思い出すところがあります。そして、セーヌ川の波はあのときのように美しくきらめいて人類の流れを思わせるように今も流れているだろうか?と思うのです。死に向かって生きる時をこのように深く生きて、ふと、これから生に向かって生きることへの戸惑いがあるところです。これは日常の生き方の中で、私たちも考えさせられる部分でした。

 また、小説の中で、100年後に開けられる、ビルの礎石のなかに実物大の、その年のガンの一番大きな組織と一番小さな組織の模型を真空状態にして入れるくだりがあります。100年後にはガンは征服されているので、今の状況を残しておこうとの思いです。2065年ころにはガンが征服されているというのですが、そこのところは、ほんとにそうなるかなと思えた所でした。


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『星と祭』 
2021/04/19(Mon)
 井上靖著 『星と祭』を読みました。
 1975年、角川文庫本で、616ページの文庫本です。

 中級の貿易会社の社長である主人公の架山洪太郎は、妻の冬枝と娘の光子と暮らしていますが、先妻の貞代とその娘みはるが京都で暮らしていました。
 先妻の貞代は勝ち気で人の後ろに立つのは我慢できない性格でした。みはるが2歳のとき離婚し、みはるは洪太郎の母親が手放しませんでした。
 洪太郎は離婚後1年して再婚したため母親はみはるを連れて郷里で暮らしていました。その郷里へ、、しばらくしてときどき、フランス刺繍で名をあげ、それなりの豊かな生活をするようになっていた貞代が訪ねるようになっていました。みはるが11歳の時、祖母が突然亡くなり引き取って暮らしていますが、貞代の兄が貞代に引き取らさせてやって欲しいと申し出ます。みはるに訊ねると母の方へ行くというので京都で母親と暮らすことになりました。
 みはるは、東京へ修学旅行や友達と来たとき、4回ほど突然洪太郎をその会社にこっそり訪ねてきたことがありました。
 そのみはるが、17歳の時、琵琶湖で乗っていたボートが転覆してしまいました。ボートにはもう一人男の子が載っていましたが、二人とも行方が知れないと警察からの連絡を受けた貞代は気を失ったため、そばにいた弟子らしき人が洪太郎のところに報せてきたのでした。すぐに洪太郎は琵琶湖にかけつけました。貸しボートの佐和山のところに宿をとった男の子の父親の大三浦と、6日間、警察や漁師との捜索をしますが遺体はとうとう見つかりませんでした。その間、男の子の父親の大三浦は息子が心中したようなことをいうのが気に入らず大三浦に嫌な感情を抱いていました。
 その事故から7年たった時から小説は始まります。
 親しい年下のアマチュアあがりの登山家が訪ねてきて、エベレストのふもとのタンポチェという僧院のある集落で、10月4日の満月を見るという計画に洪太郎を誘いました。登山家仲間の3人は、洪太郎の知り合いの画家である池野も誘っていて、5人でその計画を果たします。
 その月の照らすエベレストでの光景に、洪太郎は、生まれる意味も死ぬる意味もない、永劫、ただそれだけという感を抱き、それを通して大三浦に対する思いが大きく変わったことにきづきます。そして帰国して琵琶湖で大三浦に会ったとき、ちょうど満月だったことから、佐和山の提案で、大三浦の念願である琵琶湖で、二人の親が佐和山と二人の子供の葬式をします。

 7年間の二人の親の悲しみ苦しみが、この作品のほとんどですが、その感情の高まりが、琵琶湖湖畔の数々の十一面観音に出会わせてくれたり、エベレストのタンポチェという僧院のある集落の観月に向かわせたり、洪太郎の大三浦への嫌味に向かわせたり、大三浦と佐和山とのいさかいに向かわせたりもするのですが、最後の春の琵琶湖の月見で、三人が心を通じ合わせ、わが子二人への供養は、これまでに湖畔で亡くなった人々みんなへの供養にかわっていくのでした。

 私も少ないながらいろいろな死に出会いました。読みながら、この作品に出会えたことに深く感謝すること度々でした。


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『氷 壁』
2021/04/17(Sat)
  井上靖著 『氷壁』を読みました。
 1963年、新潮社の文庫本です。528ページの文庫本です。
 集中して読める状況だったのですが、なんとなく読み進めない内容でした。おかげで、途中で交通安全協会の総会の案内が、支部の19名の理事に往復はがきで送れるようにすべて印刷ができ、ポストインするだけになりました。事務局としてはこのパソコンでの往復ハガキ作りがいちばん気の滅入る仕事です。気にかかる作業を早めに成し遂げて後半を読みました。

 山登りの好きな魚津恭太は、奥多摩から東京に帰って、次は正月休みに、奥又白に二人で一緒に登る友人の小坂乙彦に出会います。小坂乙彦は八代美那子と待ち合わせをしているのでした。八代美那子がくると魚津は気を利かせて帰るのですが八代美那子もすぐ後を追いかけてきて相談を持ち掛けます。小坂乙彦がしつこく愛を告白してくるのに困っているのでやめてほしいと伝えてくれというのでした。八代美那子には20歳以上年の多い八代教之助という夫がます。
 魚津は、八代美那子に頼まれたことを小坂乙彦に伝え、あきらめるよう強く話します。と同時に、小坂乙彦の思いが強いことを聞かされます。

 計画通り、暮から正月にかけて、魚津と小坂は奥多摩に登ります。標高3000メートルの氷壁を小坂が自らトップを志願して登っていた時

 ≪事件はその時起こったのだ。魚津は、突然小坂の体が急にずるずると岩の斜面を下降するのを見た。次の瞬間、魚津の  耳は、小坂の口から出た短い烈しい叫び声を聞いた。≫

 小坂は死んだ。魚津は下山して捜索隊を結成し、見つけ出した遺体の処理をして、遺骨を小坂の郷里の母親に小坂の妹かおると共に届けに行きます。魚津は小坂の事故は「ナイロン・ザイルが切れたから」というので、ナイロン・ザイルがそれまでのザイルより強度が強いことを主張する製造会社が強度実験をします。それをするのが八代教之助でした。実験ではナイロン・ザイルは切れませんでした。魚津の会社もそのザイルを作っている会社と関係を持っていたために会社を首になり、嘱託として働くようになります。
 八代美那子は自分のせいで小坂は自殺をしたのではないかと勘ぐり、魚津に同情します。気づかないうちに八代美那子も魚津もお互い惹かれ合っていました。
 同時に小さい時から兄から魚津のことを聞かされていた小坂かおるも魚津に惹かれ結婚を申し込むのでした。魚津もそれに応じ結婚の約束を受け入れます。
 魚津はかおると穂高に登る約束をします。彼女が行ける徳沢小屋まで行って魚津が飛騨側の滝谷の岸壁に挑戦して降りてくるのを待っていてもらう計画でした。滝谷の岸壁に挑戦することで八代美那子の幻影を払い落とすためでした。そしてここで事故にあって魚津も事故死するのでした。

 この作品では、魚津の上司である支社長の常盤大作が魚津への愛情を示すところが一息入れる読書になりました。
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『渦』
2021/04/14(Wed)
 井上靖著 『渦』を読みました。
 1965年角川の文庫本です。これも先に読んだ『地図にない島』よりも分厚い628ページの文庫文でしたが、やはり一気に読み上げました。

 また、タイトルに象徴される事柄の意味がストーリーのいよいよ最後にわかってくるのも『地図にない島』同様です。
 16歳の戦災孤児の山西光一が、自分に母性愛を感じさせて暖かい気持ちにさせてくれるおばさんの中津伊沙子が、彼女の夫への腹いせに山西光一が嫌な男鳥巣と旅に出るとわかって鳥巣をピストルで撃って殺すというなんともなどんでん返しで小説が終わるのです。

 山西光一が怖いと思いながらも自分にとって父親と思っている勤め先の副社長の吉松が、見合いの世話をしている姪の宗方りつ子に、言い聞かせる言葉があります。
 ≪「僕は恋愛という言葉ほど嫌いなものはない。何が恋愛だ!週刊誌を開けばのっけから恋愛という文字だ。小説本を開けばまた恋愛。日本中、恋愛。――この間オオカミの話を読んだが、オオカミは交尾しているところを見つかると、見つけた相手をどこまでも追跡して行って、それをかみ殺してしまうそうだ」・・・・「恋愛というものに、もし価値があるとすれば、オオカミが目撃者をかみ殺してしまうように、そのような守られ方をした場合だけだ。恋愛自体に価値があるのではなく、そのように守られた場合、初めてそこに価値が生まれるのだ。これはオオカミが本能として持っている生態にすぎないが、動物の種族保存というのは、常にこのようにして守られてきたのだ。・・・・」≫

 山西光一が鳥巣を嫌いになったのは、鳥巣の家を訪ねた時、鳥巣の部屋で女性の寝た後の様子がうかがえる彼のベッドを垣間見たことがあったことでした。そんな鳥巣に誘われて旅行すると思える伊沙子が、いままで優しくしてくれても決して自分にお小遣いをくれたことがない伊沙子が餞別と思える大金を包んで持たせてくれたのです。旅行に行かせては、もうこんりんざい自分と会えなくなると思ったことからのピストル射撃は、吉松のいうオオカミの生態の再現のように思えます。

 吉松の数少ない言葉のなかに、できないけれども人間の理想とする動物の生態がいくつか語られていて、なかなか味のある小説でした。


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『地図にない島』
2021/04/13(Tue)
 井上靖著 『地図にない島』 を読みました。
 1980年文芸春秋発行の文庫本です。なにしろ522ページの分厚い文庫本ですが、一気に読み上げました。

 それほどストーリーも闊達で、にもかかわらず誌的な文章表現による美しさにも魅せつけられながらの読書になりました。

 多加子と洪介の結婚式で小説は始まります。すぐ後、新婚旅行に京都に出かけその途中から多加子は逃げ出して家に帰ってしまいます。洪介は京都に住む友達の八代を呼び出し慰労会をします。途中八代の知り合いの絵描きの女性に出会い、さらに一緒に飲み歩いて、洪介はその女性の家に泊めてもらうことになります。
 一方家に帰った多加子は、母親に仲人の家に行って謝るようにきつくいわれて、仲人の家に行き、そこの一人息子の章三に事情を知られますが、彼は、嫌だったら思い切って帰ってくるのは勇気あることだと応援してくれます。そのあと多加子は章三に結婚を申し込まれ、それを拒野に苦労をします。多加子は、洪介も章三も嫌いではないが結婚する相手とは思えないという気持ちを表明します。
 多加子はこんななか、大学生の時家を何度か訪ねたことのある大学の猪俣先生にしか相談できる人がいなくて二度相談に行きます。二度目に自分が好きなのはこの猪俣先生だと気づきます。
 ところが物語が進むにつれて、この猪俣先生は京都で洪介が止めていただいた絵描きの女性亜紀をずっと思い続けていた人なのだということが分かってきます。これら3人の男性と、二人の女性による恋愛小説です。
 解説に
 ≪井上の恋愛小説のヒロインは常にロマンティストであり、理想主義者であり、女性特有の非論理的な勘や感性によって理想の純粋な恋愛を追い求めようとする。そして作者自身も恋愛の純粋性をそこに求めようとしていると言ってよかろう≫
と、述べられています。また、
≪井上の小説に、このように画家がしばしば登場するのは、理由のないことではなく、井上の新聞記者時代に美術記者としての長い経験があったことはよく知られていることである。≫
ともありました。
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『五箇山ぐらし』
2021/04/11(Sun)
  かつおきんや(勝尾金弥)著 『五箇山ぐらし』を読みました。

この作品を読むのは2度目です。昨日「通史会」に参加して、排便処理についての話題が出たのがきっかけで、もう一度読んでみたいと思って1日あまりで読み返したのでした。

最近体調が悪く集中力がないせいで、一日あまりでかなり分厚い本を読み上げるということは全くなくなっていたのですが、一応ブログにも残しておこうとさらに頑張っています。

 

読み返した目的というのは、まずこの本が我が家にあるかどうかが問題でした。停年最後の職場で、古い図書を廃棄することになったとき、そのなかから間違いなくこの本を我が家に持ち帰っていたかどうかが問題でした。見つけ出してほっとして改めてこの本を撫で返しました。著者は子ども向けに書いているのですが、大人が読んでも充足できる本なのです。

 

この本の内容については最初に読んだ2011年8月1日のブログに記録しています。よって、このたびの読書で改めて興味深かったことについて記録します。

この作品の著者勝尾金弥児童文学者というより、民俗学者といえると思えたことです。江戸時代、身分区別は士農工商とはっきりしていました。わたしは農家に生まれたので農とは米を作る人々のことだとすっきり理解していました。しかし、この農の身分のなかには、米の取れない地域の農も含まれそうです。この作品の主人公の少年松吉は米づくり農家に育たのですが、イナゴの大量発生で何升かの年貢が足りず家族ぐるみ流罪で行かされたところは、養蚕農家でした。そして、すべて藩が買い上げる塩硝づくりもしなければなりません。塩硝づくり用の家の手入れ(村全体で行う共同作業)や、日々の食べ物のための畑仕事や山菜取りなどで、朝早くから休む暇などなく、泥にまみれて働きます。これも農の部類に入っていたと思えます。その生活手段となる技能を子供が学んでいく姿をきちんと描いているところが、並の民族学者ではないと感じさせるのでした。

そして意外なことに気づかされました。それは、為政者の理不尽なやり方で、罪人にされ、生まれたところを追われさげすまれる身を一番許せない祖母が、「私たちは何も悪いことはしていない。仏さまはちゃんとお見通しや。なみあみだぶ・・・・・・。」といって気を静めて大きな力を得ているということでした。

ブログには記録していませんが、3月に片田珠美著『許せないという病』という新書本を読みました。これは、78歳の友人の娘さんが突然お母さんには内緒でねと我が家を訪ねてきて、ある人についての怒り心頭の悩みを打ち明けていってから、どうしたものかと読んだ本です。しかし、この読書によっては何も感じられずにいたのでした。

しかし、この本では、宗教はとりあえず、気持ちを整えて、冷静に判断できるという大きな力を与えてくれるものだと思えたのでした。

 

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後藤新平の記事を読む
2021/04/02(Fri)


 2021年3月14日(日)の中国新聞に掲載された後藤新平の記事を読みました。

 この記事は、3月27日(土)の「通史会」のあとⅯさんがくださったものです。

そのまえの3月13日(土)の「通史会」の時、後藤新平の話題が出たのですが、その翌日に中国新聞が大きく後藤新平を取り上げたその偶然に感激して切り取って持ってきてくださったのでした。

ひさしぶりに布団を干したりして片づけていて目にしたものです。勿論一度は読んでいたのですが、今日はゆっくり丁寧に読み返しました。

 

≪後藤は、日清戦争から帰還する兵士たちの検疫を行うため、1895(明治28)年、陸軍検疫部事務官長として陣頭指揮し、わずか2カ月の突貫工事でこの地に似島検疫所を開いた。

帰還兵たちはいったんすべて検疫所内の宿舎にとどまり、衣服や持ち物の消毒をし、経過観察した後、健康な兵士は広島港に上陸、罹患が疑われる者は「避病院」と呼ばれる隔離病棟で治療を受けた。≫

 

この記事を読むと、私たちは、後藤新平(1857年~1929年)が台湾総督府民政長官・満鉄初代総裁・逓信大臣・内務大臣・外務大臣などを歴任したことについてはうっすら承知しているのですが、この度のようなウィルスなどの伝染病によるパンデミック対応で世界を驚かした人としての認識にかけていたことを知るのでした。

 

新聞の切り抜きが実はもう一枚ありました。

これは、「通史会」が読み進めている『芸州新庄紀行』に出てくる「折敷畑(おしきばた)合戦」で毛利方の熊谷家来末田新右衛門によって討ち死にした陶方の大将宮川房長の居城岩国市美和町生見の高森城の記事で、これも紙面を広く使った記事の切り抜きで、ぜひ訪ねてみたいと思える記事でした。

 

 

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